東京あれこれ

2020年5月28日 (木)

3ヶ月ぶりの床屋&原宿駅旧駅舎

 緊急事態宣言が解除されたので、今日は床屋に行ってきました。
 前回行ったのが2月21日でしたので、97日前です。
 普段、床屋は40~50日置きくらいに行っていますので、1回飛ばしくらいになります。
 脇や後ろが伸びて、鬱陶しかったです。でも、中央部はあまり伸びない。(^_^;

 JRに乗るのは3月27日以来ですので、62日前です。
 東急線には時々乗っていたものの、東急線外には2ヶ月間出なかったんですねぇ。
 ずいぶん外出自粛していました。
 近所のスーパーには毎日行っていましたので、「3日に1度くらいに」という東京都知事の要請は無視してしまっていましたけど。(^_^;

 床屋は目白です。40数年間、同じ所。
 目白駅前に三井住友銀行があります。こんなでした。
Mejiro202005a

 小さくてよく分かりませんね。拡大します。
Mejiro202005b
 銀行の中央付近はセブンイレブンになっていました。その脇に銀行のATMがあります。
 銀行は移転したわけではなく、窓口は2階にあるのではないかと思いますが未確認です。

 山手線に乗ったら、「あ、原宿駅」と思い出しました。
 3月に、原宿駅が新駅舎に変わり、旧駅舎は取り壊すということでした。
 それで、3月中に旧駅舎の写真を撮りに行こうと思っていたのですが、外出自粛で行くのを控えていました。
 そのこともすっかり忘れていましたが、山手線に乗ったことで、思い出しました。

 で、原宿駅で途中下車しました。風来坊です。まだ自粛を続けなければいけないのに。(^_^;
Harajuku01
 旧駅舎、残っていました。取り壊しはまだ先のようです。時計も動いていました。
 天気があまり良くなかったのが残念です。

 原宿駅にそう馴染みがあるわけではありません。
 以前、お正月に、原宿で降りて、明治神宮に初詣に行って、NHK放送センターに寄って、渋谷駅に出る、というルートで歩いたことが何回かありました。お正月以外に、明治神宮には寄らずにNHKにだけ行ったことも何度か。50年ほど前のことです。
 えっ! 50年? と思って、計算し直してみましたが、間違いないようです。いつの間に……。正確には、50年近く前ですけど。

 新駅舎は旧駅舎の少し南です。
Harajuku02
 こちらは近代的な建物です。画面右側が旧駅舎です。

 ついでに皇室専用ホームへの入口にも行ってみました。
Harajuku03
 これ、使っているのでしょうかね。
 皇族が鉄道を利用してどこかへ行かれるときは、今は車で東京駅などに行かれるのではないかと思います。
 原宿から乗車してもねぇ。

 ということで、長期にわたって外出自粛していましたが、外出したら、ちょっと道草など食ってしまいました。

2020年4月23日 (木)

若木タワーって、これか!

 國學院大学には学会関係の会議などで、年に何度かお世話になっています。
 正門前の道を挟んだ向かい側にも國學院大学の敷地があり、以前は常磐松校舎と呼ばれていたように思います。今も常磐松ホールがあります。
 正門の内側には、近年、若木タワーという立派な高いビルが建ちました。
 常磐松については、近所に常磐松小学校がありますので、地名と思っていました。
 一方、若木タワーは不明でしたが、学生・院生のような若人が、若木のようにすくすくと育つように、という願いを込めた名称かと思いました。

 一昨日の昭和2年の渋谷の地図で、國學院大学のあたりを見て、「あっ!」と思いました。
S02shibuya08
 北に「常磐松」とあります。南西には氷川神社を含めて「氷川」、そして國學院大学のあたりは「若木」とあります。
 「若木」は地名なのでした。すっきりしました。(^_^)

