万葉集

2019年8月13日 (火)

代表的な万葉歌(3)

 今日は、昨日の続きのような内容ですが。(^_^;
Ueno_hajimete  
 上野先生の本に採られた歌を加えたことで、私の「代表的な万葉歌」の順位が変わりました。30位以内は以下の通りです。

 01.田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける(3・318)山部赤人
○02.銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも(5・803)山上憶良
 03.天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 布士の高嶺を ~(3・317)山部赤人
 04.瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものそ ~(5・802)山上憶良
○05.石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも(8・1418)志貴皇子
 06.東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(1・48)柿本人麻呂
 07.我が宿のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも(19・4291)大伴家持
 08.うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独し思へば(19・4292)大伴家持
 09.近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ(3・266)柿本人麻呂
 10.あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(1・20)額田王
○11.憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむぞ(3・337)山上憶良
○12.熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(1・8)額田王
 13.若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る(6・919)山部赤人
 14.多摩川に曝す手作さらさらに何そこの児のここだ愛しき(14・3373)東歌(武蔵)
 15.ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く(6・925)山部赤人
 16.楽浪の志賀の辛崎幸くあれど大宮人の舟待ちかねつ(1・30)柿本人麻呂
 17.紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも(1・21)天武天皇
 18.春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鴬鳴くも(19・4292)大伴家持
 19.み吉野の象山の際の木末にはここだも騒く鳥の声かも(6・924)山部赤人
○20.あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり(3・328)小野老
 21.玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生れましし 神のことごと ~(1・29)柿本人麻呂
 22.笹の葉はみ山もさやにさやげども我れは妹思ふ別れ来ぬれば(2・133)柿本人麻呂
○23.春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山(1・28)持統天皇
 24.春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子(19・4139)大伴家持
 25.わたつみの豊旗雲に入り日差し今夜の月夜清く照りこそ(1・15)天智天皇
○26.験なきものを思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし(3・338)大伴旅人
 27.家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る(2・142)有間皇子
 28.春の野にすみれ採みにと来しわれそ野をなつかしみ一夜寝にける(8・1424)山部赤人
 29.士やも空しくあるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして(6・978)山上憶良
 30.我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我れ立ち濡れし(2・105)大伯皇女

 ○を付けた歌が上野先生の本に採られた歌で、いずれも前回よりも順位が上がっています。
 僅差で歌が並んでいますので、新しい材料が加わると、すぐに順位が変動します。

 このうち、23位「春過ぎて」と26位「験なき」の歌は、前回は31位以下でした。
 この2首が30位以内に入ったことで、割を食って31位以下に落ちてしまったのは次の2首です。

  吉野なる菜摘の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山蔭にして(3・375)湯原王
  楽浪の志賀の大わだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも(1・31)柿本人麻呂

 どちらも良い歌とは思いますが、「春過ぎて」「験なき」との入れ替えならば、やむを得ないかと思います。

 材料を増やすことで、より妥当な「代表的な万葉歌」を目指したく思います。

 順位が下の方の歌を、キリの良いところで拾ってみると、たとえば次のようになります。

  50位 一つ松幾代か経ぬる吹く風の声の清きは年深みかも(市原王)
  60位 わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず(若倭部身麻呂/遠江防人)
  70位 白玉は人に知らえず知らずともよし 知らずとも我し知れらば知らずともよし(元興寺の僧)
  80位 信濃なる筑摩の川の細石も君し踏みてば玉と拾はむ(信濃国東歌)
  90位 唐衣裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母なしにして(他田舎人大島/信濃防人)

 万葉集って、一体どれだけ名歌が多いのかとつくづく思います。

2019年8月12日 (月)

『はじめて楽しむ万葉集』(上野誠)のデータを追加

 私の「代表的な万葉歌」を充実させるためのデータ収集、鋭意継続中です。

 この度、上野誠氏の『はじめて楽しむ万葉集』(角川ソフィア文庫)の歌を追加しました。
Ueno_hajimete
 この本に収録されている歌は84首。これまで「代表的な万葉歌」作成のために使用した文献の中で収録歌数は最少です。

