万葉集

2017年9月16日 (土)

「トンボの眼」の万葉集講座04

 今日は池袋で講座をしてきました。

 毎月恒例の「トンボの眼」の講座です。「万葉集をよむ」の第4回目で、タイトルは「大津皇子・大伯皇女」でした。レジュメはこちら

 今回は、レジュメの他にスクリーンを使って、地図や写真も映しました。

 二上山の雄岳山頂にある大津皇子墓。
Otsuhaka01
 二上山の東南麓にある鳥谷口古墳。ひょっとするとこちらが大津皇子の墓かもしれません。
Otsuhaka02
 大津皇子の辞世の「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」(三・四一六)の歌、ひょっとしたら大津皇子の作ではないかもしれないということも話しました。

 巻二ではなく巻三に収録されているということ、「金烏西舎に臨らひ」の辞世の漢詩を残していること、自分自身の死を「雲隠りなむ」と表現するか、といったあたりが理由です。

 毎回受講生の皆さんをがっかりさせているような……。(^_^;

2017年9月 7日 (木)

シンポジウム「万葉集の中の漢籍・仏典を考える」

 9月16日(土)に万葉文化館でこのようなシンポジウムがあります。
Manyokansekibutten
 なんか面白そう。大いに心惹かれます。また、この日は例の天理の至宝展の開始日でもあります。
Kotenshiho01
 兼ねて行けば一石二鳥ですが、あいにくこの日は自分の講座(「トンボの眼」)があります。8月・9月はあまり予定がないのに、よりによってぶつかってしまいました。

 残念です。(^_^;

2017年8月26日 (土)

「トンボの眼」の万葉集講座03

 今日は池袋で講座をしてきました。

 毎月恒例の「トンボの眼」の講座です。「万葉集をよむ」の第3回目で、タイトルは「額田王」でした。レジュメはこちら

 今回は、学部時代の友人が聴きに来てくれました。定年退職の挨拶状兼暑中見舞い状に当ブログのURLを書いて置いたところ、それを見て、当ブログをご覧くださり、トンボの眼の講座のことを知って、わざわざお越しくださったのです。ありがたいことでした。

 40年振りの再会となりました。小学校時代の友人だと成長して顔が変わってしまうこともありますけど、大学時代からはそう変わりませんね。(^_^) 懐かしい再会を果たしました。

 画像が無いと寂しいので、手持ちのぐんまちゃん画像の中から、一番額田王っぽいのを貼っておきます。
Gunmac_nyokan

2017年7月31日 (月)

百重なす浜木綿

 先週の水曜日(26日)、渋川の家の浜木綿が咲きそうでした。
Hamayu_h2901
 咲くのが楽しみでしたが、その後、東京に移動してしまい、渋川の家に行ったのは中4日空いた今日になってしまいました。

 今日はこんなです。
Hamayu_h2902
 たくさん付いているつぼみ状のものの中で、周辺部のはもう咲いて萎れかけています。中心部のはこれからですね。

 全部一斉に咲けばきれいでしょうに、時間差があるのは残念です。

 浜木綿というと、市川中車(香川照之)のお母さんが思い浮かびますが、それはさておき、「み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも」(巻4-496)という万葉歌が有名です。万葉集で浜木綿をよんだ歌はこの一首だけでしたね。かたかごをよんだ歌も一首だけ。どちらも一首しかないのによく知られているのは、さすが名歌と思います。

 それで、あいかわらず、この「百重なす」が浜木綿のどの部分を指しているのか分かりません。毎年、浜木綿が咲く度に考えているのですけど……。(^_^;

 葉を上から見たところです。
Hamayu_h2903
 斜め横から。
Hamayu_h2904
 葉っぱかなぁという気がしてきました。

2017年7月29日 (土)

「トンボの眼」の万葉集講座02

 今日は池袋で講座をしてきました。

 「トンボの眼」という団体の講座です。「万葉集をよむ」という連続講座の第2回目で、タイトルは「天智・天武を中心に」でした。レジュメはこちら

 当初のタイトルは「天智天皇・天武天皇」だったのですが、先月の「有間皇子」の時に20分も早く話が終わってしまったのに懲りて、今回は、天智・天武の他に、舒明天皇と中皇命も加え、タイトルも「天智・天武を中心に」と変更しました。

 今回はちょうどよい時間に収まりました。

 画像が無いと寂しいので、天武持統合葬陵の写真を載せておきます。
Tenmuryo

2017年7月19日 (水)

