史跡めぐり

2017年4月18日 (火)

正覚寺(小松姫の墓所)をゆく

 昨日、沼田城で御殿桜を見たあと、帰りの電車の時間までまだ余裕がありました。そこで、正覚寺に行ってきました。真田信之の正室小松姫のお墓があります。

 山門。
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 この山門の屋根の瓦の紋所は、小松姫の実家本多家の立葵です。
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 本堂。
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 ここにもまた燦然と輝く本多立葵が。
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 他に、蔵にもやはり同じ紋がありました。見た限りでは六文銭は見当たりませんでした。

 小松姫についての解説板。
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 小松姫のお墓です。
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 その解説板。
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 すぐ近くのお墓に猫の石像がありました。このお墓に眠っている方、ネコ好きだったのでしょうかね。
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 境内にあった高野槙の巨木。
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 その解説板です。
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 正覚寺から臨む下界。
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 正覚寺は沼田城よりも低い位置にありますので、お城からの眺めよりも視界が開けています。それでも駅との標高差はビルの25階分ほどにもなるそうです。

 画面中央やや下に沼田駅の駅舎が見えます。画面の上から1/4ほどの位置に、中央から右端にかけて桜並木のようなものが見えます。あのあたりに利根川が流れているそうです。

2017年1月 1日 (日)

宝づくしの和菓子

 頂き物のぽち袋です。
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 タグを見ると伊勢木綿だそうです。
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 中身は宝づくしの和菓子です。おめでたく、お正月らしい品です。
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 亀屋良長というお店の品です。恥ずかしながら、このお店は知りませんでした。

 京都の和菓子屋さんというと、鶴屋八幡、鶴屋吉信、鶴屋長信など、鶴屋○○というお店が多いなぁとは思っていましたが、亀屋さんもあるのですね。鶴亀どちらもめでたいです。

 「京四条醒ヶ井」とあります。醒ヶ井といえば倭建命の近江の醒ヶ井が頭に浮かびます。京都にもあるのだなぁ、と思って、ふと思い出しました。数年前に京都で標柱を見たのでした。

 HDDの中を探してみました。
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 傍らに解説板が立っていました。
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 中程に「う」の人がいました。(^_^;

 場所は西本願寺の北です。
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2016年12月19日 (月)

安居天神をゆく(2)

 安居神社の社殿です。
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 社殿の前、左右に狛犬がいます。昨日の「真田丸」最終回でも、幸村終焉の地に狛犬がいたような。

 この神社は天神様なので、天満宮に付きものの牛もいます。
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 さなだ松。幸村はこの場所の松の根方で休息していたということです。ただ、当時の松の木はもう枯れてしまって、今ある松は、のちに同じ場所に植えられたものだそうです。
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 境内の奥に桜の木がありました。
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 この桜についての解説板です。
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 ここには、平成18年10月に大阪城と上田城とが友好城郭提携を結んだこと、平成21年に上田市有志の会から、友好城郭提携3周年、新生上田市発足3周年を記念して、信州上田のしだれ桜、ソメイヨシノの奉納申し入れがあり、幸村終焉の地である安居神社境内に植樹したことが述べられています。

2016年12月18日 (日)

安居天神をゆく(1)

 「真田丸」、ついに終わってしまいました。NHK大河史に残る名作と思います。

 最終回の真田丸紀行は、幸村終焉の地、安居神社でした。先日の大阪出張の折に行ってきました。(^_^)
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 このようなのぼり旗が立っていました。
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 幸村像。戦いに疲れて休んでいる姿でしょう。
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 そばには戦死跡の碑がありました。酒樽が供えられています。
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 銘柄は「六文銭」。故郷の信州の清酒のようです。幸村公も満足なのではと思います。
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 このような立て札がありました。
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 要はペットを連れてきてはいけないという趣旨なのでしょうが、そうは言わずに「ペットの参拝」と表現したところがいいです。神主さん、動物好きかもしれません。

 この神社の飼い猫か、勝手に住みついた猫か分かりませんが、社務所の脇にこんなネコがいました。気持ちよさそうに日向ぼっこをしていました。
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 顔も洗って。
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 もう1匹ネコを見かけたのですが、それはあとで撮ろうと思って、境内を一回りして戻ってきたら、もういませんでした。教訓。猫は撮れる時に撮らねば。

 この神社には2003年にも訪れています。その時には白い猫がいました。真っ白だし、気品が漂っていましたので、神馬ならぬ神猫かと思いました。
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 もう1匹。
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 どうも猫が住みつく神社のようです。

2016年12月14日 (水)

真田丸跡探訪余滴

 真田丸跡の実地踏査の過程で撮った写真を何枚かご披露します。

 大阪環状線玉造駅で降りて、三光神社方面への道は「幸村ロード」と名づけられ、のぼり旗が立っていました。
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 三光神社に向かう一行。
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 真田丸顕彰碑を見る一行。
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 両者の時間差は30分ほどあります。どちらにもオレンジ色の人が共通ですので、同じ一行かと思いましたが、オレンジ色の人が背負っているリュックや、他のメンバーが重ならないようです。このオレンジの服はボランティアガイドのユニフォームかもしれません。

 こういった集団での見学者の他に、地図を片手の単独行の見学者(私もです)も何人も見かけました。真田丸ブームです。

 大坂城惣堀の跡。今はこういう道路になっています。なんとなく堀っぽい気がします。(^_^)
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2016年12月13日 (火)

