おくやみ

2024年6月 6日 (木)

錦仁先生ご逝去

 新潟大学名誉教授の錦仁先生が先月5月30日に亡くなられました。

 錦先生とのご縁は、平成18年(2006)冬に群馬県立女子大学で開催された、全国大学国語国文学会のシンポジウムで講演をお願いしたことに溯ります。
 この時の学会は、群馬県立女子大学で年に3回ずつ開催されていた群馬学連続シンポジウムとの合同大会でした。
 錦先生にはパネリストをお願いし、「菅江真澄の表現―地誌と〈歴史〉の再構築―」というタイトルで基調講演をしてくださいました。
 他のパネリストは、
 「地域生活語の地平―群馬のことばを中心に―」篠木れい子(群馬県立女子大学教授)
 「近世・近代の語り物芸能としての祭文―上州祭文を中心に―」兵藤裕己(学習院大学教授)
 「歌謡圏における地域という課題―上州の歌謡を軸として―」真鍋昌弘(関西外国語大学教授)
という皆さんでした。

 その時の写真があると良いのですが、私は会場校の責任者としてあれこれ忙しくしていて、写真を撮っている暇がありませんでした。
 唯一見つかったのが、事務局職員が講堂の2階席から撮ってくれた動画です。
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 舞台全体を撮していますね。

 アップにしても、こんなです。
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 ちょっと残念。

2024年5月17日 (金)

秋本吉徳氏『播磨国風土記全訳注』(講談社学術文庫)

 秋本吉徳著/鉄野昌弘補『播磨国風土記全訳注』(講談社学術文庫)がこの5月14日に刊行されました。
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 2年前に亡くなられた秋本先生の遺稿に鉄野先生が加筆されて刊行された書です。

 鉄野先生の解説には以下のようにあります。
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 秋本先生の御論文のリストは「略」として割愛しました。

 この本の内容を拝見すると、秋本先生の生前に原稿の大半は完成していたものと思われます。
 秋本先生が書かれた「まえがき」と「凡例」もあります。

 内容は、読み下し文、現代語訳、注、解説から成ります。原文はありません。
 これに、鉄野先生による補注、補説と、巻末の解説が付いています。

 秋本先生にお目に掛かったのは、昭和59年だったと思います。
 この年から清泉女子大学に非常勤講師として勤めることになり、以後、平成22年度まで、数度の中断を挟みながらお世話になりました。
 毎回ではありませんが、度々先生の研究室に「先生こんにちは」とお邪魔しました。本当にお邪魔だったかもしれませんが、楽しいひとときを過ごしました。(^_^;

 また、國學院大学の中村啓信先生の研究室で開催された古事記研究会でも秋本先生とご一緒しました。

 あれこれ思い出されます。
 先生の没後になりましたが、お原稿が公刊されたことは本当に幸いだったと思います。

2024年4月 8日 (月)

我妻多賀子先生を偲ぶ会

 昨日の正午から、神田神保町の学士会館で「我妻多賀子 偲ぶ会」が開催されました。
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 先生の一周忌を前に、先生のご長男である建太郎氏が開かれた会でした。

 我妻先生の主な経歴は以下の通りです。
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 我妻先生のお父上は、日本古代史の坂本太郎先生です。
 先生のお名前「多賀子」は多賀城由来ではないかと思いますが、分かりません。

 我妻先生は、我々が携わった『古典基礎語辞典』の中心メンバーのおひとりです。
 そのご縁でお声掛け頂きました。

 参列者のスピーチのトップは、NHK大河「光る君へ」の和歌考証をなさっている高野晴代先生でした。
 びっくりしました。この業界、どこで誰が繋がっているか分かりません。
 高野先生は、『古典基礎語辞典』を座右に置いて、困ったことがあると引かれ、我妻先生の書かれた項目に教えられることが多いと仰っていました。(この辞書は、それぞれの項目毎に執筆者名が記されています)

 そうですね。書いた本人は亡くなっても、書き残したものを通して、故人の教えを受けることができるのですよね。

 昨日は、思いもよらず、懐かしい方々にもお目にかかれ、嬉しかったです。
 数十年の時を経て、ぱっと見、誰か分からなくても、少し話をすれば、話し方や声や、表情で、ありありと記憶が蘇ります。
 我妻先生のおかげで、良い時間を過ごすことができました。これも故人の御遺徳です。

 学士会館の近くの桜は満開でした。
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2023年7月19日 (水)

