東京あれこれ

2024年9月 4日 (水)

渋谷の眺望の変遷

 昨日のお食事会の会場はビルの25階です。
 見晴らしが良いので、毎年写真を撮っています。

 今年の風景。
Shunsai49
 雨がちの日でしたので、少し暗いです。
 中央やや左側に聳えているのはパルコのビル、左下隅の丸いのは109です。

 去年の同じ場所。
Shunsai37_20240904203201
 あまり変わっていませんね。
 仔細に比べましたが、違いが見つかりませんでした。

 令和元年の同じ場所。
Shunsai27
 パルコのビルは完成しているようですが、その向こう側のビルが工事中で、クレーンが見えます。

 平成30年の同じ場所。
Shunsai18
 この段階ではまだパルコのビルも、その向こうのビルも工事中です。

 東急本店のお隣に建った大きなビル。これは昨日の姿です。
Shunsai50

 去年の同じビル。
Shunsai38
 これも、去年と今年と仔細に比べたのですが、違いが見つかりませんでした。

 令和元年の同じ場所。
Shunsai28
 この段階では、東急本店がよく見えます。
 その手前の敷地に巨大なビルが建ったのでした。

 岡本太郎氏の壁画。これは昨日の撮影です。
Shunsai51

2023年8月29日 (火)

渋谷で4年ぶりのお食事会

 今日、『古典基礎語辞典』の執筆者のお食事会が渋谷で開かれました。
 毎年夏に開かれていたのですが、コロナで3年間中止され、今日は令和元年(2019)以来の開催となりました。
 今年のお料理は「鱧と穴子の夏御膳」です。写真だけで済みません。

 先付け。
Shunsai30
 モロヘイヤお浸し。

 造里。
Shunsai31
 お造里三種盛り。
 容器も箸も夏仕様です。

 冷やし煮物。
Shunsai32
 鱧吉野煮と野菜の炊き合わせ。

 揚物。
Shunsai33
 穴子一本揚げ。鱧。旬野菜天ぷら。大根おろし/おろし生姜/天だし。
 恥ずかしながらピンボケですので、お向かいのメンバーのを載せます。なぜか、そちらにピントが合っていました。
Shunsai34

 お食事。
Shunsai35
 穴子の棒寿司。がり。
 赤出汁。

 甘味。
Shunsai36
 本日のデザート(マンゴー羊羹)。

 定点観測の渋谷の街。25階の会場からの眺望です。
Shunsai37
 左下隅の丸いのが109です。

 令和元年(2019)の同じ場所。
Shunsai27

 平成30年(2018)の同じ場所。
Shunsai18
 中央やや左のパルコのビルが完成し、その向こう側に、さらに大きなビルが建ちました。

 令和元年の東急本店付近。
Shunsai28

 今年の。
Shunsai38
 東急本店のご近所に空き地ができていましたが、そこにとんでもなく背の高いビルが建ちました。
 東急本店の建物はまだ健在のようですね。

 岡本太郎氏の壁画。
Shunsai39

 今、渋谷は大改造中で、駅も行くたびに変わっています。
 恥ずかしながら、駅で迷って遅刻しました。
 皆さまにもご迷惑をおかけしました。

2023年8月18日 (金)

大正時代の絵はがき「東京名勝」

 古い絵はがき「東京名勝」を入手しました。
Tokyomeisho01
 これは袋です。
 「最新版コロタイプ印刷」とあります。全部で32枚入っています。
 その中から何枚か。

 東京停車場。
Tokyomeisho02
 「東京駅」ではなく、「東京停車場」とあります。
 最近改修されて、今と同様の外観ですね。

 日本橋。
Tokyomeisho03
 今、河は暗渠になってしまい、橋の上には高速道路が架かってしまいました。

 銀座通り。
Tokyomeisho04
 かなり多くのチンチン電車がいます。1両編成ですね。
 道路の端近くには人力車が走っています。

 泉岳寺。
Tokyomeisho05
 ここは今とあまり変わらないと思います。

 楠公像。
Tokyomeisho06
 楠公さんも今と変わらないでしょう。
 高村光雲の名作と思います。

 広瀬中佐像。
Tokyomeisho07
 須田町にあった広瀬中佐の銅像で、台座の下方には杉野兵曹長の像があります。

 十二階。
Tokyomeisho08
 浅草公園の凌雲閣の絵はがきがあります。通称「十二階」。
 この建物は関東大震災で壊れてしまいましたので、この絵はがきは大正12年よりも前の発行ということになります。
 他に明治神宮の絵はがきがあります。明治神宮は大正9年の創建とのことですので、この絵はがきの年代は、かなり限定されます。
 今から100年ほども前のものですね。
 当時の東京の有様がよく分かって楽しいです。

