史料・資料

2018年4月 2日 (月)

明治40年の修学旅行地図

 明治40年の「修学旅行地図」を入手しました。範囲は「榛名山 伊香保 妙義山 浅間山 磯部」です。裏面は白紙です。
M40shugaku01
 奥付は次のようになっています。
M40shugaku02
 凡例は次の通りです。距離がkmではなく、里となっています。
M40shugaku03
 地図上の地名等に赤い下線を引いたものがあり、それはこの地図の持ち主が引いたものか、あるいは凡例ともども、最初から印刷されていたものか判然としません。

 赤線が多いのは伊香保・榛名のあたりです。1年生の研修旅行でよく行った地ですので、親近感があります。
M40shugaku04
 磯部温泉は、温泉ではなく鉱泉とあります。当時の湯温(水温)は摂氏10度台しかなかったようです。富岡製糸場は「製糸場」として載っています。
M40shugaku05
 高崎市、前橋市は今よりもずっと狭い範囲です。町村合併を経て、今は両方とも広い面積を占めるようになりました。
M40shugaku06
 なお、「市」はこの2市のみのようで、渋川、藤岡、安中、富岡など、みなまだ「町」です。

 上野三碑のあるあたりはこのようになっています。3碑とも全く記載されていません。当時はまだ関心が持たれていなかったのでしょう。
M40shugaku07
 やはり同時代資料は見ていて楽しいです。

 なお、標題に「修学旅行地図」とあるからには、この地図は修学旅行に用いたものでしょうが、どう使ったのでしょうかね。行き先の大まかな位置が分かるくらいの役割しか果たせないように思いますけど。

2018年3月20日 (火)

『師範学校国文教科書』巻六(つづき)

 昨日取り上げた師範学校国文教科書の続きです。

 附録の 「二 文字に関する問題」には次のようにあります。
T13shihankoku6e
 続きです。
T13shihankoku6f
 1から9まで、それぞれに興味深いです。現代ではもう決着の付いてしまったものあり、まだ決着をみないものあり、様々ですね。

 1の平仮名・片仮名の優劣というのはどういうことでしょうね。小さい文字のコメントを読むと、どちらの方が憶えやすいか、ということでしょうかね。当時はまだ漢字カタカナ交じり文も多かったことでしょうし、小学校では片仮名の方を先に教えたようですから、こういうことが問題になっているのでしょうね。

 3の漢字制限のことは、戦後すぐに実現しましたね。でも、近年は電子機器の普及により、読める漢字と書ける漢字とを分けて考えるようになってきたのは、新しい流れですね。

 6も、戦後、現代仮名遣いとして実現しましたね。でも、個別にみてゆくと、矛盾点もあって、解決済みとは言えないようです。

 「四 単語に関する問題」は以下の通りです。
T13shihankoku6g
 これまた、現代でも問題になりそうな事項がありますね。そもそも、どこかで決めるべきことなのか、決める必要のないことなのかという問題もありそうに思えます。

 昨日書いたように、これらの「附録」が初版の明治36年から既に存在していたのか、あるいはその後の訂正版あるいは修正版のどこかで付いたものなのか不明ですが、長年月に亙る問題ですね。

 この教科書では、これらの問題点について、どうあるべきものか、どうすべきものかということは言及していません。こういう問題点があるということを示しているのみです。将来教職に就く人たちに対して、こういう問題点があることを心に止めて置いてもらいたい、という趣旨なのかと思います。

2018年3月19日 (月)

『師範学校国文教科書』巻六

 ネットオークションで見つけて買いました。大正13年のものです。
T13shihankoku6a
 当時、師範学校の国語の教科書にはどんな作品が載っていたのか、ということに興味を抱いて、手を出してしまいました。

 目次です。
T13shihankoku6b
 続き。
T13shihankoku6c
 内容は、評論やら小説やら、様々ですね。古典は中世のものが多いです。この本は巻六ですので、巻によって特定の時代の作品を集めているとか、そういった方針があるのかもしれません。1冊だけでは何とも、です。

