歴史

2023年2月27日 (月)

『ならら』最新号の特集は天誅組

 今日、『ならら』の2023年3月号が届きました。
Narara202303a
 特集は天誅組です。

 目次はこのようになっています。
Narara202303b
Narara202303cNarara202303d

 天誅組の乱の年表が載っていました。一部だけ示します。
Narara202303e
 天誅組については詳しく知らなかったのですが、時期は新選組が結成されてから池田屋事件までの間に相当していますね。

 主な隊士達の結末も一覧表になっていました。これも一部だけ示します。
Narara202303f
 多くが戦死したり、斬首になったりした中で、下から6番目の伊藤三彌や1番下の平岡鳩平は維新後に裁判官になったり、県令や衆議院議員になったりしています。
 生き残ったかどうかが大きな差になっています。

 『ならら』の内容は、歴史、考古、行事、風俗などが多いのですが、今号には珍しく国語学の論考が載っていました。
 土居美幸氏の論考で、古事記や万葉集の「参」がテーマです。
Narara202303g
 古事記や万葉集に見える「参入」「参来」「参上」「参向」などは漢語ではなく、和語で「まゐ~」などと訓読すべきものということです。
 後世、これらが音読されるようになれば、和製漢語ということになりましょう。
 逆に、「朝参」は漢語で、万葉集の巻18の4121番歌(大伴家持)の「朝参」は「テウサン」と訓むべきものとの説です。
 大変に分かりやすく、説得力のある論と思います。

2023年2月11日 (土)

今日のブラタモリは前橋

 今日のブラタモリは前橋でした。
 知った土地が取り上げられると嬉しいです。
 あ、知った土地といっても、私が知っているのは前橋のほんの一部だけなのですけど。

 タモリさんは、前橋は初めてだそうです。
Buratamomaebashi01
 昨夜は高崎に泊まって、車で連れてこられたのが前橋だったと言っていました。

 番組は群馬県庁舎前から始まりました。
 ぐんまちゃんの登場に期待したのですが、番組の最後まで出てきませんでした。
 残念です。
 唯一チラと映ったのが、下の写真の矢印の先です。ぐんまちゃんの石像が鎮座しています。
Buratamomaebashi02

 こういうのです。
Buratamomaebashi03

 群馬県の形と「上毛かるた」の紹介がありました。
Buratamomaebashi04

 群馬県庁舎は日本一高い県庁舎です。
Buratamomaebashi05
 東京都庁舎の方が高いのですが、あれは県庁舎ではなく都庁舎なので、対象外です。(^_^)
 建ったのはバブルの頃です。今ではとても。

 この先、4世紀に造られた八幡山古墳という前方後方墳、前橋城跡、風呂川、明治初期に建てられた臨江閣などに行きました。
 それぞれに興味深かったのですが、あまり写真を載せてはまずいでしょうから、写真は番組の冒頭部だけにします。

 今日のお題は「前橋は関東の華」でした。
 楽しかったです。

2023年1月 9日 (月)

埴輪4種

 一昨日、昨日に続く、ガチャの考古学フィギュアの最終回です。
 今回は埴輪です。
 群馬県太田市出土の武人埴輪。
Minihaniwa01
 かの「大魔神」のモデルになったとされる埴輪です。
 国宝に指定されていますが、東京国立博物館の所蔵なので、群馬県の国宝にはカウントされていません。

 埼玉県熊谷市上中条出土の馬埴輪。
Minihaniwa02
 ぐんまちゃんのライバルかも。

 埼玉県江南町野原出土の踊る埴輪男女。
Minihaniwa03
 向かって右側が女、左側が男とされます。
 「踊る埴輪」という名で有名ですが、近年は馬曳き説が有力だそうです。

 付属解説書。
Minikouko01
Minikouko02

 全12種、楽しいミニチュアです。

2023年1月 8日 (日)

