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2024年9月16日 (月)

明治26年の『赤穂義士真筆帖』(2)

 先日の明治26年の『赤穂義士真筆帖』の続きです。

 吉田忠左衛門。
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 奥田孫太夫。
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 堀部弥兵衛。
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 堀部安兵衛。
M26akogishi08

 やはり読めません。修行します。
 この中では堀部安兵衛の手紙が一番読みやすいように思います。

2024年9月11日 (水)

明治26年の『赤穂義士真筆帖』

 この様なものを入手しました。
M26akogishi01
 書名は『赤穂義士真筆帖』。
 折本仕立です。

 奥付は以下の通りです。
M26akogishi02
 明治26年の出版、明治34年の発売とあります。
 明治26年に初版発行、34年に再版(あるいは3版以降)ということでしょうかね。

 大石内蔵助の書。
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 大石主税の書。
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 大石主税は16歳で切腹したのですよね。16歳以前でこういう字を書けてしまっているのですね。
 今ならば高校生ですよね。

 翻字は載っていません。
 買ってはみたものの読めません。
 読めるようになりたいです。

2024年9月 7日 (土)

「新(しん)じいらんど」

 昨日取り上げた明治3年の『絵入智慧の環 二編上』の大洋州の項では、ニュージーランド、ニューカレドニア、ニューギニアを、それぞれ「新(しん)じいらんど」「新(しん)かりどにや」「新(しん)ぎにや」と表記していて、興味を覚えました。
 それとともに、こういった例は以前何かで見て、まほろばにも載せたような気がしていました。
 探してみましたら、見つかりました。
 平成16年(2004)の4月。
 史料は何と、何のことはない今回と同じく明治3年の『絵入智慧の環 二編上』でした。ただ明治6年の改正再版です。

 今回の『絵入智慧の環 二編上』(初版)。
M03chienowa21a_20240907215001

 前回の『絵入智慧の環 二編上』(改正再版)
Chienowa01

 改正再版の該当箇所。
Chienowa04

 全く迂闊でした。でも、10年前ですからねぇ。
 ちょっと前なら憶えちゃいるが、10年前だとチト判らねぇです。

 うっかり同じ物を買ってしまいましたが、初版と改正再版という相違はあります。
 どこが変わっているのか比較したらおもしろいかもしれません。
 でも、多分やりません。忙しいので。(^_^;

2024年9月 6日 (金)

明治3年の『絵入智慧の環 二編上』(4)

 少し日が空いてしまいましたが、『絵入智慧の環 二編上』の続きです。
 今回は大洋州。

 大洋州の地図は見開きを使って、南北アメリカ大陸からアジアまでを含む地域が載せられています。
 そのうち関係する地域のみ切り出します。
M03chienowa21n
 上部中央にある「無人島」というのは小笠原諸島と思われます。 

 地図上の文字が小さいので、国名リストのページを載せます。
M03chienowa21m
 「澳大利亜(あうすたらりや)」「たすまにや」「新(しん)じいらんど」「新(しん)かりどにや」「さんどゐち」
 「呂宋(るそん)」「新(しん)ぎにや」「しりべす」「ぼるねお」「爪哇(じやわ)」「すもたら」とあります。

 ニュージーランドやニューカレドニアなどの「ニュー」の部分が「新(しん)」となっています。
 以前もこの頃の史料に同様にあったのを見ました。
 最初はこう読んでいたのですね。それが時代が降って、どこかで現代のような読みに変わったのでしょう。

 「しりべす」というのが分かりません。読みもそれで良いのか?(^_^;
 地図を見つつ、あれこれ考えて、これはセレベスではないかと思い至りました。
 多分合っていると思います。

 右ページの頭注に「呂宋(るそん)と その みなみ の しまじまをなべてひりぴな島(たう)といふ」とあります。
 フィリピンですね。

 左ページの頭注には「爪哇(じやわ)とはじやがたらのことなり」とあります。
 当時の日本人には、ジャガタラの方がなじみがあったのでしょうね。
 ジャガタラ芋ですね。

 ほんと、昔のものは楽しいです。

2024年8月26日 (月)

ウオルト・デズニイの『ぴいたあ・ぱん』

 このような本を入手しました。
Peterpan01
 「ウオルト・デズニイ」の『ぴいたあ・ぱん』です。
 左下に書いてありますように、小学館の雑誌『幼稚園』12月号の付録です。
 残念ながら年が書いてありませんので、いつのものか分かりません。
 「ウオルト・デズニイ」という表記に引きつけられました。
 一体いつのものでしょう。
 しっかりした紙ですし、印刷もきれいですので、戦後すぐのものとは思えません。

 全部で13の場面が描かれています。サイズは半ページのものから見開きページを使ったものまで様々です。

 最初のページ。
Peterpan02

 最初の絵の文章は次の通りです。
Peterpan03
 おねえさんの名前の表記も「うえんでい」ですね。

 子供たちが、ぴいたあ・ぱんに導かれて空を飛ぶ場面。
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 小さな弟は熊さんのぬいぐるみを持っています。
 手放せないのでしょう。ライナスの毛布のような。