2021年11月11日 (木)

『江戸名所図会』を買った

 中学生の時、日本史の夏休みの宿題で、『江戸名所図会』に載っている名所を1つ選び、それについてレポートを書くというのがありました。
 『江戸名所図会』について知ったのはそれが最初でした。
 それ以来、『江戸名所図会』に関心があります。
 当時は角川文庫を使いました。その後、ちくま文庫にも入りましたね。

 以前はこれで足りていたのですが、今は老眼、もとい壮眼のため、文庫本ではちょっと厳しくなり、版本で見てみたいと思うようになりました。
 でも高いんですよ。「日本の古本屋」を見ると、十数万から二十数万、30万、一番高いので40万でした。

 それが、ネットオークションで、20冊揃いの版本が1000円スタートで出ましたので、入札しました。
 さすがに1000円での落札は叶わず、最後は競り合いになりましたが、無事に落札できました。
 古書店の相場よりも1桁安く入手できました。

 上下二帙で20冊です。
Edomeisho01

 1冊目。きれいです。
Edomeisho02

 最終冊の巻末。
Edomeisho03

 その次のページ。
Edomeisho04
 明治の後刷りですが、別に構いません。状態は大変によいです。

 あ、中学生の時の宿題ですが、どの名所を選んだか、迷いはありませんでした。
 もう、泉岳寺1択です。♪

 泉岳寺の絵。
Edomeisho05

 泉岳寺の本文の後半。
Edomeisho06

 渋川の家の荷物が一部しか東京の家に持ってこられないので、渋川の家も片づけ、東京の家も片づけ、何とか物を減らそうと苦慮しているのに、どうしてその一方で新たに物を買ってしまうのでしょうね。しかもこんなに嵩張る物を。(^_^;
 何を考えているのか。何も考えていないのか。(^_^;

2021年10月28日 (木)

今日は群馬県民の日&県民手帳2022

 今日10月28日は群馬県民の日です。
 群馬県の誕生日。めでたいことです。
 県内の学校はお休み。県立の博物館や美術館は入場料が割引、または無料になります。

 来年度のぐんまちゃん手帳、もとい群馬県民手帳も毎年今頃発売されます。
 ただ、今年は10月22日に発売されたそうです。
 私が群馬に行った日。県民センターに行ったら置いてあって、今日発売と言われました。
 私が最初の購入者かもしれないといわれました。そうなら嬉しいです。

 早速買いました。
Kenmin2022a
 いつものように、ぐんまちゃんの顔が大きく描かれた大胆なデザインです。
 帽子の色がいつもの緑なのが嬉しいです。赤はどうも。

 表紙の見返し。
Kenmin2022b
 群馬県市町村図です。

 裏表紙の見返し。
Kenmin2022c
 東京の地下鉄路線図です。
 東京に行った時、便利と思います。

 高輪ゲートウェイ駅付近を拡大します。
Kenmin2022d
 私はまだこの駅に行ったことはなかったのですが、この図を見ると、地下鉄の泉岳寺駅と繋がっていますね。
 田町駅・三田駅と同じ扱いです。
 だとすると、山手線と地下鉄との連絡が楽になりますね。
 どの程度くっついているのか分かりませんが、実質同じ場所ならば、駅名も泉岳寺で良かったのではと思います。

 この手帳にはビニールのカバーが掛かっています。
 表紙の見開きを撮るためにカバーを外したら、「なんと!」でした。
Kenmin2022e
 表紙の紙は接着しておらず、2枚重なっていました。その2枚がリバーシブルで合計4種の表紙が選べます。
 ぐんまちゃんの表紙が派手でイヤな人は、自分の好みの色に変えられます。

 他の色のは、裏表紙の隅に小さくぐんまちゃんの絵が描いてあるだけで、地味です。

2021年9月 3日 (金)

びっくりした三省堂&神保町で「秋の猫まつり」

 昨日、ネットニュースで「神保町の三省堂書店が営業終了へ」というニュースを見てびっくりしました。
 三省堂が廃業するのかと思いました。

 以前、当ブログに書いたことですが、2018年の7月9日に神保町の三省堂に行きました。
 4階で本を買って、その階のレジで会計をしようとしたら、その階にはレジがなく、1階のレジで受け付ける旨の掲示がありました。
 本を手に下階に降りて行きましたが、どの階も同様のようでした。
 各階にレジ担当者を配置すれば、それだけ人手が必要になりますので、こういう形で経費削減をしているかと思いました。

