地図・航空写真

2024年11月13日 (水)

梶川敏夫氏『ビジュアル再現平安京』(吉川弘文館)

 このような本を購入しました。
R06visualheian01
 梶川敏夫氏『ビジュアル再現平安京』(吉川弘文館)。令和6年9月1日発行です。

 裏表紙には次のようにあります。
R06visualheian02
 ほぼ全ページに写真、地図、イラストが豊富に載っています。
 まさに「ビジュアル再現」です。
 裏表紙の文章に拠れば、イラストは著者ご自身が描かれたのですね。とてもわかりやすいイラストです。

 目次は以下の通りです。切り貼りしました。
R06visualheian03
R06visualheian04
R06visualheian05
R06visualheian06

 勉強になりますし、地図好きなので、見ていて楽しいです。
 じっくりと拝読します。

2024年9月 6日 (金)

明治3年の『絵入智慧の環 二編上』(4)

 少し日が空いてしまいましたが、『絵入智慧の環 二編上』の続きです。
 今回は大洋州。

 大洋州の地図は見開きを使って、南北アメリカ大陸からアジアまでを含む地域が載せられています。
 そのうち関係する地域のみ切り出します。
M03chienowa21n
 上部中央にある「無人島」というのは小笠原諸島と思われます。 

 地図上の文字が小さいので、国名リストのページを載せます。
M03chienowa21m
 「澳大利亜(あうすたらりや)」「たすまにや」「新(しん)じいらんど」「新(しん)かりどにや」「さんどゐち」
 「呂宋(るそん)」「新(しん)ぎにや」「しりべす」「ぼるねお」「爪哇(じやわ)」「すもたら」とあります。

 ニュージーランドやニューカレドニアなどの「ニュー」の部分が「新(しん)」となっています。
 以前もこの頃の史料に同様にあったのを見ました。
 最初はこう読んでいたのですね。それが時代が降って、どこかで現代のような読みに変わったのでしょう。

 「しりべす」というのが分かりません。読みもそれで良いのか?(^_^;
 地図を見つつ、あれこれ考えて、これはセレベスではないかと思い至りました。
 多分合っていると思います。

 右ページの頭注に「呂宋(るそん)と その みなみ の しまじまをなべてひりぴな島(たう)といふ」とあります。
 フィリピンですね。

 左ページの頭注には「爪哇(じやわ)とはじやがたらのことなり」とあります。
 当時の日本人には、ジャガタラの方がなじみがあったのでしょうね。
 ジャガタラ芋ですね。

 ほんと、昔のものは楽しいです。

2024年8月30日 (金)

大正14年の長野市地図

 昨日、昭和12年頃の善光寺の鳥瞰図を載せました。
S12zenkojizu01

 丁度、大正14年の長野市の地図が見つかりましたので、関連して載せます。
 この地図も以前ネットオークションで入手したものです。
 両者、入手した時期は別々でしたが、ここで合流しました。
T14zenkoji
 この地図の右上隅に「噴水」とあります。
 鳥瞰図にもこの位置に噴水が描かれています。
 並べて見るとおもしろいです。

 地図の左下に師範学校と附属小学校があります。
 この位置には、今、信州大学の教育学部があります。

 ついでに、同じ地図の長野駅前も載せます。
 画面上の縮尺は善光寺付近とは異なります。
T14naganoeki
 旅館や運送店が目に付きます。
 駅のすぐ北には日通の取引店がありますね。

 昔のものは何もかも楽しいです。

2024年8月29日 (木)

昭和12年頃の善光寺鳥瞰図

 部屋の片づけをしていて見つけました。
S12zenkojizu01
 信濃の善光寺の鳥瞰図です。
 大分前にネットオークションで入手しました。

 画面左に仁王門、そこから右に向かって、山門、本堂と続きます。
 善光寺には1回しか行ったことはありません。その折の写真を添えます。

 仁王門。
S12zenkojizu02
Zenkoji01

 山門。
S12zenkojizu03
Zenkoji03

 本堂。
S12zenkojizu04
Zenkoji06

 裏面は長野市の案内になっています。
S12zenkojizu05

 このうち、善光寺の解説の一部をアップにします。
S12zenkojizu06
 今から1385年ほど前が欽明天皇13年だとあります。
 欽明天皇13年は西暦552年に相当するとされますので、552+1385=1937。
 ということで、この鳥瞰図は1937年(昭和12年)ころに作られたものと考えられます。

