おくやみ

2019年5月30日 (木)

晴南さんのお通夜に行ってきました

 「トンボの眼」の講座が終わって帰宅した後、晴南さんのお通夜に向かいました。

 祭壇は富士山をかたどったものでした。富士登山の行者さんでもあった晴南さんにちなんだものと思います。
Seinansaidan
 私は幸い席に座れましたが、立って参列されていた方々も多かったです。お焼香の後、式場の部屋を出たら、会場の外にもまだ沢山の方々が並んでいました。ずいぶん大勢の会葬者がいらしたことが知られました。

 惟光さんのお礼の言葉です。
Seinanaisatsu
 勝手にご紹介して良いものやら迷いましたが、会葬者全員に渡されたものですし、お仕事などのご都合で参列することの叶わなかった方々にも読んで頂きたい思いがあり、載せることにしました。

 惟光さんのお気持ちがよく伝わってきます。

2019年5月29日 (水)

城崎陽子先生(晴南さん)ご逝去

 昨日、城崎陽子先生が逝去されました。5月28日午前1時8分とのことです。

 城崎先生は、当ブログの前身の掲示板「まほろば」以来、「晴南」さんのハンドルネームで、沢山の書き込みをしてくださいました。

 あまりにも突然のことで言葉もありません。心からお悔やみ申し上げ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 城崎先生に初めてお目に掛かったのは、昭和の終わりか平成の初め頃、古事記研究会であったと思います。
 そして、掲示板「まほろば」に初めて登場してくださったのは、平成17年(2005年)の4月24日でした。今から14年前ですね。
 「晴南」さんのお名前での書き込みでしたので、どなたか分からず、私は、
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> 晴南さん

 はじめまして!
 ブログを拝見しました。同業者の方ですね。
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などというレスを付けていました。(^_^;

 その後、同年6月9日に、
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 こんにちは、六条院の女主です。猫の写真可愛いですね。我が家にも二匹おりまして、なかなかやんちゃな奴らです。ぼーっと窓の外を眺めている猫の姿を見ていると何考えてるのかなと思うことがあります。でも、結構気はつかっているようでして、やって良いことと、やってはいけないこととの区別は彼らなりについているようです。
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と書いてくださったので、惟光さんの奥様ということで、正体が判明しました。(^_^)
 この時の猫2匹は、ニャンタ君とニャンコちゃんでしたでしょうか。そうでしたら、ニャンタ君は残念なことでしたが、ニャンコちゃんはもうかなりのご長寿ネコさんですね。

 学会でもまほろばでも大変にお世話になりました。ご厚誼を感謝申し上げております。

 晴南さんはリラックマがお好きでした。電車もお好きだったようにお見受けしました。
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2019年3月24日 (日)

石川美耶子さんお別れの会

 今日は、書家の石川九楊氏の奥様美耶子さんのお別れの会に参列してきました。

 石川先生には、平成20年に群馬県立女子大学で開催された連続講演会でご講演を賜わりました。私がその講演会の担当でしたので、ご縁ができ、それ以来、神保町の書の画廊「白い点」で個展を催される度にご案内を頂き、ほぼ毎回お伺いしてきました。

 その時、いつも奥様が会場にいらしていて、お茶を入れてくださったりなど、ご接待くださいました。常にほほ笑んでいらした印象があります。

 その奥様が1月8日に急逝されたということです。去年お目に掛かったときは、いつもとお変わりなく、お元気のように見えましたので、信じられない思いでした。

 今日、神保町の学士会館でお別れの会が催されるとのご案内を頂きましたので、参列してきました。
Ishikawamiyako01
 部屋がいっぱいになるほどの大勢の方々がいらしていました。奥様、石川先生のご人徳と思います。

