忠臣蔵

2022年11月 7日 (月)

昭和5年「大忠臣蔵」のパンフレット

 昭和5年の「元禄快挙 大忠臣蔵」のパンフレットです。
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 パンフレットといいますか、1枚紙を三つ折りにしただけのものです。

 三つ折りを開いた内側は次のようになっています。
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 名場面の写真があり、左端には配役表があります。

 配役表は6段組で文字はかなり細かいです。
 最上段。
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 大石は大河内伝次郎、浅野は片岡千恵蔵です。
 今から92年も昔の映画ですので、この段でよく知っている俳優はこの2人くらいです。
 最下段には山田五十鈴がいます。

 表紙と同じ側を内側に折った部分にはこのような画像があります。
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 左側が浅野内匠頭で、右側が吉良上野介ですね。
 吉良は画像が薄く、浅野の夢か幻に登場した姿でしょう。
 当時、こういう技術もあったのですね。←92年前の技術を侮ってはいけない。

 裏表紙の下にはこうあります。
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 このパンフレットは池袋平和館のものです。
 「駅の正面」とあります。
 今や、池袋駅は巨大化して、「駅の正面」と言われても、どこだか分かりませんが、当時はこれで通じたのでしょうね。

2022年10月19日 (水)

元禄11年の武鑑(2)上杉、田村、真田

 昨日の続きです。
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 松の廊下の3年前に刊行された元禄11年の武鑑。

 思えば、当然のことながら、当時、3年後にあんな大事件が起きるなんて、誰も知る由もなかったわけで。
 浅野内匠頭さえ短気を起こさなければ、と思います。
 でも、本人にしてみれば、耐え難いことがあったのかもしれませんね。

 出羽米沢の上杉家のページ。
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 当主は吉良上野介の子息である上杉綱憲です。
 綱憲の名前の下の家老の欄に千坂兵部の名が見えます。
 赤穂事件の時にはもう亡くなっていますが、元禄11年には存命です。

 左端に嫡子の上杉喜平次の名があります。
 この年に元服して上杉吉憲と名乗ります。
 三船の「大忠臣蔵」では、かの池田秀一が演じていました。

 浅野内匠頭が切腹した屋敷の主である田村右京大夫のページ。
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 奥州一ノ関の田村家は3万石ですが、仙台伊達家の分家扱いとして、この武鑑に載っています。

 この武鑑の末尾には信州松代10万石の真田家が載っています。
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 上欄の系図部の一部を抜き出します。
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 真田昌幸の子として、信幸と幸村が載っています。
 幸村は本名信繁であるとされ、幸村は軍記物などの名であるとされています。
 系図部は当主を載せるのが基準ですので、幸村(信繁)は載せる必要はないにもかかわらず載せていますし、そればかりか幸村の子息の大助まで載っています。
 武鑑は官製のものではなく、民間企業の刊行したものですので、例外的にあえて人気の幸村父子を載せたのでしょう。

 この本には刊記がありません。
 また、10万石以上の大名だけを載せるというのも妙ですので、このあと、第2冊以降があるのでしょう。刊記は最終冊の末尾にあるのではないかと思います。

2022年10月18日 (火)

元禄11年の武鑑(1)浅野内匠頭と浅野大学

 ネットオークションで入手しました。
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 題簽はありませんが、元禄11年の武鑑です。
 ネットオークションにはたまに武鑑が出ることもありますが、キリが無いので、今までは入札したことはありませんでした。
 しかし、これは元禄11年。松の廊下の刃傷の3年前ですからねぇ。買っちゃいました。♪

 冒頭に3ページにわたる序文が付いています。
 その2ページ目と3ページ目。
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 右ページの最後の行に「系禄図鑑」とあります。
 左ページのうしろから2行目に「元禄十一戊寅」とあり、元禄11年のものであることが分かります。

 その次のページに目次があります。
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 冒頭に「本朝武林系禄図鑑」とあります。これが正式な書名ということになりましょうか。
 「武鑑」という名称は「武林」の「武」と最後の「鑑」とを繋げたものかと思いましたが、未確認です。

 その次のページから本文ということになります。
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 冒頭は徳川綱豊です。
 甲府宰相綱豊卿ですが、ここには中納言と記してあります。「え?」です。
 手軽にウィキペディアによる調査ですが、綱豊が参議(宰相)に任じられたのは延宝8年(1680)で、元禄3年(1691)には権中納言に昇進しています。
 忠臣蔵の頃には中納言だったのですね。「甲府宰相」って、どうして出てきたのでしょうか?

