歴史

2024年7月14日 (日)

蓬左文庫のパンフレット

 蓬左文庫の少し古いパンフレットをネットオークションで入手しました。
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 興味を持ったからといって、こういうものまで買っていてはキリがありません。(^_^)

 蔵書のあらまし。
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 蔵書のうちの重要文化財。
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 現存最古の河内本源氏物語や、現存最古の続日本紀がありますね。
 続日本紀は、多数伝わっている卜部本系統の諸本と異なる別系統の写本である点でも貴重です。

 いくつかのカラー写真。
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 蓬左文庫の略史。
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 蓬左文庫の利用案内等。
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 このパンフレットがいつのものか分かりませんが、下部に記載されている蓬左文庫の所在地の郵便番号が3ケタですので、昭和43年(1968)~平成10年(1998)の期間のものです。

2024年7月 6日 (土)

『ならら』最新号の特集は「聖武天皇即位1300年」

 『ならら』最新号、私が7月3日に群馬から帰宅したときに郵便受けに届いていました。
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 特集は「聖武天皇即位1300年」です。

 目次は以下の通りです。
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 「特集2」として、聖武天皇の大嘗祭に関する木簡が取り上げられ、奈良文化財研究所の馬場基氏へのインタビューが載っています。
 大変にタイムリーな記事ですね。

2024年6月17日 (月)

平安京図&パソコン入門期

 昨日の大内裏図の流れで、今日は平安京図を。

 下書き線。
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 道路の線を入れる。
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 下書き線を非表示に。
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 文字を入れて完成。
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 一部を拡大。
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 こんな感じで、大路・小路の道幅、他より広い朱雀大路と二条大路の道幅は、ちゃんと本来の比率に合わせています。

 さて、私がパソコンを買ったのは昭和63年(1988)の暮れでした。
 その頃のパソコンにはハードディスクは内蔵されていませんでしたので、ソフトウェアはフロッピーディスクでした。
 パソコンと一緒に買ったソフトは、ワープロソフトの一太郎と、データベースソフトのザ・カード、そして「信長の野望」でした。

 パソコンって、本当に魔法の機械というか、夢の機械というか、おもしろくて、楽しくて、いろいろなソフトを買ってきては、使っていました。
 平安京図などを作ったのは、パソコンを買ってからもう10年ちょっと経っていましたけれども、パソコン熱はまだ冷めやらず、嬉々としてこういった図を作っていました。
 教育熱心だったわけではなくて、趣味の世界でした。(^_^)

 ホームページも簡単なものならば自作しました。
 ただ、パソコンの勉強をしたのは、このあたりまでで、もうやめてしまいましたので、音声の編集や、動画の編集はできません。

2024年6月16日 (日)

自作の平安京・大内裏・内裏・清涼殿図

 今日のNHK大河「光る君へ」も面白かったです。
 番組の中で、落飾した中宮定子を一条天皇が職の御曹司に呼び寄せることが出てきました。
 「はて? 職の御曹司ってどこだっけ?」と思い、大内裏図を見てみました。
Daidairizu01
 中央付近にある内裏の北東ですね。すぐ近くです。
 こういう図は、国語便覧や日本史地図帳などに載っています。

 昔、国文学概論を受け持ったことがありました。
 今ならば既製品の図をスキャンしてしまえば簡単ですが、当時はまだスキャナを持っていなかったので、さてどうしようかと考えました。
 コピーして切り貼りする手もありますけど、アナログデジタル併用ではおもしろくありません。
 そこで、ジャストシステムの「花子」を使って、作図することにしました。

 まずは、下書き線。
Daidairizu03
 大内裏内の東西南北の道は、大内裏の外の道と重なっています。

 この下書き線の上に各施設の図を描きます。
Daidairizu04

 そして、下書き線を非表示にします。
Daidairizu05
 ここに文字を入れれば、最初の図になります。
 それぞれの施設を色で塗ることはしませんでしたので、これで完成です。

 同様にして、平安京図、内裏図、清涼殿図を作図しました。色を塗ったものもあります。
Heiankyozu
 何ともマメなことです。(^_^)
 でも、楽しかったです。2000年の頃です。
 そして、自分で作図すれば理解も進みますし、記憶にも残る……はずなのですが、職の御曹司の位置、すっかり忘れていました。(^_^;

2024年6月13日 (木)

昭和3年の「教育偉人かるた」(10)

 今年の3月に初めて取り上げた昭和3年の「教育偉人かるた」、あと5名残っていましたので、第10弾として取り上げます。
 これで結局全員取り上げることになります。

 徳川光圀。
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 『大日本史』の編纂が大きく評価されているのかもしれませんね。
 水戸学は明治維新にも繋がったわけですし。

