史料・資料

2020年6月18日 (木)

大正九年、群馬県の「流行性感冒予防注意書」

 しばらく前、群馬県立文書館のフェイスブックに「流行性感冒予防注意書」という1枚紙の文書が載っていました。大正九年一月二十一日付、日本赤十字社群馬支部発行の書類です。
T09kazebunsho
 100年前のスペイン風邪への対応ですね。

 標題の「流行性感冒予防注意書」には「はやりかぜのふせぎかた」(濁点は補いました)というふりがなが付いています。
 このふりがなは、漢語では難しいと思われる人に対して、和語を用いた分かり易い解説といった趣旨なのでしょう。

 現代では、「流行性感冒」に「はやりかぜ」というふりがなを付けることはないでしょうが、古代において、漢字や漢語に付けた「訓」というのは、日本における「意味」、いわば「訳」ですから、それと照らせば、「はやりかぜ」という訓はいわば一種の熟字訓として位置づけられそうです。
 「予防注意書」に付けられた「ふせぎかた」というふりがなは、さらにその上をゆきそうです。

 文書全体に総ルビが施されています。その中には現代と同様のふりがなと、「はやりかぜのふせぎかた」風のものと、両方あります。

 大きな箇条書の一番は「伝染の仕方」で、ふりがなは「うつりかた」。二番は「容態」で、こちらは「ようだい」です。「容態」は和語に置き換えなくても、そのままで十分に理解できると考えられたのでしょうかね。

 「一、伝染の仕方」の本文は以下の通りです。( )内にふりがなを示します。

 流行性感冒(はやりかぜ)の毒(どく)は其(その)の病人(びやうにん)の痰(たん)や唾液(つば)の中(なか)にあり空気(くうき)を介(なかだち)して鼻(はな)及口(くち)から伝染(うつり)します

 全体をざっと見ますと、病人、医者、頭痛、肺炎、心臓麻痺、石鹸液、硼酸水、療養、注射、学校、汽車、電車、馬車、相談、肝要、掃除などには現代と同様のふりがなが付いています。

 一方、関節痛(ふしぶしのいたみ)、倦怠(だるいこと)、食気不振(くいもののまづきこと)、咽頭痛(のどのいたみ)、就床(とこにつき)、肺結核(はいびやう)、養生(てあて)、消毒薬(どくをけすくすり)、静養(ちからをつけ)、恢復(なをつた)、巡査駐在所(けいさつかんのうち)などは、訳語に近い感じです。
 ま、訓というものの本質は訳語なわけですけど。

 私は、大正時代の文書を見る機会が普段ありませんので新鮮に感じました。日頃から見ていらっしゃる方には珍しくもないことかもしれませんが。

 内容的には、「四、予防の仕方」の中の「二」に「マスク(口覆)を用いなさい」という項目があります。「マスク」という語も使われてはいたのでしょうが、念のための「口覆」という説明でしょうか。
 その下の「イ」に「マスクの見本は巡査駐在所や学校や役場にありますから可成(なるべく)自分で造りなさい」とあります。マスクは市販もされていたのかもしれませんが、自作が一般的だったのでしょうかね。

 「四、予防の仕方」の中の「四、其他の数々」の「イ」に「夜遊は此際中止(およしなさい)」とあるのは、今と通じそうです。

 あれこれ興味深い文書です。

2020年5月22日 (金)

『大和言葉』の解説書

 このような本を購入しました。この本の存在は、三友亭主人さんに教えて頂きました。
Yamatokotoba09
 内容は、ある『大和言葉』の写本の影印と、各項目の解説です。

 影印はこのようになっています。
Yamatokotoba10

 この本には、前書きも、あとがきも、出版元も、何も書かれていないとのことです。
 項目数は全部で156。
 私が入手した5種類の『大和詞』はいずれも語頭のいろは順でしたが、この本はそうではありません。
 ご覧のように、「あきつしま」「ひのもと」「もろこし」「あつま路」「こし路」という順です。
 このあたりは広域地名と括れそうですが、その先は、「かわ竹」「むはたま」「ぬはたま」「くすのうらかせ」と続いていますので、あまりきっちりとした排列意識は伺えません。

 この影印の後に、各項目の解説が続くのですが、このような感じです。
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 各項目、見開き2ページにわたって、考察・解説があり、参考となるカラー写真もあって、見て楽しめます。

