地図・航空写真

2024年6月17日 (月)

平安京図&パソコン入門期

 昨日の大内裏図の流れで、今日は平安京図を。

 下書き線。
Heiankyozu01

 道路の線を入れる。
Heiankyozu02

 下書き線を非表示に。
Heiankyozu03

 文字を入れて完成。
Heiankyozu04

 一部を拡大。
Heiankyozu05
 こんな感じで、大路・小路の道幅、他より広い朱雀大路と二条大路の道幅は、ちゃんと本来の比率に合わせています。

 さて、私がパソコンを買ったのは昭和63年(1988)の暮れでした。
 その頃のパソコンにはハードディスクは内蔵されていませんでしたので、ソフトウェアはフロッピーディスクでした。
 パソコンと一緒に買ったソフトは、ワープロソフトの一太郎と、データベースソフトのザ・カード、そして「信長の野望」でした。

 パソコンって、本当に魔法の機械というか、夢の機械というか、おもしろくて、楽しくて、いろいろなソフトを買ってきては、使っていました。
 平安京図などを作ったのは、パソコンを買ってからもう10年ちょっと経っていましたけれども、パソコン熱はまだ冷めやらず、嬉々としてこういった図を作っていました。
 教育熱心だったわけではなくて、趣味の世界でした。(^_^)

 ホームページも簡単なものならば自作しました。
 ただ、パソコンの勉強をしたのは、このあたりまでで、もうやめてしまいましたので、音声の編集や、動画の編集はできません。

2024年6月16日 (日)

自作の平安京・大内裏・内裏・清涼殿図

 今日のNHK大河「光る君へ」も面白かったです。
 番組の中で、落飾した中宮定子を一条天皇が職の御曹司に呼び寄せることが出てきました。
 「はて? 職の御曹司ってどこだっけ?」と思い、大内裏図を見てみました。
Daidairizu01
 中央付近にある内裏の北東ですね。すぐ近くです。
 こういう図は、国語便覧や日本史地図帳などに載っています。

 昔、国文学概論を受け持ったことがありました。
 今ならば既製品の図をスキャンしてしまえば簡単ですが、当時はまだスキャナを持っていなかったので、さてどうしようかと考えました。
 コピーして切り貼りする手もありますけど、アナログデジタル併用ではおもしろくありません。
 そこで、ジャストシステムの「花子」を使って、作図することにしました。

 まずは、下書き線。
Daidairizu03
 大内裏内の東西南北の道は、大内裏の外の道と重なっています。

 この下書き線の上に各施設の図を描きます。
Daidairizu04

 そして、下書き線を非表示にします。
Daidairizu05
 ここに文字を入れれば、最初の図になります。
 それぞれの施設を色で塗ることはしませんでしたので、これで完成です。

 同様にして、平安京図、内裏図、清涼殿図を作図しました。色を塗ったものもあります。
Heiankyozu
 何ともマメなことです。(^_^)
 でも、楽しかったです。2000年の頃です。
 そして、自分で作図すれば理解も進みますし、記憶にも残る……はずなのですが、職の御曹司の位置、すっかり忘れていました。(^_^;

2024年6月 7日 (金)

吉田初三郎の「厳島新案内」

 吉田初三郎の「厳島新案内」を入手しました。
T04itsukushima01
 大正4年4月発行です。
 これを二つ折りにしたものが表裏の表紙になります。

 超ワイドです。
T04itsukushima02
 小さくて何だか分かりませんので、3ヶ所を拡大します。縮尺は同じです。

 左端付近。
T04itsukushima03

 厳島神社の大鳥居、社殿付近。
T04itsukushima04

 その右側。
T04itsukushima05

 陶晴賢の本陣はどのあたりだったのだろうか、毛利元就はどこから攻め込んだのだろうか、などとつい物騒なことを考えてしまいます。
 2つ目の拡大図の左上に「バクチ尾」という地名が見えます。なんかあのあたりから攻めたのだったような。

 鳥瞰図の反対側の面には厳島の解説と「厳島十二勝」が載っています。
T04itsukushima06
 下の方に鹿の絵があります。奈良鹿だけではなく、宮島の鹿も良いです。

 厳島には2回行ったことがあります。
 大鳥居は、1回は満潮時、もう1回は干潮時で、両方を見ることができたのは幸いでした。

2024年4月18日 (木)

