忠臣蔵

2023年9月 7日 (木)

NHK大河「赤穂浪士」の台本と香盤表

 昭和39年のNHK大河「赤穂浪士」第19回の台本を入手しました。
S39akoroshi19a

 中を見ると、大石内蔵助役の長谷川一夫のセリフのみ赤鉛筆でマークされています。
S39akoroshi19b

 そして、中にこういう表が挟まっていました。
S39akoroshi19c
 コピーではなくて、青焼きですね。
 そして、左上に「長谷川様」とあり、「大石」の名前が丸で囲んであります。
 どうやら、この台本も香盤表も長谷川一夫のものと見て良さそうです。

 そして、香盤表の表の部分のみ載せます。あまり大きくなってはいませんけど。
S39akoroshi19d
 一番左側の列は撮影順でしょう。
 2番目の列には「回」とあります。
 これを見ると第十七回の放送がメインで、次いで第十九回。そして、一部第二十回の分もあります。
 俳優のスケジュールや、セットの効率を考えて、数回分に跨がるまとめ撮りをしているのでしょうね。
 俳優さんは、数回分の台本のセリフを並行して憶えなければならず、大変ですね。

 番組製作の裏側をのぞき見るような気がして興味深かったです。

2023年4月12日 (水)

『龍之介抄』

 『龍之介抄』という冊子を入手しました。
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 芥川ではなく、映画俳優の月形龍之介です。

 奥付。
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 表紙にも奥付にもある様に、この冊子は月形龍之介の全作品目録です。

 月形龍之介は当時存命ですので、目録の他に、インタビュー記事もあります。
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 この記事の中で、このような問答に目が留まりました。
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 忠臣蔵関係のチラシなどを見ていると、月形の名は「龍之介」と「龍之助」と両方出てくるので、どこかの時期に改名したのかと思っていました。これですっきりしました。

 目録です。
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 上欄は月形の年表になっています。

 上欄の年表が終わった後は、上欄には舞台とテレビの目録が載っています。
 テレビの中では、以下の番組が懐かしいです。
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 月形龍之介を初めて見たのは、多分この「水戸黄門」です。
 中学生の頃。
 長寿番組のナショナル劇場「水戸黄門」が始まる前のことです。

 この目録は、私のライフワーク(あれこれあります)の1つである忠臣蔵配役表の参考にもなりそうです。
 良いものが手に入りました。

2023年3月15日 (水)

昭和45年『テレビメイト』12月号は大忠臣蔵特集(2)

 昨日取り上げた『テレビメイト』の大忠臣蔵特集はあれで終わりにするつもりでしたが、もう1回取り上げます。
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 と言いますのは、昨日の記事について、イラストレーターのもりいくすお氏から、お軽の吉永小百合は実際には山本陽子が演じた旨、ご教示頂きました。
 また、Mock_Hatter氏からは、垣見五郎兵衛は実際には立花左近であるとのご教示をいただきました。
 びっくりしました。
 「大忠臣蔵」が始まったのは昭和46年の1月からですけど、この雑誌はそれに先立つ前年の12月に発行されたものです。
 雑誌の編集時点でもう既に番組の撮影は進んでいたことでしょうけれども、出番が先の役については配役の変更などもあり得たのでしょう。
 これは大変です。全部確認しなくては。
 配役ページは全部で6ページありますが、昨日はそのうちの3ページを載せました。今日は残りの3ページを載せます。
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 その結果、雑誌掲載の配役表と実際のドラマとには以下の変更がありました。

 【配役交代】
  お軽   :吉永小百合→山本陽子
  毛利小平太:平幹二朗→高橋悦史

 【役名変更】
  松本幸四郎:垣見五郎兵衛→立花左近
  池内淳子 :浮橋大夫→夕霧太夫

 危ないです。なかなか油断ができません。

2023年3月14日 (火)

昭和45年『テレビメイト』12月号は大忠臣蔵特集

 今日は3月14日、松の廊下の刃傷の日ですので、忠臣蔵ネタで。
 『テレビメイト』の昭和45年12月号は「大忠臣蔵」特集号でした。
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 これまたネットオークションの獲物なのですが、この雑誌は今まで知りませんでした。
 「大忠臣蔵」というのは、昭和46年にNET(今のテレビ朝日)で放送された連続時代劇で、主演は三船敏郎です。

