地図・航空写真

2017年9月22日 (金)

『西国巡礼 細見之絵図』3

 『西国巡礼 細見之絵図』からもう1枚。阪神付近です。
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 右下に大坂と堺があります。そこから海を西に進むと淡路島と小豆島。

 陸地には、中央やや上方に有馬が描かれています。そして、有馬には、京へ十五里、大坂へ九里、尼崎へ八里、西宮へ十里などと各地への里程が記されています。有馬温泉は、江戸時代の温泉番付で西の大関に位置していたと思いますので、著名な場所だったのでしょうね。「各地への里程」ではなくて、実質的には「各地からの里程」ということなのかもしれませんね。

 尼崎、西宮、摩耶山などという地名も記載されています。摩耶山の少し西には、敦盛石塔があります。また、摩耶山の南の半島状の突端には、字が小さいですけど清盛石塔とあります。

 源平時代の故地が名所になっているのですね。あれこれ興味深いです。

2017年9月20日 (水)

『西国巡礼 細見之絵図』2

 1週間前に『西国巡礼 細見之絵図』という記事を載せました。そこで奈良付近の拡大図などもご披露したのですが、この絵図、なかなか広範囲ですので、他にもお目に掛けたい部分があります。

 そこで、京都付近です。
Saigoku08
 札所は、十五番 今熊野、十六番 清水寺、十七番 六波羅蜜寺、十八番 六角堂、十九番 革堂、二十番 善峯山、二十一番 穴太寺、二十二番 総持寺が見えています。

 札所以外の名所は、

 北には、貴船、上賀茂、相国寺
 北西には、今宮、金閣寺、愛宕、清滝
 西には、二条城、北野の天神、嵯峨
 南には、仏光寺、東西本願寺
 南東には、三十三間堂、大仏
 東には、南禅寺、黒谷
 北東には、銀閣寺、百万遍、下鴨、比叡山、鞍馬

などが載っています。

 やはり京都は名所が多いですね。

 京都にはあまり行っていないので、今後は京都にも行ってみたいです。

2017年9月13日 (水)

『西国巡礼 細見之絵図』

 このようなものを入手しました。
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 折りたたまれていたのを開くと、全体像はこんなです。
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 凡例と、巡礼の全行程はこのようです。
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 凡例にもあるように、地図上では巡礼の道は太く彩色されています。一番の「なちさん」から三十三番の「たにぐみ」まで、相当に長い道のりですね。和歌山県、大阪府、奈良県、京都府、滋賀県、兵庫県、岐阜県に亙ります。

 版元は南都大仏前絵図屋庄八です。
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 この版元、以前ご紹介した「奈良名所絵図」の版元でもあります。下の図の左下欄外に版元名が書いてあります。
Naraezu01
 巡礼絵図の方、宝暦四年(1754)の版を嘉永二年(1849)に改版したようです。100年近く経っていますね。わずかな改訂なのか、大改訂なのかは分かりません。

 この巡礼道、一番は那智山ですが、その前に伊勢神宮からの道が描かれています。お伊勢参りを済ませてから西国巡礼に回るとしたら、さらなる大遠征ですね。
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 奈良付近。
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 六番壺阪寺、七番岡寺、八番長谷寺、九番(興福寺)南円堂などが見えています。

 以前見た別の絵図に記されていた、橘寺、飛鳥、阿倍、多武峰、桜井、三輪、丹波市、帯解、田原本、八木などのおなじみの地名(実際にはひらがなですが)も見えています。

 知った地名を見ると、なんか嬉しい。(^_^)

 紀伊半島の南に「たごノ浦」という地名がありました。現代の地図を見ても、「田子」という地名や紀勢本線の駅名があります。和歌山県東牟婁郡串本町です。
Saigoku07
 「たごのうら」って、富士山の近くにも、越中にもありますよね。地形由来の地名でしょうかね。関係が気になります。

 群馬の、多胡碑のある多胡郡も関係があるのか、あるいはこちらは全く無関係なのか。海と山ですからねぇ。でも、あれこれ気になります。

2017年9月 9日 (土)

「大東京立体地図」

 こういう地図を入手しました。昭和33年発行の地図ですが、現物ではなく、人文社の複製です。
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 私が都内に越してきたのが昭和32年でしたので、ほぼそれに近い頃です。昭和39年の東京オリンピックに向けて、東京は大きく変わって行くことになります。この地図は、まだ東京が変わり始める前ですね。

