飛鳥・奈良

2017年3月 2日 (木)

小山田古墳と命名

 平成26年(2014)、奈良県立明日香養護学校の校舎建て替えに伴う発掘調査で、古墳らしきものが出土しましたね。当ブログでも、2015年1月16日に「舒明天皇陵? 蘇我蝦夷墓?」と題した記事をアップしました。

 あの時は、古墳ではなく、居館や庭園などの可能性もありました。

 それが、昨日今日のテレビや新聞による報道によれば、新たに発掘が進み、古墳であることが確定したようですね。

 1辺約70メートルの方墳で、飛鳥時代で最大級の古墳とみられ、「小山田(こやまだ)古墳」と命名されたとのことです。

 近畿で最大級の方墳は、用明天皇の陵墓とされる春日向山古墳(東西66メートル、南北60メートル)や、推古天皇陵とされる山田高塚古墳(東西66メートル、南北58メートル)だそうですが、1辺70メートルの小山田古墳の規模はこれらを上回ります。蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳は1辺50メートルとのことです。

 となると、被葬者はかなり限られましょう。舒明天皇か蘇我蝦夷のどちらかということになりそうです。

 初めてこの記事を見たとき、蝦夷はヘンと思いました。蝦夷は大化改新のクーデターで誅殺されたわけですから、このような巨大な古墳が造られるはずはないと考えました。

 でも、さらに記事を読むと、蝦夷・入鹿の墓は生前に造られたのですね。皇極紀元年是歳条に「預め双墓(ならびのはか)を今来(いまき)に造る。一つをば大陵(おほみさざき)と曰ふ。大臣の墓とす。一つをば小陵(こみさざき)と曰ふ。入鹿臣の墓とす。」とあります。

 小山田古墳は短期間で破壊されたようですから、蝦夷の生前に造られていた墓が、大化改新のクーデターを受けて破壊されたと考えれば、辻褄は合いそうです。

 さて、どうなのでしょうね。興味津々です。

 画像がないと寂しいので、1枚貼っておきます。時代は合うのかなぁ。(^_^;
Gunmac_kohunjin01

2017年1月27日 (金)

飛鳥むかしむかし 早川和子原画展

 3日前のアサヒコム奈良版に、明日香村の飛鳥資料館で「飛鳥の考古学2016 飛鳥むかしむかし 早川和子原画展」が始まるというニュースが載っていました。

 朝日新聞奈良版の連載企画「飛鳥むかしむかし」で掲載された復元イラストの原画展です。

 奈良版での連載でしたので、私はこの連載のことを知る由もありませんでしたが、2冊の単行本として刊行されたことで、読むことができるようになりました。
Asukamukashi01
 大勢の専門家の方々のリレー式の連載です。飛鳥のことを多角的に知ることができます。
Asukamukashi02
 この本はしばらく前に買ったのですが、まだ積ん読状態でした。(^_^; イラストには心惹かれるものがありましたので、このニュースを見て、「おお!」と思いました。

 会期は3月20日までだそうです。行けるかなぁ。

 厳密な考証に基づくイラストのようです。それでいて、ほのぼのとする絵です。

 大宝元(701)年に藤原宮の大極殿院の門付近で開かれた元日朝賀の儀式を描いたイラストは、連載では7本の幢幡(どうばん、旗)が横一列に並んでいたのを、昨年の調査で中央に1本、その左右に3本ずつ三角形のように並んでいたことが判明したことで、今回の原画展では新たに描き直した作品を展示するとのことです。

2017年1月20日 (金)

『大和回遊名所案内図』

 昔の奈良の地図を入手しました。入手先は毎度おなじみのネットオークションです。

 袋には「大和めぐり名勝案内地図」とあります。
S15yamatokaiyu01
 地図本体の左上には「大和回遊名所案内図」とあります。
S15yamatokaiyu02
 両者、題名が一致していません。おおらかと言いましょうか。(^_^; ブログのタイトルは地図本体の題名によりました。昭和15年3月の発行です。

 奈良市中心部はこんな感じです。
S15yamatokaiyu03
 平城宮跡はこの範囲よりも西に位置しますけど、この地図には一切載っていません。この時代にはまだ宮跡の位置が確定していないのでしょうね。

 久米寺前で見た道標関係のあれこれ。神武天皇陵、岡寺、橘寺です。久米寺も。
S15yamatokaiyu04
 天理。駅名はまだ丹波市(たんばいち)ですね。
S15yamatokaiyu05
 人麻呂塚や和尓社が載っています。そして、画面右側には天理教本部が一部見えています。

 上の画像で一部が見えていた天理教本部、実はこんなに大掛かりに描かれています。
S15yamatokaiyu06
 東大寺や興福寺よりも遥に大きく詳しく載っています。破格の扱いですね。これは興味深かったです。そのあおりを受けて(?)石上神社が実際よりも東に移動していませんか?(^_^;

 他に興味を惹かれたのは、定家の歌です。
S15yamatokaiyu07
 「佐野の渡り」が三輪山の南、初瀬川に設定されています。万葉集に載っているこの歌の本歌「苦しくも降り来る雨か神(みわ)の崎狭野の渡りに家もあらなくに」(265)の「神の崎」や「狭野の渡り」は、今、和歌山県新宮市とされていますが、中世には、「神の崎」が大和の三輪と誤解されたこともあったようですね。

