史料・資料

2019年11月28日 (木)

明治42年の「名所かるた」(4)

 先日アップした「明治42年の「名所かるた」(3)」に、このかるたの地名を国別に集計したリストを載せましたが、国別の集計というのはあまり意味がなかったと思います。
 そこで、地名を地域別に分類してみました。おおよそ北から南へと並べてみます。

【東北】4
 象潟(出羽)、最上川(出羽)、松島(陸奥)、猪苗代湖(陸奥)

【関東】9
 筑波山(常陸)、霞が浦(常陸)、那須野原(下野)、日光(下野)、赤城山(上野)、
 伊香保(上野)、武蔵野(武蔵)、隅田川(武蔵・下総)、箱根(相模)

【中部】11
 浅間山(信濃)、姨捨山(信濃)、諏訪湖(信濃)、富士山(駿河)、清見潟(駿河)、
 三保の松原(駿河)、佐夜の中山(遠江)、遠州灘(遠江)、鳴海(尾張)
 長良川(美濃)、二見の浦(伊勢)

【近畿】23
 琵琶湖(近江)、鏡山(近江)、三井寺(近江)、嵐山(山城)、大井川(山城)、
 加茂川(山城)、淀川(山城)、井出の玉川(山城)、龍田川(大和)、泊瀬(大和)、
 吉野山(大和)、吉野川(大和)、難波浦(摂津)、住の江(摂津)、
 摂津の灘(摂津)、布引滝(摂津)、須磨(摂津)、和歌浦(紀伊)、熊野洋(紀伊)、
 那智滝(紀伊)、淡路島(淡路)、明石(播磨)、天の橋立(丹後)

【中国】1
 厳島(安藝)

【四国】1
 鳴戸(阿波)

【九州】1
 箱崎八幡(筑前)

 近畿が半数に迫る勢いで、圧倒的に多いですが、その一方、東北・関東・中部にも目配りしていますね。
 それに対し、中国・四国・九州に冷たいこと。もう少し配慮があっても良かったように思います。

 中国で唯一採られているのが厳島だなと思い、そういう目で見てみたら、松島と天の橋立も採られていますので、日本三景は拾っていることになります。

 話変わって、出典不明の歌の出典探索はなかなか進みません。

 伝承によるものもありそうです。そういう例を2つ。

 この歌について、
M42meishocard06

 『おくのほそ道』に次のような一節があります。
  朝日花やかに指出る程に、象潟に船をうかぶ。……むかふの岸に船をあがれば、「花の上こぐ」と読れし桜の老木、西行法師の記念をのこす。

 新編全集『松尾芭蕉集(2)』の「花の上こぐ」の頭注(109ページ)に、「伝西行歌「西行桜/象潟の桜はなみに埋れてはなの上こぐ蜑のつり船」(継尾集)」とあります。
 また、日本歴史地名大系『秋田県の地名』(平凡社)の「象潟」の項には次のようにあります。
  なお西行の歌と伝えて宗祇の「名所方角抄」に出る
    象潟の桜は波に埋もれて花の上漕ぐ海人の釣舟
  は「山家集」にはないが、芭蕉もこの伝えにより「花の上漕ぐとよまれし桜の老い木、西行法師の記念を残す」(奥の細道)と記す。

 宗祇の『名所方角抄』は、国文学研究資料館所蔵本の画像が同所のサイトにあります。その画像を勝手に貼ってはまずいでしょうから、URLのみ示します。
http://codh.rois.ac.jp/iiif/iiif-curation-viewer/index.html?pages=200021672&pos=95&lang=ja

 そこには、「きさかたや桜は波にうつもれて花のうへこくあまのつり舟」とあるのみで、西行作とは書かれていません。

 もう1枚。
M42meishocard07

 この歌に関しても、芭蕉の『更級紀行』に次のような一節があります。
  無常迅速のいそがはしさも我身にかへり見られて、あはの鳴戸は波風もなかりけり。

 これについても、新編全集『松尾芭蕉集(2)』の「あはの鳴戸」の頭注(69ページ)に、「兼好作と伝える「世の中を渡りくらべて今ぞ知る(一本、見る時は)阿波の鳴門は波風もなし」に拠る。」とあります。この頭注には「兼好作と伝える」とあるばかりで、具体的な出典の記載はありません。

