史料・資料

2017年8月17日 (木)

「天理図書館 古典の至宝」展

 9月から11月に掛けて、天理参考館でこのような特別展が開催されます。
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 天理参考館のHPによれば、詳細は以下の通りです。

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特別展「天理図書館 古典の至宝 ―新善本叢書刊行記念―」

2015年4月から刊行が始まった新天理図書館善本叢書に収録される中から、重要文化財『古事記』(道果本)や国宝『日本書紀』(乾元本)などの国史古記録、国宝『類聚名義抄』(観智院本)などの古辞書、『源氏物語』(池田本)や室町時代末から江戸初期にかけての奈良絵本、西鶴・芭蕉・蕪村の自筆資料など、国宝3点・重要文化財10点を含む古典籍70余点を三期に分けて展示いたします。

◆会期:2017(平成29)年9月16日(土)~11月27日(月)
 一期:9月16日(土)~10月9日(月)
 二期:10月11日(水)~11月6日(月)
 三期:11月8日(水)~11月27日(月)

◆会場:当館3階企画展示室1・2

[出品予定資料]
一期:重要文化財『古事記』道果本、国宝『日本書紀』乾元本(上)、『源氏物語』池田本、奈良絵本、連歌俳諧ほか
二期:国宝『播磨國風土記』、国宝『類聚名義抄』、重要文化財『古語拾遺』嘉禄本、『源氏物語』池田本、奈良絵本、連歌俳諧ほか
三期:国宝『日本書紀』乾元本(下)、重要文化財『明月記』安貞元年8・9月、『源氏物語』池田本、奈良絵本、連歌俳諧ほか
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 出品リストは以下の通りです。
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 字が小さくてよく見えませんね。特に関心のある部分を拡大します。
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 全三期は無理でも、第一期は見に行きたい気がします。

 関連して、次のような催しもあります。
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 これも、主要部分を拡大します。
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 大いに関心がありますけど、先着20名なら、もう満員かもしれませんね。あと、日程的にもこの日は岡山で萬葉学会です。残念。

2017年8月 7日 (月)

絵はがき「近江歴史」

 このような絵はがきを入手しました。歴史画、好きなもので。8枚入りです。解説等は一切入っていませんでした。戦前のものであることは間違いありませんが、いつのものか分かりません。
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俵藤太勢田の唐橋を過り龍神の頼みを受け弓を以って三上山に棲息する巨大の蜈蚣を退治し其難を救ふ
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紫式部上東門院の命を受け石山寺に参籠して源氏物語を著し之を上つる文辞絶妙今に至り範を垂る
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皇后宮亮平経正義仲追討の途次竹生島に詣で明神の御前に於て琵琶を弾ず明神感応あり白龍と現して見え給ふ
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義仲の妾巴関東下向の途上畠山重忠之を輔へんとして鎧の袖を取る巴一鞭当てたるに袖ふつツと引切れ遂に之を逸す
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姉川の役に真柄直隆五尺三寸の大刀を翳し無双の勇を奮ふ本多忠勝馬を躍らせ之に対ひ数十合にして遂に其首を取る
Oumireki05
姉川の合戦に浅井方総敗軍遠藤直継死屍の中より躍り出て織田信長を刺さんとし反へて竹中重友の為に討死す
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賤ヶ岳の合戦に加藤清正勇戦反将山路正国を討取り抜軍の功ヲ奏す是れ賤ヶ岳七本槍の随一たり
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明智左馬之助光春大津の合戦に堀秀政の陣を破り単騎馬を躍らし湖水を渡りて敵軍驚かしつゝ悠々として坂本城に入る
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 「近江歴史」とはいいながら、題材が結構偏っていて、合戦を題材にしたものが多いです。源氏物語だけが異質ですね。

 それぞれのエピソードには、知らないことが多かったです。史実かどうか分からないものも多いと思いますが、戦前と今との知識の差を感じます。5枚目の真柄十郎左衛門の話は落語の「浮世床」で知りました。あの落語を聴いていなければ、真柄の名前も知らなかったかもしれません。

 「近江歴史」と題するならば、大津遷都や壬申の乱なども入っておかしくないと思います。戦前だと壬申の乱はアウトですかね。

2017年7月 4日 (火)