 全体の排列は以下のようになっています。
  徳川綱豊
  尾張徳川家
  紀伊徳川家
  水戸徳川家
  越前松平家
  前田家 102万2700石
  島津家 72万9000石
  伊達家 62万石
  細川家 54万5000石
  黒田家 52万石
  浅野家 42万6000石
  毛利家 36万9000石
  鍋島家 35万7000石
  池田家 32万5000石
  井伊家 30万石
 以下、親藩・譜代・外様の別なく、石高順で10万石まで。

 分家は本家のあとに採録されています。
 赤穂浅野家は5万3000石ですが、浅野本家が10万石以上のため、幸いにして本家のあとに載っています。
 系図部分を除いて示します。
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 なんかわくわくします。(^_^)
 1行目、浅野内匠頭長矩の下には家老の名が並んでいます。
 大石内蔵助、藤井又右衛門、坂田左近右衛門、大野九郎兵衛、安井彦右衛門の5名です。

 弟の浅野大学も項目に立っています。
 世子になっていたのでしょう。
 家紋を見ると、浅野内匠頭と浅野大学とでは、鷹の羽の重なりが逆になっています。
 これは初めて知りました。
 映画やテレビドラマで、両者の紋所をこのように区別しているものがありましょうかね。

 おもしろいです。

2022年9月23日 (金)

ナゾの資料「NHK 忠臣蔵」

 このようなものを入手しました。
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 表紙には「NHK 忠臣蔵」とあります。
 NHKが忠臣蔵のドラマを制作するに当たっての参考資料と思われます。

 最初のページには目次があります。
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 冒頭に「NHK忠臣蔵参考資料集成目次」とあります。

 文字が小さいので、拡大します。
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 赤穂事件関係の資料が満載です。
 図面も、江戸城、赤穂城、吉良邸地図、吉良邸邸内図が折り込みで入っています。

 というものなのですが、最後に付いている「後記」の末尾に不思議なことが書いてあります。
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 冒頭に、「この映画の製作にたずさわり」とあります。また、うしろから2行目、3行目には「東宝の「忠臣蔵」」とあります。
 映画? 東宝の「忠臣蔵」? NHKの忠臣蔵製作資料のはずなのに、奇っ怪なことです。

 そういえば、この冊子の表紙の「忠臣蔵」の書体には見覚えがあります。

 昭和37年の東宝の「忠臣蔵」のパンフレットです。
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 この左下に「忠臣蔵」のロゴがあります。

 両者を並べてみます。
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 同じと思われます。

 どういうことでしょうね。
 以下、全くの推測になりますが、昭和37年というと、NHKの大河2作目の「赤穂浪士」が放送される2年前に当たります。
 その参考資料として、NHKは東宝の「忠臣蔵」の参考資料を入手したのではないでしょうか。
 それをそのまま、あるいはそれに新たな資料を加えて「赤穂浪士」製作の参考資料冊子を作った。
 といったようなことかなぁと思います。
 東宝の「忠臣蔵」作成の参考資料は、別に密かに入手したわけではなく、ちゃんと依頼して入手したものと思います。

 私はまずいものを発掘して、余計な詮索をした上に、それを公開してしまっていましょうか?
 ちょっと不安。(^_^;

2022年8月10日 (水)

赤穂浪士討ち入りの端布

 赤穂浪士討ち入りの端布を入手しました。
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 木綿で36cm×97cmです。

 これが1単位になります。
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 一番下が吉良邸の門です。

 表門を越える場面。
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 大石内蔵助は陣太鼓を手にしています。

 吉良方の牧野春斎が火鉢を投げて奮戦する場面。
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 泉水の場面。
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 橋の上は清水一学。作品によっては小林平七の場合もありそうです。