『おかしいぞ!国語教科書』

 こういう本を買いました。笠間書院刊です。
Okashiizo
 去年の12月に刊行されたものですので、タイミングはちょっと遅いですけど。

 目次は以下の通りです。

 Ⅰ 今、なぜ教科書を問うのか
   国語教育の危機(多田一臣)
   古すぎる教科書の万葉観(梶川信行)

 Ⅱ 問題のありかを探る
   小・中学校教科書と万葉集(菊川恵三)
   高等学校国語における古典教育の実態と諸問題(城崎陽子)
   「手引き」から考える万葉集学習の特性(永吉寛行)
   万葉歌から何を学ばせるか(梶川信行)

 Ⅲ 高校「国語総合」の教科書、全二十三種を徹底解剖(梶川信行・野口恵子・佐藤織衣・鈴木雅裕・佐藤愛)

 Ⅳ 最新の研究で教材を読み解く
   忘却された起源―憶良の歌が定番教材となったわけ(品田悦一)
   宴席のコミュニケーション術―大伴坂上郎女の「姫百合」歌を例として(野口恵子)
   明快な「読み」のない歌―大伴家持「春愁歌」(吉村誠)
   『古事記』倭建命―読み換えられる《悲劇の英雄》(鈴木雅裕)

 Ⅴ こう教えたい『万葉集』―新たな教材の提案(梶川信行)

 現在の高等学校「国語総合」の教科書には新鮮な教材が多い中で、『万葉集』に関しては、学習指導要領が新しくなり、教科書が改訂されても、昭和の時代からほとんど変わっていない、という指摘がなされ、具体的な例も挙げられています。

 『万葉集』や『古事記』は、共通一次やセンター試験で一度も出題されたことがないそうで、これも、『万葉集』が重んじられていない理由の1つなのでしょう。

 最新の情報に基づく読み方と、古典が好きになる授業方法を提案しつつ、教材の本当の姿と面白さを伝える、研究者からの熱いメッセージです。

 古い読み方として挙がっている例の中には、ちょっとドキッとするものもありました。私も古いです。(^_^;

2017年3月11日 (土)

「万葉集 花の世界」二人展

 このような催しがあります。
Miyazawaten
 写真家の宮澤正樹氏が撮られた万葉植物の写真と、書家の菱秋香氏が揮毫された万葉歌とのコラボ展です。

 宮澤氏は、2年前に土屋文明記念文学館で開催された「歌の古代を探る」展に、万葉植物の写真をご提供くださっていました。

 会期は3月下旬ですね。行ってこようと思います。研究室の片付けが終わっているとは思えませんけど。(^_^;

2017年1月29日 (日)

富士の高嶺に

 昨日のフォーラムに出席するために、金曜日に豊橋に着き、今日帰京しました。ちょうど良い時間の「ひかり」がなかったので、往復とも「こだま」に乗りました。「こだま」に乗るの、初めてかもしれません。

 多くの停車駅で5~6分停車していました。その横を「のぞみ」や「ひかり」が追い抜いてゆきました。(^_^;

 「こだま」は停車駅が多いために時間が掛かるのかと思っていましたが、それだけではないのですね。

 でもそのお蔭で、富士山を落ち着いて撮すことができました。
Fuji20170129a
 上は新富士駅の手前で撮したものです。良いお天気でした。

 下は新富士駅を出て、しばらくして撮りました。
Fuji20170129b
 赤人の「田児の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける」(318)の歌、最初に読んだ時に、田子の浦から船で駿河湾に漕ぎ出して、海から見たら富士山がよく見えた、と理解して、いまだにその解釈に曳かれているのですが、学界の大勢は、陸路からの眺望と捉えているようですね。

 確かに、富士山の手前にある山々に邪魔されて富士山がよく見えない場所を通過して、やがて眺望の良い場所に出て富士山がくっきりと見えた、という解釈も、上の写真を見ると納得できます。

 今さらながら実地踏査の大切さを思います。

2016年11月14日 (月)

万葉翡翠

 新潟県の糸魚川市に出張された友人から頂きました。
Nunakawa01
 天津神社・奴奈川神社のお守りです。糸魚川といえば翡翠の産地ですね。姫川でしたっけ。
Nunakawa02
 姫川といえば姫川亜弓も思い出しますが、それは置いといて。(^_^;

