万葉集

2019年4月18日 (木)

関係図書

 今日は日帰りで渋川の家に行ってきました。目的は5つ。

 1.大家さんに家賃を払う
 2.郵便物を取り込む
 3.縁側で冬越しさせていた鉢植えを外に出す
 4.PCデータをHDDにコピーする
 5.必要な本を東京に持って行く

 1の家賃がメインです。2はさすがにもうあまり多くは来ていませんでした。3も鉢植えは折々東京に運んでいましたので、大物は浜木綿くらいです。これはさすがに自転車と電車では運べません。4は自作ファイルのバックアップです。東京の家のパソコンにも外付けHDDを2つ繋げてデータをバックアップしていますけど、渋川の家のパソコンにも同じデータを保存しています。

 さて、最後の5番。以下の8冊を東京に持ってきました。
Hon201904a
 向かって左からの5冊は同じ目的で必要な本です。目的が何か、すぐ分かってしまいますね。(^_^)

 その隣の2冊は、万葉集のハンドブックを手もとに置いておきたかったので。

 右端は、たまたま目に入ったので開いてみたら、よく知った方々が何人も書いていらしたので、持ってきてしまいました。青木先生の古稀記念論文集です。青木先生の幅広い交流や学問的影響力、そしてたくさんの優秀な学生さん達を育てられたことが伺えます。今頃、追悼論文集の企画が立ち上がっているかもしれませんね。

 いやぁ、文庫本1冊を含むとはいえ、本8冊は重かったです。リュックにもよくこれだけ入りました。

2019年4月11日 (木)

「トンボの眼」で柿本人麻呂(1)

 今日は、「トンボの眼」の連続講座で柿本人麻呂の話をしてきました。人麻呂の第1回目として歌集歌と雑歌をよみました。来月は相聞と挽歌を予定しています。

 レジュメはこちら

 下の画像は、金井沢碑への入口付近にある柿本人麻呂の歌碑です。
Hitomarokahi
 柿本人麻呂の「やすみしし わご大君 神ながら 神さびせすと 吉野川 激つ河内に……」(巻1-38)の歌が彫られています。この歌、今日は扱わなかったのですが、他に相応しい画像が見つかりませんでした。安騎野の写真でもあればバッチリだったのですけど……。恥ずかしながら、まだ安騎野に行ったことがありません。(^_^; いつか行かねば。

2019年4月 5日 (金)

改元効果

 4月1日に新元号が発表されて、万葉集に注目が集まっていますね。本も良く売れているようですし、明日香の万葉文化館や、高岡の万葉歴史館も大盛況だとか。

 嬉しいことですけど、「熱しやすく冷めやすい」という言葉が頭をかすめます。(^_^;

 万葉歴史館は積極的ですね。この特別展示、なんと4月3日!からです。
Reiwatomanyo
 4月12日に開催される館長講座の第1回は「万葉集と新元号「令和」」だそうです。館長は坂本信幸先生ですね。

 万葉文化館は「梅花宴」をモチーフにした大亦観風の日本画、「大宰府梅花宴の歌」を所蔵しているそうで、この公開も検討しているようです。これはピッタリですね。

 当ブログも影響を受けています。日頃のアクセス数は100前後なのですが、4月1日からこんなことになっています。

  4月1日(月) 290
  4月2日(火) 439
  4月3日(水) 176
  4月4日(木) 189

 段々落ち着いてきています。(^_^) ただ、「令和」関係の記事へのアクセスが集中しているわけではなく、それを入口に、あれこれの記事をご覧くださった結果、アクセス数が伸びているようで、ありがたいことです。

 また、意外なことに、HPのアクセス数も増えています。こちらはほとんど更新していませんので、ずっと閑古鳥状態で、1日あたりのアクセス数は20を越える日はほとんどなく、1桁の日もあります。それがこのようです。

