民俗・宗教

2019年11月13日 (水)

高崎のえびす講市2019

 しばらく前から、高崎駅の東西通路に巨大な恵比寿様が鎮座しています。
Ebisuko2019a

 普段は上野三碑のレプリカが鎮座している場所ですけど、先日はハロウィーンの棚が鎮座していたり、高崎祭の時はだるまが鎮座していたりと、柔軟です。

 趣意書の高札。
Ebisuko2019b

 斜め前方から。
Ebisuko2019c
 巨大な鯛を抱えています。恵比須像のお馴染みの形ですね。
Ebisuko2019d
 鯛の口からは釣り糸が出ています。はっきりしませんが、釣針も見えているような。
 恵比寿さんに釣り上げられてしまったのですね。
 でも平然としています。さすが鯛。
 鯛は金魚の親玉のような感じがして親近感が持てます。
 実際には、金魚の親玉は鮒や鯉なのでしょうけど。(^_^)

 恵比寿様はもとは漁業の神様なのでしょうが、どこでどうしたか、商業の神様にもなったのですね。
 その正体も、ヒルコだの、事代主神だの、諸説あってはっきりしないようです。

 今年のえびす講は今度の土日ですので、それが終われば、この場所にはまた上野三碑が帰ってくることでしょうが、ひょっとしたら、季節柄クリスマスツリーが出現するかもしれません。

 

2019年10月15日 (火)

高崎駅に盆棚風ハロウィン

 高崎駅の中央通路にハロウィンの飾りが登場しています。
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 ここ、普段は上野三碑のレプリカが鎮座している場所です。
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 でも、高崎祭の時はだるまが鎮座していたり、折々変化します。
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 飾りのご本尊。
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 上からススキ風の飾りが下がっています。
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 なんか全体として盆棚を連想させます。どんな風に飾るのが一般的なのか、全く存じません。そもそも飾るのやらどうやら、それも知らないのですが。

2019年8月18日 (日)

文政5年の『懐宝 和漢年代記大全』(3)

 さらに昨日の続きです。
 『懐宝 和漢年代記大全』(以下『大全』)の裏面にはいろいろな情報が満載です。

 高僧の一覧がありました。
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 漢字に直してみましたが、知らない人物も多く、間違いがあるかもしれません。

  釈迦如来、達磨大師、聖徳太子、役行者、行基菩薩、良弁僧都、伝教大師(最澄)、
  守敏僧都、弘法大師(空海)、慈覚大師(円仁)、元三大師(良源)、恵信僧都、
  熊谷蓮生坊、道元禅師、円光大師(法然)、親鸞上人、一遍上人、日蓮上人、
  了誉上人、一休和尚、古幡随院、雄誉上人、慈眼大師(天海)、空也上人、
  智証大師(円珍)、証空上人、夢窓国師、隠元禅師、珂碩和尚、祐天僧正、了碩和尚

 変わり種は「熊谷蓮生坊」でしょうか。一ノ谷の合戦で平敦盛を討ったことがきっかけで出家した熊谷直実ですね。能や歌舞伎などを通して江戸時代には著名だったのでしょう。

 宗派の開祖など著名な僧は網羅されているように思えますが、道元があるのに、栄西がありません。
 珂碩和尚は名も知りませんでしたが、奥沢の九品仏浄真寺を創建した人物と知りました。家の近くというほど近くはありませんが、以前奥沢に住んでいましたので、親近感が湧きました。
 了碩和尚も全く知りませんでしたが、幡随院のお坊さんだそうです。

 現代人と江戸時代の人とでは、関心や知識が違いますね。

 『大全』が刊行された文政5年(1822)までの年数が記してありますので、これが人物特定の手がかりになると思ったのですが、史実に合致する者は少なく、ダメでした。
 聖徳太子は日本書紀の記述と丁度100年違いですので、単純なミスと思われます。1~2年の差のある人物もいますが、中途半端な差のある人物も多く、誤りの経緯がよく分かりません。

 もう1つ。文化人や武将の一覧もありました。
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 こちらも漢字に直してみました。

  大織冠鎌足、守屋大臣、柿本人丸、山部赤人、吉備大臣、中将姫、猿丸大夫、
  小野小町、在原業平、大友黒主、参議佐理卿、行成卿、菅丞相、小野道風、
  紫式部、清少納言、西行法師、田村将軍、六孫王経基、多田満仲、源三位頼政、
  平清盛、木曽義仲、源頼朝、源義経、最明寺時頼、楠正成、新田義貞、吉田兼好、
  武田信玄、上杉謙信