 収録範囲は、北、西、南は山手線よりもほんの少し外側まで。東だけは、山手線の範囲を超えて、隅田川のあたりまで含みます。当時の「東京」の範囲を考える上でも興味深いです。

 渋谷付近。
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 プラネタリウム、東急文化会館というのが懐かしいです。赤い点線の路線はトロリーバスだそうです。

 新宿付近。
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 淀橋浄水場があります。今の都庁のあたりですね。三越や伊勢丹も、「ああ、そうそう」という感じです。新宿コマ劇場もありますけど、行ったことはありませんでした。

 東京タワーのあたり。
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 東京タワーは昭和33年の12月竣工だそうですので、この地図を作っている最中はまだ完成していません。よく見ると、この東京タワー、なんか周囲と馴染んでいないというか、あとから貼りつけたような感じがします。

2017年9月 3日 (日)

「奈良名所細見図」

 ネットオークションで入手しました。明治23年発行です。
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 左上に東大寺、下に興福寺、右上に春日大社が描かれています。

 ちゃんと鹿も描かれていて、嬉しいです。人力車が描かれている点に明治を感じます。
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 江戸時代に出版された「奈良名所絵図」というものもあります。
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 こちらは、左に興福寺、右下に春日大社、上に東大寺が描かれています。この3つが不動の名所なのですね。

 両方を比べると、さすがに「細見図」というだけあって、「奈良名所細見図」の方がかなり細かく詳しいです。

 「名所絵図」には、猿沢の池に魚が描かれていました。
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 「細見図」の猿沢の池にも何か描かれています。波か魚か微妙ですが、魚のように思えます。
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 どちらにも杖をついた人が描かれています。当時、珍しくなかったのでしょうか。あるいは、水戸黄門のように、旅をする高齢者の必需品だったか。

2017年7月 5日 (水)

戦前の『奈良市全図』

 昨日に続き、また奈良の地図の話題です。

 上部に右横書きで『奈良市全図』とあります。年号は全くなく、いつのものか不明です。
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 興福寺を中心とした部分。
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 上部中央に奈良県庁と裁判所が並んでいます。このへんは今も同じですね。登大路を挟んだ南側には県立図書館があります。これは今はもうこの場所にはありませんね。餅飯殿町など、町名は変わっていないようです。

 1枚目の図にあるように、地図の上部にある「奈良市全図」という標題は右横書きですけど、地図の中の横書きの文字は左横書きですね。結構新しいのかもしれません。

 地図の西端付近に大極殿跡があります。平城宮跡の発掘が進んでいない時代だと、ここまでの範囲は収めていないと思います。
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 年代推定の上限を考える上で参考となる部分。
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 図の右下に奈良女子高等師範学校があります。現在の奈良女子大学です。その左上に育英高等女学校があります。奈良育英高等女学校の設立は大正12年だそうで、現在、この地には奈良育英高校があります。

 そのさらに左上には奈良中学があります。奈良県立奈良中学校の設立は大正13年だそうです。この中学校は現在は奈良県立奈良高等学校となって、この地図よりも北西に移転しています。

 ということで、この地図は大正13年以降のものと推定できます。

 下の図の左上隅、1字目の文字が折り目に当たっていて欠けてしまっていますが、近鉄線は「大軌電車線」とあります。
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 大軌(大阪電気軌道)という名称は明治43年の成立だそうですが、この会社は昭和16年3月に参宮急行電鉄との合併により、関西急行鉄道(関急)に改組されたとのことですので、この地図は昭和16年以前のものと推定できます。

 以上から、この地図が発行された時期は、大正13年(1924)から昭和16年(1941)までの間の17年間のどこかと推定できます。私の力ではここまでです。見る人が見ればもっと絞り込めるかもしれません。

 地図の北東部、奈良坂付近。
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 「国道第十五号」とあります。この道、現在は県道754号線になっているようです。明治18年に定められた国道表では、国道十五号は東京から仙台までの道です。そして、現在の国道十五号は、東京から横浜市神奈川区までの第一京浜だそうです。この国道番号も手がかりになりそうですけど、これ以上は進めませんでした。