 そのわずか84首の中で、これまで「代表的な万葉歌」の資料として用いてきた『万葉秀歌(茂吉)』(364首)、『万葉百歌(山本・池田)』(109首)、『万葉集講義(五味)』(418首)、『万葉の秀歌(中西)』(252首)、『私の万葉集(大岡)』(811首)、『日めくり万葉集(NHK)』(のべ480首)などなどのいずれにも採られていない歌が17首もありました。以下の通りです。

 ・君により言の繁きを故郷の明日香の川にみそぎしに行く(4・626)八代女王
 ・世間も常にしあらねばやどにある桜の花の散れるころかも(8・1459)久米女郎
 ・夕されば小倉の山に伏す鹿の今夜は鳴かず寐ねにけらしも(9・1664)雄略天皇
 ・石上布留の早稲田の穂には出でず心のうちに恋ふるこのころ(9・1768)抜気大首
 ・我が背子に我が恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛りなり(10・1903)作者不明
 ・黙もあらむ時も鳴かなむひぐらしの物思ふ時に鳴きつつもとな(10・1964)作者不明
 ・人言は夏野の草の繁くとも妹と我れとし携はり寝ば(10・1983)作者不明
 ・遠妻と手枕交へてさ寝る夜は鶏はな鳴きそ明けば明けぬとも(10・2021)柿本人麻呂歌集
 ・我が宿に植ゑ生ほしたる秋萩を誰れか標刺す我れに知らえず(10・2114)作者不明
 ・物思ふと隠らひ居りて今日見れば春日の山は色づきにけり(10・2199)作者不明
 ・よしゑやし恋ひじとすれど秋風の寒く吹く夜は君をしぞ思ふ(10・2301)作者不明
 ・我が背子が言うるはしみ出でて行かば裳引きしるけむ雪な降りそね(10・2343)作者不明
 ・日並べば人知りぬべし今日の日は千年のごともありこせぬかも(11・2387)柿本人麻呂歌集
 ・ひとり寝と薦朽ちめやも綾席緒になるまでに君をし待たむ(11・2538)作者不明
 ・色に出でて恋ひば人見て知りぬべし心のうちの隠り妻はも(11・2566)作者不明
 ・笠なしと人には言ひて雨障み留まりし君が姿し思ほゆ(11・2684)作者不明
 ・かにかくに物は思はじ朝露の我が身ひとつは君がまにまに(11・2691)作者不明

 上野先生、知られざる名歌を意欲的に収集なさっていますね。作者不明歌が目立ちます。
 これらの歌、じっくり読んで、参考にさせて頂きます。

 こういった著書の選歌に当たって、落とせない著名な歌がある一方で、著者としては、知られざる名歌をどれくらい拾い上げられるかというのも大きなポイントでしょうね。

 そういった歌に新たに光が当たるのはすばらしいことと思います。

2019年8月 3日 (土)

「英雄たちの選択」に万葉集

 7月31日(水)にBSプレミアムで放送された「英雄たちの選択」は2時間スペシャルで、タイトルは「そして万葉集が生まれた~大伴家持が残した日本人の心」でした。長いので、リアルタイムでは見ずに、2日後の昨夜、録っていたビデオを見ました。
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 出演は、上の画像で向かって左から、澤田瞳子(小説家)、いとうせいこう(作家)、司会の杉浦友紀、磯田道史、里中満智子(漫画家)、馬場基(歴史家)の諸氏で、会場は平城宮跡の東院庭園です。

 他に、ビデオで上野誠、木本好信、新谷秀夫、中西進、鉄野昌弘の諸氏(登場順)のコメントがありました。

 番組の初めの方で、大宰府や梅花の宴の解説があり、その宴の当時はまだ13歳くらいだった大伴家持の生涯を辿り、万葉集の成立を絡めるという内容でした。

 「英雄たちの選択」という番組名に対応する出来事としては、橘奈良麻呂の変の際に、家持が変には加担せずに静観したことが万葉集の成立に繋がった(加担していたら万葉集は成立しなかったかも)ことが取り上げられていました。

 里中満智子氏の万葉仮名に関する発言が「え?」でしたが、全体としては、分かり易く、納得できる内容で面白かったです。東院庭園の池の岸が、建造当初は大陸風に直線だったのが、徐々にデコボコに変えられていったという馬場氏のお話は興味深かったです。

 この番組、通常は翌週の水曜日朝に再放送をしているようなのですが、あいにく今回はスペシャルで時間が長いせいか、来週の水曜日は別の回の再放送です。

 いずれ再放送があると思いますので、興味のある方は、その折にでも是非。

2019年7月31日 (水)

