壬申の乱

2023年12月18日 (月)

創作童話「うさぎの拾った香木」

 今を去る1350年ほど前のことです。
 淡路島の海岸を1羽のうさぎが歩いていました。
 うさぎの名はサナイ。薪に使う材木を探しに来たのです。
 サナイは大きな材木を見つけました。どこからか流れ着いたのでしょう。
Sanai01
 「うわ! でかっ! こんなに大きい材木ならば、もう今日の材木探しはおしまいだ」

 サナイが材木を引きずって帰ろうとすると、そこにカメの亀足(かめたり)が通りかかりました。
Sanai02
 「サナイくん、ちょっと待った」
 「なに? 亀足くん」
 「いや、その木、ちょっと普通じゃないな。香木じゃないかな」
 「香木?」
 「そう、香木。焚くととってもいい香りがする木だよ。推古天皇の3年には、この淡路島に香木が流れ着いているんだ」
 「推古天皇の3年?」
 「今から80年近く前だね」
 「亀足さん、随分古いことを知っているんだね」
 「そうさ。あの時はもう大人になっていたからね」
 「あ! そういえば、鶴は千年、亀は万年って言うもんね」
 「うん。さすがに、万年は無理だけどね」

 ふたりは、その材木の端の方を少し折って燃やしてみました。
 するとえもいわれぬ良い香りが漂いました。
 「ああ。思った通りだ。これは香木だよ。それも随分高級な」
 「推古天皇3年の時の香木はどうなったの?」
 「あの時の香木は朝廷に献上したそうだよ。これもそうしたらどうだろう。でも、皇太子さまと皇太弟さまとが戦をなさっているそうだけど」
 そこに、かえるのケロ麻呂くんが通りかかりました。
Sanai03
 「あっ、ケロ麻呂くん。戦がどうなったか知らない?」
 「ああ、戦は皇太弟さまの勝利に終わったよ」
 「さすが、ケロ麻呂くんは情報が早いなぁ」
 「へへ。たにぐくのさ渡る極みだからね」

 「よし。決まったね。皇太弟さまの元に、戦勝祝いに献上したら良いんじゃないかな」
 「わかった。そうするよ。でも、皇太弟さまに直接だなんて考えられないし、どうしたらいいの?」
 「そうだなぁ。今、皇太弟さまの将軍、大伴吹負さまが、難波の小郡に駐屯していらっしゃるから、吹負さまを通して献上したらいいんじゃないかな」
 「ありがとう。将軍さまだって畏れ多いけど。ご家来にでもね」
 「そうだね。ここから難波は目と鼻の先だけど、海はどうやって渡る?」
 「それはワニ(サメ)くんに頼んでみるよ」
 「え! うさぎとワニって、ケンカしてたんじゃないの?」
 「うん。大昔にうさぎがワニをだまして、皮を剥かれたことがあったんだけど、大国主さまが仲裁してくださったんだ。それで、まずはうさぎが悪いけれども、ワニもやりすぎだという御裁定で、以後、ワニくんはたいていのお願いを聞いてくれているんだ。今回も頼んでみるよ」

 うさぎのサナイくんは、海岸でワニくんにお願いしました。
Sanai04
 「よし、分かった。お安いご用さ。君もその木も運んで上げよう」
 「ありがとうワニくん。恩に着るよ」

 こうして、サナイくんは無事に海を渡ると、難波の小郡に行きました。
 小郡の宮には門番が立っていました。
 サナイくんは、自分の名前と用件を告げ、吹負さまへの取り次ぎをお願いしました。
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 「承知しました。吹負さまには確かにお渡しします。あ、僕の名前はぐんまちゃんです」
 「どうぞよろしくお願いします」
 「任せて。君は淡路島から来たんだね。ぼくは、上毛野国から来たんだよ。秘境と呼ばれるくらい遠い国だよ。皇太弟さまが挙兵されるというので、国造さまたちが相談して、皇太弟さまをお助けすることにしたんだ。ぼくたちは、大伴吹負さまが乃楽山の戦いに負けて、倭国をさまよっているときに、吹負さまの軍に合流して、巻き返しに成功したんだ。僕はそれ以来、吹負さまのおそば近くにお仕えしているんだよ」

