歴史

2020年7月 4日 (土)

『季刊邪馬台国』2020年7月号

 『季刊邪馬台国』の最新号を買いました。
Kikanyamatai202007a

 この雑誌を買うのは本当に久し振りです。
 この号のことは、ツイッターでWAKIYUKIさんが触れられていたことで知りました。
 内容に興味を覚え、すぐにアマゾンに注文しました。

 ツイッターは、ほんとに内容が様々で、誹謗中傷やそれに類するものも多いですけど、ほっこりするもの、感動的なものもあり、今回のような貴重な情報もあります。まだ発達途上のメディアということなのでしょうかね。

 表紙に帯状に書いてある内容紹介は次の通りです。
Kikanyamatai202007b

 家に届いて、すぐに開封してパラパラとめくってみたのですが、いくつかはそのまま読み耽ってしまいました。
 森博達氏の「『日本書紀』区分論と記事の虚実」、犬飼隆氏の「日本書紀と「歌」」、荊木美行氏の「『日本書紀』とはなにか」、いずれも興味深く読みました。

 森氏の論は、従来の氏の論を整理したような内容で、氏の論がコンパクトにまとめられています。
 具体的な編纂者名については疑問もあるものの、全体として非常に説得力のある論と思います。

 犬飼氏の論は、日本書紀における歌謡のはたらきを論じたものです。
 歌謡を日本書紀に取り込んだ過程についても述べられ、とても興味深かったです。

 荊木氏の論は、日本書紀の編纂の動機や編纂の経緯を論じたものです。
 記紀の関係や、日本書紀の「系図一巻」や「別巻」についても触れています。

 森氏の論の一部について、荊木氏が疑問を呈している点も興味深かったです。(^_^)

2020年6月29日 (月)

「ぐんま寺社巡り」アプリ

 昨日、「ぐんま寺社巡り」のパンフレットのことを書きました。
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 実は、あのアプリもあります。
 ネタを小出しにしているわけではなく、一応、自分のスマホにインストールしてからと思いまして。
 パンフレットと一緒に、このようなチラシも置いてありました。
Gunmajishaap01

 裏です。
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 ここに、そのアプリにアクセスするためのQRコードが載っていますので、貼っておきます。
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 ダウンロードを試みました。
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 ダウンロード数500以上ということで、まだ発展途上です。
 3歳以上とありますけど、3歳児には無理と思います。(^_^;

 ダウンロードしようとしましたが、「ダウンロードを待機しています」というメッセージが出て、先に進めません。
 さて、と思ってググってみましたら、対処法がたくさん出てきました。結構起こる事例なのでしょうかね。
 あれこれ試みて、無事にダウンロードでき、起動できました。
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 あれこれ試みたので、どれが奏功したのか分かりません。
 しっかりと切り分けをしなくてはいけません。(^_^;

 上の2枚の画像の間に40分が経過し、電池の容量が20%減ってしまいました。
 電池の消耗が早いです。もう電池の交換時期になっているのですが、コロナ禍でお店が予約制なのです。
 どうも予約は億劫で。(^_^;

 アプリは、あれこれ試してみようと思います。

2020年6月28日 (日)

「ぐんま寺社巡り」

 先日、県庁2階の県民センターで見つけて、貰ってきました。
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 群馬県内の21の寺社が取り上げられています。

 中はこのようになっています。
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 玉村八幡宮、載っています。(^_^)
 数えてみたら、私が行ったことのある寺社は6つだけでした。
 21分の6ですので、3割5分ですね。
 30年以上も群馬県に住んでいたにしては少ないかも。(^_^;

 裏表紙には地図が載っています。
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 東京からのアクセスを含むので、この画面では小さいですね。

 21寺社部分の拡大です。
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 時期的には、このパンフレットも、群馬デスティネーションキャンペーンの一環なのだと思います。
 本当に新型コロナウイルスの影響は甚大です。

2020年4月15日 (水)

高遠藩は?