奈良名所絵図(3)

 2013年に『奈良名所絵図』という1枚物の木版刷りの絵図を入手し、当ブログに載せました。
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 去年、同じ絵図の異版を入手しましたので、また載せて、前回のものと部分的に比較しました。
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 先日、また同じ絵図を入手しましたので、またご披露します。
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 最初の絵図を持っていることをうっかりして2回目の絵図を購入してしまったのですが、その際、最初の絵図と2回目の絵図とが微妙に異なっていることに興味を覚え、今回はあえてまた入手しました。諸本間の異同に興味があるようです。(^_^;

 2回目で比較した「ゆきげのさわ」の部分。初回入手分。
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 2回目。
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 今回。
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 ゆきげのさわの中の横線の数が、版を重ねるほど減って行くそうなのですが、3枚とも違いますね。2回目入手分の横線が一番多くて、隙間なく描かれているのに対して、初回のは3ブロックになっていて、横線の数は上から4・5・5です。今回のは3・4・5ですかね。

 転害門附近。初回。
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 2回目。
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 今回。
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 こちらは、門の1番上の部分が段々に簡略になっているように見えます。また、門の正面の石段の数が今回のは一段少ないですかね。「是よりてがい丁はたごや」の文字も3者異なるように思います。

 4点目が欲しくなってきました。(^_^;

2017年3月29日 (水)

明治時代の絵の教科書

 このようなものを入手しました。文部省検定済みの小学校の教科書です。
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 奥付は以下の通り、明治26年の発行です。
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 持ち主は桑原浩君。高等小学校3年生です。この頃の学制では、尋常小学校が4学年、その上に高等小学校が4学年乗っていたようで、高等3年生は12歳~13歳になるようです。
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 当時の筆記具は毛筆が中心だったのかもしれませんが、うまいですねぇ。12歳でこんな字を書いていたなんて。こんな字今の私にもとても書けません。(^_^;

 中を少し見てみます。

 木葉。小さい字で筆順が示してあります。これくらいならば、練習すれば描けるかもしれません。
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 釣竿。シンプルですけど、それ故に形を取るのが難しそうです。
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 烟草盆。今や時代劇でしか見ませんね。当時は一般の家にも普通にあったのでしょうかね。今だったら、小学生にたばこ盆の絵を描かせるのか、という切り口からのクレームが避けがたいことでしょう。
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 鍵。……鍵って。これまた時代劇の世界ですね。鬼平犯科帳や雲霧仁左衛門に出てきそう。当時はこういう鍵が一般的だったのでしょうかね。蔵の鍵のような気がします。
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 やはり同時代資料は興味深いです。

2017年3月 4日 (土)

『幼稚園唱歌集』

 2月26日に『尋常小学読本唱歌』という記事をアップしました。ネットオークションで入手した資料です。

 類は友を呼ぶと言いますか(ちょっと違うか(^_^;)、今度は『幼稚園唱歌集』という本を入手しました。
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 文部省音楽取調掛の編纂です。
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 奥付によれば明治20年12月の出版で、東京音楽学校蔵版とあります。現在の東京芸術大学ですね。
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 「緒言」には次のようにあります。
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 続きの画像は省略しますが、本文の全体は次の通りです。

幼稚園唱歌集
  緒言
一 本編ハ、児童ノ、始メテ幼稚園ニ入リ、他人ト交遊スルコトヲ習フニ当リテ、嬉戯唱和ノ際、自ラ幼徳ヲ涵養シ、幼智ヲ開発センガ為ニ、用フベキ歌曲ヲ纂輯シタルモノナリ。
一 唱歌ハ、自然幼稚ノ性情ヲ養ヒ、其発声ノ節度ニ慣レシムルヲ要スルモノナレバ、殊ニ幼稚園ニ欠ク可ラズ。諸種ノ園戯ノ如キモ、亦音楽ノ力ヲ仮ルニ非レバ、十分ノ効ヲ奏スルコト能ハザルモノナリ。
一 幼稚園ノ唱歌ハ、殊ニ拍子ト調子トニ注意セザル可ラズ。拍子ノ、緩徐ニ失スルトキハ、活発爽快ノ精神ヲ損シ、調子ノ高低、其度ヲ失スルトキハ、啻ニ音声ノ発達ヲ害スルノミナラズ、幼稚ノ性情ニ厭悪ヲ醸シ、其開暢ヲ妨グル恐レアリ。故ニ本編ノ歌曲ハ、其撰定ニアタリ、特ニ此等ノ要旨ニ注意セリ。
一 幼稚園ニハ、筝、胡弓、若クハ洋琴、風琴、ノ如キ楽器ヲ備ヘテ、幼稚ノ唱歌ニ協奏スルヲ要ス。是レ楽器ニヨリテ、唱和ノ勢力ヲ増シ、深ク幼心ヲ感動セシムルノ力アルヲ以テナリ。