土器・青銅器4種

 昨日の続きです。

 新潟県十日町笹山遺跡出土の火焔型土器。
Kaenshiki
 火焔型土器は新潟県の誇りのようです。♪

 名古屋市熱田区高蔵町出土の弥生式土器。
Yayoidoki
 縄文式土器の「動」に対して弥生式土器の特徴は「静」だそうです。

 香川県出土の銅鐸。
Dotaku
 サイズ比較を兼ねて、手の平に載せました。
 やはり、こんなに小さいのに、表面の絵までよく見えます。

 三角縁神獣鏡。
Sankakubuchi01

 ヘリ。
Sankakubuchi02
 これはさすがにヘリの角度が甘いように思います。
 仕方ないですね。

 やはりどれもよく作られています。

2023年1月 7日 (土)

土偶4点

 土偶の模型を入手しました。

 長野県茅野市棚畑遺跡出土のヴィーナス土偶。
Minidogu01

 群馬県東吾妻町郷原出土のハート形土偶。
Minidogu02

 青森県つがる市亀ヶ岡遺跡出土の遮光器土偶。
Minidogu03

 埼玉県鴻巣市滝馬室遺跡出土のみみずく土偶。
Minidogu04

 大きさはこんな感じです。
Minidogu05
 小さいのに、良くできています。
 これらはガチャのフィギュアです。
 自分で集めたのではなく、土器・青銅器シリーズ全12種のコンプリートをアマゾンで買いました。安易です。(^_^;
 他のも追々アップします。

 なお、最後の画像の遮光器土偶の実物は左足が欠落していますが、フィギュアとして飾るために、左足を想像して補ったということです。
 この左足は外せるように作ってあります。細かい配慮です。


2022年12月27日 (火)

『ならら』最新号の特集は家康の伊賀越え

 昨日、『ならら』の来年1月号が届きました。
Narara202301a
 特集は「本能寺の変「神君伊賀越え」の真相」です。
 来年のNHK大河「どうする家康」を意識した特集と思われます。
Narara202301b

 それ以下の目次はこのようになっています。
Narara202301cNarara202301d
 今号にも奈良をめぐる興味深い記事があれこれあります。

 特集は、信長が本能寺で討たれたとき、堺に滞在していた徳川家康が、どの様なルートで三河に帰ったのかという内容です。
Narara202301e
 通説は、上図①のように堺から北上して、山城、近江の南部を通って、伊賀の柘植から伊勢の加太越えです。
 しかし、このルートは、最短ルートとはいえ、堺から京都方面に向かうことになります。
 明智の軍勢がいる方に向かうのは危険です。
 一方、②③のルートは、河内から大和に向かう竹の内峠越えです。
 ②は八木から山辺道を北上して、笠置から近江南部に向かいます。
 ③は八木から芋峠を越えて名張から柘植に向かいます。
 ②③は遠回りになるとはいえ、京都から遠い点では①よりも安全性は高いでしょう。

 また、①のルートは信長方の史料である『信長公記』に拠るものであるのに対し、②③は家康の家臣の語ったものなどの記録であるということです。

 ②③の説があるということも、その根拠になる徳川方の史料のあることも全く知りませんでした。
 確かに、家康はわずかな供回りのみで三河に帰ろうとしていたわけですから、①のルートはいかにも危険という気がします。

 おもしろいですねぇ。
 定説のようなものも、それで良いかどうか。上代にも定説の見直しを要することも多々あることでしょう。
 とんでも説にならないように、しっかりした史料に基づいて、しっかりした論証をすることが必要ですね。

2022年12月17日 (土)

「鎌倉殿の13人」の今年の漢字

 毎週楽しみに見ていた「鎌倉殿の13人」の明日はいよいよ最終回です。
 予想も付かない内容になるということで、どんな終わり方をするのか楽しみです。

 そんな中の12月12日(月)、ツイッターに「にらたま13(@niratama0896)」さんから、以下のコメントとともにこういう画像がアップされました。
Kamakanji00
 >今年の漢字、発表されましたね。
 >鎌倉殿を一年見てきて、今年はこの漢字だよな…と自分で発表したい気持ちをお持ちの方は、
 >こちらの上皇様のありがたそうな素材絵をどうぞ使ってください。

 面白そうと思って、こういう漢字を選びました。
Kamakanji01
 坂東武者の「武」でもあり、700年近くにもわたって続く武家政権を作った物語という意味です。

