文字・言語

2018年4月21日 (土)

「現代かなづかい」と「現代仮名遣い」(お詫び、訂正)

 現代仮名遣いに関する先ほどの私の文章、用語(用字)が不適切でした。

 昭和21年11月16日付けで「内閣訓令第八号」「内閣告示第三十三号」として、「内閣総理大臣 吉田茂」名で出されたのは「現代かなづかい」。

 昭和61年7月1日付けで「内閣訓令第1号」「内閣告示第一号」として、「内閣総理大臣 中曽根康弘」名で出されたのは「現代仮名遣い」です。

 本来、「現代かなづかい」と表記すべきところを「現代仮名遣い」と書いていました。

 不正確、不適切な表記をしていたことを反省し、訂正致します。

オ列長音について(辞書の見出し)

 昨日のブログでご紹介した「映画かるた」の仮名遣いについて、昨日今日、お二方から御教示頂きました。

 お一方は友人の木下信一氏からで、「映画かるた」と同様の仮名遣いは、金田一京助氏編(実態は見坊豪紀氏編だそうですが)の『明解国語辞典』でなされているとのことでした。この辞書の初版発行は昭和18年ですが、現代仮名遣いが制定されたあとに発行された改訂版でも同様だそうです。

 そして、今日、蜂矢真郷先生からは、時枝誠記氏編の『例解国語辞典』も同様であるとの御教示を頂きました。

 ブログをご覧いただいている上に、御教示まで頂いて、大変にありがたいことです。

 下は、たぶんその辞書のものと推定される画像です。
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 昭和21年に答申された現代仮名遣いは、歴史的仮名遣いを原則として発音通りにすべく決められたものですが、例外も多いですね。

 昨日の点に関しては、歴史的仮名遣いの「あう」「かう」「さう」「たう」「なう」「はう」「まう」「やう」「らう」を「おう」「こう」「そう」「とう」「のう」「ほう」「もう」「よう」「ろう」と表記するという方式ですが、「映画かるた」は、これらを「おお」「こお」「そお」「とお」「のお」「ほお」「もお」「よお」「ろお」と表記しているのでした。

 確かにこちらの方が、より発音に近いでしょう。ただ、さらに言えば、「おー」「こー」「そー」……のように、長音記号を使う方が、より発音に近いと言えそうです。

 「水戸黄門」は「みとこおもん」ではなく「みとこーもん」になりましょう。でも、長音記号を使うと軽い印象になりますよね。固有名詞で「おーともりゅーたろー」と書かれたら、本人はイヤでしょうね。(^_^;

 また、長音記号は、記号であって仮名ではないので、長音記号を使ってしまっては仮名遣いとは言えないかもしれません。

 たまたま気づいた「映画かるた」の仮名遣いでしたが、なんか深みにはまりそうになっています。(^_^;

2018年4月20日 (金)

昭和30年代の「映画かるた」

 このようなかるたを入手しました。
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 絵札から何枚かご披露します。
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 右上から横へ、大河内伝次郎、月形龍之介、片岡千恵蔵、市川右太衛門、大川橋蔵、中村錦之助、北大路欣也、高倉健です。懐かしい面々です。

 対応する読み札は次の通りです。
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 大川橋蔵と北大路欣也の両方に「凛々しい」が使われていて、やや工夫が足りません。(^_^)

 しかし、男性ばかりになってしまいました。女性もいるのですが、あまりパッとしません。←失礼。(^_^;

 女性陣の読み札は、「若鮎のような桜町弘子」「眼もと涼しい丘さとみ」「娘役には大川恵子」など、男性陣とは異なり、作品や役名と絡めたものがありません。女性を主役にした作品が稀だったせいではないかと思います。

 このかるた、著名な俳優が並んではいますけど、思い付くままに挙げてみれば、長谷川一夫、市川雷蔵、勝新太郎、三船敏郎、鶴田浩二、山本富士子、山田五十鈴、淡島千景、若尾文子、原節子などがいません。

 どうもこのかるた、東映の俳優限定のように思えます。色々と権利関係等があるのでしょうか。

 奥付等が全くなく、いつのものか分かりませんが、上に示した8枚の絵札にはそれぞれ作品名が書かれています。

 大河内伝次郎「大菩薩峠」、月形龍之介「水戸黄門」、片岡千恵蔵「はやぶさ奉行」、市川右太衛門「謎の紅蓮塔」、大川橋蔵「鮮血の人魚」、中村錦之助「ゆうれい船」、北大路欣也「黄金の伏魔殿」、高倉健「青い海原」です。