2024年8月27日 (火)

明治3年の『絵入智慧の環 二編上』(3)

 先日来の『絵入智慧の環 二編上』の続きです。
 今回はアフリカ州。
M03chienowa21j
 南西の海に「せんとへれな」島があります。
 世界地理にも歴史にも疎い私にはよく分かりませんが、こういう小さい島を殊更に載せたのは、ナポレオンの流刑地だからということがありましょうか。

 北半分。
M03chienowa21k
 今とはだいぶ違います。今はもっと国が多いですね。
 「さはら」と「すうだん」が広大です。
 「さはら」だけ周囲に点々があるのは砂漠を表現しているのでしょうかね。

 南半分。
M03chienowa21l
 こちらも今とはだいぶ違います。
 「えちおぴあ」が広大です。
 南西に「ほつてんとつと国」があります。ホットントットは当時は国名だったのですね。
 なお、ホッテントットは現在は蔑称とされているようです。

2024年8月24日 (土)

明治3年の『絵入智慧の環 二編上』

 『絵入 智慧の環 二編上 万国尽の巻』を入手しました。
M03chienowa21a

 奥付によれば明治3年の刊です。
M03chienowa21b
 古川氏蔵版とあります。この古川氏というのは「はしがき」によれば古川正雄。
 また、Wikipediaによれば、古川正雄は福澤諭吉の弟子で、慶應義塾の初代塾長とのことです。

 この『絵入 智慧の環』は、日本最初の小学生用教科書の1つだそうです。
 私が入手したのは「二編の上」で「万国尽の巻」です。
 様々な地図が載っています。
 例えば、アジア。
M03chienowa21c

 東南アジアの拡大図。
M03chienowa21d
 現在と境界線が変わっていますが、ベトナムは安南、カンボジアはしやむろ、マレーシアは麻羅加、ミャンマーは緬甸といった感じです。
 タイはしやむろと緬甸に跨がり、ラオスは安南としやむろに跨がります。

 西アジアのアップ。
M03chienowa21e
 こちらには、たるけすたん、あふがにすたん、べるちすたん、ぺるしや、あじやとるこ、あらびや、などの国名が見えています。
 ぺるしやの北に「じよるじや」とあるのは今のジョージアですね。

 これもまた、見ているとあれこれおもしろいです。

2024年7月24日 (水)

明治26年の『小学日本地図』

 この様なものを入手しました。
M26shogakumap01
 明治26年10月発行の『小学日本地図』で、発行所は東京日本橋の金港堂書籍会社です。定価20銭。

 目次はありませんが、例言に内容が列挙されています。全13図。
M26shogakumap02

 日本略図。
M26shogakumap03
 樺太は全てロシア領、千島列島はカムチャツカまで全て日本領です。

 樺太の東の拡大図。
M26shogakumap04
 オホーツク海が「おこつく海」と書かれています。

 自然地図。
M26shogakumap05

 人為地図。
M26shogakumap06
 自然地図と人為地図の2図のみが見開きになっています。
 廃藩置県以来、府県の編成は転変しましたが、この明治26年の時点では、現代と同一のようです。

 畿内地図。
M26shogakumap07
 旧国で色分けされています。

 図が小さいので、4都付近を拡大します。
M26shogakumap08
 記載されている地名数は少ないですが、その中に、鵯越、一ノ谷、桜井、湊川などはしっかり記載されています。

2024年6月17日 (月)