 こうして、サナイくんが拾った香木は皇太弟さまに献上されました。
 やがて皇太弟さまは即位されて帝になりました。天武天皇です。
 この香木は大変に貴重なものとされ、三種の神器とは別に、天武直系の草壁皇子、文武天皇、聖武天皇に受け継がれました。
 やがて、皇位が天武系から天智系に移るに及び、この香木は聖武天皇遺愛の品として東大寺正倉院の宝庫に納められ、今に至っています。
 香木には、のちに「蘭奢待」という名が付けられました。
Ranjatai01

 この文字には、「東大寺」の3文字の他に、発見者であるうさぎの「サナイ」の名も隠されているのです。
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*これはあくまで創作童話ですので、良い子の皆さんは、今読んだことを信じてはいけません。忘れてください。

2023年7月25日 (火)

壬申の乱の経緯を追って23 補遺

 6月24日に大海人皇子が吉野を脱出して以来、壬申の乱の日付に合わせて、その経緯を追ってきました。
 乱は約1ヶ月後の7月23日に大友皇子が自尽したことで終結します。以後は残党狩りといった感じです。

 ブログを書いて行く過程で、2つほど漏らしたことがありましたので、それを補います。

 7月1日、大伴吹負が乃楽山に向かって進軍中、稗田に至った時に、河内から大軍が迫っているという情報に接したので、兵を割いて、龍田、大坂、石手道に配備します。
 そのうち、龍田に遣わされた坂本財らは、淡海軍が高安城にいると聞いて高安城に向かいますが、淡海軍はいち早くそれを察知し、倉を焼いて逃亡します。
 坂本財は高安城を占拠しますが、河内方面から壱伎韓国の大軍が迫っているのを知り、城を出て、衛我河で韓国軍と戦います。
 しかし、兵力差は如何ともしがたく、坂本財は敗れ、味方が守っていた懼坂道に退きます。

 この頃、河内守来目塩籠は大海人皇子に従おうと兵を集めていましたが、そのことが壱伎韓国に知られ、塩籠は自尽します。

 7月4日、多数の淡海軍が諸道から迫ってきたので、大海人軍は戦うことも叶わず、撤退します。この日は、乃楽山の戦いで大伴吹負が敗退した日です。やがて吹負は、墨坂で置始兎が率いる援軍を得、大海人方の兵を結集して壱伎韓国の軍を押し戻します。それが7月の何日のことなのかは不明ですが、もしも7月4日に韓国軍がそのまま倭に攻め寄せていたら、飛鳥古京を奪還することができたと思います。
 それが、淡海軍唯一の勝機だったかもしれません。
Jinshinchizu28

 一方、不破方面でも同じ頃に戦闘がありました。村国男依が出撃する前のことと思われます。
 大海人方が不破道を堅く守っていたので、淡海方は北の脇道を通って攻め込もうと考えたようで、精兵に玉倉部邑を急襲させますが、出雲狛に撃退されます。
 その後、村国男依が湖東を連戦連勝して瀬田橋の決戦を迎えることになります。
Jinshinchizu29

 以上、2点追加です。

 6月24日以来、壬申の乱の経緯にお付き合いいただきましてありがとうございました。
 掲載した地図は全部で29枚になります。日を追って地図を作成したことで、壬申の乱の推移がとてもよく理解できました。
 年表でも系図でも地図でも、やはり自分で作ると身になりますね。
 そのことを改めて実感しました。
 とても楽しかったです。

2023年7月23日 (日)

壬申の乱の経緯を追って22 大友皇子の最期

 7月23日、村国男依らは、近江の将犬養五十君と谷塩手とを粟津市で斬刑に処します。
 このうち犬養五十君は、かつて倭の中ツ道の戦いの司令官として登場していました。
 その後、倭から駆逐されても逃走せずに最後まで淡海方として戦ったのでしょう。

 大友皇子は逃走する地もなく、瀬田から引き返して山前(やまさき)に隠れ、自ら首を縊って自決します。
 その時、左右大臣をはじめとする群臣たちは逃亡してしまい、皇子に最後まで従ったのは物部麻呂と一両人の舎人のみでした。

