東京あれこれ

2021年11月11日 (木)

『江戸名所図会』を買った

 中学生の時、日本史の夏休みの宿題で、『江戸名所図会』に載っている名所を1つ選び、それについてレポートを書くというのがありました。
 『江戸名所図会』について知ったのはそれが最初でした。
 それ以来、『江戸名所図会』に関心があります。
 当時は角川文庫を使いました。その後、ちくま文庫にも入りましたね。

 以前はこれで足りていたのですが、今は老眼、もとい壮眼のため、文庫本ではちょっと厳しくなり、版本で見てみたいと思うようになりました。
 でも高いんですよ。「日本の古本屋」を見ると、十数万から二十数万、30万、一番高いので40万でした。

 それが、ネットオークションで、20冊揃いの版本が1000円スタートで出ましたので、入札しました。
 さすがに1000円での落札は叶わず、最後は競り合いになりましたが、無事に落札できました。
 古書店の相場よりも1桁安く入手できました。

 上下二帙で20冊です。
Edomeisho01

 1冊目。きれいです。
Edomeisho02

 最終冊の巻末。
Edomeisho03

 その次のページ。
Edomeisho04
 明治の後刷りですが、別に構いません。状態は大変によいです。

 あ、中学生の時の宿題ですが、どの名所を選んだか、迷いはありませんでした。
 もう、泉岳寺1択です。♪

 泉岳寺の絵。
Edomeisho05

 泉岳寺の本文の後半。
Edomeisho06

 渋川の家の荷物が一部しか東京の家に持ってこられないので、渋川の家も片づけ、東京の家も片づけ、何とか物を減らそうと苦慮しているのに、どうしてその一方で新たに物を買ってしまうのでしょうね。しかもこんなに嵩張る物を。(^_^;
 何を考えているのか。何も考えていないのか。(^_^;

2021年10月28日 (木)

今日は群馬県民の日&県民手帳2022

 今日10月28日は群馬県民の日です。
 群馬県の誕生日。めでたいことです。
 県内の学校はお休み。県立の博物館や美術館は入場料が割引、または無料になります。

 来年度のぐんまちゃん手帳、もとい群馬県民手帳も毎年今頃発売されます。
 ただ、今年は10月22日に発売されたそうです。
 私が群馬に行った日。県民センターに行ったら置いてあって、今日発売と言われました。
 私が最初の購入者かもしれないといわれました。そうなら嬉しいです。

 早速買いました。
Kenmin2022a
 いつものように、ぐんまちゃんの顔が大きく描かれた大胆なデザインです。
 帽子の色がいつもの緑なのが嬉しいです。赤はどうも。

 表紙の見返し。
Kenmin2022b
 群馬県市町村図です。

 裏表紙の見返し。
Kenmin2022c
 東京の地下鉄路線図です。
 東京に行った時、便利と思います。

 高輪ゲートウェイ駅付近を拡大します。
Kenmin2022d
 私はまだこの駅に行ったことはなかったのですが、この図を見ると、地下鉄の泉岳寺駅と繋がっていますね。
 田町駅・三田駅と同じ扱いです。
 だとすると、山手線と地下鉄との連絡が楽になりますね。
 どの程度くっついているのか分かりませんが、実質同じ場所ならば、駅名も泉岳寺で良かったのではと思います。

 この手帳にはビニールのカバーが掛かっています。
 表紙の見開きを撮るためにカバーを外したら、「なんと!」でした。
Kenmin2022e
 表紙の紙は接着しておらず、2枚重なっていました。その2枚がリバーシブルで合計4種の表紙が選べます。
 ぐんまちゃんの表紙が派手でイヤな人は、自分の好みの色に変えられます。

 他の色のは、裏表紙の隅に小さくぐんまちゃんの絵が描いてあるだけで、地味です。

2021年9月 3日 (金)

びっくりした三省堂&神保町で「秋の猫まつり」

 昨日、ネットニュースで「神保町の三省堂書店が営業終了へ」というニュースを見てびっくりしました。
 三省堂が廃業するのかと思いました。

 以前、当ブログに書いたことですが、2018年の7月9日に神保町の三省堂に行きました。
 4階で本を買って、その階のレジで会計をしようとしたら、その階にはレジがなく、1階のレジで受け付ける旨の掲示がありました。
 本を手に下階に降りて行きましたが、どの階も同様のようでした。
 各階にレジ担当者を配置すれば、それだけ人手が必要になりますので、こういう形で経費削減をしているかと思いました。