 無宗教の会で、木遣り保存会の方々が木遣り歌を歌っていました。
Ishikawamiyako02
 石川先生は台東区の橋場にお住まいです。そういえば、深川生まれの恩師のお祝いの会にも木遣りの方々がいらしていたことを思い出しました。木遣り歌は、慶弔いずれでもうたわれるのですね。

 画廊「白い点」は、石川先生の作品をいつでも展示できるようにとの奥様の思いで、奥様が設立され、経営なさっていらしたそうです。それでいつも会場に奥様がいらしたのでした。

 会の最後に石川先生のご挨拶がありました。奥様への思いがこもっていて、胸に響きました。
Ishikawamiyako03
 奥様のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

 来月、神保町の「白い点」で石川先生の個展があり、それを最後に「白い点」は営業終了となり、来年4月に美耶子さんの遺志を継ぐ新たな画廊「白い点」が橋場に開設されるそうです。

2018年11月17日 (土)

青木生子先生ご逝去

 青木生子先生が11月14日に逝去されました。97歳だったそうです。今日付の複数のネット版の新聞に載っています。

 日本女子大学のHPにも昨日付でお知らせが掲載されていました。

 青木先生は長年月に亙り、上代文学研究を領導され、また日本女子大学の学長、理事長として、大学教育、大学運営にも大きな功績を残されました。

 謹んでお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げます。

 平成12年4月29日に開催された橋本達雄先生の会(退職記念の会だったと思います)の折りに挨拶される青木先生。
Aokitakako01
 今から18年前ですね。79歳でしょうか。お元気でした。

 同じ会で橋本先生と談笑される青木先生。
Aokitakako02
 『万葉ことば事典』の監修をお二人でされるなど、仲良しだったようです。この辞書の刊行は翌平成13年でした。

 デジカメがまだ発展途上の頃で、画質がいまいちなのが残念です。金屏風がバックにあると、さらに難しいです。←と、言い訳。

 この後はあまりお目に掛かる機会もありませんでしたが、何かの会でご挨拶をされたときに、「青木たかこと申します。『なまこ』ではありません」と言われたのがおかしくて、記憶に残っています。

2018年8月24日 (金)

「はるな」殉職者の献花台

 今日は前橋で仕事の日でしたので、また県庁に立ち寄りました。いつものことで、何も考えずに寄ったのですが。

 正面玄関を入ってすぐのところに献花台と記帳台がありました。
Harunakenka
 8月10日に墜落した防災ヘリコプター「はるな」に乗っていて殉職された9人の方々のためのものです。

 山の日の前日、上空から登山道を視察中の事故で、ちょうど2週間前の金曜日でした。私はあの日も前橋で仕事の日で、仕事が終わった後に乗ったタクシーの運転手さんから、ヘリコプターが落ちたらしいという話を聞きました。

 その後、誠に申し訳ないことながら、日々のあれこれに取り紛れて、事故のことは忘れていました。

 献花台を見て、「あ!」と思ったことでした。

 9人全員、制服・出動服姿の写真を撮ってあるのですね。万が一のこういうことを想定して撮ってあるのか、あるいは身分証明書用の写真として勤務先で撮っているのでしょうかね。

 改めてご冥福をお祈り申し上げます。

2018年8月12日 (日)

ぐんま県境稜線トレイル

 昨日の山の日に、群馬県境稜線トレイルが開通しました。

 このルートのことは、先日ご紹介した「ググっとぐんま2018夏」のパンフレットでも1ページを使って取り上げられていました。
Gunma_ryosen01

 毎月第1日曜に発行される「ぐんま広報」8月号でも表紙に取り上げられ、
Gunma_ryosen02
 これ以外にも、中の見開き2ページでも特集されていました。

 『グラフぐんま』8月号でも。
Gunma_ryosen03
 群馬県では観光の大きな目玉として力を入れているようです。

 ところが、開通の前日、8月10日(金)に群馬県の防災ヘリコプター「はるな」が墜落して、乗り組んでいた9人が全員亡くなるという大きな事故が起きました。

 稜線トレイルの開通を翌日に控えて、上空から視察中の事故だったそうですね。

 大勢の有能な防災航空隊員と消防隊員とを失ったことを惜しむ声がありました。それは確かにその通りと思いますが、それ以前に、尊い人命が失われたこと自体が何とも痛ましいことです。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