高田衛氏ご逝去

 近世文学研究者の高田衛氏が亡くなられたことを今朝知りました。
 7月5日ご逝去。享年93とのことです。

 高田先生には、平成19年に勤務先で開講されたリレー講座でお世話になりました。
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 演題は「『里見八犬伝』の文章」でした。
 手に持っていらっしゃる八犬伝のc見開きはどういう場面でしょうね。
 詳しい方ならばお分かりかもしれません。
 朝ドラ「らんまん」の寿恵子さんが知ったら、聴きたかったでしょうね。

 お目に掛かったのはその時の1回きりでしたが、私がその講座の担当でしたので、講演をお願いしたり、日程を調整したり、当日は高崎駅までの送迎をしたりなどしました。
 講演をご快諾くださったことをはじめ、ありがたいことでした。

 その年度の講師と演題は以下の通りです。

 平成19年度 公開授業「美しい日本語」
  高田 衛「『里見八犬伝』の文章」
  中村 明「日本語の芸―ことばの粋とユーモア」
  瀬戸賢一「日本語の味ことば」
  城生佰太郎「美しい日本語」
  葛西聖司「歌舞伎―名セリフの口承」
  浅田次郎「小説とは何か 小説家とは何か」
  北川和秀「語源の話」
  長谷川宏「日本文化と外来文化」
  国広哲弥「日本語表現の諸問題」
  飛田良文「理想の国語辞典とは何か」

 錚々たるメンバーでした。
 あらかたは国語学者ですが、小説家の浅田次郎氏もいらっしゃいますし、NHKアナウンサーの葛西聖司氏もいらっしゃいます。
 そんな中に私が紛れ込んでいるのは、いかにも場違いです。
 畏れ多いことながら、ご病気でおいでくだされなくなった講師の方のピンチヒッターでした。

2022年10月24日 (月)

澤瀉先生ご逝去の折

 先日の萬葉学会における坂本信幸氏の講演の中で、昭和43年10月に開催された萬葉学会の夜に澤瀉久孝先生が急逝されたことを話題にされました。
 この頃の雑誌『萬葉』に澤瀉先生のことがこのように書かれていました。
 萬葉学会のHPから雑誌『萬葉』のバックナンバーを切り貼りします。
 これも本当はアウトのような気がしますけど。

 第69号(昭和43年10月15日発行)掲載の西宮一民先生の「編輯後記」の末尾。
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 ちょうどこの号が発行された頃、澤瀉先生は亡くなられたことになります。

 第70号(昭和44年1月15日発行)は、澤瀉先生ご逝去後の最初の号です。
 巻頭に佐伯梅友氏の「弔詞」があり、巻末附近に大濱嚴比古氏の「先生ご不在の萬葉旅行」という「報告」が掲載されています。
 大濱氏の文章の一部。萬葉旅行に行かれた大濱氏の旅行中の思いです。
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 西宮先生の「編輯後記」の冒頭。
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 この号には澤瀉先生の『萬葉集注釋』の広告が載っています。
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 以前、当ブログでご披露したのですが、澤瀉先生が斎藤茂吉氏に当てた書簡を所持しています。
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 ネットオークションで落札した物です。
 落札した理由は、然るべき機関などで保存して頂ければという思いでした。
 内容的にはそう重要なものではないので、他の澤瀉先生関係の資料と一緒に保存していただければと思います。
 皇學館大学が良いですかね。

 と考えているのですが、現在行方不明です。(^_^;
 ほんと、我ながらあきれるばかりのだらしなさです。
 とはいえ、どこかに行ってしまったわけではなく、今私が座っている六畳くらいの部屋の中にあることは間違いありません。
 ブラックホールのような部屋です。今度探します。

2022年8月29日 (月)

小内一明先生ご逝去

 群馬県立女子大学名誉教授の小内一明先生が本年7月12日に老衰で亡くなられたとのお知らせをご遺族の方から頂きました。
 90歳とのことです。

 小内先生には、私の昭和60年の着任以来、大変にお世話になりました。
 小内先生のお名前は、当ブログでは初登場だと思いますが、散々取り上げている浜木綿は小内先生から頂いたものです。
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 頂いた浜木綿も、うちで生まれた浜木綿の子も元気です。

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 上の写真は、4年前に開催された平岡敏夫先生のお別れ会でのものです。
 当時86歳ということになります。
 とてもお元気でした。

 小内先生は、岩波書店の新大系『宇治拾遺物語 古本説話集』の共著者です。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

2022年4月28日 (木)