 あれこれ探した結果、徒然草の注釈書である『野槌』(林羅山。寛永初年か)の国文学研究資料館所蔵本に次のような歌が見つかりました。その画像も同所のサイトにあります。
http://codh.rois.ac.jp/iiif/iiif-curation-viewer/index.html?pages=200015458&pos=8&lang=ja

 そこには次のようにあります。
   又兼好かうたなりとてある人のかたりしは
  世中を渡りくらへて今そしるあはの鳴戸は波風もなし

 これらの2つのケースは、芭蕉が伝西行作の歌、伝兼好作の歌を知っていて、それを踏まえた文章を書いたということでしょう。芭蕉は、(「全ての」というわけではなく、「ごく一部の」なのかもしれませんが)読者もこれらの歌を知っていることを前提にしてのことでしょう。

 「名所かるた」の編者も知っていたのでしょうね。本当に西行作か、兼好作かということはともかく、現代人とは知識のベースが違うことをしみじみと感じます。

2019年11月24日 (日)

明治42年の「名所かるた」(3)

 今しがた、「明治42年の「名所かるた」(2)」を載せました。現在判明した限りのリストです。

 目の前にデータがあると集計したくなります。(^_^)
 で、集計してみました。

 出典は次のようになります。

  古今集   8
  新古今集  3
  夫木抄   3
  万葉集   2
  金葉集   2
  続古今集  2
  金槐集   2
  李花集   2
  千載集   1
  新勅撰集  1
  続後撰集  1
  玉葉集   1
  続後拾遺  1
  風雅集   1
  新千載集  1
  新続古今集 1
  歌枕名寄  1
  六華集   1
  為尹千首  1
  名将言行録 1
  ふぢ河の記 1
  宰府記行  1
  芭蕉集   1
  漫吟集   1
  賀茂翁家集 1
  琴後集   1
  うけらが花 1
  しのぶ草  1
  不明    6

 かなり多くの文献から採っています。
 古今・新古今が1位・2位を占めています。万葉集も4位ではありますが、歌数は2首に留まります。
 勅撰集からはそこそこ採られているものの、それ以外のものも少なからずあります。
 下の方に並べた漫吟集は契沖、賀茂翁家集は賀茂真淵、琴後集は村田春海、うけらが花は加藤千蔭、しのぶ草は八田知紀です。
 八田知紀は知りませんでしたが、調べてみたら、薩摩藩士で、香川景樹の弟子、高崎正風の師ということでした。

 このかるたの和歌、誰の撰でしょうね。
 このようにあります。
M42meishocard03
 「星野水裏案」の「案」というのは、こういうものを作ろうということを提案したということなのか、選歌も行ったのか。

 星野水裏という人物も知りませんでしたので、これまたググってみました。
 デジタル版 日本人名大辞典+Plusに次のようにありました。

  星野水裏 ほしの-すいり
  1881-1937 明治-大正時代の詩人。
  明治14年生まれ。実業之日本社に入社,明治41年創刊の「少女の友」初代主筆となる。川端竜子,竹久夢二らを起用,
  みずからも叙情詩を発表した。昭和12年5月4日死去。57歳。新潟県出身。早大卒。本名は久。変名に水野うら子,
  淡路しま子。別号に白桃など。詩集に「浜千鳥」「赤い椿」「白桔梗の花」など。

 このかるたが作られた時の『少女の友』の主筆なのでした。
 詩人とのことですので、あるいは和歌に関する造詣も深く、自ら選歌に当たった可能性もありそうです。

 国別の集計は以下の通りです。

  山城 5
  摂津 5
  大和 4
  駿河 3
  近江 3
  信濃 3
  紀伊 3
  遠江 2
  武蔵 2
  常陸 2
  上野 2
  下野 2
  陸奥 2
  出羽 2
  伊勢 1
  尾張 1
  相模 1
  下総 1
  美濃 1
  丹後 1
  播磨 1
  安藝 1
  淡路 1
  阿波 1
  筑前 1

