文学

2018年6月 6日 (水)

『かさじぞう』を買ってしまいました

 先日、「すっぽろパン」に関連して、朝倉山のオニさんから御教示頂いた『かさじぞう』に興味を持ちました。

 で、その『かさじぞう』を買ってしまいました。(^_^)
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 瀬田貞二 再話、赤羽末吉 画、福音館書店刊です。入手したのは2017年2月10日の第103刷です。よく売れていますね。絵本を買うのは何年ぶりか。(^_^;

 「すっぽりめし」のくだりは以下の通りです。
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 この本全体で注が付いている語はこれのみです。再話に用いた原話にあった語なのでしょうかね。興味深いです。

 心優しいおじいさんとおばあさん、幸せな年越しができて良かったです。(^_^)

2018年6月 1日 (金)

『日本文学全集の時代』

 つい先日、この本を読了しました。
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 『日本文学全集の時代-戦後出版文化史を読む』(田坂憲二著。慶應義塾大学出版会)です。とても面白く、また勉強にもなりました。

 裏表紙に書いてある章立てです。
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 帯にはこのように書いてあります。
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 この本のことはネットの「日本の古本屋メールマガジン」4月25日号で知りました。私は近現代の文学にはあまり関心が無く、普通ならばこうした書籍には反応しなかったと思いますが、著者の田坂先生が元同僚でよく存じ上げていることと、この本で取り上げられている全集の中に家にもあるものがあり、読んでみたくなりました。

 これだけ多くの、しかも異版が夥しくある日本文学全集を博捜され、それらを見事に体系立てて論じられた内容に圧倒される思いでした。それぞれの文学全集の特徴や意味合いがよく理解できました。正直言って、それぞれの全集名は似通っていてごちゃごちゃになってしまいましたけれども。(^_^;

 巻頭に16ページに及ぶカラー口絵があり、そこに本文で取り上げられている全集の表紙の画像が1ページに4点ずつ紹介されています。圧巻でこれも有意義なものと思いました。

 しかし、これだけ多くの日本文学全集が、並行して多くの出版社から刊行され続けていた時代というのは、文学にとっても出版文化にとっても、何とも幸せな時代だったものと思います。高度経済成長の時代であったにせよ、文学や書籍に関心のある人がたくさんいたのですね。

 現代のように、出版不況、書店の廃業、大型書店さえも閉店、文学部不要論が唱えられている状況とは隔世の感があります。

 あれこれ考えさせられるところの多い本でした。

2018年5月12日 (土)

「二十四の瞳」パンフレットと『暦』

 ネットオークションで買いました。
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 「二十四の瞳」のパンフレットかと思ったのですが、左下の方に「デジタルリマスター」と書いてありますので、封切り時のものではなく、後年のものです。全体の書体も新しいもののように思えます。DVDの付録のようなものかもしれません。

 ページの後半にこの作品の台本が転載されています。
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 この作品、童謡や唱歌が効果的に使われていた記憶があります。

 台本でも、脚注のような形式で音声が示されています。

 「二十四の瞳」は、他に、亀井光代主演の連続TVドラマを見た憶えがありました。

 ググってみたら、昭和42年の後半から43年の前半に掛けての放送でした。私が高校1年生の時です。当時は時代劇ばかり見ていたような気がしていましたが、そうでもなかったようです。(^_^) ただ、自分の意志で見たのか、母が見ていたので自然と見たのかは判然としません。毎回見たと思います。

 壺井栄といえば、たぶん中学生の頃、夏休み中に学校で行われた夏季講習の時に、壺井栄の『暦』を読みました。内容はもう忘れてしまいましたが、母親が子供たちにおやつの豆を1つかみずつ配ったとき、子供たちの間から数が多いの少ないのという声が出たので、数えさせたら数はピッタリ同じだった、という一節があったのを憶えています。

 この本、今でも持っています。
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 ここ十数年の間に買った本は、置き場所がないので、どこに置いたやら探すのが大変ですが、そういう大昔に買ったものはちゃんと本棚に収まっていますので、探さずとも出てきます。(^_^;
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 昭和39年の印刷でした。定価60円。(^_^)

 確認のために、当該箇所を探したら、豆を配った相手は自分の子供ではなくて、(たぶん住み込みの)小さなお弟子さん達へでした。

 先生がなぜこの作品を選んだのかは分かりません。今読み返してみれば、何か気づくことがあるかもしれませんが……。

 どうも雑々とした話になりました。

2018年4月26日 (木)

