地図・航空写真

2024年4月18日 (木)

明治8年の『大日本国郡便覧』(4)

 毎日続いている明治8年『大日本国郡便覧』の第4弾です。
 「藩」が琉球藩であることを教えてくださったわこにょさんと、ブログにコメントをくださった萩さんとに敬意を表して、わこにょさんゆかりの近江国と、萩さんゆかりの三河国とを取り上げます。

 まず近江国です。
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 地図は西が上になっています。なんか落ち着かないので、90度左に回転させます。
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 データの一部。
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 神社は、日吉神社のみが上がっています。
 著名な神社、まだあったかもしれませんが。
 産物の中に伊吹もぐさが入っています。

 もう1ヶ所。
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 名山・大山には著名なものが並んでいますね。
 姉川の次に妹川というのが並んでいます。
 姉川は、姉川の合戦で有名ですが、妹川というのは初めて見ました。
 妹川に対しての姉川なのでしょうかね?

 続いて三河国。
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 地図をアップにします。
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 中央の左下に岡崎の文字が見えます。

 データの一部。
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 産物の中に、わざわざ佐久島の地名を挙げて海鼠腸が上がっています。産地として著名だったのでしょうかね。

 もう1ヶ所。
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 こちらにも名山大山が並んでいて、やはり著名なものが多いです。
 三河の語源については、今は異説があるようですね。

2024年4月16日 (火)

明治8年の『大日本国郡便覧』(3)

 一昨日、昨日の明治8年『大日本国郡便覧』の続きです。
 今日は武蔵国。この本は畿内・七道別に旧国が排列されていますが、首都は東京ですので、筆頭は武蔵国です。
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 前回の琉球国(琉球藩)を含む諸国の多くは、見開きに国の地図とデータとがまとめられていますが、武蔵国の場合はデータ量が多いので、地図とデータとは別の見開きに収められています。

 東京府附近のアップです。
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 ピンクの部分が東京府で、今の東京23区よりも狭いです。
 茶色い部分は神奈川県の一部です。
 神奈川県の大部分は相模国ですが、横浜市や川崎市は武蔵国です。
 川の名は、東京と神奈川の境界を流れる川は多摩川ではなく六郷川となっています。隅田川は角田川です。

 次の見開きは武蔵国のデータです。
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 字が細かいのでアップにします。
 まず前半。
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 武蔵国は、このように東京府、神奈川県、埼玉県、熊谷県となります。
 武蔵国の地図で、ピンクが東京府、茶色が神奈川県、緑色が埼玉県、黄色が熊谷県です。
 人口は194万余ですね。現在の東京都、横浜市、さいたま市の地域を含んでこの数ですから、当時は今ほど首都圏に人口集中が進んでいなかったことが分かります。

 後半。
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2024年4月15日 (月)

明治8年の『大日本国郡便覧』(2)

 昨日の「明治8年の『大日本国郡便覧』」の続きです。
 昨日見た総論部分には、当時の日本の地方行政単位は3府1藩60県とあり、この1藩というのが何であるのか不明と書きましたが、早速判明しました。
 Twitter(現X)でご覧くださった「わこにょ」さんから、これは琉球藩であろうとのご教示をいただきました。
 早速この本を見たところ、まさに琉球藩でした。わこにょさんには厚く御礼申し上げます。

 琉球は、版籍奉還や廃藩置県のずっと後の明治12年まで琉球藩だったのでした。

 琉球のページを載せます。
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 このように、各国の部分は地図を載せ、その余白にその国のデータが記載されています。
 琉球は島が多いので、南西端が折りたたみで張り出されています。

 データ部分の前半です。
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 確かに「琉球藩」とあります。
 藩庁の所在地は中山の那覇ですね。
 そして、戸数と人口が載っています。

 それに続く後半です。
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 産物は、芭蕉布、黒砂糖、泡盛酒という現在でもお馴染みのものを筆頭に、たくさんの品名が列挙されています。

 沖縄本島とその周辺。
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 南西端の張出部分。
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 島名は今と変わりませんが、西表島の表記が「入表島」となっています。
 太陽は西に沈むので、西のことをイリと言うのですね。

2024年4月14日 (日)

明治8年の『大日本国郡便覧』

 明治8年の『大日本国郡便覧』を入手しました。
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 帙に入っていたのですが、その画像は省略します。
 折本です。

 最初のページ。
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 奥付。
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 巻頭のページには、「明治八年六月新雕……発兌」とありますが、奥付では「官許明治八年第二月」の日付が入っています。
 官許を得てから、実際に刊行するまで、4ヶ月のタイムラグがあったということになりましょう。
 奥付の「第二月」という表記に興味を持ちました。明治8年頃、こういう表記もあったのでしょうかね。
 発行者は東京の2軒の書店ですね。
 奥付の左ページには、京、大坂、東京の書店が並んでいます。
 その最後に「吉川半七」とあるのは、今の吉川弘文館ですね。

