文学

2023年2月20日 (月)

朝ドラ「舞いあがれ!」に、俵万智さんが再び短歌を捧ぐ

 今日2つ目の書き込みです。

 俵万智さんが、金曜日の貴司くんに捧げた歌に続き、今日は舞ちゃんにも。
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 俵万智さん、本当に「舞いあがれ!」に心を寄せていらっしゃいます。
 2首目は五島の縁側での会話を踏まえていますね。
 熱心な視聴者です。

2023年2月18日 (土)

朝ドラ「舞いあがれ!」に俵万智さんが追和歌

 毎日、朝ドラ「舞いあがれ!」を楽しみに見ています。

 このドラマを俵万智さんが毎日ご覧になっていて、毎日のようにTwitterに書き込みをしていらっしゃいます。

 昨日は、幼なじみの舞ちゃん(福原遥)と貴司くん(赤楚衛二)が、お互いの思いを伝え合う感動回でした。

 昨日の朝、まだ番組が始まる前の6時7分という時刻に俵万智さんが貴司くんに捧げる歌をtweetしていました。
Tawaramaiagare

 1首目の歌は、かつて貴司くんが舞ちゃんを励ますためによんだ歌、
  「君が行く新たな道を照らすよう千億の星に頼んでおいた」
と、ドラマタイトル「舞いあがれ!」とを踏まえています。

 2首目の歌は、舞ちゃんが貴司くんに伝えた感想、
  「短歌にしたら、一瞬が永遠になるんやな」
を踏まえています。

 プロの歌人がテレビ番組に心打たれて、歌を作って公開するって、滅多にないことと思います。

 予告によれば、来週は2人の結婚式が執り行われるようです。
 いやぁ、いいですね。ハッピーエンドです。
 ……って、まだ1ヶ月あるんですけど、この先どうなるんでしょう。
 舞ちゃんはパイロットになるのか、はたまた別の道を見つけるのか、そういうことでしょうね。

2023年1月28日 (土)

言葉でめぐる加賀温泉郷&白兎海岸

 北陸新幹線には、私が毎月愛読している『トランヴェール』の他にJR西の『西NAVI』も置いてあります。
 昨日乗った新幹線の『西NAVI』の特集は「言葉でめぐる加賀温泉郷」でした。
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 「はて?」と思いましたが、最初は山代温泉です。
 記事を切り貼りします。
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 ということで、この地の寺院の住職だった明覚上人が現存最古の五十音図を作ったということです。
 そこで、「五十音図発祥の地」を売り物にして、「あいうえおの郷」を名乗っています。
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 加賀温泉郷は松尾芭蕉ゆかりの地ということで、芭蕉堂や芭蕉の像などがあるそうです。
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 また、木曽義仲が恩人の斎藤別当実盛の死を悼んだことに心を動かした与謝野晶子のことも取り上げられています。
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 向かって右端は巴でしょうか。

 この特集とは全く別に、因幡の白うさぎ関係の鳥取のことも記事になっていました。
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 今月の『西NAVI』はあちこち楽しく読みました。

2023年1月 6日 (金)

土屋文明氏の書簡

 土屋文明氏の書簡を入手しました。またまたネットオークションです。
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 宛先は三橋玉見氏です。
 どのような人か分からなかったので、ググってみました。
 三橋玉見は医師で、詩歌や書画、陶芸をたしなむ文化人でもあり、大原孫三郎に招かれる形で倉敷市に診療所を開業した、とのことです。

 冒頭。
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 候文です。

 末尾。
Bunmeishokan04

 封筒。
Bunmeishokan01
 消印の日付は、昭和6年8月1日のようです。
 しかし、住所が「岡山県倉敷市」で届いてしまうのですから、すごいです。
 著名人だったのでしょうね。

 私も玉村町に住んでいたときに、年賀はがきが「群馬県佐波郡玉村町」だけで届いたことがありましたが、あれは年賀状で、私あてのもそれなりにあったので、郵便局で仕分けをする人の記憶にたまたま残っていたのでしょう。通常であればとてもその住所で届いたとは思えません。

 さてこの書簡、自分で所持しようと思って落札したわけではありません。
 いろいろとお世話になった群馬県立土屋文明記念文学館に寄贈しようと思って落札しました。
 資料的価値はあまりないかもしれませんが、たまたま見つけた土屋文明氏の書簡ですので、然るべき場所で所蔵してもらえればと思います。

 とは言いながら、同じ目的でかつて入手した、澤瀉久孝氏から斎藤茂吉氏に宛てた書簡は行方不明になってしまいました。
 ま、行方不明といっても、居間のどこかにあることは間違いありません。いずれ発掘します。

2022年12月10日 (土)

『清少納言と枕草子』&久しぶりの渋川

 予約注文していた本が昨日届きました。
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 12月8日発行ですので、出たてのホヤホヤです。
 監修:川村裕子氏、イラスト:雛川まつり氏で、全40ページ。版元は、ほるぷ出版です。