『日本書紀の誕生-編纂と受容の歴史-』

 このような本を買いました。版元は八木書店です。
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 八木書店は、新天理善本叢書で日本書紀乾元本の影印を刊行したり、熱田本の影印を刊行したりと、日本書紀関係の出版が相次いでいますね。日本書紀撰進1300年に向けてありがたいことです。

 この本のことは、しばらく前に八木書店からのダイレクトメールで知り、早速予約注文しました。予定通り刊行されて、昨日届いたという次第です。

 目次は以下の通りです。
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 続き。
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 興味のある項目が多いですが、特に、続きの1行目にある「4 木簡と日本書紀の用字」という市大樹氏の論文の存在が、この本を注文した大きな動機でした。この論文だけでなく、あれこれ読みたい論文もあります。じっくり読むことにします。

 ページをめくっていたら、「付録」の「3 日本書紀研究文献目録(抄)」の中に、全く思いがけず私の名前を見つけました。
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 日本書紀私記については1本も論文を書いたことがありませんでしたので、なぜ私のところにこの項目の執筆依頼が来たのか、いまだに分かりません。辞退も考えましたが、歴史大好き少年だった私にとって、国史大系というのは特別の存在でした。その書目解題に原稿を書かせて貰えるという夢のような話を無下に断りたくなく、引き受けてしまいました。

 もちろん、引き受けた理由は動機不純でも、全力を傾けて執筆しましたが、出来映えについては自信がありませんでした。

 本の刊行から16年半。今回、「講書の概要を知るのにはもっとも適した論文」との評価をいただき、なんとも嬉しくありがたいことでした。「概要を知るのには」とあるように、あまり深い内容ではないのですが、限られた枚数での解題ですので、これで良かったのではないかと、自分に甘く考えています。版元の吉川弘文館に対しても何とか責任を果たせた気がします。

 丁本に関して群馬県立女子大学の雑誌に書いた論文も「要読」との評価をいただき、ありがたく思っています。これも、他の文献については「必読」とあるものも多く、「要読」はそこまでは行っていないということになりますけど、「要読」でもう十二分です。(^_^)

 あの時のことを思い出すと、「解題」の原稿が制限字数に収まらなくなりそうになったので、内容の一部を切り離して学会誌に書き、その分「解題」の記述を簡略にしたのでした。学会誌を同じように使ったことが他にもありました。(^_^;

 あれこれ懐かしく思い出しました。

2018年4月 1日 (日)

石川先生の遺作

 今日は石川先生の告別式に参列してきました。

 昨日も今日も、会葬者には群馬県立女子大学国語国文学会の機関誌『国文学研究』の最新号(平成30年3月刊)に掲載された石川先生の論文「「霜おきまよふ床の月影」-定家詠の表現と風景-」の抜き刷りが配付されました。
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 石川先生が最後に執筆された論文と思われます。今日の学科長の弔辞によれば、石川先生はこの御論文を自分の遺書のつもりで書かれたそうです。歌1首を題材に50枚の論文が書けるということを学生たちに示したいというお気持ちがおありだったようです。

 その歌は、「ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月影」(新古今・秋下487。藤原定家)です。

 山鳥は、秋になると山の尾を隔てて雌雄が共寝をしないというのが和歌的イメージだそうです。百人一首の「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝ん」もそういわれるとよく納得できます。

 定家の歌については、上の句を実際の山鳥をうたったものと見るか、山鳥は譬喩であって、人間の恋をうたったものと見るか、両様の解釈があったそうです。しかし、この歌は恋の歌の部ではなく秋の部に収録されていることなどにより、今は、実際の山鳥をうたったものということで決着が付いているようです。

 問題は下の句で、
  1.山鳥の尾に霜が置き、床には月光が射しているとする、霜も月光も実景とする説と、
  2.山鳥の尾に霜が置いたのかと(人が)錯覚するように床に月光が射しているとする説と、

その両方があるそうです。

 石川先生は、その両説どちらにも賛同しかねるということで、「おきまよふ」の用例を博捜され、以下のような結論に到達されました。

 山鳥の尾に霜が降りようとしたところ、そこには既に霜が隙間なく置いていた(実際に置いていたのは霜ではなく、月光であったが、それが霜に見えた)ために、どこに降りたらよいのか、降りる場所を定めかねている霜の状態。

 霜を擬人化した解釈ですね。

 よく納得できるお考えと思いました。

 50枚にも及ぶ分量を使って縷々述べられた内容をこんなに短く、しかも私の言葉でかいつまんでまとめてしまいましたので、先生のお考えを正確に理解し伝えられているかどうか甚だ不安です。

