古事記

2022年6月30日 (木)

飯泉健司氏『古事記全講義』(武蔵野書院)

 飯泉健司氏の『古事記全講義-意図と文学』(武蔵野書院)が刊行されました。
Kojikizenkougi01
 6月28日刊という最新刊。
 本文367ページ+索引36ページという大著です。

 内容は帯に簡潔に書かれている通りで、なかなかユニークですてきな著書です。
 主な読者対象は学生や院生、および一般読書人でしょうか。でも、内容は高度で、最新の研究成果が反映されていて、専門の研究者にも大変に有用な著書と思います。

 全ての章段が一律4ページにまとめられていることで大変に読みやすくなっています。
 冗漫になることを避けるという趣旨も十分に反映されていると思いました。

 大部分の章段で、ページの最終行まで埋まっていて、削りに削ったご苦心の跡が伺えます。さぞかしと感じました。
 中には上下に分けてでももう少し詳しく書いて欲しかった章段もありますが、そうするとこの上さらにページ数が増えてしまいますし、キリが無いことになりますから仕方ないですね。

 目次は以下の通りです。
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Kojikizenkougi03
Kojikizenkougi04
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 じっくり拝読することにします。

2022年6月19日 (日)

古事記学会終了&日本武尊の絵本

 古事記学会の2日目、無事に終了しました。
 オンラインでしたが、居眠りをすることなく参加できました。
 耳で聴きつつ、他のことをしていた時間もありました。
 すみません。でも、ちゃんと聴いていました。(^_^;

 それぞれに丹念な研究で、勉強になりました。質疑応答も活溌でした。
 それを聴いて感じたのは、皆さんそれぞれに25分の発表時間には収まらないような内容だったことが伝わってきました。
 それを制限時間に収めるために言葉足らずになってしまったことが多かったように思います。
 論文にして発表されるのを期待しています。ま、論文も枚数制限があるのですけど。

 あと、共通する感想としては、レジュメを画面共有で表示してくれていましたけど、どれも字が小さくて読みにくかったです。
 古事記・風土記を初めとする原文の引用がある関係上、縦書きにすることになりますが、それがPC画面となじまないというか、レジュメ作成の宿命的な難しさと思います。これは人ごとではありません。

 さて、古事記絡みで、最近入手した絵本をご披露します。
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 講談社の『日本武尊』です。
 昭和13年11月発行。50銭。

 川上梟帥殺害。
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 焼津の火難。
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 弟橘媛入水。
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 白鳥となって飛翔。
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 漢字カタカナ交じり文は読みにくい。(^_^;

 ヤマトタケルの話は記紀で相違がありますが、この本では、『日本武尊』という標題の通り、日本書紀に準拠しています。
 兄の殺害、出雲建を騙し討ち、景行天皇の冷たさ、ミヤヅヒメとの歌のやり取り、国偲歌などはどれも書かれていません。
 古事記よりも日本書紀に拠った方が絵本としては作りやすかったことでしょう。戦前でもありますし。

 そういう観点から、こういう絵本もなかなか興味深いです。

2022年5月 4日 (水)

糸魚川・ヒスイの日

 今日は「糸魚川・ヒスイの日」です。
Itoigawahisui

 糸魚川市のHP、派手に宣伝しているかと思って、覗いてきました。
Hisuinohi01
 何も載っていませんねぇ。

 奴奈川姫はかわいいです。
Hisuinohi02

 探してみたら、「トピックス一覧」の中の「2014年10月~2014年12月」のところに、このような記事がありました。
Hisuinohi03
 そうか、「糸魚川・ヒスイの日」を制定したのは糸魚川市ではなくて、NPO団体なのですね。
 それで特には宣伝していないのでしょう。
 宣伝しても良いのに。

 このトピックスの「糸魚川・ヒスイの日」の次に、「「紅梅文庫 冬ものがたり」開催中」という記事があります。
 記事を読むと、紅梅文庫というのは、故谷村綾子さんが子供のために開設していた私設図書館の蔵書7万6千冊を糸魚川市に寄贈したものということです。
 貴重な文庫ですね。

2021年11月13日 (土)

「いすくはし くぢらさやる」&金魚4態

 今日はZoomで古事記学会の例会がありました。
 発表は1本で、記紀歌謡の「宇陀の高城に~」です。
 この歌謡、問題点は明瞭で、「くぢら」というのが鯨なのか鷹なのかということと、歌謡の前半と後半との関係ですね。
 今日の発表もそこがポイントでした。
 発表のあと、質疑応答が行われました。

 発表が60分、質疑応答が30分という、ゆとりのある時間設定で、質疑応答も活溌でした。
 質疑応答は、段々にみんなで考えるようなイメージになってきて、充実した会でした。

 明確な結論は出ませんでしたが、とても勉強になりました。
 発表と質疑応答を聴いた結果、個人的には、「くぢら」は鯨。その肉を「こなみ」と「うはなり」とに不公平に分ける、ということで良いのかなぁと考えました。
 そう考えたというより、そういう方向性が浮かび上がってきたように思いますが、参加された方々がどうお考えか分かりません。
 意見には個人差があります。

