レトロ

2021年2月11日 (木)

昔の定期預金

 先日、群馬で暮らし始めた頃の出納帳をご披露しました。
 同じ頃の定期預金通帳が出てきました。
 こんなです。
Teikitsucho

 8万円+12万円+15万円=35万円という感じで、段階的に定期預金を増やしていっています。
 40年も昔ですが、貨幣価値は今とあまり違っていないと思いますので、35万円というのはささやかな額の定期預金です。
 目に付いたのは、預金金利です。年6.5%とか、6.0%です。7%なんていう時代もあったような気がします。
 今と2桁くらい違いますか。
 35万円で6%とすると、1年間の利子が2万1000円になります。計算違いかと思って、計算し直しました。
 そんな時代もあったね、という思いがします。

 定期預金がこの10倍の350万円あれば、1年間の利子は21万円ですねぇ。
 夢のような時代でした。

 預金通帳の画像をアップするなんて下品とも思いましたが、記載されている金額は上品なので、まあ良いかと思いました。(^_^)

2021年2月 2日 (火)

壬申の乱ゲーム

 昭和50年代だったでしょうか、戦争のボードゲームが店頭に並んだ時期がありました。
 私は日本の合戦にしか興味がなく、関ヶ原や大坂夏の陣を買いました。
 関ヶ原は友達と遊び、夏の陣は一人で楽しみました。←1人でって……。(^_^;

 渋川の家の片づけで、こういうものが出てきました。
Jinshingame01
 奥付に依れば1984年4月発行です。昭和59年ですね。
 戦国時代は好きですが、想定外の壬申の乱は「おお!」でした。目が輝いたと思います。(^_^)

 ゲーム用の地図。
Jinshingame02

 倭付近のアップ。
Jinshingame03
 左下に吉野宮があります。あとは、倭京、箸陵、墨坂なども。
 菟田評家とあります。大宝以前なので、郡ではなくてちゃんと評になっています。

 大海人皇子の本営付近。
Jinshingame04
 こちらも不破評家になっています。
 右上には大きく国名の「三野」の文字があります。これも「美濃」ではなく古い表記ですね。
 他にも、「川内」「淡海」など古い表記がなされていて、大変結構です。(^_^)
 「伊世」という表記もありますが、これは「伊勢」で良かったかと思います。

 コマ。
Jinshingame05

 人物のコマのアップ。
Jinshingame06
 大海人皇子側が赤なのは、赤い旗を用いたという記述を踏まえているのでしょう。(^_^)
 人名の下の3つの数字は、左から順に、指揮能力・作戦能力・戦闘能力とのことです。

 大友皇子側に倭姫王がいます。指揮能力等は全て0ですが、倭姫王に率いられている部隊の士気は数値がプラスされます。
 大友皇子側で★マークが付いているのは、裏切る可能性のある人物で、サイコロの目次第で大海人側になるとのことです。

 この本には、壬申の乱の史実についての詳細な解説があります。
 万葉歌も引用されています。
 そういうマニアックな出来で、ゲームのルールもややこしく、せっかくの壬申の乱ゲームなのに、あまりやってみたいという気になれません。(^_^;

2021年1月30日 (土)

古新聞がいっぱい

 昨日の段階では、渋川の家の最後の秘境にある段ボール箱は14でした。
 ところが、今日、同じ押し入れから、新たに段ボール箱が4つ発掘されました。
 物陰に隠れていて、見えなかったんです。奥行きのある押し入れです。

 ということで、最後に残った段ボール箱は18ということになります。
 そのうち12個が開きました。
 中身の内訳は、学生のレポート3箱、仕分けを要する書類や手紙等が3箱、新聞紙が4箱、パソコン雑誌が2箱、です。

 いずれも平成4年以前のものです。

 学生のレポートはごく一部を除き、廃棄。新聞紙とパソコン雑誌も廃棄、というか資源ゴミですね。3箱だけ、要仕分けとなりました。
 未開梱は6箱。何が入っているやら、不安です。