 目次の最後にある「附録」が興味深かったです。

 「一 発音に関する問題」は以下の通りです。
T13shihankoku6d
 当時は歴史的仮名遣いだったので、特に1、2などが問題になったのでしょう。現代では解決済みでしょうね。3は、現代においては、鼻濁音を使うべきところではそうすることが望ましい、と言われることもありますけど、強制はされていませんね。4は、現代ではあまり問題にされていないように思います。

 末尾に「訛音矯正」という語がありますね。訛音は矯正すべきものという前提があったことが推測されます。

 この教科書の奥付は以下の通りです。
T13shihankoku6i
 「附録」が、初版の明治36年の時点からあったのか、あるいは、その後の訂正、修正のどこかの段階で付け加わったのかは分かりません。

 「二 文字に関する問題」や「四 単語に関する問題」もなかなか興味深いです。小出しにするわけではありませんが、また後日。

2018年3月 9日 (金)

明治18年の定宿帳(飛鳥)

 一昨日からご紹介している資料について、もう1回。(^_^)

 奈良から先へページを繰って行くと、飛鳥方面が出てきます。
M18isshin08
 このページを見ると、高田から道が分かれるようです。上の方は、今井→神武天皇御陵→立花寺→岡寺と続きます。下の方は、小房→安倍→飛鳥と辿って、岡寺で合流します。

 上のルートは、以前ご紹介した久米寺前の道しるべと重なりますね。
Kumedera01
 この道しるべには、「右 おかてらたち花」「左 じん武橿はら」とあります。まさに、この道しるべは神武天皇陵と橘寺との間に位置しています。

 下の方のルートにある小房は、藤原宮の西に位置し、私はまだ寄ったことがないのですが、おふさ観音寺があります。この定宿帳にある小房は、直接にはこの観音寺を指しているのでしょう。

 前にもご披露したように思いますが、戦前の地図にはこうあります。
M18isshin10
 畝傍駅と畝傍御陵前駅との間に、今はもう廃線になってしまった路線があり、そこに小房駅があります。こういうバイパスができるほどにおふさ観音寺は信仰を集めたお寺なのでしょうね。

 あれこれ面白いです。

2018年3月 8日 (木)

明治18年の定宿帳(奈良・魚佐旅館)

 昨日の定宿帳の続きです。
M18isshin01
 伊勢のあとは榛原や長谷を経由して奈良に至ります。
M18isshin03
 それぞれの宿場には1軒ずつ宿の紹介があります。「入口より四丁目つきあたり」「くわんをんまへ角」「入口より四丁目出口」などという簡単な道順の説明も書いてあります。

 そして奈良。上のページとは異なり、1ページ丸ごと奈良です。
M18isshin04
 ページの左側には山形に「ウ」のマークと「うをや佐兵衛」の文字。その下には印が捺してあり、印面は、中央に「山ウ」のマーク、周囲には「和州奈良魚屋佐平」とあります。この印面は表紙の右下の朱印と同じです。

 この宿屋の所在地の説明も、「さる沢いけのまへ今みかど町 いけより角二けんめ」と詳細です。絵図も詳細ですね。画面右側に「今みかど丁」とあるすぐ下がこの旅館です。「山ウ」のマークが描かれています。猿沢池の前の川に架かる橋を渡った先です。

 説明文とこの絵図があれば迷わずに行き着けることでしょう。破格の扱いです。表紙に「同盟周旋方」とあるように、この道中記はこの宿屋が製作したものなのでしょうね。

 絵図の上方に三笠山などが描かれていますので、方角は上が東。この旅館の位置は猿沢池の南に位置します。今のどの辺だろうと思って、パソコン内の電子地図を見てみました。
M18isshin09
 猿沢池の南に魚佐旅館があります。池の前の橋を渡った先です。「あっ!」です。この旅館の名前は今までも奈良の地図を見る度に目に入ってはいました。「魚屋佐兵衛」と「魚佐旅館」、場所もバッチリ。この旅館が後身なのでしょう。わくわくします。(^_^)