 渋谷区立図書館のHP「渋谷区の町名・地番変遷」を見ると、渋谷区の地名は、段階的に変更されていったことが分かります。
https://www.lib.city.shibuya.tokyo.jp/?page_id=241
 これは、昭和37年5月10日に施行された「住居表示に関する法律」に対応するものと思います。
 常磐松、氷川、若木あたりは昭和41年4月1日に変更されています。
S02shibuya11
 ググってみたところ、常磐松、氷川はいずれも由緒ある地名だったので、それぞれの住民が譲らず、結局「恵比寿東」の「東」が採用されたとのことです。
 ということで、今このあたりの地名は、一帯「東」になっています。

 昭和41年というと今から54年前ですね。そう大昔ではありません。
 60代以上の方で、このあたりにお住まいだったり、お勤めだったりした方ならば、常磐松、氷川、若木はよくご存知の懐かしい地名でしょう。若木タワーの謎が解けて喜んでいては笑われそうです。(^_^;

2020年4月21日 (火)

昭和2年の「渋谷町全図」

 このような地図を入手しました。
S02shibuya01
 細かすぎますね。(^_^;
 左上に標題があります。
S02shibuya02
 昭和2年の渋谷町の地図です。「区」ではなく、まだ「町」です。
 昭和7年に、渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町が一緒になって渋谷区が成立したとのことですが、3町の中では渋谷町の範囲が圧倒的に広かったことがこの地図から伺えます。

 右下にこのような解説が載っています。
S02shibuya03
 これによれば、翌昭和3年の地名変更に先立って、この地図が作成されたようです。
 地名変更前の地名を記録しておこうということでしょうか。
 そういうことであれば、先日のタモリさんの言葉ではありませんが、意義深い地図と思います。

 この地図を入手したことで、数年前にブログで取り上げた地図を思い出しました。
 この図録に掲載されていた絵地図です。
Hachi_shibuya

 下がその絵地図です。大岡昇平の『幼年』における記述をもとに作成した、大正から昭和初め頃にかけての地図とのことです。
Shibuya_taisho

 絵地図ですので、この地図を現代の地図と重ね合わせることがなかなか難しかったのですが、昭和2年の地図となら対比しやすかろうと思いました。北が下なので、分かりにくいんですけどね。(^_^; 昭和2年の地図も北を下にしてみました。
S02shibuya04

 ついでに現代の地図も。
S02shibuya05

 ブログに絵地図を載せた時に、朝倉山のオニさんからいろいろとご教示をいただきました。以下の通りです。

 ・駒場通りから大向通りにかけては、文化村通りで、大向小学校は今の東急本店に当たります。
 ・練兵場通りは、ファイヤーストリートでしょうか。
 ・竹久夢二の家から生民軒牛乳屋への道は井の頭通りでしょう。
 ・衛戍監獄は、今の渋谷区役所近辺だと思います。
 ・練兵場は、言わずと知れたNHK、代々木公園ですね。当時は狐が出没したそうです。
 ・宇野浩二の家の方に伸びているのは、公園通りのようです。
 ・練兵場通りは途中で二股になっていますが、そこは今の丸井だと思います。
 ・ファイヤーストリートは、渋谷駅を後ろにして丸井を左手に見る道のことです。電力館に通じる道です。
 ・憲兵分隊のすぐ下の三角形のところは、109だと思います。

 3枚の地図を比べてみると、オニさんの判断は全てどんぴしゃりだったことが分かります。掌を指すが如く。
 改めて御礼申し上げます。

 絵地図には、渋谷川と宇田川とが載っています。渋谷川は東京オリンピックを前に暗渠になってしまいました。
 現在の渋谷大改造では、渋谷川の一部を地上に出すようなことを聞きました。

 一方の宇田川の方は、宇田川町の地名の由来になった川と思われますが、今はやはり暗渠になってしまったのでしょうね。
 この川は昭和2年の地図に載っていました。
 代々木の方から南下しています。
S02shibuya07
 あ、昭和2年の地図は48度ほど右に回転していますので、それを逆に回転して北が上になるようにしました。
 上の3枚の地図とは向きがほぼ逆になります。

