双六

2022年8月16日 (火)

昭和29年の「貯蓄すごろく」

 このようなものを入手しました。
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 昭和29年の「貯蓄すごろく」です。
 上端左側には「和歌山信用金庫」、右側には「和歌山県貯蓄推進委員会」とあります。
 また、画面では文字が小さいですが、右欄外には「県下にただ一つの こども新聞 第七巻一月号」とあります。
 毎月1回発行されている「こども新聞」の1月号の附録なのでしょうかね。裏面は白紙です。
 右下が「ふりだし」で1番。以下中央の「上り」15番までのマス目があります。

 「ふりだし」と2番。
S29chochikus02
 右欄外に和歌山市の「こども新聞社」の文字が見えます。
 これが発行元ですね。
 ふりだしには「しあわせは 働く汗から 貯蓄から」、2番には「なかよく勉強 そろって貯金」とあります。
 以下、どのマス目にも、こういった七五調の貯蓄奨励の標語が入っています。

 3番、4番。
S29chochikus03
 4番の「貯金かと 笑う子どもが 泣くこども」は、なかなか辛辣です。

 8番から10番。
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 10番の「僕の貯蓄も 日本の力」は壮大です。

 12番から14番。
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 14番「お年玉 ためる子 よい子 自立の子」。
 確かに、お年玉を全部使ってしまってはいけないでしょうけど、まあ、そこまで言わなくてもと思います。(^_^;

 中央の15番「上り」。
S29chochikus06
 貯めたお金は修学旅行の費用になるのですね。
 それは立派とは思いますが、ちょっと切ない気もします。

 昭和29年の1月というと、終戦から8年と4ヶ月半。
 朝鮮戦争による特需はあったにせよ、まだまだ貧しくもののない時代だったのでしょうね。
 高度経済成長が始まるのは昭和30年代でしょうか。
 個人的には、この時、私は満2歳ちょっと。
 自分が生まれた頃の時代に興味があります。

2022年6月15日 (水)

大正7年の「少女物語すごろく」(2)

 昨日の「大正7年の「少女物語すごろく」(1)」は簡単な紹介で終わってしまいましたので、その続きです。
T07shojo01

 「ふり出し」から「あがり」までの全項目を時計回り順に示せば、以下の通りです。

  かぐや姫
  紅梅内侍
  孝女ふさ
  中将姫
  巡礼お鶴
  巴御前
  伊勢大輔
  山吹の里
  松山かゞみ
  安寿姫
  秋色女
  静御前
  小式部内侍
  孝女白菊
  三保の天女

 昨日載せた「かぐや姫」や「静御前」のようによく知っているものもありますが、名前は聞いたことがあるがよく知らない、名前さえ聞いたことがない、というものも少なくありません。
 大正7年(1918)といえば104年前。時代の違いということでしょうか。

 たとえば次のような項目です。
 孝女ふさ。
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 ふさは、江戸時代の18世紀半ば、播磨国加東郡上三草村で親に孝行を尽くした人として知られ、修身教科書にも取りあげられていたとのことです。
 国定教科書に載っていたのならば、戦前はよく知られていたのでしょうね。

 松山かゞみ。
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 「松山鏡」という名の話はいくつかあるようで、古典落語にもあります(恥ずかしながら、この噺は聴いたことがなかったように思います)が、双六の絵を見ると、謡曲の話のようです。
 内容は、鏡に映る自分を亡母の面影と思って慕う少女の功力により、母は生前の罪科が許されて成仏する、というものです。

 秋色女。
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 秋色女(寛文9年(1669)-享保10年(1725))は、宝井其角に師事した俳人。
 講談「秋色女」には、13歳の時に上野寛永寺にある桜に結わえた俳句が親王の目にとまり、謁見を許されたことから親孝行の物語がはじまる、というもの。

 孝女白菊。
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 白菊は、西南戦争の折に行方不明になった父を慕う女性。
 井上哲次郎が作った漢詩「孝女白菊詩」に感動した落合直文が新体詩形式の詩「孝女白菊の歌」を作ったことで広く知られるようになったそうです。

 上の4人は全く知りませんでした(孝女白菊は名前だけは知っていましたが、内容は全く知りませんでした)。
 これらの4人以外にも知らない人が多かったです。歳を重ねても知らないことがたくさん。
 いや、知らないのは若いせいかも。(^_^)