 書店に限らず、会計はその階で、というのが一般的と思っていましたので、本を持って階を移動することに違和感を覚えました。
 万引きが増えたりしそうです。

 出版不況の中、三省堂本店でさえ、こういう形で経費削減をしなくてはいけないのかと驚きました。
 そんなことがありましたので、「ついに」と思いました。

 ところが、記事を読んでみると、廃業ではなく、ビルの建て替えということでした。
 建て替えのために一時的に営業終了ということです。新しいビルが竣工すれば、また営業を再開することでしょう。
 人騒がせな見出しです。

 さて、その神保町で、このような催しがあることを知りました。
https://ichinoichi.books-sanseido.jp/events/15198
R03nekomatsuri01

 毎年秋に神保町では古本まつりを開催していますが、これは聞いたことがありません。
 このような内容です。
R03nekomatsuri02
R03nekomatsuri03

 主催は、神保町の「いちのいち」という雑貨店のようです。
 書店・古書店と直接の関係はありませんが、催しの「その3」はクラブ三省堂会員限定です。

2020年12月30日 (水)

50年前の環状7号線

 このようなものが出てきました。
Kan7ehagaki01
 左下に世田谷区立旭小学校とあります。私の母校です。
 右上にある昭和三十九年十月というのは東京オリンピックが開催された時期です。

 ローカルな話題で済みません。
 旭小学校の校区に国道246号線(玉川通り)と環状7号線が通っています。
 東京オリンピックが開催されることに伴って、環状7号線が拡幅されました。
 道を渡るのに危険が伴いますので、歩道橋が作られました。それを記念した絵はがきが入っています。

 裏です。
Kan7ehagaki02
 なんか、児童の詩で歩道橋を絶賛しています。それを作ってくれた人も。

 ちょっと不思議な話です。
 確かにこの歩道橋を利用する児童もいますけど、歩道橋完成記念の絵はがきを小学校が作るというのも……。

 それはともかく、中身は絵はがきが2枚です。2枚とも上下に写真が並んでいて、写真は合計4枚になります。

 これは、上記の2本の幹線道路が交わる上馬交差点から撮影したものです。
Kan7ehagaki03
 手前から奥に伸びているのが環状7号線です。こんなに狭い道でした。
 道の両側が野沢銀座です。環7通りが商店街。
 手前を左右に通っているのが玉川通りです。東急玉川線(玉電)の線路が見えます。

 それがこうなりました。
Kan7ehagaki04
 環状7号線は玉川通りの下にもぐり、立体交差になりました。
 さらにこの数年後、玉川通りの上には首都高速3号線が架かることになります。
 まさに東京大改造です。
 画面左端に玉電が見えます。
 アップです。
Kan7ehagaki07

 これは、環状7号線をもう少し先に行ったあたりです。
Kan7ehagaki05
 道の左右に商店がびっしり並んでいます。
 中央の車は道の真ん中を走っていますね。

 この狭い道が大きく拡幅され、歩道橋が架かりました。
Kan7ehagaki06
 道幅が大分変わりました。今の環状7号線と同じ幅です。
 画面右端に「祝完成 野沢銀座商(店街)」と書いた懸垂幕が見えます。
 アップです。
Kan7ehagaki08
 渡り初めも行われたようですし、この歩道橋は大歓迎されたようです。珍しさもあったのでしょうね。

 この絵はがきは昭和39年10月に旭小学校の全児童に配布されたと書いてありますが、私はこの年の3月に卒業したので、対象外です。
 たぶん、妹がもらってきたのをもらい受けたのでしょう。脅し取ったとか、そういうことは、当時の力関係からいって考えにくいです。(^_^;

2020年5月28日 (木)

3ヶ月ぶりの床屋&原宿駅旧駅舎

 緊急事態宣言が解除されたので、今日は床屋に行ってきました。
 前回行ったのが2月21日でしたので、97日前です。
 普段、床屋は40~50日置きくらいに行っていますので、1回飛ばしくらいになります。
 脇や後ろが伸びて、鬱陶しかったです。でも、中央部はあまり伸びない。(^_^;