 この本の「三輪の山とは」の項目は次のようになっています。
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 左ページの三輪山の写真は、三友亭主人さんの撮られたものです。
 三友亭主人さんの写真が掲載された経緯については、三友亭主人さんのブログにいきさつが書かれています。

 オリジナルの写真に比べて、ちょっと傾いてしまっていますし、色合いも変わってしまっています。
 三友亭主人さんとしては、その点は不本意だったのではと思いました。

 上の影印にちょうど見えていますが、11番が「いななきとは いなかをいふ」という記述で、意味がよく分かりません。
 著者の児玉氏もいくつか考えを示されながらも疑問としています。
 この項、私の入手した異本でも全く同じ本文で、疑問に思っていました。
 項目の排列は全く異なる本同士ですが、どこかで繋がっていそうです。
 興味深いです。

2020年5月18日 (月)

「大和詞」4種

 昨年の3月に、「寛政11年の『増補 大和詞』」という記事を載せました。
Yamatokotoba01

 『増補 大和詞』の内容はこのようなものです。
Yamatokotoba03
 語頭のいろは順になっていて、「一いもせ とは ふうふをいふ」などという形で記述されています。
 江戸時代における古典語を、江戸時代の言葉で説明したものです。
 江戸時代の人が古典を読むための古語辞典といった用途で作られたのかと思います。

 今回、同種のもの4種を一括して入手しました。
Yamatokotoba04

 外題と刊年は以下の通りです。
 1.『新板増補大和詞大全 完』延宝九年(1681)
 2.『やまと詞大成 全』享保十一年(1726)
 3.『大和詞集』宝暦六年(1756)
 4.『新増大和詞大成 全』享保十一年元版/寛政四年再刻(1792)

 それぞれに、巻頭に前書きがあったりなかったり、同じく巻頭付近に挿絵があったりなかったりします。
 「い」の部の冒頭は以下の通りです。
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 順序は、右上が1.左上が2.右下が3.左下が4.です。
 3.は明らかに異なりますが、1.2.4.は極めてよく似ています。内容は同一ですし、文字も同じように見えます。
 それぞれのページの左下の下段うしろから2行目の「十六日の」の部分を並べてみます。
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 どうでしょう。同じようでもあり、仔細に比較すると微妙に違うようでもあり……。微妙です。

 厚さは異なります。
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 内容を仔細に比較してみればいいんですけどね。

 本文を翻字してみたいと思いながら、もう1年2ヶ月も経ってしまいました。
 それも果たせないうちに異本が4種も。(^_^)
 あ、去年ご披露したのは寛政十一年(1799)刊で、今回の4種のどれよりも新しく、上の「い」の部冒頭の比較に見るように、明らかに他の4種とは異なります。

 今回の4種をパラパラと見ていたら、「ちはやふる とは  久しき事を云」という項目がありました。4種全く同一です。
 現代では、この枕詞は「勢い激しく荒々しい」の意で、「神」や「氏」にかかるとされます。
 『大和詞』で「久しき事を云」としているのは、あるいは、「ちはやぶる神世も聞かず龍田川から紅に水くくるとは」の歌が有名なので、この歌を念頭に、「遠く久しい神世」と理解してのことでしょうかね。

 あれこれ興味深いです。

【画像追加】
 「源さんの後輩」さんから頂いたコメントにより、画像を1枚追加します。
 それぞれのページの左下の下段うしろから4行目の「木て」の部分です。
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2020年5月14日 (木)

大正16年のチリ硝石のポスター

 このようなものを入手しました。
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 ネットオークションで見つけて、うさぎの絵が描いてあるので、入札してしまいました。
 うさぎ年生まれで、うさぎが好きなもので。(^_^)

 ものは、チリ硝石のポスターです。
 ググってみると、チリ硝石は、19世紀に発見され、当初は火薬、その後は肥料に使われたそうです。
 20世紀初頭の輸出量は年間200万トンを超える規模となったそうですが、チリにおける硝石生産は、1930年代をピークに衰退していったとのことです。掘り尽くしてしまったのですかね。

