万葉集

2017年3月11日 (土)

「万葉集 花の世界」二人展

 このような催しがあります。
Miyazawaten
 写真家の宮澤正樹氏が撮られた万葉植物の写真と、書家の菱秋香氏が揮毫された万葉歌とのコラボ展です。

 宮澤氏は、2年前に土屋文明記念文学館で開催された「歌の古代を探る」展に、万葉植物の写真をご提供くださっていました。

 会期は3月下旬ですね。行ってこようと思います。研究室の片付けが終わっているとは思えませんけど。(^_^;

2017年1月29日 (日)

富士の高嶺に

 昨日のフォーラムに出席するために、金曜日に豊橋に着き、今日帰京しました。ちょうど良い時間の「ひかり」がなかったので、往復とも「こだま」に乗りました。「こだま」に乗るの、初めてかもしれません。

 多くの停車駅で5~6分停車していました。その横を「のぞみ」や「ひかり」が追い抜いてゆきました。(^_^;

 「こだま」は停車駅が多いために時間が掛かるのかと思っていましたが、それだけではないのですね。

 でもそのお蔭で、富士山を落ち着いて撮すことができました。
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 上は新富士駅の手前で撮したものです。良いお天気でした。

 下は新富士駅を出て、しばらくして撮りました。
Fuji20170129b
 赤人の「田児の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける」(318)の歌、最初に読んだ時に、田子の浦から船で駿河湾に漕ぎ出して、海から見たら富士山がよく見えた、と理解して、いまだにその解釈に曳かれているのですが、学界の大勢は、陸路からの眺望と捉えているようですね。

 確かに、富士山の手前にある山々に邪魔されて富士山がよく見えない場所を通過して、やがて眺望の良い場所に出て富士山がくっきりと見えた、という解釈も、上の写真を見ると納得できます。

 今さらながら実地踏査の大切さを思います。

2016年11月14日 (月)

万葉翡翠

 新潟県の糸魚川市に出張された友人から頂きました。
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 天津神社・奴奈川神社のお守りです。糸魚川といえば翡翠の産地ですね。姫川でしたっけ。
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 姫川といえば姫川亜弓も思い出しますが、それは置いといて。(^_^;

 姫川の翡翠からは松本清張の『万葉翡翠』が思い出されます。原作は読んでいないんですけど、中学か高校の頃、テレビドラマ化されたのを見て、大いに興味を覚えました。

 万葉集の「沼名川の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾ひて 得し玉かも あたらしき 君が 老ゆらく惜しも」(巻13・3247)という歌にまつわる作品でした。この歌はその時に憶えました。今、この引用は岩波の古典文学大系本に依りましたが、当時ドラマに出てきて私が憶えた歌詞は、「得し」ではなく「得まし」でした。

 子供の頃に憶えたものはなかなか忘れません。

 当時は(今も(^_^;)文学少年ではなく、歴史少年でしたので、歌そのものよりも、その背景の謎解きに興味を覚えたのでしょう。

 その番組を見たのはいつのことだろうと思ってググってみたら、2件ヒットしました。

 ①昭和37年(1962)8月2日・3日 「万葉翡翠」 NHK
 ②昭和41年(1966)3月15日 「万葉翡翠」 関西テレビ

 ①は小学5年生の時です。夢中で見ていた「隠密剣士」や「鉄腕アトム」がまだ微妙に始まってもいない頃ですので、これではありません。

 ②は中学2年の終わり頃です。NHK大河は「源義経」、朝ドラは「おはなはん」が始まる直前です。当時を思い起こすと、まだ早い気がします。(←なぜテレビ番組が指標になるのか。(^_^;)

 もう少し後年の番組だったように思います。さらに探索してみます。

 糸魚川といえばフォッサマグナの西縁ですねぇ。それにも興味があります。

 頂いたお守りのお蔭で、懐かしい記憶も甦ってきましたし、最近興味を持っているフォッサマグナにも思いを馳せました。

 良いものをありがとうございました。

2016年10月21日 (金)

沢渡の万葉歌碑&『上毛温泉廻』

 群馬県中之条町の沢渡神社の境内に万葉歌碑があります。
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 石段の脇に建っているのがその歌碑で、近くに解説板があります。

