昔話

2021年1月 5日 (火)

昔のタヌキの記事

 今日は新年最初の授業でした。
 中休みの休憩時間に、こんな画像を見てもらいました。
Tanukiyomiuri

 大昔の新聞の群馬版の切り抜きです。
 渋川の家の片付けの過程で見つけました。
 子だぬきが住みついている大学というのものどかで良いです。
 野生のタヌキなのに、不思議に人懐っこかったです。

 新聞記事の写真は私が撮ったものです。どういう経緯か忘れてしまいましたが、新聞の記事に使われることになりました。
 元の写真です。
Tanukiyomiuri02

 新聞では、必要な部分だけ綺麗にトリミングしてありますね。

 こんな写真もあります。
Tanukiyomiuri03
 中央下部に見えているのは私の太ももです。
 子だぬきが私の太ももを踏み台にして、私の鞄をあさろうとしています。
 傍若無人な奴です。
 大きな尻尾。
 鞄に付いているのは、木彫りのフクロウのマスコットです。

2020年12月30日 (水)

50年前の環状7号線

 このようなものが出てきました。
Kan7ehagaki01
 左下に世田谷区立旭小学校とあります。私の母校です。
 右上にある昭和三十九年十月というのは東京オリンピックが開催された時期です。

 ローカルな話題で済みません。
 旭小学校の校区に国道246号線(玉川通り)と環状7号線が通っています。
 東京オリンピックが開催されることに伴って、環状7号線が拡幅されました。
 道を渡るのに危険が伴いますので、歩道橋が作られました。それを記念した絵はがきが入っています。

 裏です。
Kan7ehagaki02
 なんか、児童の詩で歩道橋を絶賛しています。それを作ってくれた人も。

 ちょっと不思議な話です。
 確かにこの歩道橋を利用する児童もいますけど、歩道橋完成記念の絵はがきを小学校が作るというのも……。

 それはともかく、中身は絵はがきが2枚です。2枚とも上下に写真が並んでいて、写真は合計4枚になります。

 これは、上記の2本の幹線道路が交わる上馬交差点から撮影したものです。
Kan7ehagaki03
 手前から奥に伸びているのが環状7号線です。こんなに狭い道でした。
 道の両側が野沢銀座です。環7通りが商店街。
 手前を左右に通っているのが玉川通りです。東急玉川線(玉電)の線路が見えます。

 それがこうなりました。
Kan7ehagaki04
 環状7号線は玉川通りの下にもぐり、立体交差になりました。
 さらにこの数年後、玉川通りの上には首都高速3号線が架かることになります。
 まさに東京大改造です。
 画面左端に玉電が見えます。
 アップです。
Kan7ehagaki07

 これは、環状7号線をもう少し先に行ったあたりです。
Kan7ehagaki05
 道の左右に商店がびっしり並んでいます。
 中央の車は道の真ん中を走っていますね。

 この狭い道が大きく拡幅され、歩道橋が架かりました。
Kan7ehagaki06
 道幅が大分変わりました。今の環状7号線と同じ幅です。
 画面右端に「祝完成 野沢銀座商(店街)」と書いた懸垂幕が見えます。
 アップです。
Kan7ehagaki08
 渡り初めも行われたようですし、この歩道橋は大歓迎されたようです。珍しさもあったのでしょうね。

 この絵はがきは昭和39年10月に旭小学校の全児童に配布されたと書いてありますが、私はこの年の3月に卒業したので、対象外です。
 たぶん、妹がもらってきたのをもらい受けたのでしょう。脅し取ったとか、そういうことは、当時の力関係からいって考えにくいです。(^_^;

2020年12月26日 (土)

スマホの音声

 新しいスマホを買って20日近く経ち、大分慣れてきました。
 このスマホ、マナーモードにすると、電話やメールの着信音が消えるだけで、動画の音声やゲームの効果音などは音が出ます。
 こういうのは普通でしょうか。
 私がこれまで使ってきたガラケーやスマホは、どれもみなマナーモードにするとあらゆる音が出ませんでした。