2017年7月 4日 (火)

奈良名所絵図(3)

 2013年に『奈良名所絵図』という1枚物の木版刷りの絵図を入手し、当ブログに載せました。
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 去年、同じ絵図の異版を入手しましたので、また載せて、前回のものと部分的に比較しました。
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 先日、また同じ絵図を入手しましたので、またご披露します。
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 最初の絵図を持っていることをうっかりして2回目の絵図を購入してしまったのですが、その際、最初の絵図と2回目の絵図とが微妙に異なっていることに興味を覚え、今回はあえてまた入手しました。諸本間の異同に興味があるようです。(^_^;

 2回目で比較した「ゆきげのさわ」の部分。初回入手分。
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 2回目。
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 今回。
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 ゆきげのさわの中の横線の数が、版を重ねるほど減って行くそうなのですが、3枚とも違いますね。2回目入手分の横線が一番多くて、隙間なく描かれているのに対して、初回のは3ブロックになっていて、横線の数は上から4・5・5です。今回のは3・4・5ですかね。

 転害門附近。初回。
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 2回目。
Narameisho06
 今回。
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 こちらは、門の1番上の部分が段々に簡略になっているように見えます。また、門の正面の石段の数が今回のは一段少ないですかね。「是よりてがい丁はたごや」の文字も3者異なるように思います。

 4点目が欲しくなってきました。(^_^;

2017年6月12日 (月)

奈良絵図

 昨日アップした天理絵図の記事で、「石原氏の描く鳥瞰図には奈良もありました。それは持っていて、一時期、研究室のドアの内側に貼っていました。それが先日の片づけの折に発見されて、懐かしく思いました。もちろん持ち帰りましたけど、どの段ボール箱にあるか、不明です。(^_^;」と書きました。

 見つかりました。(^_^)

 天理絵図は折りたたんだ形で販売されていましたが、奈良絵図は折らずに筒に入った形でした。そのことをふと思い出しました。長い筒ですので、段ボール箱には入りません。研究室から運んだ長いものグループを探したら見つかりました。
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 結構大きいです。丸まってしまうので、四隅を交換レンズやペットボトルで押さえてあります。(^_^)

 興福寺付近。
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 先月上代文学会が開催された奈良女子大や、近鉄奈良駅、奈良県庁付近。
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 天理絵図よりも建物の数が多いので、これを描くのはさらに大変だったことと思います。天理絵図の翌年、昭和53年のものです。

2017年6月11日 (日)

天理絵図

 「天理絵図」を入手しました。超精密な鳥瞰図で、絵師は石原正氏です。昭和52年のものです。
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 全体像。
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 左下に天理駅があり、右上が石上神宮方面です。北を上にする通常の地図を90度左回転させています。

 一部分を拡大しました。北が上になるように(大体ですが)向きを変えています。
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 左側やや下の方に川原城の交差点があります。右上に天理教本部。右下隅に天理図書館。家1軒1軒が精巧に描かれています。地図全体では何軒の家があるのか、気が遠くなるような作業です。

 天理市については、昭和50年・51年の2回泊まった芳月という旅館を懐かしく感じています。それについては当ブログでも何回か書きました。

 「天理をふらふら」「天理今昔」などです。

 この絵図、昭和52年のなんですよね。私が訪れたときから1~2年しか経っていませんので、多分ほとんど変わっていないのではないかと思います。芳月については、この絵図をじっくりと眺めながら、また考えてみます。

 川原城の交差点付近。
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 野球場と天理図書館。
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 確かに、その昔、野球場のすぐ横を通って天理図書館に行きました。ところが、先年萬葉学会で天理図書館に行った時、近くに野球場がなくて、「???」と思ったのでした。野球場が移転したことは当ブログで三友亭主人さんに教えて頂きました。

 野球場には人がいますね。絵師のコメントに依れば、この野球場の様子は、2アウト・フルベースで、打球が一・二塁間を抜いたところ、だそうです。(^_^)

 石原氏の描く鳥瞰図には奈良もありました。それは持っていて、一時期、研究室のドアの内側に貼っていました。それが先日の片づけの折に発見されて、懐かしく思いました。もちろん持ち帰りましたけど、どの段ボール箱にあるか、不明です。(^_^;

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