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2020年11月26日 (木)

奈良旅手帖2021

 毎年買っている奈良旅手帖、予約していた来年度のが届きました。
 表紙は何種類かある中から選べますが、毎年鹿の柄を選んでいます。(^_^)
Naratabi2021a

 裏側。
Naratabi2021b

 中身はほぼ例年通りです。

 天智・天武を中心とした系図も従来通りです。
 ここには前回のを載せます。
Naratabi2020f

 この中で、天武のキサキのうちの2人に一部カナが使われていました。
Naratabi2021c
Naratabi2021d
 JISの第1水準・第2水準以外の文字なので、こういうことになったのでしょう。
 一方がひらがなで、もう一方がカタカナというのも不統一です。
 気づいたのは今回初めてでしたが、これはずっと同じでした。
 プロの印刷所、作字するなり何とかできると思うんですけどねぇ。

 今回は業者を変えたためにしおり紐が付かないということで、代わりに透明なプラスチックのしおりが付いてきました。
Naratabi2021e
 このしおりもよいです。

2020年11月25日 (水)

五味智英先生の色紙

 片づけ中の渋川の家から、五味智英先生の色紙が見つかりました。
Gomimoji01
 原本ではなく印刷ではありますが、懐かしい文字で、五味先生の声が聞こえてきそうな気がします。

 五味先生の文字は、塙書房の『万葉集研究』や、
Gomimoji02

 笠間書院の『論集上代文学』の題字に使われています。
Gomimoji03

 どちらも五味先生ゆかりの叢書ですね。
 先生亡き後も継続的に毎年刊行されているのはすばらしいことと思います。

2020年11月24日 (火)

北野本日本書紀が……

 渋川の家の片づけの最中に見つかった古びた紙の手提げの中に、このような紙袋がありました。
Kitano27a

 この紙袋以外は雑々としたものです。

 中から出てきたのは、これ。
Kitano27b
 北野本日本書紀の巻二十七です。

 分不相応に北野本日本書紀の複製を架蔵(死蔵)しています。そのうちの1冊です。
 全く記憶にありませんが、巻二十七だけを持ち出して、大学でどこかのコピーを取ったのかもしれません。
 使ったものは元のところに戻すというのが鉄則ですよね。それを守らないと物が行方不明になります。

 危ないところでした。片づけに際して、1つ1つ見てゆかないと、大事なものが無くなってしまいます。
 片づけにあまり日は掛けたくありませんが、それよりも慎重さを優先させないと。
 いくら複製とはいえ、精巧で、発行部数も限られた複製は、文化財と考えないといけませんね。

 巻二十七をなぜ持ち出したのか不明です。
 天智紀ですね。近江遷都や蒲生野遊猟などが目的かもしれません。
 でも、単に本文ならば活字本で足りそうです。
 わざわざ北野本を、ということになると、目的は古訓でしょうか。

 近江遷都の記事は次の通りです。
  「都を近江に遷す。是の時に、天下の百姓、都遷すことを願はずして、諷(そ)へ諫(あざむ)く者多し。
   童謡(わざうた)亦衆(おほ)し。日日夜夜(ひるよる)、失火の処多し。」(日本書紀 天智六・三・一九)

 「失火」に、北野本にはこのような訓が付いています。
Kitano27c

 本文には虫損がありますが、訓は「ミツナカレ」(水流れ)です。
 「火(ひ)」という語を使いたくなくて、それを避けるべく、「水(みづ)」と言ったのでしょう。
 最近、水害が多く、水害も困ったことですが、当時は、火を特に怖れたのでしょうね。
 目的はここかと思いますが、全く記憶にありません。(^_^;

2020年10月 8日 (木)

山茶花元気

 しばらく前から山茶花が咲き出しました。
 毎日、1輪、2輪くらいでしたが、今日は5輪ほど咲いていましたので、雨の中、撮影しました。
Sazanka20201008a
 上の花にピントを合わせたら、下の花はボケました。雨で暗かったせいか、被写界深度、浅いです。

 つぼみもたくさんついています。
Sazanka20201008b
 今後、次々と咲いて行くことでしょう。これから楽しみです。

 山茶花は、古くは文字通り「さんざか」(あるいは「さんさか」)と呼ばれていたのが、後に音が転倒して「さざんか」に変わったと言われます。
 日国を見ると、「さんざか(さんさか)」の用例は、
 *尺素往来〔1439~64〕「李花(すもも)。山茶(さんサ)花。海棠花等」
 *日葡辞書〔1603~04〕「Sanzaqua (サンザクヮ)。ツバキノ ハナ」
 *俳諧・毛吹草〔1638〕二「十月〈略〉山茶花(サンザくゎ)」
 *書言字考節用集〔1717〕六「山茶花 サンザク サザンク
などが挙がっていました。