秋本吉徳先生ご逝去

 秋本吉徳先生が今年の4月21日に逝去された旨、塩沢一平先生の昨日のフェイスブックとツイッターとで知りました。
 思いもよらないことでした。
 秋本先生は昭和22年10月のお生まれとのことですので、享年74となります。

 秋本先生に初めてお目に掛かったのは、昭和59年に清泉女子大学の非常勤講師として採用していただいた時でした。
 授業が終わると、先生の研究室にお邪魔して、お話を伺ったりしました。
 以後、途中に2回の短期中断を挟みながら、清泉女子大学には平成23年までお世話になりました。

 最後の年度には、履修生が院生1名しかいなかったので、授業には秋本先生の研究室を使わせていただきました。
 「会議などで部屋にはいないから」とのことでしたが、部屋にいらっしゃらなかったのは月に2回ほどでした。
 それ以外の時には、先生がお部屋にいらっしゃる中で授業をすることになりました。
 イヤでした。(^_^; 先生は、極力口を出されないようにしていらしたと思いますが、時折、口を挟まれ、院生そっちのけで話に耽ることになりました。←議論ではありません。

 清泉の非常勤を辞めてからも年賀状の交換はしていただきました。
 今年も御賀状を頂き、端正で美しい文字には何の変わりもありませんでしたのに。

 その御賀状の絵です。
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 虎の上にいる魚は金魚ではなくて、鯛でしょうねぇ。
 改めて眺めたのですが、意味を読み取れませんでした。「めでたい」の鯛でいいのでしょうね。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【追記】
 最初、秋本先生の生年を昭和21年、享年を75と書きましたが、蜂矢真郷先生から、それは違うのではないかとのご指摘をいただき、改めて調べたところ、お生まれは昭和22年でした。従って、享年は74となります。
 蜂矢先生に御礼申し上げますとともに、記事を訂正致しました。

2021年6月 1日 (火)

稲岡耕二氏ご逝去

 ネットで稲岡先生のご逝去を知りましたので、本日2つ目の書き込みです。

 東大名誉教授の稲岡耕二先生が、5月30日午前8時32分、慢性腎不全のため東京都武蔵野市の自宅でご逝去、92歳とのことです。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 稲岡先生には、元勤務先で、平成22年(2010)の「日本のことばと文化」でご講演を頂きました。
 演題は「文字の歌の始まりと万葉集」でした。
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 今から11年前になりますので、81歳でしょうか。
 お元気なご様子でした。

 もう1枚。
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 ホワイトボードにお書きになったのは、旅人の「世の中は 虚しきものと 知るときし いよよますます 悲しかりけり」の歌ですね。
 訃報に相応しい歌になってしまいました。

2020年10月 2日 (金)

杉本優先生ご逝去

 群馬県立女子大学で同僚だった杉本優先生が9月29日に亡くなられたとのお知らせを頂きました。
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 杉本先生のご専門は日本近代文学です。
 大学では、文学部長、大学院の文学研究科長、図書館長等の要職を歴任されました。
 また、10数年前の文学部の改革案の作成にもご尽力くださいました。

 2年半前に亡くなられた石川先生と同い年で、お誕生日もひと月違いでした。64歳と思います。
 来年の3月で定年退職のはずでしたのに、それを待たずのご逝去、何とも、言葉もありません。
 お二方とも早すぎます。

 杉本先生は、以前、奈良教育大学にお勤めだった時期もありますので、奈良のことなどお伺いすることもありました。

 新型コロナウイルスの感染拡大予防のため、お通夜や告別式は行わないそうです。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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 10月4日に写真を追加しました。
 いずれも平成27年のものです。
 1枚目と2枚目は謝恩会、3枚目は国語国文学会の懇親会の折のものです。

2020年7月14日 (火)

今日は恩師のご命日

 金魚のことにばかり気が行ってしまっていましたが、今日は亡き恩師のご命日でした。
 日付が変わる前に気づいてよかった。

 亡くなったのが平成20年ですので、12年前。今年は十三回忌になります。

 ご葬儀の際に、井上ひさし氏が述べられた弔辞の中の、「大野先生は亡くなっていない。先生が残された多くの著作から教えを受けることができるから」という言葉が深く心に残っています。

 この辞書は、先生が病床にあって校正刷りに朱を入れられ、亡くなられた後に刊行された、真に最後の著作ということになります。
Kotenkisogo

 ご冥福をお祈り申し上げます。

 今日☆になった金魚は、我が恩師と同じ命日ということになります。

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