『現代思想』8月臨時増刊号が万葉集特集

 フェイスブックかツイッターで、『現代思想』8月臨時増刊号が万葉集特集と知り、早速注文しました。
 昨日、帰宅したら届いていました。
Gendaishicho201908
 表紙には上代を専門とされない方々のお名前もありますが、全278ページ、丸ごと万葉集でした。

 目次は以下の通りです。

討議1
 上野誠×田中康二×村田右富実
   万葉集はいまどこにあるか-研究の未来と未来の読者-

討議2
 川野里子×小島ゆかり×水原紫苑
   万葉逍遥-歌人たちとよむ万葉世界-

万葉集の読み方
 多田一臣 『万葉集』の言葉の世界-時空意識を中心に
 久保田淳 中世和歌と万葉集-藤原定家の三首を中心に
 古橋信孝 「ほんとう」の万葉集-学者の役割
 高桑枝実子 万葉挽歌の世界-人々はどのように死と向き合い、死者に思いをはせたのか
 西 一夫 山上憶良は生老病死をどのように歌ったか-老・病・死と子
 新沢典子 人麻呂と赤人

万葉集の/とことば
 藤井貞和 万葉文化と万葉表記
 兵藤裕己 恋歌のポストモダン-『万葉集』から『源氏物語』へ
 金 文京 中国文学から見た『万葉集』
 鈴木 喬 『万葉集』にみる文字表現-漢字の「飼い慣らし」と「仮名」との隔たり
 リンジー・モリソン 万葉集における「ふるさと」-都の面影、万葉びとの原風景

万葉集読解史
 小松靖彦 ことばの宇宙-中世の萬葉学者仙覚の《インド》へのまなざし
 田中康二 本居宣長の『冠辞考』体験
 鈴木健一 和歌史の中の『万葉集』

万葉集の可能性
 三浦佑之 万葉集にみる古事記的世界
 原田信男 『万葉集』にみる食
 五味文彦 実朝と『万葉集』
 真下 厚 『万葉集』のなかのシャーマニズム
 大石泰夫 民俗学からみた『万葉集』-新嘗祭と『万葉集』

深読み万葉集
 大塚ひかり 『万葉集』の雑多なにおい
 山田仁史 神話と万葉集-月・若水・脱皮
 福嶋亮大 「我と汝」の変容-万葉の抒情について
 倉持長子 能と『万葉集』
 千野裕子 王朝の女房たちと万葉集

 内容は多岐に亘り、充実しています。
 じっくりと読もうと思います。

2019年7月13日 (土)

ぐんま男女共同参画センターで講演

 今日は、ぐんま男女共同参画センターで講演をしてきました。
 新元号「令和」記念セミナー「『万葉集』をよむ~「令和」を入口に~」です。
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 ぐんま男女共同参画センターは群馬県庁の部局です。
 群馬県のHPにもこの募集が載っていて、そこには、「性別や身分にかかわらず収められた『万葉集』は、男女共同参画の先駆けとも言えます。」とありました。
 なるほどです。(^_^)

 私の話の内容は、令和について半分、残りの時間では、男女共同参画に関わる事柄として、万葉集に見る女性の役割といった話をしました。
 具体的には、大伴旅人の妹である坂上郎女の家刀自としての働き、それから、万葉集における「母」について述べました。レジュメはこちら

 50名の募集でしたが、令和絡みの万葉集人気で100人まで受け入れたものの、まだたくさんの申込を断ったそうです。会場の広さの関係でやむを得ないことと思います。

 申込者が多いということは聞いていましたので、私の体調不良や鉄道のトラブルなどで行けないことを怖れましたが、幸いにして無事に終えることができました。ほっとしています。

 話を5分ほど残して終わり、質問を受けました。熱心な方がいて、同じ人から4つくらい質問を受けました。
 その1つに、前橋市の紅雲町に人麻呂神社があり、その境内に万葉歌碑があるが、その歌が万葉集に見あたらない。これはどういうことか、というのがありました。
 こういう講演では、その日の講演内容と全く関係ない質問を受けることがあります。(^_^;
 これもそうですし、いきなりこんな質問をされても答えられないのが普通です。

