史料・資料

2021年3月 5日 (金)

明治10年の『新撰年代記』(8)外国との条約

 何度か取り上げてきた明治10年の『新撰年代記』、だいぶ日が空いてしまいましたが、8回目です。
 ここに「各国条約年月」という項目があります。
M10nendaiki24

 後半。
M10nendaiki25

 幕末から明治に掛けて、年月日順に並んでいます。
 途中で政権交代どころか、政体が全く変わってしまいましたのに、旧幕府が結んだ条約もそのまま継続的に取り扱われています。

 ペリーが黒船に乗って来日して、日米和親条約を結んだのが外国との条約の初めかと思っていましたが、これを見ると、アメリカは5番目ですね。
 はて? と思って岩波の『近代日本総合年表』を見たら、次のようにありました。

  安政元年3月31日 日米和親条約調印(安政2年1月5日批准書交換)
  安政5年7月29日 日米修好通商条約調印(万延元年4月3日批准書交換)

 『新撰年代記』には、アメリカ合衆国との条約は万延元年4月3日になっていますので、これは、日米修好通商条約の批准書交換の日付にあたります。
 国ごとに最新の条約締結を挙げたのでしょうね。それで、日米和親条約は載せなかったのでしょう。

 以前、「明治10年の『新撰年代記』(6)外国の国名」に載せた国名が並んでいます。
 ただ、条約リストの冒頭にある「貌利太泥亜(ブリタニア)」は載っていません。
 ググってみたら、「ブリタニア」はイギリスのグレートブリテン島南部の古称とのことです。

 他には、プロシアが「独乙北部聯国合併」となっています。
 「瑞典(ズイテン)那耳西」というのが分かりません。「瑞典」はスウェーデンですが、「那耳西」が何だか。
 その次にはハワイが載っていますね。まだアメリカ合衆国の州にはなっていないのでした。
 最後の「秘魯」はペルーです。外国の国名リストの方には「白露」という表記でした。

 あれこれ面白いです。

2021年2月18日 (木)

明治10年の『新撰年代記』(7)外国の都市名

 度々載せている明治10年『新撰年代記』の第7弾です。
 前回ご紹介した(6)では、外国の国名を取り上げました。
M10nendaiki23
 それぞれの国の項目の中に「都府」というのがあります。都市のことですね。
 各国の主要都市が漢字で列挙されています。1国につき、1~3都市です。

 これまたリストアップしてみました。

  倫敦、ロンドン/イギリス
  哥拉斯哥、グラスゴー/イギリス
  都伯林、ダブリン/イギリス
  百爾霊、ベルリン/プロシア
  斯徳哥爾摩、ストツクホルム/スエーデン
  其利斯的那、キリスチアナ/ベルギー
  不?捨拉斯、フリムウセルス/ベルギー
  力士門、リスボン/ポルトガル
  加義羅、カイロー/エジプト
  里約熱内霊、リヲデジヤネロ/ブラジル
  北京、ペキン/シナ
  南京、ナンキン/シナ
  定海、シヤャンハイ/シナ
  巴黎斯、パリス/フランス
  馬耳塞里亜、マルセール/フランス
  里昂、リヨン/フランス
  維也納、ウインナ/オーストリア
  可品哈肯、コツペンヘーケン/デンマーク
  伯爾尼、ベルジ/スイス
  雅典、アデンス/ギリシャ
  華盛頓、ワシントン/アメリカ合衆国
  紐句爾、ニユヨルク/アメリカ合衆国
  費拉地費、フイラトルフイヤ/アメリカ合衆国
  散地牙峩、サンチカコ/チリ
  徳墨蘭、テヘラン/ペルシャ
  彼得羅堡、セントピートルスブルク/ロシア
  墨斯科、モスコー/ロシア
  仏羅稜薩、フロレンス/イタリア
  羅馬、(ルビなし)/イタリア
  海牙、ベーク/オランダ
  安時堤、アムステルダム/オランダ
  馬徳里地、マトリツト/イスパニア
  墨西哥、メキシコ/メキシコ
  利馬、リマ/ペルー