 万葉歌人は人麻呂と赤人だけでした。旅人、憶良、家持などはあまり関心を持たれていなかったのでしょうね。
 猿丸大夫が入っているのは百人一首の影響ですかね。

 こちらも、年代は史実と違っている人物の方が多いです。
 そもそも没年未詳の人物が何人かいますけど、それらの人物についても漏れなく年数が示されています。
 何か資料があったのか、あるいは「大体このあたり」ということで数字を入れたのかもしれません。

 紫式部は、『大全』の数字で計算すると990年没となります。現代では源氏物語の年代として1008年という年代が示され、2008年には源氏千年紀の催しなどがありましたが、それと食い違いますね。

 戦国武将では信玄と謙信が挙がっています。群雄割拠の時代、それ以外にも著名な武将がいましたが、江戸時代にはやはりこの2人が双璧ということになりましょうか。
 信玄の没年は『大全』が4年遅くなっています。信玄は死に際して「三年喪を秘せ」と言ったという伝承がありますけど、そういう事情で、実際よりも遅い没年が伝承されていたということもあったのでしょうかね。

 上の2つの一覧で、いずれの人物も没後文政5年までの年数が記されていますけど、あまり意味があるとは思えません。「○○年没」と書いてくれた方が分かり易かったと思います。大体、数年後にまた再版するような場合、また再版年を規準に年数を書き換えなければ(というより、版を彫り直さなければ)ならないので、大変に厄介と思います。

 ともあれ、この2つのリスト、江戸時代後期の人々の関心の在り処や、知識などを知る手掛かりになりそうで、興味深いです。

2019年8月16日 (金)

文政5年の『懐宝 和漢年代記大全』(1)

 このようなものを入手しました。
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 字が随分薄くなっていますが、『懐宝 和漢年代記大全』とあります。

 綴じてはありません。1枚紙を縦に22面に屏風状に折り、それをさらに横に2つ折りにしています。
 広げた大きさは、140cm×31.5cmほどです。
 用紙の和紙は厚手です。

 裏です。
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 「文政五壬年再刻」とあります。
 「浄書 田中正造」とありますが、著者名はありません。
 江戸の書肆の名が5軒挙がっています。

 広げるとこのようになります。
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 字が小さすぎてよく分かりませんね。(^_^;

 推古天皇12年(604)から文政10年(1827)までの1224年間の年表です。
 横は12段になっています。1段目が子年、2段目が丑年……というように、格段は同じ干支になるように作られています。

 冒頭部。
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 欄外に「隋」「唐」とあります。
 1年はさらに2段になっていて、上段(白い部分)は日本、下段(黄色い部分)は中国です。

 右上に推古十二があります。左に「日本式目のはじめ」とあるのは十七条憲法を指すものと思われます。
 下段の黄色い部分には「隋 文帝 仁寿四」とあります。

 なぜ推古12年から始まっているのかについては、この年が甲子でキリが良かったということがあると思います。
 もう1つ、歴史年表を見ると、この年は日本で初めて暦が使われた年とあります。
 ただ、日本書紀にはその記事はありません。政事要略に「儒伝云、以小治田朝十二年歳次甲子正月戊辰朔、始用暦日」(巻25)とあるのが典拠と思われます。この年がわが国における暦の初めであるなら、この年から年表が始まるのはよく理解できます。
 ただ、『和漢年代記大全』の編集者は政事要略を見ていたのでしょうかね。それが疑問です。

 和銅3年付近は次の通りです。
Wakannendaiki06
 和銅3年は右下隅です。「みやこをならにうつす」とあります。
 同年下段の中国の部には「睿宗 景雲」とあり、「中宗 皇后韋氏にころさる」とあります。

 こんな感じで、毎年、日本と中国の年号と、その年の主な出来事が記されています。
 南北朝時代には両朝の年号が併記されています。

 両面印刷で、裏面は次のようになっています。
Wakannendaiki04
 これまた細かいです。こちらについては後日(たぶん明日)改めて。

2019年3月26日 (火)

国保に加入&目黒馬頭観音碑

 2年前に定年退職したとき、公立学校共済の会員を任意継続しました。健康保険も継続です。
 でも、この資格は2年限りですので、このままではあと数日で無保険になってしまいます。
 そこで今日、国民健康保険に加入すべく、目黒区役所に行ってきました。

