史料・資料

2024年2月17日 (土)

昭和12年の『浦島太郎』(2)

 一昨日「昭和12年の講談社の絵本『浦島太郎』」という記事を載せました。
S12urashima01

 この絵本は全部で見開き27面からなる大作ですが、当ブログにはそのうちの8面しか載せませんでした。
 また、見開きの大きさはほぼB4サイズです。
 これを長辺600ドットの画像にしたため、実物よりもだいぶ小さなサイズになってしまいました。
 そこで、この絵本からちょっとおもしろい部分をアップでご紹介します。

 浦島が竜宮城に接近した場面。
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 虹が架かっています。
 竜宮城は海の底にありますので、その上空に虹が架かるのは不思議なことですが、ま、詩的真実ということで。

 浦島をもてなす竜宮城の女性達。
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 頭の上に魚が乗っています。
 初めはこれを髪飾りと思ったのですが、そうではなくて、この女性達は実は魚なのでしょう。
 頭の上の魚はそれを象徴しているのではないかと思います。

 では、乙姫様の頭の上には何が乗っているのかと思って見てみました。
S12urashima12
 龍ですね。

 浦島を池に浮かべた船に乗せて接待する場面。
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 上の方に、左から右へ進んでくる船の先頭が見えます。浦島と乙姫様はその船に乗っています。
 龍頭の船ですね。風雅です。公任様なんかが乗っていそうです。
 この絵でも、女性達の頭の上には魚が載っています。鯛ですかね。
 ここもまた、海の底にあるはずなのに、そこに池があり、橋も架かっています。
 おかしいのですが、そこをツッコむのは野暮というものでしょう。

2024年2月16日 (金)

明治13年の「古今官武英雄一覧表」

 このようなものを入手しました。
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 これは袋です。
 明治十三年三月出版。タイトルは「古今官武英雄一覧表」とあります。

 中身は1枚物の番付です。
 こちらのタイトルは「本朝古今俊傑官武英雄一覧表」とあります。こちらが正式名称なのでしょう。
 タイトルが長いので、袋には略称を記したものと思われます。
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 びっしり。字が細かいです。

 左下隅に発行年月日と発行者名が載っています。
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 西南の役が明治10年ですので、その3年後です。

 右側の最上段。
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 明治維新の功労者が並んでいます。
 それぞれ、官職位階勲等が記されています。月給まで。

 左側の最上段。
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 こちらには歴史上の武将達が並んでいます。
 著名な武将が多いです。錚々たるメンバー。
 明智光秀や平将門のような謀反人も載っています。あまりそういうことには頓着がないようです。

 このように右側が明治の官人、左側が歴史上の武将です。

 左側の2段目。
M13kanbueiyu04
 こちらにも著名な武将が並んでいます。
 左から4人目の北条時頼が「奸智」というのが不思議です。

 2段飛ばして左側の5段目。この段になるとだいぶ文字が小さくなりますので、右の半分ほど。
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 3番目に北条義時が載っています。こしろうですね。
 他に、酒井忠次、本多平八郎、榊原小平太という徳川四天王のうち3人が載っています。
 もう1人の井伊直政はなぜか1段上の4段目に載っています。

 中央部の最上段。
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 楠公さんが大きな文字で中央に記されています。
 左側には軍師達。竹中半兵衛、真田幸隆、真田幸村、山本勘助などが並んでいます。
 右側も明治の参謀達ですかね。谷干城は西南の役で大手柄を立てました。

 1段飛ばして、中央の3段目。
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 左側には、直江兼続の他に、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允という明治の元勲のうち亡くなった人が載っています。
 西郷さんは西南戦争の折の賊軍ですが、それはもう問われていない感じです。

 中央の最下段。
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 大物たちが載っています。

 ごく一部を駆け足で見てゆきました。
 細かく見て行くと、あれこれおもしろいです。

2024年2月 9日 (金)

明治3年の『道中細見 定宿帳』(5)

 しばらく前に載せていた明治3年『道中細見定宿帳』の続きです。
 前回の「明治3年の『道中細見 定宿帳』(4)」から、だいぶ間が開いてしまいました。
 前回は、この定宿帳の末尾にある三都の案内の東京まででした。
 今日は、その続きの京都と大阪です。

 京都洛中洛外独案内
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 このページの後半です。
 三十三間堂、大仏殿、清水の八坂塔、東大谷の高台寺、丸山の長楽寺、ぎおんなどが並んでいます。