明治十六年七月

 内容はもっともと思います。指導者向けに書かれたものですね。

 収録されている歌は全部で29曲です。私が知っているのは2番目に載っている「蝶々」だけです。隔世の感がします。
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 今とは3行目の歌詞が違いますね。戦後変えたのでしょう。

 1番目に載っているのは「心は猛く」という歌です。
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 「~としも~ぞかし」ですからねぇ。難しい。(^_^; これを幼稚園児が歌ったとは。隔世の感がします。

 楽譜は次の通りです。
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 曲は簡単ですね。歌詞が4行あるうち、1行目と2行目は同じ節、4行目もほぼ同じで、3行目だけが異なります。

 歌うとすれば幼稚園児にもそう難しくはなかったでしょうが、歌詞が何とも。

2017年2月26日 (日)

『尋常小学読本唱歌』

 ネットオークションで入手しました。
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 この本、明治43年の刊行なのですが、表紙の題字等が左横書きです。この時代に極めて珍しいと思います。中身に五線紙の楽譜がありますので、それで全体が左横書きなのでしょう。
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 目次はこんな風です。
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 続き。
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 よくわからずに入札・落札したのですが、ググってみましたら、当時の国語教科書『尋常小学読本』に収録されている韻文教材の中から27の作品が選ばれ、それに曲を付けて教科書としたものだそうです。『尋常小学読本』は学年ごとの分冊になっていますが、この教科書は1冊です。

 たとえば、「こうま」はこんな感じです。
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 音符の上方に数字が書かれています。この教科書の持ち主が書き込んだものでしょう。ドレミではなくて、数字ですね。

 楽譜の次に歌詞のページがあります。
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 私、雪が積もると、革靴ではなくてゴム長で出勤します。その時に、「長靴はいい」「山でも川でもずんずんゆける」と思って、長靴を履きます。その出典はこの歌でした。♪ でも、今改めて見ると、本来の歌詞は「山でも川でも」ではなく、「山でもさかでも」ですね。(^_^;

 「鎌倉」の歌、好きです。
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 小学4年生か5年生の頃、遠足で鎌倉に行く前に、この歌を習いました。そんな思い出があります。
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 文語文の魅力を感じます。

2017年1月20日 (金)

『大和回遊名所案内図』

 昔の奈良の地図を入手しました。入手先は毎度おなじみのネットオークションです。

 袋には「大和めぐり名勝案内地図」とあります。
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 地図本体の左上には「大和回遊名所案内図」とあります。
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 両者、題名が一致していません。おおらかと言いましょうか。(^_^; ブログのタイトルは地図本体の題名によりました。昭和15年3月の発行です。

 奈良市中心部はこんな感じです。
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 平城宮跡はこの範囲よりも西に位置しますけど、この地図には一切載っていません。この時代にはまだ宮跡の位置が確定していないのでしょうね。

 久米寺前で見た道標関係のあれこれ。神武天皇陵、岡寺、橘寺です。久米寺も。
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 天理。駅名はまだ丹波市(たんばいち)ですね。
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 人麻呂塚や和尓社が載っています。そして、画面右側には天理教本部が一部見えています。

 上の画像で一部が見えていた天理教本部、実はこんなに大掛かりに描かれています。
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 東大寺や興福寺よりも遥に大きく詳しく載っています。破格の扱いですね。これは興味深かったです。そのあおりを受けて(?)石上神社が実際よりも東に移動していませんか?(^_^;

