一昨日、明治10年の『新撰年代記』をご紹介しました。
大化元年(645)から明治10年(1877)に至る1233年を1年1マスの表にしたものです。
西暦が普及していなかった時代、あのできごとは何年前のことだろうか、祖父の33回忌はいつになるのだろうか、といったようなことを知るのはなかなか厄介だったと思います。
元号も明治以降に比べて頻繁に変わりましたので、複数の元号をまたぐと計算はできません。
こういった表は不可欠だったことと思います。
この本には他に、天皇一覧や将軍一覧など、各種の一覧表が付いています。
その中に「古人物年代」という表があります。

続き。

このように、日本武尊から沢庵和尚に至る79人の人物が並んでいて、それぞれの没年と、それが何年前に当たるかの年数が記してあります。
天皇は挙がっていませんが、これは別に天皇の一覧があるからでしょう。
これが、明治10年の時点での日本史上の代表的な人物79名(の一例)ということになりましょう。
どうでしょう。今、79名選ぶとしたら、だいぶ出入りがありましょうか。
こういった年代記として、以前、文政5年(1822)の『懐宝 和漢年代記大全』というものを入手し、当ブログでもご紹介していました。
その中にも、「弘法名僧年数」という名僧の一覧と、「名家名将名臣年数」という文化人や武将の一覧が載っています。
文政5年のものと明治10年のものとを比較してみました。幕末維新の動乱を挟み、価値観も大きく変わった時代の比較ということになります。
結果は以下の通りです。
文政5年の『懐宝 和漢年代記大全』を「文政」、明治10年の『新撰年代記』を「明治」としました。
A.「文政」と「明治」と両方に載せる者
守屋大臣、聖徳太子、大織冠鎌足、役行者、柿本人麻呂、良弁僧都、中将姫、吉備大臣、坂上田村麻呂、
伝教大師(最澄)、弘法大師(空海)、小野小町、慈覚大師(円仁)、在原業平、智証大師(円珍)、
菅丞相、六孫王経基、小野道風、空也上人、元三大師(良源)、多田満仲、恵心僧都、源三位頼政、
平清盛、木曽義仲、源義経、西行法師、源頼朝、熊谷蓮生坊、円光大師(法然)、親鸞上人、最明寺時頼、
日蓮上人、一遍上人、楠正成、新田義貞、吉田兼好、武田信玄、上杉謙信、隠元禅師
B.「文政」にのみ載せる者
釈迦如来、達磨大師、行基菩薩、山部赤人、猿丸大夫、大友黒主、守敏僧都、紫式部、参議佐理卿、清少納言、
行成卿、証空上人、道元禅師、夢窓国師、了誉上人、一休和尚、古幡随院、雄誉上人、慈眼大師(天海)、
珂碩和尚、祐天僧正、了碩和尚
C.「明治」にのみ載せる者
日本武尊、武内大臣、弓削道鏡、阿倍仲麻呂、小野篁、安倍晴明、源頼光、渡辺綱、源義家、安倍貞任、
鎮西八郎為朝、武蔵坊弁慶、太夫敦盛、曽我兄弟、畠山重忠、梶原景時、和田義盛、朝比奈義秀、栄西禅師、
北条時政、慈鎮和尚(慈円)、高師直、太田道灌、蓮如上人、毛利元就、今川義元、山本勘助、斉藤道三、
竹中半兵衛、明智光秀、千利休、小西行長、石田三成、加藤清正、木村重成、真田幸村、木下長嘯子、石川丈山、
沢庵和尚
幕末維新を挟むのに、Aが多いですね。
Aは、価値観が大きく変わっても変わらない、不滅の著名人ということになりましょうか。
当時の人々の関心の在り処が知られて興味深いです。
物部守屋が入っているのが不思議です。ライバルの蘇我馬子はABCのどこにも入っていません。
六孫王経基や多田満仲のような清和源氏の初期の面々が載っていますね。
熊谷直実は両書とも「熊谷蓮生坊」の名で載っています。
僧侶が多く、主な仏教宗派の祖はかなり漏らさずに載っています。
戦国大名としては、信玄と謙信が載っています。
Bは僧侶が目立ちます。
あとは、山部赤人、猿丸大夫、大友黒主、紫式部、参議佐理卿、清少納言、行成卿が文化人枠でしょうか。
これらは「明治」には載っていない人々です。
Cは武将が目立ちますね。てんこ盛りです。
幕末維新の動乱を経た結果でしょうか。この本が刊行された明治10年には西南戦争もありました。
全体を通して気づいたのは、高位の貴族に関心がないという点です。鎌足はAに載っているものの、藤原氏の不比等、武智麻呂、仲麻呂、良房、基経、道長、頼通など、全滅です。
また、戦国武将として、Aに信玄・謙信がいる他、Cとして数多くの人々が並んでいますけど、信長、秀吉、家康という三英傑が載っていません。時代的には、Cに三成や幸村が載っているのですから、織豊時代の前で切ったとも考えられません。
不思議です。
あれこれ面白いです。
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