 ただ残念ながら、ググってみましたら、この旅館は2013年の1月に閉館して取り壊され、今は結婚式場が建っているとのことです。私の電子地図はやや古いので、この旅館が載っていました。

 古地図が大切なだけでなく、古電子地図も大切かもしれません。

2018年3月 7日 (水)

明治18年の定宿帳(豊橋の壺屋)

 道中記も私の収集対象の中に入ってきています。この度、このようなものを入手しました。明治18年のものです。
M18isshin01
 左側に、山形に「ウ」のマークの下に「同盟周旋方」とあり、右下にも中央に同じマークの入った朱印が捺してあります。ページをめくって行くと、このマークは奈良の「うをや佐兵衛」のものと分かります。それは別稿で。左下には「袋井駅本多留平改印」とありますが、この意味は分かりませんでした。

 最初のページはこのようです。伊勢神宮から始まって、奈良、飛鳥や高野山、大坂などへの旅程が載っています。
M18isshin02
 不思議なのは1行目にある豊橋のつぼや庄六です。なぜ伊勢神宮の前に豊橋があるのかさっぱり分かりませんでしたが、以前当ブログでもご紹介した明治21年の定宿帳を見て判明しました。
M21isshin03
 左下にありますように、豊橋から伊勢神宮への船が毎日出ていたようです。それで、伊勢の1つ手前が豊橋なのでした。こちらも同じくつぼや庄六です。

 さて、この「つぼや」、ググっていたら、現在、豊橋に壺屋という弁当屋さんがあるのを知りました。HPもあります。そこに、「壺屋の歴史」というページがあって、そこに年表が載っていました。その冒頭部分を示します。

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 明治21年(1888年) 旧東海道船待ちの豊橋付近で豊川を上下する船頭旅行相手に回槽問屋と料理旅館を経営。国鉄東海道本線開業の直前、東海道筋がさびれるのを見越して駅前へ移転進出し壺屋旅館開業。

 明治22年(1889年) 前年の豊橋駅開業に伴い、豊橋駅構内営業を承認される。

 明治末期 この頃より稲荷寿しの販売を開始。

 大正期 「壺屋旅館」から分離独立して「壺屋弁当部」創立。店舗を花田中央町に構える。
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 今回ご紹介しているのは、明治18年の定宿帳ですので、上の年表にある明治21年の壺屋旅館開業よりも前です。まだ旅館ではなく廻船問屋の時代だったのでしょうかね。

 なんか興味深いです。

 さらに探すと、年代未詳の「真誠講」にもこんなページがありました。
Shinseiko03
 伊勢神宮から豊橋へは船での移動となっています。これも当ブログでご披露していたものでしたが、すっかり忘れていました。豊橋の出船所はやはり「壺や庄六」とあります。「泊」ではなく「休」ですので、まだ旅館にはなっていないのかもしれません。

 今回入手した道中記では、伊勢神宮の直前に豊橋があったことで「はて?」と思いました。これで、豊橋と伊勢との船便のことが頭に定着したことと思います。(^_^)

2018年3月 1日 (木)

「伊勢ヨリ大和七在所巡及高野山大坂西京迄一覧図」

 ネットオークションで明治時代の地図を入手しました。「伊勢ヨリ大和七在所巡及高野山大坂西京迄一覧図」という長い名前です。
M22iseyamato01
 右上に伊勢神宮があります。左上に近江の草津、その下に京都があります。下辺付近中央やや左に大坂、右下は高野山です。右辺中央付近に吉野、そこから左に飛鳥、さらに左に奈良が描かれています。

