文字・言語

2020年9月23日 (水)

踊り字と改行

 先ごろ、ツイッターに「#日本語史研究上有名な用例100」というハッシュタグが立ったので、面白がって、いくつか書き込みました。
 その1つが以下のものです。

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古事記
「内者富良々々、外者須々夫々」(上・大国主)。
「ほらほら」と「すぶすぶ」とで、踊り字の使い方が異なる。
両様あったのか、あるいは一方は誤写か。
「塩許々袁々呂々迩」「我御心須々賀々斯」「登々富々斯」などを見ると、「富良々々」が誤写か。
#日本語史研究上有名な用例100
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 「塩許々袁々呂々迩」は冒頭付近の国生みの段に出てきますけど、現代だと、これでは「ここををろろ」になってしまいます。
 大国主の根堅州国訪問の部分では、現代と同じ形式の「ほらほら型」と、「こをろこをろ」と同型の「すぶすぶ型」とが連続して出てきます。
 古事記全体では「すぶすぶ型」が多いので、こちらが標準形で、「ほらほら型」は誤写の可能性が高そうですが、それにしても、連続した部分ですので、果して誤写するだろうかと不思議に思っていました。

 そうしたところ、私のツイートが蜂矢真郷先生のお目に止まり、蜂矢先生からメールを頂きました。

 「富良々々」は、真福寺本では「富良」が行末で、そこで改行されているというご教示でした。

 「何と!」です。私は真福寺本を見ていませんでした。
 万葉集だったら校本を見たと思うのですが、古事記は日頃、写本や校本をあまり見ていません。大いに反省しました。

 真福寺本では、「富々/良々」(/は改行。以下同)という改行になるのを嫌って、「富良/々々」としている、ということになります。

 現代とは逆ですね。現代では、むしろ「々」は行頭に来ないように禁則処理の対象になりそうです。
 しかし、古事記では「富々/良々」などという形で改行がなされると、「ほほらら」と訓まれる怖れが生じてしまうのでしょうか。

 大いに興味を持ちました。

 古事記では「ほらほら型」がもう1例あります。応神記の47番の歌謡の末尾の「佐夜々々」です。こちらは真福寺本では行中でした。
 とすると、こちらの例では、真福寺本の親本か、それ以前のどこかの段階で「佐夜/々々」と書かれた本があったのかもしれません。

 おもしろいです。
Horahora


2020年9月14日 (月)

コ+ロ+ナ=君

 昨日、さるまほろばメイトの方から教えて頂きました。
Corona_kimi
 いやぁ、うまいものですねぇ。見事です。
 これ、全く知らなかったのですが、ググってみましたら、4月・5月頃、ネットで評判になり、新聞にも載った作品でした。

 作者は、大阪府内の百貨店にお勤めで宣伝や広報を担当している、イラストレーターのタナカサダユキさん。
 4月1日にご自身のFacebookにこの歌を投稿したのだそうです。
 その後(といっても、すぐのようですが)、リクエストを貰って、このイラストを描いたとのことです。

 「むべ山風を嵐といふらむ」から始まる(いや、万葉集にもあったかも)文字分解のことば遊びですね。

 漢字を憶えるのに、「戀」という字を「糸し糸しと言ふ心」と分解するのもありますね。
 文字遊びというより、実用的な記憶法と言うべきかもしれませんが。
 「戀」を分解すると確かにそうなるだけじゃなくて、意味もぴったりです。

 「櫻」を「二階の女が気に掛かる」、「壽」を「武士笛一インチ」というのもありますけど、この2つは、文字を分解すれば確かにそうなりますけど、意味は全く無関係です。その点で、「いとしいとし」は傑作と思います。

2020年9月12日 (土)

食偏の字体(チコちゃんに叱られる!)

