昔話

2025年2月 9日 (日)

『続日本紀研究』70周年記念号

 おととい帰宅したときに、この雑誌も届いていました。
Shokkikenkyu438
 続日本紀研究会の機関誌『続日本紀研究』は昭和29年(1954)初めに創刊されたそうです。
 70周年を迎えた記念号です。
 通常の号は、大体3本ほどの論考を収録していますが、今号は18本も掲載していて、通常号の何倍もの厚さです。
 執筆者は、これまで代表委員、編集委員、運営委員などを務めた方々だそうです。

 私、国文学科の出身ですが、初めて入会した学会が続日本紀研究会で、最初に公表した論文の掲載誌が『続日本紀研究』でした。
 変わり種です。タイトルは「続日本紀諸本の系統について」です。
 そんなことで、この雑誌には思い入れがあります。

 私の卒論題目は「続日本紀宣命の国語学的研究」でした。
 実は宣命に関心があった訳ではありません。

 学部3年の時に恩師O先生の大変に厳しい演習を履修しました。
 その授業では、上代における様々な語の用例を集めて、それを分析することが毎週必要でした。
 万葉集や記紀風土記の総索引はありましたが、宣命はないんですよね。
 宣命の用例を探すのが大変だったので、じゃぁ、卒論で総索引を作ってしまおうと思いました。
 索引を作っても、それだけでは卒論になりません。どうなるか分かりませんが、作業を始めることにしました。

 その際、底本には本居宣長の『続紀歴朝詔詞解』あたりを使うのが普通でしょうが、続日本紀宣命には校本もないので、じゃぁ、校本も作ってしまおうということになりました。
 これが正解で、続日本紀諸本を見てゆくにつれて、続日本紀諸本の系統が見えてきたのです。
 ラッキーでした。
 それまで、続日本紀諸本の系統って、分かっていなかったんですよね。
 その研究が難しかったからではなくて、誰もやっていなかったから。
 もう、ラッキーとしか言いようがありません。
 研究にはそんなこともあります。

2024年8月 6日 (火)

東京オリンピックのソノシート

 オリンピック絡みということで、昨日は「跳び箱ネコ」を載せました。
 体操種目の中に跳び箱はありませんが、あの中でシャム猫の演技は跳馬を思わせます。
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 私の中で、記憶に残る一番古いオリンピックは昭和39年の東京オリンピックです。
 その前のオリンピックは昭和35年のローマオリンピックですが、こちらの記憶はほぼありません。
 もう物心ついていたはずなのに、なぜかと考えたら、テレビ中継がなかったせいのようです。
 1963年(昭和38年)のケネディ暗殺事件が、折しも当日実施されていた日米間の初の衛星中継実験でしたから。
 それでも、体操の小野喬、水泳の山中毅の名前は記憶にあります。

 昭和39年の東京オリンピックは熱心に見ていました。
 オリンピックが終わっても関心は冷めやらず、カルピスのソノシートに応募したりしました。
 送られてきたのがこれです。
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 今ならばDVDでしょうかね。
 これは音声だけです。
 五輪の5色。

 今ではもう見ることのないカルピスマークが付いています。
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 昭和は遠く。
 古老は語る。

2022年5月19日 (木)

『稲荷山古墳出土鉄剣金象嵌銘概報』

 ネットオークションに『稲荷山古墳出土鉄剣金象嵌銘概報』が出品されていましたので、買ってしまいました。
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 これ、持っていたかもしれませんが、行方不明です。(^_^;
 銘文発見の5ヶ月後に埼玉県が発行したものです。

 目次です。
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 この鉄剣自体は昭和43年に出土したものでしたが、錆に覆われていて、銘文があるなどということは全く分からなかったようです。
 後年、保存処理を元興寺文化財研究所に依頼したところ、X線撮影をして、表裏に銘文のあることが分かったのでした。
 昭和53年9月です。
 当時、私は修士課程の3年生でした。他の上代専攻の院生仲間ともども大いに興奮して、稲荷山古墳に行ってしまいました。
 行っても何もないんですけどね。
 でも、実地踏査は大切。
 そのメンバーの1人は今、古事記学会の代表理事です。
 稲荷山古墳も見ましたし、近くにあった丸墓山古墳にも登りました。この古墳は、石田三成が忍城攻めの際に本陣を置いた場所だそうです。
 関ヶ原の敗戦はこの祟りでしょうか。(^_^;