 隅田川を武蔵と下総とにダブルカウントしましたので、合計は51ヶ国になります。
 富士山は駿河とされることが多いと考え、甲斐はカウントしませんでした。この辺、やや不統一です。(^_^;

明治42年の「名所かるた」(2)

 5日前に「明治42年の「名所かるた」(1)」という記事を載せました。

 このかるたは、『少女の友』の明治42年1月号の附録で、日本の50ヶ所の名所にまつわる短歌50首が取り上げられています。
M42meishocard01

 この50首の出典調べをしてみようと思ったのですが、時間が掛かりました。
 調査にはネット上の「古典ライブラリー」を使いました。これで『新編国歌大観』と『私歌集大成』が横断的に検索できます。これで多くは判明しましたが、分からない歌が何首か残り、ググっていくつか判明したものの、それでもなお分からない歌が6首残っています。

 それらを含んだまま、50首をリストアップします。国名は補いました。

 1 松島(陸奥) たちかへり又も来て見ん松島やをしまの苫屋浪にあらすな 新古今集933 藤原俊成
 2 猪苗代湖(陸奥) 小波や打出の浜にいでし月を会津の海にうつしてぞ見る
 3 最上川(出羽) 最上川のぼればくだる稲舟のいなにはあらずこの月ばかり 古今集1092 読人知らず
 4 筑波山(常陸) つくば山このもかのもにかげはあれど君がみかげにますかげはなし 古今集1095 読人知らず
 5 伊香保(上野) いかほなる物聞山のほととぎすにごらぬことにきこゆなるかな 夫木抄8958 伊勢
 6 浅間山(信濃) 雲はれぬ浅間の山のあさましや人の心を見てこそやまめ 古今集1050 平中興
 7 姨捨山(信濃) もろともにをばすて山をこえぬとは都にかたれ更級の月 李花集706 宗良親王
 8 赤城山(上野) よろづ代に赤木の山の白椿さかゆく君が卯杖にぞきる 夫木抄175 橘盛永
 9 霞が浦(常陸) さほ姫のしほやくあまといつなりて霞を浦の名には立つらん 夫木抄11456 後九条内大臣
10 諏訪湖(信濃) 駒とめてすはの門わたる旅人の氷の橋の音やさやけき 六華集1366 源家長
11 武蔵野(武蔵) 露おかぬ方もありけり夕立の空よりひろき武蔵野の原 名将言行録 太田道灌
12 隅田川(武蔵・下総) すみだ川みのきて下す筏士にかすむあしたの雨をこそ知れ うけらが花初編122 加藤千蔭
13 箱根(相模) 箱根路を我が越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ 金槐和歌集593 源実朝
14 富士山(駿河) 心あてに見し白雲はふもとにておもはぬ空にはるる富士の根 琴後集1051 村田春海
15 清見潟(駿河) きよみがた磯うつ波もおとろへてはるかにおくる入相の鐘 為尹千首864 冷泉為尹
16 三保の松原(駿河) きよみがた磯山寺はくれそめて入日のこれる三保の松原 風雅集1712 藤原冬隆
17 摂津の灘(摂津) つなでひく灘の小舟や入りぬらん浪速の田鶴の浦わたりする 続後撰集1023 権中納言国信
18 大井川(山城) 大井川いく瀬鵜船のすぎぬらんほのかになりぬ篝火のかげ 金葉集151 中納言雅定
19 長良川(美濃) 捕りあへぬ夜河の鮎のかがりやきめづらとも見つあはれとも見つ ふぢ河の記37 一条兼良
20 二見の浦(伊勢) 玉くしげ二見の浦の木の間よりいづればあくる夏の夜の月 金葉集152 源親房
21 遠州灘(遠江) いかでほす物とも知らず苫やかた片しく袖のよるの浦浪 李花集714 宗良親王
22 和歌浦(紀伊) 和歌の浦にしほみちくればかたをなみ葦べをさしてたづなきわたる 万葉集919 山部赤人
23 熊野洋(紀伊) 伊勢島やあらきはまべの浦つたひ紀の海かけてみつる月かげ 続古今集875 法印良守
