群馬学

2017年3月18日 (土)

浅間シンポに行ってきました

 今日は、先日ご紹介したように、勤務先で浅間山のシンポジウムがありました。タイトルは「浅間」ですが、内容は全て天明3年の浅間山の噴火でした。
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 通常の群馬学連続シンポジウムと異なり、会場は講堂ではなく一般教室です。
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 講演のトップは古澤勝幸氏(群馬県教育委員会埋蔵文化財主監)の「萩原進と浅間山天明噴火の研究」。
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 2番目は井上公夫氏(砂防フロンティア整備推進機構技師長)の「浅間山天明噴火による鎌原土石なだれと天明泥流」。
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 最後は中島直樹氏(玉村町教育委員会文化財係長)の「天明の噴火の泥流-玉村町の発掘調査から-」です。
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 浅間山の噴火については一応知っているつもりだったのですが、初めて聴くお話も多く、大変勉強になりました。

 噴火の被害は多岐に亘り、主なものだけでも
  1.火山弾・火山灰等による中山道や宿場等への交通・家屋・人的被害
  2.火山灰による関東地方への農業被害
  3.大規模な岩屑なだれによる鎌原村の壊滅的被害
  4.岩屑なだれが吾妻川に入って泥流となり、吾妻川・利根川流域の村にもたらした被害
などです。

 この泥流は東京の両国や千葉県の銚子にまで流れ下ったそうです。

 利根川の流れは玉村も通っています。当時の目撃談に、利根川の増水が進み、泥水に溶岩と家・諸道具・馬が一緒くたになって流れ、その中から助けを求めて泣き叫ぶ人の声が聞こえた、というのがあるそうです。

 沢山の方々が聴きに来てくださいました。
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 文系の学問は不要などと言われたくないですね。需要は大いにあります。いや、仮に需要が少なくたって必要な学問です。

 大勢来てくださって、大変にありがたかったのですが、実は年齢層はかなり高齢者に偏っていました。うちの学生を初め、若い人たちにも来てほしかったです。ま、学年末の試験も終わり、学生さん達の中にはとっくに帰省してしまったり、アルバイトの稼ぎ時だったケースも多かったことでしょう。3月半ば過ぎはそういう時期ですよね。時期的に仕方ないところかもしれません。

 私が毎年呼ばれて講演をしている前橋の「みくの会」の方がいらしていて、挨拶されたのは嬉しいことでした。地域貢献は公立大学にとって大事な責務と、改めて思いました。

 群馬学センターに萩原進氏のご遺族から寄贈された多くの資料があります。その中に吾妻川・利根川の泥流を描いた図があるというので見せて貰いました。下はその一部です。
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 中村、やき原(八木原)、半田という地名が見えます。八木原は当ブログにも何度か登場している私の家の最寄り駅です。

 八木原は「無難」とあり、被害はなかったようです。確かに八木原は利根川からやや離れていて、標高も少し高いです。

 一方、半田は「半分土入」とあります。半田の方が利根川に近く、標高も低いので、被害が出たのでしょう。昭和30年代に利根川が氾濫して半田は水につかったと聞いたことがあります。

 そういったことは、土地勘があるとよく理解できますね。

2017年3月 6日 (月)

浅間山のシンポジウム

 来週の土曜日、勤務先でこのようなシンポジウムが開かれます。
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 年に2~3回開催している「群馬学連続シンポジウム」とは別枠です。
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 タイトルは「浅間」ですが、どうも、天明3年の浅間の大噴火による災害のことが中心になりそうです。

 年度末でお忙しい時期と思いますが、関心のある方はぜひお越しください。

2016年11月18日 (金)

長野とつなぐ3つの道

 来月3日(土)に第32回群馬学連続シンポジウムが開催されます。
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 テーマは「長野とつなぐ3つの道 ―真田道・中山道・姫街道―」です。
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 趣旨は以下の通りです。

 群馬は内陸の十字路として大きな役割を果たし、地域の繁栄と文化の礎としてきた。南に向かう高崎線と関越道、東に向かう例幣使道と両毛線に続き、西、長野に向かう3つの道を考える。
 大河ドラマで重要性が再認識された真田道、今年設営400年を迎えた碓氷の関所を擁す中山道、世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」成り立ちの基盤ともなった上州姫街道。3つの道が育んできた歴史と文化を温め、長野との新たな交流と連携を知る。