 その続き。
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 永観堂、南禅寺、銀閣寺、聖護院、賀茂、六角堂などが上がっています。その中に「御内裏様」があります。京都御所ですね。
 後半に「西山」が別掲されています。
 ここには、二条御城、北野天神、平野、金閣寺、等持院、龍安寺、妙心寺、嵯峨釈迦、嵐山、松の尾など。

 その続き。
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 東寺、本国寺。
 それに続き、京都名物です。
 堀川牛蒡、水菜、染藍、西陣織物、紅、仁和寺眉作り、大仏餅、ねぶか、里芋、竹の子、いなり松茸、伏見人形などが載っています。
 野菜類と繊維関係が多いです。

 大阪独案内
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 安居天神、一心寺、茶臼山、天王寺、御城、天満宮などと並んで、三井呉服店、鴻池善右衛門、虎屋菓子店などの商店が載っています。

 その続き。
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 大丸呉服店、道頓堀芝居入口、難波新地見世物、堂島米市場など。
 続いて大坂名物。
 天満大根、天王寺かぶら。

 その続き。
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 長町傘、深江すげ笠、伊丹酒、ゆどうふ、淀屋橋たばこ入、四ツ橋きせるなどが上がっています。
 「天下茶屋ぜさい」というのは、ぜんざいでしょうか。

 京都、大阪で「御」が付いているのは、御所、二条城、大阪城の3つでした。
 もう明治3年ですが、二条城と大阪城を「御」で待遇しているのは旧幕時代の名残でしょうかね。
 京都も大阪も、末尾に芝居茶屋の案内所が載っています。

2024年2月 7日 (水)

昭和12年、豊橋市小学校の伊勢修学旅行案内(2)

 昨日の豊橋市小学校の伊勢修学旅行案内の続きです。

 旅行中の心得。
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 皇太神宮の参拝に関する注意事項が最初に上がっています。
 服装は、洋服または和服(袴着用)とあります。
 当時は和服も普通に着用していたのでしょうね。
 ただし、着流しはダメで、袴を着用しなくてはいけないことになっています。神宮参拝ということもありますが、旅行なので着流しはやはり不都合と思われます。

 つづき。
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 弁当2食分というのは、朝食と昼食でしょうね。朝5時台の出発ですから。
 「絶対禁止」の食物は、おなかを壊したりしないための配慮と思われます。
 アイスクリームは持っていけないでしょうから、買い食い禁止ということでしょう。
 バナナ、ダメですかねぇ。

 つづき。
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 沿道案内。最初が東海道沿道。
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 岡崎の所で、家康に対して「徳川家康公」とありますね。敬称付きで待遇されています。
 大高は桶狭間合戦のゆかりの地ですね。私ずっと「おおたか」と思っていたのですが、もとの職場に名古屋出身の同僚がいて、「おおだか」だと教わりました。
 「納屋橋」も「なやはし」ではなく「なやばし」と教わりました。こういう読みは、土地の人でないとなかなか分かりませんね。

 次が関西線沿道。
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 弥富には鯉の産地とあります。今は金魚の産地と認識しています。鯉は今も続いていましょうかね。

 最後が参宮線沿道です。
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 松坂はやはり本居宣長ですね。

2024年2月 6日 (火)

昭和12年、豊橋市小学校の伊勢修学旅行案内(1)

 この様なものを入手しました。
S12toyohashiise01
 豊橋市小学校修学旅行団の伊勢修学旅行案内で、1枚紙の表裏印刷です。

 このころ、豊橋市の小学校は集団で伊勢修学旅行に行っていたようです。
 このような学校別のグループ分けがあります。
S12toyohashiise02
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 3グループに分けて、それぞれ900人あまりの児童が複数の宿に分宿しています。

 旅行日程。
S12toyohashiise04
 朝5時13分に豊橋駅出発です。
 これだけの大人数ですから、貸し切りでしょうね。それで、こんな時間になったのでしょうかね。

 帰りも夜8時14分に豊橋駅着ですから、駅から遠いところの児童は大変だったことでしょう。
 かなりの強行軍ですね。

 あと、旅行心得や地図、名所案内などもありますが、それはまた後日。

2024年2月 3日 (土)

『万葉用字格』の影印本&正訓・義訓

 先月、『万葉用字格』の版本を入手したことを書きました。
Shunto01

 ところが、先日渋川の家の片づけをしていたところ、その影印本が見つかりました。
Shunto07

 奥付です。
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 和泉書院から出ていたのですね。そしてそれを持っていました。(^_^)
 ま、版本の方が版面が大きいし、影印本は縮小して版下を作っている関係で、版本に比べて鮮明さに欠けるので、良しとします。