 ここが今までのと大きく異なります。
 これでは、電車の中でスマホゲームの「ねこあつめ」を起動することができません。
 このゲームは、ゴハンとグッズを用意して、ねこが来るのをひたすら待つだけのゲームですから、長時間かかりきりになる必要はないのですが、たまに様子を見たい思いがあります。それができない。

 これを不満に思っていましたが、ふと、マナーモードにするのではなく、音量をゼロにすれば良いのではないか、と思い至りました。
 そこまでに10日ほどを要しました。頭固いです。(^_^;

 今はいつでも「ねこあつめ」を見ることができるようになりました。

 その昔のガラケー時代、着メロを自分で入力することができました。1がド、2がレ、3がミ……といった具合です。音の長さもどこかのキーを使って、全音符、二分音符、四分音符……という具合に入力、登録することができました。

 私は「津軽海峡・冬景色」を入れていたのですが、マナーモードにするのを忘れていて、某学会の会議の席上、これが高らかに鳴り出して大いに狼狽しました。惟光さん(天爵露城さん)がウケてました。(^_^)

 エライことでしたが、電車の中よりはマシだったかもしれません。
 これ以来、ケータイ・スマホは原則常にマナーモードにしているようになりました。
 入試の監督なんかもありますしね。いろいろとあぶないです。(^_^;

2020年8月30日 (日)

東京23区の電話番号が変わったのは

 整理中の段ボール箱から、このような文書が出てきました。
Tokyodenwa
 またまた守秘義務違反が心配。(^_^;

 東京23区の電話番号、もう今の形に慣れてしまっていますけど、そういえば、昔は03-○○○-○○○○でした。
 その前は、03-○○-○○○○という時期があったのでしょうけど、それは記憶にありません。
 今の形に桁が増えたのは、平成3年1月1日の午前2時からだったのですね。
 もう30年近く前。

 その頃、どんな日々だったのやら。
 ブログをしていれば記録が残っていましょうけど、そのようなものはまだなく。
 前年の10月に専修大学で萬葉学会の研究発表をしていました。西條さんと同じ回。
 研究発表が無事に終わって、ほっとしていたかもしれません。(^_^)

2020年8月18日 (火)

新聞沙汰になった9年前

 整理中の段ボール箱からこのようなものが出てきました。
311_shinbun01
 東日本大震災の翌日の毎日新聞の群馬版です。
 私の名前が載っているのを見つけた勤務先の事務局の方がコピーを渡してくれたのです。

 震災の時は、東京から群馬に移動中の新幹線に乗っていました。もう少しで高崎駅に着くというときに地震が発生しました。
 大きく揺れて停まったので、車両故障かと思いましたが、外を見たら、電線が大きく揺れていたので、地震だと思いました。
 やがて、その旨のアナウンスがありました。

 高崎駅を目前にしながら、新幹線は停まったまま。1時間半ほど経ってから、そろそろと動き出して、駅に着き、降車することができました。
 改札口への階段に近いドア付近の座席に座っていたので、改札に向かう乗客の中では先頭に近い位置でした。
 それで、改札付近にいた新聞記者に掴まってしまったのでしょう。
 気の利いたコメントをもらえそうに見えたのかもしれません。(^_^)
 で、私のコメントですけど、どうってことないですね。名前や年齢を出されるほどのものではありません。
 新聞記事って、必ずといっていいほど年齢が載りますね。載せなくて良いのに。(^_^;

 あの地震では群馬県もずいぶん揺れました。
 同じページに県内各地の震度が載っています。
311_shinbun02
 もとのコピーで、上の方が少し欠けていますが、本震では桐生で震度6弱だったようです。
 高崎は震度5強。それなら新幹線は止まります。

 翌日は、毎年恒例の国公立大学の後期日程入試の日でした。
 移動中だった受験生も多かったことと思います。
 広範囲に電車が止まってしまい、影響を受けた受験生はどんなにか心細かったことでしょう。
 地震前にすでに受験校付近に到着していた受験生も、無事に受験はできても、いつ故郷に帰れたのか。
 職業柄、やはり受験生のことが気になりました。