 今回は西隣の長野県との交流を意識したものですね。

 最近の群馬学連続シンポジウムは、交通と温泉を取り上げることが多くなっています。

 交通関係には次のようなものがありました。

 第26回 平成26年6月21日 「日本のシルクロード・高崎線開業130年」
 第28回 平成27年6月13日 「例幣使道と両毛線-家康400回遠忌にあたり、来し方行く末を考える-」
 第29回 平成27年10月17日 「関越自動車道全線開通30周年 高速道路がひらく社会参加と新しい暮らし」

 高崎線は東京・神奈川方面との交流、両毛線は栃木との交流、関越自動車道は東京や新潟との交流ですね。そして今回の長野との交流。周囲との交流をテーマにするのはこれで一段落でしょうか。

 「真田道」が取り上げられているのはタイムリーですね。(^_^)

 参加したいのですが、この日はあいにく大阪で学会のため出席できません。残念です。

2016年7月12日 (火)

第31回群馬学シンポジウム「四万温泉」

 7月30日(土)に第31回目の群馬学連続シンポジウムが開催されます。
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 今回のテーマは四万温泉です。伊香保、磯部と続く温泉シリーズの第3回目となります。
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 四万温泉は中之条町にあります。中之条町には真田道が通っていますので、ひょっとすると「真田丸」絡みの話題もあるかもしれません。

 詳細は大学HPをご覧ください。→こちらです。

 今回のシンポジウム、私も聴きに行きたいのですが、残念ながら別の用事とぶつかってしまったので、参加できません。(^_^;

 なお、タイトルの「世のちり洗う四万温泉」というフレーズは、上毛かるたの「よ」の札の句です。

2015年12月26日 (土)

磯部をゆく(1)温泉記号のナゾ

 今日は磯部に行ってきました。本当は12日の群馬学連続シンポジウムの前に行きたかったのですが、時間が取れず、行きそびれてしまいました。群馬学シンポジウムは終わったものの、それを経たことで、さらに行きたくなりました。

 当初予定していた23日(水・祝)は天気が悪かったために延期し、今日、やっと行けました。お天気も良く、風もなく、暖かな良い日でした。(^_^) 延期して正解でした。
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 目に付いたのは、「日本最古の温泉記号の地」のアピールです。

 まずは、磯部駅前。格子状に見えるのは、ライトアップの配線のようです。最近、駅前広場をライトアップするのが流行っていますね。
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 そして、駅から5分ほどの所にある磯部公園の中央部にもこのような石碑が。
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 公園から西に降りていった所にある足湯の脇にも石碑が。柱との位置関係が悪いので、正面から撮れません。(^_^;
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 土地争いの判決を幕府が下した、その絵図にこのマークが付いているということで、ここの石碑にはその絵図が刻まれています。

 町中の至るところに、この旗。町を挙げて「温泉記号発祥の地」をアピールしています。
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 それに水を差す気はないのですが、ちょっと引っ掛かるところがあります。

 以前、当ブログの「磯部温泉のこと(3)」に書きましたように、磯部の鉱泉が大規模に噴出したのは天明3年(1783)のことのようです。ただ、安永3年(1774)以前に成立したとおぼしき『上野志』に「磯部村 此所塩の涌き出づる所あり。」と書かれていますので、安永3年以前にも、小規模にでも湧出はしていたのでしょう。でも、その湧出時期は、この絵図の描かれたという万治4年(1661)までさかのぼりうるものかどうか。だとすると、万治4年(1661)のものというこの絵図に温泉記号が描かれうるものかどうか。

 (その後、「磯部温泉のこと(2)」を一部修正しましたように、『上野志』の成立年代は未詳とすべきことが判明しましたので、上文を修正しました。)


 さらに不審なのは、今でこそ磯部は高温の湯が出て温泉になっていますけど、湯が出たのは近年のことで、それ以前は冷泉だったということです。大正12年3月刊行の『碓氷郡志』に磯部鉱泉の泉質分析結果が載っていて、そこには鉱泉の温度は「摂氏 一六度六」とあります。

 温泉記号で3本ゆらゆらっとしているのは湯気でしょうね。16度6分では湯気は立ちますまい。

 絵図にある温泉マークらしきものは、ひょっとすると90度ほど左向きに回転させて見るべきものかとも思いました。下のように。
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 これならば、ゆらゆらっとしているのは、湯気ではなく、湧出している鉱泉の流れと見ることができそうです。