24 琵琶湖(近江) 近江の海ゆふ波千鳥ながなけば心もしぬに古おもほゆ 万葉集266 柿本人麻呂
25 三井寺(近江) さざなみや三井の古寺かねはあれど昔にかへるこゑはきこえず 歌枕名寄6468 法印定円
26 加茂川(山城) 月清き鴨の河瀬の夕風になつもながれて行く心かな
27 吉野山(大和) 吉野山かすみの奥はしらねども見ゆるかぎりは桜なりけり しのぶ草 八田知紀
28 淀川(山城) 郭公八幡山崎なきわたす声の中ゆく淀の川舟
29 嵐山(山城) あらし山これも吉野やうつすらんさくらにかかる滝の白糸 新千載集105 後宇多院
30 佐夜の中山(遠江) 年たけてこゆべしとおもひきや命なりけり佐夜の中山 新古今集987 西行法師
31 住の江(摂津) 我が見ても久しくなりぬ住の江の岸のひめまついくよへぬらん 古今集905 読人知らず
32 那智滝(紀伊) 久かたの天の川瀬もあせぬらんくもよりおつる那智の大滝
33 日光(下野) のどかなる春はきにけり玉くしげふたらの山のあくるひかりに 賀茂翁家集2 賀茂真淵
34 布引滝(摂津) みづの色ただ白雪と見ゆるかな誰がさらしけん布引の滝 千載集1037 六条右大臣
35 須磨(摂津) すまの浦やなぎさに立てる磯なれ松しづ枝は波のうたぬ日ぞなき 続後拾遺505 俊頼朝臣
36 淡路島(淡路) わだつみのかざしにさせる白妙の波もてゆへる淡路しま山 古今集911 読人知らず
37 明石(播磨) ほのぼのと明石の浦の朝霧にしまがくれゆく舟をしぞおもふ 古今集409 読人知らず
38 天の橋立(丹後) 秋霧のへだつる天の橋立をいかなるひまに人わたるらん 玉葉集1115 上東門院
39 鳴戸(阿波) 世の中をわたりくらべて今ぞ知る阿波の鳴戸になみかぜはなし  伝兼好法師
40 厳島(安藝) ところがら龍の宮居も浮ぶかと見えてつらなる浪のともし火
41 箱崎八幡(筑前) はこざきや千代の松原いしだたみくづれん世まで君はましませ 宰府記行(蝶夢著) 菅家
42 難波浦(摂津) もしほやくなにはの浦のやへがすみひとへはあまのしわざなりけり 漫吟集64 契沖
43 井出の玉川(山城) たま川の岸の山吹かげ見えて色なる浪に蛙なくなり 続古今集162 後鳥羽院
44 鳴海(尾張) 遠くなり近くなるみの浜千鳥なくねにしほの満干をぞしる 新古今集異本歌2004 読人知らず
45 那須野原(下野) 武士の矢なみつくろふこての上に霰たばしる那須のしのはら 金槐和歌集348 源実朝
46 象潟(出羽) きさがたの桜は波にうづもれて花の上こぐあまのつり船 芭蕉集 西行法師
47 龍田川(大和) 立田川紅葉みだれてながるめり渡らば錦中や絶えなん 古今集283 読人知らず
48 吉野川(大和) よしの川たぎつ岩根のふぢの花手折りてゆかん浪はかくとも 新勅撰集132 嘉陽門院越前
49 鏡山(近江) かがみ山いざ立よりて見て行かんとしへぬる身は老いやしぬると 古今集899 読人知らず
50 泊瀬(大和) きかでただあらましものをけふの日も初瀬の寺の入相の鐘 新続古今集2011 権大納言通守

 以上です。

2019年11月19日 (火)

明治42年の「名所かるた」(1)

 このようなものを入手しました。
M42meishocard01
 雑誌『少女の友』の新年号の付録です。
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 この雑誌は前年の明治41年創刊ですので、2年目の新年号ということで、力が入っていたのかもしれません。
 読み札と取り札、全部で50組が印刷されています。
 紙はあまり厚くないので、実際にかるたとして遊ぶには、厚紙で裏打ちする必要があります。