 万葉歌碑。彫られているのは未勘国東歌の「左和多里の手児にい行き逢ひ赤駒が足掻きを速み言問はず来ぬ」(三五四〇)です。
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 解説板の文章は以下の通りです。
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 後半部をアップで示します。
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 この万葉歌には、「左和多里」という地名が読み込まれていますが、これが沢渡温泉の「沢渡」であるとは断定できず、従って、この歌も上野国の東歌かどうかは分かりません。それでも、こういった場合、多くの解説板ではその地であると決めてかかっている場合が多いのですが、この解説板には「左和多里が沢渡温泉の地であると断定できないが」とあって、好感が持てます。(^_^)

 この解説板によれば、この歌碑のことは『上毛温泉週』という文献に見えるということで、江戸時代にはすでにこの歌碑が建てられていたらしいことが分かります。ただ、年代が、後ろから3行目には「文化十一年」とあり、次行には「文政十一年」とあって、矛盾します。文化か文政のどちらかが誤りなのでしょう。

 群馬県内の万葉歌碑で年代の分かっている最古のものは佐野の舟橋の歌碑で、文政十年(1827)の建立です。
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 沢渡の万葉歌碑の年代を考える上でも、この『上毛温泉週』という文献を是非実見したいものと思いつつも、この文献の所在が分からず、実見することは叶いませんでした。

 以上が数年前の状況です。

 ところが、最近になってこの文献が『上毛及上毛人』という雑誌の11号(大正6年7月)と12号(同8月)とに分載されていることを知りました。この雑誌は合冊製本された複製が出ていて、それは勤務先の図書館に所蔵されています。灯台もと暗しです。(^_^;
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 当該ページはこんな感じです。書名は『上毛温泉週』ではなく、『上毛温泉廻』でした。
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 当該箇所は以下の通りです。
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 歌碑の所在は「薬師のみ堂」とあります。現在の所在は沢渡神社ですので、同じものかどうか疑問は残ります。

 この文献の成立年代は、末尾に次のようにあります。
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 正解は文化ではなくて文政でした。「九月ついたちの日」というのはこの記録を書き上げた日付です。この文献の著者が沢渡で万葉歌碑を見たのは、記事によれば8月12日のことです。沢渡温泉の解説板、結構不正確でした。(^_^;

 この文献、当時の群馬県の温泉のことがいくつも載っていて興味深いです。

2016年9月12日 (月)

公開講座2016

 今日は勤務先で公開講座をしてきました。
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 テーマは「万葉集あれこれ」です。なんというゆるゆるなタイトル。(^_^;→レジュメはこちら

 講演概要は以下の通りです。

>壬申の乱に勝利をおさめ、強力な中央集権国家を作った天皇として知られる天武天皇が、その一方で万葉集にはユーモラスな歌も残しています。
>万葉集を通して、歴史上の人物の意外な一面を知ることができるというのも万葉集の持つ大きな魅力といえましょう。
>また4500首もの歌を収録している万葉集には、あまり有名でなくても魅力的な歌がたくさん隠れています。この講座では、そういった万葉集の魅力をご紹介します。

 楽屋話をしますと、今年度の公開講座、国文学科からは3人が出演(?)します。たまたま3人とも古典文学ですので、何か共通テーマで話をしたらどうかということになりました。

 すると、中世和歌の石川先生が、足利尊氏は和歌にも関心が深かったので、そんな意外な事柄を取り上げたいと発言しました。それを聞いて頭に浮かんだのが天武天皇です。天武天皇には「よき人のよしとよく見て」の歌や、「わが里に大雪降れり」の贈答歌があります。これらの歌を通して、日本書紀からは知り得ない天武天皇の別の側面を伺い知ることができます。

 そんなわけで、「やりましょう!」ということになり、「日本文学再発見シリーズ」という共通テーマが決まりました。

 それはよかったのですが、天武天皇の歌だけでは90分とてももちません。(^_^; あと2人くらい歌人が欲しいところです。でも結局見つからず、上に引用した講演概要の後半のように、私が独断と偏見で選んだ、あまり知られざる万葉名歌についても触れることにしました。木に竹を接ぐような内容ではありますけど、「日本文学再発見」という共通テーマにはまあ乗っかるかなと。

 知られざる万葉歌とはいっても、まほろぐにお越しの皆さんには馴染みの歌ばかりかもしれません。

 天武天皇の歌があまり少なくてもと思い、「あかねさす」の歌もとり上げました。この歌、深刻な三角関係の歌ではないらしいことは段々浸透してきていると思います。

 額田王の歌に応えた人物が袖を振った「君」に代入される。いったい誰が歌を返すのかと見守っていたら、何のことはない夫である大海人皇子が歌を返した、という伊藤博さんの解釈に心惹かれます。そりゃぁ宴席は確かに盛り上がったでしょうね。

