『ならら』最新号の特集は大神神社
昨日、『ならら』4月号が届きました。今回は早めです。
特集は卯年ゆかりの大神神社です。
「うさぎにちなんだ授与品紹介」というページがあります。
あれこれのうさぎに心惹かれます。
私が持っているのは左上のだけです。
また大神神社にお参りしたいです。
昨日、『ならら』4月号が届きました。今回は早めです。
特集は卯年ゆかりの大神神社です。
「うさぎにちなんだ授与品紹介」というページがあります。
あれこれのうさぎに心惹かれます。
私が持っているのは左上のだけです。
また大神神社にお参りしたいです。
今日、『ならら』の2023年3月号が届きました。
特集は天誅組です。
目次はこのようになっています。
天誅組の乱の年表が載っていました。一部だけ示します。
天誅組については詳しく知らなかったのですが、時期は新選組が結成されてから池田屋事件までの間に相当していますね。
主な隊士達の結末も一覧表になっていました。これも一部だけ示します。
多くが戦死したり、斬首になったりした中で、下から6番目の伊藤三彌や1番下の平岡鳩平は維新後に裁判官になったり、県令や衆議院議員になったりしています。
生き残ったかどうかが大きな差になっています。
『ならら』の内容は、歴史、考古、行事、風俗などが多いのですが、今号には珍しく国語学の論考が載っていました。
土居美幸氏の論考で、古事記や万葉集の「参」がテーマです。
古事記や万葉集に見える「参入」「参来」「参上」「参向」などは漢語ではなく、和語で「まゐ~」などと訓読すべきものということです。
後世、これらが音読されるようになれば、和製漢語ということになりましょう。
逆に、「朝参」は漢語で、万葉集の巻18の4121番歌(大伴家持)の「朝参」は「テウサン」と訓むべきものとの説です。
大変に分かりやすく、説得力のある論と思います。
昨年の12月に、近鉄奈良駅に「奈良公園前」という副駅名が設定されました。
ニュースにその駅名標が映ったのを見ると、鹿の絵が描かれています。
鹿の絵、良いです。今度近鉄奈良駅に行ったら写真撮ろう、と思いました。
そんな折しも、ネットオークションに、それを記念する入場券が出たのを見つけて、買ってしまいました。
その台紙です。
鹿の絵がかわいいです。
大満足。
台紙の裏側。
観光特急「あをによし」です。
1300年以上も前の枕詞が現代の特急の愛称に使われているのは尊いことと思います。
とはいうものの、この列車よりも、車両の内外が奈良鹿だらけの車両があるんですよねぇ。それに乗りたいです。
入場券。
昔懐かしの硬券です。
画像を切り貼りしました。
上が表、下が裏です。
裏面には番号が印字してありましたが、出品者のご迷惑になってはと思い、一部を消しました。
これはこれとして、本物の駅名標を見たいです。
『ならら』の2023年2月号の特集は東大寺二月堂の修二会です。
サブタイトルにありますように、特に修二会の清浄を保つことに焦点が置かれています。
目次です。
各項目の分量は、特集が10ページである他は、大体見開き2ページなのですが、その中で終わりから3つ目にある奈良県立万葉文化館は6ページを占めていて異例です。←嬉しい。
今号もまた充実した1冊でした。
奈良公園の鹿に独自の特徴があるというニュースが、新聞やテレビで報道されていますね。
奈良公園の鹿は、遺伝的に独自性が高いことを示した論文が国際的な学会誌に載ったとのことです。
この研究は、福島大、山形大、奈良教育大の研究チームによってなされ、論文のタイトルは「歴史的な宗教保護地区がいにしえのニホンジカの遺伝子系統を守ってきた可能性がある」です。長いですけど、内容の趣旨はよく分かります。
紀伊半島の8地域30地点から集めた鹿294頭の血液などから遺伝子の特徴を調べた結果、鹿たちは、半島東部、半島西部、奈良公園の3つの集団で構成されていることがわかったそうです。
そして、遺伝子の解析から、6世紀ごろに紀伊半島にいた祖先の鹿の集団から奈良公園の鹿たちが分かれ、16世紀ごろに半島東部の鹿集団から半島西部の鹿集団が分かれたとみられることがわかったとのことです。