平安京図&パソコン入門期

 昨日の大内裏図の流れで、今日は平安京図を。

 下書き線。
Heiankyozu01

 道路の線を入れる。
Heiankyozu02

 下書き線を非表示に。
Heiankyozu03

 文字を入れて完成。
Heiankyozu04

 一部を拡大。
Heiankyozu05
 こんな感じで、大路・小路の道幅、他より広い朱雀大路と二条大路の道幅は、ちゃんと本来の比率に合わせています。

 さて、私がパソコンを買ったのは昭和63年(1988)の暮れでした。
 その頃のパソコンにはハードディスクは内蔵されていませんでしたので、ソフトウェアはフロッピーディスクでした。
 パソコンと一緒に買ったソフトは、ワープロソフトの一太郎と、データベースソフトのザ・カード、そして「信長の野望」でした。

 パソコンって、本当に魔法の機械というか、夢の機械というか、おもしろくて、楽しくて、いろいろなソフトを買ってきては、使っていました。
 平安京図などを作ったのは、パソコンを買ってからもう10年ちょっと経っていましたけれども、パソコン熱はまだ冷めやらず、嬉々としてこういった図を作っていました。
 教育熱心だったわけではなくて、趣味の世界でした。(^_^)

 ホームページも簡単なものならば自作しました。
 ただ、パソコンの勉強をしたのは、このあたりまでで、もうやめてしまいましたので、音声の編集や、動画の編集はできません。

2024年6月16日 (日)

自作の平安京・大内裏・内裏・清涼殿図

 今日のNHK大河「光る君へ」も面白かったです。
 番組の中で、落飾した中宮定子を一条天皇が職の御曹司に呼び寄せることが出てきました。
 「はて? 職の御曹司ってどこだっけ?」と思い、大内裏図を見てみました。
Daidairizu01
 中央付近にある内裏の北東ですね。すぐ近くです。
 こういう図は、国語便覧や日本史地図帳などに載っています。

 昔、国文学概論を受け持ったことがありました。
 今ならば既製品の図をスキャンしてしまえば簡単ですが、当時はまだスキャナを持っていなかったので、さてどうしようかと考えました。
 コピーして切り貼りする手もありますけど、アナログデジタル併用ではおもしろくありません。
 そこで、ジャストシステムの「花子」を使って、作図することにしました。

 まずは、下書き線。
Daidairizu03
 大内裏内の東西南北の道は、大内裏の外の道と重なっています。

 この下書き線の上に各施設の図を描きます。
Daidairizu04

 そして、下書き線を非表示にします。
Daidairizu05
 ここに文字を入れれば、最初の図になります。
 それぞれの施設を色で塗ることはしませんでしたので、これで完成です。

 同様にして、平安京図、内裏図、清涼殿図を作図しました。色を塗ったものもあります。
Heiankyozu
 何ともマメなことです。(^_^)
 でも、楽しかったです。2000年の頃です。
 そして、自分で作図すれば理解も進みますし、記憶にも残る……はずなのですが、職の御曹司の位置、すっかり忘れていました。(^_^;

2024年6月 7日 (金)

吉田初三郎の「厳島新案内」

 吉田初三郎の「厳島新案内」を入手しました。
T04itsukushima01
 大正4年4月発行です。
 これを二つ折りにしたものが表裏の表紙になります。

 超ワイドです。
T04itsukushima02
 小さくて何だか分かりませんので、3ヶ所を拡大します。縮尺は同じです。

 左端付近。
T04itsukushima03

 厳島神社の大鳥居、社殿付近。
T04itsukushima04

 その右側。
T04itsukushima05

 陶晴賢の本陣はどのあたりだったのだろうか、毛利元就はどこから攻め込んだのだろうか、などとつい物騒なことを考えてしまいます。
 2つ目の拡大図の左上に「バクチ尾」という地名が見えます。なんかあのあたりから攻めたのだったような。

 鳥瞰図の反対側の面には厳島の解説と「厳島十二勝」が載っています。
T04itsukushima06
 下の方に鹿の絵があります。奈良鹿だけではなく、宮島の鹿も良いです。

 厳島には2回行ったことがあります。
 大鳥居は、1回は満潮時、もう1回は干潮時で、両方を見ることができたのは幸いでした。

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