 「さざんか」は、
 *俳諧・冬の日〔1685〕「水干を秀句の聖わかやかに〈野水〉 山茶花匂ふ笠のこがらし〈羽笠〉」
 *大和本草〔1709〕一二「茶梅(サザンク) 山茶(つばき)の類にて、葉も花も小なり。白あり。香よし」
 *書言字考節用集〔1717〕六「山茶花 サンザク サザンク
などです。

 なるほど、よく納得できます。書言字考節用集には両形挙がっていますが、大勢としては、おおよそ17世紀半ばあたりで交替したのでしょうかね。

 また、「つばき」は上代から例がありますけど、「さんざか」は最古の例が15世紀の尺素往来ですね。
 その前はどうだったのでしょう。椿と同じものと考えて、区別しなかったのかも。

2020年10月 3日 (土)

「ぶっ倒れ」た吉良上野介

 先ごろ、このようなものを入手しました。
 昭和14年の映画「忠臣蔵」のシナリオです。
S14chuscena01

 奥付。
S14chuscena05

 画像では大きさが分かりませんが、手のひらサイズです。
 実際の撮影で使ったものではなく、宣伝用とか、おみやげ用とか、そういったものと思います。
 赤穂城明け渡しまでを収めます。

 大石は大河内伝次郎、浅野は長谷川一夫です。
S14chuscena02

 松の廊下の刃傷の場面。
S14chuscena03

 その数行先。
S14chuscena04

 オーソドックスな内容と思いますが、目を引いたのは、浅野に斬られた吉良が「ぶっ倒れ」ていることです。
 刃傷の場面の1枚目は最後の行、2枚目は2行目にその表現が出てきます。
 なんか違和感を覚えます。「ぶっ倒れる」というのが、セリフ(特に町人の)の中に使われているのならば良いのですが、地の文なので。
 俗語と感じたからでしょう。

 日国には次のようにありました。

 ぶっ‐たお・れる[‥たふれる] 【打倒】〔自ラ下一〕ぶったふ・る〔自ラ下二〕(「ぶっ」は接頭語)
  はげしい勢いでたおれる。また、「たおれる(倒)」の俗語的表現。
  *雑兵物語〔1683頃〕下「あに頑馬だによってがらりぶったをれたによって」
  *画の悲み〔1902〕〈国木田独歩〉「川原の草の中に打倒(ブッタフ)れてしまった」

 ここにもやはり、「俗語的表現」とあります。

 近代の作品から用例を探してみました。
 おおよそ時代順です。

 「先程奇怪な叫び声を立てたその若い漁夫は、やがて眠るようにおとなしく気を失って、ひょろひょろとよろめくと見る間に、崩れるように胴の間にぶっ倒れてしまった。」有島武郎『生まれ出づる悩み』

 「一旦これが、他殺の嫌疑のある死体かなんぞになって、往来にぶっ倒れていたとなると、まず権助か八兵衛か熊公か、通称からして調べてかからなければならなくなるし、」里見弴『多情仏心』

 「イエ、丹波様が、お裏庭で、鮪のようにぶっ倒れておしまいなすったから、皆さんのお手を拝借してえんで。」林不忘『丹下左膳』

 「私は着物を四枚重ねだ。若い者は寒いと酒ばかり飲んでいるよ。それでごろごろあすこにぶっ倒れてるのさ、風邪をひいてね。」川端康成『雪国』

 「京造は車掌のことばには答えないで、いきなり、吾一の横っ腹のところに、ぶっ倒れたと思うと、おいおい泣きだした。」山本有三『路傍の石』

 鴎外や漱石の用例は見つかりませんでした。

 大正以降には、有島武郎や里見弴などに用例があります。川端康成の『雪国』は忠臣蔵のシナリオとほぼ同時代です。ただ、この用例はセリフの中ですね。

 私の感覚では、「ぶっ倒れる」というのは、改まったところには使わない表現と思えましたが、昭和14年の頃は必ずしもそうではなかったのかもしれませんね。あるいは感じ方に個人差もあったのかもしれません。

 現代を生きる自分の感覚で考えてはいけませんね。同時代にどうだったのか、調べてみないと。

2020年9月28日 (月)

「支那暦」という語

 ネットオークションで購入しました。
T15okabe01
 大正15年の暦です。
 岐阜県のお店が顧客に配ったもののようです。
T15okabe02

 注目したのは、上から2段目の左側にある「支那暦」という語です。
 初めて見る語でしたので、関心を持ちました。
 日国にも立項されていません。
 意味としては「旧暦」と同じものとみて良さそうです。
 日国には「旧暦」は次のようにあります。