 新しい健康保険証は後日の郵送ではなく、15分ほどの待ち時間で、その場での交付でしたので、旧新の保険証は1日の切れ目もなく繋がり、無保険期間はゼロで済みます。(^_^) 無事に済んでほっとしました。

 帰り道、このようなものが目に入りました。
Megurobato01  
 解説板です。
Megurobato02
 祠のうしろに馬頭観音の碑がありました。逆光になってしまいました。
Megurobato03
 大正12年7月19日というと、関東大震災まで1ヶ月半もありませんね。この碑は無事に震災を免れたようです。

 馬頭観音といえば、去年の11月に訪れた洗足池のほとりにも、千束の馬医者や馬主が建てたという馬頭観音供養塔がありました。

 洗足池と目黒の馬頭観音碑とは直線距離で4.5kmほどです。

 この附近の西方には、駒沢、駒留、駒繋、上馬、下馬などの地名があります。馬がたくさん飼われていたのでしょうかね。

 この馬頭観音碑の向こうは公園になっていて桜が咲いていました。
Megurobato04
 画面右下に馬頭観音碑の一部が見えています。

2019年3月 3日 (日)

つるし雛

 いつものスーパーに行ったら、雛あられが目に入ったので、つい買ってしまいました。何年ぶりというか、何十年振りです。
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 イラストの顔は現代的ですね。お雛様の顔も世に連れ……。

 製造元は越後製菓です。高橋英樹さんの。(^_^)

 と、これだけではブログの記事にならないので、ひな祭り絡みのものが何かないかHDDの中を捜したら、このようなものが見つかりました。一昨年の『ぐんま広報』の題字脇のイラストです。
Gunmac_koho201702
 右側につるし雛が下がっています。沼田市老神温泉のひな祭りではつるし雛も飾るのでしょうかね。

 以前行った二川宿でも盛大につるし雛が飾られていました。
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 ググってみると、つるし雛の風習は全国でも珍しく、九州柳川の「さげもん」、静岡稲取の「つるし雛」、山形酒田の「傘福」などが有名で、「全国三大吊るし飾り」とも呼ばれているそうです。

 沼田は山形から、二川は静岡から伝播したのかと思いましたが、そもそも、柳川、稲取、酒田というのが相互にずいぶん離れていますね。この3ヶ所で独自に発生したということではなく、もっと広く日本中で行われていたのが、特にこの3地点や、沼田、二川などにも残ったということなのかもしれません。

 なかなか興味深いです。

2019年2月13日 (水)

安政3年の年忌早見盤

 このようなものを入手しました。
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 画面が小さくて見えづらいと思いますが、中央部の円はやや白くなっていて、回転するようになっています。全体は放射線状に60に区分されていて、中央の円盤のすぐ外側に干支が記載されています。そして、内側から外側に向かってらせん状に1マス1年で年号が記されています。

 中央の回転部分です。このように、中央部が回転できます。
Kaikihayami02
 一部を拡大します。
Kaikihayami03
 1枚目の画像の右下に「當のもじを毎年の年号にあてゝ見れば三年七年と一時にわかるべし」とあります。

 上の画像では、中央の円盤を回して、安政三年のところに「當」の字を合わせてみました。そうすると、この年は、安政元年に亡くなった人の三回忌、嘉永三年に亡くなった人の七回忌、弘化元年に亡くなった人の十三回忌……ということが分かります。

 「天保二年に亡くなったウチの爺さんの二十七回忌はいつじゃろか?」を知りたいときは、中央の円盤の廿七を天保二年に合わせれば、「當」の位置の年が該当年ということが分かります。

 年号が記載されているのは安政四年までですが、その先、年号未記載の余白が70年分以上もあります。ここに年号を記入してゆけば、この早見盤は昭和10年頃まで使えることになります。

 これ、便利だったことでしょうね。個々の元号が10年続くかどうかという時代、こういうものがないととても不便だったことでしょう。また、干支が必要不可欠だったであろうことも想像できます。

2019年1月30日 (水)

鳩の棟飾り

 しばらく前、高崎線に乗っているときに、埼玉県北部の某駅のすぐ近くの民家の屋根に鳩が止まっているのが見えました。気づいたのが発車間際でしたし、薄暗くなっていましたので、作り物の鳩のようにも見えましたが、よく分かりませんでした。

