史料・資料

2019年4月16日 (火)

明治10年の『萬国地誌略』

 このようなものを入手しました。題簽は剥がれてしまっています。
M10bankokuchishiryaku01
 表紙裏には次のようにあります。
M10bankokuchishiryaku02
 奥付ページは以下の通りです。
M10bankokuchishiryaku03  
 明治10年の刊行です。以前、この年代の教科書を何点かご紹介しました。それらと同じく、これまた師範学校の編纂です。

 内容はアジアとアフリカです。私が入手したのはこの1冊だけですが、他にヨーロッパ、アメリカ、オセアニアなどがあるはずですから、全3冊でしょうかね。
M10bankokuchishiryaku04
 亜細亜総論の本文4行目に「蘇葉士」とあります。「う~ん?」としばし唸りました。内容から考えて、たぶん「スエズ」だと思います。難解。(^_^;

 こういうページもあります。
M10bankokuchishiryaku05
 外国地名が相変わらず漢字表記され、難解です。頭が疲れるので解読はやめました。(^_^; その一方で、カタカナで「ラダック」とあります。「え? これがアリなら、全部カタカナで書けば良いのに」と思ったことでした。

 巻末に折り込みでアジアの地図がありました。
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 同じくアフリカの地図も。
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 アフリカは今よりもずっと国が少ないですね。

2019年3月12日 (火)

寛政11年の『増補 大和詞』

 このようなものを入手しました。
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 サイズはほぼ文庫本大です。

 奥付には寛政11年5月の年月が記載されています。
Yamatokotoba02
 中身はこのような感じです。
Yamatokotoba03
 語頭のいろは順になっていて、「一いもせ とは ふうふをいふ」などという形で記述されています。

 現在、「やまとことば」というと、漢語や外来語に対する和語という意味で用いられますが、この本の場合は、「雅な古語」といった感じでしょうか。江戸時代の人が古典を読むための古語辞典といった用途で作られたのかと思います。

 上のページの2項目目に「一いね とは あねをいふ」とあります。日国を見ると「いね【姉】」という項目は立っていて、「(1)「姉」の女房詞 (2)下女。女中。」という解説文はあるものの、用例は挙がっていません。

 この本に収録されている語はどのようなものなのか興味があります。源氏や伊勢に載っている語、古今集に載っている語、徒然草に載っている語、など。全部翻字して調べてみたい気がします。

 恥ずかしながら、変体仮名が苦手なので、丸ごと翻字すれば、変体仮名の勉強にもなりそうな気がします。

 大学で古典文学を担当しながら、変体仮名が苦手などと言っていてはいけませんが。(^_^;

2019年3月 4日 (月)

明治12年の「新撰早繰年代表」

 先月、「安政3年の年忌早見盤」という記事をアップしました。
Kaikihayami01
 類は友を呼ぶではありませんが、似たようなものを入手しました。今度のは明治になってからのもので、円盤形の年表といった感じです。
M12hayakuri01
 これも中央部に回転式の円盤があります。
M12hayakuri02
 円盤の外側の一番若い数字は「一」です。そこをスタートに、反時計回りに螺旋状に内側に向かって数字が大きくなります。▲1つが100です。印刷してある最も大きな数字は「▲▲▲七十六」すなわち三百七十六で、そのあとに空欄があり、そこに朱で4年分の追記があります。

 使い方は次のようになります。
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 上の図で、一番下に白抜きで「己卯」とあります。その1つ内側が明治12年です。中央部の回転円盤の「一」をこのマス目に合わせます。1周60年ですので、1つ内側は60年前、2つ内側は120年前ということになります。土台の方も、一番外側が明治12年ならば、その1つ内側は60年前で文政2年ということが分かります。

 最も古い年は永正元年(1504)です。明治12年(1879)の375年前に当たります。多くの年には、その年のできごとが簡単に記されていますので、略年表として使えます。

 構造は安政3年のものと同様ですが、ぱっと見でも両者はずいぶん違います。

 記事は、例えば次のように、元和元年には「大阪落城」とあり、翌2年には「家康公薨」とあります。
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 もう明治の世になっていますが、家康は「公」と待遇しています。