 裏表紙。
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 文字の部分のアップ。
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 画像の紹介は表紙と裏表紙のみに留め、中身を載せることは控えますが、全ページ、カラーのイラストで、清少納言と枕草子の主な章段とを解説しています。
 その解説の中で、平安時代の文化についても解かれています。
 総ルビですので、中学生からOKと思います。
 絵本のような感じで、わかりやすく、親しみやすい本です。


 さて、話は変わりますが、今日は久しぶりに渋川の家に来ています。
 前回が9月末から10月頭に掛けてでしたので、2ヶ月半ぶりくらいになります。
 片づけ、なかなか進みません。
 頑張ります。

2022年9月20日 (火)

『はてしない物語』

 数日前、エンデの『はてしない物語』を初めて読む人は、岩波少年文庫ではなく、ぜひハードカバーでという記事をネットで読みました。
 その理由については、ネタバレになるということで書かれていませんでしたが、気になります。
 で、買ってしまいました。(^_^)
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 ハードカバーは一時的に版元品切れのようで、購入したのは古書ですが、状態は新本同様でした。

 結構ぶ厚いです。
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 表紙。
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 中を開くと、本文の文字色は緑とセピアでした。こういう本は初めてです。
 この色にも意味があるのでしょう。

 ページをパラパラとめくって、重大なことに気づきました。
 私、カタカナの人名、地名が苦手だったのです。
 頭に入りません。
 読めるかなぁ。(^_^;

 子供の頃は、『宝島』だの『十五少年漂流記』だの、何の抵抗もなく読めていたのですが、いつの間にこんなことになってしまったのか。
 日本の人名、地名は子供の頃からずっと問題ありません。
 頭が横ではなく、縦なのでしょう。

 いつものことながら、いつでも読めると思うと読まないんですよねぇ。
 ま、そのうち。

2022年9月12日 (月)

政子が実朝のために選んだ歌(補遺)

 9月4日のNHK大河「鎌倉殿の13人」に、政子が実朝のために抜き書きした和歌の束が登場しました。
 その一番上に載っていた紙に書かれた和歌について、「「鎌倉殿の13人」で、政子が実朝のために選んだ歌」、「政子が実朝のために選んだ歌(たぶん完結編)」の2つの文章を載せました。
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 今回はその続きです。
 前回、「たぶん完結編」と書きながら、続きというのもお恥ずかしいことです。(^_^;

 あの2つの文章を登録したあと、Twitterでご覧くださった静岡大学の小二田誠二さんから次のようなコメントを頂きました。小二田さんは母校の大学院の友人です。

 >つまり、実朝・義村死後に編纂された『拾遺風体和歌集』に入ることになる歌を
 >政子がどこからか入手したというか、私撰の歌集を作ってた、と言う設定?

 そういうことになってしまいますね。
 政子のセリフでは、頼朝が生前に入手していた歌集から実朝の好みそうな歌を選んで抜書した、とのことなので、そこは合いません。
 ただ拾遺風体和歌集を見ると、あの歌の少し前には和泉式部の歌、少しあとには西行の歌が収められていますので、歌集の成立年代は随分下るにしても、三浦義村の歌が収録されていてもおかしくはありません。
 他の歌は歌集から抜き出し、あの歌だけは、例外的に同時代の歌を書いて一番上に置いた、とでも考えなくてはなりません。
 ややご都合主義ではありますけど。(^_^;

 そういう返信をしました。

 そして、昨日の放送。
 昨日の回では、政子と対面した実朝が一番気に入った歌として、歌の束の2~3枚目の歌を選んでいました。その歌は父頼朝の歌ということでした。
 ということで、歌集の歌だけでなく、同時代の歌も収められていることになります。
 良かったです。(^_^)

 歌の内容が重要となった今、歌の作者については左程重要ではなくなりましたが、1枚目の紙に書かれた歌の作者「平義村」というのが三浦義村なのかどうか、気にはなります。
 そもそも、三浦義村は歌を作っていたのかどうか。

 これについて、吾妻鏡の次の記事が見つかりました。
 新訂増補国史大系本は所持してはいるのですが、渋川の家にあるので、国会図書館のデジタルコレクションから古典文庫本で引用します。

 >廿二日、戊午。将軍家、令逍遥火取沢辺給。是依覧草花秋興也。武蔵守・修理亮・出雲守・
 >三浦左衛門尉・結城左衛門尉・内藤右馬允等令供奉。皆携歌道之輩也。

 依拠史料に付いている返り点は省略し、句読点等も一部改めました。
 建暦三年(1213)九月二十二日条です。今の番組の時代から8~9年後に当たります。

 これによれば、実朝は火取沢(現在の横浜市磯子区)のあたりを逍遥し、草花を見て、秋の興趣に浸ったということです。
 武蔵守は北条時房(トキューサ)、修理亮は北条泰時、三浦左衛門尉は三浦義村です。
 そして、実朝に供奉したこれらの人々は「皆、歌道に携わる輩」だということです。

 この逍遥は、単なるレクリエーションではなく、同好の士を選んで供奉させての吟行だったのでしょう。
 ということで、三浦義村も和歌をたしなんでいたことが判明しました。