 古新聞をなぜ4箱も引っ越し荷物にしたのか?
 たぶん、渋川に越す前に住んでいた玉村の教員住宅で出しそびれたのだと思います。
 当時、自治体や町内会などによる資源ゴミ回収が行われていたでしょうか?
 玉村はまだだったような気がします。あったとしても月に1回くらいでしょう。
 古新聞・古雑誌の回収は、トラックで巡回しているちり紙交換が主に担っていたと思います。
 昼間、勤めに行っていると出せません。
 それで、やむなく渋川に持ってきたのでしょう。それを押し入れに入れたまま、28年。(^_^;
 渋川でとっとと出せば良いのに。

 段ボール箱が何に隠れてたのかというと、市販のVHSです。時代劇を中心に結構買っていました。勿体ないけど、これも廃棄します。後にDVDで買った物も少なからずあります。

 一時期、レーザーディスクもありましたね。短命に終わりましたが。
 レーザーディスクも、時代劇を中心に結構持っています。これも廃棄です。
 LDは、大きくて重かったのがいけなかったのでしょうね。DVDが出たことで、存在価値がなくなってしまったのでしょう。カラオケ店では命脈を保っていたようですけど。

 栄枯盛衰です。

2021年1月20日 (水)

前回の東京五輪の記念切手

 私の1年前に定年退職された元同僚のT先生から寒中見舞いを頂きました。
1964kitte01
 たくさん切手が貼ってあります。
 裏には、「終活の第一歩、昔集めていた切手を貼ります。」とありました。
 集めていらしたのを処分されるのですね。

 このうち、一番上と一番下左が、前回の東京五輪の記念切手です。

 一番上。
1964kitte02
 紙幣や切手の画像を貼ったりしてはいけないのでしょうが、消印があるので良いかと思います。
 この切手、懐かしいです。やり投げのがというわけではなく、様々な種目の切手が発行され、私もそのうち何枚かを持っています。
 T先生は当時中学2年生だったと書いてありました。
 そうですね。私は中学1年生でした。
 切手集めをしているような年頃。(^_^)

 一番下。
1964kitte03
 この切手は知りませんでした。

 猿の親子の切手も良いです。

2021年1月16日 (土)

ゴミ袋の置き場&古トイレ

 渋川の家に行く度に、ゴミ袋を7つとか9つとか出しています。
 それだけの数のゴミ袋をどこに保管しているのかというと、玄関です。
 ゴミ出しをする時に一番好都合なので。そして、お客さんも来ないし。
 しかし、玄関にゴミ袋を7つ8つ置くと、さすがに狭くて、出入りに不自由します。
 そこで、ゴミ袋がそれ以上たまると、トイレの前室(?)も活用しています。

 トイレのドアを開けると、この様になっています。
Oldtoilet

 ここが恰好のゴミ置き場になります。この奥のドアの先にトイレがあります。
 ナゾの空間ですが、「ああ」とすぐに納得された方もいらっしゃいましょう。
 ここにはかつて小便器があったのでしょう。画面右側にその痕跡があります。
 奥のドアの向こうにはくみ取り式の和式トイレがあったはずです。
 それを水洗の洋式トイレに改造した時に、小便器を撤去したものと思われます。
 小便器は、くみ取り式トイレと繋がっていますので、くみ取り式トイレを水洗に改造したら、小便器は孤立してしまいます。

 昔のトイレは、大小別室になっているのが多かったのではないでしょうか。
 私が子供の頃に住んでいた家も同様でした。
 昭和は遠く。

2020年12月30日 (水)

50年前の環状7号線

 このようなものが出てきました。
Kan7ehagaki01
 左下に世田谷区立旭小学校とあります。私の母校です。
 右上にある昭和三十九年十月というのは東京オリンピックが開催された時期です。

 ローカルな話題で済みません。
 旭小学校の校区に国道246号線(玉川通り)と環状7号線が通っています。
 東京オリンピックが開催されることに伴って、環状7号線が拡幅されました。
 道を渡るのに危険が伴いますので、歩道橋が作られました。それを記念した絵はがきが入っています。