 「チコちゃんに叱られる!」を毎週楽しみに見ています。
 昨日、豊川悦司がチコったので、漢字の書き取りということになりました。問題は「ぎょうざ」。
 豊川悦司は、最初ツクリが思い出せず葉っぱの絵を書きましたが、すぐに思い出して、食偏に「交」と書きました。
 合っていますよね。
Chiko_shoku
 ところが、これは不正解とされました。理由は、左下に示したように、食偏の下部は横線2本で書かなくてはいけない、というのです。
 正解にすべきだと思うんですけどね。

 現代の印刷字体は『康熙字典』に準拠しています。
 戦後、当用漢字が制定され、後に常用漢字が制定されたときに、表内字については、食偏は「飲」「飯」のように「食」に1画足りない形になりました。しかし、表外字については、それに取り残される形で「飴」「餌」のように『康熙字典』のまま残り、下部は横線2本です。

 豊川悦司の書いた字が不正解とされたのはこういう理由によるのでしょう。
 でも、これは活字などの印刷字体についてのもので、手書きまで印刷字体に合わせなくてはいけないものなのか。
 文科省も、表内字については印刷字体と手書きとは分けて考えています。表外字だってこれに準ずるべきものと思います。

 『類聚名義抄』はこんな具合です。
Myogi_shoku

 シンニュウの点1つ2つも同じですね。
 手書きも印刷字体と同じにしなくてはいけないというのは誰が決めたのでしょう。
 マナー講師の謎ルールと同じようなものではないでしょうか。

 手書きの場合は、表内・表外を問わず、食偏は「飲」型でも「飴」型でも良しとすべきでしょう。
 シンニュウの点だって、表外字も点1つで良いと考えます。もちろん2つ書いてもOK。
 自分で自分を縛ることはありません。

2020年9月 8日 (火)

傷に塩

 今年の3月に『世界ことわざ比較辞典』(岩波書店)という本が刊行されたことを、昨日、フェイスブックで知りました。

 フェイスブック経由で見たのは、この本の著者の一人である時田昌瑞氏のインタビューです。
https://dailyportalz.jp/kiji/comparing-world-proverbs?fbclid=IwAR16ftmeu9hJ2iRcxNweb-yj4VpIIWCdSjGA0tCmBjji-NKKN51puYdjNVw

 外国のことに疎い私ですが、言葉に関する辞書ということで、大いに関心を持ちました。面白そうな本です。

 ただ、このインタビューの中にこんな一節がありました。
Kizuguchini
 いや、憶良の長歌に「いとのきて 痛き瘡(きず)には 鹹塩(からしほ)を 潅(そそ)くちふが如く」(巻五・897番歌)ってあるけど……、と思いました。
 この歌の前には「沈痾自哀文」があって、そこにも「諺曰、痛瘡潅塩、短材截端、此之謂也。」(諺に曰はく、痛き瘡に塩を潅(そそ)き、短き材の端を截(き)るといふは、此の謂(いひ)なり。)とあります。

 どうなんでしょ。当時、日本でこの諺が広く使われていたのか、あるいは漢籍に出典があるのか。
 東京の家には万葉集の注釈はまだあまり持ってきていないのですが、沢瀉氏の注釈や多田氏の全解には漢籍の出典のことは全く触れられていませんでした。

 遠く離れた国に同じような諺があった場合、一方から一方に伝播したのか、それとも、全く偶然に別々に発生したのか。可能性としては両方あり得ますよね。

 傷に塩を塗ると痛いって、普遍的ですし。

 とはいえ、さらに思うに、漁師さんなどでは、浜辺でケガをして、そこに海水が掛かって痛い、という経験は頻繁にするでしょうけど、漁師さん以外の人の場合、傷口に塩(あるいは塩水)が掛かるって、そうないことだと思います。

 どういう状況で傷口に塩が掛かるんだろうと考えて、ひょっとしたら、傷口に塩というのは、ケガの治療法の1つだったのだろうかと思いつきました。
 肉や魚の保存方法として塩漬けにするというのは古代からやっているわけですから、塩に消毒作用のあることは経験的に知っていたでしょうし。

 以前、神田典城さんが研究発表で、八十神たちが稲羽の素兎に潮水を浴びろと教えたのは、必ずしも意地悪ではなくて、あれはあれで治療法だったのではないかと言われたような気がします。おぼろな記憶でお名前を出すのもいかがかと思いましたが……。
Inabakitty05

 ただ、細菌の発見は17世紀くらいなのですよね。

 済みません。まとまりなく書き進めていって、支離滅裂です。(^_^;

2020年9月 6日 (日)

「今御門町」のよみ

 8月4日に、明治21年の『一新講社 道中宝鑑』のことを取り上げました。
M21dochuhokan01
 
 この道中記を見ると、奈良に次のような記載があります。
Imamikado01
 奈良の旅館、魚屋佐兵衛と升屋伊兵衛の所在地が「今ゴ門丁」となっています。
 漢字で書くと「今御門丁(町)」です。よみはずっと「いまみかどちょう」と思い込んでいましたが、「今ゴ門丁」の表記だと「いまごもんちょう」になってしまいます。