2019年6月15日 (土)

「大草原の小さな家」

 ネットオークションに出ていたので、懐かしくて買ってしまいました。
 私以外に誰も入札せず。(^_^;
Daisogen
 昔、毎回楽しみに見ていました。
 中高の頃かと思ってググってみましたら、放送開始は大学4年の夏でした。
 月光仮面、隠密剣士、アトム、鉄人が小学生の頃だったのははっきり覚えているのですが、それ以後の番組は放送時期の記憶が曖昧なものが多いです。

 この番組もそうですが、昔のアメリカ映画には、信頼、正義、正直、思いやり、友情、家族愛などをテーマにした作品が多かったように思います。この番組、強く心に響く回が多かったです。

 毎週、熱心に見ていましたが、途中から見なくなってしまいました。
 放送時間が変わったんです。最初は火曜日の20時からでした。晩ご飯を食べ終えてじっくりと見ることができました。
 それが、途中から土曜日の18時からになってしまいました。この時間はNHKでは昔から子供向けのドラマ枠でしたが、大草原をこの時間枠で放送するのはちょっと違うといいますか、腰を据えてじっくり見るには適さない時間でした。

 それに加えて、この時間にはまだ帰宅していない日もあり、また、お姉さんのメアリーが失明してしまうのがかわいそうで、見るのがつらくなりました。

 もう40年以上も昔の、そんなことを思い出しました。

2019年4月30日 (火)

平成に改元の頃

 平成最後の日となりました。
 といって特段のことはなく、今日も明日も在宅予定です。
 先ほど近所のスーパーに行ってきました。何か特別のゴハン、たとえば鶏のもも肉なんぞがあるかと思いましたが、ありませんでした。クリスマスじゃないっちゅうに。(^_^;

 平成最後の買い物は近所のスーパー、令和最初の買い物も同じスーパーということになりましょう。

 渋谷あたりでは、日付の変わる頃に大騒ぎが起こるのでしょうかね。穏やかに済むと良いです。

 平成最初の頃に思いを馳せてみました。

 あの時は昭和天皇の崩御に伴う改元でしたので、前年から昭和天皇の病は篤かったとはいえ、突然のことでした。1月7日に崩御、8日に改元でしたが、小渕さんが「平成」の新元号を発表したのは7日の午後でしたか、夜でしたか。

 私は、昭和60年から群馬県立女子大学に勤めていました。調べてみたら、崩御の7日は土曜日、改元の8日は日曜日だったのですね。その日を群馬で迎えたのか東京で迎えたのか、記憶がはっきりしません。年末年始は東京で過ごしました。7日はもう群馬に戻っていたかもしれません。

 パソコンを使い始めたのは昭和63年の暮でした。使い始めてしばらくして改元を迎えたことになります。HDDの中にその頃のデータが何かないかと探してみました。見つかった最古級のファイルは、1989/01/27のタイムスタンプのある「完全な水槽について」というテキストファイルでした。まだインターネットの時代ではなく、パソコン通信のペットフォーラムかアクアリウムフォーラムからダウンロードしたもので、中身は金魚や熱帯魚の育て方です。この頃も金魚を飼っていたのですね。「十年一日」どころか「三十年一日」の如き暮らしぶりです。

 まだデジカメはないので、当時の金魚の写真はありません。最近のを載せます。
Kingyo_h310417
 今日撮せば平成最後の姿ということになりますが、金魚は元号とは無関係に暮らしていますので、特に今日撮影することはしませんでした。2週間ほど前の写真です。
 水温が上がって食欲旺盛、元気いっぱいです。

