史料・資料

2020年11月24日 (火)

北野本日本書紀が……

 渋川の家の片づけの最中に見つかった古びた紙の手提げの中に、このような紙袋がありました。
Kitano27a

 この紙袋以外は雑々としたものです。

 中から出てきたのは、これ。
Kitano27b
 北野本日本書紀の巻二十七です。

 分不相応に北野本日本書紀の複製を架蔵(死蔵)しています。そのうちの1冊です。
 全く記憶にありませんが、巻二十七だけを持ち出して、大学でどこかのコピーを取ったのかもしれません。
 使ったものは元のところに戻すというのが鉄則ですよね。それを守らないと物が行方不明になります。

 危ないところでした。片づけに際して、1つ1つ見てゆかないと、大事なものが無くなってしまいます。
 片づけにあまり日は掛けたくありませんが、それよりも慎重さを優先させないと。
 いくら複製とはいえ、精巧で、発行部数も限られた複製は、文化財と考えないといけませんね。

 巻二十七をなぜ持ち出したのか不明です。
 天智紀ですね。近江遷都や蒲生野遊猟などが目的かもしれません。
 でも、単に本文ならば活字本で足りそうです。
 わざわざ北野本を、ということになると、目的は古訓でしょうか。

 近江遷都の記事は次の通りです。
  「都を近江に遷す。是の時に、天下の百姓、都遷すことを願はずして、諷(そ)へ諫(あざむ)く者多し。
   童謡(わざうた)亦衆(おほ)し。日日夜夜(ひるよる)、失火の処多し。」(日本書紀 天智六・三・一九)

 「失火」に、北野本にはこのような訓が付いています。
Kitano27c

 本文には虫損がありますが、訓は「ミツナカレ」(水流れ)です。
 「火(ひ)」という語を使いたくなくて、それを避けるべく、「水(みづ)」と言ったのでしょう。
 最近、水害が多く、水害も困ったことですが、当時は、火を特に怖れたのでしょうね。
 目的はここかと思いますが、全く記憶にありません。(^_^;

2020年11月 5日 (木)

木村重成の妻など

 3日前に、明治41年の「歴史双六」のことを書きました
M41rekishi01
 神話・伝承の時代から江戸時代までの、様々な女性を取り上げた双六でした。
 聞いたことのない人物も含まれていて、例えば「津田八弥の妻」というのが分からず、ググってみたら、戦国時代の女性で、夫(婚約者のようですが)の仇を討ち、後には自刃して果てたとのことです。壮絶ですね。

 他に、よく分からない人物を調べてみました。
 「小宰相」は、源平時代の人物で、平通盛の妻。一ノ谷の戦いで夫が討ち死にしたと知り、後を追って入水したのでした。
M41rekishi08
 『平家物語』に載っているのに、知りませんでした。不勉強です。(^_^;

 ヤマトタケルの危難を救うために海に身を投じた橘媛も取り上げているし、ガラシャもいます。
 どうも、お正月に楽しむ双六にしては、切なすぎます。

 木村重成については、兜に香を焚きしめて、大坂夏の陣で戦ったというエピソードしか知りませんでした。
M41rekishi06
 この絵は、討ち死にした夫の兜を手に、妻が悲しんでいる姿かと思いましたが、そうじゃありませんね。
 夫の出陣を前にして、妻が兜に香を焚きしめているのでしょう。
 これも切ないことと思います。
 木村重成の妻についてもググってみましたら、夫の一周忌に自害しているのでした。
 何ということでしょう。

 この双六が作られたのは、日露戦争の終結から2年ほどです。人の死が身近だった時代ということもあるのでしょうかね。

 「貫之娘」というのもどういう人物か分からず、不安な気持ちで調べてみましたら、こちらは『大鏡』などにある「鶯宿梅」の説話のようです。
M41rekishi07

 平穏な話でよかった。(^_^)

2020年11月 2日 (月)