 当時、恩師O先生の後期のお授業もこの銘文一色になりました。
 このころはまだシラバス重視がうるさくなかった時代です。
 こういった未知の貴重な資料が発見されたりしたときには、それで良いのではないかと思います。

 報告書に戻って、X線撮影写真が載っています。
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 鉄剣の表裏に銘文が刻まれていますので、両面の文字が重なっています。

 一部分のアップです。
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 これを表裏に分けたオモテ側。
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 裏側。
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 上のように表裏が重なった文字が、良くぞこのように両面それぞれに分離できたものと思います。

 奥付です。
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 今はもう錆が落とされて、金象嵌銘を直接見ることができますが、それはそれとして、貴重な報告書と思います。

2021年11月10日 (水)

東海銀行の通帳

 またまた発掘品の紹介です。
 今は亡き東海銀行の古い預金通帳が出てきました。
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 この通帳は、もともとは、小学校の修学旅行の積立金のために学校が作ってくれたものです。
 確かに、担任の先生が集金するより、保護者がそれぞれに銀行に預け入れる方が合理的な気がします。
 通帳に金額が印字されますしね。
 
 この2ページ目。
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 1966年の8月9日に3500円を預金して、残高が15903円になった時点で、暫く放置していました。
 その放置期間に、半年ごとに、利息が125円、157円……などと付いています。
 今と2桁ほど違いましょうか。もっと? 
 今の利率はあまりにも微々たるもので、具体的な利率はよく知りません。

 東海銀行には定期預金もしていて、その解約時の計算書も出てきました。
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 こちらは、10万円の預金に対して、5000円以上の利息が付いています。今から見れば夢のようですね。
 お若い方がこんなのをご覧になったら、目を剥きそう。
 これは昭和48年時点のものですけど、利率はこの先まだ上がりましたね。

 東海銀行は、その後、あれこれの経緯があって、今は三菱UFJですね。

2021年11月 8日 (月)

国文学研究資料館のコピー一番乗り

 今は東京都立川市にある国文学研究資料館は、国語国文学を学ぶ者にとってはありがたい存在です。
 コピー依頼をする入館者も大勢います。
 国文学研究資料館は、かつては東京都品川区戸越にありました。
 その地で、昭和52年の6月に開館式典が挙行され、7月から閲覧サービスを開始しました。

 当時私は修士課程の2年生でした。
 どんな施設か大いに関心を持ち、家から30分ほどの所にありましたので、早速行ってきました。
 資料を閲覧させてもらい、コピーも依頼しました。
 その折の書類が先日発掘されました。

 資料複写申込書。
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 領収証書。
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 どちらもカーボン紙ですね。

 領収証書の右上に、「昭和52年度 第1号」とあります。
 私がコピー一番乗りでした。
 自慢ではありませんが、これはなかなかなことかなぁと、感慨無量です。

2021年8月26日 (木)

昭和37年の大井町線

 またまたローカルなテツの話題です。
 先日、行きつけのクリニックで見せて貰った東急カレンダーの中に、昭和37年の大井町線の車両がありました。
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 3両編成でしょうか。行き先表示板には、目をこらすと「溝ノ口・大井町」とあるように見えます。
 場所は、二子橋道路併用橋だそうです。
 この橋は、今、大井町線と田園都市線とが渡っている、玉川高島屋付近の橋でしょう。

 田園都市線は、渋谷から二子玉川まではかつての玉電のルートを通っています。
 その昔、私の通っていた中学・高校では、年に一度、多摩川の川原でマラソン大会をしていました。
 中学が5km、高校が10kmだったと思います。
 最寄り駅は、この橋を渡った先にある二子新地でした。

 この橋にはそんな思い出もあります。懐かしい気もしますが、長距離走は苦手でした。(^_^;
 玉川高島屋はまだできていませんでした。

2021年5月25日 (火)