 JRに乗るのは3月27日以来ですので、62日前です。
 東急線には時々乗っていたものの、東急線外には2ヶ月間出なかったんですねぇ。
 ずいぶん外出自粛していました。
 近所のスーパーには毎日行っていましたので、「3日に1度くらいに」という東京都知事の要請は無視してしまっていましたけど。(^_^;

 床屋は目白です。40数年間、同じ所。
 目白駅前に三井住友銀行があります。こんなでした。
Mejiro202005a

 小さくてよく分かりませんね。拡大します。
Mejiro202005b
 銀行の中央付近はセブンイレブンになっていました。その脇に銀行のATMがあります。
 銀行は移転したわけではなく、窓口は2階にあるのではないかと思いますが未確認です。

 山手線に乗ったら、「あ、原宿駅」と思い出しました。
 3月に、原宿駅が新駅舎に変わり、旧駅舎は取り壊すということでした。
 それで、3月中に旧駅舎の写真を撮りに行こうと思っていたのですが、外出自粛で行くのを控えていました。
 そのこともすっかり忘れていましたが、山手線に乗ったことで、思い出しました。

 で、原宿駅で途中下車しました。風来坊です。まだ自粛を続けなければいけないのに。(^_^;
Harajuku01
 旧駅舎、残っていました。取り壊しはまだ先のようです。時計も動いていました。
 天気があまり良くなかったのが残念です。

 原宿駅にそう馴染みがあるわけではありません。
 以前、お正月に、原宿で降りて、明治神宮に初詣に行って、NHK放送センターに寄って、渋谷駅に出る、というルートで歩いたことが何回かありました。お正月以外に、明治神宮には寄らずにNHKにだけ行ったことも何度か。50年ほど前のことです。
 えっ! 50年? と思って、計算し直してみましたが、間違いないようです。いつの間に……。正確には、50年近く前ですけど。

 新駅舎は旧駅舎の少し南です。
Harajuku02
 こちらは近代的な建物です。画面右側が旧駅舎です。

 ついでに皇室専用ホームへの入口にも行ってみました。
Harajuku03
 これ、使っているのでしょうかね。
 皇族が鉄道を利用してどこかへ行かれるときは、今は車で東京駅などに行かれるのではないかと思います。
 原宿から乗車してもねぇ。

 ということで、長期にわたって外出自粛していましたが、外出したら、ちょっと道草など食ってしまいました。

2020年4月23日 (木)

若木タワーって、これか!

 國學院大学には学会関係の会議などで、年に何度かお世話になっています。
 正門前の道を挟んだ向かい側にも國學院大学の敷地があり、以前は常磐松校舎と呼ばれていたように思います。今も常磐松ホールがあります。
 正門の内側には、近年、若木タワーという立派な高いビルが建ちました。
 常磐松については、近所に常磐松小学校がありますので、地名と思っていました。
 一方、若木タワーは不明でしたが、学生・院生のような若人が、若木のようにすくすくと育つように、という願いを込めた名称かと思いました。

 一昨日の昭和2年の渋谷の地図で、國學院大学のあたりを見て、「あっ!」と思いました。
S02shibuya08
 北に「常磐松」とあります。南西には氷川神社を含めて「氷川」、そして國學院大学のあたりは「若木」とあります。
 「若木」は地名なのでした。すっきりしました。(^_^)

 渋谷区立図書館のHP「渋谷区の町名・地番変遷」を見ると、渋谷区の地名は、段階的に変更されていったことが分かります。
https://www.lib.city.shibuya.tokyo.jp/?page_id=241
 これは、昭和37年5月10日に施行された「住居表示に関する法律」に対応するものと思います。
 常磐松、氷川、若木あたりは昭和41年4月1日に変更されています。
S02shibuya11
 ググってみたところ、常磐松、氷川はいずれも由緒ある地名だったので、それぞれの住民が譲らず、結局「恵比寿東」の「東」が採用されたとのことです。
 ということで、今このあたりの地名は、一帯「東」になっています。

 昭和41年というと今から54年前ですね。そう大昔ではありません。
 60代以上の方で、このあたりにお住まいだったり、お勤めだったりした方ならば、常磐松、氷川、若木はよくご存知の懐かしい地名でしょう。若木タワーの謎が解けて喜んでいては笑われそうです。(^_^;

2020年4月21日 (火)