 そればかりか、文化12年には「神君二百年御忌」とあり、神君扱いが続いています。
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 マス目が大きくないので、上のように、明治8年の条には「去年大阪神戸ノ間気車出来」とあります。明治7年の条には他の記事が入っているために余白がなく、8年のマスに「去年」として記載しています。

 家康と異なり、信長と秀吉は呼び捨てです。
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 なかなか興味深いです。

 元禄15年には「義士四十一人夜討」とあります。
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 「四十七士」って、当時誰もが知っていたでしょうに、うっかりしたのでしょうかね。(^_^;

2019年2月13日 (水)

安政3年の年忌早見盤

 このようなものを入手しました。
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 画面が小さくて見えづらいと思いますが、中央部の円はやや白くなっていて、回転するようになっています。全体は放射線状に60に区分されていて、中央の円盤のすぐ外側に干支が記載されています。そして、内側から外側に向かってらせん状に1マス1年で年号が記されています。

 中央の回転部分です。このように、中央部が回転できます。
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 一部を拡大します。
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 1枚目の画像の右下に「當のもじを毎年の年号にあてゝ見れば三年七年と一時にわかるべし」とあります。

 上の画像では、中央の円盤を回して、安政三年のところに「當」の字を合わせてみました。そうすると、この年は、安政元年に亡くなった人の三回忌、嘉永三年に亡くなった人の七回忌、弘化元年に亡くなった人の十三回忌……ということが分かります。

 「天保二年に亡くなったウチの爺さんの二十七回忌はいつじゃろか?」を知りたいときは、中央の円盤の廿七を天保二年に合わせれば、「當」の位置の年が該当年ということが分かります。

 年号が記載されているのは安政四年までですが、その先、年号未記載の余白が70年分以上もあります。ここに年号を記入してゆけば、この早見盤は昭和10年頃まで使えることになります。

 これ、便利だったことでしょうね。個々の元号が10年続くかどうかという時代、こういうものがないととても不便だったことでしょう。また、干支が必要不可欠だったであろうことも想像できます。

2019年2月11日 (月)

明治13年の『万国史略字引』

 こういうものを入手しました。
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 明治13年の刊行です。
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 書名は、以前当ブログでも同種の例を取り上げましたように、『万国史略』という別の本があって、その「字引」ということになりましょう。「字引」は、その書籍の中に出てくる語の読みや簡単な意味を記したもの、といった意味です。

 『万国史略』というのは世界史の教科書でしょうね。

 巻頭部はこうなっています。
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 表紙題簽に「両点」とありますが、これは、語の右にふりがな形式でその語の音が示されているのと、語の下に訓または意味が示されているのと、その両方を指して「両点」と言っているものと思われます。

 このページの最後の行にある「交通」などは、読みは簡単でしょうから、下にある「ヨシミヲムスブコト」という注記が眼目なのでしょう。

 「漢土」の部は詳細で、唐とか元とか、そういった王朝ごとに項目が立っています。
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 上のページには、劉備や諸葛孔明の名が見えます。後ろから3行目にある「私」の「ハタクシ」という表記に興味を惹かれました。「ワタクシ」を「ハタクシ」と書いています。語中語尾ならともかく、語頭における「ワ」を「ハ」と書いていますね。仮名遣の混乱ということでしょうか。

 国別の分量の内訳は以下の通りです。数字はページ数です。

 漢土:28
 印度:1.5
 波斯(ペルシャ):1.4
 亜細亜土児其(アジアトルコ):3.9
 希臘(ギリシヤ):2.3
 羅馬(ラウマ):7.3
 人民ノ移転:1.5
 仏蘭西(フランス):7.9
 英吉利(イキリス):2.3
 独逸(ドイツ):3
 瑞西(ズーイス):1.4
 和蘭(ヲルランド):1.4
 嗹馬(テンマルク):2
 西班牙(スベイン):3.3
 以太利(イタリア):3.5
 土児其(トルコ):0.6
 露西亜(ロシヤ):1.4
 亜米利加洲:1
 合衆国:2.1