 でも、絵図には建物も描かれていて、その向きからは、このままが正しいようですので、不審が消えません。
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2015年12月14日 (月)

磯部温泉のこと(2)

 土曜日の群馬学連続シンポジウムに関連して、昨日、「磯部温泉のこと」という記事をアップしました。

 その記事の後半で、吾妻鏡の記事として「磯部村此所に塩の湧き出る所あり」という文がネット上に流布しているけれども、この文は吾妻鏡に見出せないということを書きました。

 この件について、幻の条文の出所と思われるものを源さんの後輩さんが見つけてくださって、メールでご教示くださいました。

 ご本人のご承諾を得て、それをご紹介します。

 源さんの後輩さんは、国会図書館のデジタルライブラリーで見つけてくださったのです。

 大正6年に刊行された『上野資料集成』所収の『上野志』です。

 URLはこちら。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/957294

 この49ページ(36コマ目)に以下の記事があります。『上野志』の「碓氷郡」の条です。

>一、磯部村 此所鹽の涌き出づる所あり。
> 古城 佐々木三郎盛綱入道西倉の舊路なり[東鑑正治三四月の事を記す。之を略す。]

 これを見ると、「磯部村」の解説が「此所鹽の涌き出づる所あり。」です。そして、磯部村には古城があって、その古城の解説が東鑑(吾妻鏡)の出典付きで「佐々木三郎盛綱入道西倉の舊路なり」(誤記か誤植がありそう)と書かれています。吾妻鏡は佐々木盛綱の記事のみの出典で、「此所鹽の涌き出づる所あり。」を含むものではありません。これは吾妻鏡の当該条を見れば確認できることです。

 ところが、これを読んだ誰かが、出典の及ぶ範囲を誤解し、吾妻鏡の本文を確認することも怠った結果、「磯部村 此所鹽の涌き出づる所あり」も吾妻鏡の記事と誤認してしまったのでしょう。それがネット上の記事になったものと思います。

 源さんの後輩さんは、これがネット上の記事の直接の元というわけではなく、ネットに至るまでの間に何らかの書物が介在した可能性をお考えのようです。その可能性も高いものと思います。

 この記事を見つけて、ご教示くださった源さんの後輩さんに厚く御礼申し上げます。

 なお、『上野志』は成立年代未詳ですが、日本古典籍総合目録データベースによれば、岩瀬文庫に安永3年(1774)の写本が所蔵されているようですので、江戸中期には成立していたもののようです。

 (平成28年1月1日に西尾市岩瀬文庫の「古典籍書誌データベース(試運転)」を検索したところ、この『上野志』というのは、毛呂権蔵の『上野国志』のことであることが判明しました。そこで、上文は削除します。『上野志』の成立年は未詳です。)


 今日、勤務先の群馬学センターで、副センター長の熊倉先生から『磯部誌』(磯部誌編集委員会編。あさを社刊。1990年11月)という書籍を見せて頂きました。

 そこに、明治中期の文人山本有所が明治19年に著した『磯部鉱泉繁昌記』には「「東鑑」に「磯部村此所に塩の涌き出る所あり」とあると書いている。」とありました。

 『磯部鉱泉繁昌記』は、画像が群馬県立図書館デジタルライブラリーに収録されていますので、早速見てみました。「磯部邑」の条に、確かに、「東鑑に磯部村此所に塩の涌き出る所ありとあり」と書いてありました。

 『磯部鉱泉繁昌記』のこの記事はどこから来たのでしょうね。『上野志』の記事を誤読した可能性がありますが、確証はありません。

2015年12月13日 (日)

磯部温泉のこと

 昨日の群馬学連続シンポジウムでは、私の話の中で、文化14年(1817)の温泉番付をプロジェクターでご披露しました。この番付は以前ネットオークションで入手していたものです。まほろぐでも、去年の10月4日 (土)に「文化14年の温泉番付」というタイトルでご披露しました。

 ネットオークションで入手したものが役に立つこともたまにあります。(^_^)

 上半分が番付で、下半分は草津温泉の絵図になっています。これは上半分です。
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 東の大関に草津温泉、前頭三枚目に伊香保温泉があります。
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 東の三段目には、まほろばやまほろぐにも登場した川原湯温泉が。
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 西の三段目には嶋の湯(たぶん四万温泉でしょう)と老神温泉が見えます。
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 勧進元には沢渡温泉の名も見えています。さすが群馬は温泉県です。ところが、磯部温泉の名はありません。文化14年の時点ではまだあまり知られていないようです。この画像からはそんなことを話すつもりでした。