 絵は川端龍子です。
M42meishocard03

 右上隅の部分。
M42meishocard04

 取り札は同じデザインで、上部に紅葉、下部に桜が描かれています。

 順にず~っと見ていったのですが、どうも知った歌がありません。
 このかるたを作るに当たって新たに作成した歌かと思いましたが、2段目の途中に、

  箱根路を我が越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ

が出てきました。実朝ですね。

 さらに見て行くと、3段目には万葉歌が2首。
M42meishocard05

 ということで、「新作ではないか疑惑」は氷解しました。不勉強を恥じます。(^_^;

 ただ、やはり、著名な歌ばかり集めたかるたでないことは確かと思います。
 50首の歌の出典を知りたくなりましたので、調べてみることにしました。
 それで、今日の標題には(1)をつけました。
 調べが済んだら、後日、(2)を載せることにします。

 『少女の友』って、今の中高生あたりを読者対象にしているのでしょうね。
 風雅です。

 詳細は、「明治42年の名所かるた」(2)(3)をご参照ください。

2019年11月15日 (金)

八木書店で2回目の奈良絵本展

 今日は神田神保町の八木書店に奈良絵本展を見に行きました。今年1月に続き第2回目です。
 会期は明日まで。
 この展覧会のことを教えて頂いたのが先週でした。なかなか都合がつかず、やっと会期末の前日に行けました。
 今日も、宅配便が2つ(両方とも古書です)、14:00~16:00に届くことになっていましたので、それを待って家を出たら、会場に着いたのは5時近くになっていました。5時までに着かないとダメかと思っていたのですが、6時まで開いているので、到着が5時を過ぎてもOKのようです。
 30点が展示されていました。1月と同じ書目もありましたが、違う本のようでした。
 会場はストロボを使わなければ撮影OKでしたので、何点かご紹介します。

 センター試験で話題になった「玉水」。
Naraehon21

 絵の部分のアップ。
Naraehon22

 1月に展示されていた「玉水」。
Naraehon02

 保存状態や絵の特徴から見て別の写本のようです。

 「しづか」。
Naraehon23
 源義経の愛妾の静御前です。

 絵の部分のアップ。
Naraehon24

 百人一首。こういうのもあるのですね。
Naraehon25

 「伊勢物語」。
Naraehon26

 絵の部分のアップ。筒井筒ですね。
Naraehon27

 1月に展示されていた「伊勢物語」。
Naraehon04

 同じ場面ですので、別の本であることが分かります。

 1月に続き、新たにまた良いものを見せて頂きました。眼福です。ありがとうございました。

2019年9月 7日 (土)

昭和12年の東急沿線案内

 このようなものを入手しました。
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 名称は「沿線案内 東横.目蒲.玉川電車」ということになりましょうか。
 当時はまだ東急電鉄という名称はなかったかもしれません。
 東横線はそのままですが、目蒲線は目黒線と名を変え、玉川電車(玉電)は新玉川線から田園都市線となりました。
 小中高校の時代は玉電のお世話になり、大学以降は目蒲線のお世話になり、今は大井町線と目黒線のお世話になっている私ですので、つい手が出てしまいました。ローカルな路線です。

 裏です。
S12tokyu02
 字が小さいですが、沿線の名所案内、四季の見どころ、運賃表などが並んでいます。

 渋谷駅付近。
S12tokyu03
 東横百貨店がど~んと描かれています。
 近隣の青山学院、國學院、赤十字病院よりもずっと巨大に。(^_^)
 さらに、「東横百貨店」の文字が赤字で、赤枠で囲われています。盛大にアピールしています。
 東横のマーク、懐かしいです。
 渋谷駅から斜め左上に延びているのは玉電です。
 左に延びているのは東横線。渋谷駅の隣の並木橋という駅は今はありません。

 東横線沿線。
S12tokyu04
 中央を横に走っているのが東横線です。
 左にある自由が丘駅の隣が「府立高等」「青山師範」となっています。今は「都立大学」「学芸大学」です。
 この旧称は初めて見ました。

