地図・航空写真

2018年5月13日 (日)

「玉村宿まち歩き」

 もとの勤務先がある玉村町には、日光例幣使道が通っています。
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 この道は、江戸時代に勅使が京都から日光東照宮まで奉幣のために毎年通った道です。途中までは中山道と同じで、倉賀野宿の先で中山道から分岐します。
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 この道沿いには古い建物も残っているので、それらを案内した「玉村宿まち歩き」が作られています。

 そこに載っている絵図の全体像です。
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 この図の下から3分の1位のところを東西に通っているのが日光例幣使道です。

 例幣使道の北、西の方には玉村八幡宮が鎮座しています。
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 上の地図のすぐ南の部分。
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 玉村宿は幕末の大火で多くの建物が焼けてしまいました。その中で和泉屋(井田酒造)はその時に焼け残った数少ない江戸期の建物だそうです。

 例幣使道の南には、みよし乃製菓舗、福嶋屋という2軒の菓子屋があります。
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 なぜか両店ともロールケーキが名物です。このうち福嶋屋さんは高崎駅構内にも出店していて、そこでぐんまちゃんのロールケーキも売っています。

 みよし乃製菓補の南には称念寺というお寺があり、その境内に「家鴨(あひる)塚」があります。

 嘉永3年(1850)9月、国定忠治が捕縛され、江戸に送られる道中、玉村宿に17日間留め置かれました。その時に、中風を患っていた忠治に同情した目明かしが、その治療のためにアヒルの生血を飲ませたそうです。「家鴨塚」は、そのアヒルの供養のために、安政5年(1859)に建立されたと伝えられます。

 玉村町もなかなか見どころがあります。

2018年5月 6日 (日)

昭和38年の「東京文化地図」

 昭和38年に発行された「東京文化地図」を入手しました。東京オリンピックの前年です。サイズは79cm×55cm程です。

 これを8つ折りにした外側が表紙になっています。こんな感じです。
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 これを折ったまま裏返した姿。
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 東京オリンピックの競技日程、過去のオリンピックの記念切手、オリンピックの歴代開催都市の地図という内容です。

 これを開くとこうなります(全体の4つ折り)。
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 東京の鉄道路線図で、オリンピック競技場の種目ごとのマークが入っています。小さくて見にくいですが、地下鉄は緑色の線で描かれています。今のように複雑ではありません。(^_^)

 一部拡大します。
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 まだ玉電が走っています。今は三軒茶屋駅から下高井戸駅までの世田谷線しか残っていませんが、三軒茶屋から駒沢を経由して二子玉川駅までが本線です。三軒茶屋駅から2つ目の上馬駅がわが家の最寄り駅でした。玉電が廃止されて地下化されたあとは、三軒茶屋の次は駒澤大学になってしまったのでした。中里、上馬、真中は廃止。(^_^;

 閑話休題。

 これをさらに2段階開いた内側が文化地図です。
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 細かすぎて分かりませんね。部分的に拡大します。

 神田神保町付近。
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 出版社がひしめいています。

 隅田川の西、日本橋の南。
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 北に馬喰宿跡。その南に末広亭、明治座、玄冶店跡。その西に魚河岸跡があります。南東には深川の芭蕉庵跡。

 隅田川の東、両国付近。
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 北西に伝馬町の牢屋跡、時の鐘。中央付近に鼠小僧の墓。その東には回向院と吉良邸跡があります。

 世田谷線沿線。
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 豪徳寺と松陰神社。世田谷代官屋敷跡もあります。そして、東宝撮影所。

 池上周辺。
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 洗足池や池上本門寺、大森貝塚。そしてなぜか巨大な学研。(^_^;

 とまあ、こんな感じの文化地図です。

 趣旨は以下のように書かれています。
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 奥付は以下の通りです。
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 発行者は出版取次店の東販ですね。それで、地図には出版社がたくさん描かれていたのです。画像でご紹介しなかった面には、「日本の出版社」(東京限定ですが、地区別に出版社名、住所、電話番号、出版内容、発行雑誌名が列挙されています)と「文化公共機関・名所旧蹟」のリストが掲載されています。

 出版社が元気いっぱいだった時代が偲ばれます。

 1つ不思議なのは、この地図はこういう袋に入っていたことです。
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 下の方に大盛堂書店とあります。最初にこの文字を見て、この地図は大盛堂書店が発行したのかと思いました。ところが奥付では東販となっています。

 どうなんでしょうね?