 『日本名所記』の刊年を考える材料の1つとして、前の記事で「真田弾正大弼」を取り上げました。

 話がそれますが、弾正といえば、私が生まれた時、父が名前を考えるに当たって、候補をたくさんリストアップした中に、弾正と玄蕃があったそうです。強そうな名前です。濁音で始まっているからでしょうかね。時代劇に出てきそうでかっこいいです。
 ま、強そうというか、悪そう。(^_^; どちらも、律令官制としては全く悪いものではなく、弾正はむしろ正義の味方ですけど、時代劇だと悪役に多そうです。これまた濁音で始まるからでしょうかね。
 私は弾正でも玄蕃でもイヤではありませんけど、強くないので、名前負けしそうです。(^_^;

 閑話休題。←これ、八犬伝によく出てきて、「あだしごとはさておきつ」というルビが付いています。

 で、本当に閑話休題で、もう1つ「高遠城」も手がかりになるかなぁと思います。

 信濃国の部分で、「城」を列挙した後、全体の末尾にもう1つ「城」があって、そこに高遠が載っています。
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 これ、「城」の部にうっかり高遠を入れ忘れて、あとから末尾に補ったとも考えられます。
 でも、もしかしたら、最初にこの本が作られた時には高遠藩が存在しなくて、後日、高遠藩ができたのを受けて、改訂版で反映させた可能性もあるかと考えました。
 というのは、この本には「城」の他に「陣屋」があります。とすると、この本の「城」は別に城郭という建造物を指しているわけではなく、それぞれの国の中にどんな大名家があるのかを、城持ちと無城(=陣屋)とに分けて示していると考えられます。ならば、高遠城という城郭はずっと存在していても、高遠藩が存在しない時期があって、その時期にこの本が作られたとすれば、「城」の部に高遠は入れないでしょう。

 高遠藩の沿革を調べると、元禄2年(1689)7月23日に藩主鳥居忠則が亡くなり、高遠藩は廃藩となります。そして1年半後の元禄4年(1691)2月9日に内藤清牧が入封して来て、高遠藩は復活し、そのまま明治に到ります。
 江戸時代に高遠藩が存在しなかったのは、このわずか1年半のみです。
 どうでしょ? 『日本名所記』が刊行されたのはこの1年半のうちのどこかで、その後、高遠藩が復活したのち、この本の改訂版が出されたとか。

 材料不足で何とも言えません。諸国の「城」と「陣屋」を全部見て行けば何か分かると思います。
 興味はありますが、少なくとも、さすがにすぐにはやらないと思います。(^_^;

真田弾正大弼

 昨日、『日本名所記』について書きました。
Nihonmeishoki01

 この本、刊年不明ながら、上欄外に「一万五千石 牧野周防守」「十万石 真田弾正大弼」などのように、藩の石高と藩主とを記した加筆が数ヶ所あります。
Nihonmeishoki05
 この本の持ち主が書き込んだのでしょう。これらを丹念に見て行けば、書き込みの時期の範囲が決まり、この本の刊年の下限が推定できましょう。
 そういう考証は好きなのですが、ま、気が向いたら、といった感じで、すぐに取り組もうという気はありませんでした。
 でも、やはりちょっと気になるので、「真田弾正大弼」だけでも調べてみることにしました。
 松代藩主って、伊豆守や信濃守が多く、弾正大弼はあまりいなかったような気がしましたので。

 調べてみたら、松代藩主で弾正大弼を名乗ったのは第6代の真田幸弘公のみでした。
 幸弘公が弾正大弼を名乗っていた時期は短く、天明8年(1788)4月5日からの2年間で、寛政2年(1790)4月18日には右京大夫に変わっています。
 この調査は、国立国会図書館デジタルコレクションの『寛政重修諸家譜』に依りました。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577447
 幸弘公の記事は『寛政重修諸家譜』第155冊の80~81コマ目にあります。

 ということで『日本名所記』上欄外の「十万石 真田弾正大弼」という書き込みは、このわずか2年の間になされたものと考えられます。
 従って、『日本名所記』は遅くとも寛政2年4月18日までには刊行されていたことになりましょう。
 刊行年の上限は分かりません。何か手がかりがあると良いのですが。

【追記】
 「『日本名所記』は遅くとも寛政2年4月18日までには刊行されていたことになりましょう。」は勇み足でした。
 幸弘公の官職名が右京大夫に変わったのは寛政2年(1790)4月18日であっても、それをリアルタイムで知り得たのは幕閣の然るべき役職に就いていた人だけで、それ以外の人は、毎年刊行される大名武鑑などによって知ったことでしょう。だとしたら、この本の持ち主が「十万石 真田弾正大弼」と書き込んだ時期の下限は、もう少し降ると思われます。