 版元は奈良町の河村音松さん。先日ご紹介した「奈良名所細見図」と同じ発行者です。
M22iseyamato02
 奈良・京都付近の拡大図。
M22iseyamato03
 画面右端付近中央やや下に「西の京」があり、画面左端中央に「西京」があります。「西京」には東西本願寺と五条大橋が描かれています。京都のことを「西京」と書いているのは「東京」に対してのもので、「さいきょう」と読んだのでしょう。

 「西の京」の左隣には「しよだい寺」とあります。唐招提寺のことですが、これまで当ブログでいくつがご紹介した絵図や道中記などでも「せうだい寺」や「正大寺」などと記されることが常で唐招提寺と記したものは見当たりませんでした。いつごろから唐招提寺が普通の呼び名になったのか関心があります。

 飛鳥付近の拡大図。
M22iseyamato04
 奈良から南下した道は丹波市や柳本を経て、大神神社で東へ折れて、長谷を経て伊勢に向かいます。

 一方、西の京から法隆寺、龍田を経て八木に至った道は、神武天皇陵、阿倍、飛鳥、橘寺、岡寺、多武峰を経て、吉野方面に行ってしまいます。

 大神神社と飛鳥とは近いのに、この地図上では接続していません。

 さて、ここでもまた、神武天皇陵、橘寺、岡寺という、以前ご披露した久米寺前の道標が思い出されました。

2018年2月19日 (月)

「奈良名所細見図」2

 ネットオークションで「奈良名所細見図」を入手しました。
Narameishosai06
 左側欄外の刊記に依れば、明治22年8月に、奈良町在住の河村音松が印刷発行したものです。

 この絵図、以前何度かご紹介した、江戸時代刊の「ならめいしよゑづ」とよく似ています。
Narameishosai07
 両者、絵図の範囲は全く同じですし、絵もよく似ていますが、「ゑづ」に比べると「細見図」は大分簡略になっています。

 ただ、今回の「細見図」は明治22年の発行ということで、内容に時代差があります。

 東大寺の西側、「ゑづ」は以下の通りです。
Narameishosai08
 これに対し、同じ範囲が「細見図」では以下のようになっています。
Narameishosai09
 「ゑづ」では塀の内側が丸ごと興福寺のようですが、「細見図」では、北の方に、奈良県(県庁)、郡役所、裁判所が並んでいます。お上に接収されてしまったのでしょうかね。また、「ゑづ」では立派な南大門の絵が描かれていますが、「細見図」では「ナンダイモンアト」になってしまっています。焼けたか壊れたかしたのでしょう。

 今回の記事のタイトルは「奈良名所細見図」2としました。なぜ2なのかというと、昨年の9月3日に「奈良名所細見図」というタイトルの記事を載せてしまったからです。こういう絵図です。
Narameishosai01
 こちらは、カラーで立体的な絵図になっています。明治23年1月に刊行されたもので、発行人は同じく河村音松です。同じ発行人が、同じ「奈良名所細見図」という名称の絵図を半年足らずの差で刊行したことになります。

 紛らわしいことをしたと思いますが、あるいは河村音松は、「ゑづ」を簡略化しただけのような明治22年の細見図に飽き足らず、完全に面目を一新した新たな絵図を翌年発行し、旧細見図は絶版にしたとか、何かそういった事情があったのかもしれないと考えました。

 その明治23年版の細見図では、県庁・裁判所のあたりはこう描かれています。
Narameishosai10
 さて、現在、奈良市内を通る道路の中で、メインストリートは登大路でしょうね。この道の北に裁判所、県庁、東大寺などが並び、南には近鉄奈良駅、興福寺、奈良国立博物館などが並んでいます。ところが、今ここで見て来た3枚の絵図のいずれにも登大路は描かれていません。特に、「ゑづ」や旧「細見図」では全体が大きく塀で囲まれていますしね。