  4月1日(月) 60
  4月2日(火) 57
  4月3日(水) 42
  4月4日(木) 40

 何百何千ものアクセス数のあるサイトと比べたら、まことに微々たるものですけど、近年のわがHPの数字と比べたらすごいことです。(^_^)

 たぶん、HPにある「万葉集」のページに来てくださっているのでしょう。

 HPの表紙、イノシシの和菓子をメインに、「あけましておめでとうございます」バージョンでしたので、慌てて桜バージョンに変えました。ちょっと遅かったです。(^_^;

 家持は、陸奥国から黄金が出たことを寿ぐ宣命に大伴氏のことが取り上げられていることに大感激して歌を作っていますね。もしもお父さんの旅人が主催した梅花の宴の歌の序文から元号が制定されたと知ったらどんなに喜んだでしょう。大号泣でしょうね。ショック死しかねないほどの喜びと思います。(^_^;

2019年4月 2日 (火)

「令和」に違和感を覚えた理由

 昨日書きましたように、新元号が「令和」と発表されたとき、まず違和感を覚えました。
 その時は、「令」という文字を元号っぽくないと感じました。実際に、「令」は元号には今まで使われなかった文字のようですね。

 ということはありましたが、それだけではなさそうです。
 思うに、「令」という文字は、命令であるとか、使役であるとか、そういう意味で使われる漢字なので、それも元号っぽくないと感じた理由と思います。元号に使われた文字って、「永」「和」「長」「久」「安」などという分かり易い好字が多いです。それで、「令」に違和感を覚えたのだと思います。

 ところが、「令」って、「令夫人」「令息」のように「よい」という意味もありますね。この2語、私はまだ使ったことがないかもしれませんけど。
 現に、「令和」の典拠となった万葉集の用例も「令月」ですね。命令や使役の意味ではなく、「よい」という意味です。

 思えば、「令夫人」や「令息」を使ったことのない私も、「深窓の令嬢」をもじった「深窓の令猫」なら使っていました。
Nakanoneko07
 その時は、うまいもじりだと自己満足しただけで、「令」の意味に思いを致すことはありませんでした。

 「令」の字に「よい」という意味もあることに気づき、違和感はかなり薄らぎました。

 勉強や教養は大切です。文系の学問も大事にしなければ。←そこに行く。

2019年4月 1日 (月)

新元号は「令和」

 新元号、「令和」に決まりましたね。
Reiwa  
 まず違和感を覚えました。「和」はよく元号によく使われる文字ですが、「令」はたぶん初めてなので、それで、元号っぽくないと感じたのかもしれません。

 国書から採る可能性もあるということで、六国史、特に日本書紀と続日本紀とが念頭にありましたので、万葉集というのは意表を衝かれました。

 文系の学問や国文学が軽視される世の中で、文学や万葉集に関心を持つ人が増えてくれたら幸いです。ま、時の経過とともに、令和の典拠が万葉集だということは意識されなくなって行くと思いますが。(^_^;

 今まで、授業や講座などで梅花の宴三十二首の歌を扱うことはありましたが、大体32首のうちの何首かを選んで読む程度で、序はスルーしていました。ちゃんと読み直さねばと思います。(^_^;

 新元号の誕生を2回経験できたのは幸いでした。30年前、「平成」に決まったとき、音の響きの点では、「へーせー」というのは何か空気が漏れるような、力が抜けるような感じで、あまり良いとは思いませんでしたが、時が経つにつれて、次第に慣れてきたせいか、歳をとったせいか、段々好ましく思うようになってきました。いまは良い元号と思っています。

 一方、「令和」は音の響きの点では堅い感じがします。30年前だったら良いなと思ったかもしれませんが、歳をとった今では、ゆるい響きが好みです。(^_^)

 新元号、「れいわ」「りょうわ」両様の読みが可能なのが難ではありますね。後世、きっと分からなくなると思います。幕末の年号でも、元治って、「げんじ」か「がんじ」か迷います。