 「いやぁ、そんなはずは」と思って、他の史料を見ると、例えば次のようなものが見つかりました。

 『奈良名所絵図』(年代不明)
Imamikado02
 「いまみかどはたごや」とあります。

 『真誠講』(明治32年)
Imamikado03
 「ならいまみかど町」です。

 「いまみかど」が正しいのではないでしょうかね。

 「今ゴ門丁」とある明治21年の『一新講社 道中宝鑑』は長野県で刊行されたものです。
M21dochuhokan03
 そういった地理的な遠さも影響しているのかもしれません。
 あるいは、長野といえば善光寺。ひょっとして善光寺近辺では、善光寺の門にちなむ町を「○○ごもん町」と言っていたとか。
 ……などと、単なる妄想を書いてはいけません。(^_^;

 同時代資料は貴重ですが、同時代資料であっても、必ずしも常に正しいとは限らないということになりましょう。
 厄介なことではありますが、面白いことでもあります。

 なお、「今御門」の名は、元興寺の北門に由来するようです。

2020年8月24日 (月)

長屋王邸宅跡確認の新聞記事

 段ボール箱からの発掘品シリーズ、今日は昭和63年(1988)の新聞記事です。32年前ですね。黄変が甚だしいです。
 最初は1月13日の朝刊。
S63nagayao01
 発掘された遺構が長屋王邸であったことは出土木簡で知られたのですね。文字資料は大事。

 リード部分を拡大します。
S63nagayao02

 その地に建ったそごうは、すでに撤退してしまい、さらにその後のイトーヨーカ堂も撤退してしまいました。
 その後にはまだ行っていません。

 直木先生のコメントが載っていました。
S63nagayao03

 もう1枚ありました。
 こちらは9月13日付朝刊です。
S63nagayao04

 こちらには平野先生のコメントが載っていました。
S63nagayao05

 やはり文字資料は大事。←同じ事を何度も。(^_^)

2020年8月17日 (月)

船明(ふなぎら)・千明(ちぎら)

 昨日、ニュースを見ていたら、静岡県浜松市船明で気温40.9度を記録したと言っていました。
 「ふなぎら」と読むのですね。この地名を見るのも初めてでしたし、「ふなぎら」と読むことも初めて知りました。

 群馬県の北の方に多い名字に千明というのがあって、「ちぎら」と読みます。群馬で暮らすようになるまで、見たことのない名字でしたし、「ちぎら」と読むことも知りませんでした。

 おもしろいですね。離れた場所なのに、どちらも「明」を「ぎら」と読んでいます。

 なんでしょ?

 「ぎ」は連濁とすると、「きら」ですかね。
 「きらきらし」や「きらめく」の「きら」か、「あきらか」の「きら」か。
 どちらかだとは思いますけど。さて。

 今は「明」という漢字から「きら」「ぎら」という読みはすぐには出てきませんけど、かつては「明」をそのように読むことは広く行われていたのかもしれませんね。

 なお、観智院本類聚名義抄では「明」(仏中87)の訓は、アキラカニ アキラカナリ アカス アラハス アス アク ヒカル ミル ミツ ナル タスク アケヌ で、キラは載っていません。

 画像が無いと寂しいので、1枚貼っておきます。「キラ」のイメージです。
Gunmac_trump04_20200817021701

2020年8月 9日 (日)

赤穂花岳寺(華嶽寺)の絵図

 ネットオークションで入手しました。
Kagakujizu01
 赤穂浅野家の菩提寺である花岳寺(華嶽寺)の絵図です。
 標題は「播州赤穂城下臺雲山華嶽禪寺全圖」とあります。

 左下隅にこうありますので、明治には降らず、江戸時代のものではないかと思います。
Kagakujizu05

 赤穂には11年前に1度だけ行ったことがあります。忠臣蔵ファンとしては、1度だけというのはどうも。(^_^;
 その折、花岳寺にも行きました。
Kagakuji01