 3月14日の刃傷の場面。
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 浅野内匠頭は尾上菊之助(今の菊之助のお父さん)、吉良上野介は市川中車です。

 配役の一部。
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 三船はやはりかっこいいです。市川中車は途中(もう終盤でした)で亡くなったために、あとは弟の市川小太夫が引き継ぎました。

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 お軽・勘平が吉永小百合と石坂浩二、俵星玄蕃は勝新太郎、豪華です。

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 垣見五郎兵衛は松本幸四郎。この松本幸四郎は、松たか子基準で松たか子のお祖父さんですね。
 田村正和が矢頭右衛門七ですから、田村正和、まだ随分若かったのですね。

 これ以外に、
  瑶泉院   :佐久間良子
  間十次郎  :蜷川幸雄
  堀部安兵衛 :渡哲也
  小林平八郎 :芦田伸介
  鳥居理右衛門:大友柳太朗
  脇坂淡路守 :中村錦之助
といった面々が出演していました。
 蜷川幸雄はあの蜷川幸雄です。
 豪華絢爛です。

2023年2月 3日 (金)

吉良上野介の首請け取り状

 このような絵はがきを入手しました。
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 写真の下に「吉良家ヨリノ首請取状」と解説があり、右下には「義士之墓参詣紀念」「萬松山泉岳寺之印」のスタンプが捺してあります。

 文書のアップ。
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 釈文です。

     覚
 一 首    一ツ
 一 紙包   一ツ
  右之通慥請取申候
  為念如是御座候以上
  午       吉良左兵衛内
   十二月十六日 左右田孫兵衛
             斎藤宮内

  泉岳寺御使僧
     石獅僧
     一呑僧

 吉良家の左右田孫兵衛と斎藤宮内の名前の下には印が捺してあります。
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 現代の実印の印影と似ていますね。

 吉良邸に討入って上野介の首級をあげた赤穂浪士達は泉岳寺に引き上げて、上野介の首を亡君の墓前に供えます。
 もうそれでその首の役割は終わり、泉岳寺としても首の始末に困ったことでしょう。
 引き揚げ翌日の16日に、寺社奉行からの指示で首は吉良家に返すことになり、僧たちが持参したそうです。
 その際、吉良家から首の請け取りをもらい、その文書が今も泉岳寺に保存されているという次第です。

 首は、松の廊下での刃傷の折に吉良を治療した外科医栗崎道有によって胴体と縫合されました。

【追記】
 筒井茂徳先生からメールを頂き、「右之通慥請取申候」とある本文のうち「慥」の右下に「」の1字がある とのご教示をいただきました。
 そこでこの釈文を「右之通慥請取申候」と改訂しました。

2023年1月18日 (水)

赤穂大石神社元旦の御朱印

 このようなものを頂きました。
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 赤穂の大石神社の御朱印です。

 令和2年11月のはこうでした。
Oishijinjasyuin05
 「大石神社」の筆跡は同じですね。同じ人が書いたのでしょう。
 こういう御朱印というのは直接お参りして頂いてくるものですよね。
 ネットオークションで入手するなどというのは邪道かもしれませんが、ま、代参と思えば良いのかもしれません。
 あ、私がネットオークションで入手したとは言っていませんが。

 今年のは元日バージョンなのでしょうかね。
 絵柄は、浅野内匠頭と大石内蔵助が対決している感じで、ちょっとヘンですけど。

 こういう袋に入っていました。表側。
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 裏側。
Oishijinjafukuro02

 赤穂事件関係の様々なエピソードが絵馬の形で描かれています。

 松の廊下の刃傷。
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 赤穂城明け渡し。
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 赤埴源蔵徳利の別れ。
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 吉良邸討入り。
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 全部でこういうシーンです。
 刃傷、早うち駕籠、城明け渡し、おかる勘平、一力茶屋、神崎与五郎詫証文、大高源吾笹売り、源蔵徳利の別れ、安兵衛の助っ人、天野屋利兵衛、討入り。両国橋引揚。