 宇田川は、画面左上から右下に掛けて流れています。
 北から順に深町小橋、深町橋、松濤橋、大向橋などの橋の名前が書かれています。
 大向小学校の北東で、この流れに、南西から流れてきた川が合流します。

 その川も含め、合流後の流れは以下のようになっています。
S02shibuya06
 大向橋の下流には後藤橋があり、その先で川は消えてしまっています。暗渠になったのでしょうか。現在の109のあたりです。
 参考までに、現代の地図。
S02shibuya09
 太い道は変わりませんが、細い道は大分変わってしまっていて、重なりません。
 宇田川も辿りにくいです。

 絵図にある大岡昇平の家は、昭和2年の地図では、大向橋のすぐ左の「20」と書いてあるあたりと思います。現代の地図では大きな文字で「宇田川町」と書いてある「町」の上あたりになりましょうか。

 地図の比較は楽しいです。


【追記】R2.4.23
 古都の焼け門さんのコメントを受けて、昭和2年の地図から1枚追加します。
 大向小学校の西側です。
S02shibuya10
 大向小学校の北沿いを流れる川を西へ遡ってみました。
 画面右端中央付近に大向小学校があります。
 その北沿いの川を辿ると、「松濤」と「大山」との境界付近を通って、画面左端中央付近で地図の端になってしまいます。この先は駒場になろうかと思います。駒場の向こうから流れて、大向小学校の北を通って、宇田川に合流することになります。

2020年2月21日 (金)

渋谷の東横、青ガエル

 以前、ブログにも書きましたように、東急東横店がこの3月で閉店します。
 また、最近読んだネットニュースによれば、ハチ公のすぐそばに置かれている青ガエル(東横線の旧車両)も撤去されてしまうとのことです。

 今日は、13:10から目白の床屋に予約していました。
 お天気も良いので、床屋が終わった後、渋谷で途中下車して、東横と青ガエルの写真を撮りに行くことにしました。

 東横。
Shibuya202002a
 NHKの夜遅くのニュースにこのあたりの映像が出てきます。

 右上に垂れ幕が写っています。
Shibuya202002b
 「すべてのお客様に大感謝。85年分の東横総決算」とあります。
 長い歴史があったんですけどねぇ。渋谷駅周辺の大々的な再開発の一環です。
 また、昨日から大古本市を開催中です。
 心惹かれましたけれども、16時から近所の歯科に予約がありますので、寄りませんでした。

 青ガエルも見て来ました。
Shibuya202002c
 人がたくさんいて、待っていても途切れることがありません。
 行き先表示板。
Shibuya202002d
 文字は正字体ですが、オリジナルのものかどうかは分かりません。

 この車両はインフォメーションセンターとして使われています。
 今まで中を覗いたことはありませんでした。中にはハチ公が鎮座していました。
Shibuya202002e

 この青ガエル、撤去された後は、秋田県の大館市に行くそうです。
 なぜ大館市なのかというと、大館はハチ公の生まれ故郷なので、そのご縁で渋谷区と交流があり、移管先になったとのことです。

 ハチ公といえば、東横を撮している時にハチ公バスが通りました。
Shibuya202002f
 このバス、今まで何度も見かけたことはありましたが、近くで撮影できたのは初めてです。

 絵のアップです。
Shibuya202002g

2020年1月 9日 (木)

新田神社をゆく

 金魚の水槽の水草、かなりしょぼくなってしまっていましたが、先端から新芽が出たり、茎の途中から脇芽が出ていたりしているので、撤去するのは躊躇していました。
 でも、水草自体、かなり弱まっていて、茎にコケが付くなど、水質悪化の原因にもなっていそうな気がします。