 昭和と「和」の字がかぶりますね。数百年後、「□和元年」という風に「和」の1字前が欠けた平成前後の木簡が発掘されたとき、昭和か令和か決定できないという問題が生じますけど、ま、今どきは木簡を使わないので、そういう心配はありません。(^_^)

 全く別の観点からは、「令」の字って、手書きの場合と明朝体とで形が違いますよね。書き取りの時に、活字と同じ形でないと×を付けるような不適切な指導が一部では行われているようですが、これをきっかけに、どちらでも良いのだということが普及するように願っています。

 今のところ、そういった感想です。

 万葉文化館や万葉歴史館にはマスコミからの問い合わせや感想を求めるメールや電話が殺到していることでしょうね。しばらく大変そう。

 私のところには、昔の卒業生から、「先生のことを思い出した」というメールが届きました。(^_^)

2019年3月 6日 (水)

栃木の立場が……

 部屋の片づけを地味に続けています。
 こういう本が出てきました。ムックですね。2013年4月の刊です。6年前。
Manyowotabi01
 右下に「万葉仮名の原文、現代語訳、鑑賞付き」とあります。万葉集の原文には万葉仮名だけでなく正訓字も使われていますが、どうやら、その区別をせずに、万葉集の原文のことを「万葉仮名」と呼んでいるようで、よく見かける誤りです。

 ということはあるものの、各地の万葉故地のきれいな写真がたくさん載っていて、楽しい本です。

 ただ、こんなページがありました。
Manyowotabi02
 左上の拡大です。
Manyowotabi03
 「下野国(現・茨城県)の佐野市にある山である。」とあります。下野国は茨城県ではなくて栃木県ですね。

 同じページの右下の拡大。
Manyowotabi04
 「群馬県佐野市南東部」とあります。佐野市は群馬県ではなくて栃木県ですね。

 ということで、栃木県佐野市は、同じページの中で茨城県扱いされたり、群馬県扱いされたりしているのでした。栃木の文字は全くありません。

 U字工事に言いつけてやりたい。

 いや、このページの執筆者にとって、栃木県の影が薄いのではなくて、茨城・栃木・群馬という関東3県の区別が付いていないのかも。(^_^;

 あ、この本を悪く言うつもりは全くありません。ただただブログのネタになりそうと思って載せたまでで、他意はありません。(^_^) ブログファースト。

2019年2月10日 (日)

高崎商大駅前の万葉歌碑

 上信電鉄の高崎商科大学前駅のすぐ側に万葉歌碑が2基あります。

 この歌碑は、「石碑(いしぶみ)の路」の歌碑群と一体のものです。「石碑の路」というのは、山名八幡宮の脇から山上碑を経て金井沢碑に至る道で、この道の傍らに万葉歌を刻んだ歌碑が二十数基も建てられています。これらの石碑を建てたのは、会社社長の信澤克己氏で、1970年代以降、私財を投じてこれらの石碑を建立していったそうです。

 ところが、歌碑は完成しながら、信澤氏が亡くなったことで、設置されないままに放置されていたものが数基残っていたということで、それらについては、近年、地元の高崎商科大学が順次設置して行きました。駅前の2基もそうです。

 先週の木曜日に高崎商科大学に行く用事がありましたので、その折に見て来ました。

 1基目。
Ishibumi_g
 巻4の710番歌「み空行く月の光にただ一目あひ見し人の夢にし見ゆる」が刻まれています。

 碑文の拡大。
Ishibumi_h
 「三空由九 月之比可里二 直一目 安比三四人之 由面二四三遊流」とあります。
 原文は「三空去 月之光二 直一目 相三師人之 夢西所見」ですので、若干変えてあります。書家の考えがあってのことでしょうが、個人的には、原文のままか、訓読文にした方が良いのではないかと思います。

 もう1基。
Ishibumi_i
 巻1の39番歌「山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に舟出せすかも」だそうですが、こちらは拡大しても碑文がよく読めません。