 全部で34都市です。/のあとに国名を記しました。

 こちらにも普段は使わないような文字が結構出てきます。
 昨日のブログに書いた、集中講義を履修している中国からの留学生に聞いてみました。
 以下の都市名が今も同じ表記だそうです。

 倫敦(ロンドン)、都伯林(ダブリン)、斯徳哥爾摩(ストックホルム)、加義羅(カイロ)、里約熱内霊(リオデジャネイロ)、
 里昂(リヨン)、維也納(ウイン)、雅典(アテネ)、華盛頓(ワシントン)、彼得羅堡(セントペテルスブルク)、
 墨斯科(モスコー)、羅馬(ローマ)、墨西哥(メキシコ)

 この明治10年の年代記では、都市のことを「都府」と称しています。

 以前、当ブログで『万国地誌略』という資料をご紹介しました。これまた明治10年の刊行です。
 そこにこういうページがあります。
M10bankokuchishiryaku08
 アジアの地図です。右上隅に小さな○印があり、「都府又港」とあります。
 明治10年の頃、都市のことは「都府」と呼ぶことが一般的だったのかもしれません。

2021年2月12日 (金)

明治10年の『新撰年代記』(6)外国の国名

 度々ご披露している明治10年の『新撰年代記』、第6回目となります。
 今回は外国の国名です。
 「各国形勢」という項目があります。冒頭はこんな具合です。
M10nendaiki23
 国ごとに、まず国名があり、続いて、「幅員 人口」「都府」「鉄路」「土産」という4項目が並んでいます。
 「幅員」というのは面積ですね。今、「幅員」というと道幅などに用いますので、面積に用いるのは新鮮な気がしました。
 「土産」は各国の産物を指しているのでしょう。すると、読みは「みやげ」ではなく「とさん」か「どさん」なのでしょう。

 挙がっている国は全部で22ヶ国で、以下の通りです。

  英吉利〔イギリス〕(イギリス)
  普魯西〔プロシア〕(プロシア)
  瑞典〔ズウイデン〕(スエーデン)
  比利時〔ベルジュム〕(ベルギー)
  葡萄牙〔ポルトガル〕(ポルトガル)
  埃及〔ヱヂプト〕(エジプト)
  伯爾西〔ブラジル〕(ブラジル)
  支那〔シナ〕(シナ)
  仏蘭西〔フランス〕(フランス)
  墺地利〔ヲースタリヤ〕(オーストリア)
  嗹国〔デンマルク〕(デンマーク)
  瑞西〔スイチル〕(スイス)
  希臘〔ギリシヤ〕(ギリシャ)
  米合衆国〔アメリカガツシフコク〕(アメリカ合衆国)
  智利〔チリ〕(チリ)
  比耳西亜〔ペルシヤ〕(ペルシャ)
  魯西亜〔ロシヤ〕(ロシア)
  以太利〔イタリヤ〕(イタリア)
  和蘭〔ヲランダ〕(オランダ)
  西班牙〔イスパニヤ〕(イスパニア)
  墨西哥〔メキシコ〕(メキシコ)
  白露〔ペイリユ〕(ペルー)

 この年代記に付いているふりがなを〔 〕内に示し、現在の読みを( )内に示しました。

 地域別の内訳は以下の通りです。
  ヨーロッパ 14
  アメリカ   5
  アフリカ   1
  アジア    1
  中近東    1

 だいぶヨーロッパに偏っています。
 国名の排列順はよく分かりません。

 国名表記は今と同じものもあれば、そうでないものもあります。
 ま、「今と同じ」といっても、今はカタカナで書くことが普通ですが、たとえば、一太郎で「フランス」や「ポルトガル」を打とうとすると、変換候補の中に、この年代記と同じ「仏蘭西」や「葡萄牙」が出てきます。