 定価が全く書かれていませんので、ひょっとしたらこの地図は非売品なのかもしれません。大型書店に東販から配布されて、それぞれの書店が自店の名前を印刷した袋に入れてお得意さんに配ったとか。そんなことを推測しました。

2018年5月 1日 (火)

大正4年の「奈良市全図」

 昨日に続き、今日は大正4年の「奈良市全図」です。
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 昨日の「奈良県管内図」と同じく大正4年のものですが、相次いで同年の地図が手に入ったわけではなく、昨日の「奈良県管内図」の裏面が今日の「奈良市全図」です。(^_^)

 現在のJR奈良駅から近鉄奈良駅のあたりまで。
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 興福寺付近。
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 先日ご披露した明治22年の絵図では、現在のメインストリートともいうべき登大路が描かれていませんでした。
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 それが、明治44年の地図では、登大路は描かれていますが、三条通りよりも細いです。
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 今回の大正4年の地図では、登大路は三条通りと同等かあるいは広く描かれています。

 東大寺付近。
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 春日大社付近。
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 公会堂は、今の奈良県新公会堂と同じ位置のようですね。「飼鹿場」とある場所は、今の万葉植物園の場所のように思われます。

2018年4月30日 (月)

大正4年の「奈良県管内全図」

 大正4年の「奈良県管内全図」を入手しました。
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 この地図で嬉しいのは、当時の郡界が示され、それぞれの郡が色分けされていることです。

 昔の郡界を示したものには、『国史大辞典』や『日本歴史地名大系』の地図などもありますけど、それらに比べてこの地図は大きいし、色分けしてあるし、地名も豊富だし、ということで、分かり易く有用です。

 ただ、大正時代の地図なので、江戸時代以前とは郡名も範囲も異なります。

 ざっと言えば、
  添下+平群=生駒
  広瀬+葛城下=北葛城
  葛城上+忍海=南葛城
  磯城上+磯城下+十市=磯城
となるようです。

 平城京付近。
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 平城京の中を、添上郡と生駒郡との間の境界線が通っていたのですね。

 現在、平城京の北辺付近にウワナベ・コナベ古墳というのがありますけど、その古墳名は大鍋・小鍋となっています。

 山辺道沿い。
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 櫟本や和邇下神社は添上郡、丹波市は山辺郡、柳本は磯城郡なのでした。

 飛鳥付近。
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 大和三山の中で、耳成山と香具山は磯城郡、畝傍山は高市郡ですね。あと、今井、雲梯、飛鳥、岡、檜前、真弓、高取なども高市郡。御所は南葛城郡です。

 飛鳥の東方。
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 三輪山、桜井、倉橋、初瀬、吉隠などは磯城郡、榛原は宇陀郡です。

 見ていて楽しいです。しかし、大和国は南方6割ほどが吉野郡ですね。

2018年4月 2日 (月)

明治40年の修学旅行地図

 明治40年の「修学旅行地図」を入手しました。範囲は「榛名山 伊香保 妙義山 浅間山 磯部」です。裏面は白紙です。
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 奥付は次のようになっています。
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 凡例は次の通りです。距離がkmではなく、里となっています。
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 地図上の地名等に赤い下線を引いたものがあり、それはこの地図の持ち主が引いたものか、あるいは凡例ともども、最初から印刷されていたものか判然としません。

 赤線が多いのは伊香保・榛名のあたりです。1年生の研修旅行でよく行った地ですので、親近感があります。
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 磯部温泉は、温泉ではなく鉱泉とあります。当時の湯温(水温)は摂氏10度台しかなかったようです。富岡製糸場は「製糸場」として載っています。
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 高崎市、前橋市は今よりもずっと狭い範囲です。町村合併を経て、今は両方とも広い面積を占めるようになりました。
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 なお、「市」はこの2市のみのようで、渋川、藤岡、安中、富岡など、みなまだ「町」です。

 上野三碑のあるあたりはこのようになっています。3碑とも全く記載されていません。当時はまだ関心が持たれていなかったのでしょう。
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 やはり同時代資料は見ていて楽しいです。

 なお、標題に「修学旅行地図」とあるからには、この地図は修学旅行に用いたものでしょうが、どう使ったのでしょうかね。行き先の大まかな位置が分かるくらいの役割しか果たせないように思いますけど。

2018年3月12日 (月)

「大軌・参急・関急電鉄沿線図」

 どこかに行かないと、どうしても手持ちの資料の紹介などが主になります。(^_^;