 裏です。
Kan7ehagaki02
 なんか、児童の詩で歩道橋を絶賛しています。それを作ってくれた人も。

 ちょっと不思議な話です。
 確かにこの歩道橋を利用する児童もいますけど、歩道橋完成記念の絵はがきを小学校が作るというのも……。

 それはともかく、中身は絵はがきが2枚です。2枚とも上下に写真が並んでいて、写真は合計4枚になります。

 これは、上記の2本の幹線道路が交わる上馬交差点から撮影したものです。
Kan7ehagaki03
 手前から奥に伸びているのが環状7号線です。こんなに狭い道でした。
 道の両側が野沢銀座です。環7通りが商店街。
 手前を左右に通っているのが玉川通りです。東急玉川線(玉電)の線路が見えます。

 それがこうなりました。
Kan7ehagaki04
 環状7号線は玉川通りの下にもぐり、立体交差になりました。
 さらにこの数年後、玉川通りの上には首都高速3号線が架かることになります。
 まさに東京大改造です。
 画面左端に玉電が見えます。
 アップです。
Kan7ehagaki07

 これは、環状7号線をもう少し先に行ったあたりです。
Kan7ehagaki05
 道の左右に商店がびっしり並んでいます。
 中央の車は道の真ん中を走っていますね。

 この狭い道が大きく拡幅され、歩道橋が架かりました。
Kan7ehagaki06
 道幅が大分変わりました。今の環状7号線と同じ幅です。
 画面右端に「祝完成 野沢銀座商(店街)」と書いた懸垂幕が見えます。
 アップです。
Kan7ehagaki08
 渡り初めも行われたようですし、この歩道橋は大歓迎されたようです。珍しさもあったのでしょうね。

 この絵はがきは昭和39年10月に旭小学校の全児童に配布されたと書いてありますが、私はこの年の3月に卒業したので、対象外です。
 たぶん、妹がもらってきたのをもらい受けたのでしょう。脅し取ったとか、そういうことは、当時の力関係からいって考えにくいです。(^_^;

2020年12月 7日 (月)

池田秀一といえば「次郎物語」

 渋川の家の片づけ、じんわりと進んでいます。
 『グラフNHK』が出てきました。
 といいますか、古書店やネットオークションを使って、全冊コンプリートしましたので、うっかり漏らさないようにします。
 こういう表紙の号があります。
Graphnhk_s450501
 「次郎物語」の池田秀一です。昭和45年5月1日号。
 池田秀一というと、声優として活躍していますが、私にとっては子役時代の次郎です。

 この番組は、東京オリンピックの年から翌年まで2年間放送されました。
 NHKで火曜日の夜6時からの放送で、毎週楽しみに見ていました。

 お父さん役は久米明でした。
 勤務先で、久米明氏を講演にお招きしたことがあり、私が高崎駅までお迎えに行きました。
 高崎駅から大学まで、タクシーの中で「次郎物語」の話をしました。
 久米氏もあの番組のことは良く憶えていらっしゃいました。楽しかったです。

2020年11月23日 (月)

『ASAHIパソコン』終刊号

 『ASAHIパソコン』の創刊号が渋川の家で発掘されたことを2週間前に書きました。
Asapaso001a

 今週末の片づけで終刊号が発掘されました。
Asapaso399a
 2006年の3月15日、399号です。

 中心部のアップです。
Asapaso399b
 なかなかユニークな表紙と思います。

 『ASAHIパソコン』の表紙は大体こんな感じです。
Asapaso399c
 表紙は大体、当時人気か売り出し中のお姉さんで、時々お兄さんかおじさんでした。
 この号は今から15年前の宮崎あおいです。
 こういった表紙と比べると、やはり終刊号は異例です。