 絵図の本堂。
Kagakujizu02

 今の本堂。
Kagakuji02
 同じようですね。再建かもしれませんが、そうだとしても、元の姿と同じように建てたものと思います。

 義士の墓所。
Kagakujizu03
 中央に3基の大きな墓石があり、周囲に多数の墓石が並んでいます。

 今の墓所。
Kagakuji03
 中央の墓は浅野内匠頭のもので、その左右は大石内蔵助と主税のものです。周囲の墓はそれ以外の義士たちのもの。
 これらの墓は、義士の三十七回忌に当たる元文4年(1739)に、当時の赤穂藩を領していた森家の家臣有志が建てたものだそうです。
 伝によれば、義士の遺髪を埋めているということです。

 絵図では、墓所の入口の両脇に、「大石桜」と「大野柳」が描かれています。大石内蔵助と大野九郎兵衛にちなんだものでしょう。
 現地に行ったとき、桜には気づきませんでしたが、柳はありました。
Kagakuji04
 絵図と同じ位置にあります。
 しかし、「不忠柳」って、なにもそんな風に呼ばなくても、と思います。それで、目に付いたのでした。

 寺号については、このような解説板がありました。
Kagakuji05

 浅野長重の墓石には確かにこう彫られています。
Kagakuji06

 本堂の額も同様です。
Kagakuji07

 でも、お寺としては、その正式表記とは別に、「花岳寺」を日常的に使っているのですね。なかなか柔軟です。

 絵図の右端付近にこのようなことが書かれていました。
Kagakujizu04

 勝手にスペースを空けるとこうなりますかね。
 「開帳案内 并 義士摺物 土産焼塩等 弘所」
 すぐ下には「茶所」とあります。

 参拝者の休憩所と、参拝記念のお土産販売を兼ねている建物ですね。
 義士摺物はブロマイドといった趣でしょうか。
 そして、赤穂のお土産というと、やはり塩ということになるのでしょう。
 遠方からの参拝者も多かったのかもしれません。

 「弘所」という語は初めて見ました。日国には載っていない語ですが、ググってみると、古文書や古文献などに「弘所」「売弘所」という語は見つかります。暦などの頒布所に用いられていました。

2020年7月28日 (火)

大相撲出世双六

 またまたネットオークションの収穫物です。
Sumosugoroku01
 いつのものか分かりません。
 描かれている服装や髪型は江戸時代風ですが、この双六が作られたのは戦後、それも戦後すぐではなく、昭和40年代・50年代くらいではないかと思います。根拠はありません。勘です。(^_^;

 右下がふりだしで、中央に「あがり」があります。
Sumosugoroku02
 「あがり」は横綱土俵入です。お相撲さんにとっては、やはり綱を張ることが大きな目標なのでしょうね。

 ふりだしはこのような絵です。
Sumosugoroku03
 まだ暗い頃に、風呂敷包み1つを持って、1人で家を出たところですね。家出同然の旅立ちなのでしょうか。

 全部で29のマスがあります。以下の通りです。
  1.ふりだし
  2.のじゅく
  3.にほんばし
  4.ふれだいこ
  5.ばしょいり
  6.りょうごく
  7.にゅうもん
  8.そうじせんたく
  9.ちゃんこ
 10.にもつはこび
 11.かえろかな
 12.あさげいこ
 13.もうげいこ
 14.もちつき
 15.のみくらべ
 16.じょのくち
 17.じょにだん
 18.さんだんめ
 19.まくした
 20.十両
 21.前頭
 22.けんかさわぎ
 23.小結
 24.三役出世祝
 25.関脇
 26.ふろ
 27.大関
 28.本場所
 29.横綱土俵入

 故郷を出てからいろいろと苦労して、序の口になるのが16番目ですから、厳しい世界です。横綱になれたのならば何よりです。

 2つ目のマスは、旅の途中の野宿ですね。
Sumosugoroku04
 旅の道連れになった犬でしょうか。あるいは、野良犬に風呂敷包みの中のゴハンを狙われているところか。

 11番に「かえろかな」があります。そういう気持ちになることもありましょう。
Sumosugoroku05
 「こゝへくればふりだしへもどる」というのがシビアです。

 15番「のみくらべ」に止まると、飲み過ぎて1回休みになります。
Sumosugoroku06

 18番「さんだんめ」に止まると、ケガのために序の口に戻ることになります。そういうこともありましょう。
Sumosugoroku07

 22番「けんかさわぎ」では、幕下に戻ることになります。
Sumosugoroku08
 22番というのは前頭と小結の間です。そこから一気に幕下というのは、大きく番付を下げることになります。
 しかし、相手は抜刀していますね。物騒な事態です。幕下に戻るくらいで済めばむしろ幸いかもしれません。