 他に興味を惹かれたのは、定家の歌です。
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 「佐野の渡り」が三輪山の南、初瀬川に設定されています。万葉集に載っているこの歌の本歌「苦しくも降り来る雨か神(みわ)の崎狭野の渡りに家もあらなくに」(265)の「神の崎」や「狭野の渡り」は、今、和歌山県新宮市とされていますが、中世には、「神の崎」が大和の三輪と誤解されたこともあったようですね。

 定家自身は佐野をどこと考えてあの歌を作ったのでしょうね。

 大坂夏の陣の折、若江で討ち死にした木村重成が大きく取り上げられていました。
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 NHK大河「真田丸」では、木村重成は、後藤又兵衛や明石全登など五人衆に比べるとやや影が薄い存在でしたけれども、昭和15年頃の人気のほどが偲ばれます。

 古いものはとにかく楽しい。(^_^)

2016年12月27日 (火)

真田氏の過去帳(2)「真田丸」の人々

 昨日載せた真田氏の過去帳の続きです。

 今回は「真田丸」に登場した人々を拾いました。

 まず、昌幸と信之は、前回画像を載せましたように、第1丁に歴代当主として2人並んで載っています。
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 昌幸の没年は慶長16年6月4日。慶長19年(1614)大坂冬の陣の3年前ですね。存命だったら勇んで大坂城に乗り込んだことでしょう。享年には異説があるようですが、この過去帳では70となっています。

 信之の享年は93。当時としてはとんでもない長寿ですね。没年の万治元年(1658)は大坂冬の陣の43年後に当たります。弟の分も長生きした感じですね。

 有働さんのナレ死を「まだ早い」と言ってはねのけた真田のばばさまも載っています。右端です。草笛さん。
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 出自は河原氏とあります。調べたところ、真田家家臣の河原綱家(真田父子犬伏の別れの折、誰も近づくなと言われていたのに、様子を見に行って下駄を投げつけられ、前歯が折れたという逸話のある人です)の叔母に当たるようです。

 ばばさまに続いて、昌幸の長兄信綱と次兄信輝が並んでいます。ふたり揃って長篠の合戦で討ち死にしました。それで昌幸が真田の家督を相続することになったわけで、兄2人のうちどちらかでも存命ならば、昌幸・信之・信繁のその後も変わっていたことでしょう。この兄弟はいずれもばばさまの子だったのでしょうか。もしそうなら、2人の子を一度に亡くしたばばさまの嘆きはいかばかりであったかと思います。

 昌幸の正室も載っています。高畑さん。
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 正親町三条中納言の姪で、菊亭大納言の娘、武田信玄の養女とあります。三谷さんは、そんなに高い身分のはずがないと考えて、実は菊亭大納言の侍女だったのに、娘と自称したという風に設定したのでしょう。確かにそんな可能性もあるように思います。

 真田兄弟の姉様も載っています。木村佳乃さん。
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 小山田壱岐守殿御内室とあります。寛永7年(1630)6月20日卒ということで、亡くなったのは冬の陣の15年後です。

 小松姫も載っています。吉田羊さん。
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 本多忠勝殿御息女 東照神君御養女とあります。藤岡弘、の恐ろしい顔が目に浮かびます。(^_^; 没年は元和6年(1620)です。夏の陣のわずか5年後ですね。

 信繁の子、大助も載っています。
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 享年十六とあります。

 「真田丸」に登場した人物で載っているのは大体こんなところです。信之の子、信吉も載っていますが画像は省略しました。

 昌幸の弟信尹は載っていません。信之の側室おこうさんも、信繁の妻達も。

 全体をきちんと見ていませんけれども、側室は載せない方針かもしれません。また、歴代当主本人とその妻子が対象ですので、信繁は載っても、信繁の妻子までは載らないのでしょう。大助が載っているのがむしろ例外的という気がします。

 なかなか興味深い史料です。

2016年12月26日 (月)