明治41年『少女界』の「歴史双六」

 ネットオークションで買いました。
M41rekishi01

 明治41年『少女界』の付録です。絵は、鏑木清方・宮川春汀です。

M41rekishi02

 新年号ですね。お正月は双六。
M41rekishi03

 右下が振出しで「天孫降臨」、中央が「上り」です。「上り」は2人の女学生ですね。鳥居をくぐっているようですが、よく分かりません。

 全部でこのような内容です。

  振出し:天孫降臨
  稚足媛
  橘媛
  大葉子
  神功皇后
  形名妻
  佐用媛
  貫之娘
  清少納言
  紫式部
  小宰相
  静御前
  巴御前
  松下禅尼
  楠木正行母
  津田八弥妻
  木下藤吉妻
  山内一豊妻
  細川忠興妻
  木村重成妻
  池大雅妻
  上り:(女学生?)

 古代が多いですね。あとは戦国時代。
 「歴史双六」と銘打っていますが、『少女界』の付録の故か、取り上げられているのは、いずれも女性で、文化人または勇ましい人物です。
 勇猛な女性が多いのは、日露戦後3年目という時代的な背景がありそうです。

 稚足媛というのがピンとこなくて、ググってしまいました。
 雄略天皇の皇女で斎宮でした。ピンとこなくてお恥ずかしいです。(^_^;

 津田八弥の妻というのも分からず、ググりました。戦国時代の人物で、夫(婚約者のようですが)の仇を討ち、後には自刃して果てたとのことです。

 天孫降臨。
M41rekishi04
 先頭にいるのは天鈿女命ですね。猿田毘古と対しています。

 形名妻というのはマイナーと思います。
M41rekishi05
 上毛野形名の妻で、群馬のかかあ天下の元祖のような人物です。

 木村重成の妻。
M41rekishi06
 NHK大河「真田丸」に、木村重成は出てきましたが、妻は登場しなかったような。
 木村重成は、今は知る人も少なくなりましたが、昔は人気があったようです。

 いろいろと時代を感じる双六です。

2020年9月28日 (月)

「支那暦」という語

 ネットオークションで購入しました。
T15okabe01
 大正15年の暦です。
 岐阜県のお店が顧客に配ったもののようです。
T15okabe02

 注目したのは、上から2段目の左側にある「支那暦」という語です。
 初めて見る語でしたので、関心を持ちました。
 日国にも立項されていません。
 意味としては「旧暦」と同じものとみて良さそうです。
 日国には「旧暦」は次のようにあります。

------------------------------------------------------
きゅう‐れき[キウ‥] 【旧暦】〔名〕
(1)古い暦。昔、用いられた暦。
  (用例省略)
(2)昨年。旧年。
  (用例省略)
(3)明治五年(一八七二)に採用された太陽暦(新暦)に対して、それ以前に用いられた太陰太陽暦をいう。上代の日本には固有の暦法がなく、七世紀、推古天皇のときに、中国の暦法が移入されてこれを遵用して以後、儀鳳暦(ぎほうれき)、大衍暦(たいえんれき)などいくつかの中国暦によった。特に貞観四年(八六二)に採用された宣明暦は八二三年間利用されたが、その誤りを見出した安井算哲(渋川春海)が元の授時暦を日本に適応させた新暦の採用を奏上、貞享元年(一六八四)に採用が決まり、同二年より施行された。以後、宝暦暦、寛政暦、天保暦と修正が加えられた。これらを通称していう。今日では天保暦をさす。……以下略
*改暦の詔‐明治五年〔1872〕一一月九日「太陽暦は〈略〉太陰暦に比すれば、最も精密にして〈略〉依て自今旧暦を廃し、太陽暦を用ひ」
*浮雲〔1887~89〕〈二葉亭四迷〉二・七「暦を繰て見れば、旧暦で菊月初旬(はじめ)といふ十一月二日の事ゆゑ」
*母なるもの〔1969〕〈遠藤周作〉「この島では、カトリック信者が、新暦でクリスマスや復活祭を祝うのにたいし、かくれたちは旧暦でそっと同じ祭を行うのだそうである」
  (以下省略)
------------------------------------------------------

 太陽暦に対する「旧暦」という語は、明治5年から既に用いられており、『浮雲』などにも使われています。

 いわゆる「旧暦」は中国の暦法ですから、その意味で「支那暦」と言ったのでしょうか?
 ただ、上の日国にもあるように、江戸時代に日本で改良されたものが使われていたわけですから、あえて「支那暦」と言わなくても良さそうに思います。

 当時の中国は中華民国ですね。中華民国でも太陽暦を使っていたと思いますが、もしかしたら民間では旧暦が主に使われていたといった状況があったので、それで、中華民国で使われている暦を「支那暦」と呼んだとか?