 このうち「水戸黄門」以外は全て昭和32年の作品です。月形の「水戸黄門」は何作も作られていますが、昭和32年の作品もあります。

 この8枚しか確認していないというのがツメの甘いところながら、このかるたは昭和32年頃に作られたものと思われます。

 千恵蔵の「はやぶさ奉行」は、昭和32年とはいっても、暮も近づいた11月17日公開とのことですので、このかるたが製品化されたのは、年が変わった昭和33年かもしれません。

 読み札を見ていて、上の例でいえば、水戸黄門(みとこおもん)、遠山金四郎(とおやまきんしろお)、次郎丸(じろおまる)というルビに興味が湧きました。

 全体を見ると、こういった例には、江原真二郎(えばらしんじろお)、大友柳太朗(おおともりゆうたろお)、進藤英太郎(しんどおえいたろお)、杉狂児(すぎきよおじ)、扇太郎(せんたろお)、西郷隆盛(さいごおたかもり)、颯爽(さつそお)、上手(じよおず)、少年(しよおねん)、洋舞(よおぶ)、乱戦乱斗(らんせんらんとお)がありました。

 現代では「おう」「こう」「そう」「とう」「のう」「ほう」「もう」「よう」「ろう」と書くところが、「おお」「こお」「そお」「とお」「のお」「ほお」「もお」「よお」「ろお」となっています。これ、当時としても一般的な仮名遣いではなかったと思います。

 そんなことも含めて、やはり同時代資料は楽しいです。(^_^)

2018年3月20日 (火)

『師範学校国文教科書』巻六(つづき)

 昨日取り上げた師範学校国文教科書の続きです。

 附録の 「二 文字に関する問題」には次のようにあります。
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 続きです。
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 1から9まで、それぞれに興味深いです。現代ではもう決着の付いてしまったものあり、まだ決着をみないものあり、様々ですね。

 1の平仮名・片仮名の優劣というのはどういうことでしょうね。小さい文字のコメントを読むと、どちらの方が憶えやすいか、ということでしょうかね。当時はまだ漢字カタカナ交じり文も多かったことでしょうし、小学校では片仮名の方を先に教えたようですから、こういうことが問題になっているのでしょうね。

 3の漢字制限のことは、戦後すぐに実現しましたね。でも、近年は電子機器の普及により、読める漢字と書ける漢字とを分けて考えるようになってきたのは、新しい流れですね。

 6も、戦後、現代仮名遣いとして実現しましたね。でも、個別にみてゆくと、矛盾点もあって、解決済みとは言えないようです。

 「四 単語に関する問題」は以下の通りです。
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 これまた、現代でも問題になりそうな事項がありますね。そもそも、どこかで決めるべきことなのか、決める必要のないことなのかという問題もありそうに思えます。

 昨日書いたように、これらの「附録」が初版の明治36年から既に存在していたのか、あるいはその後の訂正版あるいは修正版のどこかで付いたものなのか不明ですが、長年月に亙る問題ですね。

 この教科書では、これらの問題点について、どうあるべきものか、どうすべきものかということは言及していません。こういう問題点があるということを示しているのみです。将来教職に就く人たちに対して、こういう問題点があることを心に止めて置いてもらいたい、という趣旨なのかと思います。

2018年3月19日 (月)

『師範学校国文教科書』巻六

 ネットオークションで見つけて買いました。大正13年のものです。
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 当時、師範学校の国語の教科書にはどんな作品が載っていたのか、ということに興味を抱いて、手を出してしまいました。

 目次です。
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 続き。
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 内容は、評論やら小説やら、様々ですね。古典は中世のものが多いです。この本は巻六ですので、巻によって特定の時代の作品を集めているとか、そういった方針があるのかもしれません。1冊だけでは何とも、です。

 目次の最後にある「附録」が興味深かったです。

 「一 発音に関する問題」は以下の通りです。
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 当時は歴史的仮名遣いだったので、特に1、2などが問題になったのでしょう。現代では解決済みでしょうね。3は、現代においては、鼻濁音を使うべきところではそうすることが望ましい、と言われることもありますけど、強制はされていませんね。4は、現代ではあまり問題にされていないように思います。

 末尾に「訛音矯正」という語がありますね。訛音は矯正すべきものという前提があったことが推測されます。

 この教科書の奥付は以下の通りです。
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 「附録」が、初版の明治36年の時点からあったのか、あるいは、その後の訂正、修正のどこかの段階で付け加わったのかは分かりません。