 これは呼び子を吹いているように見えます。
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 上野介が炭小屋で発見された所でしょうか。

 こういう着物を誰が着たのでしょうね。
 本懐を遂げたという意味で、ある意味おめでたい柄なのでしょうかね。
 受験生が着たとか。

2022年7月28日 (木)

昭和31年「赤穂浪士」のパンフレット

 昭和31年の東映「赤穂浪士」のパンフレットを入手しました。
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 まだ紙質はあまり良くありません。
 映画のパンフレットというと、アート紙(コート紙?)に印刷されたものが思い浮かびますが、この当時はまだそういう時代ではなかったのですね。
 2枚の紙を重ねて2つ折りにしたもので、表紙とも8ページ。サイズはB5です。

 中心部の見開きは配役一覧とあらすじです。
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 小さすぎてよく分かりませんね。
 配役の冒頭部。
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 配役の末尾。
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 びっくりです。
 冒頭は立花左近の片岡千恵蔵、末尾は大石内蔵助の市川右太衛門です。
 普通、大石がトップでしょう。表紙は大石の右太衛門ですし。
 これはアレですね。
 千恵蔵と右太衛門は東映の別格二本柱なので、右太衛門が主役の大石を演ずることで、せめてパンフレットの配役順は千恵蔵をトップに持ってきたのでしょう。
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 事情は察することができますが、立花左近がトップというのはやはり違和感があります。

 裏表紙はアサヒビールの全面広告です。
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 提供していたラジオ東京の番組「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」を前面に打ち出しています。
 当時はまだテレビはあまり普及しておらず、ラジオが中心の時代でした。
 顔写真は、右上が淡島千景と本郷秀雄、左下が久慈あさみと佐野周二です。

2022年6月10日 (金)

「一力」の端布

 端布も収集品になってしまいました。
 今回は忠臣蔵です。
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 正絹の縮緬です。サイズは38×96センチ。柔らかな手触りです。

 絵柄は、これが1単位になります。
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 提灯のアップ。
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 「一力」と書かれ、「いろは」などの文字も見えます。

 手燭のアップ。
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 「年のせやあしたまた(るる)」とあり、二つ巴の紋所も。

 全体にも「いろは」がちりばめられていて、さりげなく忠臣蔵ですねぇ。

2022年5月20日 (金)

昭和5年の「元禄快挙 大忠臣蔵」

 このようなものを入手しました。
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 昭和5年4月1日発行の「常盤週報」です。
 三つ折りになっていたものを開きました。
 左端が表紙になります。
 右端の上部は最新封切りの「元禄快挙 大忠臣蔵」で大石内蔵助を演じる大河内伝次郎の写真、下部はその映画の解説です。

 中央部は裏表紙で、「目下撮影中」の作品です。アップにします。
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 それぞれに「時代劇」「現代劇」などの分類が書いてあります。
 最初の「女性讃」は「現代ローマンス」とあります。
 また、この作品の出演者のところには「オールスターカスト」とあります。
 「キャスト」でなくて「カスト」ですね。
 「キャメラ」と「カメラ」の関係に似ていますが、今は「カスト」よりも「キャスト」の方が一般的なのに対し、もう一方は「キャメラ」よりも「カメラ」が一般的ですね。でも業界では「キャメラ」が使われていそうな気もします。

 裏側はこうなっています。
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 丸ごと全部「元禄快挙 大忠臣蔵」の配役です。

 字が小さすぎて読めませんね。
 男女別名簿になっていて、主要なものはそれぞれ冒頭にゴチックで印刷されています。
 男子の部の先頭。
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 片岡千恵蔵が大石ではなくて浅野内匠頭を演じています。
 当時27歳。確かに大石ではなくて浅野ですね。
 「棟梁 藤兵衛」というのは、岡野金右衛門の絵図面取りの大工の棟梁でしょうね。

 女子の部の先頭。
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 ゴチックの部の次に山田五十鈴が載っています。当時13歳。何度も計算し直してしまいました。合っているようです。
 役名「雛菊」ですね。