 このポスターの右下の部分を拡大します。
S02chirishoseki02
 「大正十六年」とあります。
 大正15年(1926)の12月25日に大正天皇が崩御し、即日裕仁親王が践祚、昭和に改元したため、昭和元年はわずかに7日で終わり、年明けは昭和2年となりました。大正十六年は幻の年号ですが、あまりにも年末ギリギリの改元でしたので、当時、「大正十六年」とした印刷物はたくさんあったことでしょう。

 このポスターの発行者は「智利硝石普及会」ですね。
 ポスターの上方に「麦作と桑肥に欠く可からざる」とありますように、智利硝石を主として麦と桑の肥料として普及させようとの趣旨なのでしょう。
 表の中にも、「智利硝石 与へる時と分量」という項目があって、月別に詳細に記されています。

 ポスターの大部分を占めるのは、うさぎの餅つきです。
 なぜうさぎかというと、大正十六年(昭和二年)がうさぎ年だからなのでしょう。丁卯の年でした。
 毎年、干支にちなんだ絵柄なのかと思います。

 昭和2年って、93年前なのですね。私の世代は、親が大正から昭和1桁の生まれ、祖父母が明治の生まれでしたが、いつのまにやらずいぶん歳月が経ってしまいました。

 昭和も遠くです。

2020年5月13日 (水)

明治35年の『大和土産 奈良名所』

 このようなものを入手しました。題簽に『大和土産 奈良名所 全』とあります。
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 表紙は厚紙で、大きさは、12.8cm×18.2cm程です。
 折り本仕立で、全部で見開き8面の絵が描かれています。木版画のようです。
 奥付はありませんが、各面の左欄外に「明治三十五年九月一日印刷 同年九月五日発行  著作兼印刷発行人 大阪市東区北久宝寺町(以下、念のため省略)田井久之助」とあります。

 第1面は、北円堂、南円堂、手向山八幡宮。
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 第2面は、博物館、興福寺、若草山、神鹿飼養場。若草山には月が描かれています。
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 神鹿飼養場は画面右下です。アップにします。

 鹿なので特別扱い。(^_^)
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 「第一」とあるところをみると、他にもまだあるのでしょうね。今の鹿苑に当たりましょうか。

 第3面は、二月堂、三月堂、四月堂。全部東大寺ですね。
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 第4面は、春日神社、春日若宮、円窓亭。
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 恥ずかしながら、円窓亭というのは知りませんでしたので、ググってみました。
 鎌倉時代に春日大社の経蔵を改造したものということです。
 神社の経蔵ということは、神仏習合ということなのでしょうね。

 第5面は、大仏殿、般若寺。
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 第6面は、法隆寺、西大寺、猿沢池。
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 第7面は、長谷寺、多武峰、そして天理教会本部。
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 天理教本部が名所になっているのですね。

 第8面は、神武天皇陵、開化天皇陵、正倉院。
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 第1、2、3、4、6面のそれぞれ左下に見返り美人ポーズのおねえさんが描かれています。
 わざわざ同じ構図にしたのでしょうかね。

 あらかた奈良市内ですが、長谷寺、多武峰、天理教会本部、法隆寺、神武天皇陵など、他地域のものもあります。
 大和三山や飛鳥寺、岡寺、石舞台古墳などは対象になっていません。明治35年にどういう場所が名所として選ばれているのか、なかなか興味深いです。

2020年5月10日 (日)

西尾市岩瀬文庫の「姫魚図」

 愛知県の西尾市岩瀬文庫のHPに、「姫魚図」というのがアップされています。
 これまたまほろばメイトの方のご教示です。ありがたいことです。
 これ、アマビエの同類のようです。
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 ダウンロードが可能になっていますので、転載もOKかと。

 釈文も載っています。それを更に読みやすく改めてみました。

 一、かくの如く形のもの、当四月八日、肥前の平戸の浜に現れ、
   「われは龍神の使いなり。ことしより七年之間、諸国にコロリと云ふやまひ、はやり、人多く死す。
   我が形を家内に貼りおけば、そのやまひをのがれ、子孫繁盛なり。今、姿を現し、この事を告ぐるなり」
   と云ふかと思へば、水底に入る。その姿、凡そ、壱丈五六尺、顔三尺斗りと、人々申し伝へしなり

といった感じです。アマビエと共通しますね。

 先日のアマビエは弘化三年(1846)でした。今回のは正確な年代は不明ですが、文政(1818-1829)のはじめ頃ということですので、今回の方が四半世紀ほど早いです。
 前回のは肥後国、今回は肥前国ということで、お隣です。関連ありましょうかね。