 さてここで、大友皇子が自縊したという山前の所在がはっきりしません。
 新編全集の日本書紀の注には5説上がっています。
  ①三井寺背後の長等の山前
  ②河内国茨田郡三矢村山崎
  ③河内国交野郡郡門の山崎
  ④山城国乙訓郡大山崎村の山崎
  ⑤山崎は固有の地名でなく、普通名詞で大津京付近の地
 そして、「①説が有力だが、⑤説を採りたい。」としています。
Jinshinchizu27
 いかがでしょうか。
 日本書紀には、「乃ち還りて山前に隠れ、自ら縊れぬ(乃還隠山前、以自縊焉。)」とあります。
 大友皇子は大津京から瀬田川の戦いに出馬して敗退します。「還」る先は大津京以外にはないでしょう。
 そう考えれば、皇子は大津京目指して落ちて行く途中、①の山前で自尽したか、あるいは大津京に帰り着いたものの、もはやこれまでと思って⑤の地で自尽したかということになるのではないでしょうか。
 そのいずれであるかについては①が良いと考えます。
 ⑤説には山前を普通名詞とする点に無理があるという理由からです。
 ②~④の山前は離れすぎていて「還」るという記述に合わないと考えます。
 また、瀬田・大津付近でないとしたら、日本書紀編者は単に「山前」とは書かずに、「茨田郡の山前」とか「乙訓郡の山前」と書いたのではないでしょうか。そうでないと、どこの山前やら限定できません。

 日本書紀に「山前」はもう1ヶ所登場します。
 昨日書いた、倭の三道を北上してきた部隊が到達した山前です。
 2つの山前は同じ場所であるのか、それとも異なる場所であるのか。
 同じ壬申紀に「山前」と出てくる以上は同じ山前とする方が考えやすくはあります。
 しかし、こちらの山前は書紀本文には「山前に至りて、河の南に屯(いは)む。(至于山前、屯河南。)」とあります。
 この河はどこの河なのか。
 もしも、こちらの山前も①または⑤の山前であるとすると、「河」は瀬田川でしょうか。
 しかし、瀬田川の南というと、そこはもう山前ではありません。倭から北上した部隊が山前まで到達しながら、一旦兵を引いて、瀬田川の南に布陣したというのもおかしなことです。
 ①または⑤の山前まで到達しているのならば、淡海軍を挟み撃ちにできます。
 ④の大山崎(後世、秀吉と光秀との間で山崎の合戦が行われた地)も、河の南というと淀川の南ということになります。
 淀川を越えて山前まで達しながら、また河を渡って淀川の南に布陣したということになります。
 ②③の山前ならば、淀川の南ですから、これならば淀川の南の山前に到達し、そこに布陣したということでよく分かります。
 地図にもう1ヶ所「枚方市楠葉」と記したのは、新編全集で倭からの北上軍が布陣した方の山前の候補地として追加してある地点です。
 こちらも淀川の南です。

 ということで、大友皇子が自ら命を絶ったのは長等の山前、倭から三道を北上してきた部隊が布陣したのは淀川の南の枚方、茨田、交野のいずれかの山前と考えます。
 ただ、あまりすっきりはしません。日本書紀の本文では、後者の山前がいずれの地であるのか文脈からは全く限定できないからです。
 それに、同じ壬申紀の乱の終焉付近に登場する2つの山前が別の場所だなどということが、果してあろうかという大きな疑問が消えません。
 更に考えてみます。

2023年7月22日 (土)

壬申の乱の経緯を追って21 瀬田橋の決戦

 今日7月22日、瀬田橋を挟んで大友皇子の軍勢と村国男依の軍勢とが対陣します。
Jinshinchizu25
 日本書紀に依れば、大友皇子の軍勢は大軍で、末尾が見えないほどだったといいます。
 文飾がありますが、実態はどれほどだったでしょうか。
 本当に大軍勢を擁していたのだとすると、その兵力を決戦に備えて温存していたというべきか、あるいは戦線に投入すべき時機を逸したというべきか。
 合戦は、淡海方の先鋒を務めた智尊が精鋭を率いて善戦しますが、大海人方の大分稚臣の奮闘によって先鋒が崩されると、その勢いに抗えず、敢えなく全軍が崩壊します。
 淡海方の兵は実際にはあまり多くなかったのかもしれません。
 勝利をおさめた村国男依は、粟津の岡のもとに陣営を定めます。

 同日、湖西では、羽田矢国・出雲狛の部隊が三尾城を陥落させます。
 また、倭の三道を北上してきた置始兎らの部隊は「山前」に到り、「河の南」に布陣します。
Jinshinchizu26
 この「山前」「河」がどこを指すのか明らかではありません。
 これについては明日少し触れます。