 でも、答えてしまいました。
 その歌碑は、神社の解説板によれば万葉歌碑とありますが、刻まれている歌は万葉歌ではなく、拾遺集に載っている歌です。神社の解説板は間違っています、と。
 この神社には3年前に行ったことがあり、その時にあれこれ調べてそのことが分かりました。ブログにも載せました。

 今日の講演が3年以上前ならば、私はその神社のことも歌碑のことも知らず、何も答えられなかったところでした。
 年の功ってありますね。(^_^)

 みなさん、とても熱心に聴いてくださって、やりやすかったです。

2019年7月12日 (金)

梅花の宴の門氏石足の歌

 先日、「梅花の宴の山上憶良の歌」と題して、818番歌をとりあげました。
 梅花の宴の歌の中に分かりにくい歌はあまりないのですが、もう1首、845番歌に少し難しい点があります。

 ○鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため 筑前掾門氏石足

という作です。

 口語訳は以下のようになりましょう。

 ○鴬が待ちかねていた梅の花よ、散らずにいてくれ。いとしく思う子のために

 「思ふ子」というのは、私(作者)が愛しく思う子、と解するのが普通と思います。私が大好きな彼女にも見せたいから、散らずにいてほしい、という意味になります。
 その場合、「鴬の待ちかてにせし」は「梅が花」を修飾しているわけで、彼女に見せたいという思いには直接は関わりません。

 一方、「思ふ子」というのを、梅の花を愛しく思う鶯、ととる説があります。
 そうとれば、「鴬の待ちかてにせし」に「梅が花」を愛しく思う鶯の気持ちが表現されていることになり、ここがちゃんと意味を持ってきます。

 この後者の説は、古くは代匠記に一説として示されているそうです(澤瀉注釈にそうありましたが、未確認です。(^^;)。
 最近の注釈にもこの説を採るものは少なからずあります。

 どうなんでしょう。ユニークな発想の歌になると思いますが。

 相聞で「子」は男性が女性に対して使いますので、この場合は、梅が男、鶯が女ということになりましょう。
 鳥の名には、ツバメ、スズメ、カモメなどのようにメ(女)が末尾に来るものがありますので、鶯を女性とみなすことは不自然ではないように思います。

 ただ、相聞に使われている「子」は、作者である男が、恋愛対象である女に使いますから、この歌のように、第三者たる作者が鶯に対して「子」と言うかなぁ、という疑問はあります。

 まだ考察途中です。
Kanbarahakubai_20190712172901

(追記)
 「子」を恋人と考えましたが、鶯を「小さい生き物」の意で「子」と言った可能性はないかなぁと思いつきました。
 私も、金魚にゴハンをやるときに、「あ、子供たちにゴハンをやらねば」とつぶやきます。

 どうでしょねぇ。わざわざ追記しつつも、違うなぁ、という気がしています。(^^;

2019年7月 8日 (月)

梅花の宴の山上憶良の歌

 梅花の宴の歌の4首目、山上憶良の歌をかねて不思議に思っていました。

 ○春さればまづ咲く宿の梅の花独り見つつや春日暮さむ 筑前守山上大夫(818)

 意味は、「春になると先ず咲く庭の梅の花を一人見ながら春の日を暮らすことであろうか」ということでしょう。

 皆で集まって、梅の花を愛でながら、楽しいひとときを過ごそうという宴席の歌としてはふさわしくないように思います。
 孤独感があふれていますよね。みんなでいるのに「独り見つつや」というのが不審です。

 憶良はこの宴席に参加しておらず、自宅からこの歌を届けたのだろうというのも考えにくいです。参加していなかったのなら、あとから追和という形で参加することになりましょうから、書面で参加というのはどうも。

 前年に妻を亡くした旅人の立場でよんだという説もあるようですけど、それも、旅人の妻の法要の席などでならばともかく、梅花の宴でよむ歌として相応しいとは思えません。

 そんな中で、この歌を恋歌とする説があるようですね。相変わらず不勉強で、その説を最初に提唱されたのがどなたなのか調べていないのですが、納得できます。伊藤博氏は恋歌の発想とされています。

 万葉集で「ひとり」という語は、恋人や配偶者が側にいない状態について用いられることが多いので、いかにもありそうです。
 こんなにすばらしい梅の花を彼女と一緒に見ることができたら、もっともっと嬉しいのに、ということであれば、旅人邸の梅の美しさを褒めることになりますし、それまでの歌の流れを意外な方向に転換させる「起承転結」の「転」にもなっていますしね。