 20番「十両」で止まると3つ進めます。
Sumosugoroku09
 3つ先は「小結」です。双六ですから、出た目の数だけ進んで、その結果、十両から小結に進むこともありましょうけど、でも、「十両」に止まると、そのまま「小結」にワープできるというのには、ちょっと引っかかります。(^_^)

 助詞の「へ」はずっと「へ」と書かれていたのに、ここだけ「え」になっています。
 ここだけ、マスの中の記載ではなく、マスの標題の一部としての注記ですので、そこが異なります。文字も標題と同じく相撲字で書かれています。こういう仮名遣いで、江戸時代風の趣を出したのでしょうかね。

 あれこれおもしろいです。

2020年7月20日 (月)

昭和28年の歌本(1)

 ネットオークションで買いました。
S28utanohanataba01
 『婦人倶楽部』の昭和28年新春特大号の付録です。
 「流行歌謡 歌の花束」とあります。
 今はあまり使わないようですけど、「歌謡曲」とか「流行歌」という言葉がありました。
 「流行歌謡」という語は初めて見ました。

 昭和28年というと、私はもう生まれてはいましたが、まだ物心ついていません。
 当時、青春時代を送った方々は、いま80代でしょうか。

 中身はこういう感じです。
S28utanohanataba02
 この歌は、菊田一夫作詞、古関裕而作曲、歌は伊藤久男です。
 古関裕而は朝ドラ「エール」の主人公のモデルで、伊藤久男は同じドラマで山崎育三郎が演じている佐藤久志のモデルですね。
 いえ、「エール」は見ていないのですが、他の番組でそういう情報を得ました。
 私は子供の頃から懐メロが好きで、伊藤久男のファンでした。

 全部で194曲収録されています。
 歌謡曲が140曲、そのあと「荒城の月」「椰子の実」などの歌曲が10曲、続いて「サンタ・ルチア」「野薔薇」などの外国の曲が10曲、童謡が23曲、民謡が11曲並んでいます。
 大体1曲1ページ歌詞のみですが、いくつか1曲で見開き2ページを使っていたり、楽譜のあるものもあります。

 歌のタイトルを眺めていたら、わりと目立つ語や文字が目に付きました。
 データがあると集計したくなります。サガです。(^_^;
 たまたま目に付いたものを集めてみただけですので、もっと使用度数の高い語や字が落ちている可能性はあります。

 【夜】が17曲ありました。
 夜霧のブルース、夜のプラットホーム、イヨマンテの夜、ダンス・パーティの夜、別れの夜船、泪の夜汽車、東京夜曲、蘇州夜曲
 ギター月夜、大利根月夜、勘太郎月夜唄、月夜船、白夜行路、夜来香、十三夜

 【船】が10曲
 別れの夜船、かよい船、アメリカ通いの白い船、月夜船、かえり船、別れ船、出船、白い船のいる港、船頭小唄、流れの船唄

 【娘】が8曲
 娘十九はまだ純情よ、娘とサンダル、銀座カンカン娘、東京娘、道頓堀の花売娘、ひばりの花売娘、東京の花売娘、上海の花売娘

 なんでしょね? 花売娘が4曲もあります。私、花売り娘って、見たことがないのですが、当時はたくさんいたのでしょうか。

 その「花売娘」の「売」も多いです。
 【売】は7曲
 道頓堀の花売娘、ひばりの花売娘、東京の花売娘、上海の花売娘、ミネソタの卵売り、リオのポポ売り、長崎のザボン売り

 地名+の+「売り」というパターンが3曲あります。

 【悲】が6曲
 悲しき小鳩、悲しきトランペット、悲しき口笛、高原の夢は悲し、佐渡ヶ島悲歌、江の島悲歌

 【ブルース】が6曲
 玄海ブルース、君忘れじのブルース、懐かしのブルース、夜霧のブルース、上海ブルース、別れのブルース

 地名は東京と長崎が目立ちました。
 【東京】は6曲
 東京シューシャイン・ボーイ、東京夜曲、東京の花売娘、東京ラプソディ、東京娘、東京音頭

 【長崎】は5曲
 長崎シャンソン、長崎の雨、長崎の鐘、長崎のザボン売り、長崎物語

 集計のみで考察はありません。(^_^;
 歌手のことなど、またこの本のことを取り上げたいと思いますが、いつになるか分かりません。

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