 定家自身は佐野をどこと考えてあの歌を作ったのでしょうね。

 大坂夏の陣の折、若江で討ち死にした木村重成が大きく取り上げられていました。
S15yamatokaiyu08
 NHK大河「真田丸」では、木村重成は、後藤又兵衛や明石全登など五人衆に比べるとやや影が薄い存在でしたけれども、昭和15年頃の人気のほどが偲ばれます。

 古いものはとにかく楽しい。(^_^)

2016年12月16日 (金)

春日大社監修の駅弁「春日彩膳」

 10月に、奈良の春日大社・興福寺の駅弁のことを書きました。

 そのうち興福寺監修の駅弁「心」は、奈良大学で開催された萬葉学会の帰りに京都駅でゲットできました。

 そして、この度、大阪樟蔭女子大学で開催された全国大学国語国文学会の帰りに、春日大社監修の「春日彩膳」を新大阪駅で無事にゲットすることができました。
Kasugasaizen01
 期間限定とのことですので、両方とも無事に入手できて幸いでした。購入したのは学会が終わった12月4日(日)のことですが、毎日書くことがあったので、今日になってしまいました。

 中身です。
Kasugasaizen02
 お品書きです。奈良だからといって、やはり鹿肉は入っていません。ま、春日大社のお弁当に入っているはずもありません。(^_^;
Kasugasaizen03
 お品書きの終わりの方に記載されているお箸はこれです。
Kasugasaizen04
 なお、お品書きの中に「ごま豆腐 藤流し」とあるのはこれです。春日大社ゆかりの藤をイメージした風雅なごま豆腐です。
Kasugasaizen05
 で、私、お品書きを読む前に、電子レンジで丸ごとチンしてしまいまして、折角のこのごま豆腐は溶けて液状になってしまいました。(^_^; 仕方がないので、スプーンですくって食べたそうな。

2016年11月22日 (火)

奈良京大阪経路図

 奈良京大阪付近の経路図を入手しました。木版です。江戸時代のものと思います。最近、奈良方面の絵図や経路図への関心が増してきました。ご縁といいましょうか、関心が増すとあれこれ手に入ります。(^_^)
Rokkakudoumae01
 この経路図の収録範囲は、左上に京・大阪、左下に若山(和歌山)、右下に伊勢神宮、右上に津、ということで、先週ご紹介した「伊勢大和まはり名所絵図道のり」とほぼ同じです。

 奈良を右上に置いた拡大図を示します。
Rokkakudoumae02
 奈良から左下への道を辿ると、帯解、丹波市、三輪、阿倍、飛鳥、岡寺、橘寺。またまた岡寺・橘寺のコンビです。

 その先は、Uターンするように、当麻、当麻寺、龍田、法隆寺、小泉。

 同じ「当麻」なのに、当麻は「たへま」、当麻寺は「たゐま寺」となっているのが不思議です。

 小泉の先は、郡山、西の京、と来て、次がまたまた「正大寺」です。これが標準表記のようですね。

 江戸・明治の地図や道中記を見慣れた人には常識なのかもしれませんが、今までほとんど見たことのなかった私にはもの珍しく、興味深いことです。

 全体図に戻って、左端に御定宿として京都六角堂前のちくぜんやの名が記されています。この旅籠が作成した地図でしょうか。あるいは、この部分の旅籠の名を差し替えればどこの旅籠でも使えますので、そのような性格のものなのかもしれませんね。

 大阪の表記が現代と同じく「大阪」となっています。この地名表記については、江戸時代までは「大坂」と書かれていたのが、明治になってから、「土に反(かえ)る」というのは縁起が悪いというので、「大阪」と改められた、と理解していましたが、どうなのでしょうね。

 この絵図は明治以降のものと考えるべきなのか、あるいは江戸時代にも「大阪」という表記はすでにあったのか。

 あれこれ興味は尽きません。(^_^)

 あ、六角堂、1回だけ行ったことがありました。
Rokkakudo01
 高いところから見えるようになっていました。
Rokkakudo02

2016年11月15日 (火)

伊勢大和まはり名所絵図道のり

 このような絵図を入手しました。江戸後期のものだそうです。ただ、実物ではなく、人文社の複製です。
Iseyamato01
 左上附近が京都、その下が大坂、左下が和歌山、右下が伊勢神宮、右上やや下が名古屋。そして中央付近に奈良があります。

 凡例は以下のようになっています。赤地の○が名所です。
Iseyamato03
 奈良附近を拡大しました。
Iseyamato02_2
 奈良はひときわ大きな赤丸で「名所多し」とあります。そうですね。いちいち書き切れないでしょう。(^_^)

 奈良から南へ長谷に至る道筋には、帯解、丹波市、三輪と続きます。三輪には神社マーク。大神神社ですね。そして三輪の次、読みにくいのですが、「ちをんじ」と読めそうです。今、このあたりに「慈恩寺」という地名がありますね。仮名違いですが、位置的にこれと思われます。