 裏表紙。
Peterpan05
 これが最後の場面です。
 裏表紙まで使って、無駄がありません。
 この裏表紙の右上に何か印刷してあります。バックの色が濃いのでそのままでは良く読めませんが、拡大すると次のようにあります。
Peterpan06
 ここには「ウォルト・ディズニー」とあります。
 なんだ、ちゃんと書けるじゃん、です。
 ということは、「ウオルト・デズニイ」や「ぴいたあ・ぱん」「うえんでい」という表記は、この本を読む幼稚園児向けなのでしょう。
 どんでん返しの思いでした。
 今の幼稚園児向けの絵本では、こういった表記はどうなっていましょうかね。

2024年8月11日 (日)

「空振らせる」

 先ほど、NHKのオリンピック番組を見ていたら、フェンシングの江村選手から「空振らせる」という言葉が発せられました。
Karaburaseru

 初めて聞く表現です。
 私は文法が不得意なので、以下は眉唾でお読みください。

 「空振らせる」は、こちらから仕向けて、相手が剣を空振りするようにさせること、という意味なのでしょう。
 「空振り」は名詞だけで、その動詞形の「空振る」はありませんが、「空振り」を動詞化させて、さらに使役の助動詞をうしろに付けた用法ですね。
 名詞「空振り」は「空+振る」の名詞形ですから、先祖返りさせて「空振る」という動詞として使ってもおかしくはありません。
 使役の助動詞は未然形接続なので、動詞の「空振り」に接続させるならば、「空振らせる」になりますね。
 おかしくありません。
 フェンシング界では普通に使われている用法なのかもしれませんね。
 野球のピッチャーにも使えそうです。

 念のため「空振る」という動詞の有無を調べてみましたら、日国にはありませんでしたが、デジタル大辞泉には次のようにありました。
--------------------------------------------------------------------------

から‐ぶり【空振り】[名](スル)

1 野球やテニスで、振ったバットやラケットが球に当たらないこと。「―の三振」「強打者を―させる」

2 棒やこぶしなどでたたこうとして、相手に当たらないこと。「右のパンチを―する」

3 ある目的をもってとった行動が、当てが外れて失敗すること。「計画が―に終わる」

[補説]俗に、「空振る」「空振った」などと動詞化して使われることがある。
--------------------------------------------------------------------------

 俗語としては動詞の「空振る」もあるのですね。
 おもしろいです。

2024年8月 9日 (金)

『萬葉集正義』(八木書店)到着

 今年の8月から刊行が開始される『萬葉集正義』全10巻、予約していた第1巻が届きました。
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 編者は「萬葉集正義編集委員会」となっています。委員長は國學院大学名誉教授の辰巳正明先生です。
 辰巳先生の教え子の方々を中心に、辰巳先生が編集されたお仕事なのでしょう。

 まだ届いたばかりですが、大いなる興味を持って、早速あちこち見てみました。
 特徴としては、東アジアを中心とした比較文学、民俗学への目配りが目立ちました。
 漢籍仏典や和漢の古辞書の引用が多く、江戸時代の国学の著作からの引用も多くあります。
 その一方で、近現代の研究への参照や国語学的な観点は手薄のように思いました。

 例えば、巻頭歌「籠もよみ籠持ち」の歌で、「家吉閑」を「家聞かな」と訓んでいるのには驚きました。
 確かにこの原文ならばそう読めますけれど、近年の(というか昭和30年代以降の)諸注釈はこれを「家告閑」と校訂して、「家告らせ」と訓んでいます。その理由として、動詞「聞く」には、上代は「尋ねる」「質問する」という意味用法はまだないと考えられるからです。
 『萬葉集正義』が底本の西本願寺本万葉集の本文を重視しようという姿勢は分かりますが、「吉」と「告」とは筆の運び次第で容易に誤写しうる関係にあるので、ここは「告」と校訂して「告らせ」で解釈すべきものかと考えます。

 また、但馬皇女の「遅れゐて恋ひつつあらずは追ひしかむ道の隈廻にしめ結へ我が背」(2-115)の歌の結句の「しめ」は、従来は「目印」「道しるべ」の意に理解するのが普通でしたが、近年は「しめ」は占有の印、部外者立ち入り禁止の意であって、「道しるべ」の意はないということで、その意味で理解できないかという考え方が行われていますが、この注釈では、「目に付くようにした占有の印」というやや分かりにくい解釈がなされています。ここはもう少し詳細な説明が欲しいところです。

 おもしろく思ったのは、中大兄皇子の三山歌の反歌(1-14)です。この4句目・5句目の「立ちて見にこし印南国原」の部分、誰が立って見に来たのかについては、従来の諸注釈は播磨国風土記を参照して、阿菩大神だということで一致していますが、この注釈書では以下のようにあります。
Manyoseigi07

