歴史

2018年2月17日 (土)

「東海道五十三次はんじ物」

 昨日、「無筆重宝国尽案内」という判じ物をアップしたのと、その中に「ひ」と「し」の混同とおぼしき例があったのとで、思い出しました。

 似たような例に「東海道五十三次はんじ物」というのがあります。これ、在職中に担当していた教養教育科目の「日本語と文化」の中で毎年のように取り上げていました。
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 「東海道五十三次」とありますが、全部で20項目しかなく、対象となっている宿場も日本橋から岡部までという東側の地域に限られます。これ、本来は東海道五十三次の東部・中部・西部の3部構成か、あるいは東部・西部の2部構成のうちの東部に当たるものと思われます。

 20項目の中には分かりやすいものと難解なものとがあります。

 分かりやすいものとしては、右端の上から3つ目。歯と猫がひっくり返っている絵。「ねこ」がひっくり返って「こね」、その上に「は」があるので、「は+こね」です。

 左端の中程にある戸板と刀の柄(つか)の絵は「と+つか」ですね。その右隣は竹の皮を割いているので、「かわさき」。(^_^)

 さて、戸塚の下にこのような絵があります。
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 難解ですが、日本橋から岡部までの範囲で考えると、どうやら平塚のようです。なぜ平塚になるかというと、左側に魚(かつお)が描かれています。尾がないので、「かつ」。頭を下にしているので、「つか」でしょう。

 かつおの右側の男は「お若えの、お待ちなせえやし」の白井権八と思われます。着物に丸に井の字の紋所が見えます。その上半身なので「しら」。両方合わせて「しら+つか」となります。

 白井権八は、本名は平井権八だそうなので、それならば素直に「ひら+つか」となりますけれども、この人物、講談や歌舞伎の世界では白井権八の名で通っているものと思われますので、やはり「しら+つか」と考えるべきかと思います。

 そうなると、これも昨日の信濃と同じく「ひ」と「し」の混同例となりましょう。

 信濃の場合は以下のような感じですかね。

 「しなの」はどうしよう。「しな+の」で、「の」は野原の絵を描けばいいな。
 「しな」は……、「そうだ。おシなさまにしよう」。(^_^)

 平塚の場合はこんな感じでしょうか。

 「シらつか」はどうしよう。「シら+つか」かな。「つか」は刀の柄なら簡単だけども、戸塚で使っちまったからなぁ。ちょっと難しくしてみるか。
 「シら」は、おいらの大好きな白井権八で行こう。

なんてことかと。(^_^)

2018年2月14日 (水)

チョコレート「つわもの揃い」

 季節のチョコレートを頂きました。♪
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 パッケージには日本地図が描かれていて、左下には「TSUWAMONO」とあります。

 地図上には国名がいくつか記されています。そのうち、最初に土佐、長門、薩摩などが目に入ってしまったので、幕末関連の品と思ってしまいました。そういう目で見ると、陸奥は会津藩だなとか、越後は長岡藩だなとか、見当が付きます。信濃は佐久間象山かなぁとは思いましたが、三河、加賀、出雲などなど不審なものもあります。

 このへんで頭を切り替えれば良いのですが、頭が固くなってしまっていて、融通がききませんでした。

 中身はこんな感じです。おいしそう。♪
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 解説が入っていました。
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 字が小さいので、2分割してご披露します。まず右側。
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 続いて左側。
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 テーマは戦国武将でした。(^_^)

 そういわれれば、越後、甲斐、三河、尾張、出雲などなど大変によく分かります。

 薩長土など、戦国にも幕末にも共通する国名がありますね。『風雲児たち』の世界です。

 お酒の入っているものが多く、蓋を開けると芳醇な香りがします。(^_^)

2018年2月13日 (火)

「はじまりは考古学」展

 愛知大学でこのような展覧会が開催されていましたので、会場校の和田先生のご案内で見て来ました。
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 画像には刻書土器が写っていますけど、時代は平安末期のようです。

 石枕が展示されていました。
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 古墳の中で、被葬者がこれを枕にしていたようです。周囲に小さい穴がいくつか開いています。ここに作り物の花を挿したそうです。