 三輪から南西への道を取り、初瀬川を渡ると桜井。そして、安倍、飛鳥、橘寺、岡寺と続きます。

 橘寺、岡寺といえば、またまた例の道しるべが思い浮かびます。
Kumedera01
 やはりこの両寺は名だたる名所だったのでしょうね。でも、この絵図には神武天皇陵は影も形もありません。あの道しるべ、江戸時代のものとばかり思っていましたが、明治以降のもののように思えてきました。

 安倍から西への道は、八木、高田と続きます。高田付近に神社マーク。この拡大図の中に神社マークは大神神社とこれだけのようですけど、高田附近の著名な神社が何か、思い至りません。

 奈良に戻って、西には尼ヶ辻。その南に「せうだいじ」とあります。先月ご紹介した「明治21年の定宿帳」にも「正大寺」が載っていました。
M21isshin05
 唐招提寺のことなのでしょうが、当時は「しょうだいじ」と呼ばれ、「正大寺」と書かれることもあったのでしょうね。

 複数の史料をつき合わせると、面白さも増加します。(^_^)

2016年10月29日 (土)

奈良旅手帖2017

 予約していた奈良旅手帖が届きました。
Naratabi2017a
 奈良旅手帖の記事は当ブログで去年一昨年も採り上げていました。

 表紙は数種類から選べますが、3年連続鹿です。鹿、好きなもので。♪

 内容は、毎年データは更新されていることでしょうが、大枠は変わりません。今回は、駅ごとのコインロッカー情報をご披露します。この表も毎年掲載されていたのですが、今まで採り上げませんでしたので。この情報、便利と思います。
Naratabi2017b
 来年作成する手帖では少しリニューアルを検討しているということで、そのうちアンケートが送られてくるそうです。地図の充実を要望しようと思います。(^_^)

 予約特典としてB6版(奈良旅手帖と同大)のクリアファイルが付いてきました。片面は朝の三輪山。
Naratabi2017c
 もう1つの面は夕方の二上山です。
Naratabi2017d
 なかなかよございます。(^_^) このクリアファイルは300円で市販もしているとのことです。

2016年10月26日 (水)

今日は柿の日

 今日は柿の日だそうですね。平成17年(2005)に、全国果樹研究連合会のカキ部会が制定したものだそうです。

 もう11年も前のことなのに、先日初めて知りました。

 正岡子規が「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の句をよんだのが明治28年10月26日からの奈良旅行の折だったということで、この日が選ばれたのだそうです。

 下の写真は法隆寺の柿……、ではなく、飛鳥寺から撮った柿です。右下に見えているのが飛鳥寺の周囲をめぐる壁の瓦屋根です。
Asukakaki
 撮ったのは、奇しくも(というほどのことはありませんが)柿の日が制定された平成17年でした。

 柿の生産量日本一は和歌山県で、特に九度山は柿の産地だそうですね。(^_^)

2016年10月19日 (水)

左京と右京

 例の道標の左右の問題、休み休み考えています。

 ふと思い付いたのは、どちら側から見て左右なのかという視点の問題です。

 現代は思いやりの時代で、道標を見る旅人本位に考えますけど、昔の道標の視点はひょっとして道標側にあったのでは、などと考えました。

 つまり、擬人法というわけではありませんが、道標側が、「私の左手側をご覧ください。こちらが神武天皇陵です。右手側をご覧ください、岡寺や橘寺にお越しの方はこちら側です」なんてことはありますまいか。

 平城京、平安京などでは、南面している天子から見て、左側が左京、右側が右京になりますね。それと同じ感じです。

 「向かって右(あるいは左)」という言い方がありますけど、あえて「向かって」と付けるからには、左右を「向かって」の位置関係で表現する方がむしろ一般的でなかった可能性もありはすまいかと。

 さらにまた考えてみます。
Gunmac_hatena02

2016年10月18日 (火)

わくわく日本書紀すごろく

 橿原考古学研究所附属博物館で購入しました。ミュージアムショップの他に、受付にも置いてありましたので、博物館一押しの品のようです。
Shokisugo01
 著者は奈良県。平城遷都1300年に始まる盛り上げを、古事記1300年を経て、日本書紀1300年まで引っ張ろうという企画の1つと思われます。
Shokisugo02
 全部で8つの双六が入っています。
Shokisugo03
 一番最初のイザナキイザナミの国生みすごろくはこんな感じです。
Shokisugo06
 「宝ものをあつめよう!!」は2つのすごろくからできていて、左側の天の岩戸で玉と鏡が得られます。右側の八岐大蛇退治で剣が入手できます。
Shokisugo07
 天の岩戸の登場人物(いや、神か)はこんな感じです。
Shokisugo04
 大化改新はこんな感じ。蘇我入鹿は「イルカゴン」。快獣風にされてしまっています。(^_^;
Shokisugo05
 倭建命のすごろくには出雲討伐がありませんでしたので、「あれ?」と思ったのですが、出雲討伐が出てくるのは古事記だけで、日本書紀には出てきませんでしたね。ちゃんと作られています。

より以前の記事一覧

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

ウェブページ