昔話

2019年6月15日 (土)

「大草原の小さな家」

 ネットオークションに出ていたので、懐かしくて買ってしまいました。
 私以外に誰も入札せず。(^_^;
Daisogen
 昔、毎回楽しみに見ていました。
 中高の頃かと思ってググってみましたら、放送開始は大学4年の夏でした。
 月光仮面、隠密剣士、アトム、鉄人が小学生の頃だったのははっきり覚えているのですが、それ以後の番組は放送時期の記憶が曖昧なものが多いです。

 この番組もそうですが、昔のアメリカ映画には、信頼、正義、正直、思いやり、友情、家族愛などをテーマにした作品が多かったように思います。この番組、強く心に響く回が多かったです。

 毎週、熱心に見ていましたが、途中から見なくなってしまいました。
 放送時間が変わったんです。最初は火曜日の20時からでした。晩ご飯を食べ終えてじっくりと見ることができました。
 それが、途中から土曜日の18時からになってしまいました。この時間はNHKでは昔から子供向けのドラマ枠でしたが、大草原をこの時間枠で放送するのはちょっと違うといいますか、腰を据えてじっくり見るには適さない時間でした。

 それに加えて、この時間にはまだ帰宅していない日もあり、また、お姉さんのメアリーが失明してしまうのがかわいそうで、見るのがつらくなりました。

 もう40年以上も昔の、そんなことを思い出しました。

2019年4月30日 (火)

平成に改元の頃

 平成最後の日となりました。
 といって特段のことはなく、今日も明日も在宅予定です。
 先ほど近所のスーパーに行ってきました。何か特別のゴハン、たとえば鶏のもも肉なんぞがあるかと思いましたが、ありませんでした。クリスマスじゃないっちゅうに。(^_^;

 平成最後の買い物は近所のスーパー、令和最初の買い物も同じスーパーということになりましょう。

 渋谷あたりでは、日付の変わる頃に大騒ぎが起こるのでしょうかね。穏やかに済むと良いです。

 平成最初の頃に思いを馳せてみました。

 あの時は昭和天皇の崩御に伴う改元でしたので、前年から昭和天皇の病は篤かったとはいえ、突然のことでした。1月7日に崩御、8日に改元でしたが、小渕さんが「平成」の新元号を発表したのは7日の午後でしたか、夜でしたか。

 私は、昭和60年から群馬県立女子大学に勤めていました。調べてみたら、崩御の7日は土曜日、改元の8日は日曜日だったのですね。その日を群馬で迎えたのか東京で迎えたのか、記憶がはっきりしません。年末年始は東京で過ごしました。7日はもう群馬に戻っていたかもしれません。

 パソコンを使い始めたのは昭和63年の暮でした。使い始めてしばらくして改元を迎えたことになります。HDDの中にその頃のデータが何かないかと探してみました。見つかった最古級のファイルは、1989/01/27のタイムスタンプのある「完全な水槽について」というテキストファイルでした。まだインターネットの時代ではなく、パソコン通信のペットフォーラムかアクアリウムフォーラムからダウンロードしたもので、中身は金魚や熱帯魚の育て方です。この頃も金魚を飼っていたのですね。「十年一日」どころか「三十年一日」の如き暮らしぶりです。

 まだデジカメはないので、当時の金魚の写真はありません。最近のを載せます。
Kingyo_h310417
 今日撮せば平成最後の姿ということになりますが、金魚は元号とは無関係に暮らしていますので、特に今日撮影することはしませんでした。2週間ほど前の写真です。
 水温が上がって食欲旺盛、元気いっぱいです。

 思い返すに、改元の頃はまだHDDは持っていませんでしたので、データファイルはすべてフロッピーディスクに収めていました。後年、HDDを買ったときに、必要なファイルはFDからHDDに移しました。最初に買ったHDDの容量はそう大きくありませんでしたので、ファイルは厳選して移したのでしょう。完全水槽のファイルはそのハードルを越えたことになります。(^_^) 以後、新しくHDDを買い足したり買い替えたりする度ごとに、ファイルはコピーを繰り返し、今に至っています。紙のデータはあっという間にどこかに行ってしまいますが、電子データは残ります。うっかり消さないようにせねば。