 外国の国名にはどうして難しい漢字を当てたのでしょうか。
 理由として、次のようなことを考えました。

 1.なるべく似た発音の文字を用いようとした。
 2.その国の特徴と合う意味を持つ文字を当てようとした。
 3.すでに清国で使われていた表記に準拠した。
 4.外国の地名であることがすぐに分かるように、普段あまり用いない文字や文字列を選んだ。

 まだ思い付くかもしれません。
 いくつか兼ねたものもあったかもしれません。

 さて、いかに。

2021年2月10日 (水)

明治10年の『新撰年代記』(5)「ティ」「ヴ」の表記

 何度か取り上げている明治10年の『新撰年代記』、本体は年表なのですが、付録が豊富です。
 アルファベットの一覧も載っています。
 これは、文政五年の年代記には載っていません。やはり文明開化の時代です。

 活字体。
M10nendaiki21
 標題は「英国(イギリス)羅馬(ラウマ)軆」とあります。
 「アルファベット」という言葉は使われていません。
 「ローマ」が「ラウマ」となっていますね。歴史的仮名遣いということになりましょうか。

 筆記体。
M10nendaiki22
 標題は「同草躰」となっています。
 「筆記体」ではなく「草体」ですね。興味深いです。
 日本国語大辞典には「そう‐たい[サウ‥] 【草体】〔名〕書道で、草書の書体。」とあるばかりで、アルファベットの筆記体の意味は挙がっていません。
 「筆記体」という語に興味を覚えて、また日国を引いてみたら、載っていた用例が五木寛之の『さらばモスクワ愚連隊』〔1966〕でした。
 そんな新しい用例しかないの? と思いました。私が中学生の時、英語の授業で普通に出てきました。1966年というと、ちょうど同じ頃ですけど。
 「日国友の会」というサイトがあります。
https://japanknowledge.com/tomonokai/

 このサイトに「「日国友の会」とは」という項目があり、こうあります。
 >『日国友の会』では、日本国語大辞典第三版へ向け、未収録の用例・新項目を広く皆さまより募集しています。
 >現行の例文より古い例などがありましたら、ぜひご投稿ください。

 そこに「筆記体」のより古い例が投稿されていました。
 投稿者は末広鉄男氏で、『造本と印刷』(1948年 山岡謹七)です。戦後すぐの用例ですね。それにしても意外と新しい気がします。

 それぞれの文字には片仮名で読みが付いていますね。
 今と同じ音もありますけど、「C スィー」「J ゼイ」「W ドブルユー」「Z ズイー」など、異なるものもあります。
 「スィー」で、「セクスィー部長」を思い出しました。
 あれこれ興味深いです。

 などと思っていたのですが、数日経ってから、いやいや注目すべきはむしろ「D ディー」「T ティー」「V ヴィー」ではないかと思い至りました。
 これらは今と同じ表記なので、最初は注意を引きませんでしたが、こういう、当時の日本語にはない発音をどう文字化するか。
 その結果、小さい「ィ」や長音記号を組み合わせて表記したり、「ウ」に濁点を付けたりして工夫したのですね。
 今は見慣れた普通の表記になっていますけど、120年以上も前に、今と全く同じ表記が生み出されているって、すごいことではないかと思えてきました。

2021年2月 7日 (日)

明治10年の『新撰年代記』(4)神社仏閣

 3回ご紹介してきた明治10年の『新撰年代記』、今日は第4回目です。
 この年代記には、「神社仏閣草創年代」というリストも載っています。
M10nendaiki20
  このような感じで、全部で42の神社仏閣の創始年代と、創始から明治8年までの年数が載っています。
 この創始年代が史実と合うかどうかは置き、記載されている創始年と明治8年までの年数とは、冒頭の2つを除いて、他は全て合っています。
 冒頭の2つというのは、神武と垂仁で、ともに1年ずつズレています。
 この2つは、日本書紀の年代ではどちらも紀元前になるので、そこでの換算で1年ズレたものと思います。