 思えば、かつての二条大路は奈良女子大の南沿いの道、三条大路は猿沢池の北沿いの道のようですから、登大路は両大路の中間くらいに位置することになりましょうか。

 登大路は、大阪万博の折なども含めて、段々に拡幅されて今に至っているようですね。

 たまたま入手した1枚の絵図でしたが、3枚の絵図を比較することで、あれこれ見えてきました。地図は楽しい。(^_^)

2018年2月17日 (土)

「東海道五十三次はんじ物」

 昨日、「無筆重宝国尽案内」という判じ物をアップしたのと、その中に「ひ」と「し」の混同とおぼしき例があったのとで、思い出しました。

 似たような例に「東海道五十三次はんじ物」というのがあります。これ、在職中に担当していた教養教育科目の「日本語と文化」の中で毎年のように取り上げていました。
53tsugi01
 「東海道五十三次」とありますが、全部で20項目しかなく、対象となっている宿場も日本橋から岡部までという東側の地域に限られます。これ、本来は東海道五十三次の東部・中部・西部の3部構成か、あるいは東部・西部の2部構成のうちの東部に当たるものと思われます。

 20項目の中には分かりやすいものと難解なものとがあります。

 分かりやすいものとしては、右端の上から3つ目。歯と猫がひっくり返っている絵。「ねこ」がひっくり返って「こね」、その上に「は」があるので、「は+こね」です。

 左端の中程にある戸板と刀の柄(つか)の絵は「と+つか」ですね。その右隣は竹の皮を割いているので、「かわさき」。(^_^)

 さて、戸塚の下にこのような絵があります。
53tsugi02
 難解ですが、日本橋から岡部までの範囲で考えると、どうやら平塚のようです。なぜ平塚になるかというと、左側に魚(かつお)が描かれています。尾がないので、「かつ」。頭を下にしているので、「つか」でしょう。

 かつおの右側の男は「お若えの、お待ちなせえやし」の白井権八と思われます。着物に丸に井の字の紋所が見えます。その上半身なので「しら」。両方合わせて「しら+つか」となります。

 白井権八は、本名は平井権八だそうなので、それならば素直に「ひら+つか」となりますけれども、この人物、講談や歌舞伎の世界では白井権八の名で通っているものと思われますので、やはり「しら+つか」と考えるべきかと思います。

 そうなると、これも昨日の信濃と同じく「ひ」と「し」の混同例となりましょう。

 信濃の場合は以下のような感じですかね。

 「しなの」はどうしよう。「しな+の」で、「の」は野原の絵を描けばいいな。
 「しな」は……、「そうだ。おシなさまにしよう」。(^_^)

 平塚の場合はこんな感じでしょうか。

 「シらつか」はどうしよう。「シら+つか」かな。「つか」は刀の柄なら簡単だけども、戸塚で使っちまったからなぁ。ちょっと難しくしてみるか。
 「シら」は、おいらの大好きな白井権八で行こう。

なんてことかと。(^_^)

2017年12月18日 (月)

「善光寺御みやげ」

 信州3連弾になりました。

 このようなものを入手しました。
Zenkojimi01
 明治43年の発行です。
Zenkojimi02
 中央上部には本堂が描かれています。
Zenkojimi03
 その下には内陣御開帳の図。人が密集しています。
Zenkojimi04
 右上には山門の図。
Zenkojimi05
 左上には大本願(尼寺)の図。
Zenkojimi06
 左右の下方には善光寺の霊験の逸話が描かれています。

 左下。
Zenkojimi07
 右下。
Zenkojimi08
 下は、おなじみの「牛に引かれて善光寺参り」の話ですね。

 標題に「善光寺御みやげ」とありますように、文字通り善光寺のお土産として売られていたものなのでしょうかね。

 以前は善光寺には特に関心はなかったのですが、2年前に初めて行ってから、俄然関心が湧きました。実際に行くと違いますね。(^_^)

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