2023年7月20日 (木)

壬申の乱の経緯を追って20 決戦を前に

 日本書紀には7月20日も21日も記事はありません。
 ただ、決戦間近です。
 淡海方面では、連戦連勝して栗太まで南下してきた村国男依軍と、湖西を進軍してきた羽田矢国軍とが大津京を目指しています。
 淡海方も瀬田川を最後の防衛線として、戦備を整えていることでしょう。
Jinshinchizu23

 一方、倭では、大伴吹負が倭を平定し、吹負自身は大坂を越えて難波の小郡に駐屯します。
 そして、以西諸国の国司に命じて、正倉の鍵と駅鈴・伝印を提出させ、西の諸国の財政・軍事権を預かります。
 また、吹負以外の諸将は、兵を率いて三道を通って北上します。
Jinshinchizu24

2023年7月17日 (月)

壬申の乱の経緯を追って19 栗太の軍勢を追い払う

 7月17日、村国男依の軍勢は栗太の兵を追い払う。
Jinshinchizu22

 安河で大勝した村国男依の部隊はさらに南下し、栗太の軍勢を追い払います。
 淡海方の最後の防衛線というべき瀬田川まであとわずかの地点まで迫りました。

2023年7月15日 (土)

壬申の乱の経緯を追って18 倭方面最後の戦闘

 日本書紀には、今日7月15日の記事はありません。
 淡海方面では13日に大海人軍が安河で大勝しています。
 倭方面では日付不明ながら大海人軍が河内方面からの淡海軍を撃退し、飛鳥古京の本営に戻ってきています。

 その後、飛鳥古京には東国からの軍勢が多数到着したので、大伴吹負は兵を3つに分けて、上ツ道、中ツ道、下ツ道に配し、淡海軍の来襲に備えます。
Jinshinchizu21

 上ツ道では、三輪高市麻呂と置始兎が箸陵で淡海軍に大勝します。
 中ツ道では、村屋に陣を置いた淡海軍の犬養五十君が廬井鯨に精兵二百を与えて大伴吹負の陣営を衝かせます。吹負麾下の兵は少なく苦戦しますが、そこに、箸陵の戦いで勝利をおさめた三輪高市麻呂らの部隊が廬井鯨の背後を衝き、勝利をおさめることができました。
 下ツ道については記述がありません。

 大伴吹負は飛鳥古京の本営に戻って軍を立て直しますが、この先、淡海軍はもう攻めてきませんでした。
 淡海方面で敗戦が続いているので、そちらに兵を集中させようとしたのかもしれません。
 逃亡した兵もいたことでしょう。

2023年7月13日 (木)

壬申の乱の経緯を追って17 村国男依、安河のほとりで淡海軍に大勝

 7月13日、村国男依、安河(野洲川)のほとりで淡海軍に大勝。
Jinshinchizu20

 息長の横河、鳥籠山で淡海軍に勝利をおさめた村国男依はさらに南下を続け、安河のほとりで淡海軍に大勝します。
 距離的にも大津京にだいぶ接近し、これで大勢はほぼ決した感があります。

2023年7月12日 (水)

壬申の乱の経緯を追って16 大伴吹負・置始兎、飛鳥の本営に戻る

 日本書紀に7月12日の記事はありませんので、この日の具体的な動きは不明です。

 倭方面では、当麻の衢で壱伎韓国軍を撃退した大伴吹負・置始兎軍は、一旦、飛鳥の本営に戻ります。

 淡海方面では、引き続き湖東、湖西両方向から大海人軍が大津京を目指して南下しています。
Jinshinchizu19

2023年7月11日 (火)

壬申の乱の経緯を追って15 大伴吹負・置始兎、当麻の衢で淡海軍に勝利

 日本書紀では、7月10日~12日の記事はありません。
 この間、淡海では琵琶湖の湖東を村国男依の部隊が、湖西を羽田矢国の部隊が、それぞれ大津京を目指して進軍中です。
Jinshinchizu18

 一方、倭では、大坂を越えてきた淡海方の壱伎韓国の部隊を、大伴吹負・置始兎の部隊が当麻の衢で撃退します。
 以後、淡海方は河内方面から攻めてくることはありませんでした。
Jinshinchizu17


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