 漢土が群を抜いて多く、28ページあります。第2位の仏蘭西(フランス)7.9ページの3.5倍以上です。次いで羅馬(ラウマ)の7.3ページ、亜細亜土児其(アジアトルコ)の3.9ページ、以太利(イタリア)の3.5ページ、西班牙(スベイン)の3.3ページとなります。

 漢土が多いのは、歴史が長かったり、わが国に及ぼした影響が大きかったり、という理由もあるでしょうが、ふりがなを振るべき人名が多いということもありそうです。欧米の場合、国名は漢字表記ですが、人名は出てきません。『万国史略』で、欧米の人名はカタカナで表記されているのかもしれません。このあたり、国会図書館のデジタルライブラリなどで、『万国史略』を見てみれば良いのでしょうけど。(^_^;

 フランスの項はこのようになっています。
M13bankokushiryaku05
 語に関しては、最後の行の「豪猛」に付いている「タケシキ」という訓に興味をおぼえました。今なら「タケキ」となるところでしょう。

 内容的には、5行目からの「一女子」「民間」「義兵」「勝利」「焚殺」という箇所、ジャンヌダルクでしょうね。

 あれこれ興味深いです。

2019年1月31日 (木)

『改正浪花講』&二川宿の山家屋

 道中記(というのか定宿帳というのか)に興味を持って、あれこれ集めています。当ブログでもいくつかご紹介しました。最近も入手したのですが、かなりヨレヨレでした。で、アイロンを掛けてみました。

 表紙。左が使用前、右が使用後。
Naniwako01
 裏表紙。同じく左が使用前、右が使用後。
Naniwako02
 秋葉神社と鳳来寺のページ。上が使用前、下が使用後です。
Naniwako03
 見違えるほどきれいになりました。満足です。(^_^) でも、出品者がここまでしてくれても良かったようにも思います。(^_^)

 年号が書いていないので、いつの物か分かりません。

 ただ、東京の部分に以下のようにあります。
Naniwako04
 左端に「新橋ステーシヨンより横浜へ蒸気車往復有」とありますので、新橋・横浜間に鉄道が開通した明治5年以降ですね。

 西京の部分には以下のようにあります。
Naniwako05
 左端に「烏丸七条ステーシヨンヨリ大坂神戸へ蒸気車(その下、字が欠けていて不明)」とあります。大阪・神戸間に鉄道が通ったのは明治7年だそうです。京都駅の開業は明治10年だそうですが、当時の駅の場所は八条通り付近とのことですので、「烏丸七条」という記載と整合するのかどうか分かりません。

 かねて関心のある二川、豊橋の辺りは次のようになっています。
Naniwako06
 豊橋には、当ブログでご紹介してきた道中記に毎度おなじみの「つぼや庄六」がまたまた載っています。代表的な宿なのでしょうね。

 豊橋の名物に、玉あられと浜名納豆が載っています。ググってみますと、浜名納豆は今は浜納豆と呼んでいるそうですが、かつては浜名納豆と呼ばれていたのではないか、という記事がありました。まさにその浜名納豆です。

 さて、二川宿。「山家や」と「橋本や」の2軒が載っています。

 3年前に二川宿の本陣資料館に行った時に撮影した地図を見てみました。
Yamagaya01
 山家屋は東海道の北側、青く塗られた脇本陣の西隣にあります。橋本屋はそこからさらに西、本陣のちょうど向かい側にあります。なんか嬉しい。(^_^)

 資料館には二川宿のジオラマも展示してありました。その一部。
Yamagaya02
 右上を拡大します。
Yamagaya03
 この旅籠が山家屋でした。そして、浪花講の看板が掛かっています。黒い扇に赤い日の丸のマークが描かれています。これまさにこの『改正浪花講』と同じですね。

 山家屋が浪花講に登録されている旅籠であることを踏まえて、このジオラマには浪花講の看板を掲げたのでしょう。孝証の行き届いたジオラマと思いました。

 あれこれ楽しいです。♪

2019年1月22日 (火)