明治8年の『大日本国郡便覧』(5)

 連投している明治8年『大日本国郡便覧』の第5弾です。
 今日は、私の好きな大和国と、昭和60年以来暮らした上野国を取り上げます。

 まずは大和国。
M08kokugun26

 大和国の地図は、どういうわけか南が上でした。これも何か落ち着かないので、180度回転させました。
M08kokugun27

 データその1。
M08kokugun28
 郡名にはそれぞれルビが付いています。「葛上」のように上下の付く郡名は難しいですから、参考になります。
 この読みは現代と異なるものもありそうです。

 神社は著名なものがたくさんあります。
 産物には、紙、墨、そうめん、葛、柿など、現代に通じるものが多いですね。

 鹿もあります。奈良市内の鹿は春日大社の御神鹿として大切に守られてきたはずですけど、それ以外の地の鹿は食べていたのかもしれませんね。あと、鹿革として利用されてきたのでしょう。

 データその2。
M08kokugun29
 名山大川にも著名なものが目立ちます。

 続いて上野国。
M08kokugun30

 地図は北が上です。
M08kokugun31

 データの一部。
M08kokugun32
 冒頭の「詼国」というのが全く分かりません。なんでしょ?
 「詼」の字の字音は「カイ」、意味は「たわむれる。おどける。あざける。からかう」ということですが、はて?
 それは置いておいて、上野国は11郡が熊谷県、3郡が栃木県です。地図では、黄色が熊谷県、樺色が栃木県です。
 鶴舞う形のうちの頭から肩にかけてが栃木です。当時、群馬県はなかったのでした。

 郡名のうち、「群馬」に「クルマ」というルビが付いています。
 「群馬」という郡名は、古代の「車」という評名に溯ります。
 行政地名の二字化の方針に基づいて「車」は「群馬」の二文字に改められますが、表記は「群馬」でも読みは「クルマ」です。
 江戸時代くらいまでは、「群馬」と書いて「クルマ」と読んでいましたが、明治8年の時点でもまだ「クルマ」だったのか。
 これは、なかなか興味深いです。

 産物には、生糸、絹、蚕種などが冒頭にあります。富岡製糸場ができたのはこの本の3年前の明治5年のことでした。

 ということで、いくつかの国を見てきました。
 また何か興味を惹かれた国があれば載せることにします。
 リクエストがあればお寄せください。

明治8年の『大日本国郡便覧』(4)

 毎日続いている明治8年『大日本国郡便覧』の第4弾です。
 「藩」が琉球藩であることを教えてくださったわこにょさんと、ブログにコメントをくださった萩さんとに敬意を表して、わこにょさんゆかりの近江国と、萩さんゆかりの三河国とを取り上げます。

 まず近江国です。
M08kokugun18

 地図は西が上になっています。なんか落ち着かないので、90度左に回転させます。
M08kokugun19

 データの一部。
M08kokugun20
 神社は、日吉神社のみが上がっています。
 著名な神社、まだあったかもしれませんが。
 産物の中に伊吹もぐさが入っています。

 もう1ヶ所。
M08kokugun21
 名山・大山には著名なものが並んでいますね。
 姉川の次に妹川というのが並んでいます。
 姉川は、姉川の合戦で有名ですが、妹川というのは初めて見ました。
 妹川に対しての姉川なのでしょうかね?

 続いて三河国。
M08kokugun22

 地図をアップにします。
M08kokugun23
 中央の左下に岡崎の文字が見えます。

 データの一部。
M08kokugun24
 産物の中に、わざわざ佐久島の地名を挙げて海鼠腸が上がっています。産地として著名だったのでしょうかね。

 もう1ヶ所。
M08kokugun25
 こちらにも名山大山が並んでいて、やはり著名なものが多いです。
 三河の語源については、今は異説があるようですね。

2024年4月16日 (火)

明治8年の『大日本国郡便覧』(3)

 一昨日、昨日の明治8年『大日本国郡便覧』の続きです。
 今日は武蔵国。この本は畿内・七道別に旧国が排列されていますが、首都は東京ですので、筆頭は武蔵国です。
M08kokugun13
 前回の琉球国(琉球藩)を含む諸国の多くは、見開きに国の地図とデータとがまとめられていますが、武蔵国の場合はデータ量が多いので、地図とデータとは別の見開きに収められています。

