創作童話「どぐうくん、はにわくん、そして」
大分日が経ってしまいましたが、久しぶりの創作童話です。
うさぎのぴょん太くんとかえるのけろきちくんが歩いていると、かめ夫くんに出会いました。
「やぁ、ぴょん太くんとけろきちくん。どこに行くの?」
「あ、かめ夫くん、ぼくたち飛鳥めぐりに行くところなんだ。かめ夫くんもいっしょに行かない?」
「飛鳥めぐりかぁ。いいね。ぼくも心惹かれるけど、やめておくよ。暑くて。甲羅が熱いんだ。ふたりとも気を付けてね」
「わかった。気を付けるよ。じゃぁね」
かめ夫くんと別れて、ふたりが歩いていると、向こうから何か茶色いものが歩いてきます。
「こんにちは。はじめまして」
「こんにちは」
「えーと、きみは?」
「私はどぐうよ。目がチャームポイントなの」
「ど、どぐうって、歩くの?」
「そうよ。現に歩いているじゃない。じゃぁね」
「びっくりしたなぁ。土偶が歩くなんて聞いたことがないよ」
「ぼくたち、悪い夢でも見ているのかなぁ」
さらにふたりが歩いていると、また向こうから何か茶色いものが歩いてきます。
「こんにちは。はじめまして」
「こんにちは」
「えーと、きみは……。もしかしてはにわくん」
「そうだよ。踊る埴輪なんて言われているけど、本当は馬引きだという説もあるんだよ」
「へー、そうなの。で、実際はどうなの?」
「う~ん。どっちだったかなぁ? もう1500年も昔のことなんで、忘れちゃったよ。じゃぁね」
「また悪夢かな。土偶や埴輪が歩いているなんて、怖すぎるよ」
さらにふたりが歩いて行くと、今度は向こうから何か緑色のものが歩いてきます。
「こんにちは。はじめまして」
「こんにちは」
「えーと、きみは……。なんだろ?」
「見当も付かないな。苔の固まり?」
「ブー!」
「じゃぁ、カビの固まり?」
「ブー! ブー!! なんてことを。ちょっと見れば分かるでしょ」
「う~ん。降参」
「前方後円墳に決まってるじゃない!」
「前方後円墳?! 土偶や埴輪が歩いてくるのはまだ分かるけど、古墳がむっくり起き上がって歩いてくるなんて、そんなことがあってたまるものかは」
「そんなこと言われたって、現にこうやって歩いてきたんだから、しょうがないじゃない。じゃぁね」
「もうダメだ。こんな不条理があっていいわけがない」
「本当に。頭がおかしくなりそうだ。ちょっと休もう」
頭が疲れたふたりは、しばらく横になることにしました。
どれくらい経ったでしょうか。そこにかめ夫くんがやってきました。
「やっと見つけた。ふたりとも起きて」
「あ、かめ夫くん、どうしたの?」
「ふたりがなかなか帰ってこないんで、心配になって探しに来たんだよ。どうしたの? 熱中症じゃない?」
「いや、そんなことはないと思うけど、実はこれこれこういうことがあったんだ」
「それ、夢じゃないの?」
「夢じゃないよ。ふたりが同じ夢を見るなんて、そんなことないし」
かめ夫くんは何か考え込みました。
「かめ夫くん、どうしたの? 何を考えているの?」
「いや、夢かどうかは分からないけど、前方後円墳が歩いてきたっていうことで、ちょっと考えることがあって」
「なになに?」
「万葉集に中大兄皇子の三山の歌というのがあって、その反歌(14番歌)は『香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に来し印南国原』っていう歌なんだ。
意味は、『香具山と耳梨山とが争った時に、阿菩の大神が立って見に来た印南国原はここなのだなあ』ということで、諸注釈一致しているよ。
でも、この歌にも、題詞・左注にも阿菩の大神なんて全く書かれていない。
じゃぁ、阿菩の大神はどこから出てきたのかといえば、播磨国風土記に阿菩の大神が三山の争いを仲裁しようとしてやって来たという話が載っているので、それを踏まえて、こう解釈されているんだよ。
これ、本当にそうなのかなぁ。播磨国風土記の説話はそんなに誰もが知っているものなんだろうか?
阿菩の大神は考えずに、この歌だけを素直に読めば、この歌『香具山と耳梨山とが争った時に、立って見に来た印南国原はここなのだなあ』とならないか?
そんな、平野が立ち上がって見に来るなんて考えられないから、そうは解釈されていないけれど、前方後円墳が歩いて来たんだから、印南国原が立ち上がって歩いて来たって、おかしくはないんじゃない?」
「う~ん。そうかもね」
「あり得るかも」
かめ夫くんはもう少し考えてみるそうです。
最近のコメント