 それはそれとして、発表内容には、もっと深い考察がありました。
 今日の質疑応答を生かして、さらに進化した論文を発表されるのが楽しみです。

 私は、終始、カメラとマイクとは切ったままで静かに聴いていました。
 でも、画面越しとはいえ、質問された方々のお顔は久し振りに拝見することができて幸いでした。

 金魚の水槽をバックに陣取っていましたが、カメラを切ったままだったので、出番はありませんでした。
 水がやけに澄んでいたので、例会が終わった後、写真を撮ろうとしたら、近づいてきた金魚がいました。

 まずは、根元から芽が出てきたアナカリス。
Kingyo_r031113a

 カメラ目線で寄ってきた金魚。
Kingyo_r031113b

 歌を歌っている金魚。
Kingyo_r031113c

 ボケをかましている金魚。
Kingyo_r031113d

 首を傾げて、上から目線の金魚。
Kingyo_r031113e

 どれもうまくピントが合っています。
 実は、これだけ撮るのに、全部で70コマくらい撮りました。(^_^;

2021年9月25日 (土)

今日の「ブラタモリ」は淡路島

 毎週楽しみに見ている「ブラタモリ」。今日は「淡路島~神はナゼ淡路島を“はじまりの島”にした!?~」でした。

 私、淡路島にはまだ行ったことがありません。上沼恵美子の所有物であるという認識はありましたが、あまり知ることはありませんでしたので、とても勉強になりました。

 古事記で、イザナキ・イザナミが最初に生んだ島が淡路島であることから話が始まりました。
Buratamoawaji01
 この絵。
 いやぁ、国生みをこんな風にイメージしたことはありませんでした。斬新です。

 淡路島が外からの攻撃から近畿を守る防御線であるとの指摘がありました。
Buratamoawaji02

 淡路島の成り立ちは、プレートの沈み込みによる圧力を受けたものであること。
Buratamoawaji03

 また、断層も成り立ちに関わっているとの指摘もありました。
Buratamoawaji04
 最近取り上げた諏訪地方と同じ成り立ちだそうです。

 淡路島の周囲には豊富な魚介類が棲息しているとの指摘も。
Buratamoawaji05
 そうですね。古代にも大贄が都に送られていますね。

 淡路島に鎮座している伊弉諾神宮を起点にすると、春分・秋分の日の出・日の入りの方角、夏至の日の出・日の入りの方角、冬至の日の出・日の入りの方角には著名な神社が鎮座しているとの指摘もありました。
Buratamoawaji06
 春分・秋分の日の出の方角は太陽の道と呼ばれていますね。

 淡路島は今回では終わらず、次回の後編に続きます。

2021年9月 6日 (月)

記紀の冒頭に登場する神々

 必要があって、記紀の冒頭に登場する神々を一覧表にしてみました。
Kikitop
 神名の前に付いている数字は「神世七代」の順番です。
 また、日本書紀の方で、神名の後ろに付いている数字は一書の順番です。
 たとえば、可美葦牙彦舅尊の後ろにある「一の236」は、「第一段の第2の一書、第3の一書、第6の一書」の意です。

 これを見て考えるに、単純に多数決では決められないにしても、クニノトコタチ、クニノサヅチ、トヨクモノという3神を最初の神とする伝承が古いのではないでしょうか。
 そして、その前にウマシアシカビヒコヂとアメノトコタチとを置く伝承が現れ、さらに、アメノミナカヌシ等の造化三神を置く伝承が現れた。
 古事記はその姿を反映していると見ることができる。

 神世七代については、古事記は、日本書紀の第二段の元になった伝承(3神+2神×4組)と、第三段の元になった伝承(同じく3神+2神×4組だけれども出入りがある)とを合体させたもの(2神+2神×5組)と見ることができます。
 その際、古事記ではクニノサヅチが邪魔になったので、これは除外した。

 ただ、除外したクニノサヅチは、神生みの段の所で、アメノサヅチとセットにして、オホヤマツミとノヅチとが山野に持ち別きて生んだ神の部分に登場させた。

 きれいな結論と思いますが、どうでしょうか。
 既にどなたかが同様のことを論文にしているかもしれません。
 探してみなければと思っています。

2021年7月21日 (水)

真福寺本古事記の複製を買った

 真福寺本古事記の複製を買ってしまいました。
 これまで真福寺本古事記はおうふうの影印本を使っていました。
 安価だし、鮮明だし、何の問題もありません。ありがたい出版でした。

 ところが、戦前の複製がネットオークションに1000円スタートで出品されました。
 1000円となると話は別です。早速入札しました。
 あまり値が上がるようなら撤退するつもりでしたが、結局10,508円で落札しました。
 ネットの日本の古本屋を見ると、この値段ならばまあまあかと思いました。
 1000円で落とせたら良かったんですけどね。

 箱。
Shinpukujikojiki01
 壊れていますので、木工用ボンドで修繕せねば。

 全三帖+山田孝雄による解説。
Shinpukujikojiki02

 箱に貼られた奥付。
Shinpukujikojiki03
 なんと、昭和20年6月発行です。
 もののない時代によくぞ刊行できたものと思います。
 紙も決して悪くはありません。

