史料・資料

2026年7月16日 (木)

『前賢故実』(16)平安前期から中期

 昨日に続き、また『前賢故実』です。

 源経基。
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 源経基は清和源氏の祖。

 紀貫之女。
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 紀貫之女は「鶯宿梅」の逸話で知られます。
 この話は、村上天皇の時代に、清涼殿の前に植わっていた梅の木が枯れてしまったので、都の外れにある家に植えられていた見事な紅梅を、勅命であるとして掘り返して内裏に運ぼうとしたところ、家の者がその枝に短冊を結びつけて持たせます。
 その紅梅は清涼殿の前に移植され、枝に結びつけられた短冊が天皇の目に止まります。短冊を開いてみると、そこには「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかが答へむ」とありました。
 天皇が調べさせると、その家の主人は紀貫之の娘で、娘はその紅梅を父の形見として大事にしていたことが分かったということです。

 藤原忠平。
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 藤原忠平は延喜格式を完成させ、また「延喜の治」と呼ばれる国政改革を行いました。

 橘直幹。
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 橘直幹は漢詩人で、大学頭、文章博士などを歴任します。
 民部大輔の官を望んで起草し、小野道風に揮毫して貰った申文は、村上天皇が大いに賞翫したという説話が知られます。

 小野道風。
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 小野道風は能書家で、藤原佐理・藤原行成とともに三跡として知られます。
 柳に飛びつくかえるの話が有名ですが、あの話が広まったのは江戸中期だそうです。

2026年7月15日 (水)

『前賢故実』(15)平安前期

 『前賢故実』の続きで、今回も平安前期です。

 壬生忠見。
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 壬生忠見は壬生忠岑の子で、父と共に三十六歌仙の一人。
 百人一首には「恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」の歌が採られています。

 三善清行。
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 三善清行は漢学者で漢詩文にもすぐれ、『延喜格式』の編纂に参加したほか、「意見封事十二箇条」の上奏でも知られます。

 巨勢金岡。
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 巨勢金岡は宮廷画家で、大和絵の様式を確立した人物とされます。

 伊勢。
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 伊勢は三十六歌仙の一人。
 百人一首には「難波潟みじかき芦のふしのまもあはでこの世を過ぐしてよとや」の歌が採られています。

 小野好古。
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 小野好古は小野篁の孫で小野道風の兄。歌人。
 天慶の乱に際しては藤原純友を追捕するための長官として、純友軍を博多津で撃退しています。

 今回は文人ばかりとなりました。

2026年7月12日 (日)

『前賢故実』(14)平安前期

 また少し間が開いてしまいましたが、『前賢故実』の続きで、平安前期です。

 菅原道真。
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 菅原道真は、学者、漢詩人。右大臣にまで昇進しますが、讒言によって大宰権帥に左遷され、大宰府で亡くなります。

 源融。
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 源融は嵯峨天皇の皇子で、臣籍に降下して嵯峨源氏の祖となります。光源氏のモデルともされます。
 自邸の六条河原院に奥州塩竈の風景を模した庭園を造らせたという故事があります。

 紀友則。
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 紀友則は、三十六歌仙の一人で、古今集の撰者の一人です。

 紀貫之。
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 紀貫之は、三十六歌仙の一人で、古今集の撰者の一人。古今集の仮名序の執筆者であり、土佐日記の著者でもあります。

 凡河内躬恒。
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 凡河内躬恒は、三十六歌仙の一人で、古今集の撰者の一人です。

 今回は文人が中心となりました。

2026年6月 4日 (木)

昭和15年『万葉図録』(4)

 昨日の『万葉図録』「地理篇」のうち大和地方の続きです。

 三輪山。
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 つくづく良い形をしているなぁと思います。

 巻向山。
S15manyozuroku17makimuku
 霧か雲が立ちこめています。

 穴師山。
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 安騎野。
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 三笠山・春日山。
S15manyozuroku20mikasa

 万葉故地はやはりいいです。

2026年6月 3日 (水)

昭和15年『万葉図録』(3)

 先日ご紹介した昭和15年の『万葉図録』の続きです。
 今回は、「地理篇」のうち「大和地方」からいくつかを。

 大和三山。
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 向かって左から畝傍山、耳成山、天香具山です。

 雷丘。
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 明日香河。
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 宮滝。
S15manyozuroku14miyataki

 葛城山。
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 昭和15年頃の当時の様子が窺えて興味深いです。
 ま、今日の分は、今もあまり変わらないことでしょうけれども。

2026年5月27日 (水)

昭和15年『万葉図録』(2)

 昨日の『万葉図録』の続きです。
 昨日は目次の概要のみを示しましたが、今回は少し内容に入ります。

 巻頭にある「皇室と万葉集」の細目は以下の通りです。
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 雄略天皇。
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 1番歌。元暦校本です。

 舒明天皇と天智天皇。
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 2番歌と13番歌。ともに元暦校本です。