 2基とも、揮毫者は、高崎市出身の書家大澤雅休氏です。石碑の路の歌碑の中には大澤氏の揮毫したものが他に数点あります。ただ、大澤氏は昭和28年に亡くなっていますので、歌碑の年代とは合いません。これらの歌碑のために揮毫したものではなく、大澤氏の遺作を歌碑に刻んだものということになります。

2018年11月17日 (土)

青木生子先生ご逝去

 青木生子先生が11月14日に逝去されました。97歳だったそうです。今日付の複数のネット版の新聞に載っています。

 日本女子大学のHPにも昨日付でお知らせが掲載されていました。

 青木先生は長年月に亙り、上代文学研究を領導され、また日本女子大学の学長、理事長として、大学教育、大学運営にも大きな功績を残されました。

 謹んでお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げます。

 平成12年4月29日に開催された橋本達雄先生の会(退職記念の会だったと思います)の折りに挨拶される青木先生。
Aokitakako01
 今から18年前ですね。79歳でしょうか。お元気でした。

 同じ会で橋本先生と談笑される青木先生。
Aokitakako02
 『万葉ことば事典』の監修をお二人でされるなど、仲良しだったようです。この辞書の刊行は翌平成13年でした。

 デジカメがまだ発展途上の頃で、画質がいまいちなのが残念です。金屏風がバックにあると、さらに難しいです。←と、言い訳。

 この後はあまりお目に掛かる機会もありませんでしたが、何かの会でご挨拶をされたときに、「青木たかこと申します。『なまこ』ではありません」と言われたのがおかしくて、記憶に残っています。

2018年10月30日 (火)

塙書房の『萬葉集』が……

 今年の3月に「おうふうの『萬葉集』が……」という記事を載せました。

 毎年授業のテキストに使っていたおうふう版の『萬葉集』が「品切れ・重版未定」になってしまい、テキストを急遽塙版に変更したという内容です。どうも、おうふうはあの本をもう作らないようです。

 さて、後期授業が始まりましたが、テキストを持っていない学生が目に付きました。そんな折、教務からメールが来て、塙版の数が足りず、入手できない学生が17人いるとのことです。

 塙書房のHPを見たら、この本は「現在増刷中です。12月上旬出来予定です。」となっていました。
Hanawamanyo
 思うに、おうふう版がなくなってしまったことで、私のように塙版に変更した教員が何人もいたのではないでしょうか。それで、塙版が品切れになってしまったものと思います。

 思わぬところに影響が出ました。

 12月までテキストなしというわけには行きませんので、持っていない学生(全員、注文済み、増刷待ちです)には、必要箇所のコピーを配布しました。

 通常であれば、本のコピーをテキストとして使うのは違法行為でしょうが、今回の場合は、コピーを受け取った学生も、増刷出来次第、本を買うことになりますので、法の趣旨からはOKと思います。

2018年10月15日 (月)

新町で公開講座、上野国東歌

 今日は、新町公民館で公開講座をしてきました。テーマは「上野国東歌」です。→レジュメはこちら。

 連続5回なので今回が最終回です。いろいろと撮りためた写真などもありますので、プロジェクターでそれらも見て頂きました。

 それで時間が掛かったせいか、終わりませんでした。(^_^;

 もしも来年も依頼されれば、来年の第1回目は「上野国東歌2」となりそうです。
Sanohi06_2
 上の写真は佐野の舟橋の万葉歌碑です。江戸時代に建てられたもので、群馬県内の万葉歌碑としては最古級のものです。

 背後に新幹線が見えています。歌碑から新幹線が見えるのなら、新幹線からも歌碑が見えるはずだと思い、一時、新幹線からの撮影に凝っていました。今はもうしていません。(^_^) 2階建ての新幹線Maxの2階からだと良く撮れます。

 新町公民館の担当の方々には、昨年も今年も大変にお世話になりました。厚く御礼申し上げます。

より以前の記事一覧

2019年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

ウェブページ