 背に腹は代えられず、新しい水草と取替えてしまうことにしました。

 水草を買いに、いつもの金魚屋さんに行きました。東急多摩川線の武蔵新田が最寄り駅です。

 この駅の近くには新田神社があります。新田義貞の子息である新田義興が祀られています。……ということは承知していたのですが、具体的な場所は知らず、まだ行ったことはありませんでした。

 先日、ふとしたことで、この神社の場所が分かりました。金魚屋さんのすぐ近くでした。

 お正月だし、お天気も良くて、暖かく、参拝日和でした。
 金魚屋さんのついでというのは憚られますので、神社に行ってから金魚屋さんに向かいました。

 鳥居。
Nittajinja01

 社殿。
Nittajinja02

 塀には、この神社についての長い解説が書いてありました。
Nittajinja03

 ポイントを切り貼りします。
 一昨日から切り貼りが多くて。(^_^;
Nittajinja04
Nittajinja05
Nittajinja06
 上に、多摩川の矢口渡や、平賀源内の「神霊矢口渡」が登場しています。
 ちなみに、武蔵新田の隣の駅が矢口駅です。

 境内にある御神木。ケヤキだそうです。
Nittajinja07

 御神木の解説板。
Nittajinja08
 寄生木の花というのに興味が湧きました。季節になったら行ってみたいです。

 境内にあったお稲荷さん。
Nittajinja09

 この小山は新田義興の墓所だそうです。
Nittajinja10

 解説板。
Nittajinja11

 墓所の傍らにこのような道しるべがありました。江戸時代のものです。
Nittajinja12
 境内にあるのに「これより右」もないものです。
 この道しるべ、もとは別の場所にあったのを、ここに移設したのだそうです。
 橿原の久米寺の前にあった道しるべも、もとは別の地にあったものを移設したものかもしれませんね。

2019年11月 3日 (日)

等々力渓谷の鈴もなか

 このようなお菓子を頂きました。
Suzumonaka01
 文庫本は大きさの比較のために置きました。鈴の形をしたかわいらしい最中です。

 貼ってあった表紙(?)です。
Suzumonaka02
 等々力渓谷で出土した七鈴鏡にちなんだものだそうです。

 等々力渓谷には1度だけ行ったことがあります。ここに何基かの古墳がありますので、鏡はそのいずれかで出土したのでしょう。
Suzumonaka03

 7つの最中の中身はそれぞれ異なるそうです。
Suzumonaka04

 いろいろな味が楽しめます。♪

 先日来、新潟の「葡萄紀行」、岡山の「きびだんご」、平泉の「田むらの梅」と、あれこれおいしいお菓子を堪能しています。もう1つ新たに加わって嬉しいです。(^_^)

 減糖を心掛けている日々ですが、まぁ、それはそれとして。(^_^)

 CCレモンの代わりに、麦茶、烏龍茶、ジャスミン茶を日替わりで飲んで来ましたが、どうも飽きてきました。代わりに何かと思い、野菜ジュースを飲むことにしました。スーパーに何種類か並んでいるのを、日替わりで飲んでいます。どれも甘みがあります。野菜の他にフルーツも入っているので、その甘さかもしれません。もっと甘さ控えめでもいいのにという気がします。←私もずいぶん変わったものです。(^_^)

2019年10月 5日 (土)

「世田谷郷土かるた」

 このようなものを入手しました。
Setagayacard01
 発行者は、こどもたまがわ文化の会で、ボロ市推進委員会が協賛、世田谷区教育委員会が推薦。昭和53年12月発行です。

 私は昭和32年10月から昭和60年3月まで世田谷区民でしたし、昭和60年以降も平成8年まで帰省先が世田谷区ということで準区民のようなものでした。それで、世田谷区には愛着があります。
 ただ、世田谷区は東京23区の中で最も面積が広く、わが家は区のヘリ付近でしたので、知らない場所も多いです。