 平成最後の日の記事としては、甚だまとまりませんが……。(^_^;

2019年2月25日 (月)

難解な校歌

 昨日、母校の体育館を取り上げたせいで、往時に思いを馳せました。半世紀前。(^_^;
Asahitaiiku01
 画面の右側に写っているのはヒマラヤ杉です。母校のシンボルでした。このヒマラヤ杉や体育館は健在でしょうかね。もう何十年も行っていませんので、今どうなっていますやら。
Asahitaiiku02
 体育館の内部には舞台がありますので、講堂も兼ねています。卒業式はここでやりました。予行演習の時に、卒業証書を受け取った後、階段を使って壇上から降りるべきところ、ふざけて飛び降りて、担任から叱られました。しょうもない子どもです。(^_^; 予行演習だから飛び降りただけで、本番では飛び降りる気はなかったのですが、担任は不安に思ったことでしょう。

 すみません。2枚とも昨日と同じ写真で。(^_^;

 この体育館ができるまでは、入学式・卒業式は校庭で行っていたのでしょう。雨の時は、雨だからといって順延も難しいでしょうから、どうしていたのでしょうね。

 母校のHPを見たら、校歌が載っていました。

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世田谷区立旭小学校校歌

 作詞:斉藤徳次郎
 作曲:出川不折

 1
 暁かおる明星の 八千の光をいくとせに
 うけて緑の朝霞む 学びの庭はさやさやと
 旭の丘に風なびく

 2
 富士の高嶺の彼方には 波幾千里太平洋
 希望にかがやく我が胸の こだまは高く末遠く
 調べ勇ましよろず世に

 3
 わが立つ丘はとこしえに 鐘は鳴る鳴る中空に
 母校のほまれ世の光 かがやかすべき文明の
 高嶺の花と咲きたとう
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 1番と3番はよく憶えています。歌詞を見ずに歌えます。子どもの頃に憶えた歌は歳をとっても忘れませんね。子ども番組の主題歌と同様です。(^_^)

 2番はあまり記憶がありません。式などで歌ったのは1番のみか、1番・3番だったのでしょう。

 学校は明治13年創立です。戦前に作られた校歌もあったことでしょうが、上の校歌は昭和24年の作です。戦前の校歌は難しすぎたり時代と合わなかったりしたために新しいのを作ったものと思います。

 しかしこれ、難しいです。格調は高いのですが、小学生に理解できるとは思えません。

 小学生だった頃、1番の「ヤチの光」はちゃんとそのように歌ってはいましたが、何となく「椰子の光」を思い浮かべていました。「椰子の光」というのも意味不明ですけど。(^_^;

 1番は、今じっくり読んでもどうもよく分かりません。朝のさわやかなイメージは分かります。学校の名称が旭小学校なので、それも意識しているのかもしれませんし、時間的な夜明けだけでなく、新しい夜明けを迎えた日本、ということもあるのかもしれません。

 そういったことは分かりますけど、文脈がたどれない。(^_^;

 「明星」は明けの明星で金星のことでしょうか。そうすると、「八千の光」は金星の明るさを表現したものか。「明星」が特に金星ということではなく、明るい星々という意味ならば「八千の光」は多くの星々の光ということになりそうです。

 それに続く「いくとせに」は? そういう星の輝きが大昔から連続していたということでしょうか。毎朝、そういう明星の光を受けて、夜が明けるということかなぁと。

 などなどと、考え考え書いてきたら、何となく理解できたような気になってきました。考えを文字化するのは大切。(^_^)

 2番の「富士の高嶺の彼方には 波幾千里太平洋」というのは心地よい響きと思います。

 これもツッコめば、山梨県あたりからならば、富士山の向こうには太平洋が広がっていることでしょうが、東京から富士山越しだと、その向こうは三河湾や伊勢湾かなという気がします。ま、三河湾や伊勢湾も太平洋ではありますけど。

 3番の趣旨はよく分かりますけど、「鐘」がよく分かりません。お寺の鐘ではなさそう。平和の鐘とか、そういった類でしょうかね。小学生の頃は、「緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台 鐘が鳴ります キンコンカン」という歌を思い浮かべていました。この歌は昭和22年に作られたそうですので、校歌よりも前ですね。校歌の作詞者もこの歌の影響を受けていたのかもしれません。(^_^)

