文字・言語

2017年7月18日 (火)

フォントかるた

 このようなかるたを入手しました。今年2月発行という新しいものです。
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 箱を開けるとこのようになっています。
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 向かって左側が取り札。右側が読み札です。

 全部で48書体。リストは以下の通りです。
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 正楷書体、教科書体、古印体、勘亭流などもありますけど、大部分は明朝体とゴシック体のバリエーションです。

 読み札の中から8枚並べてみます。
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 遊び方を書いた説明書も入っています。
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 読み手がフォント名を読み上げ、競技者はその取り札を取るというシステムです。フォント名だけでは取れない場合は、読み札の解説文も読むことになっていますけど、解説文を読まれても取れないでしょうねぇ。

 文字好き・かるた好きとしては思わず買ってしまったのですが、あまりにもマニアックすぎて、超難問のかるたです。(^_^;

2017年7月 1日 (土)

昭和14年の『東宝映画』

 『東宝映画』をいう雑誌を入手しました。大きさはB4よりも少し大きく、グラフ誌といった感じです。
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 表紙は大石内蔵助の大河内伝次郎と、浅野内匠頭の長谷川一夫です。

 奥付を見ると昭和14年の4月号です。
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 表紙から分かるように忠臣蔵特集で、配役もびっしりと並んでいます。
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 ごくごく一部を紹介すると、次の通りです。

 大石内蔵助:大河内伝次郎
 浅野内匠頭:長谷川一夫
 吉良上野介:丸山定夫
 内蔵助妻お陸:入江たか子
 お軽:山田五十鈴

 一力のスタッフが目に付きました。

 一力女中おてる:原節子
 一力女中あぐり:高峰秀子
 一力女中おいさ:霧立のぼる
 一力仲居おさん:清川虹子
 一力仲居おくら:沢村貞子

 どれだけ豪華な一力、と思いました。この女優陣、当時はまだこれから、といった立場だったのでしょうかね。

 大石吉千代:仁科周芳、というのもありました。仁科明子のお父さんの岩井半四郎ですね。まだ子役。

 お笑い系では、艶辰大尽:横山エンタツ、阿茶古大尽:花菱アチャコ、畳職人八公:榎本健一、というのも見えました。

 なかなか興味深いです。

 大判な誌面を生かした名場面集も載っていました。
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 忠臣蔵以外の記事もあります。
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 これ、ちょっと意表を衝かれて、「マルコポーロって誰だっけ?」と思ってしまいました。(^_^; 東方見聞録のマルコポーロですね。ゲーリー・クーパー。日米開戦の2年半前の段階では、まだこうした映画も上映されていたのですね。次のページには淀川長治氏(懐かしい)の解説があります。

 雑誌本体の記事中、横書きは全て右からです。間に挿入されている広告も右横書きが多いですけど、左横書きも多少あります。
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 上の2つの広告は切り貼りしたものです。フナキヤは右横書き、野田屋食堂は左横書きです。

 フナキヤさんはチェーン店なのですね。「フナキヤチエーン」とあります。当時、このような言葉がすでにあったのですね。神戸の元町二丁目が本店でしょうか。他に元町三丁目、元町六丁目、三宮二丁目にも支店があったようで、繁盛していたのでしょう。

 裏表紙はどーんと丸ごとナショナルの1社提供です。これが丸ごと左横書きです。右上隅にある懐かしいナショナルのマークの文字も左横書きですね。
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 同時代資料は本当に面白いです。

2017年6月21日 (水)

シンポジウム「方言研究の楽しみ」

 群馬県立女子大学では7月1日(土)に次のようなシンポジウムが開催されます。
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 このシンポジウムは国文学科が主催するもので、昨年から始まり、昨年は3回開催しました。今回のシンポジウムの詳細は以下の通りです。
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 今回のシンポジウムの趣旨は以下の通りです。
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 なお、当日の午後は国語国文学会主催の大会が開催されます。
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 多数のご来聴をお待ちしています。

 私は出席できなさそうな気配ですが。(^_^;

2017年6月13日 (火)

「とめ・はね」が違ったらバツ!?