 その後、また考えて、違う漢字に変えました。
Kamakanji02
 粛清の「粛」ですねぇ。頼朝による粛清、それに続いて義時による粛清。
 武家政権を確立するための手段でしたが、あまりにも多くの血が流れました。
 ブラックなドラマでした。

 さらに考え直して、こうなりました。
Kamakanji03
 殺伐としたことはたくさんあったけれども、政子と頼朝との夫婦愛、時政の子供たちに対する愛。義時と八重との夫婦愛、義時と比奈との夫婦愛、木曽義仲と巴との夫婦(?)愛、巴と和田義盛との夫婦愛、木曽義高と大姫との夫婦愛、実衣と全成との夫婦愛、泰時と初との夫婦愛、実朝と千世との夫婦愛、政子と実衣との姉妹愛、政子と義時との姉弟愛、大江広元から尼将軍への一方的な愛、などなど、多数の愛で満ちあふれていました。 まだあったかもしれません。義経と静もありましたね。思えば愛にあふれたドラマだったと思います。

 今のところこんな感じです。どんなもんでしょ。
 明日の最終回を見て、変わるか変わらないか。

2022年12月 9日 (金)

「采女氏塋域碑」の拓本&顔面近況

 昨日届いた『続日本紀研究』430号に興味深い論考がありました。
Shokkiken430a

 「史料紹介」として掲載された磐下徹氏の「采女氏塋域碑の拓本」です。
Shokkiken430b

 この碑の本文は次の通りです。

  飛鳥浄原大朝庭大弁
  官直大弐采女竹良卿所
  請造墓所形浦山地四十
  代他人莫上毀木犯穢
  傍地也
   己丑年十二月廿五日

 己丑年は持統三年(689)と考えられます。
 「飛鳥浄原大朝庭(天武朝)」の「大弁官」「直大弐」であった「采女竹良」の墓所を造ったことが見え、興味深い碑文です。
 ただ、原碑は既に失われ、何種類かの拓本が伝わるのみながら、その拓本も書籍に収録される形で残るばかりで、拓本原本は失われていることが多いそうです。

 この論考は、磐下徹氏が2年前に入手された拓本が、1930年に刊行された『書道全集』に収録された拓本の原本だという内容でした。
 こういうことがあるのですね。

 さらに興味深いのは、磐下氏はこの拓本をネットオークションで入手されたということです。
 恐るべしネットオークション。(^_^)

 ネットオークションはワンダーランドと思っていましたが、ほんと、何が出るか分かりません。
 ネットオークションの有効性が証明された思いです。
 今後もネットオークションを続けます。♪

 さて、話は全く違いますが、ご心配いただいているかもしれませんので、先ほど撮影した顔面を。
Kaokyoda09

 8日前の12月1日はこんなでした。
Kaokyoda08

 だいぶ良くなりました。
 目頭のあたりのあざと、鼻の脇のあざが消え、1番最初にできた目の下のあざも小さく薄くなりました。
 顔色の違いは光線の加減によるもので、実際には変わりません。

 元の美しい顔(^_^)で新年が迎えられそうです。

2022年12月 2日 (金)

「本朝英雄鑑」

 このようなものを入手しました。
Eiyukagami01
 題名は「本朝英雄鑑」で、源平時代から戦国時代の武人が番付状に並んでいます。
 人数は数えていませんが、軽く100人は超えますね。200人や300人はいそうです。
 相撲の番付だと、力士名の上には「大関」「関脇」などの地位が書かれますが、この番付では武人の名の上には「将軍」「忠勇」などの特徴名が書かれています。そして、左右(東西)で、同位置には概ね同じ特徴名が置かれています。

 最上段の左右(東西)を上下に切り貼りして示します。
Eiyukagami02
 上段4番目には坂東武者の鑑と謳われた畠山重忠がいます。それに対応する下段には北条泰時です。
 その2行先の上段には大江広元がいます。それに対する下段は前田利家です。
 その2つ先は「悪勇」で、上段が平将門、下段は明智光秀です。
 うしろから3行目は「勇者」で、上段が柴田勝家、下段は和田義盛です。
 「鎌倉殿の13人」の登場人物もたくさんいますね。
 大江殿が最上段というのはちょっと意外でした。