 陶馬。
Aichidai2018m
 かわいいので愛玩物のように見えますが、祭祀用とのことです。

 1本はしご。
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 高床式倉庫に入るときに使ったのでしょうね。「倉」に掛かる枕詞「はしたての」を思い出しました。

2018年1月27日 (土)

魏志倭人伝の日本語

 今日は池袋で「トンボの眼」の講演をしてきました。

 「『魏志』倭人伝と卑弥呼の言語」という大それたタイトルです。(^_^;

 レジュメはこちら

 先日当ブログで話題にした「漢文のハイフンの入力法」はこのレジュメを作っている過程で必要になったものです。

 7~8世紀になれば、当時の日本語を知るための資料も豊富になりますけど、3世紀の資料は魏志倭人伝くらいしかありませんね。それも、地名・人名・官職名に限られますので、難しいです。

 今後、思い掛けないものが出てこないものかと期待しています。
Gunmac_miko
  上の画像、時代考証的にはちょっと新しすぎるようにも思いますが。(^_^;

2018年1月 3日 (水)

『兼好法師』と『徒然草』

 暮に『兼好法師』(小川剛生氏著 中公新書)という本を買いました。
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 帯に、「今から五百年前、「吉田兼好」は捏造された」という惹句が書かれています。なかなか刺激的な文言ですが、読んでみると納得できます。
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 著者は国文学者ですが、中世史もかなりできる方とお見受けしました。それが遺憾なく発揮された著書と思います。面白かったです。

 大いに刺激されましたので、同じ著者の訳注になる『新版 徒然草』(角川ソフィア文庫)も買ってしまいました。著者名は「吉田兼好」ではなく「兼好法師」となっており、新書と整合します。(^_^)
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 『徒然草』を読むのは高校以来です。懐かしく思いつつ読み進めています。

 高名の木登り、堀池の僧正、仁和寺にある法師など、良く憶えている段もあれば、全く記憶のない段もあります。(^_^;

2017年11月30日 (木)

最古のため池発見とスルガ木簡

 今日のアサヒコム奈良に「最古級のため池を確認 「山田道」側溝も」という記事が載っていました。

 明日香村飛鳥、東山で、飛鳥時代の幹線道「山田道」の側溝とみられる溝と、6世紀前半に造られたとみられる人工のため池の跡が見つかった、ということを昨日、奈良文化財研究所が発表したとのことです。

 「飛鳥」は分かりますけど、「東山」は知りませんでしたので、地図を見てみました。
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 万葉文化館の東ないし北東ですね。

 現場はコンビニエンスストアの建設予定地で、すでに埋め戻されており、現地説明会はないそうです。

 ため池の跡は山田道の側溝跡のそばにあたり、発掘されたため池の中では最古級だそうです。

 池底の地層の特徴から、このため池は6世紀前半に谷だった地形を利用して造られたとみられ、7世紀初めには岸をかさ上げしたり、池の水を排出する溝を造ったりした形跡があったとのことです。

 山田道の整備が始まると、その排出溝も埋められ、山田道が完成した後になって、ため池全体も埋められたとみられるそうです。

 なかなか興味深いですけど、一番心惹かれたのはその先です。♪

 埋めた後の地層から、「珠流河」(するが、駿河)や「伊委之」(いわし、魚のイワシ)と読める荷札木簡が見つかったとのことです。

 これまで知られているスルガ木簡は、あらかた「駿河」の表記です。それ以外のものは、石神遺跡から出土した「素留宜矢田部調各長四段四布□□六十一」と記されたものしか見つかっていません。

 この「素留宜」は国名なのか氏族名なのかいまいちはっきりしません。そのような中での今回の発見、貴重です。

 さらに、国造本紀(『先代旧事本紀』の第10巻)に「珠流河國造」とあります。

 『先代旧事本紀』は平安時代に記紀を切り貼りして作られた偽書ながら、巻5と巻10のみは然るべき古記録を基にして書かれたとされています。

 国造本紀の「珠流河國造」と今度見つかった木簡の「珠流河」、同じ表記ですね。極めて興味深いです。

2017年11月19日 (日)