 終刊号の目次です。
Asapaso399d
 ・アサヒパソコン年代記
 ・アサヒパソコンからの遺言
 ・アサヒパソコンに送る言葉

 こういう3本の特集が組まれています。

 このうち、「アサヒパソコンからの遺言」の第1ページにはこのようにあります。
Asapaso399e

 項目だけ切り貼りします。
Asapaso399f
 これらが終刊の原因ということになりましょう。
 この雑誌を含めて、パソコン雑誌はインターネットの普及にも大いに貢献したはずなのに、そのインターネットの普及が終刊の原因の1つになったというのは何とも皮肉なことです。

 この雑誌、創刊号と終刊号だけ残して、他は処分します。ちょっと残念ですけど。

2020年11月15日 (日)

千円札は誰でしたっけ

 渋川の家の片づけ、地味に進行しています。

 封筒に入った千円札が出てきました。肖像は夏目漱石です。
 ここで、ハタと考えました。「あれ? これ今のだっけ? 昔のだっけ?」
 千円札というと、夏目漱石の他に、野口英世も思い浮かびます。
 今がどちらだか、分かりません。考えるほど分からなくなります。
 仕方なく財布を見たら、野口英世がどっさり入っていたので、今は野口英世だと分かりました。

 千円札って、毎日見ていますけど、肖像が誰だなんて意識しません。新旧両札とも色合いはよく似ていますしね。
 認知症になりかけているのでしょうか。それとも皆さまも一緒?

 若者は野口英世のしか見たことがないでしょうから、夏目漱石のを見たらすぐに分かるでしょうけど、両方を使ったことがある我々は。

 子供の頃、百円札は板垣退助、五百円札は岩倉具視でした。その時の千円札は? 聖徳太子かなぁ。
 すると、五千円札も一万円札も聖徳太子? 3種類とも同じというのもヘンです。一万円札は後発なので、一万円札が発行される時に、千円札の肖像は他の人に変わったとか? はて。

 夏目漱石の千円札、普通に使えますよね。新しい自販機だと撥ねられてしまいましょうか?
 郵便局か銀行の窓口で使うのが安心かもしれませんね。

2020年11月 9日 (月)

『ASAHIパソコン』創刊号

 東京に帰ってきました。もう存分にネットが使えます。(^_^)

 渋川の家の開かずの間からこのようなものが出てきました。
Asapaso001a
 毎号愛読していた『ASAHIパソコン』の創刊号です。
 2号も3号もあります。たぶん終刊号まで完揃いであるのではないかと思います。
 大昔のパソコン誌ですので、今、パソコンを使う上での価値はありませんが、パソコン発達史を知る上での資料にはなりそうです。さらに完揃いとなればまた別かとも思い、ネットの「日本の古本屋」で検索してみました。
 1件もヒットしませんでした。(^_^; 需要も供給もないのかもしれません。

 この創刊号は、1988年(昭和63年)の11月1日号です。月2回発行。次号11月15日号は11月1日発売とあります。
 とすると、創刊号は10月15日発売かと思います。

 私が初めてパソコンを買ったのは、この年の12月です。
 パソコンをまだ持っていないのに、この雑誌を買い始めたのですね。
 たぶん、パソコンを買うことは決めたけれども、使いこなせるかどうか自信がなかったので、予習のつもりで買い始めたのだと思います。
 初心者向けの雑誌なので、レベルはぴったりでした。

 裏表紙です。
Asapaso001b
 ゴツいノートパソコンです。
 ノートパソコンという名前ではなく、ラップトップと言っています。
 それをもじった「ラッコトップ」という名前を思い出しました。

 このような広告がありました。
Asapaso001c
 フロッピーディスクの5インチと3.5インチとを相互に変換する機械のようです。右側の記載を見ると、パソコンとワープロ専用機と、両方に使えるようです。
 説明文を切り貼りします。
Asapaso001d
 28万円という途方もない金額です。
 パソコン内蔵のFDDが5インチならば、3.5インチの外付けFDDを接続すれば良さそうですけど、もっと別の何かがあるのかもしれません。

 「ハードディスクで世界が変わる」という記事がありました。
 そこに載っているハードディスクの表の一部を示します。
Asapaso001e
 20MBで12万円くらいですね。今や、GBを越えて、TB単位で数万円でしょうか。隔世の感があります。

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