 玉電沿線。
S12tokyu05
 右下隅の三宿から、太子堂を経て、三軒茶屋で分岐します。左が本線、上に延びているのが支線で、今も世田谷線として残っています。
 子供の頃、私の家の最寄り駅は上馬でした。三軒茶屋から駒沢までの間に上馬を含めて3駅あります。玉電が地下化されたときに、この3駅は廃止されてしまいました。その時はうちはもう引越した後でしたが、この3駅を利用していた人たちは随分不便になったことと思います。

 大井町線沿線。
S12tokyu06
 上野毛の下と等々力の左に「分譲地」とあり、尾山台の下には「貸住宅地」とあります。
 東急が宅地開発も手がけていたのでしょう。関西の阪急と同じ手法ですね。

 裏面の冒頭。
S12tokyu07
 沿線名所案内の冒頭が東横百貨店です。(^_^;
 山の手随一の百貨店、堂々たる百貨殿堂、日々千客万来の盛況は他の追随を許さず、など大絶賛しています。(^_^;
 次項の東横映画劇場にも、山の手随一の映画殿堂という文言があります。
 今も、大井町線に乗ると、「次は大岡山。東急病院最寄り駅です」など、しっかり東急グループの宣伝が入ります。

 沿線名所案内の後半から。
S12tokyu08
 豪徳寺の項に、「俗に「お猫さん」と称する猫塚があり招福の吉祥として花柳界方面の信仰が厚い」とあります。
 豪徳寺には何度か行きましたが、これは知りませんでした。今は溢れんばかりの招き猫が有名ですが。
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 あ、これかも。
Gotokuji11
 あ、でもこれ、お堂であって、塚ではありませんね。
 今度確かめに行かねば。

2019年9月 6日 (金)

明治13年の『絵入道中独案内』

 このようなものを入手しました。
 小さい本で、手のひらに収まりそうです。旅のお供の邪魔になりません。
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 表紙には題簽がありません。最初のページはこのようです。
 左ページに目録があります。字が小さいですが、東海道筋、中仙道筋、奥州筋、成田道となっています。
M13eiridochu02

 奥付。
M13eiridochu03

 以前、野蒜が載っている道中記をご紹介したことがありました。
 思いがけず三友亭主人さんのご親戚かもしれない方のお名前が載っていてびっくりしました。
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 今回の道中記で該当箇所を見てみました。
M13eiridochu04

 残念ながら、こちらでは、高木から小野へ直行していて、野蒜を通るルートは載っていませんでした。
 以前の道中記では「高城」とあったのが、今回のでは「高木」と表記されています。以前のでは「たかぎ」か「たかしろ」か分からなかったのですが、今回のでは「高木」とありますので、読みは「たかぎ」であることが分かりました。

 石巻の宿が、今回(明治13年)のでは星屋雄吉とあるのが、前回(明治15年)のでは星雄吉とあります。前回は屋号のような名称であったのを苗字風に変えたのでしょうかね。

 毎度おなじみの二川も見てみました。
M13eiridochu05

 二川宿の宿は、これまたおなじみの松坂屋権一郎とおもだか屋弥一でした。
 お隣の豊橋には、玉あられ、浜名納豆が名物として挙がっています。
 また、伊勢神宮への便船がある旨の記載もあります。こちらについては、いつもおなじみの壺屋庄六が載っていません。

 比べるとあれこれおもしろいです。

2019年8月27日 (火)

『明治天皇紀』は詳細

 一昨日、「明治11年『御巡幸御休泊割各駅記』」という記事を載せました。
 巡幸の事前の予定なのか、あるいは巡幸の事後の記録なのか、性格のはっきりしない史料です。
 それを検討するのに使える史料があります。
 『明治天皇紀』全12巻+索引(吉川弘文館)です。
 で、今日、早速見てきました。明治11年は4冊目にあります。
Meijitennoki04

 この冊は、昭和45年8月 第1刷で、私が見たのは平成12年12月発行の第2刷です。

 これと一昨日の各駅記とをつき合わせて行けば、何か分かるかもしれません。
 8月30日から11月9日までのこの巡幸は、P.467~P.565に収められていました。
 約70日が約100ページ。1日あたり約1.4ページ。