 ネット上で、小学1年生の女の子が、ひらがなの「はね」が間違っているということで、書いた文字を先生に×にされた、という記事を見つけました。
Tomehana
 ママスタセレクトというサイトです。

 この件について文化庁(?)に問い合わせたところ、以下のような回答があったそうです。

 >文字については、それぞれ人により癖があるため、「形が変わりすぎていて読めない」という場合を除いては、間違いとはしません。
 >漢字については教育指導要領で定めていますが、ひらがなについてはとくに決まりはありません。
 >学校の授業では、教科書にそって先生の教えたことが正しくできているかを見ています。そのため「とめ」と「はらい」で、×にするかどうかはその先生の判断によります。
 >ご家庭と学校での指導法が違うのであれば、一度両者で話し合ってみてください

 これどうなんでしょ? 要するに、とめてもはねてもどちらも正解、ということですよね。にも関わらず、学校と話し合えと?

 よく言えば、学校の指導に文化庁(?)は介入しない、ということですかね。

 この記事の「文化庁」というのは「文科省」の誤りではないかと思うのですが。

 その前提で言えば、文科省というのはそんなに学校の自主性を重んずるお役所なのでしょうか。

 なんかね。

2017年4月 2日 (日)

永年勤続表彰状のスキャン

 一昨日、定年退職の辞令とともに、永年勤続の賞状も頂きました。
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 永年というのは30年以上ですかね。ちょっと分かりません。私は33歳から65歳まで勤めて勤続32年になりましたが、行政職の方々は22~23歳くらいから60歳まで勤めると勤続38~37年になりますね。中途採用以外の皆さんはあらかた永年勤続の対象になりそうです。

 さてこの賞状、A3位の大きさがあります。退職の辞令はA4程度でしたので、スキャナで読み込めましたけど、永年の賞状は無理です。

 こういうときには、1月に購入したオーバーヘッドスキャナが使えます。
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 ただ、賞状は筒に入れて持ち帰りましたので、丸め癖が付いてしまいました。

 重しを載せれば、それも写ってしまいます。
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 このようなときのためにアクリルの板を買ってありました。持ち手付きです。
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 これを使って無事にスキャンできました。持っている機材をより便利に使おうとすると、あれこれ機材が増えてゆきます。(^_^;

 さらにさて。退職辞令の方の私の名前は敬称略でしたが、こちらには「殿」が付いています。

 身分の変更辞令には敬称は不要だけれども、誉める方には付けるということになりましょうか。

 賞状1枚にもなかなか奥の深いものがあります。(^_^)

2017年3月27日 (月)

ナゾの木簡

 昨日ご紹介した木簡パスポートの続きです。

 あの木簡パスポートは、実在する木簡を複製したものなのかどうか調べてみました。

 こういう調査は簡単です。奈良文化財研究所のサイトで木簡データベースを検索すればすぐに分かります。便利な世の中になりました。

 検索した結果、ぴったりなものはありませんでしたが、よく似たものが1件見つかりました。滋賀県の鴨遺跡から出土した木簡です。この木簡のことは『木簡研究』の第2号と『日本古代木簡選』(岩波書店)とに掲載されていることも分かりました。『木簡研究』は昨日見ることができましたが、図版は掲載されていませんでした。今日、『日本古代木簡選』を見て来ました。こちらには図版が載っていました。
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 文字はよく見えませんね。

 収録されていた釈文は次の通りです。

 (上部)遠敷郡/(下部1行目)遠敷郷小丹里/(下部2行目)秦人足嶋庸米六斗

 鴨遺跡木簡と木簡パスポートとを並べてみます。
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 形状は大変によく似ています。サイズも、鴨遺跡木簡が160mm×32mm×6mmであるのに対して、木簡パスポートは160mm×30mm×6mmです。幅が木簡パスポートの方が2mm短いだけで、あとは同じです。

 木簡パスポートのモデルは鴨遺跡木簡と考えてよいでしょう。本文は、上部が鴨遺跡木簡では「遠敷郡」であるのに対して、木簡パスポートでは「若狭国遠敷郡」となっており、「若狭国」が加筆されています。下部の1行目は両者同じです。下部の2行目は、鴨遺跡木簡が「秦人足嶋庸米六斗」であるのに対して、木簡パスポートは「秦人庸米六斗」となっており、「足嶋」という人名がカットされています。