 書店に限らず、会計はその階で、というのが一般的と思っていましたので、本を持って階を移動することに違和感を覚えました。
 万引きが増えたりしそうです。

 出版不況の中、三省堂本店でさえ、こういう形で経費削減をしなくてはいけないのかと驚きました。
 そんなことがありましたので、「ついに」と思いました。

 ところが、記事を読んでみると、廃業ではなく、ビルの建て替えということでした。
 建て替えのために一時的に営業終了ということです。新しいビルが竣工すれば、また営業を再開することでしょう。
 人騒がせな見出しです。

 さて、その神保町で、このような催しがあることを知りました。
https://ichinoichi.books-sanseido.jp/events/15198
R03nekomatsuri01

 毎年秋に神保町では古本まつりを開催していますが、これは聞いたことがありません。
 このような内容です。
R03nekomatsuri02
R03nekomatsuri03

 主催は、神保町の「いちのいち」という雑貨店のようです。
 書店・古書店と直接の関係はありませんが、催しの「その3」はクラブ三省堂会員限定です。

2020年12月30日 (水)

50年前の環状7号線

 このようなものが出てきました。
Kan7ehagaki01
 左下に世田谷区立旭小学校とあります。私の母校です。
 右上にある昭和三十九年十月というのは東京オリンピックが開催された時期です。

 ローカルな話題で済みません。
 旭小学校の校区に国道246号線(玉川通り)と環状7号線が通っています。
 東京オリンピックが開催されることに伴って、環状7号線が拡幅されました。
 道を渡るのに危険が伴いますので、歩道橋が作られました。それを記念した絵はがきが入っています。

 裏です。
Kan7ehagaki02
 なんか、児童の詩で歩道橋を絶賛しています。それを作ってくれた人も。

 ちょっと不思議な話です。
 確かにこの歩道橋を利用する児童もいますけど、歩道橋完成記念の絵はがきを小学校が作るというのも……。

 それはともかく、中身は絵はがきが2枚です。2枚とも上下に写真が並んでいて、写真は合計4枚になります。

 これは、上記の2本の幹線道路が交わる上馬交差点から撮影したものです。
Kan7ehagaki03
 手前から奥に伸びているのが環状7号線です。こんなに狭い道でした。
 道の両側が野沢銀座です。環7通りが商店街。
 手前を左右に通っているのが玉川通りです。東急玉川線(玉電)の線路が見えます。

 それがこうなりました。
Kan7ehagaki04
 環状7号線は玉川通りの下にもぐり、立体交差になりました。
 さらにこの数年後、玉川通りの上には首都高速3号線が架かることになります。
 まさに東京大改造です。
 画面左端に玉電が見えます。
 アップです。
Kan7ehagaki07

 これは、環状7号線をもう少し先に行ったあたりです。
Kan7ehagaki05
 道の左右に商店がびっしり並んでいます。
 中央の車は道の真ん中を走っていますね。

 この狭い道が大きく拡幅され、歩道橋が架かりました。
Kan7ehagaki06
 道幅が大分変わりました。今の環状7号線と同じ幅です。
 画面右端に「祝完成 野沢銀座商(店街)」と書いた懸垂幕が見えます。
 アップです。
Kan7ehagaki08
 渡り初めも行われたようですし、この歩道橋は大歓迎されたようです。珍しさもあったのでしょうね。

 この絵はがきは昭和39年10月に旭小学校の全児童に配布されたと書いてありますが、私はこの年の3月に卒業したので、対象外です。
 たぶん、妹がもらってきたのをもらい受けたのでしょう。脅し取ったとか、そういうことは、当時の力関係からいって考えにくいです。(^_^;

2020年5月28日 (木)

3ヶ月ぶりの床屋&原宿駅旧駅舎

 緊急事態宣言が解除されたので、今日は床屋に行ってきました。
 前回行ったのが2月21日でしたので、97日前です。
 普段、床屋は40~50日置きくらいに行っていますので、1回飛ばしくらいになります。
 脇や後ろが伸びて、鬱陶しかったです。でも、中央部はあまり伸びない。(^_^;

 JRに乗るのは3月27日以来ですので、62日前です。
 東急線には時々乗っていたものの、東急線外には2ヶ月間出なかったんですねぇ。
 ずいぶん外出自粛していました。
 近所のスーパーには毎日行っていましたので、「3日に1度くらいに」という東京都知事の要請は無視してしまっていましたけど。(^_^;

 床屋は目白です。40数年間、同じ所。
 目白駅前に三井住友銀行があります。こんなでした。
Mejiro202005a

 小さくてよく分かりませんね。拡大します。
Mejiro202005b
 銀行の中央付近はセブンイレブンになっていました。その脇に銀行のATMがあります。
 銀行は移転したわけではなく、窓口は2階にあるのではないかと思いますが未確認です。