 あ、単純に、始業・終了を知らせる鐘で良いのかも。

 また書いていて思い至りました。書くのは大事。

2017年8月 4日 (金)

夕ニャンの台本

 今日の記事は、書くのをちょっと躊躇しましたが……。(^_^;

 その昔、「夕やけニャンニャン」というTV番組がありまして、毎日見ていました。(^_^;

 フジテレビで、月金の夕方5時から6時までの番組です。かのおニャン子クラブの番組です。

 もう勤めていましたので、この番組の時間には大抵家にはいません。留守録を録って、帰宅後に夕飯を食べながら見ていました。

 ネットオークションにもその台本が時々出ますが、キリがないので、あまり入札したことはありませんでした。それが、今回、高井麻巳子が卒業するときの台本が出たので、入札しました。私、高井麻巳子のファンだったもので。

 私以外には誰も入札せず、安く落札することができました。(^_^;
Yunyan479a
 高井麻巳子が秋元康と結婚したときはびっくりしました。まだインターネットの時代ではありませんでした。パソコン通信のフォーラムには秋元康に対する怨嗟の声が満ち満ちていたような。(^_^)

 こんなページがあります。
Yunyan479b
 「田代」とあるのは田代まさしです。「吉田」は吉田照美。高井麻巳子のセリフは書いてありませんね。「(答える)」とあるばかりです。セリフがあらかじめ決められていたわけではなく、自分の言葉で答えたことが分かります。

2017年5月 4日 (木)

「Dos恋」

 今日は「Dos恋」というソフトを発掘しました。ワープロ専用機のデータをパソコンのデータに変換するソフトです。
Doskoi
 私、パソコンを使い始める前に4年半ほどワープロ専用機を使っていました。ワープロを使い始めたのは大学に勤める前年でした。

 ワープロを更新したときに、新しいワープロではパソコン通信ができるということでした。パソコン通信って初めて聞く言葉でしたし、どういうものかも分からなかったのですが、やってみようと思いました。モデムという物を買わなくてはいけないということでしたし、壁の電話線もモジュラーコンセントに替えなくてはならなかったと思います。結構ハードルが高かったはずですけど、なぜか積極的でした。モデムは2400bpsのでした。

 ニフティーサーブに入って、ペットフォーラムやらアクアリウムフォーラムをウロウロしていると、どうもワープロよりもパソコンの方がいろいろなことができそうだと分かり、使いこなせる自信はありませんでしたが、パソコン買ってしまいました。

 パソコンと一緒に買ったソフトは、「一太郎」と「ザカード3」、そして「信長の野望」。(^_^) プリンターはまだ買いませんでしたので、授業の配付資料などはまだワープロ専用機で作っていたのでしょう。4年近くの間に作った配付資料の蓄積もありましたしね。

 ワープロ専用機で書いた論文もありましたし、論文執筆のためのデータもワープロ専用機で作ったものでした。そういった財産をどうするかという問題がありました。打ち直すのは大変ですからねぇ。

 そんな時にこのソフトが出ました。ありがたかったです。需要がたくさんあったことでしょう。
Doskoi02
 「Dos恋」というネーミングも楽しいです。(^_^)

2014年9月24日 (水)

石川さゆりとツーショット

 昨日、懐かしい川原湯温泉駅に行ったことで、思い出しました。

 「おお、そうじゃった。昔、川原湯駅前で石川さゆりとツーショットを撮ったんじゃった」(なぜか、金水敏氏の「役割語」の様な口調に(^_^;)

 その写真を探したら、幸いに見つかりました。
Kawarayu06
 右下の日付を見ると、撮影は1983年(昭和58)3月29日です。この3日後の4月1日から母校の助手になったのでした。

 このポスターの貼ってあった場所、駅舎なのか、駅の近くにあったお店か何かだったのか、もう記憶がありません。昨日見た限りでは、駅のすぐ近くにお店はありませんでした。

 しかし、30年前、当然ながら今と大違いです。特に髪の毛など。(^_^;

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