 東京府附近のアップです。
M08kokugun14
 ピンクの部分が東京府で、今の東京23区よりも狭いです。
 茶色い部分は神奈川県の一部です。
 神奈川県の大部分は相模国ですが、横浜市や川崎市は武蔵国です。
 川の名は、東京と神奈川の境界を流れる川は多摩川ではなく六郷川となっています。隅田川は角田川です。

 次の見開きは武蔵国のデータです。
M08kokugun15

 字が細かいのでアップにします。
 まず前半。
M08kokugun16
 武蔵国は、このように東京府、神奈川県、埼玉県、熊谷県となります。
 武蔵国の地図で、ピンクが東京府、茶色が神奈川県、緑色が埼玉県、黄色が熊谷県です。
 人口は194万余ですね。現在の東京都、横浜市、さいたま市の地域を含んでこの数ですから、当時は今ほど首都圏に人口集中が進んでいなかったことが分かります。

 後半。
M08kokugun17

2024年4月15日 (月)

明治8年の『大日本国郡便覧』(2)

 昨日の「明治8年の『大日本国郡便覧』」の続きです。
 昨日見た総論部分には、当時の日本の地方行政単位は3府1藩60県とあり、この1藩というのが何であるのか不明と書きましたが、早速判明しました。
 Twitter(現X)でご覧くださった「わこにょ」さんから、これは琉球藩であろうとのご教示をいただきました。
 早速この本を見たところ、まさに琉球藩でした。わこにょさんには厚く御礼申し上げます。

 琉球は、版籍奉還や廃藩置県のずっと後の明治12年まで琉球藩だったのでした。

 琉球のページを載せます。
M08kokugun08
 このように、各国の部分は地図を載せ、その余白にその国のデータが記載されています。
 琉球は島が多いので、南西端が折りたたみで張り出されています。

 データ部分の前半です。
M08kokugun09
 確かに「琉球藩」とあります。
 藩庁の所在地は中山の那覇ですね。
 そして、戸数と人口が載っています。

 それに続く後半です。
M08kokugun10
 産物は、芭蕉布、黒砂糖、泡盛酒という現在でもお馴染みのものを筆頭に、たくさんの品名が列挙されています。

 沖縄本島とその周辺。
M08kokugun11

 南西端の張出部分。
M08kokugun12
 島名は今と変わりませんが、西表島の表記が「入表島」となっています。
 太陽は西に沈むので、西のことをイリと言うのですね。

2024年4月14日 (日)

明治8年の『大日本国郡便覧』

 明治8年の『大日本国郡便覧』を入手しました。
M08kokugun01
 帙に入っていたのですが、その画像は省略します。
 折本です。

 最初のページ。
M08kokugun02

 奥付。
M08kokugun03

 巻頭のページには、「明治八年六月新雕……発兌」とありますが、奥付では「官許明治八年第二月」の日付が入っています。
 官許を得てから、実際に刊行するまで、4ヶ月のタイムラグがあったということになりましょう。
 奥付の「第二月」という表記に興味を持ちました。明治8年頃、こういう表記もあったのでしょうかね。
 発行者は東京の2軒の書店ですね。
 奥付の左ページには、京、大坂、東京の書店が並んでいます。
 その最後に「吉川半七」とあるのは、今の吉川弘文館ですね。

 巻頭の次のページは世界全図です。
M08kokugun04
 この本は、『大日本国郡便覧』という書名の様に、日本の旧国別に、それぞれの国の地図と諸データを記した本なのですが、巻頭にはこのように世界地図が載っています。

 北米をアップにします。
M08kokugun05
 「北亜米利加」という大陸名は漢字ですが、その他の地名はカタカナです。
 ニューヨークは「ニウヨルク」とあります。こういう相違はおもしろいです。

 その次のページは日本全図です。
M08kokugun06
 北は樺太、千島列島から、南は琉球までを収めます。
 色分けは五畿七道別です。

 右上に日本全体の諸データが載っています。それをアップで載せます。
M08kokugun07
 項目は、国数、郡数、学区、府・藩・県、鎮台、開港場、戸数、人員、社数、寺数です。
 3府60県の他に藩が1つあります。府は東京、京、大阪ですが、藩は何でしょうね。調べます。
 軍隊は鎮台の下に大隊ですね。まだ師団はありません。
 人口は3311万825人です。
 国勢調査などない時代ですから、人別帳などを集計したのでしょうかね。