------------------------------------------------------
きゅう‐れき[キウ‥] 【旧暦】〔名〕
(1)古い暦。昔、用いられた暦。
  (用例省略)
(2)昨年。旧年。
  (用例省略)
(3)明治五年(一八七二)に採用された太陽暦(新暦)に対して、それ以前に用いられた太陰太陽暦をいう。上代の日本には固有の暦法がなく、七世紀、推古天皇のときに、中国の暦法が移入されてこれを遵用して以後、儀鳳暦(ぎほうれき)、大衍暦(たいえんれき)などいくつかの中国暦によった。特に貞観四年(八六二)に採用された宣明暦は八二三年間利用されたが、その誤りを見出した安井算哲(渋川春海)が元の授時暦を日本に適応させた新暦の採用を奏上、貞享元年(一六八四)に採用が決まり、同二年より施行された。以後、宝暦暦、寛政暦、天保暦と修正が加えられた。これらを通称していう。今日では天保暦をさす。……以下略
*改暦の詔‐明治五年〔1872〕一一月九日「太陽暦は〈略〉太陰暦に比すれば、最も精密にして〈略〉依て自今旧暦を廃し、太陽暦を用ひ」
*浮雲〔1887~89〕〈二葉亭四迷〉二・七「暦を繰て見れば、旧暦で菊月初旬(はじめ)といふ十一月二日の事ゆゑ」
*母なるもの〔1969〕〈遠藤周作〉「この島では、カトリック信者が、新暦でクリスマスや復活祭を祝うのにたいし、かくれたちは旧暦でそっと同じ祭を行うのだそうである」
  (以下省略)
------------------------------------------------------

 太陽暦に対する「旧暦」という語は、明治5年から既に用いられており、『浮雲』などにも使われています。

 いわゆる「旧暦」は中国の暦法ですから、その意味で「支那暦」と言ったのでしょうか?
 ただ、上の日国にもあるように、江戸時代に日本で改良されたものが使われていたわけですから、あえて「支那暦」と言わなくても良さそうに思います。

 当時の中国は中華民国ですね。中華民国でも太陽暦を使っていたと思いますが、もしかしたら民間では旧暦が主に使われていたといった状況があったので、それで、中華民国で使われている暦を「支那暦」と呼んだとか?

 ちょっと不思議。

 中央部分に顧客宛の「感謝と御願」という挨拶文が載っています。
T15okabe03
 「何があったのでしょう?」と気になるような文章です。(^_^)

 郵便為替と小包の料金表も載っています。
T15okabe04

 いろいろと便利そうな暦です。

2020年9月27日 (日)

平成10年の観音寺木簡記事

 新聞の切り抜き、また出てきました。
 今回は、難波津の歌を書いた観音寺木簡に関する記事です。

 毎日新聞の平成10年11月5日付朝刊
H10kannonji_mainichi

 同日の読売新聞。
H10kannonji_yomiuri

 この記事のために新聞2紙を購入したようです。
 7世紀後半のものですね。当時、和歌を書いた最古の木簡の発見ということになります。
 「ツ」の仮名も興味深いです。「矢」という訓仮名も使用されています。

 読売の記事の末尾には、他に「国守」と記した木簡や、「椿 ツ婆木」と記した木簡が出土したことも書かれています。
 これらの木簡も貴重ですね。

 その後、平成20年に相次いで歌木簡が発見されることになりますが、その先駆けのような発見でした。

 憶えのために列挙しておきます。
  平成18年10月 「春草」木簡(難波宮跡)7世紀半ば
  平成20年 5月 「難波津/安積山」木簡(紫香楽宮跡)8世紀半ば
  平成20年10月 「朝凪」木簡(石神遺跡)7世紀後半
  平成20年10月 「秋萩」木簡(馬場南遺跡)8世紀後半

2020年9月23日 (水)

踊り字と改行

 先ごろ、ツイッターに「#日本語史研究上有名な用例100」というハッシュタグが立ったので、面白がって、いくつか書き込みました。
 その1つが以下のものです。

----------------------------------------------------------------------------
古事記
「内者富良々々、外者須々夫々」(上・大国主)。
「ほらほら」と「すぶすぶ」とで、踊り字の使い方が異なる。
両様あったのか、あるいは一方は誤写か。
「塩許々袁々呂々迩」「我御心須々賀々斯」「登々富々斯」などを見ると、「富良々々」が誤写か。
#日本語史研究上有名な用例100
----------------------------------------------------------------------------