 個人的には、他に南部坂雪の別れと土屋主税が希望です。

2022年12月14日 (水)

昭和9年「四十七士絵巻」

 今日は12月14日。赤穂浪士の討ち入りの日です。
 それにちなんで、このようなものを。
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 『幼年倶楽部』の昭和9年12月号の附録で、折り本形式になっています。

 裏表紙は、引き揚げ時の両国橋の図です。
S0947shiemaki02
 なんか、四十七士の得物に槍が随分多く見えます。

 中はこのように、絵と解説文とから成っています。
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 こういった形で全部で32面あります。
 『幼年倶楽部』は『少年倶楽部』と同じく講談社から発行されました。
 『少年倶楽部』よりも年下の児童を対象に発行されたのでしょうか。
 文章は平易で分かりやすいですが、漢字は容赦ないです。
 ただ、総ルビなので、小さい子でも読むことは可能です。
 交ぜ書きにせずに、この本のように使用する漢字には制限を付けず、総ルビというのは1つの方法と思います。

 大石の遊蕩。
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 少年向けの本ですが、こういうエピソードもちゃんと載せています。
 このページは2色刷でしょうか。
 多色刷のページと2色刷のページとがあります。
 色数の少ないページがあるのは経費の節約でしょうか。

 南部坂雪の別れ。
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 他にも、村上喜剣、山科の別れ、俵星玄蕃、天野屋利兵衛、吉良邸の絵図面、赤埴源蔵徳利の別れ、大高源吾の笹竹売り、などのエピソードが載っています。

 吉良邸内の闘い。
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 この絵は見開きのワイド画面です。
 右画面は清水一学、左画面は和久半太夫との闘い。
 吉良方の武士は、他に鳥居理右衛門、小林平八郎が登場しています。
 吉良の武士達も、みな、勇士、達人、使い手といった高い評価が与えられています。

 最終ページ。
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 現代の泉岳寺の四十七士の墓所がラスト。
 このページだけ、絵ではなく写真です。
 暗くて分かりにくいですが、大勢の人たちが列を成しています。
 普段の様子ではなくて、今日のような特別な日なのだと思います。
 でも、泉岳寺は東京の観光名所だったようですので、普段でもこういう日はあったのかもしれません。

2022年11月 7日 (月)

昭和5年「大忠臣蔵」のパンフレット

 昭和5年の「元禄快挙 大忠臣蔵」のパンフレットです。
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 パンフレットといいますか、1枚紙を三つ折りにしただけのものです。

 三つ折りを開いた内側は次のようになっています。
S05daichushingura07
 名場面の写真があり、左端には配役表があります。

 配役表は6段組で文字はかなり細かいです。
 最上段。
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 大石は大河内伝次郎、浅野は片岡千恵蔵です。
 今から92年も昔の映画ですので、この段でよく知っている俳優はこの2人くらいです。
 最下段には山田五十鈴がいます。

 表紙と同じ側を内側に折った部分にはこのような画像があります。
S05daichushingura09
 左側が浅野内匠頭で、右側が吉良上野介ですね。
 吉良は画像が薄く、浅野の夢か幻に登場した姿でしょう。
 当時、こういう技術もあったのですね。←92年前の技術を侮ってはいけない。

 裏表紙の下にはこうあります。
S05daichushingura10
 このパンフレットは池袋平和館のものです。
 「駅の正面」とあります。
 今や、池袋駅は巨大化して、「駅の正面」と言われても、どこだか分かりませんが、当時はこれで通じたのでしょうね。

2022年10月19日 (水)

元禄11年の武鑑(2)上杉、田村、真田

 昨日の続きです。
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 松の廊下の3年前に刊行された元禄11年の武鑑。

 思えば、当然のことながら、当時、3年後にあんな大事件が起きるなんて、誰も知る由もなかったわけで。
 浅野内匠頭さえ短気を起こさなければ、と思います。
 でも、本人にしてみれば、耐え難いことがあったのかもしれませんね。

 出羽米沢の上杉家のページ。
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 当主は吉良上野介の子息である上杉綱憲です。
 綱憲の名前の下の家老の欄に千坂兵部の名が見えます。
 赤穂事件の時にはもう亡くなっていますが、元禄11年には存命です。