2020年3月19日 (木)

大正15年の「大傑作双六」

 昨日のブログでご紹介した「海幸山幸」の絵を含む双六について。
 昨日も書きましたが、これは、大正11年に創刊された『少年少女美談』という雑誌の大正15年新年号の付録で、標題には「大傑作双六」とあります。
 何が「大傑作」なのか、意味不明です。
T15kessaku01_20200320175001
 右下隅が「ふりだし」になっています。
 そこから時計回りに辿ると、以下のようになります。

・美しき口笛(ふりだし)
・叩々斎老人
・風雲時代の子
・無名の愛国者
・天上の桃
・西河津村
・トム物語
・愛国侠児団
・宝物合せ
・人を倒す蟇
・海幸山幸
・水戸黄門漫遊
・兄を尋ねて
・魔法の巨龍
・御馳走の国(上り)

 項目名も意味不明なものが大部分です。
 私に分かるのは「海幸山幸」と「水戸黄門漫遊」だけでした。

 ググってみても、分かったのは1つだけ。

 ふりだしの左隣に「叩々斎老人」というのがあります。このままではありませんが、「叩々老人」がヒットしました。
 「辞世の句」(http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199304.html)というサイトです。次のようにありました。

 ●叩々老人(年代不明)
 駿河の国に叩々老人という者がいた。禅に興味を持ち、生涯を酒落に暮らしたが、あるとき子供が紙の幽霊を作って木に掛けて人を驚かしていたが、この老人、こんなものでは駄目だと白の浴衣を着て竹馬に乗って、夜中森林の前を徘徊した。時に侍がこれを見て、剣を抜いて切ろうとした。老人は竹馬から落ちてそのショックで腰の骨を挫いてしまい、それ以来病の床に伏せるようになって、遂に死亡した。その辞世、
「五斗(醤油のかす)はおき 後生(来世)も乞わぬ我が腰を折りて今日はい左様なら」(今昔狂歌叢書)

 双六の「叩々斎老人」の絵は以下の通りです。
 着物の色は違いますが、竹馬に乗っている点など、解説と合っているように思います。
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 「西河津村」の絵はこのようです。
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 河童が縛られています。この村の名はググってもヒットしませんでした。

 「魔法の巨龍」は以下の通りです。
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 「魔法のドラゴン パフ」はたくさんヒットしますが、それはドラゴンと少年の交流を描いたもののようですので、双六の絵と合いません。

 これら以外はお手上げです。何か分かると良いのですけど。

2020年3月15日 (日)

天保九年の『増補地名便覧』

 このようなものを入手しました。
Chimeibinran01
 題簽は剥落していて、直書きで『増補 地名便覧』とあります。16cm×7cmほどの小型本です。
 ラベルが貼ってあり、どこかの図書館等の蔵書だったのかもしれませんが、蔵書印はありません。

 奥付は次の通りです。
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 天保九年(1839)四月刊行ですね。

 内容は、国別にまず郡名を挙げ、以下、名所旧跡や名産品などを列挙しています。ふりがなの付いている語も多いです。

 山城国の冒頭は次の通りです。
Chimeibinran03

 山城国は18ページあります。大和国は12ページ。他は数えていませんが、このあたりが最大ではないかと思います。上野国は2ページ。ちょっと寂しいです。

 山城国の「諸墓」の項は以下の通りです。
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 平清盛もありますけど、文学者の名前が目立ちます。そんな中に、今年のNHK大河の主人公である明智光秀もありますね。当時の人々がどういう人物に関心があったのか、その一端が伺えます。

 大和国の「坂岡」の項に、おととしあたりに当ブログで何度か取り上げた「逝回(ユキヽノ)岡」がありました。
Chimeibinran05
 ここでは「岡寺といへる所也といへり」とあり、続古今集の家隆の歌が引かれています。
 本来は実在しない地名ですが、中世から近世に掛けて、この岡の所在を岡寺の岡とするものが多いです。この本もそうでした。

 この本、あちこちおもしろそうなので、また取り上げるかもしれません。

2020年2月29日 (土)

『木簡 古代からの便り』

 注文していた『木簡 古代からの便り』(奈良文化財研究所編、岩波書店)が届きました。新刊ほやほやです。
Mokkan_kodaikara

 新聞の連載記事に若干の新稿を加えたものだそうで、1項目3ページからなっていて、そのうちの1ページは写真です。そういう次第で、全体としてずいぶん写真が豊富です。文章は1項目2ページということになります。集中力の足りない私にはありがたい分量です。(^_^)