 「塩許々袁々呂々迩」は冒頭付近の国生みの段に出てきますけど、現代だと、これでは「ここををろろ」になってしまいます。
 大国主の根堅州国訪問の部分では、現代と同じ形式の「ほらほら型」と、「こをろこをろ」と同型の「すぶすぶ型」とが連続して出てきます。
 古事記全体では「すぶすぶ型」が多いので、こちらが標準形で、「ほらほら型」は誤写の可能性が高そうですが、それにしても、連続した部分ですので、果して誤写するだろうかと不思議に思っていました。

 そうしたところ、私のツイートが蜂矢真郷先生のお目に止まり、蜂矢先生からメールを頂きました。

 「富良々々」は、真福寺本では「富良」が行末で、そこで改行されているというご教示でした。

 「何と!」です。私は真福寺本を見ていませんでした。
 万葉集だったら校本を見たと思うのですが、古事記は日頃、写本や校本をあまり見ていません。大いに反省しました。

 真福寺本では、「富々/良々」(/は改行。以下同)という改行になるのを嫌って、「富良/々々」としている、ということになります。

 現代とは逆ですね。現代では、むしろ「々」は行頭に来ないように禁則処理の対象になりそうです。
 しかし、古事記では「富々/良々」などという形で改行がなされると、「ほほらら」と訓まれる怖れが生じてしまうのでしょうか。

 大いに興味を持ちました。

 古事記では「ほらほら型」がもう1例あります。応神記の47番の歌謡の末尾の「佐夜々々」です。こちらは真福寺本では行中でした。
 とすると、こちらの例では、真福寺本の親本か、それ以前のどこかの段階で「佐夜/々々」と書かれた本があったのかもしれません。

 おもしろいです。
Horahora


2020年9月14日 (月)

コ+ロ+ナ=君

 昨日、さるまほろばメイトの方から教えて頂きました。
Corona_kimi
 いやぁ、うまいものですねぇ。見事です。
 これ、全く知らなかったのですが、ググってみましたら、4月・5月頃、ネットで評判になり、新聞にも載った作品でした。

 作者は、大阪府内の百貨店にお勤めで宣伝や広報を担当している、イラストレーターのタナカサダユキさん。
 4月1日にご自身のFacebookにこの歌を投稿したのだそうです。
 その後(といっても、すぐのようですが)、リクエストを貰って、このイラストを描いたとのことです。

 「むべ山風を嵐といふらむ」から始まる(いや、万葉集にもあったかも)文字分解のことば遊びですね。

 漢字を憶えるのに、「戀」という字を「糸し糸しと言ふ心」と分解するのもありますね。
 文字遊びというより、実用的な記憶法と言うべきかもしれませんが。
 「戀」を分解すると確かにそうなるだけじゃなくて、意味もぴったりです。

 「櫻」を「二階の女が気に掛かる」、「壽」を「武士笛一インチ」というのもありますけど、この2つは、文字を分解すれば確かにそうなりますけど、意味は全く無関係です。その点で、「いとしいとし」は傑作と思います。

2020年9月12日 (土)

食偏の字体(チコちゃんに叱られる!)

 「チコちゃんに叱られる!」を毎週楽しみに見ています。
 昨日、豊川悦司がチコったので、漢字の書き取りということになりました。問題は「ぎょうざ」。
 豊川悦司は、最初ツクリが思い出せず葉っぱの絵を書きましたが、すぐに思い出して、食偏に「交」と書きました。
 合っていますよね。
Chiko_shoku
 ところが、これは不正解とされました。理由は、左下に示したように、食偏の下部は横線2本で書かなくてはいけない、というのです。
 正解にすべきだと思うんですけどね。

 現代の印刷字体は『康熙字典』に準拠しています。
 戦後、当用漢字が制定され、後に常用漢字が制定されたときに、表内字については、食偏は「飲」「飯」のように「食」に1画足りない形になりました。しかし、表外字については、それに取り残される形で「飴」「餌」のように『康熙字典』のまま残り、下部は横線2本です。

 豊川悦司の書いた字が不正解とされたのはこういう理由によるのでしょう。
 でも、これは活字などの印刷字体についてのもので、手書きまで印刷字体に合わせなくてはいけないものなのか。
 文科省も、表内字については印刷字体と手書きとは分けて考えています。表外字だってこれに準ずるべきものと思います。

 『類聚名義抄』はこんな具合です。
Myogi_shoku

 シンニュウの点1つ2つも同じですね。
 手書きも印刷字体と同じにしなくてはいけないというのは誰が決めたのでしょう。
 マナー講師の謎ルールと同じようなものではないでしょうか。

 手書きの場合は、表内・表外を問わず、食偏は「飲」型でも「飴」型でも良しとすべきでしょう。
 シンニュウの点だって、表外字も点1つで良いと考えます。もちろん2つ書いてもOK。
 自分で自分を縛ることはありません。

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