 姫川の翡翠からは松本清張の『万葉翡翠』が思い出されます。原作は読んでいないんですけど、中学か高校の頃、テレビドラマ化されたのを見て、大いに興味を覚えました。

 万葉集の「沼名川の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾ひて 得し玉かも あたらしき 君が 老ゆらく惜しも」(巻13・3247)という歌にまつわる作品でした。この歌はその時に憶えました。今、この引用は岩波の古典文学大系本に依りましたが、当時ドラマに出てきて私が憶えた歌詞は、「得し」ではなく「得まし」でした。

 子供の頃に憶えたものはなかなか忘れません。

 当時は(今も(^_^;)文学少年ではなく、歴史少年でしたので、歌そのものよりも、その背景の謎解きに興味を覚えたのでしょう。

 その番組を見たのはいつのことだろうと思ってググってみたら、2件ヒットしました。

 ①昭和37年(1962)8月2日・3日 「万葉翡翠」 NHK
 ②昭和41年(1966)3月15日 「万葉翡翠」 関西テレビ

 ①は小学5年生の時です。夢中で見ていた「隠密剣士」や「鉄腕アトム」がまだ微妙に始まってもいない頃ですので、これではありません。

 ②は中学2年の終わり頃です。NHK大河は「源義経」、朝ドラは「おはなはん」が始まる直前です。当時を思い起こすと、まだ早い気がします。(←なぜテレビ番組が指標になるのか。(^_^;)

 もう少し後年の番組だったように思います。さらに探索してみます。

 糸魚川といえばフォッサマグナの西縁ですねぇ。それにも興味があります。

 頂いたお守りのお蔭で、懐かしい記憶も甦ってきましたし、最近興味を持っているフォッサマグナにも思いを馳せました。

 良いものをありがとうございました。

2016年10月21日 (金)

沢渡の万葉歌碑&『上毛温泉廻』

 群馬県中之条町の沢渡神社の境内に万葉歌碑があります。
Sawatari01
 石段の脇に建っているのがその歌碑で、近くに解説板があります。

 万葉歌碑。彫られているのは未勘国東歌の「左和多里の手児にい行き逢ひ赤駒が足掻きを速み言問はず来ぬ」(三五四〇)です。
Sawatari02
 解説板の文章は以下の通りです。
Sawatari03
 後半部をアップで示します。
Sawatari04
 この万葉歌には、「左和多里」という地名が読み込まれていますが、これが沢渡温泉の「沢渡」であるとは断定できず、従って、この歌も上野国の東歌かどうかは分かりません。それでも、こういった場合、多くの解説板ではその地であると決めてかかっている場合が多いのですが、この解説板には「左和多里が沢渡温泉の地であると断定できないが」とあって、好感が持てます。(^_^)

 この解説板によれば、この歌碑のことは『上毛温泉週』という文献に見えるということで、江戸時代にはすでにこの歌碑が建てられていたらしいことが分かります。ただ、年代が、後ろから3行目には「文化十一年」とあり、次行には「文政十一年」とあって、矛盾します。文化か文政のどちらかが誤りなのでしょう。

 群馬県内の万葉歌碑で年代の分かっている最古のものは佐野の舟橋の歌碑で、文政十年(1827)の建立です。
Sanohi
 沢渡の万葉歌碑の年代を考える上でも、この『上毛温泉週』という文献を是非実見したいものと思いつつも、この文献の所在が分からず、実見することは叶いませんでした。

 以上が数年前の状況です。

 ところが、最近になってこの文献が『上毛及上毛人』という雑誌の11号(大正6年7月)と12号(同8月)とに分載されていることを知りました。この雑誌は合冊製本された複製が出ていて、それは勤務先の図書館に所蔵されています。灯台もと暗しです。(^_^;
Jomoonsen01
 当該ページはこんな感じです。書名は『上毛温泉週』ではなく、『上毛温泉廻』でした。
Jomoonsen02
 当該箇所は以下の通りです。
Jomoonsen03
 歌碑の所在は「薬師のみ堂」とあります。現在の所在は沢渡神社ですので、同じものかどうか疑問は残ります。

 この文献の成立年代は、末尾に次のようにあります。
Jomoonsen04
 正解は文化ではなくて文政でした。「九月ついたちの日」というのはこの記録を書き上げた日付です。この文献の著者が沢渡で万葉歌碑を見たのは、記事によれば8月12日のことです。沢渡温泉の解説板、結構不正確でした。(^_^;

 この文献、当時の群馬県の温泉のことがいくつも載っていて興味深いです。

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