 このような鉄道路線図を手に入れました。現在の近鉄の前身にあたる会社です。
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 いつのものか、年代が書かれていないので分かりませんが、昭和10年代の後半と思われます。細かく見て行けば、手がかりがかなりありそうなのですが、怠けました。(^_^;

 先日話題にした小房の路線も載っています。
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 これを見ると、橿原神宮前駅の他に、橿原神宮駅もありますね。

 前に書いたように思いますが、大軌は天理駅ですが、省線は丹波市駅です。そして、天理駅から平端駅までは今と同じですが、その先が法隆寺駅まで続いています。この路線が残っていたら便利だと思います。
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 伊勢方面。
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 宇治山田から松阪方面への路線が、現在の路線の他に、その西側にもう1本あります。これは今まで知りませんでした。この地図の時点では同じ会社になっていますが、合併前は別の会社の路線だったようです。それでは競合してしまいますね。

 裏面は「車窓から」というタイトルで、沿線の名所案内になっています。
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 タイトルの脇の写真。
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 この時代は、和服の女性がまだまだ多かったのでしょうかね。特に旅行の折などのおしゃれ着として。

【画像追加】
 3月13日に頂いた三友亭主人さんのコメントに関して画像を1枚追加します。
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2018年3月 1日 (木)

「伊勢ヨリ大和七在所巡及高野山大坂西京迄一覧図」

 ネットオークションで明治時代の地図を入手しました。「伊勢ヨリ大和七在所巡及高野山大坂西京迄一覧図」という長い名前です。
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 右上に伊勢神宮があります。左上に近江の草津、その下に京都があります。下辺付近中央やや左に大坂、右下は高野山です。右辺中央付近に吉野、そこから左に飛鳥、さらに左に奈良が描かれています。

 版元は奈良町の河村音松さん。先日ご紹介した「奈良名所細見図」と同じ発行者です。
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 奈良・京都付近の拡大図。
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 画面右端付近中央やや下に「西の京」があり、画面左端中央に「西京」があります。「西京」には東西本願寺と五条大橋が描かれています。京都のことを「西京」と書いているのは「東京」に対してのもので、「さいきょう」と読んだのでしょう。

 「西の京」の左隣には「しよだい寺」とあります。唐招提寺のことですが、これまで当ブログでいくつがご紹介した絵図や道中記などでも「せうだい寺」や「正大寺」などと記されることが常で唐招提寺と記したものは見当たりませんでした。いつごろから唐招提寺が普通の呼び名になったのか関心があります。

 飛鳥付近の拡大図。
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 奈良から南下した道は丹波市や柳本を経て、大神神社で東へ折れて、長谷を経て伊勢に向かいます。

 一方、西の京から法隆寺、龍田を経て八木に至った道は、神武天皇陵、阿倍、飛鳥、橘寺、岡寺、多武峰を経て、吉野方面に行ってしまいます。

 大神神社と飛鳥とは近いのに、この地図上では接続していません。

 さて、ここでもまた、神武天皇陵、橘寺、岡寺という、以前ご披露した久米寺前の道標が思い出されました。

2018年2月19日 (月)

「奈良名所細見図」2

 ネットオークションで「奈良名所細見図」を入手しました。
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 左側欄外の刊記に依れば、明治22年8月に、奈良町在住の河村音松が印刷発行したものです。

 この絵図、以前何度かご紹介した、江戸時代刊の「ならめいしよゑづ」とよく似ています。
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 両者、絵図の範囲は全く同じですし、絵もよく似ていますが、「ゑづ」に比べると「細見図」は大分簡略になっています。

 ただ、今回の「細見図」は明治22年の発行ということで、内容に時代差があります。

 東大寺の西側、「ゑづ」は以下の通りです。
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 これに対し、同じ範囲が「細見図」では以下のようになっています。
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 「ゑづ」では塀の内側が丸ごと興福寺のようですが、「細見図」では、北の方に、奈良県(県庁)、郡役所、裁判所が並んでいます。お上に接収されてしまったのでしょうかね。また、「ゑづ」では立派な南大門の絵が描かれていますが、「細見図」では「ナンダイモンアト」になってしまっています。焼けたか壊れたかしたのでしょう。

 今回の記事のタイトルは「奈良名所細見図」2としました。なぜ2なのかというと、昨年の9月3日に「奈良名所細見図」というタイトルの記事を載せてしまったからです。こういう絵図です。
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 こちらは、カラーで立体的な絵図になっています。明治23年1月に刊行されたもので、発行人は同じく河村音松です。同じ発行人が、同じ「奈良名所細見図」という名称の絵図を半年足らずの差で刊行したことになります。