 昨日も今日も、ご遺族を代表してご長男の石川遥至(はるゆき)氏からご挨拶がありました。2日間、別の内容で、どちらも心に響くお話しでした。

 その中に、石川先生は亡くなっても、自分の中に生きているというお言葉がありました。こんな風に言われたら、石川先生もさぞ嬉しく思っていらっしゃるのではないかと思います。

 人は死んでも、その人のことを思う人がいる限り、その人の心の中で生き続けているというのは確かにそうだと思います。それとともに、大野晋先生の告別式で、井上ひさし氏が弔辞の中で述べられた、「大野先生は亡くなっていない。『広辞苑』や『岩波古語辞典』や『角川必携国語辞典』を引く度に、大野先生の教えを受けることができるから」という言葉も思い出されました。

 石川先生も、この御論文や、昨日ブログでご紹介した「群馬県の歌枕」、そして、『式子内親王集・俊成卿女集・建礼門院右京大夫集・艶詞』(和歌文学大系23。明治書院)などの御著書や諸論文などを通して、これから先もそのお教えを受けることができます。それを、ありがたいことと思っています。

2018年3月31日 (土)

石川HP「群馬県の歌枕」

 石川先生のお通夜に行ってきました。学生や卒業生も来ていて、石川先生の人気の程が偲ばれました。

 たくさん並んでいた生花の中に、久保田淳先生からのものがありました。石川先生は久保田先生の愛弟子なのでした。久保田先生のお気持ちも察せられます。

 群馬県立女子大学HPの教員一覧から各教員のHP(もっていれば)に飛べます。石川先生はHPをお持ちでした。
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 この中に、以前はいくつかの項目があったのですが、今は「群馬県の歌枕」のみです。
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 そこには、様々な歌論書等から抽出した上野国の歌枕のリストと、伊香保、碓氷、波己曽山、荒船、多胡の入野、佐野の舟橋、赤城、伊奈良沼の解説とが載っています。この解説は、万葉集をはじめとして、中古、中世の歌集等から抽出した例歌を豊富に引用してなされたもので、とても有用です。「文は人なり」と言いますが、この解説を読んでいると、石川先生の講演を聴くような感じがします。

 さてこのHP、新年度になって、教員一覧が更新されたら、もうアクセスできなくなってしまいます。それは何とも勿体ないことです。そのことに気づき、石川先生のHPに行ってみました。URLを見ると、石川HPのデータは大学のサーバー上に置いてあるのではなく、外部サーバーでした。

 これならば、石川先生のお名前が教員一覧から消えても、データは残ります。

 URLは
http://y-ishi.parfe.jp/index.html
です。

2018年3月19日 (月)

『師範学校国文教科書』巻六

 ネットオークションで見つけて買いました。大正13年のものです。
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 当時、師範学校の国語の教科書にはどんな作品が載っていたのか、ということに興味を抱いて、手を出してしまいました。

 目次です。
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 続き。
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 内容は、評論やら小説やら、様々ですね。古典は中世のものが多いです。この本は巻六ですので、巻によって特定の時代の作品を集めているとか、そういった方針があるのかもしれません。1冊だけでは何とも、です。

 目次の最後にある「附録」が興味深かったです。

 「一 発音に関する問題」は以下の通りです。
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 当時は歴史的仮名遣いだったので、特に1、2などが問題になったのでしょう。現代では解決済みでしょうね。3は、現代においては、鼻濁音を使うべきところではそうすることが望ましい、と言われることもありますけど、強制はされていませんね。4は、現代ではあまり問題にされていないように思います。

 末尾に「訛音矯正」という語がありますね。訛音は矯正すべきものという前提があったことが推測されます。

 この教科書の奥付は以下の通りです。
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 「附録」が、初版の明治36年の時点からあったのか、あるいは、その後の訂正、修正のどこかの段階で付け加わったのかは分かりません。

 「二 文字に関する問題」や「四 単語に関する問題」もなかなか興味深いです。小出しにするわけではありませんが、また後日。

2018年3月 4日 (日)

『伊勢物語を読み解く』

 このような本を入手しました。
 山口佳紀先生の『伊勢物語を読み解く 表現分析に基づく新解釈の試み』(三省堂)です。
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 序章に次のようにあります。

 『伊勢物語』は注釈の歴史も古く、かなり深く読み込まれているように思われている。しかし、一段一段読み進めていくと、そこに記された表現の真意が誤解されてきたのではないかと思われる箇所が少なくない。そして、その箇所をどう解釈するかは、当該章段全体の趣旨に対する理解を左右する問題にもなっていることがある。
 ところで、その誤解の原因がどこから来るかと考えてみるに、言語表現そのものの分析が十分でないことに帰せられる場合が、かなり存するのである。本書では、日本語学の立場から、改めて『伊勢物語』の幾つかの章段を読み解き、新たな解釈を提示してみたい。