2018年7月24日 (火)

石川研究室の伝言板

 群馬県立女子大学の前期授業は今週金曜日までですが、私の授業は火曜日ですので、今日が最終日でした。無事に終わるとほっとします。(^_^)

 普段は、非常勤講師控室、授業の教室、たまに図書館、という3ヶ所の移動ですが、今日はレポート提出ボックスの関係もあって、国文学科研究室の先の方まで行きました。久し振りです。

 そうしたら、今年3月末に亡くなった石川泰水先生の研究室前に掛かっている伝言板が目に入りました。
Ishikawaboard
 5年ぶりに訪れたという卒業生の書き込みもありました。先生のお人柄と人気の程が偲ばれます。

 でも、もういっぱいですね。大学祭の折などに、卒業生が来てくれても書くスペースがありません。

 同じ掲示板が旧北川研究室にもありますので、それなど使って貰えればと思います。←もう私の物ではないので、「使って貰えれば」という言い方はおかしいですが。

2018年6月24日 (日)

平岡敏夫先生 お別れの会

 今日は、去る3月5日に88歳で逝去された平岡敏夫先生のお別れの会がありました。
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 会場は文京区大塚の茗渓会館です。平岡先生は東京教育大学大学院ご出身で、筑波大学に勤めていらっしゃいましたので、そのゆかりでこの会場が選ばれたものと思います。
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 先生のご専門は日本近代文学。筑波大学教授の後、平成4年(1992)から平成10年(1998)までの6年間、群馬県立女子大学の学長をお務めくださいました。

 阿毛久芳先生の開式の辞。
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 陶原葵氏による平岡先生の詩の朗読。
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 渡邉正彦先生の挨拶。
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 北原保雄先生の挨拶。
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 小内一明先生の献杯の辞。
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 会の後半、スクリーンに平岡先生の写真が投影されました。その中に、平岡先生の故郷である瀬戸内海の塩飽諸島の写真もありました。
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 平岡先生は故郷にお墓を建立され、そこに眠っていらっしゃいます。
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 奥様のご挨拶。
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 参列者に渡された手提げ袋の中には最後の御著書が入っていました。
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 このタイトルは死期を悟られてのものだったのでしょうか。入院される日に校正刷りが届き、それを手に入院されながら、実際に校正をされる気力は残っていらっしゃらなかったとのことで、校正はお孫さんがなさったそうです。今日の会に間に合うように刊行されたとのことでした。

 また、3月に発行された『群馬県立女子大学 国文学研究』第38号の抜き刷りも同封されていました。
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 先生のご逝去は3月5日ですが、先生はいつもかなり早く原稿をお寄せくださっていましたので、このお原稿もたぶん年内に届いていたのではないかと思います。87歳で執筆された御論文ですね。なんともすごいことで、圧倒される思いです。

 思えばこの号には石川泰水先生の遺稿も掲載されているのでした。

 もう1つ、お酒も。
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 筑波大学のお酒でした。ほんと、大学ブランドのお酒、はやっていますね。

2018年4月 1日 (日)

石川先生の遺作

 今日は石川先生の告別式に参列してきました。

 昨日も今日も、会葬者には群馬県立女子大学国語国文学会の機関誌『国文学研究』の最新号(平成30年3月刊)に掲載された石川先生の論文「「霜おきまよふ床の月影」-定家詠の表現と風景-」の抜き刷りが配付されました。
Ishikawaronbun
 石川先生が最後に執筆された論文と思われます。今日の学科長の弔辞によれば、石川先生はこの御論文を自分の遺書のつもりで書かれたそうです。歌1首を題材に50枚の論文が書けるということを学生たちに示したいというお気持ちがおありだったようです。