 思い返すに、改元の頃はまだHDDは持っていませんでしたので、データファイルはすべてフロッピーディスクに収めていました。後年、HDDを買ったときに、必要なファイルはFDからHDDに移しました。最初に買ったHDDの容量はそう大きくありませんでしたので、ファイルは厳選して移したのでしょう。完全水槽のファイルはそのハードルを越えたことになります。(^_^) 以後、新しくHDDを買い足したり買い替えたりする度ごとに、ファイルはコピーを繰り返し、今に至っています。紙のデータはあっという間にどこかに行ってしまいますが、電子データは残ります。うっかり消さないようにせねば。

 平成最後の日の記事としては、甚だまとまりませんが……。(^_^;

2019年2月25日 (月)

難解な校歌

 昨日、母校の体育館を取り上げたせいで、往時に思いを馳せました。半世紀前。(^_^;
Asahitaiiku01
 画面の右側に写っているのはヒマラヤ杉です。母校のシンボルでした。このヒマラヤ杉や体育館は健在でしょうかね。もう何十年も行っていませんので、今どうなっていますやら。
Asahitaiiku02
 体育館の内部には舞台がありますので、講堂も兼ねています。卒業式はここでやりました。予行演習の時に、卒業証書を受け取った後、階段を使って壇上から降りるべきところ、ふざけて飛び降りて、担任から叱られました。しょうもない子どもです。(^_^; 予行演習だから飛び降りただけで、本番では飛び降りる気はなかったのですが、担任は不安に思ったことでしょう。

 すみません。2枚とも昨日と同じ写真で。(^_^;

 この体育館ができるまでは、入学式・卒業式は校庭で行っていたのでしょう。雨の時は、雨だからといって順延も難しいでしょうから、どうしていたのでしょうね。

 母校のHPを見たら、校歌が載っていました。

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世田谷区立旭小学校校歌

 作詞:斉藤徳次郎
 作曲:出川不折

 1
 暁かおる明星の 八千の光をいくとせに
 うけて緑の朝霞む 学びの庭はさやさやと
 旭の丘に風なびく

 2
 富士の高嶺の彼方には 波幾千里太平洋
 希望にかがやく我が胸の こだまは高く末遠く
 調べ勇ましよろず世に

 3
 わが立つ丘はとこしえに 鐘は鳴る鳴る中空に
 母校のほまれ世の光 かがやかすべき文明の
 高嶺の花と咲きたとう
-----------------------------------------------------------

 1番と3番はよく憶えています。歌詞を見ずに歌えます。子どもの頃に憶えた歌は歳をとっても忘れませんね。子ども番組の主題歌と同様です。(^_^)

 2番はあまり記憶がありません。式などで歌ったのは1番のみか、1番・3番だったのでしょう。

 学校は明治13年創立です。戦前に作られた校歌もあったことでしょうが、上の校歌は昭和24年の作です。戦前の校歌は難しすぎたり時代と合わなかったりしたために新しいのを作ったものと思います。

 しかしこれ、難しいです。格調は高いのですが、小学生に理解できるとは思えません。

 小学生だった頃、1番の「ヤチの光」はちゃんとそのように歌ってはいましたが、何となく「椰子の光」を思い浮かべていました。「椰子の光」というのも意味不明ですけど。(^_^;

 1番は、今じっくり読んでもどうもよく分かりません。朝のさわやかなイメージは分かります。学校の名称が旭小学校なので、それも意識しているのかもしれませんし、時間的な夜明けだけでなく、新しい夜明けを迎えた日本、ということもあるのかもしれません。

 そういったことは分かりますけど、文脈がたどれない。(^_^;

 「明星」は明けの明星で金星のことでしょうか。そうすると、「八千の光」は金星の明るさを表現したものか。「明星」が特に金星ということではなく、明るい星々という意味ならば「八千の光」は多くの星々の光ということになりそうです。

 それに続く「いくとせに」は? そういう星の輝きが大昔から連続していたということでしょうか。毎朝、そういう明星の光を受けて、夜が明けるということかなぁと。

 などなどと、考え考え書いてきたら、何となく理解できたような気になってきました。考えを文字化するのは大切。(^_^)