 西尾市岩瀬文庫のHPには、この絵の塗り絵も載っていました。
Himeuo02
 塗り絵といわれると塗ってみたくなります。(^_^)

 塗ってみました。
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 どうでしょ? 色彩のセンスが問われます。(^_^;
 顔も自由に描くようになっていますけど、ヘタなので描けません。マウスだし。(^_^;

2020年4月29日 (水)

「オトギカルタ」

 このようなかるたを入手しました。
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 現物ではなく復刻版です。奥付がなく、いつの復刻か分かりません。

 解説が1枚入っていて、「このオトギカルタは、大正時代から昭和初期に各地に普及していたかるたを、主に復刻製作しました。」とあります。
 「主に復刻製作しました」という部分が意味不明です。

 絵札と読み札はこのようです。
Otogicard08

 今まで、当ブログでは、おとぎ話・昔話のかるたを3つ取り上げてきました。

 昔話のかるた(戦前)
 「おとぎかるた」(戦後ほどなくか)
 「お伽カルタ」(戦前)

 それぞれの内容を表にしてみました。
Otogicardrank
 桃太郎が不動の1位です。それ以外の順位は4つのかるたでほぼ同様ですが、戦後、金太郎の躍進が目立ちます。

 興味深いのは「に」の札と「も」の札で、いずれも桃太郎です。そして、「も」は不動の「桃から生まれた桃太郎」です。
 「に」は「日本一の~」で、「日本一の桃太郎」だったり「日本一のキビ団子」だったりします。このかるたでは「日本一の旗を立て」ですね。

 上の札では、金太郎の読み札2枚が興味深いです。
 2枚続けると、「まさかりかついだ金太郎 熊にまたがりお馬の稽古」となります。
 これ、童謡の歌詞とほぼ同じですね。明らかに童謡の歌詞を踏まえていることでしょう。
 とすれば、このかるたの発行年を知る手掛かりになる、と思いました。
 わくわくしましたが、ダメでした。
 この童謡(というか唱歌)は、明治33年(1900年)6月発行の『幼年唱歌 初編上巻』に載っているのでした。
 このかるた、明治33年以降ということしか分かりません。年代は絞れませんでした。

 あと4組。
Otogicard09

 前のかるたでも朝倉山のオニさんからご指摘を頂きましたように、「うさぎとかめ」の話は舶来品ですね。
 それにも関わらず、しれっと混ざっています。(^_^)

 どの札でも、動物は丸ごと動物の姿をしているにもかかわらず、猿蟹合戦のカニは、頭だけがカニで、体は人間です。

 語句に関しては、「ら」の札「楽に退治る鬼ヶ島」の「退治る」が少し気になりました。
 名詞の動詞化ですね。現代では「退治する」が普通だと思います。
 日国によると、古くは「退治す」だったのが、江戸の後半から「退治る」が使われるようになったようです。
 最古の用例として、人情本の『春色梅美婦禰』〔1841~42頃〕のものが挙がっていました。

 箱の絵は、この復刻に際して新たに描かれたもののようです。
 絵札が3枚散らしてある他に、右下に一寸法師が、中央から左上に掛けて鬼の絵が描かれています。
 この一寸法師、かるたの絵と全く違いますね。
Otogicard10
 箱の絵は中原淳一風です。←知らんけど。(^_^;
 かなりミスマッチと思います。(^_^)

【追記】
 一寸法師の装備って、お椀の舟に箸の櫂、そして剣は針でしたね。箱の絵の一寸法師の剣、柄頭の部分にちゃんと針のメドがありますね。細部がちゃんと描かれています。(^_^)

2020年4月15日 (水)

高遠藩は?