 左端に嫡子の上杉喜平次の名があります。
 この年に元服して上杉吉憲と名乗ります。
 三船の「大忠臣蔵」では、かの池田秀一が演じていました。

 浅野内匠頭が切腹した屋敷の主である田村右京大夫のページ。
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 奥州一ノ関の田村家は3万石ですが、仙台伊達家の分家扱いとして、この武鑑に載っています。

 この武鑑の末尾には信州松代10万石の真田家が載っています。
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 上欄の系図部の一部を抜き出します。
Genroku11bukan10
 真田昌幸の子として、信幸と幸村が載っています。
 幸村は本名信繁であるとされ、幸村は軍記物などの名であるとされています。
 系図部は当主を載せるのが基準ですので、幸村(信繁)は載せる必要はないにもかかわらず載せていますし、そればかりか幸村の子息の大助まで載っています。
 武鑑は官製のものではなく、民間企業の刊行したものですので、例外的にあえて人気の幸村父子を載せたのでしょう。

 この本には刊記がありません。
 また、10万石以上の大名だけを載せるというのも妙ですので、このあと、第2冊以降があるのでしょう。刊記は最終冊の末尾にあるのではないかと思います。

2022年10月18日 (火)

元禄11年の武鑑(1)浅野内匠頭と浅野大学

 ネットオークションで入手しました。
Genroku11bukan01
 題簽はありませんが、元禄11年の武鑑です。
 ネットオークションにはたまに武鑑が出ることもありますが、キリが無いので、今までは入札したことはありませんでした。
 しかし、これは元禄11年。松の廊下の刃傷の3年前ですからねぇ。買っちゃいました。♪

 冒頭に3ページにわたる序文が付いています。
 その2ページ目と3ページ目。
Genroku11bukan03
 右ページの最後の行に「系禄図鑑」とあります。
 左ページのうしろから2行目に「元禄十一戊寅」とあり、元禄11年のものであることが分かります。

 その次のページに目次があります。
Genroku11bukan04
 冒頭に「本朝武林系禄図鑑」とあります。これが正式な書名ということになりましょうか。
 「武鑑」という名称は「武林」の「武」と最後の「鑑」とを繋げたものかと思いましたが、未確認です。

 その次のページから本文ということになります。
Genroku11bukan05
 冒頭は徳川綱豊です。
 甲府宰相綱豊卿ですが、ここには中納言と記してあります。「え?」です。
 手軽にウィキペディアによる調査ですが、綱豊が参議(宰相)に任じられたのは延宝8年(1680)で、元禄3年(1691)には権中納言に昇進しています。
 忠臣蔵の頃には中納言だったのですね。「甲府宰相」って、どうして出てきたのでしょうか?

 全体の排列は以下のようになっています。
  徳川綱豊
  尾張徳川家
  紀伊徳川家
  水戸徳川家
  越前松平家
  前田家 102万2700石
  島津家 72万9000石
  伊達家 62万石
  細川家 54万5000石
  黒田家 52万石
  浅野家 42万6000石
  毛利家 36万9000石
  鍋島家 35万7000石
  池田家 32万5000石
  井伊家 30万石
 以下、親藩・譜代・外様の別なく、石高順で10万石まで。

 分家は本家のあとに採録されています。
 赤穂浅野家は5万3000石ですが、浅野本家が10万石以上のため、幸いにして本家のあとに載っています。
 系図部分を除いて示します。
Genroku11bukan06
 なんかわくわくします。(^_^)
 1行目、浅野内匠頭長矩の下には家老の名が並んでいます。
 大石内蔵助、藤井又右衛門、坂田左近右衛門、大野九郎兵衛、安井彦右衛門の5名です。

 弟の浅野大学も項目に立っています。
 世子になっていたのでしょう。
 家紋を見ると、浅野内匠頭と浅野大学とでは、鷹の羽の重なりが逆になっています。
 これは初めて知りました。
 映画やテレビドラマで、両者の紋所をこのように区別しているものがありましょうかね。

 おもしろいです。

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