 目次は以下の通りです。

 序章   本書のはじめに
 第一章  第九段(東下り)
 第二章  第一〇段(たのむの雁)
 第三章  第一二段(盗人)
 第四章  第二二段(千夜を一夜に)
 第五章  第二三段(筒井筒)
 第六章  第二四段(梓弓)
 第七章  第二六段(もろこし船)
 第八章  第四九段(若草)
 第九章  第五〇段(鳥の子)
 第一〇章 第五一段(菊)
 第一一章 第六〇段(花橘)
 第一二章 第六二段(こけるから)
 第一三章 第六四段(玉すだれ)
 第一四章 第七五段(海松)
 第一五章 第八三段(小野)
 第一六章 第八五段(目離れせぬ雪)
 第一七章 第一一三段(短き心)
 第一八章 第一一四段(芹河行幸)

 国文学研究と国語学研究との間に距離が生じてしまったことでこういった問題が生じてきたのでしょうね。

 その点、上代文学の場合は、本文そのものが漢字だけで書かれているために、そもそもそれをどう訓むかという所からスタートするので、文学研究と語学研究との間の距離は小さいと思います。

 それが、平安時代以降の作品については、文学研究者の解釈が、語学研究者の目から見ると、間違っているとか、届いていない、ということになる場合がやはりあるのでしょうね。でも、伊勢物語という著名な作品についてもまだそういうことがあるのかと意外に思いました。

 学問の道は遠く険しいです。

 楽しみにじっくりと読むことにします。

2018年2月24日 (土)

難波津木簡の講演会に行ってきました

 先日ご紹介した「平安京出土「難波津」の歌の木簡と『古今和歌集』仮名序」の講演会に行ってきました。
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 会場は日本女子大学です。大学本体と目白通りを挟んだ向かい側の校舎で、角さんちの隣です。

 司会の田中大士先生。
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 会場校の文学部長高野晴代先生の挨拶。
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 犬飼隆先生。
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 犬飼先生のスクリーンから。
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 同じくもう1枚。
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 高田祐彦先生。
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 シンポジウム。
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 上に載せた犬飼先生のスクリーンのお話しもありましたが、中心は2015年に平安京跡で発見された難波津木簡の性格です。
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 画像が小さいので、拡大して3分割して示します。
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 犬飼先生の読みでは、1行目は「なにはつにさくやこのはなふゆこもりいまはゝるへと□くや□のはな」、2行目は「□く□□るまらとすかたそえてはへるつとい□」。

 犬飼先生のお考えは、1行目は木簡に多数見られる難波津の歌を書いたものであるが、2行目は散文であり、かつ「はべる」という語が見えるので、会話か手紙のように思われる。1行目が字の大きさや字間が一定しているのに対して、2行目は自由に書かれていて、両者は筆致が異なる。2行目は難波津の歌について批評や意見交換をしたものではないか。2行目の「まらと」は「まらうど(客人)」のことで、具体的には、難波津の歌を作ったとされる、百済から渡来した和邇を指すのではないか。木簡の上部が削られているのはインデックスのためで、この木簡は歌集を編纂するためのデータベースの1枚なのではないか。といったことでした。大変に刺激的なお説です。

 会場にいらしたお茶の水女子大学の浅田徹先生からは、この木簡の1行目と2行目とは必ずしも関連付けて考えなくても良いのではないか、という否定的なご意見も出され、これも興味深かったです。

 良い会に参加できました。

2018年1月 3日 (水)

『兼好法師』と『徒然草』

 暮に『兼好法師』(小川剛生氏著 中公新書)という本を買いました。
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 帯に、「今から五百年前、「吉田兼好」は捏造された」という惹句が書かれています。なかなか刺激的な文言ですが、読んでみると納得できます。
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 著者は国文学者ですが、中世史もかなりできる方とお見受けしました。それが遺憾なく発揮された著書と思います。面白かったです。

 大いに刺激されましたので、同じ著者の訳注になる『新版 徒然草』(角川ソフィア文庫)も買ってしまいました。著者名は「吉田兼好」ではなく「兼好法師」となっており、新書と整合します。(^_^)
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 『徒然草』を読むのは高校以来です。懐かしく思いつつ読み進めています。

 高名の木登り、堀池の僧正、仁和寺にある法師など、良く憶えている段もあれば、全く記憶のない段もあります。(^_^;

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