壬申の乱

2026年7月17日 (金)

壬申の乱をたどる(17)村国男依、栗太の敵を撃破

 7月17日、大海人皇子方の村国男依の軍勢は、栗太で淡海方の軍勢を撃ち、追撃します。

 連戦連勝を重ねつつ琵琶湖の東岸を南下して来た村国男依は、淡海方の最後の防衛線というべき瀬田川まで、あとわずかの地点に迫りました。
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 なお、倭方面では、大海人皇子軍が淡海方を駆逐しましたので、大津京に向かって北上を開始したか、あるいはその準備を整えている頃と思われます。

2026年7月14日 (火)

壬申の乱をたどる(16)倭方面最後の戦闘

 淡海方面では7月13日に大海人軍が安河で大勝しています。

 倭方面では日付不明ながら大海人軍が河内方面からの淡海軍を撃退し、飛鳥京の本営に戻ってきました。

 その後、飛鳥古京には東国からの軍勢が多数到着したので、大伴吹負は兵を3つに分けて、上ツ道、中ツ道、下ツ道に配します。

 上ツ道では、三輪高市麻呂・置始兎が箸陵の戦いで淡海軍に大勝します。
 中ツ道では、村屋に陣を敷いた淡海軍の犬養五十君が廬井鯨に精兵二百を与えて大伴吹負の陣営を衝かせます。
 吹負麾下の兵は少なく苦戦しますが、そこに、箸墓から救援に駆け付けた三輪高市麻呂らの部隊が廬井鯨の背後を衝き、勝利をおさめることができました。

 下ツ道については不明です。
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 大伴吹負は飛鳥京の本営に戻って軍を編成し直しますが、この先、淡海軍はもう攻めてきませんでした。
 淡海方は淡海方面で敗戦が続いているので、そちらに兵を集中させようとしたのかもしれません。

 なお、この戦の数日前、村屋の神(村屋坐弥富都比売神)が兵の襲来を予言したということで、壬申の乱終結後に村屋の神は神位を上げられています。
 村屋の神については、昨年、三友亭主人さんから頂いたコメントにより、記載しました。
 三友亭主人さんに改めてお礼申し上げます、

2026年7月13日 (月)

壬申の乱をたどる(15)村国男依、安河のほとりで淡海軍に大勝

 7月13日、大海人皇子方の村国男依が、安河(野洲川)のほとりで淡海軍に大勝します。
 村国男依は、横河・鳥籠山に続いて、ここでも淡海軍に大勝し、大津京に大きく迫りました。
 本当に破竹の勢いです。
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 このあと、両軍とも態勢を整えるのにしばらく掛かったようで、決戦は数日後になります。

 一方、倭では、河内から侵入した壱伎韓国を破った大海人皇子軍はいったん飛鳥京に戻って態勢を整え、大津京を目指して北上します。

2026年7月11日 (土)

壬申の乱をたどる(14)大伴吹負・置始兎、当麻の衢で淡海軍に勝利

 倭方面は相変わらず日付は不明ですが、大坂を越えてきた淡海方の壱伎韓国の部隊を、大伴吹負・置始兎の部隊がこのころ当麻の衢で撃退します。
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 7月4日に乃楽山で敗北した大伴吹負は、置始兎の援軍を得て、ついにリベンジを果たすことができました。
 壱伎韓国の部隊はかなりの損害を受けたようで、以後、淡海方は河内方面から攻めてくることはありませんでした。

 一方、乃楽山の戦いで大伴吹負を撃ち破った大野果安の動きは相変わらず不明です。
 琵琶湖東岸で淡海方は連敗していますので、ひょっとすると倭方面の兵は琵琶湖方面に転用されていたのかもしれません。
 あるいは、脱走兵もいたのでしょうかね。

2026年7月 9日 (木)

壬申の乱をたどる(13)村国男依、鳥籠山で淡海軍に勝利

 7月7日に息長の横河で淡海軍に勝利した村国男依らは、7月9日には鳥籠山で淡海軍に勝利をおさめ、将の秦友足を斬ります。

 また、7月2日頃に淡海方から大海人皇子方に投降した羽田矢国の部隊は、琵琶湖の北岸経由で、湖西沿いに南下すべく進軍中です。
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 一方、倭方面は相変わらず日付が不明ですが、大海人皇子軍の援軍として倭に向かった置始兎は、墨坂で大伴吹負と合流します。
 そして、大坂にいる淡海方の壱伎韓国を撃つべく、西に向かいます。
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 乃楽山の戦いで大伴吹負を破った大野果安の軍勢は飛鳥京附近まで攻め寄せながら、飛鳥京の守りが堅いとみて引き返していますが、どこまで引き返したのか不明です。
 また河内の壱伎韓国の部隊も、大野果安の勝利につけ込んで飛鳥方面に攻め込んでも良さそうなものですが、動きが見られません。

 大野果安と壱伎韓国の動き次第では、戦局が変わっていたかもしれません。
 どうも淡海方は戦略的な動きが鈍いように思います。

2026年7月 7日 (火)