 詳細な記録でじっくりと読んでゆきたいのですが、短時間で分析するにはちょっと詳細すぎ。(^_^;
 いつか、ということで……。
 根性なしです。(^_^;

2019年8月25日 (日)

明治11年『御巡幸御休泊割各駅記』

 このようなものを入手しました。
M11gojunko01

 明治11年に行われた明治天皇の北陸東海巡幸時の休息地・宿泊地のリストです。
 なぜ、このようなものに関心を持ったかというと、この折の巡幸で明治天皇は群馬県の新町にも宿泊しています。
 その時の建物が行在所公園に現存しています。
Shinmachi_anzaisho01

 解説板。
Shinmachi_anzaisho02

 毎年、新町のひな祭りのメイン会場にもなっています。

 それで、この巡幸に関心を持っていたのです。

 最初のページはこのようになっています。
M11gojunko02
 昼食休憩地は▲、宿泊地は●で示すとあります。

 地名リストの冒頭部。
M11gojunko03

 新町にはちゃんと●が付いていて、宿泊地だったことが知られます。

 その次のページ。
M11gojunko04

 新町のあとは倉賀野を経て高崎で昼食、そのあと前橋に行って宿泊。翌日、また高崎に戻って昼食の後、中山道を長野方面に進みます。
 前橋が寄り道ですが、県庁所在地だったせいですかね。

 全行程の宿泊地を抜き出してみました。

 (埼玉県)浦和、桶川、熊谷、
 (群馬県)新町、前橋、高崎、松井田、
 (長野県)追分、上田、長野、関川、
 (新潟県)高田、柿崎、柏崎、出雲崎、弥彦、新潟、新発田、新津、三条、長岡、柏崎、柿崎、名立、糸魚川、
 (富山県)泊、魚津、富山、今石動、
 (石川県)金沢、小松、
 (福井県)丸岡、福井、今荘、敦賀、
 (滋賀県)木ノ本、高宮、草津、大津、草津、水口、
 (三重県)関、津、山田、山田、津、桑名、
 (愛知県)名古屋、
 (岐阜県)岐阜、
 (愛知県)岡崎、豊橋、
 (静岡県)浜松、掛川、藤枝、静岡、蒲原、三島、
 (神奈川県)小田原、藤沢

 ものすごい大旅行です。この折の巡幸は、8月30日~11月9日の2ヶ月以上に及んだそうです。
 ルートは基本的に一筆書き方式ですけど、先ほどの高崎→前橋→高崎などの寄り道もあります。
 一番大きな非一筆書き方式は新潟県です。
 長野県から上越に入って、中越・下越まで行き、そこから戻って中越・上越を経て富山県に向かいます。

 最後のページ。
M11gojunko05

 新橋・横浜間には鉄道が通っていますので、最後の部分は鉄道利用です。

 さて、これはいつ発行されたものでしょうか。
 日付は、最初のページに「御発輦 明治十一年八月三十日」とあるのと、最後のページに「明治十一年八月廿二日御届済」とあるのと、その2ヶ所だけです。

 巡幸に先立って発行されたものなのか、巡幸後に発行されたのか。
 巡幸前だとすると、予定のお知らせということになりますし、巡幸後なら結果の記録ということになります。

 表紙に「定価三銭」とあるので、市販されたものですね。同じく表紙に、「宮内省御検査済」「内務省御届済」とあります。
 ものがものだけに、やはり宮内省や内務省の検査や許可が必要だったのでしょう。

 巡幸後だとすると、各地の具体的な日付が入っていても良いように思います。そう考えると、予定なのでしょうかね。
 そうだとすると、明治天皇の巡幸を一目見たいという沿線住民がこれを買い求めて、行列の見物(というか、お出迎え)に役立てようということなのでしょうかね。

 なかなか興味深いです。

2019年8月18日 (日)

文政5年の『懐宝 和漢年代記大全』(3)