八木書店で奈良絵本展

 昨日の記事に書きましたように、現在、神保町の八木書店で奈良絵本の展覧会を開催中です。昨日は玉水物語をメインに、他に浦島と伊勢物語を載せました。展示されている作品は全部で30件あります。そのうち作品名が著名なものを何点かご紹介します。

 酒呑童子
Naraehon05
 百合若大臣
Naraehon06
 鉢かづき
Naraehon07
 徒然草
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 これは豆本のような小さな作品です。会場で頂いた解説書によれば、サイズは6.1cm×4.5cmだそうです。全2冊で、徒然草の全段を収録しているわけではなく、抜粋だそうです。

 一寸法師
Naraehon13
 お椀の舟に乗った一寸法師の小ささがよく描かれていますね。

 拡大です。
Naraehon09
 物くさ太郎
Naraehon10
 竹取物語
Naraehon11
 瓜子姫
Naraehon12
 良い時間を過ごすことができました。眼福でした。(^_^)

 たくさん紹介しましたが、これでもまだ全展示作品の1/3ほどですし、勝手に一部だけトリミングするような形で載せました。可能でしたら、ぜひ会場に。

2019年1月21日 (月)

『玉水物語』の奈良絵本

 神田神保町の八木書店の3階で、奈良絵本の展覧会を開催中です。今度の土曜日まで。

 あまり関心はなかったのですが、先日のセンター試験に出題されて話題になっている『玉水物語』も展示されているということで、俄然、関心が湧いて、行ってきました。『玉水物語』は名前すら知らなかったのに。(^_^;

 2ヶ所のページが開かれていました。
Naraehon01
 もう1ヶ所。
Naraehon02
 あ、ストロボを使わなければ写真撮影OKでした。ありがたいことです。

 興味深く見ましたが、いかんせん、全体のストーリーをよく把握していない中での2場面だけですので、なんとも。『玉水物語』を読んでみたいです。

 ガラスケース越しですので、天井の蛍光灯が写り込んでしまっています。昨春、自由が丘の猫の作品展撮影のために買い求めた偏光フィルターがあれば有効だったかもしれませんが、見当たりませんでした。ほんと、管理が悪いです。

 浦島太郎。
Naraehon03
 手に亀を持っていますね。こちらは、手を翳して蛍光灯の写り込みを防ぎましたが、中途半端で、却ってヘンです。(^_^;

 伊勢物語。
Naraehon04
 筒井筒の場面でしょうね。位置によっては、このように全く蛍光灯の写り込みのないケースもあります。

 他にもあれこれ興味深い作品が並んでいました。続きはまた後日。

2019年1月17日 (木)

昭和32年、横浜線の列車ダイヤ

 昭和32年の横浜線の列車ダイヤを入手しました。サイズは、縦14.8cm、横は2.5mほどもあります。折り本形式です。その冒頭部。
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 私はテツではないのですが、幼稚園の途中まで横浜線沿線の町田に住み、都内に越してからも、母の実家が同線沿線の矢部にあったことから、夏休みや冬休みなどにちょくちょく同線に乗っていましたので、興味を惹かれました。

 うちが都内に越したのは昭和32年10月、このダイヤはその翌月の11月のです。

 最冒頭部。
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 右側に「時刻凡例」というのがあります。どうやら、それぞれの駅にどれだけの時間停車するのかを符号で示しているようです。

 駅のリスト。
S32yokohama03
 各駅にはカタカナの略号が示されています。何かと思ったら、表の項目に「駅名電略」とあるのに気づきました。電報を打つときの略号なのでしょうね。

 駅間距離が駅名配置に反映しています。淵野辺、矢部、相模原の間隔が異様に短いです。ググってみましたら、矢部駅は以前はなかったのに、淵野辺・相模原間に米軍の相模補給廠があったことで、その便宜のために新設されたそうです。母の実家の最寄り駅は矢部ですけど、矢部駅ができる前は淵野辺駅で降りていました。それで、ずっと後までも、「矢部に行く」とは言わずに、「淵野辺に行く」と言っていました。すみません。大変に個人的なことで。(^_^;