 山手線に乗ったら、「あ、原宿駅」と思い出しました。
 3月に、原宿駅が新駅舎に変わり、旧駅舎は取り壊すということでした。
 それで、3月中に旧駅舎の写真を撮りに行こうと思っていたのですが、外出自粛で行くのを控えていました。
 そのこともすっかり忘れていましたが、山手線に乗ったことで、思い出しました。

 で、原宿駅で途中下車しました。風来坊です。まだ自粛を続けなければいけないのに。(^_^;
Harajuku01
 旧駅舎、残っていました。取り壊しはまだ先のようです。時計も動いていました。
 天気があまり良くなかったのが残念です。

 原宿駅にそう馴染みがあるわけではありません。
 以前、お正月に、原宿で降りて、明治神宮に初詣に行って、NHK放送センターに寄って、渋谷駅に出る、というルートで歩いたことが何回かありました。お正月以外に、明治神宮には寄らずにNHKにだけ行ったことも何度か。50年ほど前のことです。
 えっ! 50年? と思って、計算し直してみましたが、間違いないようです。いつの間に……。正確には、50年近く前ですけど。

 新駅舎は旧駅舎の少し南です。
Harajuku02
 こちらは近代的な建物です。画面右側が旧駅舎です。

 ついでに皇室専用ホームへの入口にも行ってみました。
Harajuku03
 これ、使っているのでしょうかね。
 皇族が鉄道を利用してどこかへ行かれるときは、今は車で東京駅などに行かれるのではないかと思います。
 原宿から乗車してもねぇ。

 ということで、長期にわたって外出自粛していましたが、外出したら、ちょっと道草など食ってしまいました。

2020年4月23日 (木)

若木タワーって、これか!

 國學院大学には学会関係の会議などで、年に何度かお世話になっています。
 正門前の道を挟んだ向かい側にも國學院大学の敷地があり、以前は常磐松校舎と呼ばれていたように思います。今も常磐松ホールがあります。
 正門の内側には、近年、若木タワーという立派な高いビルが建ちました。
 常磐松については、近所に常磐松小学校がありますので、地名と思っていました。
 一方、若木タワーは不明でしたが、学生・院生のような若人が、若木のようにすくすくと育つように、という願いを込めた名称かと思いました。

 一昨日の昭和2年の渋谷の地図で、國學院大学のあたりを見て、「あっ!」と思いました。
S02shibuya08
 北に「常磐松」とあります。南西には氷川神社を含めて「氷川」、そして國學院大学のあたりは「若木」とあります。
 「若木」は地名なのでした。すっきりしました。(^_^)

 渋谷区立図書館のHP「渋谷区の町名・地番変遷」を見ると、渋谷区の地名は、段階的に変更されていったことが分かります。
https://www.lib.city.shibuya.tokyo.jp/?page_id=241
 これは、昭和37年5月10日に施行された「住居表示に関する法律」に対応するものと思います。
 常磐松、氷川、若木あたりは昭和41年4月1日に変更されています。
S02shibuya11
 ググってみたところ、常磐松、氷川はいずれも由緒ある地名だったので、それぞれの住民が譲らず、結局「恵比寿東」の「東」が採用されたとのことです。
 ということで、今このあたりの地名は、一帯「東」になっています。

 昭和41年というと今から54年前ですね。そう大昔ではありません。
 60代以上の方で、このあたりにお住まいだったり、お勤めだったりした方ならば、常磐松、氷川、若木はよくご存知の懐かしい地名でしょう。若木タワーの謎が解けて喜んでいては笑われそうです。(^_^;

2020年4月21日 (火)

昭和2年の「渋谷町全図」

 このような地図を入手しました。
S02shibuya01
 細かすぎますね。(^_^;
 左上に標題があります。
S02shibuya02
 昭和2年の渋谷町の地図です。「区」ではなく、まだ「町」です。
 昭和7年に、渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町が一緒になって渋谷区が成立したとのことですが、3町の中では渋谷町の範囲が圧倒的に広かったことがこの地図から伺えます。

 右下にこのような解説が載っています。
S02shibuya03
 これによれば、翌昭和3年の地名変更に先立って、この地図が作成されたようです。
 地名変更前の地名を記録しておこうということでしょうか。
 そういうことであれば、先日のタモリさんの言葉ではありませんが、意義深い地図と思います。