 さらに昨日の続きです。
 『懐宝 和漢年代記大全』(以下『大全』)の裏面にはいろいろな情報が満載です。

 高僧の一覧がありました。
Wakannendaiki13
 漢字に直してみましたが、知らない人物も多く、間違いがあるかもしれません。

  釈迦如来、達磨大師、聖徳太子、役行者、行基菩薩、良弁僧都、伝教大師(最澄)、
  守敏僧都、弘法大師(空海)、慈覚大師(円仁)、元三大師(良源)、恵信僧都、
  熊谷蓮生坊、道元禅師、円光大師(法然)、親鸞上人、一遍上人、日蓮上人、
  了誉上人、一休和尚、古幡随院、雄誉上人、慈眼大師(天海)、空也上人、
  智証大師(円珍)、証空上人、夢窓国師、隠元禅師、珂碩和尚、祐天僧正、了碩和尚

 変わり種は「熊谷蓮生坊」でしょうか。一ノ谷の合戦で平敦盛を討ったことがきっかけで出家した熊谷直実ですね。能や歌舞伎などを通して江戸時代には著名だったのでしょう。

 宗派の開祖など著名な僧は網羅されているように思えますが、道元があるのに、栄西がありません。
 珂碩和尚は名も知りませんでしたが、奥沢の九品仏浄真寺を創建した人物と知りました。家の近くというほど近くはありませんが、以前奥沢に住んでいましたので、親近感が湧きました。
 了碩和尚も全く知りませんでしたが、幡随院のお坊さんだそうです。

 現代人と江戸時代の人とでは、関心や知識が違いますね。

 『大全』が刊行された文政5年(1822)までの年数が記してありますので、これが人物特定の手がかりになると思ったのですが、史実に合致する者は少なく、ダメでした。
 聖徳太子は日本書紀の記述と丁度100年違いですので、単純なミスと思われます。1~2年の差のある人物もいますが、中途半端な差のある人物も多く、誤りの経緯がよく分かりません。

 もう1つ。文化人や武将の一覧もありました。
Wakannendaiki14
 こちらも漢字に直してみました。

  大織冠鎌足、守屋大臣、柿本人丸、山部赤人、吉備大臣、中将姫、猿丸大夫、
  小野小町、在原業平、大友黒主、参議佐理卿、行成卿、菅丞相、小野道風、
  紫式部、清少納言、西行法師、田村将軍、六孫王経基、多田満仲、源三位頼政、
  平清盛、木曽義仲、源頼朝、源義経、最明寺時頼、楠正成、新田義貞、吉田兼好、
  武田信玄、上杉謙信

 万葉歌人は人麻呂と赤人だけでした。旅人、憶良、家持などはあまり関心を持たれていなかったのでしょうね。
 猿丸大夫が入っているのは百人一首の影響ですかね。

 こちらも、年代は史実と違っている人物の方が多いです。
 そもそも没年未詳の人物が何人かいますけど、それらの人物についても漏れなく年数が示されています。
 何か資料があったのか、あるいは「大体このあたり」ということで数字を入れたのかもしれません。

 紫式部は、『大全』の数字で計算すると990年没となります。現代では源氏物語の年代として1008年という年代が示され、2008年には源氏千年紀の催しなどがありましたが、それと食い違いますね。

 戦国武将では信玄と謙信が挙がっています。群雄割拠の時代、それ以外にも著名な武将がいましたが、江戸時代にはやはりこの2人が双璧ということになりましょうか。
 信玄の没年は『大全』が4年遅くなっています。信玄は死に際して「三年喪を秘せ」と言ったという伝承がありますけど、そういう事情で、実際よりも遅い没年が伝承されていたということもあったのでしょうかね。

 上の2つの一覧で、いずれの人物も没後文政5年までの年数が記されていますけど、あまり意味があるとは思えません。「○○年没」と書いてくれた方が分かり易かったと思います。大体、数年後にまた再版するような場合、また再版年を規準に年数を書き換えなければ(というより、版を彫り直さなければ)ならないので、大変に厄介と思います。

 ともあれ、この2つのリスト、江戸時代後期の人々の関心の在り処や、知識などを知る手掛かりになりそうで、興味深いです。

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