 全49項目を以下の7章に分けて排列してあります。

  Ⅰ 木簡とはなにか?
  Ⅱ 木簡の発見! 歴史の発見!
  Ⅲ 木簡の使われ方
  Ⅳ あれも木簡? これも木簡!
  Ⅴ 木簡を深読みする
  Ⅵ 木簡からみえる古代人の日常
  Ⅶ 木簡を未来に伝えるために

 「Ⅳ あれも木簡? これも木簡!」は、松坂慶子の「愛の水中花」を意識していましょうね。(^_^)

 昨日届いたばかりでまだちゃんと読んでいませんけど、あれこれ興味深く、勉強にもなります。読むのが楽しみです。(^_^)

 昨日、いつものスーパーからトイレットペーパーが影も形もなくなっていてびっくりしましたが、今日は通常通りの分量ではないものの、復活していました。
 トイレットペーパーの在庫は潤沢にあるということが伝わってきたのでしょう。

 正しくない情報が拡散されるのは困ったことです。
 冷静に情報を吟味して暮らしたいものと思います。

2020年2月19日 (水)

木簡のレプリカを入手

 木簡のレプリカを2点入手しました。ネットオークションです。

 1点目。右が表、左が裏です。
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 造酒司が3人を呼び出したのでしょうね。裏面はどう読んで良いやら分かりません。

 2点目。
Mokkanreplica02
 こちらは分かりやすく、武蔵国男衾郡川面郷から鮒の背割り1斗を大贄として貢納した木簡です。
 平凡社の『日本歴史地名大系』によれば、川面郷は「現小川おがわ町一帯に比定する説が多い。」とのことです。
 小川町というと、仙覚ゆかりの地ですね。

 この2点の木簡、どういう由来のものか分かりません。奈文献が作ったものでしょうか。
 こういうものを手にすると、なんか嬉しい。(^_^)

 以前、別の木簡を入手したことがありました。
Onyumokkan01
 こちらは、福井県立若狭歴史博物館が配布した「木簡パスポート」でした。裏面が御朱印帳のようになっています。
 これは現物さながらのレプリカではなく、あえて現物とは変えたものでした。

2020年1月 9日 (木)

新田神社をゆく

 金魚の水槽の水草、かなりしょぼくなってしまっていましたが、先端から新芽が出たり、茎の途中から脇芽が出ていたりしているので、撤去するのは躊躇していました。
 でも、水草自体、かなり弱まっていて、茎にコケが付くなど、水質悪化の原因にもなっていそうな気がします。

 背に腹は代えられず、新しい水草と取替えてしまうことにしました。

 水草を買いに、いつもの金魚屋さんに行きました。東急多摩川線の武蔵新田が最寄り駅です。

 この駅の近くには新田神社があります。新田義貞の子息である新田義興が祀られています。……ということは承知していたのですが、具体的な場所は知らず、まだ行ったことはありませんでした。

 先日、ふとしたことで、この神社の場所が分かりました。金魚屋さんのすぐ近くでした。

 お正月だし、お天気も良くて、暖かく、参拝日和でした。
 金魚屋さんのついでというのは憚られますので、神社に行ってから金魚屋さんに向かいました。

 鳥居。
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 社殿。
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 塀には、この神社についての長い解説が書いてありました。
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 ポイントを切り貼りします。
 一昨日から切り貼りが多くて。(^_^;
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 上に、多摩川の矢口渡や、平賀源内の「神霊矢口渡」が登場しています。
 ちなみに、武蔵新田の隣の駅が矢口駅です。

 境内にある御神木。ケヤキだそうです。
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 御神木の解説板。
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 寄生木の花というのに興味が湧きました。季節になったら行ってみたいです。

 境内にあったお稲荷さん。
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 この小山は新田義興の墓所だそうです。
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 解説板。
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 墓所の傍らにこのような道しるべがありました。江戸時代のものです。
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 境内にあるのに「これより右」もないものです。
 この道しるべ、もとは別の場所にあったのを、ここに移設したのだそうです。
 橿原の久米寺の前にあった道しるべも、もとは別の地にあったものを移設したものかもしれませんね。

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