 こういった神社仏閣の創始年のリストは、文政5年の『懐宝 和漢年代記大全』にも載っています。
Wakannendaiki16
 本来は横に1本なのですが、収まりが悪いので、上下2段に分けました。

 こちらは、文政5年までの年数だけ載っていて、創始年は記載されていません。
 年数を明治10年の年代記に換算して比べると、見事なほど合っていません。
 依拠した資料が異なるのか、あるいは計算違いかと思います。
 明治のは西暦を使って計算したものと思いますが、文政のは使っていないのでしょう。その差が出たものかもしれません。

 さて、幕末維新を挟むよく似た2つの材料が手許にあるので、比較してみました。

 【両方に載っている神社仏閣】
 伊勢内宮御鎮座、江州 竹生島出現、伊勢外宮御鎮座、豊前 宇佐八幡宮、摂州 住吉社鎮座、摂州 四天王寺、信州 善光寺本尊
 藝州 厳島明神、西京 六角堂、和州 多武峰、江州 山王権現、城州 加茂社、和州 長谷寺、城州 稲荷明神出現、南都 春日社
 南都 大仏供養、城州 愛宕山、西京 八阪塔、西京 清水寺、西京 八阪神社、城州 比叡山、城州 嵯峨釈迦堂、雲州 出雲大社

 【文政にのみ載っている神社仏閣】
 熱田社、吉野蔵王、松尾社、箱根権現、平野社、男山八幡、吉田社、鹿島社、多賀社、三輪社、白髭社、仁和寺、日吉社

 【明治にのみ載っている神社仏閣】
 熊野権現出現、和州 法隆寺、和州 龍田社、東京 浅草観音、和州 当麻寺、和州 興福寺、江州 石山寺、紀州 玉津島出現
 野州 日光山、西京 建仁寺、城州 東寺、紀州 高野山、江州 三井寺、城州 東福寺、西京 南禅寺、東京 増上寺
 西京 大仏殿、東京 東叡山、東京 回向院

 両方に載っている神社仏閣は、当時の代表的な神社仏閣といえましょう。伊勢神宮をはじめ、今も有名な神社仏閣が並んでいます。

 文政のには載っているが明治のには載っていないもののうち、鹿島社、多賀社、三輪社、白髭社の4社は、文政の年代記に「神代よりちんざ 年歴不詳」とあります。これらが明治の年代記に載っていないのは、明治の年代記には年歴不詳のものは載せないという方針があったのかもしれません。
 他は、京都近辺の社寺が多いように思います。東京遷都により、京都近辺の社寺への関心が薄れたのでしょうか。

 文政のには載っていないが明治のには載っているという社寺はどうでしょうか。
 今日の目から見れば、法隆寺、興福寺、高野山など、有名どころがちゃんと載っています。
 あと、浅草観音、日光山、増上寺、東叡山、回向院などは東京遷都によるものでしょう。
 おおむね年代順に掲載されている中で、末尾に回向院が載っていて、宝亀三年の草創となっています。
 これはヘンですね。回向院は、明暦の大火の焼死者を祀ったのが最初で、明暦三年(1657)に開かれた寺院ですので、何か間違いがあるのでしょう。

 今日著名なお寺なのに、どちらの年代記にも載っていないものに、中尊寺、鹿苑寺、慈照寺、高山寺、薬師寺、唐招提寺などがあります。

 神社仏閣も世に連れ。

2021年2月 3日 (水)

明治10年の『新撰年代記』(3)地図

 少し日が空いてしまいましたが、2回ご紹介した明治10年の『新撰年代記』の3回目です。
 この本には日本地図も載っています。
M10nendaiki15

 ちょっと小さいですね。
 部分的に拡大します。
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 文政5年の『懐宝 和漢年代記大全』にも日本地図が載っています。
Wakannendaiki07
 明治10年の地図と比べると、日本の形はさすがに明治の方が正確ですね。
 一方、拡大して見ると、文政の方がずっと詳細です。
Wakannendaiki15