 孔子。
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 儒教の祖ですね。

 諸葛孔明。
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 大軍師です。

 ソクラテス。
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 ギリシャの大思想家。

 コロンブス。
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 大冒険家ですね。

 思えば、随分の大物達が最後まで残っていました。
 これで全員と思います。
 日本人28名、外国人20名です。
 そのわずか28名の日本人枠の中に楠正成と正行の親子が含まれているのは、やはり偏りと言わねばなりません。
 個人的には嬉しいのですけど。やはりねぇ。

 ともあれ昭和3年当時の貴重な同時代資料です。

2024年6月12日 (水)

今日は蘇我入鹿殺害の日

 今日は、蘇我入鹿が中大兄皇子達に殺害された日です。
 今朝、Twitterでロックさんの記事を見て知りました。
 今は「乙巳の変」と言うのだそうですが、私にとっては突然知った歴史用語ですので、どうもしっくりきません。
 頭が固いです。

 飛鳥寺の西方にある入鹿の首塚。
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 これを撮したのは、平成18年(2006)9月です。
 背後に広がっているのが槻木の広場。
 その奥に見える丘は甘樫丘で、ここに蘇我氏の邸宅がありました。

 蘇我氏邸宅の発掘現場。
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 発掘主体は奈良国立文化財研究所です。
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 平成17年(2005)12月の撮影です。
 もう20年近く経ってしまいました。

 この頃は、毎年2~3回は飛鳥、奈良に行っていたのに、今はもうすっかり出不精になってしまいました。

2024年6月10日 (月)

「倭漢高名鑑」

 このようなものを入手しました。
Wakankoumei01
 タイトルは「倭漢高名鑑」とあります。
 番付のような形式で、右側が日本の武人、左側が中国の武人です。

 日本の武人の上半分。
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 著名な人物が多いです。
 古いところでは、上の段に武内宿祢、坂上田村麻呂、下の段に文屋綿麻呂、坂上苅田麻呂と、なぜか恵美押勝がいます。
 「麻呂」の「麻」の字は「广」になっています。
 鎌倉武士の鑑と謳われた畠山重忠は下の段の5番目にいます。
 楠一族では上の段に正成、下の段に正行と正儀がいます。

 日本の武人の下半分。
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 上の段の6番目に「木曽巴女」がいます。女性はこの巴御前1人です。
 同じく上の段の真ん中から少し先に細川勝元と山名宗全が並んでいます。
 うしろから5番目には小四郎義時がいます。こうした番付で北条義時が評価されているのは珍しいように思います。

 中国の武人の上半分。
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 中国には詳しくありませんが、それでも諸葛孔明など私でも知っている人名がちらほら並んでいます。

 中央の、相撲番付であれば行司や勧進元が記されている部分の上半分。
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 源頼朝と足利尊氏という2つの幕府の初代将軍が並んでいます。
 下には、阿倍比羅夫と高市皇子がいます。高市皇子もこうした番付にはまず登場しないように思います。
 因幡守正盛というのは平清盛の祖父正盛と思われますが、なぜかなかなかの高評価です。

 同じく下半分です。
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 錚々たるメンバーが並んでいます。
 元のクビライが載っています。
 そういえば、なぜかジンギスカンが載っていません。不思議です。うっかりミスでしょうか。

 さて、全体を見渡すと、時代は応仁の乱くらいまでです。
 戦国時代まで降れば大勢の武将達が登場することでしょうが、そこまでは含めていません。
 思うに、徳川将軍家を憚って家康を載せないことにしたことで、戦国時代までは含めないことにしたのかもしれません。
 皇族は高市皇子を唯一の例外として載せていません。高市皇子も中央の行司・勧進元枠です。
 皇族を含めれば、日本武尊や護良親王なども登場したはずですが、やはり皇室への遠慮があったのでしょうね。

 眺めているとあれこれおもしろいです。

2024年6月 8日 (土)

昭和3年の「教育偉人かるた」(9)

 今年の3月に初めて取り上げた昭和3年の「教育偉人かるた」、著名な人がまだ残っていましたので、遅ればせながら1ヶ月ぶりに取り上げます。第9弾になります。

 北条時宗。
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 北条時宗は欠かせません。

 上杉謙信。
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 謙信は取り上げられていますが、謙信と並び称される武田信玄は取り上げられていません。
 やはり謙信は義の人というイメージなのでしょうね。

 豊臣秀吉。
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 昭和3年の頃は、秀吉のマイナス面はあまり注目されていなかったのでしょうね。

 徳川家康。
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 家康もやはり欠かせませんね。
 3英傑の中では信長だけが取り上げられていません。
 信長は近世の幕を開いた人物と言えましょうが、人数に限りがあるので、落ちたのでしょう。
 なお、3つの幕府の創設者の中では、頼朝、尊氏は取り上げられておらず、家康のみが取り上げられています。