天然寺/おちつき天神

 円珠庵から西へ行って、少し南に下ったところに天然寺というお寺がありました。円珠庵から300mほどの所です。

 おちつき天神ともあります。ここにお参りすると、落ち着きのある人間になれるのかと思って、中に入ってみました。
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 門を入って斜め前方が本堂のようです。
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 門を入った右手にお社がありました。
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 これが「おちつき天神」です。
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 参拝すると落ち着きのある人間になれるのではなくて、菅原道真が大宰員外帥として九州に赴く時に、潮待ちのためにこの地に落ち着かれたということで、この称があるのでした。
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 菅公が腰を掛けたという石がありました。
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 菅公にあやかろうと思って、腰掛けてみました。座り心地はよかったです。♪
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 うまくあやかれて学業成就すると良いです。流罪の方にあやかってしまうと困ります。(^_^;

2016年12月12日 (月)

契沖・近松の遺跡

 真田丸の跡とおぼしき大阪明星学園のすぐ西に契沖の旧跡があります。
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 円珠庵という名で、契沖の旧庵であり、また、ここに墓もあるようです。
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 現地を訪れながら「ようです」というのもナンですけど、門にこんな張り紙がありました。
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 なんか、写真撮影を巡って、大きな迷惑を蒙ったことがあったのでしょうかね。この張り紙を見て、中に入らずに引き返してしまいました。契沖にあやかるべく参拝すれば良かったかなぁという気もします。(^_^;

 ここからずっと西に歩いて、谷町筋でこういう案内板を見つけました。
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 近松門左衛門の墓石はこの近くにあるようでしたが、見当たりませんでした。探し方が悪かったのかも。

 円珠庵も近松の墓地も、その存在は全く知らず、歩いていて出くわしました。ふらふら歩いていて思いがけないものを見つけるのは楽しいです。(^_^)

2016年12月11日 (日)

「傾城阿波の鳴門」どんどろ大師

 真田丸跡を訪れた時、途中にありました。
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 どんどろ大師 善福寺です。

 三角形の敷地に建っていて、左へ進むと心眼寺坂です。

 この地は、真田丸の北出丸付近、またはその東に当たると思われます。

 宝暦2年(1752)、大坂の陣の戦死者の霊を弔うため、この地に鏡如庵大師堂が創建されますが、明治の初めに廃庵になり、のち、明治42年(1909)、この地に善福寺が移転してきて、現在は「どんどろ大師 善福寺」となっているようです。大坂の陣の戦没者を供養するためのお堂が建てられたということも、真田丸がこの付近にあったことの傍証になるのではないでしょうか。
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 人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」の、有名な「して、かか様の名は」の場面がここを舞台にしていることで、門前にお弓・おつるの像があります。
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2016年12月10日 (土)

三光神社をゆく

 真田丸付近の真田関係の地としては、三光神社があります。心眼寺の東、直線距離で200mほどですが、実際に両者間を移動するには北か南を迂廻することになります。
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 神社入り口。
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 社殿は石段を登った先にあります。宰相山という山上にありますので、ここも高地です。それで、この神社の所在地も真田丸の候補でした。←過去形にしてしまっていますけど。
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 境内に幸村像があります。左の背後には楯が並び、銃口らしきものが見えます。真田丸のイメージでしょうね。そして、その下には、古墳の石室の入口のようなものがあって、人がのぞき込んでいます。
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 真田の抜け穴です。
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 入口には扉があって、六文銭がついています。
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 格子の隙間からレンズを入れて写しました。ちょっとピンぼけ。
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 古墳の石室のように見えますが、この穴は突き当たりで終わっているわけではなく、そこから左側に伸びているのだそうです。その少し先で崩落しているそうですが、以前は、まだ先まで続いていたのだとか。

 この地に真田丸があったと考えられたことから、真田の抜け穴と言われたのでしょうが、実際には徳川方が大坂城攻めのために掘った可能性もあるようです。

 付近には、観光地におなじみの顔出しパネルもありました。
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2016年12月 9日 (金)

心眼寺をゆく

 4回に亙って真田丸跡について考えてきました。手持ちの材料からはこれでほぼ限界です。(^_^)

 今夜9時からのNHK「ニュースウオッチ9」によれば、真田丸跡を発掘中で、盛り土とおぼしき地層が見つかったとのことでした。また、来週金曜日の「歴史秘話ヒストリア」のテーマは「真田丸を掘る 地中に眠る信繁の城」です。ブログを書いたことが予習になっていますので、理解しやすいことでしょう。楽しみに番組を見ることにします。今からわくわくしています。(^_^)

 今日は心眼寺のことをアップします。
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 心眼寺の場所が、真田丸の東の向かいになるのか、あるいは真田丸の郭内に当たるのか、はっきりしません。ただ、心眼寺は、元和8年(1622)に白牟和尚が真田信繁父子の菩提を弔うための堂舎をこの地に祀ったことに始まるとのことですので、大坂冬の陣の時にはこのお寺はまだ存在していません。
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 山号は真田山です。門扉には六文銭が。
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 信繁父子の菩提を弔うといっても幕府を憚って墓を作るわけにもゆかなかったのでしょうか、一昨年、大坂の陣から400年に当たるのを期して、はじめて信繁の墓が建てられました。
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 境内には京都見廻組隊士の桂早之助、渡辺吉太郎(墓石には「吉三郎」とありますが、「吉太郎」が正しいとのことです)の墓があります。
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 戊辰戦争終結後に新政府に捕らえられた元京都見廻組の今井信郎の供述によれば、坂本龍馬を暗殺したのは見廻組の佐々木只三郎を指揮者とする数名で、その中にこの2人も含まれているとのことです。

 2人とも鳥羽伏見の戦いで討ち死にし、当寺に葬られました。

 桂早之助は京都生まれ、渡辺吉太郎は江戸生まれだそうです。見廻組は京都に駐屯していたわけですから、なぜこの2人が大阪の心眼寺に葬られることになったのか、そのいきさつは分かりません。

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