現地で作る波消しブロック

 「ブラタモリ」とともに、「タモリ倶楽部」も毎週見ています。
 先週の「タモリ倶楽部」は波消しブロックでした。
 テトラポッドを現地で作る様子が写真で紹介されていました。
 テトラポッドは、それを設置する海岸の近くに型を運んで、そこで作るということでした。合理的な方法と思います。

 それを見て、20年ほども前のことを思い出しました。
 通勤途上に渡る岩倉橋から、下の烏川を見ると、川原で波消しブロックを作っていました。

 型にコンクリートを流し込んだところ。
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 これでは大きさがよく分からないと思いますが、左上に手押し車(ねこ)が写っています。これと比べると、かなり大きいです。

 型を外したところ。
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 完成。
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 珍しかったので撮影しました。さらに、私のHPに載せました。平成11年です。
 元の写真が見つからなかったので、HPに載せたものを再掲しました。
 ずいぶん小さくて見づらいかもしれません。

 この翌年、テトラポッドの製作会社である株式会社テトラの関係者の方からメールを戴きました。
 私のHPを見てくださったのだそうです。エゴサーチをしたのでしょうね。
 「テトラポッド」は、株式会社テトラの登録商標名だそうです。
 そして、上の写真の波消しブロックは、日建工学株式会社の3連ブロックとのことでした。
 業界の方が見れば、メーカー名までわかってしまうのですね。なんかこういうのは嬉しくなります。(^_^)

2021年2月25日 (木)

パソコン通信を始めた頃

 先日、渋川の家の片づけで見つけました。
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 パソコン通信のマニュアルです。
 昭和63年にワープロ専用機を買ったときに、付いてきました。

 それまで「パソコン通信」という語は知りませんでした。
 このワープロ専用機も、パソコン通信ができるからという理由で選んだわけではありません。

 冒頭に、パソコン通信で何ができるのかが箇条書きで示されています。
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 このページには、「電子掲示板」と「電子メール」が挙がっています。
 そのあとは、「データベース」「チャット」「証券会社のパソコン通信サービス」「航空券や海外ホテルの予約」「電子ショッピング」「電子会議」と続きます。今のインターネットのような感じです。

 その次には、パソコン通信のための準備について書かれています。
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 ここに用意する物が挙げられています。

 ワープロとパソコン通信ソフトはあります。あとは、モデムというものを買わなくてはなりません。
 また、電話線が壁から出ているような家では、壁の電話線をモジュラーコンセントに変える工事をしてもらわなければなりません。
 全く未知の世界でしたので、ハードルが高かったと思いますが、まずは秋葉原に行ってモデムを買いました。
 秋葉原に行くのはそれが初めてでした。
 ついで、電話工事を申し込んで、モジュラーコンセントを設置してもらいました。

 保守的でめんどくさがりの私にしては、ずいぶん熱心に動いたものです。
 パソコン通信でこれをしたい、という明確な理由があったわけでもないのに。
 たぶん、このワープロ専用機でパソコン通信というものができるそうなので、その機能を使わなくては勿体ない、と思ったのではないでしょうか。
 スーパーで2000円買えば100ポイント付く券があるのに、それを使わないのは耐え難い、というのと同じかもしれません。

 次のページには接続法が説明されています。
S63pasotsu04
 確かにこのように繋ぎました。

 最後にもう1つ。
 パソコン通信サービスに入会の申込が必要です。
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 複数の会社がある中で、私はニフティーサーブを選びました。
 この時にニフティーからもらったメールアドレスを今も使っています。

2021年2月 4日 (木)

群馬で暮らし始めた頃

 先日、渋川の家の片づけで、群馬に引っ越した頃の出納帳が出てきました。
 昭和60年4月です。36年前ですね。
 生活史の資料になりましょうか。(^_^;

 引越当日の4月5日。
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 東京から群馬への引っ越し代は5万円でした。荷物もあまりなかったのでしょう。
 高速代2000円とあります。もう関越自動車道が開通していました。
 大宮始発で開業した上越新幹線は、この頃には上野発になっていました。東京発になるのは少し先です。
 引越業者に昼食代・チップとして8000円渡しています。
 これは、世間知らずの私の知恵ではありません。父に言われてのことでした。
 あと、サンダル、スリッパ、歯磨き、歯ブラシなど、こまごまとした物を買っています。
 本当に大した物も持たずに引越したようです。