 ところが、私の前に話をしてくださった、パネリストのお一人である大工原豊氏が下のようなデータを示されました。
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 この画像を示しつつ話されたところに依れば、磯部温泉は天明3年(1783)の浅間山の噴火で刺激されたのか、この時に源泉が湧出し、天保12年(1841)(画像の「天明」は「天保」の誤り)に温泉小屋が作られ、大手拓次の生家に繋がる貸し浴場が建設されたのは文久2年(1862)とのことです。

 温泉番付の文化14年(1817)の時点では源泉はすでに湧出はしていますが、温泉小屋すらまだ作られてはおらず、番付に載るまでには到っていなかったのでしょう。

 大工原氏のお話がこの番付としっくり繋がりました。すっきりして気持ち良かったです。(^_^)

 磯部温泉の歴史については、「磯部温泉 吾妻鏡」でググると、結構たくさんのサイトがヒットします。そして、本文には、判でついたように、「吾妻鏡の中に「磯部村此所に塩の湧き出る所あり」とあることから、鎌倉時代にはすでに温泉が湧出していたものと推測される。」という文章が書かれています。そしてさらに、それらには判でついたように吾妻鏡のどこにそう書いてあるのか、所在が全く書かれていません。

 私も吾妻鏡の中を探してみたのですが、この記事は見つかりませんでした。どうも吾妻鏡にはこの記事はないようです。そんなことも話したところ、大工原氏もうなづいていらっしゃいました。大工原氏もこの記事が吾妻鏡には載っていないとお考えのようです。

 誰かが誤った記事をサイトに載せてしまったのでしょうね。それを多くのサイトが無批判にそのまま転記してしまったか、あるいは裏付けを取ろうとはしたが取れないまま転記してしまったのでしょう。

 いい加減なもんです。

 自分で確認していないのなら、せめて、「吾妻鏡の中に……という記事があるそうだ」という伝聞形式で載せるのならまだしも、見てもいないものを「吾妻鏡の中に……とあることから」などと、自分で見たかのように書くのはアウトです。こういうレポートが提出されたら「不可」を付けてしまいます。

2015年12月12日 (土)

群馬学連続シンポジウム30

 今日は、勤務先で群馬学連続シンポジウムがありました。第30回となります。
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 テーマは「大手拓次と磯部温泉」です。昨年の11月に伊香保温泉を取り上げたのに続く温泉シリーズの第2回目です。
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 私もパネリストの1人として加わってきました。

 レジュメはこちら。

 大手拓次のことはほとんど知りませんが、古い時代担当ということで、近代以前の磯部のことを話しました。

 いろいろと勉強になりました。あとで、別項としてアップするかもしれません。

2015年11月22日 (日)

第30回群馬学シンポジウム

 来たる12月12日(土)に群馬学連続シンポジウムが開催されます。
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 今回は温泉シリーズの第2弾で、テーマは「大手拓次と磯部温泉」です。

 チラシに温泉マークが書いてありますけど、この図柄は今知られている最古の温泉マークで、江戸時代の磯部温泉のものだそうです。

 私もパネリストに加わることになりました。大手拓次のこと、何も知りません。(^_^;
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 磯部という名は、上野三碑の1つ金井沢碑に「礒部君身麻呂」という氏族名が見えています。他に続日本紀にも「上野国甘楽郡の人外大初位下礒部牛麻呂」とあります。私は古いところ担当として、最初にこんなあたりのことを述べることになりましょう。

 でも、シンポジウムは大手拓次が中心になりましょうから、最初の発言のあとは、座っているだけで、発言の機会はほとんどなさそうです。そんなのが多いです。

 いいのか?



 

2015年9月 2日 (水)

第29回群馬学連続シンポジウム

 年に2~3回のペースで開催されている群馬学連続シンポジウム、次回は10月17日(土)に開催されます。
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 テーマは、「高速道路がひらく社会参加と新しい暮らし」です。今までのとはちょっと毛色の変わったテーマと思います。関越自動車道が開通して30周年になるので、それを絡めてのテーマです。

 私は大変大変残念ながら、当日は萬葉学会の日なので、たぶんそちらに行ってしまいますね。(^_^)

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