 その歌は、「ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月影」(新古今・秋下487。藤原定家)です。

 山鳥は、秋になると山の尾を隔てて雌雄が共寝をしないというのが和歌的イメージだそうです。百人一首の「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝ん」もそういわれるとよく納得できます。

 定家の歌については、上の句を実際の山鳥をうたったものと見るか、山鳥は譬喩であって、人間の恋をうたったものと見るか、両様の解釈があったそうです。しかし、この歌は恋の歌の部ではなく秋の部に収録されていることなどにより、今は、実際の山鳥をうたったものということで決着が付いているようです。

 問題は下の句で、
  1.山鳥の尾に霜が置き、床には月光が射しているとする、霜も月光も実景とする説と、
  2.山鳥の尾に霜が置いたのかと(人が)錯覚するように床に月光が射しているとする説と、

その両方があるそうです。

 石川先生は、その両説どちらにも賛同しかねるということで、「おきまよふ」の用例を博捜され、以下のような結論に到達されました。

 山鳥の尾に霜が降りようとしたところ、そこには既に霜が隙間なく置いていた(実際に置いていたのは霜ではなく、月光であったが、それが霜に見えた)ために、どこに降りたらよいのか、降りる場所を定めかねている霜の状態。

 霜を擬人化した解釈ですね。

 よく納得できるお考えと思いました。

 50枚にも及ぶ分量を使って縷々述べられた内容をこんなに短く、しかも私の言葉でかいつまんでまとめてしまいましたので、先生のお考えを正確に理解し伝えられているかどうか甚だ不安です。

 昨日も今日も、ご遺族を代表してご長男の石川遥至(はるゆき)氏からご挨拶がありました。2日間、別の内容で、どちらも心に響くお話しでした。

 その中に、石川先生は亡くなっても、自分の中に生きているというお言葉がありました。こんな風に言われたら、石川先生もさぞ嬉しく思っていらっしゃるのではないかと思います。

 人は死んでも、その人のことを思う人がいる限り、その人の心の中で生き続けているというのは確かにそうだと思います。それとともに、大野晋先生の告別式で、井上ひさし氏が弔辞の中で述べられた、「大野先生は亡くなっていない。『広辞苑』や『岩波古語辞典』や『角川必携国語辞典』を引く度に、大野先生の教えを受けることができるから」という言葉も思い出されました。

 石川先生も、この御論文や、昨日ブログでご紹介した「群馬県の歌枕」、そして、『式子内親王集・俊成卿女集・建礼門院右京大夫集・艶詞』(和歌文学大系23。明治書院)などの御著書や諸論文などを通して、これから先もそのお教えを受けることができます。それを、ありがたいことと思っています。

2018年3月30日 (金)

石川泰水先生ご逝去

 いつ、どういう風に書けば良いのか迷いましたが……。

 昨年3月に私が定年退職するまで同僚だった石川泰水先生が3月26日の昼に逝去されました。62歳でした。明日・明後日、前橋でお通夜・告別式です。
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 先生は中世和歌がご専門で、30年あまりの長きにわたり群馬県立女子大学に奉職されました。私が着任した翌年の着任でしたので、30年もの間、お付き合い頂きました。ショックです。
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 定年退職まであと3年を残してのご逝去、退職後にはなさりたいことも色々とあったことでしょうに、何とも残念なことです。奥様、ご子息様のお気持ちもいかばかりかとお察し致します。

 群馬県立土屋文明記念文学館所蔵の新古今和歌集(残念ながら、上下2冊のうち上のみですが)が石川先生の調査で、現存最古級の写本ということが分かり、そのこともあったのでしょう、1年生の研修旅行で土屋文明記念文学館を見学する折には、この写本を出してくださり、石川先生の解説で、見学しました。
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 そんなことが思い出されます。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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