 常盤週報の「常盤」は映画館の名と思われます。
 ググってみると、千葉県の松戸に常盤館という映画館があって、大正時代には存在していたということですが、これかどうか。

2022年4月19日 (火)

忠臣蔵の端布

 このような端布を入手しました。
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 大きさは概略で36cm×106cmです。
 端布も収集品になってしまったわけではありません。たまたまです。
 タイトルには「忠臣蔵の」と書きましたが、これは仮名手本忠臣蔵のことではなく、赤穂事件にまつわる物語の意です。

 松の廊下の刃傷。
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 こらへこらへた 十四日 所もあらふに 松の廊下の 入口で 犬侍じやの 人非人
とあります。ちょっと尻切れトンボです。

 神崎与五郎の詫び証文。
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 武士の 大和心を 其儘に 姿に見する 富士ヶ峯 積りし雪は 千早振 神代より 解けしためしの 有***
とあります。
 恥ずかしながら、末尾の***が読めません。(^_^; 内容的には、「あるはなし」「あるものか」などかと思うのですが、どちらも違うようだし。

 大高源吾の煤竹売り。
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 「年の瀬や 水の流も 人の身も」と記して御座ります
とあります。

 大高源吾と出会った宝井其角。
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 有がとふ御座ると筆をかりスラスラスラト書て其角殿「あしたまたるゝ宝船」
とあります。

 兄の元に今生の別れに赴く赤埴源蔵。
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 糸のほつれや かさの台 頭に戴く 君が恩 忘れぬ程の 武夫とは 義理の足元 降うづむ
とあります。これもやや尻切れトンボのような。

 討入りに臨む大石内蔵助。
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 赤き心や 紅葉ばの 日暮を急ぐ 唐錦 よしや嵐に 乱れても
とあります。これこそ尻切れトンボと思いますが、どうなのでしょうか。

 という端布です。

2022年4月12日 (火)

「吉良上野介供養の鰐口(違!)」にコメントを頂きました

 昨年の8月、当ブログに「吉良上野介供養の鰐口(違!)」という記事を書きました。
 ネットオークションに、吉良上野介の供養のために造られて奉納された鰐口が出品されていたという内容です。

 鰐口の写真です。
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 「八幡大菩薩」「元禄十五壬午歳八月十五日」「三州幡頭郡吉良庄行用村氏子中」という文字が刻まれています。
 ここには、吉良上野介の供養のために奉納されたとの文言は一切ありません。

 ところが、この鰐口には箱があって、そこにはこう記されています。
Kirawaniguchi04
 ここには、この鰐口は、吉良上野介が討たれた翌年、上野介の郷里の人々が供養のために奉納したとあります。

 真偽不明ですが、1000円スタートでしたので、一応入札してしまいました。
 やがて2万円台になっていましたので、あっさりと撤退を決めました。
 終了後、はじめて「これ違う」と気づきました。

 四十七士の討ち入りは元禄15年の12月です。
 この鰐口に刻まれた元禄15年8月15日には、吉良さんはまだ存命です。
 吉良さんの供養も何もあったもんではありません。(^_^;

 箱書きを書いた人は、鰐口に刻まれた元禄15年の年号と、吉良庄という地名とから、吉良上野介の供養のために作られた鰐口という早とちりをしてしまったのでしょうね。早とちりというより、「かもしれない」という願望、空想を文字にしてしまったのでしょう。
 歴史の捏造と言えそうです。
 あぶないところでした。

 ところが、昨日、この記事にコメントが付きました。

 コメントしてくださったのは、この鰐口を落札された方でした。(^_^)
 こういうこともあるのですね。意外なことでした。

 この方は鰐口などに関心のある方のようで、箱書きの内容が誤りであることを承知の上で落札されたそうです。

 この鰐口の作りは時代が合い、刻印も後世の偽刻の風もないとのことです。
 そして、撞座の形式で時代と地域がつかめるかもしれないという興味から入札されたそうです。
 それで、現地を踏査してみようと思っていて、当ブログの記事を見つけたとのことでした。

 ブログには滅多なことは書けませんね。
 ヘンなことは書いていなかったので安心しました。
 今後も気を付けます。

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