 「若狭国」を書き加えたのは、博物館の名称が福井県立若狭歴史博物館だからではなかろうかと思います。

 「足嶋」をカットしたのは、フルネームだと個人情報保護の観点から問題が生ずるからでしょう。

……なんてはずはありませんね。(^_^)

 「若狭国」を書き加えた分、どこかを削る必要が生じたからでしょうか。

 博物館などで、実物の代用として展示するレプリカは、限りなく実物に近いことが求められましょうが、今回のような木簡パスポートは、それとは性格が異なりますので、改変しても良いということでしょう。さらに言えば、複製と贋作とは紙一重でもありますので、現物の趣は残しつつも、あえて現物とは違ったものとして作成したということがあるのかもしれません。

 なかなか面白いことが分かりました。

 でも、鴨遺跡木簡そのものについて、もっと興味深いことがあります。

 この木簡には「遠敷郡遠敷郷小丹里」とあります。郡郷里制下のものですので、この木簡の時代は霊亀三年(717)~天平十一年(739)と考えられます。ところが鴨遺跡木簡の時代は、伴出土器の年代から九世紀後半と考えられるとのことです。しかも同じ出土層から貞観十五年(873)の年紀のある木簡が出土しているということです。この100年以上(150年を越えるかもしれません)の年代のズレをどう理解すればよいのか。

 さらにもう1つ。なぜこの木簡がこの遺跡に埋っていたのか。この木簡は文面から荷札であることが明らかです。荷札であれば、諸国から都へ税として運ばれる物産に付けられ、都に着けば、役目を終えて廃棄されるか、あるいは表面を削って再利用されたことでしょう。従って、荷札木簡は一般的に終着地(藤原京、平城京など)で出土します。

 鴨遺跡は琵琶湖の西岸、北の方に位置します。若狭から都への道中です。どうしてそこからこの木簡が出てきたのか。輸送中に落ちたのかと考えましたが、路傍に落ちたのなら、その場で長年月を経て朽ち果てたことでしょう。遺跡から出土することはありますまい。

 都へ輸送中に賊に襲われて奪われたのでしょうかね。鴨遺跡は賊の根拠地だったとか。

 2つ、大きなナゾです。

 『木簡研究』も『日本古代木簡選』も、ともにそのナゾに触れてはいますけれども、どう理解すべきか苦慮しているようです。『木簡選』には、「(地名の記載方法から推定される年代と)伴出遺物から推定される年代との間の差をどう考えるかは、遠敷郡の庸米が何故ここで消費されたかという問題とともに、この遺跡の性格を考える場合に重要であろう。」とあります。2つのナゾはリンクしていそうですね。この遺跡は、部分的にしか発掘されておらず、「面的に遺構の性格を追求する調査は実施されていない」とのことです。

 興味深いですねぇ。昨日、予告して1日お待ち頂きましたけれども、ご期待に添えたのではないかと思っています。(^_^)

2017年3月26日 (日)

木簡のレプリカ

 木簡のレプリカを入手しました。入手先はまたネットオークションです。
Onyumokkan01
 長さは16cmほどです。

 裏はこのようになっています。
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 上の方に捺してある朱印の印文は鮮明で「若博特別展」と読めますが、他に4つ捺してある朱印は、左下の文字が「寺」と読めそうなものはあるものの、全体的になかなか解読困難です。他に4299という黒字の数字があります。
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 「若博」の文字を手がかりにググってみましたら、次のようなポスターが見つかりました。
Mokupas
 このポスターやその他の記事を参照すると、この木簡は、福井県立若狭歴史博物館が配布した「木簡パスポート」であることが分かりました。この木簡パスポートを、対象となる寺社や博物館等で提示すると、ポストカードが貰えたり、入館料の割引を受けられたりするようです。また、裏面は朱印帳代わりになります。

 このイベントはもう終わってしまったようですけど、こういうのいいですね。紙のパスポートよりずっと楽しいです。長さ16cmならば嵩張りませんし、軽いし、くしゃくしゃにもなりません。