 巻頭の次のページは世界全図です。
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 この本は、『大日本国郡便覧』という書名の様に、日本の旧国別に、それぞれの国の地図と諸データを記した本なのですが、巻頭にはこのように世界地図が載っています。

 北米をアップにします。
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 「北亜米利加」という大陸名は漢字ですが、その他の地名はカタカナです。
 ニューヨークは「ニウヨルク」とあります。こういう相違はおもしろいです。

 その次のページは日本全図です。
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 北は樺太、千島列島から、南は琉球までを収めます。
 色分けは五畿七道別です。

 右上に日本全体の諸データが載っています。それをアップで載せます。
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 項目は、国数、郡数、学区、府・藩・県、鎮台、開港場、戸数、人員、社数、寺数です。
 3府60県の他に藩が1つあります。府は東京、京、大阪ですが、藩は何でしょうね。調べます。
 軍隊は鎮台の下に大隊ですね。まだ師団はありません。
 人口は3311万825人です。
 国勢調査などない時代ですから、人別帳などを集計したのでしょうかね。

 あれこれおもしろいです。
 肝腎な旧国別の地図やデータは、また後日。

2024年3月 7日 (木)

吉田屋の「奈良史蹟案内」

 奈良市の旅館吉田屋の「奈良史蹟案内」を入手しました。
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 1枚物で表裏に印刷されています。
 表紙の人物は誰でしょうね?
 立っている場所が海岸のようですけど、奈良には海はないし、猿沢池とも思えないし。
 満月が照らしていますね。月の下には山が3つ並んでいます。唐の阿倍仲麻呂かもしれませんね。

 鉄道路線図が載っています。
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 ちょっと薄いです。

 そして奈良市の地図です。
Narayoshidaya03

 駅から吉田屋までの部分を拡大します。
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 省線奈良駅からと、大軌電車乗り場から吉田屋旅館までの道筋が太い赤線で示されています。
 吉田屋旅館の場所は猿沢池の東ですね。

 この旅館は今もあります。
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 東大寺付近の拡大図。
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 裏面はモノクロで、名所案内になっています。
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 冒頭に総記があり、そのあと15ヶ所が取り上げられています。
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 この旅館に泊まったお客さんに差し上げたパンフレットなのでしょうね。
 いつのものか分かりませんが、名所案内の冒頭に、「皇祖神武帝は二千六百年前此の地に入り給ひ」とあります。
 紀元二千六百年は昭和15年(1940)ですから、このパンフレットはその前後のものと思われます。
 また、上に載せた駅から吉田屋旅館までの道程の地図で、三条通に面して郵便局と警察署があり、警察署の方が東側なので、昭和13年以前と推定されます。

 ただ、東大寺付近の地図で下中央に「物産陳列場」があります。
 この施設は、明治35年に「奈良県物産陳列所」として開業し、大正10年に「奈良県商品陳列所」と改称し、昭和9年には「奈良県商工館」と改称されていますので、年代が合いません。この施設は名称が変わっても、長く「物産陳列場」の名で親しまれていたのでしょうかね。

2024年1月24日 (水)

明治3年の『道中細見 定宿帳』(4)

 また明治3年の『道中細見 定宿帳』の続きです。

 この本は『道中細見 定宿帳』というタイトルにもありますように、大部分は街道別の宿場毎の宿屋案内ですが、巻末に、東京、京都、大阪の三都それぞれの名所・名物の案内が載っています。

 まず、「東京名所独案内」が4ページに亙ってあります。
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 トップは「日本橋 魚市場」です。以下、「神田明神 妻恋稲荷」「聖堂 湯島天神」「不忍池弁財天 東叡山」と続きます。
 江戸の中心部になりましょうか。

 次のページ。
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 2番目に「泉岳寺義士ノ墓 大仏」があります。泉岳寺は欠かせません。境内に大仏があったのでしょうか。あるいは附近に。
 9番目に「亀井ノ天神 柳嶋妙見」とあります。今の亀戸天神のことに違いありませんが、亀戸ではなく亀井とあります。

 その次のページ。
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 左から4つ目に「音羽護国寺 目白不動」があります。しばらく前の「ブラタモリ」の「目白」の回を思い出します。あの時には護国寺は登場しませんでした。
 その1つ右には「堀之内祖師 雑司ヶ谷鬼子母神」があります。これも目白の近くですね。

 その次のページ。
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 ここには、目黒不動、祐天寺、池上本門寺、新田大明神などが並んでいます。
 大きな目で見れば、これらはうちのご近所です。←ご近所というには、結構離れていますけど。(^_^)
 そして、ページの左側には猿若町の各丁目の芝居茶屋が3軒並んでいます。

 東京の名所案内はここまでです。
 まだ明治も3年。明治以降の新名所ではなくて、江戸以来の名所という感じです。
 どれも江戸名所図会に載っていそうです。江戸名所図会を見たくなりました。