 3段目はこのようになっています。また左右を上下に切り貼りして示します。
Eiyukagami03
 ほぼ中央あたり、上段に「奸智」として石田三成がいます。これに対応する下段は「奸雄」として梶原景時です。
 うしろから4行目に「侫奸」として、上段には北条義時、下段には高師直がいます。
 子息の泰時は最上段に「賢者」として扱われているのに、父の義時は3段目に「侫奸」ですからねぇ。
 ま、大河を見る限りは真っ黒に描かれていますね。
 その隣は「猛勇」として、上段が本多平八郎、下段が仁田殿です。

 中央には相撲番付だと行司や勧進元などが書かれますが、この番付では軍師などが書かれています。
 一番上と2番目。
Eiyukagami04
 軍師は、中央に楠木正成、他には竹中半兵衛や真田幸村、山本勘助等がいます。
 「智仁勇」は、中央が源義経、他に木村重成、八幡太郎義家、加藤清正、源頼光。上杉謙信と武田信玄もここにいます。

 3番目と4番目。
Eiyukagami05
 ここは「怪力」ですね。上段中央には武蔵坊弁慶。怪力無双の代表ですね。
 あと、坂田金時や曽我五郎は有名ですが、下段中央の木村正国というのは不明です。

 5番目と6番目。
Eiyukagami06
 上段は「勇婦」で、中央に神功皇后、その左右に巴御前と北条政子がいます。
 下段には中央に豊臣秀吉、左右に源頼朝と平清盛が大きな文字で書かれています。
 その他には、源平藤橘の始祖が小さい文字で書かれています。

 というようなものです。
 あちこち見ていて見飽きません。

 刊記がなく、いつのものか分かりませんが、徳川家康を初めとして、徳川、松平性のものが全く登場しないので、これは恐らく徳川将軍家を憚って対象外としたものと思われますので、江戸時代のものではないかと推察されます。

 なお、左方に真田昌幸と真田大助が張り出されています。
 なぜ張出扱いにしたのか不明ですが、「軍師」に真田幸村と真田幸隆が書かれていることと合わせて、真田人気が偲ばれます。
 だって、真田大助って14歳だか16歳ですよね。異例です。

 などなど、江戸時代に、どのような武人がどのような存在とされていたのかを知る資料として、大変おもしろく眺められます。

2022年11月30日 (水)

明治31年の武者メンコ

 このようなものを入手しました。
M31musha01
 明治31年に発行された武者メンコです。
 薄い紙に印刷されていますので、購入者が厚紙に貼りつけて、切り離して使ったのでしょう。
 全部で36人の武者が描かれています。
 時代は八幡太郎義家から徳川家康の家臣達に及びます。
 そして、隣り合う者同士がライバルであったり親子であったりと関連付けられています。
 それぞれのペアは顔を向かい合わせています。

 バラバラに切り離されてしまえば、隣同士のペアを作っても意味ありませんね。
 あるいは切り離さずにこのまま眺めて楽しんだりもしたのかもしれません。

 ペアを何組かご披露します。

 八幡太郎義家と安倍貞任
M31musha02

 平将門と藤原秀郷
M31musha03

 木曽義仲と源義経
M31musha04
 義経の相手は平家の武将ではなくて木曽義仲になっています。
 平宗盛や源頼朝なども候補になりそうですが、しっくりこないかもしれませんね。
 敵同士でなくても良いので、弁慶という手もありそうです。
 弁慶は伊勢三郎と並んでいます。

 巴御前と和田義盛
M31musha05
 大河ドラマの2人の顔が思い浮かびます。
 木曽義仲の立場は……。

 平敦盛と熊谷直実
M31musha06
 フルネームでなく、「敦盛」と「熊谷」とだけあります。これで十分なのでしょうね。

 楠木正成と足利尊氏
M31musha07

 武田信玄と上杉謙信
M31musha08
 この2人は例外的に顔を向き合わせていません。

 山本勘助と直江兼続
M31musha09
 軍師同士という位置づけと思われますが、直江兼続は立場と時代がズレるように思います。
 直江兼続も単に「山城守」で十分なのでしょうね。

 真田幸村と真田大助
M31musha10
 親子ですね。

 最下段には徳川家康とその家臣達が並んでいます。

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