 この木簡パスポートには、「遠敷郡遠敷郷小丹里」という地名が書いてあります。若狭歴史博物館の所在地のあたりがちょうど小丹里に当たるそうで、それもバッチリです。

 「遠敷」は「おにゅう(をにふ)」と読みます。古くは「小丹生」と書いていたのですが、奈良時代の初め頃に、全国の郡里名は全て二字表記に統一されることになり、「小丹生」は「遠敷」と改められました。「遠(をに)/敷(ふ)」ですね。本来の語構成を無視した表記で、二字表記化の命令でもなければ思い付かないような表記でしょう。

 朝廷の意向は二字表記に加えて、良い文字を使うようにということもありました。「敷く」には治める、統治するという意味もありますので、「遠敷」は遠い後の世までもこの土地が平和に統治されているように、という意味も重ね合わされているのではないでしょうか。

 二字表記化の命令は和銅六年(713)の風土記撰進の詔の第一条がそれにあたるものと考えられてきましたが、「遠敷」と書いた和銅四年の木簡が見つかっているので、二字表記化の命令は実は和銅四年以前にさかのぼるのではないか、ということを論文に書いたことがあります。

 そんなことがありましたので、遠敷木簡には思い入れがあり、それで今回このレプリカを入手したく思いました。

 さてこの木簡パスポート、本物の木簡の忠実な複製なのか、あるいは全くの創作なのか調べてみました。

 これに関しては、また面白いことが出てきたのですが、ちょっと資料で確認しなくてはなりません。明日、確認の上、改めてアップします。もしも明日、木簡以外の話題(たこ飯の駅弁とか(^_^;)がアップされたとしたら、資料確認の結果、ナゾが深まって書けなくなってしまったとお考えください。(^_^;

2017年2月28日 (火)

六合えむプロジェクト2016の成果物

 今回の六合えむプロジェクトの主な成果物は、「六合ことのは図鑑」、えはがき、ポスターなどです。

 ことのは図鑑の表紙。
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 2ページ目。
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 3ページ目。
Kunizukan2017c
 裏表紙です。
Kunizukan2017d
 以下、えはがきを。

 野反湖です。手前に横に並んでいる足跡は、うさぎのだそうです。♪
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 チャツボミゴケとユオウゴケ。なお、六合地区のチャツボミゴケは、今年の2月9日(つい最近ですね)、国の天然記念物に指定されました。
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 やまのもん(左がはるのもん、右があきのもん)。
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 すげむしろ。
Kunihagaki2016d

2017年2月12日 (日)

ストレスチェック&「ご健在」

 「労働安全衛生法」が改正されて、労働者が50人以上いる事業所では、労働者に対して毎年1回ストレスチェックを実施することが義務付けられたそうです。

 そんなわけで、うちの職場でもやっています。去年の秋頃でしたか、調査票を書いて提出しました。そのことはもうすっかり忘れていましたが、先日、その結果が届きました。

 結果通知の一部です。
Stresscheck01
 もう1つ。
Stresscheck02
 どうやら、私のストレスは少ないようです。(^_^)

 職場環境は良さそうですね。確かに同僚の教員間や学生との間にストレスはありません。32年間、ほぼ同様だったのは幸いなことです。←「ほぼ」というのはツッコミどころかもしれませんけど、まあ。(^_^)

 それに比べると「生活の健康度」はあまり高くありません。自覚的には、毎日お気楽に暮らしているつもりなのですけど……。

 運動や睡眠に気を配ることにします。

 話は違いますが、学生からレポートがメールの添付ファイルで届きました。そのメールに、「先生の最後の授業に参加できてうれしく思います。これからもご健在でいてください。」とありました。

 「ご健在」はおかしかろうと思いました。「元気で生存していてください」ということですよね。普通、「ご健勝」か「ご壮健」かではなかろうかと思いました。

 でも、念のため日国を見てみましたら、

けん‐ざい【健在】〔名〕(形動)
(1)達者に暮らしていること。さわりがないこと。また、そのさま。壮健。
(2)それまでと変わりなく、十分に力や能力を発揮していること。また、そのさま。
     〈用例省略〉