 2日目の6日。
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 この日は電話を申し込んでいます。72800円。
 ググってみたら、当時は電話加入権として72000円が必要でした。差額の800円は不明です。
 この日も、台所まわりのあれこれを買っています。
 下の方にある「ポイロンS」は何なのか不明です。ググっても出てきませんでした。
 単位呼称は「枚」です。「ポイ」は捨てるイメージがあります。「ロン」はナイロンを連想させます。
 三角コーナーに取り付ける袋ですかね。
 さらにその下に、じょうろと移植ごてがあります。引っ越し早々なのに、園芸をする気満々。(^_^)

 3日目の7日。
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 カラーテレビ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機を買っています。
 「カラーテレビ」と書いているということは、当時まだモノクロテレビもあったのでしょうか?
 いずれもごく普通の品です。一人暮らしなので、冷蔵庫は割と小型です。
 これらの家電製品が今いくらぐらいなのか分かりませんが、あまり変わらないでしょうか。
 当時、バブルの少し前でしょうか。その後、バブルがはじけてデフレが続きましたので、36年経っても、物価はあまり変わっていないのかもしれません。
 当時、大型カメラ店はあって、売っている品の価格は町のカメラ屋さんとは大きな差がありましたが、大型家電店はまだなかったような気もします。そんな背景もあったかもしれません。
 これらの製品のうち、冷蔵庫と掃除機は今も現役です。丈夫で長生き。
 洗濯機は2台目になりました。テレビは、アナログ放送が地デジに変わった時点で使えなくなりましたが、DVDデッキのモニターとしてさらに使いました。
 電化製品の他に、鍋、釜、フライパン、包丁、まな板を買っています。自炊する気満々。
 土鍋も買っています。ご飯を炊くのに、炊飯器ではなく、土鍋を使いました。

 4日目の8日。
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 前日に土鍋を買ったので、早速お米を買っています。
 あとは、食品と雑貨類。

 5日目の9日。
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 やっと自転車を買っています。
 ということは、この日まで、買い物には歩いて行ったことになります。どのお店までも結構遠いです。
 電化製品は配達してもらいましたが、あとは持ち帰ったのですね。重かったと思います。お米も5kg買っているし。(^_^;
 あと、こたつを買っています。4月上旬はまだ寒い日もあったことでしょう。これから暖かくなりますが、寒い季節以外も、このこたつを食卓として使いました。

 6日目の10日。
S6004suitou06
 魚を焼く網や、その他あれこれ雑貨を買っています。
 暮らしているうちに、あれが足りない、これが足りないということで、順次買い増していったことが分かります。
 ほんと、引っ越しに際して持っていったのは、本、ワープロ、机と椅子、布団くらいだったのでしょう。

 という6日間でした。長々と書きまして。

2021年1月31日 (日)

宣命校本ノート

 渋川の家の片づけで出てきました。
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 私の卒論のタイトルは「続日本紀宣命の国語学的研究」でした。その別冊資料です。
 母校では、卒業式の日に「永久貸し出し」という名目で卒論を返却していました。
 貸し出しなので、本当はすぐに出せるようにしていないといけないのでしょうけど。(^_^)

 中はこのようです。
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 多少アップに。
Senmyokohon03

 宣長の『続紀歴朝詔詞解』のコピーを切り貼りしたのを底本にして、これに諸本の異同を書き込んで行きました。
 コピーは湿式のようです。少し薄くなっていますが、40数年を経てこの程度ならば優秀かもしれません。
 結構たくさんの本を見ています。ただ、大学院に入ってからさらに校合したものもありますので、卒論時点よりも増えています。
 ご覧のように、宣長は、多くの諸本が一致している本文を結構変えています。そんなことが校本を作って分かりました。

 天理図書館にもこの3冊を携えて行きました。当ブログでしばしば触れた芳月に泊まって。

 渋川転居後28年振りに再会して感慨深いものがありました。

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