真田氏の過去帳(1)概要

 しばらく前に真田氏の過去帳を入手しました。入手先はおなじみのネットオークションです。

 昨年の10月に善光寺に行った折、境内にあった墓石の戒名がこの過去帳に載っていたということを当ブログにアップしました。この過去帳に触れるのはあれ以来です。

 この過去帳には「真田丸」に登場する人物も何人か載っていますので、ネタバレになってはまずかろうと思って、その後触れないできましたが、番組も終わってしまいましたので、改めてご紹介します。

 この過去帳の由緒は全く不明です。真田氏や真田氏の菩提寺に伝わる過去帳の写しなのか、それらとは全く無関係に部外者によって作られたものなのか分かりません。

 表紙はこんな感じで、題簽はありませんし、題簽が剥がれた形跡もありません。
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 表紙をめくると、表紙裏は白紙で、その左ページ(第1丁ですね)は以下の通りです。
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 冒頭にあるのは昌幸の父幸隆です(以下、敬称略)。

 それから、昌幸、信之、信政、幸道、信弘、信安、幸弘、幸専、幸貫と、歴代当主が続きます。歴代当主を10人列挙したあと、改丁して、歴代当主の妻子などが89名列挙されています。

 歴代当主10名+その他89名=全部で99名が収録されています。

 この過去帳の最後の当主幸貫については「嘉永五年 子六月十七日 六十二歳御卒去」とあります。幸貫の実際の命日は嘉永5年(1852)の6月8日らしいので、日付が合いません。間違いなのか、あるいは過去帳の日付は幕府に届け出た日付なのかもしれません。

 この過去帳で一番新しい日付は安政6年(1865)ですから、この過去帳が書かれた(写された)のはそれ以降ということになります。

 幸村も載っています。
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 ご覧の通り、「幸村公」とあります。真田幸村という名は後世の軍記物などに登場する名で、史実としては信繁が正しいとされています。とすると、この過去帳は怪しいのでしょうか? 

 ただ、この過去帳では幸村の享年は四十六とあります。幸村(信繁)の享年は通常49とされていますが、ネット情報ながら、真田氏の菩提寺である松代の長国寺の過去帳では、46となっているそうです。

 それと一致しますね。

 興味深いです。

 明日は、「真田丸」に登場した人々がこの過去帳でどのように書かれているか見てみます。

2016年11月22日 (火)

奈良京大阪経路図

 奈良京大阪付近の経路図を入手しました。木版です。江戸時代のものと思います。最近、奈良方面の絵図や経路図への関心が増してきました。ご縁といいましょうか、関心が増すとあれこれ手に入ります。(^_^)
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 この経路図の収録範囲は、左上に京・大阪、左下に若山(和歌山)、右下に伊勢神宮、右上に津、ということで、先週ご紹介した「伊勢大和まはり名所絵図道のり」とほぼ同じです。

 奈良を右上に置いた拡大図を示します。
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 奈良から左下への道を辿ると、帯解、丹波市、三輪、阿倍、飛鳥、岡寺、橘寺。またまた岡寺・橘寺のコンビです。

 その先は、Uターンするように、当麻、当麻寺、龍田、法隆寺、小泉。

 同じ「当麻」なのに、当麻は「たへま」、当麻寺は「たゐま寺」となっているのが不思議です。

 小泉の先は、郡山、西の京、と来て、次がまたまた「正大寺」です。これが標準表記のようですね。

 江戸・明治の地図や道中記を見慣れた人には常識なのかもしれませんが、今までほとんど見たことのなかった私にはもの珍しく、興味深いことです。

 全体図に戻って、左端に御定宿として京都六角堂前のちくぜんやの名が記されています。この旅籠が作成した地図でしょうか。あるいは、この部分の旅籠の名を差し替えればどこの旅籠でも使えますので、そのような性格のものなのかもしれませんね。

 大阪の表記が現代と同じく「大阪」となっています。この地名表記については、江戸時代までは「大坂」と書かれていたのが、明治になってから、「土に反(かえ)る」というのは縁起が悪いというので、「大阪」と改められた、と理解していましたが、どうなのでしょうね。

 この絵図は明治以降のものと考えるべきなのか、あるいは江戸時代にも「大阪」という表記はすでにあったのか。

 あれこれ興味は尽きません。(^_^)

 あ、六角堂、1回だけ行ったことがありました。
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 高いところから見えるようになっていました。
Rokkakudo02

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