 次に通ったとき、作り物であることが確認できました。

 こういうものです。
Munehato01
 人様のおうちなので、勝手に撮影することも憚られますが、屋根の部分だけ載せます。

 アップです。
Munehato02
 何でしょね? お寺の鴟尾やお城の鯱は防火のおまじないのようですね。それらは、いずれも、屋根の両端に置かれていますけれども、これらの鳩は屋根の中央付近に向かい合って鎮座しています。この地方の風習かとも思いましたが、列車の窓から見える範囲では、同様の物を屋根に乗せたおうちは見当たりませんでした。

 ネットで、「屋根 鳩」でググってみても、鳩の追い払い方が多数で、参考になるものはなかなかヒットしません。あれこれ考えて、「棟飾」という言葉を思い付いて「棟飾 鳩」でググってみましたら、多少引っ掛かりました。家内安全などのおまじないかもしれません。ただ、ググってヒットした画像は1羽のケースが多いです。

 そこで、「向かい鳩」という語を思い付いて、これでググってみたら、熊谷氏の家紋が向かい鳩だと分かりました。例の熊谷次郎直実の熊谷氏ですね。「おお!」です。この駅、熊谷ではありませんが、近辺ですので、関係があるかもしれません。いや、ただの偶然で、全く関係ないかもしれません。(^_^;

 今、このようなところです。さらに調べたり、考えたりしてみます。

 駅のすぐ近くのおうちですので、「あの。誠に不躾ですが……」と訪問して聞いてみる手もありますけど、それはあまりにもお騒がせですし、ご迷惑と思いますので、そこまではしません。(^_^;

2019年1月14日 (月)

合掌動物フィギュア・続

 昨年9月のお彼岸の法要にお寺にお参りしたとき、合掌動物のフィギュアが目に止まり、ブログに書きました。
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 その記事をご住職が読んでくださったそうです。ご夫妻でよくご覧くださっているようで、大変にありがたいことです。そういう次第で、ご住職様から新しい合掌フィギュアを頂きました。恐縮です。
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 別の配置で。
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 左から、ホッキョクグマ、柴犬(黒)、レッサーパンダ、コアラ、ハリネズミです。

 ご住職のお言葉によると、本堂に上がるのを怖いと感じる子供たちのために置かれたそうです。お寺に通うことや、お寺と付き合うことを難しいと思わずに、大人にも何かひと息、気を抜いて貰えるようなきっかけになればとお考えのようです。

 この動物たち、きっと効果を発揮することと思います。

2018年11月27日 (火)

洗足池をゆく(3)社寺編

 洗足池の周囲には3つの社寺があります。

 西に千束八幡神社。池月橋という橋を渡った先にあります。
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 社伝によれば、この神社は平安前期の貞観2年(860)に宇佐八幡宮を勧請して創建されたとのことです。祭神は品陀和気之命(応神天皇)。奥州に向かう八幡太郎義家や、伊豆で挙兵した頼朝が千葉から鎌倉に向かう途次、立ち寄ったと伝えられているそうです。

 鳥居。
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 社殿。七五三の時期ですね。
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 狛犬が鎮座しています。向かって左側。
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 向かって右側。
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 「狛犬さん 阿」「狛犬さん 吽」というように、対の狛犬は阿吽の形をなしているのだと思っていましたが、これらの狛犬の口は同じように見えます。

 向かって右側の狛犬の台座の裏に年紀が入っていました。
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 「天保」の下の1字が少し欠けているようで文字が良く読めません。その下は「丁酉」でしょうか。「丁」の横画が短いように思えます。ただ、天保年間に酉年は1回しかなく、その年は丁酉です。そして天保八年。

 ということで、ここは「天保八丁酉年/九月大安日」とあるようです。

 洗足池の北には弁天島があり、そこに洗足池弁財天が鎮座しています。

 池越しの遠景。
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 鳥居と社殿。
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 社殿に掛かる額。
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 由緒書。
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 祭神は天照大御神と須佐之男命とのウケヒの折に生まれた市杵島姫命です。

 洗足池の南東には御松庵という寺院があります。このお寺には日蓮上人ゆかりの松の木があります。
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 下の画像、松の木が2本見えます。
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 中央から右上に伸びる松と、画面の左側にあってやや右側に向かって伸びている松です。2本とも袈裟懸松だそうです。

 右側の松の碑。
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 六代目とあります。

 左側の松の碑。
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 こちらには何代目とも書いてありません。五代目か七代目なのでしょうね。

 境内には日蓮上人の像もありました。
Senzokuike32

 この地から、日蓮上人が亡くなった池上大坊まで直線距離で2.8kmほどです。日蓮上人ゆかりの地です。
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