 『日本名所記』の刊年を考える材料の1つとして、前の記事で「真田弾正大弼」を取り上げました。

 話がそれますが、弾正といえば、私が生まれた時、父が名前を考えるに当たって、候補をたくさんリストアップした中に、弾正と玄蕃があったそうです。強そうな名前です。濁音で始まっているからでしょうかね。時代劇に出てきそうでかっこいいです。
 ま、強そうというか、悪そう。(^_^; どちらも、律令官制としては全く悪いものではなく、弾正はむしろ正義の味方ですけど、時代劇だと悪役に多そうです。これまた濁音で始まるからでしょうかね。
 私は弾正でも玄蕃でもイヤではありませんけど、強くないので、名前負けしそうです。(^_^;

 閑話休題。←これ、八犬伝によく出てきて、「あだしごとはさておきつ」というルビが付いています。

 で、本当に閑話休題で、もう1つ「高遠城」も手がかりになるかなぁと思います。

 信濃国の部分で、「城」を列挙した後、全体の末尾にもう1つ「城」があって、そこに高遠が載っています。
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 これ、「城」の部にうっかり高遠を入れ忘れて、あとから末尾に補ったとも考えられます。
 でも、もしかしたら、最初にこの本が作られた時には高遠藩が存在しなくて、後日、高遠藩ができたのを受けて、改訂版で反映させた可能性もあるかと考えました。
 というのは、この本には「城」の他に「陣屋」があります。とすると、この本の「城」は別に城郭という建造物を指しているわけではなく、それぞれの国の中にどんな大名家があるのかを、城持ちと無城(=陣屋)とに分けて示していると考えられます。ならば、高遠城という城郭はずっと存在していても、高遠藩が存在しない時期があって、その時期にこの本が作られたとすれば、「城」の部に高遠は入れないでしょう。

 高遠藩の沿革を調べると、元禄2年(1689)7月23日に藩主鳥居忠則が亡くなり、高遠藩は廃藩となります。そして1年半後の元禄4年(1691)2月9日に内藤清牧が入封して来て、高遠藩は復活し、そのまま明治に到ります。
 江戸時代に高遠藩が存在しなかったのは、このわずか1年半のみです。
 どうでしょ? 『日本名所記』が刊行されたのはこの1年半のうちのどこかで、その後、高遠藩が復活したのち、この本の改訂版が出されたとか。

 材料不足で何とも言えません。諸国の「城」と「陣屋」を全部見て行けば何か分かると思います。
 興味はありますが、少なくとも、さすがにすぐにはやらないと思います。(^_^;

真田弾正大弼

 昨日、『日本名所記』について書きました。
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 この本、刊年不明ながら、上欄外に「一万五千石 牧野周防守」「十万石 真田弾正大弼」などのように、藩の石高と藩主とを記した加筆が数ヶ所あります。
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 この本の持ち主が書き込んだのでしょう。これらを丹念に見て行けば、書き込みの時期の範囲が決まり、この本の刊年の下限が推定できましょう。
 そういう考証は好きなのですが、ま、気が向いたら、といった感じで、すぐに取り組もうという気はありませんでした。
 でも、やはりちょっと気になるので、「真田弾正大弼」だけでも調べてみることにしました。
 松代藩主って、伊豆守や信濃守が多く、弾正大弼はあまりいなかったような気がしましたので。

 調べてみたら、松代藩主で弾正大弼を名乗ったのは第6代の真田幸弘公のみでした。
 幸弘公が弾正大弼を名乗っていた時期は短く、天明8年(1788)4月5日からの2年間で、寛政2年(1790)4月18日には右京大夫に変わっています。
 この調査は、国立国会図書館デジタルコレクションの『寛政重修諸家譜』に依りました。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577447
 幸弘公の記事は『寛政重修諸家譜』第155冊の80~81コマ目にあります。

 ということで『日本名所記』上欄外の「十万石 真田弾正大弼」という書き込みは、このわずか2年の間になされたものと考えられます。
 従って、『日本名所記』は遅くとも寛政2年4月18日までには刊行されていたことになりましょう。
 刊行年の上限は分かりません。何か手がかりがあると良いのですが。

【追記】
 「『日本名所記』は遅くとも寛政2年4月18日までには刊行されていたことになりましょう。」は勇み足でした。
 幸弘公の官職名が右京大夫に変わったのは寛政2年(1790)4月18日であっても、それをリアルタイムで知り得たのは幕閣の然るべき役職に就いていた人だけで、それ以外の人は、毎年刊行される大名武鑑などによって知ったことでしょう。だとしたら、この本の持ち主が「十万石 真田弾正大弼」と書き込んだ時期の下限は、もう少し降ると思われます。

2020年4月14日 (火)