 あれこれおもしろいです。
 肝腎な旧国別の地図やデータは、また後日。

2024年3月 7日 (木)

吉田屋の「奈良史蹟案内」

 奈良市の旅館吉田屋の「奈良史蹟案内」を入手しました。
Narayoshidaya01

 1枚物で表裏に印刷されています。
 表紙の人物は誰でしょうね?
 立っている場所が海岸のようですけど、奈良には海はないし、猿沢池とも思えないし。
 満月が照らしていますね。月の下には山が3つ並んでいます。唐の阿倍仲麻呂かもしれませんね。

 鉄道路線図が載っています。
Narayoshidaya02
 ちょっと薄いです。

 そして奈良市の地図です。
Narayoshidaya03

 駅から吉田屋までの部分を拡大します。
Narayoshidaya04
 省線奈良駅からと、大軌電車乗り場から吉田屋旅館までの道筋が太い赤線で示されています。
 吉田屋旅館の場所は猿沢池の東ですね。

 この旅館は今もあります。
Narayoshidaya08

 東大寺付近の拡大図。
Narayoshidaya05

 裏面はモノクロで、名所案内になっています。
Narayoshidaya06

 冒頭に総記があり、そのあと15ヶ所が取り上げられています。
Narayoshidaya07

 この旅館に泊まったお客さんに差し上げたパンフレットなのでしょうね。
 いつのものか分かりませんが、名所案内の冒頭に、「皇祖神武帝は二千六百年前此の地に入り給ひ」とあります。
 紀元二千六百年は昭和15年(1940)ですから、このパンフレットはその前後のものと思われます。
 また、上に載せた駅から吉田屋旅館までの道程の地図で、三条通に面して郵便局と警察署があり、警察署の方が東側なので、昭和13年以前と推定されます。

 ただ、東大寺付近の地図で下中央に「物産陳列場」があります。
 この施設は、明治35年に「奈良県物産陳列所」として開業し、大正10年に「奈良県商品陳列所」と改称し、昭和9年には「奈良県商工館」と改称されていますので、年代が合いません。この施設は名称が変わっても、長く「物産陳列場」の名で親しまれていたのでしょうかね。

2024年1月24日 (水)

明治3年の『道中細見 定宿帳』(4)

 また明治3年の『道中細見 定宿帳』の続きです。

 この本は『道中細見 定宿帳』というタイトルにもありますように、大部分は街道別の宿場毎の宿屋案内ですが、巻末に、東京、京都、大阪の三都それぞれの名所・名物の案内が載っています。

 まず、「東京名所独案内」が4ページに亙ってあります。
M03joyado18
 トップは「日本橋 魚市場」です。以下、「神田明神 妻恋稲荷」「聖堂 湯島天神」「不忍池弁財天 東叡山」と続きます。
 江戸の中心部になりましょうか。

 次のページ。
M03joyado19
 2番目に「泉岳寺義士ノ墓 大仏」があります。泉岳寺は欠かせません。境内に大仏があったのでしょうか。あるいは附近に。
 9番目に「亀井ノ天神 柳嶋妙見」とあります。今の亀戸天神のことに違いありませんが、亀戸ではなく亀井とあります。

 その次のページ。
M03joyado20
 左から4つ目に「音羽護国寺 目白不動」があります。しばらく前の「ブラタモリ」の「目白」の回を思い出します。あの時には護国寺は登場しませんでした。
 その1つ右には「堀之内祖師 雑司ヶ谷鬼子母神」があります。これも目白の近くですね。

 その次のページ。
M03joyado21
 ここには、目黒不動、祐天寺、池上本門寺、新田大明神などが並んでいます。
 大きな目で見れば、これらはうちのご近所です。←ご近所というには、結構離れていますけど。(^_^)
 そして、ページの左側には猿若町の各丁目の芝居茶屋が3軒並んでいます。

 東京の名所案内はここまでです。
 まだ明治も3年。明治以降の新名所ではなくて、江戸以来の名所という感じです。
 どれも江戸名所図会に載っていそうです。江戸名所図会を見たくなりました。

 その次のページは東京名物です。
M03joyado22
 あまり載っていません。
 浅草海苔、合羽田葉粉(たばこ)入、村田張きせる、紫染物るい、下段には東錦絵、同うちわ、でしょうか。

より以前の記事一覧

2024年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

ウェブページ