 詳細さが異なるのは、明治の地図が小さいせいです。
 なぜ小さいのかというと、明治のは地図の範囲が広いのです。
 冒頭の明治の地図は、実は日本地図の一部でした。全体はこうなっています。
M10nendaiki14
 千島の果てまで載っています。このために地図がずいぶん寝ることになりました。

 この地図の2年前、明治8年にロシアとの間に「千島樺太交換条約」が結ばれて、千島列島は全て日本領になりました。
 この地図はそれを反映しているのですね。
 明治14年に作られた「蛍の光」の4番にも「千島の奧も 沖繩も 八洲の内の 護りなり」とあります。

 また、上の地図にも見えていますが、明治の地図には世界全図も載っています。
M10nendaiki16

 これは文政の本にはないものでした。
 国際化した明治日本。

2021年1月27日 (水)

明治10年の『新撰年代記』(2)古人物年代

 一昨日、明治10年の『新撰年代記』をご紹介しました。
 大化元年(645)から明治10年(1877)に至る1233年を1年1マスの表にしたものです。
 西暦が普及していなかった時代、あのできごとは何年前のことだろうか、祖父の33回忌はいつになるのだろうか、といったようなことを知るのはなかなか厄介だったと思います。
 元号も明治以降に比べて頻繁に変わりましたので、複数の元号をまたぐと計算はできません。
 こういった表は不可欠だったことと思います。

 この本には他に、天皇一覧や将軍一覧など、各種の一覧表が付いています。
 その中に「古人物年代」という表があります。
M10nendaiki09

 続き。
M10nendaiki10

 このように、日本武尊から沢庵和尚に至る79人の人物が並んでいて、それぞれの没年と、それが何年前に当たるかの年数が記してあります。
 天皇は挙がっていませんが、これは別に天皇の一覧があるからでしょう。
 これが、明治10年の時点での日本史上の代表的な人物79名(の一例)ということになりましょう。
 どうでしょう。今、79名選ぶとしたら、だいぶ出入りがありましょうか。

 こういった年代記として、以前、文政5年(1822)の『懐宝 和漢年代記大全』というものを入手し、当ブログでもご紹介していました。
 その中にも、「弘法名僧年数」という名僧の一覧と、「名家名将名臣年数」という文化人や武将の一覧が載っています。
 文政5年のものと明治10年のものとを比較してみました。幕末維新の動乱を挟み、価値観も大きく変わった時代の比較ということになります。

 結果は以下の通りです。

 文政5年の『懐宝 和漢年代記大全』を「文政」、明治10年の『新撰年代記』を「明治」としました。

 A.「文政」と「明治」と両方に載せる者
  守屋大臣、聖徳太子、大織冠鎌足、役行者、柿本人麻呂、良弁僧都、中将姫、吉備大臣、坂上田村麻呂、
  伝教大師(最澄)、弘法大師(空海)、小野小町、慈覚大師(円仁)、在原業平、智証大師(円珍)、
  菅丞相、六孫王経基、小野道風、空也上人、元三大師(良源)、多田満仲、恵心僧都、源三位頼政、
  平清盛、木曽義仲、源義経、西行法師、源頼朝、熊谷蓮生坊、円光大師(法然)、親鸞上人、最明寺時頼、
  日蓮上人、一遍上人、楠正成、新田義貞、吉田兼好、武田信玄、上杉謙信、隠元禅師

 B.「文政」にのみ載せる者
  釈迦如来、達磨大師、行基菩薩、山部赤人、猿丸大夫、大友黒主、守敏僧都、紫式部、参議佐理卿、清少納言、
  行成卿、証空上人、道元禅師、夢窓国師、了誉上人、一休和尚、古幡随院、雄誉上人、慈眼大師(天海)、
  珂碩和尚、祐天僧正、了碩和尚