 聖武天皇の宸翰。
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 正倉院御物。

 光明皇后の『楽毅論』。
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 同じく正倉院御物です。

 聖武天皇の繊細な筆遣いに対し、光明皇后の雄渾な筆遣いが対照的です。

2026年5月22日 (金)

『前賢故実』(12)平安初期から平安前期

 『前賢故実』の12回目、平安初期から平安前期にかけてです。

 万多親王
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 桓武天皇の皇子で『新撰姓氏録』を編纂しました。

 小野篁
Zenken56takamura
 明法道に明るく『令義解』の編纂にも深く関わりました。また漢詩文や書にも秀でていました。
 反骨精神故に隠岐に流されたこともあります。
 百人一首に「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟」の歌が採られています。
 

 葛原親王
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 桓武天皇の皇子で、桓武平氏の祖です。

 藤原良房
Zenken58yoshifusa
 北家藤原氏、藤原冬嗣の子で摂政太政大臣にのぼりますが、これは皇族以外での初めての摂政です。

 小野小町
Zenken59komachi
 歌の名手で六歌仙の1人。また絶世の美女とされます。
 百人一首に「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」の歌が採られています。

2026年5月 6日 (水)

『前賢故実』(11)平安初期

 『前賢故実』の11回目、今回は平安初期です。

 坂上田村麻呂。
Zenken50tamuramaro
 2度にわたり征夷大将軍として蝦夷征討に功がありました。
 生前から毘沙門天の化身と評され、死後は平安京の東に向かい、甲胄に身を固め、武器を携えて立ったまま埋葬されました。

 斎部広成。
Zenken51inbe
 大同二年(807)、『古語拾遺』を著して、斎部氏の職掌の正当性を主張しました。

 菅野真道。
Zenken52sugano
 続日本紀を編纂しました。

 文室綿麻呂。
Zenken53watamaro
 坂上田村麻呂の下で蝦夷征討に従いました。

 藤原冬嗣。
Zenken54fuyutsugu
 北家藤原氏の内麻呂の子で、良房の父。閑院大臣と称されます。
 『文華秀麗集』を撰進しました。

2026年5月 3日 (日)

慶長勅版日本書紀神代巻の複製

 慶長勅版日本書紀神代巻の複製を入手しました。
Shokikeicho01
 昨日に続いてまた複製入手の話題で。(^_^;

 見返しページ。
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 見返しには「日本書紀慶長己亥季春新刊」とあり、左ページには「一誠堂創業廿五周年記念」の印が捺してあります。

 最初のページ。
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 本来の慶長勅版日本書紀の本文は漢字ばかりですが、これには、ところどころにカタカナの訓と、朱の点が指してあります。
 朱は、句読点、ヲコト点、カタカナ訓のアクセントなどです。

 この複製は、一誠堂の創立25周年を記念して、徳富蘇峰が所持していた曼珠院旧蔵本を複製したものです。
 それについては、巻末に徳富蘇峰の文章が2ページ半に亙って記されています。
 その中間をバッサリ削って冒頭と末尾だけを載せます。
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 奥付。
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 300部限定ですね。
 印刷所は、徳富蘇峰が主催していた民友社です。

 冒頭ページの一部を拡大します。
Shokikeicho06
 中央付近、「清陽」の右に「スミアキラカナル」という訓が付されていて、その左に朱点があります。
 この朱点はアクセントを表すものと考えられますが、カタカナ訓よりもだいぶ左ですね。
 印刷に際して、赤版の位置が左にズレてしまったのでしょう。

 貴重なものが手に入りました。
 あ、これもまたネットオークションです。

2026年5月 2日 (土)

大福光寺本『方丈記』の複製

 大福光寺本方丈記の複製を入手しました。

 箱。
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 箱の底に奥付があります。
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 ほるぷの複製です。
 『方丈記』は第1回配本だったのですね。

 本体。
Hojoki03

 巻頭。
Hojoki04
 鴨長明自筆とあります。
 冒頭はお馴染みの「ユク河ノナカレハタエスシテシカモヽトノ水ニアラス」。
 ひらがなの作品は崩してあって読み難いですが、カタカナ本はすらすら読めます。変体片仮名も少ないです。
 漢字は少ないですね。かなりカタカナです。

 巻末。
Hojoki05
 本文の最後は「方丈記」で終わっています。
 左に寛元二年(1244)の親快の識語がありますが、解説によれば、親快自筆ではなく、時代は降るだろうとのことです。

 この写本自体も鴨長明自筆ではないだろうという説が有力ながら、鎌倉時代書写の随一の善本だそうです。

 別冊の解説。
Hojoki06
 執筆者は久松潜一氏です。

 この複製本の入手先は、またまたネットオークションです。

 自分の専門とは遠い中世の随筆の複製をなぜ購入したのかと言えば、安かったから。
 2000円スタートで、そのまま落とせました。
 安かったからといって手を出していてはキリがありません。
 自制しないと。

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