 影印本の解説は、1ページ半に満たない簡略なものです。
 その末尾にこうあります。
Shunto09
 「商(アキ)」が正訓の部と義訓の部と、両方に入っているのを不審がっています。
 不審ですかねぇ。同じ文字が正訓として使われたり、義訓として使われたりすることはあり得ることで、不審とは思えません。
 解説の方が不審に思えました。

 『万葉用字格』における当該箇所は以下のようになっています。
Shunto10
 右が「正訓」の部、左が「義訓」の部です。
 「義訓」の方は行末から次行頭に跨がりますので、切り貼りしました。

 実際に万葉集に当たってみると、「正訓」の「商」は巻7の1264番歌です。
  ○西の市にただ独り出でて眼並(めなら)べず買ひてし絹の商(あき)じこりかも(商自許里鴨)
 『万葉用字格』に「島守(サキモリ)」とあるのは意味不明です。
 ただ、1264番歌の次の歌は、
  ○今年行く新島守(にひしまもり)が麻衣(あさごろも)肩の紕(まよひ)は誰(たれ)か取り見む
なので、用例を引用するときに、これと混線したのかもしれません。

 「義訓」の「商」は巻16の3809番歌です。
  ○商変(あきかへ)し(商変)領(し)らすとの御法(みのり)あらばこそわが下衣(したごろも)返し賜(たば)らめ
 この歌には左注があり、次の通りです。
  *右は伝へて云はく、ある時に幸(うつくしび)せらえし娘子(をとめ)ありき。[姓名詳らかならず] 寵(うつくしび)薄れぬる後に、寄物[俗にかたみと云ふ]を還し賜(たば)りき。ここに娘子怨恨(うら)みて、聊(いささ)かにこの歌を作りて献上(たてまつ)りきといへり。
 歌の解釈は、例えば、釈注では以下の通りです。
  *「商契約の破棄を施行する」などいう法令でもあるのでしたら、私がさし上げた形見の下衣、その衣をお返し頂いても宜しうございましょう。けど……。
 現代の諸注釈、文言には勿論違いはありますが、内容はほぼ同一です。

 なるほど、こうして比べてみると、『万葉用字格』には、「商(アキ)」が正訓の部と義訓の部と両方に載っていますけれども、どちらも正訓と思えます。
 影印本の解説はあまりにも簡略ですが、不審としたのはこの点かもしれませんね。

 もう少し考えてみたく思いました。
 『万葉用字格』の「義訓」の部の「商」には、「商は秋の音なれば也」とあります。
 この注記もよく分かりません。
 ふと、「商」の字義を調べてみようと思い、手元の『角川新字源』を見るとこうありました。
Shunto11
 この解説の⑤に注目です。古代中国の「五音」を五行に配当すると、「商」は秋に当たるということです。
 『万葉用字格』が「商」を「義訓」とするのはこれでしょうね。
 当該歌の「商変」を「秋変わり」などとする解釈があって、『万葉用字格』はこれに拠って、この「商」を義訓としたのでしょう。
 そういう解釈が当時あったのでしょうかね。
 とりあえず『万葉集略解』を見たのですが、略解の解釈も釈注等の現代の諸注釈と同様でした。

 今ここまでです。
 おもしろそうなのですが、ここで中断のやむなきに至っています。
 何か進みましたら、また。

2024年1月24日 (水)

明治3年の『道中細見 定宿帳』(4)

 また明治3年の『道中細見 定宿帳』の続きです。

 この本は『道中細見 定宿帳』というタイトルにもありますように、大部分は街道別の宿場毎の宿屋案内ですが、巻末に、東京、京都、大阪の三都それぞれの名所・名物の案内が載っています。

 まず、「東京名所独案内」が4ページに亙ってあります。
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 トップは「日本橋 魚市場」です。以下、「神田明神 妻恋稲荷」「聖堂 湯島天神」「不忍池弁財天 東叡山」と続きます。
 江戸の中心部になりましょうか。

 次のページ。
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 2番目に「泉岳寺義士ノ墓 大仏」があります。泉岳寺は欠かせません。境内に大仏があったのでしょうか。あるいは附近に。
 9番目に「亀井ノ天神 柳嶋妙見」とあります。今の亀戸天神のことに違いありませんが、亀戸ではなく亀井とあります。

 その次のページ。
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 左から4つ目に「音羽護国寺 目白不動」があります。しばらく前の「ブラタモリ」の「目白」の回を思い出します。あの時には護国寺は登場しませんでした。
 その1つ右には「堀之内祖師 雑司ヶ谷鬼子母神」があります。これも目白の近くですね。