2022年6月14日 (火)

大正7年の「少女物語すごろく」(1)

 このようなものを入手しました。
T07shojo01
 「少女物語すごろく」で、雑誌『少女世界』大正7年新年号の附録です。

 ふりだしは右下の「かぐや姫」。
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 あがりは中央の「三保の天女」です。
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 今年の大河絡みでは「巴御前」
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 「静御前」もいます。
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 このすごろく、(2)に続きます。

2022年5月12日 (木)

再来年の大河は紫式部。&定子・彰子の名

 再来年のNHK大河は紫式部の一生を描く「光る君へ」で、主演は吉高由里子とのことですね。
 昨日のSNSはその話題で盛り上がっていました。
 平将門が主人公だった「風と雲と虹と」はありましたが、平安中期の貴族社会を描くのは初めてですね。
 これが成功すれば、「飛鳥・奈良時代も」ということになるかもしれませんね。期待したいです。
 大河に付きものの合戦はなさそうです。陰謀渦巻く権力闘争は出てきましょうか。
 暗殺はあまりなさそうなので、善児のような人物は登場しないかも。

 紫式部の名前は「まひろ」という設定だそうで。
 確かに、最初から「紫式部」という名で登場はできませんので、何らかの名前は必要ですね。
 「まひろ」は、美称の接頭辞「ま」+形容詞「広し」の語幹でしょうか。
 当時の女の人の本名は知られませんので、こういう名が一般的かどうかは分かりませんけど、アリかと思います。

 万葉集の歌からは、男性が女性の名を尋ねることは求婚を意味し、女性が名を教えれば求婚を承諾、教えなければ求婚を拒絶したことが知られます。
 そして、女性の名は親と配偶者くらいしか知らなかったと思われます。
 といって、それでは不便なので、女の人は普段は通称(ニックネーム)で呼ばれていたのでしょうね。

 大宝年間の戸籍や奈良時代の戸籍が正倉院に残っていて、そこには女性の名も載っています。
 現代だと、戸籍に載っている名が本名ということになりますが、正倉院の戸籍もそうなのかどうか。
 古代の戸籍は主に徴税のために作成されたものなので、行政的には住民の男女の別と年齢が分かれば十分なので、掲載人名は必ずしも本名である必要はなく、通称でも良かったと考えます。

 平安時代も、女性の名についての意味は同様だったとすれば、女性は通称で呼ばれていたことでしょう。
 紫式部も清少納言もそうですね。
 ここで、定子や彰子はどうなのかという問題が生じます。
 皇后・中宮という公人中の公人なので、名が知られているという考え方もあると思いますが、公人とはいえ、天皇の奥さんの名前が公にされているというのも不思議なことです。
 そう考えると、定子や彰子という名は公的な通称なのかと。
 本名は親と天皇しか知らない。

 こういう考え方、どうなのでしょう。
 不勉強で全く知らないのですが、誰かが既に言っているのか、誰も言っていないのか、誰かが言ってすでに否定されているのか。
 常識なのか、非常識なのか。
 妄言でしたら、多謝です。

 絵がないと寂しいので、架蔵の双六などから少し貼っておきます。

 明治41年の雑誌『少女界』新年号の付録「歴史双六」から。
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 絵は、鏑木清方・宮川春汀の合作です。この絵をどちらが描いたのかは分かりません。

 大正2年の雑誌『婦人世界』新年号の付録「日本名婦双六」から。
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 どちらの双六も、紫式部の枠で「1」が出ると「清少納言」の枠に飛ぶことになっています。

 年代不詳の絵はがき「近江歴史」から。
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 「紫式部上東門院の命を受け石山寺に参籠して源氏物語を著し之を上つる文辞絶妙今に至り範を垂る」とあります。

 昔のものはあれこれ面白いです。

2022年4月 7日 (木)

大正2年の「日本名婦双六」

 こういうものを入手しました。
T02meifu01
 雑誌『婦人世界』新年号の付録で、大正2年1月1日発行です。

 振出しは右下で、天宇受売命です。
T02meifu02

 上りは最上段中央で乃木夫人です。
 乃木夫妻が殉死したのは大正元年9月ですので、ちょうどその時期ですね。

 あとの面々は、おおよそ下から上に次の通りです。

  天宇受売命、小野小町、加賀千代、巴御前、平政子、常盤御前、板額、松下禅尼、
  秋色女、弁内侍、清少納言、中将姫、袈裟御前、木村重成妻、静御前、政岡、紫式部、
  瓜生保母、小督、春日局、山内一豊妻、楠木正行母、乃木夫人