 面白い記事が見つかったものです。♪

2022年9月 7日 (水)

政子が実朝のために選んだ歌(たぶん完結編)

 先日の「鎌倉殿の13人」が終わった後、「「鎌倉殿の13人」で、政子が実朝のために選んだ歌」という記事を書きました。
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 政子が実朝のために書き抜いた和歌の束の、一番上に載っていた歌がチラと画面に映ったのを解読した結果、拾遺風体和歌集の385番歌

  山がつのかやふく軒のむら時雨おとせぬさへぞさびしかりける

らしいこと、この歌の作者は「平義村」であることが分かりました。「平義村」が三浦義村だとすれば、この歌を和歌の束の一番上に置いたことに、ドラマ制作者の遊びを思いました。
 そういう内容です。

 これをTwitterにも二重投稿しました。
 そうしたら、目から鱗のコメントを2つ頂きましたので、それをご紹介します。

 1つ目は「あかぎ」さんのコメントです。(https://twitter.com/akagi_y_jlr/status/1566927171284639744

>政子さま、実朝が幼い頃に雨が降るのをじっと見ていた的なことを言っていましたもんね。それでこの和歌なのかな。母の愛情を感じます。

 確かに、「山がつのかやふく軒のむら時雨おとせぬさへぞさびしかりける」という歌には雨と軒が詠まれています。
 そして、音がしないというのならば、雨音を聞いているのではなくて、雨を見ているのですね。
 政子の言葉とぴったり重なります。
 私、恥ずかしながら、「義村」に興奮してしまい、肝腎な歌の内容はそっちのけでした。深く反省しました。

 2つ目は「伊まり」さんのコメントです。(https://twitter.com/Imari_feliz/status/1567122311052148737

>もしかしたら尼御台のセリフは三谷さんがこの歌から逆算して書かれたのかもしれませんね。
>一見ドライに見える義村と瑞々しい実朝様の感受性は実は近しい。この後の歴史を思うと見るのが辛くなります。

 ドラマとしては、あかぎさんのコメントで十分に納得したのですが、1つだけ疑問が残りました。
 私は、尼御台のセリフが先にあったと考えていたので、三谷さん(orNHKスタッフ)はどうやってあの歌を探したのか、それが不思議でした。
 でも、歌が先と考えたらすんなりと解けます。

 お二方のコメントを大変にありがたく思います。

 しかし、三谷さん、なかなかくせ者ですねぇ。
 余程の奇人変人(私だ!)でなければ、チラと見えただけの和歌の正体の詮索なんかしないと思います。
 それにも関わらず、こんな仕掛けを仕込んだんですね。
 おもしろいです。

2022年9月 5日 (月)

「鎌倉殿の13人」で、政子が実朝のために選んだ歌

 「いなばの白うさぎ」に続いて、今夜2つ目の書き込みです。

 昨日の「鎌倉殿の13人」で、政子が実朝のために書き抜いた和歌の束がありました。
 あの中にはさぞかし万葉集の歌もあっただろうと思いました。

 実朝があの束を見たとき、一番上にあった紙の歌だけ辛うじて読めました。
Yamakatsuno01
 「山かつの かやふく軒の」と読めます。
 国歌大観で検索したところ、この2句で始まる歌はただ1首、
  山がつのかやふく軒のむら時雨おとせぬさへぞさびしかりける(拾遺風体和歌集385)
のみでした。

 歌全体が映っている画面でも、この歌で矛盾なさそうです。
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 アップです。
Yamakatsuno03


 作者は「平義村」!です。これ三浦義村ですかね。

 そして、拾遺風体和歌集は「冷泉為相の撰とみられ、嘉元二年(一三〇四)七月を下限とする頃の成立と収載歌人の官職表記から推定される。」とのことです。
 時代は同じ鎌倉時代ながら、100年ほども下ります。

 この歌の作者が三浦義村なら、ドラマの制作者は遊び心でこの歌を選んだのでしょうね。♪
 三谷幸喜の遊びか、NHKの演出者側の遊びかは分かりませんが。

2022年7月29日 (金)

「奥の細道」かるた

 「松尾芭蕉「奥の細道」かるた」を入手しました。
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 読み札と絵札はこのようになっています。
Okunohosocard02
 絵札は2句目からです。

 有名どころの句の絵札を並べてみます。
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 それぞれに味があって良いです。

 蓋の裏に奥付が貼ってありました。
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 残念ながら発行年月日は書かれていません。
 ただ、郵便番号が3桁なのが手がかりになります。
 郵便番号が導入されたのは昭和43年(1968)7月1日とのことです。
 郵便番号が7桁になったのは平成10年(1998)2月2日とのことですので、その間ということになります。30年もありますけど。(^_^;

 話は違いますが、郵便番号制が導入されたときは面倒臭かったです。
 特に、相手の郵便番号が分からないときは郵便番号簿で調べなくてはならないので。
 「ぽすたるガイド」なんて名前でした。

 話は戻って、このかるた、箱はだいぶくすんでいますけど、中身は極めてきれいです。
 未使用かもしれません。

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