 これ、7月21日に私のブログの創作童話に登場したかめ夫くんの解釈と近いです。
http://mahoroba3.cocolog-nifty.com/blog/2024/07/post-df90b8.html

 かめ夫くんは、印南国原が立ち上がって見に来たと解していたのですが、この注釈では「印南国原(の神)そのものが」としてあります。
 なるほど、印南国原の神ととれば、平野がむくっと立ち上がって見に来たと解するよりは抵抗がないかもしれません。

 どの注釈書も、強みと弱みとがあります。
 この注釈書もそれを承知して学恩に預かりたく思います。

2024年6月22日 (土)

今日は古代文学会を

 今日6月22日は、群馬県立女子大学の群馬学連続シンポジウム、青山学院大学のAI講演会、昭和女子大学の無声映画、そして「テキストに立ち上がる<声>」というテーマの古代文学会が重なってしまっていました。
 大きな声では言えませんが、群馬学連続シンポジウムが早々と脱落。弁士付きの無声映画も気になりながら脱落し、最後に残った2択でAI講演会がものすごく気になりながら諦め、結局古代文学会にZoomで参加する事になりました。

 パネリストは次の方々です。
Kodai2024b
 趣旨説明と、3氏それぞれの発表要旨は、古代文学会のHPに掲載されています。以下をご参照ください。
https://kodaibungakukai.sakura.ne.jp/wp/kenkyuuhappyoukai/sympo-semi

 鈴木氏、馬場氏、西澤氏の順で発表が行われ、その後、3氏による討論が行われました。
 それぞれに面白く拝聴しました。

 私の一番関心があったのは馬場氏の宣命についての発表でした、
 特に、宣命の大字・小字の書き分けについて、小字は小さな声で宣読されるという点が大いに気になったのですが、詳細な説明はありませんでした。
 この点に絞った発表が聴きたかったので、大いに残念でした。

2024年6月19日 (水)

昭和9年の絵暦

 絵暦を入手しました。
S09egoyomi01
 タイトルは、「しん板はんじゑもとの月日」とあります。「もとの月日」というのは旧暦のことでしょうか?

 左下に奥付があります。
S09egoyomi02
 昭和8年10月発行の絵暦で、盛岡のものです。

 上部中央にはこうあります。
S09egoyomi03
 右から順に、笙(しょう)輪(わ)九曜(く)ということで、昭和9年の絵暦です。左端の犬は戌年を表しています。

 というあたりまでは良いのですが、私には全体は極めて難解です。
 散々首をひねって、分かったところまでを述べます。

 あちこちにたくさん見えるサイコロは月を表しています。
 サイコロの目は1から6までですので、サイコロを2つ使えば、1月から12月までを表せます。

 また、次のようなマークもたくさんあります。
S09egoyomi04
 これらは日を表します。
 右上から下に1日から4日。中の行は上から順に5日から8日。左端の行は上から順に9日・10日・20日・30日です。
 10日以降は重箱で「じゅう」です。

 暦の右上には大刀、左上には小刀が描かれています。
 それぞれ、旧暦の大の月と小の月です。

 このような絵があります。
S09egoyomi05
 掛軸には三猿が描かれています。これは庚申の日ですね。
 60日に1回庚申の日が回ってきますので、年に6回ほどあります。
 1月5日から11月8日まで、6つの日付が示されています。

 次の絵は節分。
S09egoyomi06
 鬼やらい。分かりやすいです。12月28日ですね。

 他に、判じ絵には次のようなものがあります。
S09egoyomi07
 銭を紐で通したものは百文です。それが2つで二百。そして、砥(と)、蚊(か)で、二百十日です。
 日付は7月23日です。

 次のようなものも。
S09egoyomi08
 塔(とう)と琴柱(じ)で冬至(とうじ)。
 11月16日です。

 分かったのは大体こんなものです。
 いくら考えてもさっぱり分からないものが多いです。
 更に眺めてみます。

2024年5月29日 (水)

古代文学会のテーマは「声」

 私、古代文学会には所属していないのですが、シンポジウムのパネリストのおひとりである馬場治氏とたまたまメールのやり取りをした過程で、今年度企画のポスターのPDFをお送り頂きました。
Kodai2024a
 今年度のテーマは、「テキストに立ち上がる<声>」とのことです。

 6月22日(土)に開催されるシンポジウムの内容は次の通りです。
Kodai2024b

 また、8月に開催される夏季セミナーの内容は次の通りです。
Kodai2024c

 このように、同じテーマでシンポジウムと夏季セミナーとを行うというのも一法ですね。
 上代関係は、古事記学会、萬葉学会、美夫君志会、上代文学会、古代文学会、風土記研究会と、学会がたくさんあります。
 明らかに多すぎるとは思うのですが、それぞれに歴史や特色がありますしね。研究発表の場が多いというのは良いことと思います。

 さて、シンポジウムの開催日はまたまた6月22日です。
 群馬県立女子大学の群馬学連続シンポジウム、青山学院大学のAI講演会、昭和女子大学の無声映画に加えて、古代文学会。
 進退これ極まれり、です。

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