 ちょっと不思議。

 中央部分に顧客宛の「感謝と御願」という挨拶文が載っています。
T15okabe03
 「何があったのでしょう?」と気になるような文章です。(^_^)

 郵便為替と小包の料金表も載っています。
T15okabe04

 いろいろと便利そうな暦です。

2020年9月18日 (金)

奈良の「つなや」と「魚佐」

 また新たな定宿帳を入手しました。
M00naniwako01
 刊年は不明です。

 表紙をめくると、表紙裏はこのようになっています。
M00naniwako02
 いきなり奈良です。こういった道中記では、江戸(東京)スタートか、(豊橋から船に乗って)伊勢神宮スタートが普通です。
 上のページは、右端の柱に書いてあるように第五丁です。落丁というよりは、冒頭の4丁分をわざと省いてダイジェスト版を作ろうとしたのではないかと思います。

 このページ、架蔵の明治18年の一新講社の定宿帳と同じ絵図のようです。
 ページの左端の宿の名は、今日の本では「つなや市平」ですが、明治18年のでは「うをや佐兵衛」です。
M18isshin04
 
 絵地図は同じで、宿のマークだけが異なります。今日のはつなやのマークである「太」に丸で、明治18年のでは魚屋のマークである山形に「ウ」です。

 2つの宿は隣同士ではなく、同じ場所のように見えます。
 どちらの方が古いのか分かりませんが、魚屋佐兵衛の後身に当たる魚佐旅館は平成まで存続していましたので、今日の本の方が古いのかもしれません。
 つなやを魚佐が居抜きで買ったのでしょうか。

 今日の本には神武天皇陵が載っています。
M00naniwako03
 とすれば、江戸時代ではなく、明治になってからの刊行のように思えます。

2020年9月 6日 (日)

「今御門町」のよみ

 8月4日に、明治21年の『一新講社 道中宝鑑』のことを取り上げました。
M21dochuhokan01
 
 この道中記を見ると、奈良に次のような記載があります。
Imamikado01
 奈良の旅館、魚屋佐兵衛と升屋伊兵衛の所在地が「今ゴ門丁」となっています。
 漢字で書くと「今御門丁(町)」です。よみはずっと「いまみかどちょう」と思い込んでいましたが、「今ゴ門丁」の表記だと「いまごもんちょう」になってしまいます。

 「いやぁ、そんなはずは」と思って、他の史料を見ると、例えば次のようなものが見つかりました。

 『奈良名所絵図』(年代不明)
Imamikado02
 「いまみかどはたごや」とあります。

 『真誠講』(明治32年)
Imamikado03
 「ならいまみかど町」です。

 「いまみかど」が正しいのではないでしょうかね。

 「今ゴ門丁」とある明治21年の『一新講社 道中宝鑑』は長野県で刊行されたものです。
M21dochuhokan03
 そういった地理的な遠さも影響しているのかもしれません。
 あるいは、長野といえば善光寺。ひょっとして善光寺近辺では、善光寺の門にちなむ町を「○○ごもん町」と言っていたとか。
 ……などと、単なる妄想を書いてはいけません。(^_^;

 同時代資料は貴重ですが、同時代資料であっても、必ずしも常に正しいとは限らないということになりましょう。
 厄介なことではありますが、面白いことでもあります。

 なお、「今御門」の名は、元興寺の北門に由来するようです。

2020年9月 5日 (土)

昭和28年の歌本(2)

 7月20日に「昭和28年の歌本(1)」という記事を書きました。
 ネットオークションで購入した「流行歌謡 歌の花束」という小冊子を取り上げたものです。
S28utanohanataba01
 『婦人倶楽部』の昭和28年新春特大号の付録です。
 全部で194曲収録されています。