 冒頭部分。
Shinpukujikojiki04

 無駄にならないように、ちゃんと活用することにしましょう。

2021年7月 9日 (金)

『大美和』141号の表紙は久延彦神社参道

 昨日、『大美和』の最新号が届きました。
Omiwa141
 表紙は、大神神社の末社である久延彦神社の参道です。
 夜桜がきれいですね。
 三輪山フォトコンテスト優秀賞の作品だそうです。

 久延毘古が登場するのは古事記だけでしょうか。
 かかしの神格化ですよね。

 語源は「崩(く)え彦」ともされます。
 それが正しければ、でき立てではなくて、風雨にさらされて崩れたかかしですね。
 「足は行かねども、ことごと天の下の事を知らす神ぞ」とありますので、生まれ立てではなく、経験を積んでいないとまずいのでしょう。
 1200年以上も前からかかしがあったというのも興味深いですが、考えてみれば、鳥を追い払うために人の姿を模したものを立てるという発想は、そう難しいものではないと思います。
 当時のかかしがどんな姿をしていたのか気になります。

2021年6月20日 (日)

古事記学会2日目終了&露草開花

 古事記学会の大会2日目、無事に終了しました。
 例年だと、1日目は公開講演会かシンポジウム、夜は懇親会。2日目は研究発表が6~7本と総会ですが、今回は予定されていたシンポジウムは来年に延期、1日目、2日目ともに研究発表会で、本数は両日合わせて5本という、ゆったりしたスケジュールでした。

 今日は3人のかたの研究発表がありました。
 1本目は、日本書紀の神代紀・神武紀の「六合」について、日本書紀の編纂論から考察した発表でした。
 2本目は、江戸期における荒木田久老による風土記出版の背景を考察した発表でした。
 3本目は、古事記編者の太安万侶が日本書紀の編纂にも関わったかどうかを、古事記序文とも絡めて考察した発表でした。

 2日間に亙り充実した大会でした。

 今朝、露草(万葉集では「つきくさ」)が咲いていました。
Tsuyukusa20210620
 露草は昼頃にはもうしぼんでしまいますので、実際にはもっと前に咲いていたのを見逃していた可能性があります。
 歳をとると早寝早起きになる人が多いようですが、私は一向にそうはならず、遅寝遅起きの度が進んでいます。(^_^;

 金魚は早い時間に朝ごはんをもらったせいか、食欲があまりなかったので、控えめにしました。
 そうしたら、昼休みに目が合ったときに大騒ぎ。「さっき食べたでしょ」と言ったのですが、「もらってない」「足りない」と言い張るので、少し食べさせました。夕飯は夕飯で、また大騒ぎでしたので、いつもは1日2食なのに、今日は3食。
 朝からリモートだと、金魚は3食になります。

2020年9月23日 (水)

踊り字と改行

 先ごろ、ツイッターに「#日本語史研究上有名な用例100」というハッシュタグが立ったので、面白がって、いくつか書き込みました。
 その1つが以下のものです。

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古事記
「内者富良々々、外者須々夫々」(上・大国主)。
「ほらほら」と「すぶすぶ」とで、踊り字の使い方が異なる。
両様あったのか、あるいは一方は誤写か。
「塩許々袁々呂々迩」「我御心須々賀々斯」「登々富々斯」などを見ると、「富良々々」が誤写か。
#日本語史研究上有名な用例100
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 「塩許々袁々呂々迩」は冒頭付近の国生みの段に出てきますけど、現代だと、これでは「ここををろろ」になってしまいます。
 大国主の根堅州国訪問の部分では、現代と同じ形式の「ほらほら型」と、「こをろこをろ」と同型の「すぶすぶ型」とが連続して出てきます。
 古事記全体では「すぶすぶ型」が多いので、こちらが標準形で、「ほらほら型」は誤写の可能性が高そうですが、それにしても、連続した部分ですので、果して誤写するだろうかと不思議に思っていました。

 そうしたところ、私のツイートが蜂矢真郷先生のお目に止まり、蜂矢先生からメールを頂きました。

 「富良々々」は、真福寺本では「富良」が行末で、そこで改行されているというご教示でした。

 「何と!」です。私は真福寺本を見ていませんでした。
 万葉集だったら校本を見たと思うのですが、古事記は日頃、写本や校本をあまり見ていません。大いに反省しました。

 真福寺本では、「富々/良々」(/は改行。以下同)という改行になるのを嫌って、「富良/々々」としている、ということになります。

 現代とは逆ですね。現代では、むしろ「々」は行頭に来ないように禁則処理の対象になりそうです。
 しかし、古事記では「富々/良々」などという形で改行がなされると、「ほほらら」と訓まれる怖れが生じてしまうのでしょうか。

 大いに興味を持ちました。

 古事記では「ほらほら型」がもう1例あります。応神記の47番の歌謡の末尾の「佐夜々々」です。こちらは真福寺本では行中でした。
 とすると、こちらの例では、真福寺本の親本か、それ以前のどこかの段階で「佐夜/々々」と書かれた本があったのかもしれません。

 おもしろいです。
Horahora


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