 「二 文字に関する問題」や「四 単語に関する問題」もなかなか興味深いです。小出しにするわけではありませんが、また後日。

2018年3月 6日 (火)

「嗚呼忠臣楠子之墓」拓本

 ネットオークションで入手しました。拓本の現物ではなく、印刷です。

 水戸光圀が筆を執った墓碑銘。
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 朱舜水の賛。
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 袋付きです。
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 楠正成が好きなので飛びついてしまいましたが、考えてみれば、これひょっとしたら今でも湊川神社の社務所で買えるのかもしれません。

 今回とは別に、以前入手した湊川神社の絵はがきに碑の写真がありました。
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 湊川神社には以前行ったことがありましたが、それも平成10年のことで、まだデジカメは持っていなくて、写ルンですで撮りました。それをデジタル化してHPに載せたものが残っていました。サイズも小さくて画質も良くありません。
Nanko2
 湊川神社の境内には正成の最期の地があります。といいますか、湊川神社は、明治天皇の沙汰により、終焉地と墓所とを含む地域を境内地として、明治5年に創建されたものです。

 正成最期の地は社殿の奥にあるようですが、禁足地だそうです。

 せめて写真がないものかと思っていたところ、先ほどの絵はがきの中にありました。
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 解説には「御遺跡」とあるのみですが、絵はがきに写っている解説板には「御殉節遺跡地」とありますので、ここがその地と思われます。

2018年3月 4日 (日)

『伊勢物語を読み解く』

 このような本を入手しました。
 山口佳紀先生の『伊勢物語を読み解く 表現分析に基づく新解釈の試み』(三省堂)です。
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 序章に次のようにあります。

 『伊勢物語』は注釈の歴史も古く、かなり深く読み込まれているように思われている。しかし、一段一段読み進めていくと、そこに記された表現の真意が誤解されてきたのではないかと思われる箇所が少なくない。そして、その箇所をどう解釈するかは、当該章段全体の趣旨に対する理解を左右する問題にもなっていることがある。
 ところで、その誤解の原因がどこから来るかと考えてみるに、言語表現そのものの分析が十分でないことに帰せられる場合が、かなり存するのである。本書では、日本語学の立場から、改めて『伊勢物語』の幾つかの章段を読み解き、新たな解釈を提示してみたい。

 目次は以下の通りです。

 序章   本書のはじめに
 第一章  第九段(東下り)
 第二章  第一〇段(たのむの雁)
 第三章  第一二段(盗人)
 第四章  第二二段(千夜を一夜に)
 第五章  第二三段(筒井筒)
 第六章  第二四段(梓弓)
 第七章  第二六段(もろこし船)
 第八章  第四九段(若草)
 第九章  第五〇段(鳥の子)
 第一〇章 第五一段(菊)
 第一一章 第六〇段(花橘)
 第一二章 第六二段(こけるから)
 第一三章 第六四段(玉すだれ)
 第一四章 第七五段(海松)
 第一五章 第八三段(小野)
 第一六章 第八五段(目離れせぬ雪)
 第一七章 第一一三段(短き心)
 第一八章 第一一四段(芹河行幸)

 国文学研究と国語学研究との間に距離が生じてしまったことでこういった問題が生じてきたのでしょうね。

 その点、上代文学の場合は、本文そのものが漢字だけで書かれているために、そもそもそれをどう訓むかという所からスタートするので、文学研究と語学研究との間の距離は小さいと思います。

 それが、平安時代以降の作品については、文学研究者の解釈が、語学研究者の目から見ると、間違っているとか、届いていない、ということになる場合がやはりあるのでしょうね。でも、伊勢物語という著名な作品についてもまだそういうことがあるのかと意外に思いました。

 学問の道は遠く険しいです。

 楽しみにじっくりと読むことにします。

2018年2月26日 (月)

デラックスこゆるぎ弁当

 昨日、近所のスーパーで買いました。小田原駅の駅弁です。
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 この駅弁を買った動機は「こゆるぎ」という名称です。

 万葉集の相模国東歌に「相模道の余綾(よろぎ)の浜の真砂なす」(3372)という歌があり、和名抄にも相模国の部に余綾郡、同郡に余綾[与呂木]郷がありますので、気になりました。

 中身です。小田原名物の蒲鉾がちゃんと入っています。(^_^)
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 原材料等は以下の通りです。
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 「こゆるぎ」についてはパッケージの後ろに以下のような解説がありました。
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 解説の後半に書いてある小田原の語源説は多分違うと思います。