壬申の乱をたどる(12)村国男依ら、息長の横河で淡海軍に勝利

 7月7日、大海人皇子方の村国男依らが息長の横河で淡海軍を破り、その将境部薬を斬ります。
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 村国男依は、大海人皇子が吉野を脱出する2日前に東国に派遣された大海人皇子の舎人です。
 男依はいち早く美濃の兵三千を率いて不破の道を塞いでいました。
 そして、今また大軍を率いて大津京に向けて進軍しています。
 天武天皇の舎人というと稗田阿礼が思い浮かびます。
 舎人には有能な人物が多かったのかもしれませんが、身分は低いはずですね。
 身分に拘らない人材登庸としても異例のことと思います。

 男依は緒戦でみごと勝利を収め、この先破竹の進軍を続けます。

 一方、敗北して斬殺された境部薬といえば、この14年前に起きた有間皇子の事件の折に、有間皇子の一味として捕われ、尾張国に流罪になった人物です。
 のちに許されて、今は淡海軍の将になったということでしょうか。
 まさか、中大兄皇子の意を受けて有間皇子の側にいたということはないのでしょうかね。
 ともあれ、壬申の乱では破れて殺されるという、なかなか波瀾万丈の人生です。

 淡海方が不破の手前まで攻め込んでいます。
 大海人皇子方は押し込まれているようにも見えますが、兵力が充実するのを待っていたのかもしれません。
 あるいはこのあたりまで淡海側の勢力範囲だったため、戦いながら南下するしかなかったのかもしれません。

2026年7月 6日 (月)

壬申の乱をたどる(11)田辺小隅の部隊を多品治が撃退

 7月6日、前日夜半に倉歴道を奇襲攻撃で突破した淡海方の田辺小隅の部隊は、たら野の陣営を襲撃しますが、ここを守る多品治に撃退されます。

 この頃、大伴吹負敗走の報に接した紀阿閉麻呂は、置始兎に千余騎の兵を与えて、倭京に向けて派遣します。
 (*日本書紀では、置始兎を倭京に向けて派遣したのは7月9日のこととして記述しますが、
   その条にはその後の展開もまとめてそこに懸けて記述してあると読めますので、
   置始兎の派遣はおおよそ7月6日頃と推測しました。)
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 たら野の位置については諸説ありますが、三重県伊賀市上野付近とする説が有力のようです。
 吉野を脱出した大海人皇子が東国に向かう際も、この地で朝食を摂っています。
 大津京から鹿深山を越えて倭に向かう際にも重要な通過点であったのでしょう。

 淡海側がたら野を越えて倭に侵入できれば、大海人皇子側にとっては大きな脅威になったことでしょうが、それは叶いませんでした。
 田辺小隅の襲撃を撃退した多品治の大手柄です。

 乃楽山の戦いで大伴吹負を撃ち破った大野果安は飛鳥古京の守りが固いとみて攻撃を控えたのですが、その後の動きが不明です。
 河内から倭を窺う壱伎韓国の部隊と連携して倭を制圧していれば、その後の展開も変わっていたかもしれません。

2026年7月 5日 (日)

壬申の乱をたどる(10)淡海方の田辺小隅が倉歴道を奇襲

 7月5日の夜半、淡海方の田辺小隅が率いる部隊が鹿深山を越え、倉歴道を守備する田中足麻呂の部隊を奇襲します。
 田中足麻呂隊は不意を突かれ、敗北します。
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 乃楽山で大野果安が大伴吹負を破った戦闘の翌日夜半です。
 淡海方は、たら野を押さえることで、倭と不破との分断を図ったものと思われます。
 大海人皇子側もこの地の重要性は十分に承知の上で、倉歴道には田中足麻呂の部隊、たら野には多品治の部隊を配していたのでしょう。

 双方の作戦は、それぞれに見事です。

2026年7月 4日 (土)

壬申の乱をたどる(09)大伴吹負が大野果安に敗北

 7月4日、乃楽山に布陣した大伴吹負部隊は、攻め寄せた大野果安らの淡海軍に敗れ、敗退します。
 吹負自身も数騎で敗走します。
 果安は、吹負を八口(やくち)まで追い、飛鳥京を望観したところ、京には厳しく楯を立てていたので、伏兵の存在を疑って、引き返します。
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 大伴吹負軍の方が高所に布陣して地の利はあったはずなのに敗退したということは、吹負は諸方の防備に兵を割いたために本隊の兵が不足していたのかもしれません。
 さらに、大野果安軍は兵がかなり多かったか、士気が高かったのかもしれません。

 勝ちに乗じて大伴吹負を飛鳥京付近まで追っていった果安が引き返したのは、なかなか慎重です。

2026年7月 3日 (金)

壬申の乱をたどる(08)大伴吹負が乃楽山に布陣

 7月3日、大伴吹負はさらに北上して、乃楽山に布陣します。
 そして、荒田尾赤麻呂の進言によって、飛鳥京を守るために赤麻呂と忌部子人らを飛鳥京に向かわせます。

 一方、淡海方は大野果安を乃楽山に向かわせます。
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 大津京を攻撃すべく進軍を続ける大伴吹負の部隊ですが、河内から倭を窺う壱伎韓国部隊への抑えと、飛鳥京の守備のために兵を割くことを強いられ、本隊の兵力はだいぶ削がれているはずです。

 淡海側も、琵琶湖東岸を北上して不破に向かう部隊と、倭方面に向かって南下する部隊と、河内から倭を窺う部隊とに三分されています。

 双方ともに、広範囲な部隊の運用を行っています。

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