 ダイヤはこんな感じです。
S32yokohama04
 縦が距離で、横は時刻のはずですが、どこにも時刻の数字が書かれていません。しばし考えるに、上部に大きな字で書いてある4、5、6の数字が時刻を表すのでしょう。縦線に、細い線とやや太い線とがあって、太い線が10分単位、細い線が1分単位と思われます。数字が入っていないと不便そう。

 当時、横浜線は単線でした。右上がり・右下がりの2種類の向きの線が交差するところはいずれも駅です。上下線は駅以外ではすれ違えません。

 上りも下りも1時間に1~2本だった記憶があります。それが、東海道新幹線が開業して、新横浜駅が横浜線の菊名・小机間にできたことで、後に複線化され、本数が飛躍的に増え、駅も増えました。

 朝の7時台、8時台の部分。
S32yokohama05

 7時台の方が線が混んでいて、運行本数が多かったことが分かります。出勤のために都内に向かう人は、7時台のに乗らないと間に合わなかったのかもしれません。それでこのようなダイヤになっているのかと思います。

 列車ダイヤの実物を手にするのは初めてでした。あれこれ興味深いです。同時代資料は楽しい。

2019年1月 5日 (土)

明治9年の『日本地誌略字引大全』

 このようなものを入手しました。題簽はありません。
M09chishiryaku01
 内題はこのようにあります。
M09chishiryaku02
 著者は神奈川県の師範学校の先生のようですね。

 去年の11月にご紹介した本は群馬県の師範学校の編纂でした。明治の初め頃は師範学校がこういった本を編纂していたのですね。
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 今回入手した本は、「和本、日本地誌略字引大全、三巻」とあったので、全三巻の揃いと思い込んで買ってしまいましたが、そうではなくて「第三巻」の意でした。1冊のみの端本です。(^_^;

 この第三巻は、山陰道と山陽道とを収めています。とすると、多分全四巻なのでしょう。
M09chishiryaku03
 冒頭の丹波は「豊岡県師範校 山宮竹次訂正」とあります。全体の著者は神奈川県師範学校の小林義則氏でも、それぞれの土地の師範学校の先生に確認・訂正して貰ったのでしょう。地名の読みは、その土地の人でないと分からないことも多いことでしょう。

 出雲の部。ここも島根県の師範校の先生のチェックが入っています。
M09chishiryaku04
 驚いたのは「出雲郡」に「シユツト」というふりがなが付いていたことです。これどう考えても「イヅモ」だろうと思いましたに。

 調べてみたら、出雲郡は中世に東西に分割されたようで、その東側が出東郡となったようです。それが、近世初期に表記は出雲郡になったのに、読みは従来通り「しゅっとう」のまま残ったようです。

 それじゃぁ読めませんよね。国名は古代以来「出雲(いづも)」なわけですから、郡名表記が「出東」から「出雲」に戻った時点で、郡名の読みも「いづも」に戻りそうなものですけれど、そうならなかったのは不思議です。

 考えるに、当時の一般庶民の日常生活は表記よりも音声で行われていたことでしょうから、郡名については「出雲」という表記よりも「しゅっとう」という読みが定着してしまっていて、変えることが難しかったのかもしれません。もしもそういうことであるとすれば、こういった表記と読みとの関係は、言語生活や言語意識を考える上での手がかりの1つになりそうに思います。

 出雲郡の隣にある「意宇郡」には「イウ」という読みが付いていますね。本来は「オウ」のはずが、表記に引かれて読みが変わってしまったのですね。こういう風に、上の例とは逆に、読みよりも表記が優先することもあるので、一筋縄ではゆきません。

 次の箇所を見て、さらにびっくり。「出雲郷」に「アダカヰ」という読みが付いています。
M09chishiryaku05
 こうなると、なぜそう読むのか見当も付きません。(^_^;

 これも調べてみたら、この地にある阿太加夜神社に由来するようです。もう不条理と言っても良いかも。(^_^;

 地名は楽しいですが、なかなか難しいです。

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