 2番の「富士の高嶺の彼方には 波幾千里太平洋」というのは心地よい響きと思います。

 これもツッコめば、山梨県あたりからならば、富士山の向こうには太平洋が広がっていることでしょうが、東京から富士山越しだと、その向こうは三河湾や伊勢湾かなという気がします。ま、三河湾や伊勢湾も太平洋ではありますけど。

 3番の趣旨はよく分かりますけど、「鐘」がよく分かりません。お寺の鐘ではなさそう。平和の鐘とか、そういった類でしょうかね。小学生の頃は、「緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台 鐘が鳴ります キンコンカン」という歌を思い浮かべていました。この歌は昭和22年に作られたそうですので、校歌よりも前ですね。校歌の作詞者もこの歌の影響を受けていたのかもしれません。(^_^)

 あ、単純に、始業・終了を知らせる鐘で良いのかも。

 また書いていて思い至りました。書くのは大事。

2017年8月 4日 (金)

夕ニャンの台本

 今日の記事は、書くのをちょっと躊躇しましたが……。(^_^;

 その昔、「夕やけニャンニャン」というTV番組がありまして、毎日見ていました。(^_^;

 フジテレビで、月金の夕方5時から6時までの番組です。かのおニャン子クラブの番組です。

 もう勤めていましたので、この番組の時間には大抵家にはいません。留守録を録って、帰宅後に夕飯を食べながら見ていました。

 ネットオークションにもその台本が時々出ますが、キリがないので、あまり入札したことはありませんでした。それが、今回、高井麻巳子が卒業するときの台本が出たので、入札しました。私、高井麻巳子のファンだったもので。

 私以外には誰も入札せず、安く落札することができました。(^_^;
Yunyan479a
 高井麻巳子が秋元康と結婚したときはびっくりしました。まだインターネットの時代ではありませんでした。パソコン通信のフォーラムには秋元康に対する怨嗟の声が満ち満ちていたような。(^_^)

 こんなページがあります。
Yunyan479b
 「田代」とあるのは田代まさしです。「吉田」は吉田照美。高井麻巳子のセリフは書いてありませんね。「(答える)」とあるばかりです。セリフがあらかじめ決められていたわけではなく、自分の言葉で答えたことが分かります。

2017年5月 4日 (木)

「Dos恋」

 今日は「Dos恋」というソフトを発掘しました。ワープロ専用機のデータをパソコンのデータに変換するソフトです。
Doskoi
 私、パソコンを使い始める前に4年半ほどワープロ専用機を使っていました。ワープロを使い始めたのは大学に勤める前年でした。

 ワープロを更新したときに、新しいワープロではパソコン通信ができるということでした。パソコン通信って初めて聞く言葉でしたし、どういうものかも分からなかったのですが、やってみようと思いました。モデムという物を買わなくてはいけないということでしたし、壁の電話線もモジュラーコンセントに替えなくてはならなかったと思います。結構ハードルが高かったはずですけど、なぜか積極的でした。モデムは2400bpsのでした。

 ニフティーサーブに入って、ペットフォーラムやらアクアリウムフォーラムをウロウロしていると、どうもワープロよりもパソコンの方がいろいろなことができそうだと分かり、使いこなせる自信はありませんでしたが、パソコン買ってしまいました。

 パソコンと一緒に買ったソフトは、「一太郎」と「ザカード3」、そして「信長の野望」。(^_^) プリンターはまだ買いませんでしたので、授業の配付資料などはまだワープロ専用機で作っていたのでしょう。4年近くの間に作った配付資料の蓄積もありましたしね。

 ワープロ専用機で書いた論文もありましたし、論文執筆のためのデータもワープロ専用機で作ったものでした。そういった財産をどうするかという問題がありました。打ち直すのは大変ですからねぇ。

 そんな時にこのソフトが出ました。ありがたかったです。需要がたくさんあったことでしょう。
Doskoi02
 「Dos恋」というネーミングも楽しいです。(^_^)

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