 そういう大海人の姿は、ひょっとしたら「よき人のよしとよく見て」の歌や、「わが里に大雪降れり」の歌と重なりはすまいかと今回初めて気付きました。すでにどなたかおっしゃっているかもしれませんけど。

2016年9月 3日 (土)

万葉歌留多

 ネットオークションに、万葉文化館の「万葉歌留多」が出品されていましたので、落札しました。500円。(^_^)
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 中に入っていた解説書によれば、このかるたは、万葉文化館が所蔵する万葉創作日本画154点(当時)の中から50首を選んで作成したものだそうです。

 絵が大きな意味を持っていますので、大判です。通常のかるたの倍くらいの大きさがあります。
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 もう4枚。
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 旅人の絵は感じがよく出ているように思います。しかし旅人、なかなかおしゃれな酒器を使っていますね。(^_^)

 このかるたの存在は以前から知っていましたけど、持っていませんでした。値段が高かったからかと思い、万葉文化館のHPを見てみましたら、2940円でした。そうむやみに高くはありません。

 わが勤務先は群馬県立、万葉文化館も奈良県立です。県立同士のよしみもありますし、万葉文化館には知り合いもいます(し、またいました)ので、この金額ならば万葉文化館から買えば良かったかなぁ、などと思っています。(^_^;

 今度行った時に、ミュージアムショップで何か買うことにします。ミュージアムショップは楽しいです。(^_^)

2016年8月30日 (火)

吉右衛門の有間皇子

 大昔、「怒濤日本史」というテレビドラマを見ていました。日本史上の大きな事件等を1話完結方式でドラマ化したものです。回数はワンクールほどだったと思います。

 出演者は、新劇の芥川比呂志、岸田今日子、小池朝雄、内田朝雄、山崎努、日下武史といった個性的な面々です。毎回完結ですので、これらの俳優が違った役で繰り返し出演していました。

 そんな中で、有間皇子の回が印象に残っていました。有間皇子を演じたのは中村吉右衛門です。狂人のふりをする演技など、すごいなぁと、子供心に思ったものでした。蘇我赤兄は小池朝雄。いかにもくせ者でした。(^_^) ググってみたら、昭和41年、毎日放送の制作でした。関東ではネットは多分NET(テレビ朝日)だったと思います。吉右衛門は22歳です。

 この映像があれば見たいものと思っていましたが、もう存在しないかもしれませんね。

 映像ではないのですが、ネットオークションで「有間皇子」という舞台中継の台本を見つけました。作・演出は福田恆存です。「怒濤日本史」の「有間皇子」も確か福田恆存だったと思います。同じ台本ではないかと思い、入手しました。
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 制作はフジテレビなのでしょうかね。舞台中継をテレビで放送したもののようです。

 配役は以下の通りです。
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 有間皇子は中村万之助とあります。ググってみましたら、吉右衛門の前名でした。お父さんの幸四郎が蘇我赤兄を演じています。真田のおばばさまが額田王です。(^_^)

 さてこの台本、いつのものか書いてありませんでしたが、手がかりがありました。
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 「VTR 9/20(水)」とあります。万之助が吉右衛門を襲名したのは昭和41年だそうですので、昭和41年以前で、9月20日が水曜日であった年。調べてみたら、昭和36年が該当しました。「怒濤日本史」の5年前ですね。万之助17歳です。

 映像が残っているなら、これも見てみたいものです。

 有間皇子の義母(といっていいのか)である間人皇后と有間皇子とのやり取りがありました。
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2016年6月13日 (月)

前橋の厳島神社(人丸神社)

 前橋に人丸神社があり、その境内に万葉歌碑があると聞きましたので、先週の金曜日、仕事で前橋に行ったついでに早速寄ってきました。場所は前橋市役所の南に位置する紅雲町です。

 鳥居と社殿です。狛犬も写っていますが、裏にまわってみたところ、年紀が入っていて、昭和41年のものでした。
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 解説板です。
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 この神社の祭神市杵島比売命は宗像三女神の一であることから、海の神、航海の神と思っていましたので、その神を祀る神社が海なし県の群馬にあることを不思議に思いました。海に限らず、水の神と考えれば良いのでしょうかね。

 解説板の続きです。
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 ここには境内にある万葉歌碑のことが書かれています。