 もう67年も前のものです。当時どんな歌が流行っていたか知られます。
 全く知らない歌も多いですが、よく知っている歌もあります。私が懐メロ好きなせいもありそうですが。(^_^)

 その時は、歌のタイトルをざっと眺めて、どんな文字や語が多く使われているのか調べただけでしたが、データがあると集計したくなるサガで、作詞家・作曲家・歌手別の集計もしたくなります。それで、タイトルに(1)を付けました。

 やっと集計が終わりましたので(2)として載せます。

 それぞれの上位は以下の通りです。主な曲名を( )内に入れました。「主な」というのは私の主観です。

【作詞】
1.佐伯孝夫 19(桑港のチャイナ・タウン、銀座カンカン娘、湯島の白梅、勘太郎月夜唄、燦めく星座)
2.西條八十 17(青い山脈、誰か故郷を想わざる、東京音頭、侍ニッポン、サーカスの唄、カナリヤ)
3.藤浦 洸 10(水色のワルツ、悲しき口笛、別れのブルース)
4.佐藤惣之助 9(湖畔の宿、人生の並木路、赤城の子守唄)
5.野口雨情 7(船頭小唄、青い眼の人形、雨ふりお月さん、赤い靴、証城寺の狸ばやし、七つの子)
6.北原白秋 5(からたちの花、城ヶ島の雨、この道、雨ふり、待ちぼうけ)

 西條八十は象徴詩や童謡の作詞家という風に理解していました。歌謡曲もたくさん作っていたとは知りませんでした。


【作曲】
1.古賀政男 18(誰か故郷を想わざる、東京ラプソディ、丘を越えて、影を慕いて、酒は涙か溜息か)
2.服部良一 11(三味線ブギー、青い山脈、銀座カンカン娘、蘇州夜曲、湖畔の宿)
3.上原げんと 10(東京の花売娘)
4.佐々木俊一 9(桑港のチャイナ・タウン、東京夜曲、燦めく星座)
4.中山晋平 9(東京音頭、船頭小唄、雨ふり、肩たゝき、証城寺の狸ばやし)
6.万城目正 6(悲しき口笛、リンゴの唄)
6.吉田 正 6(黄色いリボン)

 古賀政男、強いです。(^_^) 服部三代の始祖である服部良一も多いですね。
 朝ドラ「エール」の古関裕而は5曲(イヨマンテの夜、長崎の鐘、フランチェスカの鐘)で8位です。


【歌手】
1.藤山一郎 13(長崎の鐘、青い山脈、東京ラプソディ、丘を越えて、影を慕いて、酒は涙か溜息か)
2.小畑 実 10(湯島の白梅、勘太郎月夜唄)
3.岡 晴夫 9(憧れのハワイ航路、啼くな小鳩よ)
3.美空ひばり 9(リンゴ追分、悲しき口笛)
5.田端義夫 7(かえり船、大利根月夜)
6.近江敏郎 5(湯の町エレジー、山小舎の灯)
6.竹山逸郎 5(月よりの使者)
6.津村 謙 5(上海帰りのリル)
6.二葉あき子 5(フランチェスカの鐘、夜のプラットホーム)

 藤山一郎が多いです。美空ひばりも3位に付けて、これから。

2020年8月 9日 (日)

赤穂花岳寺(華嶽寺)の絵図

 ネットオークションで入手しました。
Kagakujizu01
 赤穂浅野家の菩提寺である花岳寺(華嶽寺)の絵図です。
 標題は「播州赤穂城下臺雲山華嶽禪寺全圖」とあります。

 左下隅にこうありますので、明治には降らず、江戸時代のものではないかと思います。
Kagakujizu05

 赤穂には11年前に1度だけ行ったことがあります。忠臣蔵ファンとしては、1度だけというのはどうも。(^_^;
 その折、花岳寺にも行きました。
Kagakuji01