 この地図を入手したことで、数年前にブログで取り上げた地図を思い出しました。
 この図録に掲載されていた絵地図です。
Hachi_shibuya

 下がその絵地図です。大岡昇平の『幼年』における記述をもとに作成した、大正から昭和初め頃にかけての地図とのことです。
Shibuya_taisho

 絵地図ですので、この地図を現代の地図と重ね合わせることがなかなか難しかったのですが、昭和2年の地図となら対比しやすかろうと思いました。北が下なので、分かりにくいんですけどね。(^_^; 昭和2年の地図も北を下にしてみました。
S02shibuya04

 ついでに現代の地図も。
S02shibuya05

 ブログに絵地図を載せた時に、朝倉山のオニさんからいろいろとご教示をいただきました。以下の通りです。

 ・駒場通りから大向通りにかけては、文化村通りで、大向小学校は今の東急本店に当たります。
 ・練兵場通りは、ファイヤーストリートでしょうか。
 ・竹久夢二の家から生民軒牛乳屋への道は井の頭通りでしょう。
 ・衛戍監獄は、今の渋谷区役所近辺だと思います。
 ・練兵場は、言わずと知れたNHK、代々木公園ですね。当時は狐が出没したそうです。
 ・宇野浩二の家の方に伸びているのは、公園通りのようです。
 ・練兵場通りは途中で二股になっていますが、そこは今の丸井だと思います。
 ・ファイヤーストリートは、渋谷駅を後ろにして丸井を左手に見る道のことです。電力館に通じる道です。
 ・憲兵分隊のすぐ下の三角形のところは、109だと思います。

 3枚の地図を比べてみると、オニさんの判断は全てどんぴしゃりだったことが分かります。掌を指すが如く。
 改めて御礼申し上げます。

 絵地図には、渋谷川と宇田川とが載っています。渋谷川は東京オリンピックを前に暗渠になってしまいました。
 現在の渋谷大改造では、渋谷川の一部を地上に出すようなことを聞きました。

 一方の宇田川の方は、宇田川町の地名の由来になった川と思われますが、今はやはり暗渠になってしまったのでしょうね。
 この川は昭和2年の地図に載っていました。
 代々木の方から南下しています。
S02shibuya07
 あ、昭和2年の地図は48度ほど右に回転していますので、それを逆に回転して北が上になるようにしました。
 上の3枚の地図とは向きがほぼ逆になります。

 宇田川は、画面左上から右下に掛けて流れています。
 北から順に深町小橋、深町橋、松濤橋、大向橋などの橋の名前が書かれています。
 大向小学校の北東で、この流れに、南西から流れてきた川が合流します。

 その川も含め、合流後の流れは以下のようになっています。
S02shibuya06
 大向橋の下流には後藤橋があり、その先で川は消えてしまっています。暗渠になったのでしょうか。現在の109のあたりです。
 参考までに、現代の地図。
S02shibuya09
 太い道は変わりませんが、細い道は大分変わってしまっていて、重なりません。
 宇田川も辿りにくいです。

 絵図にある大岡昇平の家は、昭和2年の地図では、大向橋のすぐ左の「20」と書いてあるあたりと思います。現代の地図では大きな文字で「宇田川町」と書いてある「町」の上あたりになりましょうか。

 地図の比較は楽しいです。


【追記】R2.4.23
 古都の焼け門さんのコメントを受けて、昭和2年の地図から1枚追加します。
 大向小学校の西側です。
S02shibuya10
 大向小学校の北沿いを流れる川を西へ遡ってみました。
 画面右端中央付近に大向小学校があります。
 その北沿いの川を辿ると、「松濤」と「大山」との境界付近を通って、画面左端中央付近で地図の端になってしまいます。この先は駒場になろうかと思います。駒場の向こうから流れて、大向小学校の北を通って、宇田川に合流することになります。

2020年2月21日 (金)

渋谷の東横、青ガエル

 以前、ブログにも書きましたように、東急東横店がこの3月で閉店します。
 また、最近読んだネットニュースによれば、ハチ公のすぐそばに置かれている青ガエル(東横線の旧車両)も撤去されてしまうとのことです。

 今日は、13:10から目白の床屋に予約していました。
 お天気も良いので、床屋が終わった後、渋谷で途中下車して、東横と青ガエルの写真を撮りに行くことにしました。

 東横。
Shibuya202002a
 NHKの夜遅くのニュースにこのあたりの映像が出てきます。

 右上に垂れ幕が写っています。
Shibuya202002b
 「すべてのお客様に大感謝。85年分の東横総決算」とあります。
 長い歴史があったんですけどねぇ。渋谷駅周辺の大々的な再開発の一環です。
 また、昨日から大古本市を開催中です。
 心惹かれましたけれども、16時から近所の歯科に予約がありますので、寄りませんでした。