 絵札から6枚。
Setagayacard02

 対応する読み札。
Setagayacard03

 「い」は松陰神社ですね。「さ」は鷺草にまつわる伝説。鷺草は世田谷区の区の花で、毎年春先に、世田谷区役所や出張所で鷺草の球根の無料配付が行われ、貰ってきて育てていました。花も咲きましたし、新たに球根も採れたのですが、やがて絶えてしまいました。「し」は懐かしの玉電。解説に依れば明治40年の開通だそうです。「て」のでんぎり山というのは知りませんでした。駒沢競技場は家から徒歩15分ほどでしたので、遊びに行ったこともあります。「と」の等々力渓谷に初めて行ったのはつい数年前です。「ま」は豪徳寺ですね。このかるた、ひこにゃんの生まれる大分前です。

 しおりが付いています。
Setagayacard04

 以下のように、1ページにかるた1枚ずつの詳しい解説が書かれています。
Setagayacard05

2019年9月29日 (日)

明治40年の市街線入り東京全図

 このようなものを入手しました。
M40shigaisen01

 上は表紙で、中身は以下のようなものです。
M40shigaisen02
 上が西です。左方向に90度回転させると通常の向きになります。

 「東京全図」とありますが、範囲は、赤坂区、芝区、神田区、下谷区、麻布区、浅草区、本郷区、牛込区、四ッ谷区、小石川区、本所区、深川区の12区です。
 新宿も渋谷も品川も、まだ郡部です。

 区と郡の表が載っています。郡部は以下の通りです。
M40shigaisen03

 玉電の経路はこの地図の範囲外ですが、別枠で乗っていました。
M40shigaisen04

 玉電は、多摩川の川原の砂利を運ぶために引かれたと聞いたことがあります。ずいぶん昔から通っていたのですね。

 びっくりしたのは現在の世田谷線です。右端の渋谷駅から左へ延びてきた線路が三軒茶屋で分岐して、一方は玉川へ、もう一方は現在は下高井戸に行きますが、この路線図では、松陰神社のあたりから下に折れて用賀で本線に合流しています。これは全く知りませんでした。

 以前ご披露した昭和12年の地図を載せます。
M40shigaisen05

 比較すると、三軒茶屋から駒沢の間に、昭和12年の地図では3駅あります。私が玉電を使っていた頃も同様でした。明治40年の地図では三軒茶屋と用賀の間は旭橋の1駅のみです。この駅名は知りませんでしたが、位置は後の上馬駅付近ではないかと思います。私が通っていた小学校は旭小学校という名で、もとは上馬駅付近にあったと聞いたことがあります。そのあたりに旭橋という地名があったのなら、学校名はその「旭」を採ったと思われます。

 すみません。途中から個人的な懐かしさからローカルな話になってしまいました。(^_^;

2019年9月 7日 (土)

昭和12年の東急沿線案内

 このようなものを入手しました。
S12tokyu01
 名称は「沿線案内 東横.目蒲.玉川電車」ということになりましょうか。
 当時はまだ東急電鉄という名称はなかったかもしれません。
 東横線はそのままですが、目蒲線は目黒線と名を変え、玉川電車(玉電)は新玉川線から田園都市線となりました。
 小中高校の時代は玉電のお世話になり、大学以降は目蒲線のお世話になり、今は大井町線と目黒線のお世話になっている私ですので、つい手が出てしまいました。ローカルな路線です。

 裏です。
S12tokyu02
 字が小さいですが、沿線の名所案内、四季の見どころ、運賃表などが並んでいます。

 渋谷駅付近。
S12tokyu03
 東横百貨店がど~んと描かれています。
 近隣の青山学院、國學院、赤十字病院よりもずっと巨大に。(^_^)
 さらに、「東横百貨店」の文字が赤字で、赤枠で囲われています。盛大にアピールしています。
 東横のマーク、懐かしいです。
 渋谷駅から斜め左上に延びているのは玉電です。
 左に延びているのは東横線。渋谷駅の隣の並木橋という駅は今はありません。