 「鎌倉殿の13人」でお馴染みの北条政子(平政子)もいます。
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 もう尼の姿です。

 これも同ドラマに登場の巴御前。
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 今年の大河には登場しませんでしたが、義経のお母さんの常盤御前。
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 抱いているのが義経ですね。
 手を引いているのは全成か義円。

 なんか楽しいです。

2022年1月22日 (土)

「忠君愛国双六」&新聞紙の裏打ち

 このような双六を入手しました。
Chukun01
 文字が欠けてしまっていますが、上部中央に「忠君愛国双六」とあります。
 多分、雑誌の新年号の付録ではないかと思います。
 年号等は一切書かれていません(左右の余白を切り取られていますので)が、「忠君愛国」とあるからには、戦前のものでしょう。

 新聞紙による裏打ちがあります。
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 このような部分があり、朝日新聞の大阪本社版であることが分かります。
 そして、別の箇所に日付があり、昭和26年3月14日版であることが知られます。
 戦後6年目ですね。そして、今から70年前。
 この双六で遊んだ少年は、ご存命ならば80代でしょうか。

 戦前の双六を、昭和26年に、ある少年が引っ張り出してきて遊んだのでしょう。
 こんなもので遊んでいたら、GHQに連れて行かれそうですが、GHQもそんなに暇も人手もなかったことでしょう。(^_^)

 右下がフリダシで、中央が上リという、一般的な形です。
 以下、それぞれのマスを列挙します。
  1フリダシ.二宮金次郎
  2.養老滝
  3.菅原道真
  4.源義家
  5.徳川光圀
  6.楠木正行
  7.織田信長
  8.西郷隆盛
  9.豊臣秀吉
  10.高山彦九郎
  11.村上義光
  12.和気清麻呂
  13.吉田松陰
  14.児島高徳
  15.新田義貞
  16.東郷元帥
  17.伊藤博文
  18.乃木大将
 上リ.阿倍比羅夫

  どうでしょ。「忠君愛国」というタイトルとは必ずしもぴったりこない人物も多そうです。
 時節柄、「忠君愛国」を謳うことで、雑誌の売上が伸びたり、不足気味の印刷用紙を入手しやすくなるとか、何かあったのかもしれません。

 南北朝時代の人物が多いようです。
 ところがなぜか、私の好きな楠木正成がいません。正行はいるのに。ナゾです。

 近代は、伊藤博文と東郷平八郎、乃木希典の3人です。
 このうち、伊藤博文は直接フルネームですが、東郷と乃木は名字+階級で書かれています。
 東郷、乃木への敬意の方が高いと見るべきか、それとも階級で呼ぶ方が一般的だったのか。興味があります。

 上リは阿倍比羅夫ですね。なんか唐突な気がします。

 この双六、昭和26年以降に裏打ちをされたあとに施された加筆が何ヶ所かあります。そのいくつかを見てみます。
 絵の向きは見やすいように回転させました。

 8.西郷隆盛。
Chukun03
 2が出たら「しばかれる」とあります。他の数字は丸に白抜きであるところを見ると、これは加筆ですね。
 「しばく」は関西方言でしょう。裏打ちの新聞紙が大阪本社版ということと整合します。
 友達をしばくのは乱暴ですね。みんな仲良く。

 10.高山彦九郎。
Chukun04
 3が出たら、休みで寝ることになります。これは平和的です。

 16.東郷元帥。
Chukun05
 「帥」の字が「師」と書かれているという、ありがちな誤字があります。
 あと、字がよく判読できませんが、5が出たら「フリダシエ」でしょうか。
 東郷元帥のマスは上がり直前です。それで、1や4が出れば、さらに上がりに近づけますし、3が出たら上りです。
 それにも関わらず、5が出たらフリダシに戻されてしまうというのはあんまりです。(^_^;

 あれこれ興味深いです。
 やはり、同時代資料は面白い。←いつも、ここに行き着く。

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