 その歌碑の写真です。
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 神社の解説によれば、この歌碑のことは天保12年(1841年)の『赤城登山記』に見えるそうです。『赤城登山記』にどう書いてあるのか確認しようとしましたが、この文献のことは日本古典籍総合目録データベースで検索できませんでした。

 群馬県内の万葉歌碑としては、佐野の舟橋の碑が文政10年(1827年)の建碑、沢渡神社の万葉歌碑が文政11年(1828年)以前の建碑ということで、この2基が古いのですが、厳島神社の歌碑もそれらと並ぶ古さがあるかもしれません。

 さて、この歌碑に刻まれている万葉歌ですが、この歌は万葉集に見えません。ただ、初句のみが異なる歌ならば「青山の石垣沼(いはかきぬま)の水隠(みこも)りに恋ひや渡らむ逢ふよしをなみ」(巻11・2707)というのがあります。作者不明歌です。

 歌碑では、初句が「おくやまの」となっています。
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 『校本万葉集』では原文「青山之」に異同はなく、異訓もありません。江戸時代の流布本というべき寛永版本も略解も同様です。

 「はて?」と思いましたが、『国歌大観』を検索したら、歌碑と同じ歌が拾遺集(巻11・661番)に人まろ作として収められていました。本来は万葉集に収められていた歌が、初句の「あおやまの」が「おくやまの」と変わって拾遺集に再撰されたということでしょう。

 とすれば、厳島神社にある歌碑は万葉歌碑ではなく、拾遺歌碑と言うべきものとなりましょう。

 この神社は「人丸さま」とも呼ばれているということですが、境内の流しにあったバケツには「人丸神社」と書いてありました。地元ではこの呼び名の方が通りが良いのかもしれませんね。
Itsukushima04
 神社の解説板の2枚目に、この歌碑に見える「岩垣沼」は赤城の大沼だともいわれているとありますが、どうしてこういう何の根拠もないことを書くのか。

 この歌のどこからそう読めるのか、人麻呂は(万葉集では作者不明ですが)赤城の大沼を知っていたのか、万葉集の巻11・12には畿内近国の恋の歌が収められているとされているが、それに異を唱えるだけの根拠があるのか。

 地元びいきというか、身びいきというか、そうであったらいいなという願望で書いてはいけません。

 「ともいわれ」という書き方は、なんとも無責任です。

2016年5月 3日 (火)

和装本『校本萬葉集』

 ネットオークションに、大正13年刊行の和装本の『校本萬葉集』が出ていました。
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 出品価格は100円です。出品者からの、「ボロけた古本です。まだ使えそうです。」というコメントが付いていました。
Kohonmannyo02
 「ボロけた古本」という言いぐさはあんまりですね。『校本萬葉集』のこと、何も知らないのでしょうね。

 買っても場所塞ぎですが、100円なので、入札しました。そうしたら、徐々に値が上がって行きました。いくらまでなら追随するか迷います。

 和装本の内容自体は、後に刊行された洋装本に完全に取り込まれていますので、洋装本を持っていれば、和装本を所持する意味はないといっても良いでしょう。

 「さて、どうしたもんじゃろのお」と迷っているうちに、7450円で他の人に落札されてしまいました。

 これで良かったのかどうか。(^_^;

2016年4月29日 (金)

略解を買った

 『万葉集略解』を入手しました。入手先はまたネットオークションです。全30冊揃えで1万7000円で落札できました。
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 入手はしたものの、果して使うかどうか。(^_^;

 使わないかもしれないものをなぜ買ったのかというと、たまたま見かけたのと、安かったので。(^_^;

 こんな理由で物を買っているから、お金も貯まらないし、家も片付かないのですね。(^_^;

 ネットの「日本の古本屋」で探すと『万葉集略解』の江戸時代の版本は3万円~6万円でした。3万円を超えるようなら撤退しようと思っていましたが、幸いそこまで行かずに落とせました。(^_^)

 巻末に、嘉永二年(1849)の晩冬に閲覧した旨の「緑埜 藤原忠順」という朱書があります。
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 上野国の郡名に「緑埜(緑野)」があります。また、「忠順」という名で思い浮かぶのは小栗上野介忠順です。ひょっとしてと思いましたが、小栗上野介の知行地があった権田村は緑野郡ではなく群馬郡です。どうもダメそうです。忠順違いなのでしょう。残念。(^_^;

 これに続くページには出版広告があります。
Ryakuge03
 さらにその続きと、刊記。
Ryakuge04
 宣長の著作がずらりと並んでいて、壮観です。

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