 東横線沿線。
S12tokyu04
 中央を横に走っているのが東横線です。
 左にある自由が丘駅の隣が「府立高等」「青山師範」となっています。今は「都立大学」「学芸大学」です。
 この旧称は初めて見ました。

 玉電沿線。
S12tokyu05
 右下隅の三宿から、太子堂を経て、三軒茶屋で分岐します。左が本線、上に延びているのが支線で、今も世田谷線として残っています。
 子供の頃、私の家の最寄り駅は上馬でした。三軒茶屋から駒沢までの間に上馬を含めて3駅あります。玉電が地下化されたときに、この3駅は廃止されてしまいました。その時はうちはもう引越した後でしたが、この3駅を利用していた人たちは随分不便になったことと思います。

 大井町線沿線。
S12tokyu06
 上野毛の下と等々力の左に「分譲地」とあり、尾山台の下には「貸住宅地」とあります。
 東急が宅地開発も手がけていたのでしょう。関西の阪急と同じ手法ですね。

 裏面の冒頭。
S12tokyu07
 沿線名所案内の冒頭が東横百貨店です。(^_^;
 山の手随一の百貨店、堂々たる百貨殿堂、日々千客万来の盛況は他の追随を許さず、など大絶賛しています。(^_^;
 次項の東横映画劇場にも、山の手随一の映画殿堂という文言があります。
 今も、大井町線に乗ると、「次は大岡山。東急病院最寄り駅です」など、しっかり東急グループの宣伝が入ります。

 沿線名所案内の後半から。
S12tokyu08
 豪徳寺の項に、「俗に「お猫さん」と称する猫塚があり招福の吉祥として花柳界方面の信仰が厚い」とあります。
 豪徳寺には何度か行きましたが、これは知りませんでした。今は溢れんばかりの招き猫が有名ですが。
Gotokuji04

 あ、これかも。
Gotokuji11
 あ、でもこれ、お堂であって、塚ではありませんね。
 今度確かめに行かねば。

2019年9月 1日 (日)

お食事会&変わりゆく渋谷2019

 今日は、毎年恒例の昼食会が渋谷でありました。会場も4年連続同じ場所です。去年もブログのネタにしました。
 去年と同様、お料理を載せます。写真だけですみません。(^_^)

 飲み物は黒糖梅酒にしました。去年と同じです。
Shunsai20

 前菜:無花果胡麻チーズ 柿 鮟肝 胡麻味噌 青味
Shunsai21

 造里:お造里3種盛り
Shunsai22

 容器は去年と同じでした。ユニークな容器で、去年は容器に気を取られて中身を撮るのを忘れました。
 今年は、給仕の人が容器の蓋を持って行ってしまったので、蓋の写真が撮れませんでした。
 去年の写真を載せます。
Shunsai10

 焼物:牛角煮と松茸の湯葉焼き くこの実 カシスマスタード 青味
Shunsai23

 進肴:松茸 春菊 水菜 菊花浸し いくら 振り柚子
Shunsai29

 煮物:萩真丈 揚げ松茸 海老芋おかき 青菜 蕪餡
Shunsai24

 食事:本日の代わり御飯/香物:二種盛り/留椀:赤だし汁
Shunsai25

 デザート:本日のデザート
Shunsai26

 デザートにアイスクリームは入っていませんでした。残念。
 アイスクリーム断ち、2ヶ月ほど続いていますが、今日だけ食べてしまおうかしら。(^_^;

 恒例により、25階の会場からの眺望です。
Shunsai27

 去年の。
Shunsai18

 中央やや左に建造中のパルコのビルが大きくなっていますが、まだ完成には到っていません。

 東急本店の駅側のご近所が空き地になっていました。
 いずれ何かが建つことでしょう。
Shunsai28

 ヒカリエで開催中のネコ展には行きませんでした。

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