 加藤清正。
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 加藤清正は忠義の武士というイメージなのでしょうね。

2024年6月 2日 (日)

よく分からない文禄の大名一覧

 この様なものを入手しました。
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 「諸大名国持外様衆」というタイトルが付いています。

 文字が小さいので、冒頭部分をアップにします。
Bunrokutozama02
 筆頭は奥州会津100万石の蒲生氏郷です。
 次が島津義弘、その次が小早川隆景です。
 蒲生氏郷は文禄4年(1595)に亡くなっています。
 また、小早川隆景も同じ文禄4年に隠居しています。
 この2人を見る限りは、このリストは文禄4年以前の状態を反映しています。
 全員見ていったら、矛盾が生じるかもしれませんが。

 文禄4年といえば、まだ豊臣秀吉が存命です。
 これを見て不思議に思うのは、徳川家康がいません。また、前田利家、毛利輝元、上杉景勝もいません。なぜでしょうかね。
 1つ考えられるのは、タイトルにある「外様」です。
 ここにいないということは、徳川、前田、毛利、上杉は譜代なのでしょうか。
 譜代というのは違和感がありますけど、この面々は五大老なので、譜代とは言えなくても、豊臣政権を支える身内扱いなのでしょうか。
 そう考えると、石田三成や浅野長政などの五奉行もいません。
 また、加藤清正、福島正則のような秀吉子飼いの大名もいません。大谷刑部もいません。

 ということで、秀吉政権を支える五大老・五奉行や、秀吉子飼いの大名などを除く国持大名のリストということなのかもしれません。

 左下の欄外にはこうあります。
Bunrokutozama03
 「貳之巻」でしょうか。
 そうすると、もう1枚「壹之巻」があって、そこに家康以下の面々が並んでいそうです。

 さて、これはなんでしょうかね?
 文禄4年の頃にこういうものが作成されたわけではないと思います。
 たぶん江戸時代(あるいは明治時代)に作られたのでしょう。

 何のために?
 歴史好きな人が買ってくれるのを期待して、歴史好きな人が作って売り出したのかとも思います。
 不思議な刷り物です。

2024年5月11日 (土)

昭和25年の「歴史かるた」(3)

 一昨日からの昭和25年「歴史かるた」の続きです。
 データがあると、並べ替えたり、集計したりしたくなります。サガのようなもので。(^_^;
 しかも、これは既にカードになっているわけですから、並べ替えは簡単です。
 電子機器を使うようになる前は、こうした作業はカードでした。カードの並べ替えは懐かしいです。

 時代順に並べてみました。
  伝承: 1
  飛鳥: 4
  奈良: 2
  平安: 6
  鎌倉: 2
  南北朝:2
  室町: 0
  戦国: 3
  織豊: 5
  江戸:14
  近代: 7
  現代: 2
(合計):48

 昨日、濁音・半濁音の札が4枚あるのが謎でしたが、分かりました。
 このかるたは、いろは48文字のうち、「ゐ」「ゑ」「を」「ん」の4枚がありません。
 その4枚の代わりが濁音・半濁音の4枚なのでしょう。
 別に48枚にこだわることもないのでしょうけど、いろはかるたが48枚であることに合わせたものと思われます。

 古いものから4組は以下の通りです。
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 石器・縄文・弥生の札はありません。邪馬台国も。
 一番古い時代の札は、論語・千字文の到来ですが、285年ということはないでしょう。
 聖徳太子の札が2枚あります。バランス的にはどちらか1枚で良さそうです。それだけ聖徳太子に手厚いです。

 新しい方の4組は以下の通りです。
S25rekishicard10
 満州事変も太平洋戦争も否定的ですね。ハワイ奇襲や原爆はありません。
 また、明治5年の東京・横浜間に鉄道が開通した次の札が満州事変です。日清・日露もありません。

 占領下ということでアメリカに気を使ったかもしれない札がありました。
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 ペリーとハリスと両方要りますかねぇ。ペリーの黒船来航だけでも良いように思います。
 そして、どちらの札の解説にも開港や通商をすすめられたとあります。
 脅されたようなものですけど、大部好意的な書き方になっています。

 南北朝の2枚は楠公さんと後醍醐天皇です。
S25rekishicard12
 楠公さんの札は湊川の戦いの方が良さそうに思いますが、それは七生報国と繋がるので避けたのかもしれません。
 一方、桜井の別れならば、正成・正行両方を登場させられるという利点もあったかもしれません。

 こうしたかるたにも時代背景は反映しますね。
 あれこれおもしろいです。

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