 C.「明治」にのみ載せる者
  日本武尊、武内大臣、弓削道鏡、阿倍仲麻呂、小野篁、安倍晴明、源頼光、渡辺綱、源義家、安倍貞任、
  鎮西八郎為朝、武蔵坊弁慶、太夫敦盛、曽我兄弟、畠山重忠、梶原景時、和田義盛、朝比奈義秀、栄西禅師、
  北条時政、慈鎮和尚(慈円)、高師直、太田道灌、蓮如上人、毛利元就、今川義元、山本勘助、斉藤道三、
  竹中半兵衛、明智光秀、千利休、小西行長、石田三成、加藤清正、木村重成、真田幸村、木下長嘯子、石川丈山、
  沢庵和尚

 幕末維新を挟むのに、Aが多いですね。
 Aは、価値観が大きく変わっても変わらない、不滅の著名人ということになりましょうか。
 当時の人々の関心の在り処が知られて興味深いです。
 物部守屋が入っているのが不思議です。ライバルの蘇我馬子はABCのどこにも入っていません。
 六孫王経基や多田満仲のような清和源氏の初期の面々が載っていますね。
 熊谷直実は両書とも「熊谷蓮生坊」の名で載っています。
 僧侶が多く、主な仏教宗派の祖はかなり漏らさずに載っています。
 戦国大名としては、信玄と謙信が載っています。

 Bは僧侶が目立ちます。
 あとは、山部赤人、猿丸大夫、大友黒主、紫式部、参議佐理卿、清少納言、行成卿が文化人枠でしょうか。
 これらは「明治」には載っていない人々です。

 Cは武将が目立ちますね。てんこ盛りです。
 幕末維新の動乱を経た結果でしょうか。この本が刊行された明治10年には西南戦争もありました。

 全体を通して気づいたのは、高位の貴族に関心がないという点です。鎌足はAに載っているものの、藤原氏の不比等、武智麻呂、仲麻呂、良房、基経、道長、頼通など、全滅です。
 また、戦国武将として、Aに信玄・謙信がいる他、Cとして数多くの人々が並んでいますけど、信長、秀吉、家康という三英傑が載っていません。時代的には、Cに三成や幸村が載っているのですから、織豊時代の前で切ったとも考えられません。
 不思議です。

 あれこれ面白いです。

2021年1月25日 (月)

明治10年の『新撰年代記』(1)

 ネットオークションで買いました。
M10nendaiki01
 お経本のような折り本形式で、表裏両面に印刷されています。
 大きさもお経本ほどで、横幅はちょうど手で掴めるほどです。

 冒頭はこのようになっています。
M10nendaiki02
 「皇国漢土西洋年暦」という角書きがあります。

 奥付。
M10nendaiki03
 明治10年に大阪で刊行されたものです。

 この本のメインは1年1マスの年表です。
 年表部の冒頭はこのようになっています。
M10nendaiki04

 小さいので、一部分をアップにします。
M10nendaiki05
 大化元年から始まっています。
 大化の下に、「乙巳」という干支が記されています。
 2行目には「孝徳」という天皇名と、「六月即位」。
 3行目には「年号始ル」。
 4行目には「唐太宗貞観十九/西洋紀元六百四十五」とあります。

 このような形式で、1年1マスで、明治10年に至ります。
 1行が6マスなので、2行後の同じ位置に同じ十二支が来ます。

 年表部の末尾。
M10nendaiki06

 これも一部分をアップにします。
M10nendaiki07
 記事が印刷してあるのは明治10年までですね。
 まだ余白がありますので、数年間は持ち主が自分で記入できます。
 実際に明治11年、12年には「コレラ病流行」「琉球藩ヲ廃シ縣トナス」などの記載があります。
 また、明治23年のマスには、「諸国コレラ病流行」「インフルベンザ同」とあります。
 この時代もしばしば疫病が流行していたのですね。人ごととは思えません。
 「インフルベンザ」という語形、興味深いです。