昭和2年の「渋谷町全図」

 このような地図を入手しました。
S02shibuya01
 細かすぎますね。(^_^;
 左上に標題があります。
S02shibuya02
 昭和2年の渋谷町の地図です。「区」ではなく、まだ「町」です。
 昭和7年に、渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町が一緒になって渋谷区が成立したとのことですが、3町の中では渋谷町の範囲が圧倒的に広かったことがこの地図から伺えます。

 右下にこのような解説が載っています。
S02shibuya03
 これによれば、翌昭和3年の地名変更に先立って、この地図が作成されたようです。
 地名変更前の地名を記録しておこうということでしょうか。
 そういうことであれば、先日のタモリさんの言葉ではありませんが、意義深い地図と思います。

 この地図を入手したことで、数年前にブログで取り上げた地図を思い出しました。
 この図録に掲載されていた絵地図です。
Hachi_shibuya

 下がその絵地図です。大岡昇平の『幼年』における記述をもとに作成した、大正から昭和初め頃にかけての地図とのことです。
Shibuya_taisho

 絵地図ですので、この地図を現代の地図と重ね合わせることがなかなか難しかったのですが、昭和2年の地図となら対比しやすかろうと思いました。北が下なので、分かりにくいんですけどね。(^_^; 昭和2年の地図も北を下にしてみました。
S02shibuya04

 ついでに現代の地図も。
S02shibuya05

 ブログに絵地図を載せた時に、朝倉山のオニさんからいろいろとご教示をいただきました。以下の通りです。

 ・駒場通りから大向通りにかけては、文化村通りで、大向小学校は今の東急本店に当たります。
 ・練兵場通りは、ファイヤーストリートでしょうか。
 ・竹久夢二の家から生民軒牛乳屋への道は井の頭通りでしょう。
 ・衛戍監獄は、今の渋谷区役所近辺だと思います。
 ・練兵場は、言わずと知れたNHK、代々木公園ですね。当時は狐が出没したそうです。
 ・宇野浩二の家の方に伸びているのは、公園通りのようです。
 ・練兵場通りは途中で二股になっていますが、そこは今の丸井だと思います。
 ・ファイヤーストリートは、渋谷駅を後ろにして丸井を左手に見る道のことです。電力館に通じる道です。
 ・憲兵分隊のすぐ下の三角形のところは、109だと思います。

 3枚の地図を比べてみると、オニさんの判断は全てどんぴしゃりだったことが分かります。掌を指すが如く。
 改めて御礼申し上げます。

 絵地図には、渋谷川と宇田川とが載っています。渋谷川は東京オリンピックを前に暗渠になってしまいました。
 現在の渋谷大改造では、渋谷川の一部を地上に出すようなことを聞きました。

 一方の宇田川の方は、宇田川町の地名の由来になった川と思われますが、今はやはり暗渠になってしまったのでしょうね。
 この川は昭和2年の地図に載っていました。
 代々木の方から南下しています。
S02shibuya07
 あ、昭和2年の地図は48度ほど右に回転していますので、それを逆に回転して北が上になるようにしました。
 上の3枚の地図とは向きがほぼ逆になります。

 宇田川は、画面左上から右下に掛けて流れています。
 北から順に深町小橋、深町橋、松濤橋、大向橋などの橋の名前が書かれています。
 大向小学校の北東で、この流れに、南西から流れてきた川が合流します。

 その川も含め、合流後の流れは以下のようになっています。
S02shibuya06
 大向橋の下流には後藤橋があり、その先で川は消えてしまっています。暗渠になったのでしょうか。現在の109のあたりです。
 参考までに、現代の地図。
S02shibuya09
 太い道は変わりませんが、細い道は大分変わってしまっていて、重なりません。
 宇田川も辿りにくいです。

 絵図にある大岡昇平の家は、昭和2年の地図では、大向橋のすぐ左の「20」と書いてあるあたりと思います。現代の地図では大きな文字で「宇田川町」と書いてある「町」の上あたりになりましょうか。

 地図の比較は楽しいです。


【追記】R2.4.23
 古都の焼け門さんのコメントを受けて、昭和2年の地図から1枚追加します。
 大向小学校の西側です。
S02shibuya10
 大向小学校の北沿いを流れる川を西へ遡ってみました。
 画面右端中央付近に大向小学校があります。
 その北沿いの川を辿ると、「松濤」と「大山」との境界付近を通って、画面左端中央付近で地図の端になってしまいます。この先は駒場になろうかと思います。駒場の向こうから流れて、大向小学校の北を通って、宇田川に合流することになります。

2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

ウェブページ