墨が付着した弥生時代のすずりか

 今日のアサヒコムに、「墨が付着した弥生時代のすずりか 福岡の薬師ノ上遺跡」という記事が載っていました。

 平成15年に福岡県筑前町の薬師ノ上遺跡で出土していた石製品が、墨が付着した弥生時代のすずりである可能性が高いことがわかった、とのことです。

 発見されたのは、「紀元前から紀元後にかけての弥生時代中~後期の土器だまり」で、墨が残る完全な形での出土は初めてだそうです。

 時代は、邪馬台国よりも前ですね。金印の頃でしょうか。

 卑弥呼が魏の国に使者を送ったときに、外交文書を持っていったことが魏志倭人伝から知られますので、3世紀には墨で字を書いていたのでしょうが、墨書の開始がいつ頃までさかのぼるのか、興味深いです。

 私が把握している最古の墨書土器は3世紀末のものです。平成16年3月24日付の新聞の切り抜きがあります。
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 もう13年半も前の記事ですので、あるいはその後、もっと古い墨書土器が見つかっているかもしれません。どうも不勉強で。(^_^;

 どのような出土品にも興味はありますけど、やはり、文字や文字に関係のあるものの出土は格別です。

2017年10月16日 (月)

岡山の名物キャラ

 岡山駅前には桃太郎像がありました。
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 猿、右手を桃太郎の陣羽織に伸ばしています。陣羽織にすがりついているわけではありませんけど、家来が大将に依存していてはまずいような……。(^_^;
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 マンホールの蓋も桃太郎。やはり、岡山というと桃太郎のようです。
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 駅前でイベントをしていて、ゆるキャラがいました。
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 JR西日本の「くまなく」だそうです。熊ですかね。左手のところにいる小さいのは「たびにゃん」だそうで、2人はセットのようです。子供に懐かれていますね。人気者なのでしょう。

 岡山市内には路面電車が走っていました。懐かしいです。

 その中に和歌山のたま駅長の電車が。
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 思いがけない出会いでした。
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 和歌山電鉄は、平成17年から岡山電気軌道の子会社だそうで、その縁で、岡山市内をこういう電車が走っているようです。

2017年8月21日 (月)

「日本橋かるた」

 こういうかるたを入手しました。
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 平成22年12月発行という新しいものです。作画は六代目歌川国政とあります。浮世絵師さんでしょうね。

 今、折しも、上に高速道路が架かってしまっている日本橋の景観を何とかしたい、という動きのある中、意義深いかるたと思います。

 絵札から8枚。
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 対応する読み札は以下の通りです。

 い:いつの世も 道の起点は 日本橋
 は:初鰹 初物好きで 見栄っ張り
 り:両国の 夜空に咲いた 江戸の華
 か:掛値なし 三井越後屋 大繁盛
 な:中村座 看板あげた 江戸歌舞伎
 ら:欄干の 擬宝珠に映える 富士の山
 お:幼子の 迷い路助く 一石橋
 あ:青空を いつかは見たし 日本橋

 それぞれの場所を示した江戸時代の地図が付いています。
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 裏は同じ範囲の現代の地図です。
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 このような紙が入っていました。
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 対応する絵札は以下の通りです。
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 確かに明治座は全く違ってしまっていますけど、でも、わざわざこのような紙を付けるには及ばないと思います。何かクレームが付く怖れがあるのでしょうかね。

2017年8月20日 (日)

『ヤマト歴史読本』

 こういう雑誌を買いました。
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 5月22日発行とあります。雑誌ですので、実際にはもう少し早く発行されていたのかもしれません。こういう雑誌が出ていたことは今まで気付きませんでした。

 「ヤマト」というのがちょっと分かりにくいですが、表紙の右上にありますように、対象は天理市・桜井市と、川西・三宅・田原本の各町です。纏向遺跡を中心とした地域ですかね。奈良市や大和三山は含まれません。

 中身をご紹介してはまずいでしょうから、目次だけ。目次は5ページあります。
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 次の見開き。
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 その次。左ページは既刊の『奈良歴史読本』の広告です。
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 『奈良歴史読本』の方は、表紙を見る限りでは、奈良市を中心に奈良県全体が対象になっているようですね。こちらも買っていたような気がします。

 中身をご披露してはまずかろうと思いつつ、見開きを1つだけ。
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 『ヤマト歴史読本』の収録範囲の立体地図です。

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