 紛らわしいことをしたと思いますが、あるいは河村音松は、「ゑづ」を簡略化しただけのような明治22年の細見図に飽き足らず、完全に面目を一新した新たな絵図を翌年発行し、旧細見図は絶版にしたとか、何かそういった事情があったのかもしれないと考えました。

 その明治23年版の細見図では、県庁・裁判所のあたりはこう描かれています。
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 さて、現在、奈良市内を通る道路の中で、メインストリートは登大路でしょうね。この道の北に裁判所、県庁、東大寺などが並び、南には近鉄奈良駅、興福寺、奈良国立博物館などが並んでいます。ところが、今ここで見て来た3枚の絵図のいずれにも登大路は描かれていません。特に、「ゑづ」や旧「細見図」では全体が大きく塀で囲まれていますしね。

 思えば、かつての二条大路は奈良女子大の南沿いの道、三条大路は猿沢池の北沿いの道のようですから、登大路は両大路の中間くらいに位置することになりましょうか。

 登大路は、大阪万博の折なども含めて、段々に拡幅されて今に至っているようですね。

 たまたま入手した1枚の絵図でしたが、3枚の絵図を比較することで、あれこれ見えてきました。地図は楽しい。(^_^)

2018年2月16日 (金)

「無筆重宝国尽案内」

 ネットオークションで『日本古絵図集成』を入手しました。
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 古絵図の複製がたくさん入っています。みなバラで、綴じてはありません。日光東照宮の絵図とか、善光寺の絵図とか、奈良名所絵図など、社寺や特定地域の絵図が多く、広域地図はほとんどありません。

 そんな中で、「無筆重宝国尽案内」という日本全図があります。
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 標題からいえば、文字を知らない人のための国名図ということになりましょうが、実際はどうなのでしょうね。遊びとしての判じ絵のような気がします。

 大和付近。
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 中央やや左は矢が的にあたっているので「や+まと」ですね。その右側は井戸と背中で「い+せ」。伊勢の右下は縞柄の布で「しま」。大和と伊勢との中間上方は井戸と蚊で「いが」。「か」の清濁は問わないようです。

 大和の左下は紀伊です。「紀伊」と書いても「き」と読んだと思われますが、絵では木と井戸とが描かれているので、「き+い」となりましょう。興味深いです。

 もう1枚、右上の越後から左下の美濃のあたり。
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 絵と乳と碁石で「え+ち+ご」。碁石の数は5(ご)です。(^_^) その左は絵とネズミで、「え+ちう」。ネズミの鳴き声を使っています。その左は蚊の群が2つで「か+が」。下の蚊の群には濁点が付いていて「が」であることを明示しています。その下の飛騨も「た」には濁点が付いていて濁音であることを明示しています。

 興味深いのはその右です。信濃であるべきところ。お雛様と野原ですね。これでは「しな+の」ではなくて「ひな+の」になってしまいます。これを書いた人は「ひ」と「し」の区別が付かない江戸っ子なのでしょうか?(^_^)

 楽しいです。

2017年12月16日 (土)

『信濃国宿駅略図』

 このようなものを入手しました。『信濃国宿駅略図』とあります。サイズは縦14.6cm、横7.1cmほどです。
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 12等分に折られています。広げるとこのようになります。上が東です。
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 左下隅にこのようにあります。
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 調べてみたら、各府藩県に駅逓掛が設置されたのは明治2年の7月ということですので、この地図が刊行されたのはそれ以降ということになります。

 上田、松代、善光寺付近。
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 軽井沢、小諸付近。
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 どちらの地図にも朱で、松代、中ノ条、塩尻、御影、岩村田、小諸などの文字があります。どうも、藩の名前、代官所の名前のようです。

 上の地図の左上には、軽井沢から碓氷峠を経て上州坂本宿に至る中山道が描かれています。この道を含め、他国への道は全部で7本あります。

 南東への道。
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 甲州長沢は山梨県高根町(清里付近)です。

 南への道。
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 三川津久村は愛知県設楽町津具(奥三河)です。

 南西への道。
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 美濃国落合宿は岐阜県中津川市落合です。

 北への道は3本。
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 越後国関川は新潟県妙高市関川です。
Shinanoshukueki10
 越後長沢は新潟県妙高市長沢です。
Shinanoshukueki11
 越後羽倉村は新潟県津南町上郷寺石羽倉です。

 地図を眺めるのは楽しいです。(^_^)

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