 青ガエルも見て来ました。
Shibuya202002c
 人がたくさんいて、待っていても途切れることがありません。
 行き先表示板。
Shibuya202002d
 文字は正字体ですが、オリジナルのものかどうかは分かりません。

 この車両はインフォメーションセンターとして使われています。
 今まで中を覗いたことはありませんでした。中にはハチ公が鎮座していました。
Shibuya202002e

 この青ガエル、撤去された後は、秋田県の大館市に行くそうです。
 なぜ大館市なのかというと、大館はハチ公の生まれ故郷なので、そのご縁で渋谷区と交流があり、移管先になったとのことです。

 ハチ公といえば、東横を撮している時にハチ公バスが通りました。
Shibuya202002f
 このバス、今まで何度も見かけたことはありましたが、近くで撮影できたのは初めてです。

 絵のアップです。
Shibuya202002g

2020年1月 9日 (木)

新田神社をゆく

 金魚の水槽の水草、かなりしょぼくなってしまっていましたが、先端から新芽が出たり、茎の途中から脇芽が出ていたりしているので、撤去するのは躊躇していました。
 でも、水草自体、かなり弱まっていて、茎にコケが付くなど、水質悪化の原因にもなっていそうな気がします。

 背に腹は代えられず、新しい水草と取替えてしまうことにしました。

 水草を買いに、いつもの金魚屋さんに行きました。東急多摩川線の武蔵新田が最寄り駅です。

 この駅の近くには新田神社があります。新田義貞の子息である新田義興が祀られています。……ということは承知していたのですが、具体的な場所は知らず、まだ行ったことはありませんでした。

 先日、ふとしたことで、この神社の場所が分かりました。金魚屋さんのすぐ近くでした。

 お正月だし、お天気も良くて、暖かく、参拝日和でした。
 金魚屋さんのついでというのは憚られますので、神社に行ってから金魚屋さんに向かいました。

 鳥居。
Nittajinja01

 社殿。
Nittajinja02

 塀には、この神社についての長い解説が書いてありました。
Nittajinja03

 ポイントを切り貼りします。
 一昨日から切り貼りが多くて。(^_^;
Nittajinja04
Nittajinja05
Nittajinja06
 上に、多摩川の矢口渡や、平賀源内の「神霊矢口渡」が登場しています。
 ちなみに、武蔵新田の隣の駅が矢口駅です。

 境内にある御神木。ケヤキだそうです。
Nittajinja07

 御神木の解説板。
Nittajinja08
 寄生木の花というのに興味が湧きました。季節になったら行ってみたいです。

 境内にあったお稲荷さん。
Nittajinja09

 この小山は新田義興の墓所だそうです。
Nittajinja10

 解説板。
Nittajinja11

 墓所の傍らにこのような道しるべがありました。江戸時代のものです。
Nittajinja12
 境内にあるのに「これより右」もないものです。
 この道しるべ、もとは別の場所にあったのを、ここに移設したのだそうです。
 橿原の久米寺の前にあった道しるべも、もとは別の地にあったものを移設したものかもしれませんね。

2019年11月 3日 (日)

等々力渓谷の鈴もなか

 このようなお菓子を頂きました。
Suzumonaka01
 文庫本は大きさの比較のために置きました。鈴の形をしたかわいらしい最中です。

 貼ってあった表紙(?)です。
Suzumonaka02
 等々力渓谷で出土した七鈴鏡にちなんだものだそうです。

 等々力渓谷には1度だけ行ったことがあります。ここに何基かの古墳がありますので、鏡はそのいずれかで出土したのでしょう。
Suzumonaka03

 7つの最中の中身はそれぞれ異なるそうです。
Suzumonaka04

 いろいろな味が楽しめます。♪

 先日来、新潟の「葡萄紀行」、岡山の「きびだんご」、平泉の「田むらの梅」と、あれこれおいしいお菓子を堪能しています。もう1つ新たに加わって嬉しいです。(^_^)

 減糖を心掛けている日々ですが、まぁ、それはそれとして。(^_^)

 CCレモンの代わりに、麦茶、烏龍茶、ジャスミン茶を日替わりで飲んで来ましたが、どうも飽きてきました。代わりに何かと思い、野菜ジュースを飲むことにしました。スーパーに何種類か並んでいるのを、日替わりで飲んでいます。どれも甘みがあります。野菜の他にフルーツも入っているので、その甘さかもしれません。もっと甘さ控えめでもいいのにという気がします。←私もずいぶん変わったものです。(^_^)

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