2018年2月24日 (土)

難波津木簡の講演会に行ってきました

 先日ご紹介した「平安京出土「難波津」の歌の木簡と『古今和歌集』仮名序」の講演会に行ってきました。
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 会場は日本女子大学です。大学本体と目白通りを挟んだ向かい側の校舎で、角さんちの隣です。

 司会の田中大士先生。
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 会場校の文学部長高野晴代先生の挨拶。
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 犬飼隆先生。
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 犬飼先生のスクリーンから。
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 同じくもう1枚。
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 高田祐彦先生。
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 シンポジウム。
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 上に載せた犬飼先生のスクリーンのお話しもありましたが、中心は2015年に平安京跡で発見された難波津木簡の性格です。
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 画像が小さいので、拡大して3分割して示します。
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 犬飼先生の読みでは、1行目は「なにはつにさくやこのはなふゆこもりいまはゝるへと□くや□のはな」、2行目は「□く□□るまらとすかたそえてはへるつとい□」。

 犬飼先生のお考えは、1行目は木簡に多数見られる難波津の歌を書いたものであるが、2行目は散文であり、かつ「はべる」という語が見えるので、会話か手紙のように思われる。1行目が字の大きさや字間が一定しているのに対して、2行目は自由に書かれていて、両者は筆致が異なる。2行目は難波津の歌について批評や意見交換をしたものではないか。2行目の「まらと」は「まらうど(客人)」のことで、具体的には、難波津の歌を作ったとされる、百済から渡来した和邇を指すのではないか。木簡の上部が削られているのはインデックスのためで、この木簡は歌集を編纂するためのデータベースの1枚なのではないか。といったことでした。大変に刺激的なお説です。

 会場にいらしたお茶の水女子大学の浅田徹先生からは、この木簡の1行目と2行目とは必ずしも関連付けて考えなくても良いのではないか、という否定的なご意見も出され、これも興味深かったです。

 良い会に参加できました。

2018年2月17日 (土)

「東海道五十三次はんじ物」

 昨日、「無筆重宝国尽案内」という判じ物をアップしたのと、その中に「ひ」と「し」の混同とおぼしき例があったのとで、思い出しました。

 似たような例に「東海道五十三次はんじ物」というのがあります。これ、在職中に担当していた教養教育科目の「日本語と文化」の中で毎年のように取り上げていました。
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 「東海道五十三次」とありますが、全部で20項目しかなく、対象となっている宿場も日本橋から岡部までという東側の地域に限られます。これ、本来は東海道五十三次の東部・中部・西部の3部構成か、あるいは東部・西部の2部構成のうちの東部に当たるものと思われます。

 20項目の中には分かりやすいものと難解なものとがあります。

 分かりやすいものとしては、右端の上から3つ目。歯と猫がひっくり返っている絵。「ねこ」がひっくり返って「こね」、その上に「は」があるので、「は+こね」です。

 左端の中程にある戸板と刀の柄(つか)の絵は「と+つか」ですね。その右隣は竹の皮を割いているので、「かわさき」。(^_^)

 さて、戸塚の下にこのような絵があります。
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 難解ですが、日本橋から岡部までの範囲で考えると、どうやら平塚のようです。なぜ平塚になるかというと、左側に魚(かつお)が描かれています。尾がないので、「かつ」。頭を下にしているので、「つか」でしょう。

 かつおの右側の男は「お若えの、お待ちなせえやし」の白井権八と思われます。着物に丸に井の字の紋所が見えます。その上半身なので「しら」。両方合わせて「しら+つか」となります。

 白井権八は、本名は平井権八だそうなので、それならば素直に「ひら+つか」となりますけれども、この人物、講談や歌舞伎の世界では白井権八の名で通っているものと思われますので、やはり「しら+つか」と考えるべきかと思います。

 そうなると、これも昨日の信濃と同じく「ひ」と「し」の混同例となりましょう。

 信濃の場合は以下のような感じですかね。

 「しなの」はどうしよう。「しな+の」で、「の」は野原の絵を描けばいいな。
 「しな」は……、「そうだ。おシなさまにしよう」。(^_^)

 平塚の場合はこんな感じでしょうか。

 「シらつか」はどうしよう。「シら+つか」かな。「つか」は刀の柄なら簡単だけども、戸塚で使っちまったからなぁ。ちょっと難しくしてみるか。
 「シら」は、おいらの大好きな白井権八で行こう。

なんてことかと。(^_^)

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