 絵図の本堂。
Kagakujizu02

 今の本堂。
Kagakuji02
 同じようですね。再建かもしれませんが、そうだとしても、元の姿と同じように建てたものと思います。

 義士の墓所。
Kagakujizu03
 中央に3基の大きな墓石があり、周囲に多数の墓石が並んでいます。

 今の墓所。
Kagakuji03
 中央の墓は浅野内匠頭のもので、その左右は大石内蔵助と主税のものです。周囲の墓はそれ以外の義士たちのもの。
 これらの墓は、義士の三十七回忌に当たる元文4年(1739)に、当時の赤穂藩を領していた森家の家臣有志が建てたものだそうです。
 伝によれば、義士の遺髪を埋めているということです。

 絵図では、墓所の入口の両脇に、「大石桜」と「大野柳」が描かれています。大石内蔵助と大野九郎兵衛にちなんだものでしょう。
 現地に行ったとき、桜には気づきませんでしたが、柳はありました。
Kagakuji04
 絵図と同じ位置にあります。
 しかし、「不忠柳」って、なにもそんな風に呼ばなくても、と思います。それで、目に付いたのでした。

 寺号については、このような解説板がありました。
Kagakuji05

 浅野長重の墓石には確かにこう彫られています。
Kagakuji06

 本堂の額も同様です。
Kagakuji07

 でも、お寺としては、その正式表記とは別に、「花岳寺」を日常的に使っているのですね。なかなか柔軟です。

 絵図の右端付近にこのようなことが書かれていました。
Kagakujizu04

 勝手にスペースを空けるとこうなりますかね。
 「開帳案内 并 義士摺物 土産焼塩等 弘所」
 すぐ下には「茶所」とあります。

 参拝者の休憩所と、参拝記念のお土産販売を兼ねている建物ですね。
 義士摺物はブロマイドといった趣でしょうか。
 そして、赤穂のお土産というと、やはり塩ということになるのでしょう。
 遠方からの参拝者も多かったのかもしれません。

 「弘所」という語は初めて見ました。日国には載っていない語ですが、ググってみると、古文書や古文献などに「弘所」「売弘所」という語は見つかります。暦などの頒布所に用いられていました。

2020年8月 4日 (火)

明治21年の『道中宝鑑』

 こういう本を入手しました。旅行案内といいますか、「一新講社」のお薦めの宿のリストです。
M21dochuhokan01

 小さいです。
M21dochuhokan02
 こんなに小さいと、旅行に持って行くのに軽くて便利だったことでしょう。

 刊記。
M21dochuhokan03
 明治21年に長野で刊行されたものです。

 目次。
M21dochuhokan04
 上の方に漢数字が丸で囲んであるのはページ数です。
 全部で11のルートが載っています。

 最初は東海道。
M21dochuhokan05
 今まで当ブログでご披露してきた同種のものは、江戸(東京)から西へ並んでいるのが普通でしたが、これは京都から東京に向かって並んでいます。
 京都は「西京」と書かれています。

 恒例の二川宿。
M21dochuhokan06
 橋本屋と山家屋は今までに買った同種の本にも出てきましたが、西橋本は見なかったように思います。橋本屋の分家でしょうか。
 豊橋にはおなじみの壷屋庄六が載っていて、「いせ神宮へ毎日出舟あり」とあります。伊勢への航路が確立していたのでしょうね。
 豊川に描かれているのは豊川稲荷でしょう。

 東海道のゴールは東京日本橋。中山道への出発点でもあります。
M21dochuhokan07

 中山道には新町宿も当然載っています。知っている場所が載っていると嬉しい。(^_^)
M21dochuhokan08
 新町には「左富岡セイ糸場ミチ」とあります。富岡製糸場、名所扱いなのでしょうか。
 新町の手前には「武蔵上野国境」とあります。もう明治21年ですが、いまだに旧国名が生きています。
 川の渡し賃は、新町の手前が「かんな川 一人五リン」で、先が「からす川 一人四リン」です。
 金額が異なるのは、川幅や深さの差でしょうか。

 奈良は、おなじみのうをや(魚佐旅館)、ますや、いんばんやが並んでいます。
M21dochuhokan09
 うをやの所在地「今御門丁」は、「いまみかど」と思い込んでいましたが、これを見ると「今ゴ門丁」とありますね。「いまごもん」なのでしょうか。