『日本名所記』

 このようなものを入手しました。
Nihonmeishoki01
 書名は「日本名所記 上」とあります。
 1冊本で、冊の途中に「中編」「下編」とあり、「上」「中編」は各4丁、「下編」は3丁で、三編合冊です。

 最終丁の裏は次の通りです。
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 国別に五畿七道順に並んでいますが、最終丁の最後が豊後ですので、このあとさらに肥前、肥後、日向、大隅、薩摩、壱岐、対馬を載せる分がもう1丁あったのが脱落したものと思います。
 上方と下方の2ヶ所をこよりで綴じてありますが、他に綴じ穴がありますので、この2ヶ所の綴じは下綴じで、本来は表紙が付いていたのでしょう。

 最終丁や表紙が脱落しているために刊記がなく、刊年や出版者は不明です。
 国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録データベース」を検索してみました。同名のものが複数ありましたが、いずれも刊年不明でした。

 中身の冒頭はこんな感じです。上下左右の余白は省略し、枠内のみ示します。
Nihonmeishoki02
 国名の次に、「城州」「和州」などという国の別名と郡数、国の総石高が記載されています。
 その先は、「一ノ宮」「郡」「城」「陣屋」「宮」「寺」「名所」の各項目ごとに記載されています。
 ふりがなが付いているのがありがたいです。

 さすがに山城は寺や名所が多いですね。
 分量が一番多いのは山城と陸奥で、ともに10行あります。
 陸奥は郡数が多いことが大きな理由です。広いですから。

 「一ノ宮」については、「加茂下上大明神 上は雷神 下は天神 愛宕郡」「三輪大明神 大物主神 城上郡」のように、神社名、祭神、所在郡が書かれています。

 大和国の郡名の読みを見ると、添上・添下、城上・城下は「そふのかみ(しも)」、「しきのかみ(しも)」と訓読みですが、葛城葛上の誤りでした)・葛下は「かつじやう・かつげ」と音読みです。

 次のページ。
Nihonmeishoki03
 大和の寺は、東大寺、興福寺、法隆寺、西大寺、当麻寺が挙がっています。薬師寺、唐招提寺、飛鳥寺、岡寺、橘寺などは載っていません。どこが載っていて、どこが載っていないのか、なかなか興味あります。

 大和の名所に、畝火山と天香久山は載っていますが、耳成山はありません。大和三山という括りは意識されていなかったのでしょうかね。

 信濃、上野のページ。
Nihonmeishoki04
 上野は4行しかありません。ちょっと寂しい。
 名所の部に佐野の舟橋がありませんが、次ページの下野国に載っていました。今も栃木県には佐野市があります。これと紛れたのでしょうね。

 長野県の2行目の下の方から「城」の部が始まり、松代、上田、飯田、松本、小諸、高嶋、飯山と7城が並んでいますが、この国の再末尾にまた「城」があって、高遠が載っています。高遠城を漏らしてしまい、末尾に補ったのでしょうかね。それならばなかなかおおらかです。

 このページの上欄外にこのような書き込みがあります。
Nihonmeishoki05
 「一万五千石 牧野周防守」「十万石 真田弾正大弼」などとあります。藩の石高と藩主名ですね。この本の持ち主が書き込んだのでしょう。こういった書き込みは他のページにもちらほら見えます。それらを丹念に見て行けば、これらの書き込みの時期の範囲が決まり、この本の刊年の下限が推定できましょう。
 その考証をしてみたい気はしますが、するかどうか。(^_^; 最近どうも怠け者になりました。

 いつも行く近所のスーパー、今日は少し混んでいました。理由は分かりません。特売でもないし。
 このところ、3000円以上買うと200ポイント貰えるというクーポンも出ていません。自粛しているのでしょう。
 あれがないと、暗算しながら買い物をしなくても良いので楽です。

 久しく品切れ気味だったトイレットペーパーとティッシュペーパーがそこそこ復活していました。マスクは相変わらずありません。

 運動不足なので、買い物のあと、かなり大回りをして帰りました。通ったことのない道も通って。
 行き交う人もあまりいませんでした。今後も少し歩くようにしたいと思います。
 渋川の家に行きたい気がします。浜木綿の水やりと、郵便物の取り込みです。でも、もうしばらく我慢ですね。浜木綿、何とか無事でいて欲しいです。

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