 その次のページは東京名物です。
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 あまり載っていません。
 浅草海苔、合羽田葉粉(たばこ)入、村田張きせる、紫染物るい、下段には東錦絵、同うちわ、でしょうか。

2024年1月22日 (月)

明治3年の『道中細見 定宿帳』(3)

 昨日の続きです。東海道を東に進んでいます。

 藤枝から静岡まで。
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 鞠子の左上に「名物 と ろ汁」とあります。文字はよく読めませんが、「とろろ汁」でしょう。
 そのすぐ脇に安倍川が流れています。川の東には「名物あべ川もち」とあります。

 蒲原から原。
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 ノドのすぐ脇に富士山が大きく描かれています。あえて見開きに亙るように配置したのでしょう。

 沼津から箱根まで。
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 箱根の山が左半分を占めています。
 もう明治3年になっていますが、箱根には「御関所」が描かれています。

 箱根の続きから平塚まで。
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 右半分弱が箱根の山ですね。東海道一の難所です。
 小田原・大礒の海にはたくさんの船が浮かんでいます。帆船ですね。
 岡崎城や浜松城は描かれていたのに、何故か小田原城が描かれていません。

 東京にゴールです。
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 江戸城が大きく描かれています。江戸城の入口付近に日本橋が描かれています。
 上には、高輪、大木戸、田町、芝はしなど江戸の町名等が並んでいます。

明治3年の『道中細見 定宿帳』(2)

 先日載せた明治3年『道中細見 定宿帳』の続きです。

 宇治橋から京。
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 右上隅に宇治橋。伏見を過ぎると、東福寺、三十三間堂があります。
 左下には、東寺、東西の本願寺、六角堂など。

 次のページには京の繁華が描かれています。
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 右上には、泉涌寺、清水、八坂、祇園、丸山。
 下、中央やや左には、南禅寺、永観堂、若王子。
 左は大津です。

 だいぶ飛ばして尾張・三河付近。
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 右上に鳴海があります。その脇には「桶狭間 今川よし元之墓」。
 左側、矢矧橋を渡ると岡崎です。

 浜名湖の付近。
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 新居の関所が描かれています。
 そして、浜松の右には浜名湖の歴史が書かれていますが、それによれば、上古は陸地だったものが、明応年中の大地震によって湖になったとあります。
 しかし、実際には、上古から湖だったものが、明応7年の大地震によって陸地の一部が決壊して汽水湖になったのだと思います。
 伝承の誤りのようです。

 遠江から駿河へ。
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 日坂の脇には、「名物 わらびもち」とあります。有名だったのでしょう。
 左側には、遠江と駿河との堺として、大井川。蓮台で人を渡しています。

 絵があると楽しいです。

2024年1月18日 (木)

明治3年の『道中細見 定宿帳』

 このような本を入手しました。
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 題簽には『道中細見 定宿帳』とあります。全部で140丁の大冊です。
 内容は諸国の宿場毎の宿の一覧です。宿の一覧といっても浪花講と提携している宿なのだと思います。
 ほぼ全国をカバーしています。

 奥付にはこうあります。
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 明治3年の刊行で、書肆は大阪の版元ですね。

 それ故か、巻頭には大阪の絵図が5ページに亙って載っています。
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 住吉から、天保山、阿部野、合邦辻まで。

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 茶臼山から、天王寺、味原池まで。
 大阪の陣で真田幸村最期の地とされる安居天神も描かれています。

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 高津から道頓堀、四つ橋まで。

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 玉造から安治川まで。途中に大阪城が見えます。

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 右側1/3ほどで大阪の絵図は終了です。
 左端には、上に平等院、下に山﨑、久世があります。この続きは東海道の絵図になっています。

2024年1月15日 (月)

月刊『地図中心』

 月刊雑誌『地図中心』のバックナンバーを買いました。
R06chizuchu594a
 2022年3月号です。
 地図好きにはたまらない名前の雑誌です。

 表紙裏。
R06chizuchu594b
 この雑誌の発行元の日本地図センターができてから50年経つのですね。
 この号も594号ですから、594÷12=49.5ということで、日本地図センター創立とほぼ同時の刊行開始なのでしょう。

 このページにこのようなコラムがあります。
R06chizuchu594c
 紙版と電子版とがあるのですね。
 そして、65歳以上にはシニア割があるそうです。
 これも珍しいと思います。
 私もギリギリこの恩恵にあずかれます。
 どうしますか。

 中身をご紹介してはまずいのですが、このような地図がありました。
R06chizuchu594d
 中央やや左下に三軒茶屋があります。そのあたりの地図です。
 下中央に「野沢村」という地名があります。
 昔、私が住んでいた地です。
 この中に、小さい文字で西丸と南丸という地名があります。小字でしょうか。
 この2つの地名の間に細い道があります。
 これが後の環状7号線になるのだと思います。

 あれこれ懐かしい地図です。

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