 末尾は新潟です。
M21dochuhokan10
 私が持っている同種の本の中に新潟を載せるものはあまりありませんでしたので、珍しいです。
 「住吉や栄六」の所在地が「古町通五番町」とあります。
 新潟には高校訪問などで何度か行ったことがありますが、あまり土地勘はありません。
 でも、古町という地名には見覚えがあります。地図を見てみたら、古町通五番町は今もありました。
 「○○通り」と「○番町」の組合せで場所を表すのですね。四条烏丸などと同じく縦横の組合せ。
 明治21年の地名が今も続いているのは素敵です。どこなのか、すぐに分かりますし。

 同時代資料は楽しいです。←いつも同じ結論。(^_^)

2020年7月28日 (火)

大相撲出世双六

 またまたネットオークションの収穫物です。
Sumosugoroku01
 いつのものか分かりません。
 描かれている服装や髪型は江戸時代風ですが、この双六が作られたのは戦後、それも戦後すぐではなく、昭和40年代・50年代くらいではないかと思います。根拠はありません。勘です。(^_^;

 右下がふりだしで、中央に「あがり」があります。
Sumosugoroku02
 「あがり」は横綱土俵入です。お相撲さんにとっては、やはり綱を張ることが大きな目標なのでしょうね。

 ふりだしはこのような絵です。
Sumosugoroku03
 まだ暗い頃に、風呂敷包み1つを持って、1人で家を出たところですね。家出同然の旅立ちなのでしょうか。

 全部で29のマスがあります。以下の通りです。
  1.ふりだし
  2.のじゅく
  3.にほんばし
  4.ふれだいこ
  5.ばしょいり
  6.りょうごく
  7.にゅうもん
  8.そうじせんたく
  9.ちゃんこ
 10.にもつはこび
 11.かえろかな
 12.あさげいこ
 13.もうげいこ
 14.もちつき
 15.のみくらべ
 16.じょのくち
 17.じょにだん
 18.さんだんめ
 19.まくした
 20.十両
 21.前頭
 22.けんかさわぎ
 23.小結
 24.三役出世祝
 25.関脇
 26.ふろ
 27.大関
 28.本場所
 29.横綱土俵入

 故郷を出てからいろいろと苦労して、序の口になるのが16番目ですから、厳しい世界です。横綱になれたのならば何よりです。

 2つ目のマスは、旅の途中の野宿ですね。
Sumosugoroku04
 旅の道連れになった犬でしょうか。あるいは、野良犬に風呂敷包みの中のゴハンを狙われているところか。

 11番に「かえろかな」があります。そういう気持ちになることもありましょう。
Sumosugoroku05
 「こゝへくればふりだしへもどる」というのがシビアです。

 15番「のみくらべ」に止まると、飲み過ぎて1回休みになります。
Sumosugoroku06

 18番「さんだんめ」に止まると、ケガのために序の口に戻ることになります。そういうこともありましょう。
Sumosugoroku07

 22番「けんかさわぎ」では、幕下に戻ることになります。
Sumosugoroku08
 22番というのは前頭と小結の間です。そこから一気に幕下というのは、大きく番付を下げることになります。
 しかし、相手は抜刀していますね。物騒な事態です。幕下に戻るくらいで済めばむしろ幸いかもしれません。

 20番「十両」で止まると3つ進めます。
Sumosugoroku09
 3つ先は「小結」です。双六ですから、出た目の数だけ進んで、その結果、十両から小結に進むこともありましょうけど、でも、「十両」に止まると、そのまま「小結」にワープできるというのには、ちょっと引っかかります。(^_^)

 助詞の「へ」はずっと「へ」と書かれていたのに、ここだけ「え」になっています。
 ここだけ、マスの中の記載ではなく、マスの標題の一部としての注記ですので、そこが異なります。文字も標題と同じく相撲字で書かれています。こういう仮名遣いで、江戸時代風の趣を出したのでしょうかね。

 あれこれおもしろいです。

より以前の記事一覧

2020年12月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

ウェブページ