 次の歌は以下の通りです。

 ○世の中は恋繁しゑや斯くしあらば梅の花にも成らましものを 豊後守大伴大夫(819)

 意味は、「世の中には恋の苦しみが尽きない。こんなことならいっそ梅の花になりたいものだ」ということでしょう。

 大伴大夫は、憶良の歌を恋歌とみて、それを受けてこういう歌をよんだのでしょう。憶良の歌を恋歌と考える上で傍証になりそうです。

 自分のオリジナルの考えでもないのに、縷々述べてしまいました。「なるほど」と思ったもので。
Kanbarahakubai  

2019年7月 5日 (金)

昭和22年の「畝傍山」・ゆききの岡

 去年の秋、幻の地名「ゆききの岡」の探究にハマっていました。
 実地踏査もした結果、現在の万葉文化館の西の岡(飛鳥寺の瓦窯の岡)がそれであろうとの結論に達しました。
 論文にも書いてしまいました。

 最近、昭和22年発行の2万5000分の1地形図「畝傍山」を入手しました。
S22unebi01
 発行は昭和22年8月ですが、大正11年測図、昭和4年鉄道補入という経緯を経ています。地形自体は大正11年当時とほとんど変わっていないでしょう。「著作権所有印刷兼発行者」は「地理調査所」とあります。まだ国土地理院ではありません。

 この地図の範囲に飛鳥寺のあたりも含まれます。
S22unebi02
 「安居院」という文字が赤線で囲んであります。これが飛鳥寺ですね。
 安居院の右下(南東)に池があります。今は亡き飛鳥池で、現在はここに万葉文化館が建っています。
 池の西から南に掛けて、岡になっています。岡にいくつか地図記号が描かれています。

 地図記号の一覧もあります。
S22unebi03
 これと突き合わせると、岡にあるのは濶葉樹林(今の広葉樹林、照葉樹林でしょうか)と竹林のようです。

 古い地図は楽しいです。(^_^)

2019年7月 4日 (木)

『短歌研究』に品田氏の講演

 一昨日、当ブログに「『短歌研究』に中西先生の講演」という記事を載せました。
Tankakenkyu201907
 この雑誌の中西氏の文章を読み終わって、ページを繰っていたら、「令和」や「帰田賦」という語が目に飛びこんできました。
 「はて? どなたが?」と思って、ページを戻すと品田悦一氏の文章でした。
 「よくわかる「特別講座」! 「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ(解説篇)」というタイトルです。
 令和元年5月2日に朝日カルチャーセンター新宿で開かれた特別講座に加筆・訂正したものとのことです。

 同じ雑誌に中西氏と品田氏の文章が載っているとは、『短歌研究』はなかなか公平です。(^_^)

 品田氏の文章の趣旨は、神亀から天平にかけての政治情勢(藤原氏、長屋王、光明子をめぐる)の詳細な解説です。

 そして、梅花の歌の序には、「権力を笠に着た者どもの横車ばかりが都大路を我が物顔に押し通るとは、ほんに世の堕落も極まった。されどわれらは、互いに君子として心を通わせていたいもの。そうは思わぬか、おのおのがた」という大伴旅人のメッセージが込められている、とされます。

 だから「令和」という年号は……とか、「令和」という年号には……という発言はありません。その点で無理のない論述になっていると思います。
 梅花宴序に品田氏の言われるようなメッセージが込められているのかどうか、賛否はにわかには判断しかねますが、政治的背景はよく理解できました。

2019年7月 2日 (火)

『短歌研究』に中西先生の講演

 『短歌研究』の最新号に中西進氏の講演「万葉集とその未来」が掲載されています。
Tankakenkyu201907
 令和元年5月4日に富山国際会議場で開催された講演を収録したものです。
 改元早々ですね。

 中西先生の講演がこの雑誌に収録されていることはネットで知りました。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65433

 ここで内容の一部が読めます。
 そんなことをしたら雑誌の売れ行きが落ちてしまうのではないかという気もしますが、私のように、これを読んで全文を読みたくなった人もいるでしょうから、むしろ売り上げ増につながっているかもしれません。

 『短歌研究』は初めて買いました。
 

より以前の記事一覧

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