とありました。

 それなら、「健在」でも全く問題ないことになります。

 私の理解が間違っていたのか、それともこの語の慣用的な用法の問題なのか。

 考えることが多いとストレスが増しそう。(^_^)

2017年1月31日 (火)

穂の国豊橋&大失態

 豊橋駅構内でこのような看板を見ました。「ほの国 豊橋」とあります。
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 このような行き先表示板も。「穂の国とよはし芸術劇場」です。
Honokuni02
 また、駅の近くには「ほのくに百貨店」もあります。

 このように、豊橋では「穂の国」という呼称が目に付きました。

 国造本紀に諸国の国造が地理的な順に排列されていて、東海道には、尾張国造-参河国造-穂国造-遠淡海国造、という順に並んだ部分があります。かつては参河国と遠淡海国との間に穂国があったのでしょう。

 やがて律令時代になると穂国は参河国に吸収され、「穂郡(ほのこほり)」となりました。位置は参河国東部、今の豊橋あたりです。

 平城遷都の頃、郡郷名は漢字二字の好字で記すことになり、この郡の表記は「宝飫郡」となります。こう書いても、読みは「ほのこほり」だったことでしょう。「飫」は「あきる」「たべあきる」という意味の漢字ですので、「宝飫」は宝がありあまるほどある、といった意味になりましょうか。好字ですね。(^_^)

 ところが「飫」という文字はあまり使われない文字である故か、誤写されて「宝飯郡」となり、読みも「ほい」となったようです。

 現在の「穂の国」アピールは古代回帰でしょうか?

 「宝飫」という表記は、「木国(きのくに)」を「紀伊国」と表記したのと同様のパターンです。「ほの国」はこの地では「ほぉ」と発音したからこそ、「紀伊型」による二字化が可能だったと推定されます。これが「紀伊型」地名表記の東限で、フォッサマグナの西に当たる、といった話を先日のフォーラムでしました。もう1つ、越後国頸城郡にもこのパターンの郷名表記があります。その地は糸魚川よりもやや東に位置しますので、フォッサマグナの西縁よりは東ですけれども、フォッサマグナ地溝帯の中には入ります。

 以上のようなことは、先日、当ブログに載せたレジュメに書きました。

 さて、ここからが大失態の話になります。

 昨夜、蜂矢真郷先生からメールを頂きました。蜂矢先生は当ブログに掲載のレジュメをご覧くださったのです。

 「紀伊型」の郡郷名には、もう1つ遠江国引佐郡渭伊郷がある、遠藤邦基氏に先行論文がある、という2点のご指摘を頂きました。

 早速両方確認致しました。

 私の大失態でした。今回の発表は、古代における参河と遠江との関係を考えてみようということで、「紀伊型」地名の分布は参河以西に限られるというのはその1つの論点です。西日本のどこかの郡郷名を見落としたのならば(こう言ってはナンですけれども)さしたることはありません。でも、よりによって、遠江の例を落とすとは……。この例をわざと隠したとさえ思われかねません。

 いえ、NHK大河の直虎を見ていて、「井伊」もひょっとしたら「紀伊」と同じパターンかもしれないなぁと思い、会場でもそのように発言したのですが、「井伊」の地名は後世のものと勝手に思い込んでいました。まさか和名類聚抄にすでにあったとは(表記は「渭伊」ですけれども)。

 あれこれ悔まれます。

 そして、遠藤氏の論文(昭和53年のものです)には、「紀伊型」郡郷名(こういう用語ではありませんが)は、遠江以西に偏在しているということが明記してありました。

 蜂矢先生は、「渭伊」については、「遠江の例とは言っても、三河にかなり近いところです。」と言ってくださり、遠藤論文についても「著書に収められていない(多分ですが)ためか、意外に知られていません。」と、それぞれにフォローしてくださり、ありがたいことと存じています。

 今後はもっと慎重であらねばと深く反省しています。

 ただ、不幸中の幸いだったのは、今回の発表は単行本に収録されることになっており、そこで訂正することができることです。蜂矢先生がご教示くださったお蔭で、訂正が可能になったことは何ともありがたいことでした。改めて御礼申し上げます。

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