 この本、メインはこの年表ですが、他に、歴代天皇一覧、山、海、温泉の一覧などなど、歴史・地理関係の項目が満載です。
 それらもまた追々ご紹介します。

2020年11月24日 (火)

北野本日本書紀が……

 渋川の家の片づけの最中に見つかった古びた紙の手提げの中に、このような紙袋がありました。
Kitano27a

 この紙袋以外は雑々としたものです。

 中から出てきたのは、これ。
Kitano27b
 北野本日本書紀の巻二十七です。

 分不相応に北野本日本書紀の複製を架蔵(死蔵)しています。そのうちの1冊です。
 全く記憶にありませんが、巻二十七だけを持ち出して、大学でどこかのコピーを取ったのかもしれません。
 使ったものは元のところに戻すというのが鉄則ですよね。それを守らないと物が行方不明になります。

 危ないところでした。片づけに際して、1つ1つ見てゆかないと、大事なものが無くなってしまいます。
 片づけにあまり日は掛けたくありませんが、それよりも慎重さを優先させないと。
 いくら複製とはいえ、精巧で、発行部数も限られた複製は、文化財と考えないといけませんね。

 巻二十七をなぜ持ち出したのか不明です。
 天智紀ですね。近江遷都や蒲生野遊猟などが目的かもしれません。
 でも、単に本文ならば活字本で足りそうです。
 わざわざ北野本を、ということになると、目的は古訓でしょうか。

 近江遷都の記事は次の通りです。
  「都を近江に遷す。是の時に、天下の百姓、都遷すことを願はずして、諷(そ)へ諫(あざむ)く者多し。
   童謡(わざうた)亦衆(おほ)し。日日夜夜(ひるよる)、失火の処多し。」(日本書紀 天智六・三・一九)

 「失火」に、北野本にはこのような訓が付いています。
Kitano27c

 本文には虫損がありますが、訓は「ミツナカレ」(水流れ)です。
 「火(ひ)」という語を使いたくなくて、それを避けるべく、「水(みづ)」と言ったのでしょう。
 最近、水害が多く、水害も困ったことですが、当時は、火を特に怖れたのでしょうね。
 目的はここかと思いますが、全く記憶にありません。(^_^;

2020年11月 5日 (木)

木村重成の妻など

 3日前に、明治41年の「歴史双六」のことを書きました
M41rekishi01
 神話・伝承の時代から江戸時代までの、様々な女性を取り上げた双六でした。
 聞いたことのない人物も含まれていて、例えば「津田八弥の妻」というのが分からず、ググってみたら、戦国時代の女性で、夫(婚約者のようですが)の仇を討ち、後には自刃して果てたとのことです。壮絶ですね。

 他に、よく分からない人物を調べてみました。
 「小宰相」は、源平時代の人物で、平通盛の妻。一ノ谷の戦いで夫が討ち死にしたと知り、後を追って入水したのでした。
M41rekishi08
 『平家物語』に載っているのに、知りませんでした。不勉強です。(^_^;

 ヤマトタケルの危難を救うために海に身を投じた橘媛も取り上げているし、ガラシャもいます。
 どうも、お正月に楽しむ双六にしては、切なすぎます。

 木村重成については、兜に香を焚きしめて、大坂夏の陣で戦ったというエピソードしか知りませんでした。
M41rekishi06
 この絵は、討ち死にした夫の兜を手に、妻が悲しんでいる姿かと思いましたが、そうじゃありませんね。
 夫の出陣を前にして、妻が兜に香を焚きしめているのでしょう。
 これも切ないことと思います。
 木村重成の妻についてもググってみましたら、夫の一周忌に自害しているのでした。
 何ということでしょう。

 この双六が作られたのは、日露戦争の終結から2年ほどです。人の死が身近だった時代ということもあるのでしょうかね。

 「貫之娘」というのもどういう人物か分からず、不安な気持ちで調べてみましたら、こちらは『大鏡』などにある「鶯宿梅」の説話のようです。
M41rekishi07

 平穏な話でよかった。(^_^)

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