 その次のページ。
M03joyado21
 ここには、目黒不動、祐天寺、池上本門寺、新田大明神などが並んでいます。
 大きな目で見れば、これらはうちのご近所です。←ご近所というには、結構離れていますけど。(^_^)
 そして、ページの左側には猿若町の各丁目の芝居茶屋が3軒並んでいます。

 東京の名所案内はここまでです。
 まだ明治も3年。明治以降の新名所ではなくて、江戸以来の名所という感じです。
 どれも江戸名所図会に載っていそうです。江戸名所図会を見たくなりました。

 その次のページは東京名物です。
M03joyado22
 あまり載っていません。
 浅草海苔、合羽田葉粉(たばこ)入、村田張きせる、紫染物るい、下段には東錦絵、同うちわ、でしょうか。

2024年1月22日 (月)

明治3年の『道中細見 定宿帳』(3)

 昨日の続きです。東海道を東に進んでいます。

 藤枝から静岡まで。
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 鞠子の左上に「名物 と ろ汁」とあります。文字はよく読めませんが、「とろろ汁」でしょう。
 そのすぐ脇に安倍川が流れています。川の東には「名物あべ川もち」とあります。

 蒲原から原。
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 ノドのすぐ脇に富士山が大きく描かれています。あえて見開きに亙るように配置したのでしょう。

 沼津から箱根まで。
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 箱根の山が左半分を占めています。
 もう明治3年になっていますが、箱根には「御関所」が描かれています。

 箱根の続きから平塚まで。
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 右半分弱が箱根の山ですね。東海道一の難所です。
 小田原・大礒の海にはたくさんの船が浮かんでいます。帆船ですね。
 岡崎城や浜松城は描かれていたのに、何故か小田原城が描かれていません。

 東京にゴールです。
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 江戸城が大きく描かれています。江戸城の入口付近に日本橋が描かれています。
 上には、高輪、大木戸、田町、芝はしなど江戸の町名等が並んでいます。

明治3年の『道中細見 定宿帳』(2)

 先日載せた明治3年『道中細見 定宿帳』の続きです。

 宇治橋から京。
M03joyado08
 右上隅に宇治橋。伏見を過ぎると、東福寺、三十三間堂があります。
 左下には、東寺、東西の本願寺、六角堂など。

 次のページには京の繁華が描かれています。
M03joyado09
 右上には、泉涌寺、清水、八坂、祇園、丸山。
 下、中央やや左には、南禅寺、永観堂、若王子。
 左は大津です。

 だいぶ飛ばして尾張・三河付近。
M03joyado10
 右上に鳴海があります。その脇には「桶狭間 今川よし元之墓」。
 左側、矢矧橋を渡ると岡崎です。

 浜名湖の付近。
M03joyado11
 新居の関所が描かれています。
 そして、浜松の右には浜名湖の歴史が書かれていますが、それによれば、上古は陸地だったものが、明応年中の大地震によって湖になったとあります。
 しかし、実際には、上古から湖だったものが、明応7年の大地震によって陸地の一部が決壊して汽水湖になったのだと思います。
 伝承の誤りのようです。

 遠江から駿河へ。
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 日坂の脇には、「名物 わらびもち」とあります。有名だったのでしょう。
 左側には、遠江と駿河との堺として、大井川。蓮台で人を渡しています。

 絵があると楽しいです。

2024年1月20日 (土)

玉電廃止のパンフレット

 大変にローカルな話題です。
 昭和44年に東急玉川線が廃止されました。
 その折のパンフレットを入手しました。
Tamadenhaishi01
 1枚紙の3つ折りです。
 表紙の写真は三軒茶屋と思います。
 そうだとすれば、広い道は国道246号線。まだ高速道路の高架は影も形もありません。
 右側にカーブする先は大山道と今の東急世田谷線です。

 廃止について。
Tamadenhaishi02

 私はこの玉電で通学していました。
 最後の定期券です。
Tamaden04
 この日付。玉電が廃止されたその日です。狙ったわけではなく、たまたまそうなりました。
 当時17ちゃい。そんな頃があった。
 これは全線定期です。渋谷から二子玉川までの間で自由に乗り降りできます。
 6ヶ月定期で1950円。割引率が大きかったのでしょうけれども、すごい金額ですね。
 1ヶ月あたりにしたら、327.5円にしかなりません。

 廃止した後の鉄道。
Tamadenhaishi03
 そうですね。
 路面電車で、散々車に邪魔にされ、ジャマ電などと呼ばれた玉電は地下化されて、新玉川線になりました。
 その後、相互乗り入れで、半蔵門線になり、さらに路線変更で田園都市線になりました。

 懐かしいパンフレットです。

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