研究チームは、奈良周辺では古来から鹿が神の使いとして保護されてきたことから、独自性が高い集団が生き残ってきたのではないかとしています。
奈良公園の鹿は、太平洋戦争直後に79頭にまで激減していたそうです。その時に絶滅しないで良かったですし、絶滅を防ぐためとして他地域の鹿を連れてきたりしないで幸いでした。
調査は紀伊半島の鹿を対象に行われたわけですが、調査対象に常陸の鹿も加えたらどうだろうか、などと考えました。鹿島の鹿と遺伝的に同じ、などという結果が出たらすごいのですけど。
写真がないと寂しいので、かつて私が撮った写真を何枚か。
若草山の鹿。
向こうに大仏殿が写っています。
若草山の麓のお土産屋さんを訪れた鹿のカップル。
手前の鹿は毎日のようにこのお店に来るそうで、お店の人からはさくらちゃんと呼ばれていました。
鹿せんべいを食べさせている女の子。
知らない子です。(^_^; 顔はほぼ分からないので、隠しませんでした。
鹿を全く怖がっていません。地元の子でしょうかね。
鹿にどんぐりを食べさせている私。
勤務先のどんぐりを奈良まで持参しました。
手から直接食べてくれて嬉しかったです。
このようなものを入手しました。
縦に2つ折りにして、表裏の表紙になっています。
中身です。
細かすぎてよく分かりませんが、吉田初三郎描く鳥瞰図です。
発行者は、大軌(現在の近鉄)の子会社である参宮急行電鉄です。
発行年は不明ですが、伊勢神宮の解説文の中に、神宮の創始を垂仁天皇26年とし、「今を距る一千九百三十五年の昔である」とあることで、計算すると、この文中の「今」というのは昭和7年(1932)であることが分かります。
右上隅をアップにします。
右上に巨大な大軌本社。神戸、下関、門司、そして釜山まで描かれていますが、そこまでは見えませんよね。(^_^;
下には生駒山や法隆寺、信貴山が描かれています。
奈良附近。
右上に大極殿趾が描かれています。
奈良市内には大仏殿、猿沢池、春日神社など、おなじみの奈良の名所が描かれています。
その中に、奈良ホテル、月日亭という宿泊施設も描かれています。有名な施設だったのでしょうね。
左下には「大軌奥山廻り遊覧自動車」の文字があります。大軌が運営しているバス路線なのでしょう。
飛鳥附近。
二上山、安倍文殊院、多武峰、三輪神社、長谷寺、天理教本部などが見えます。
松坂と斎宮趾。
松坂には鈴の屋旧宅や本居宣長の墓。左下には斎宮旧趾が載っています。
外宮。
内宮。
二見浦附近。
夫婦岩が描かれています。
いつもながら、初三郎の鳥瞰図は、それぞれの位置関係がよく分かりますし、細かくて、見ていて楽しい絵図です。
明治26年の『奈良名所記』を入手しました。
奥付です。
故絵図屋荘八の原著を改訂して出版したもののようです。
絵図屋荘八は、地図とくに奈良の地図などを発行しています。
名は「庄八」と書いてあるのが一般的のように思います。
本文の冒頭は猿沢池です。
こんな感じで、▲が項目の標示で、このページには、さる沢池、采女宮、きぬかけ柳、菩提院が載っています。
私はくずし字が苦手ですが、このくらいならば何とか読めます。
興味深い内容ですし、この本を読めばくずし字の勉強にもなりそうです。
猿沢池の図。
東大寺の図。
右奥に若草山が描かれています。上が東ですね。
そこから左に掛けて、手向山、三月堂、二月堂、左手前には大仏殿が描かれています。
大仏殿も一部だけで、西にある戒壇院や正倉院、転害門などは描かれていません。別のページにもありません。
興福寺。
鹿を探したのですが、どのページにも描かれていないようです。
絵図屋荘八の他の奈良絵図にはたくさん描かれているのに。(^_^;
それが残念です。
今年の年賀状には、平城宮大極殿の壁画のうさぎを使いました。
描いたのは著名な日本画家であろうと思いましたが、誰だろうと気になってググってみました。
その結果、上村淳之画伯だということが判明しました。
上村松園画伯の孫ですね。
そして、ググった副産物として、この壁画のチラシのあることが分かりました。
六一書房から買えることも分かりましたので、早速注文しました。
税込100円。送料の方が高価でした。2010年8月発行です。
横長の紙を縦に4つ折りにしてあります。
四神。
十二支。
今年の干支の卯と来年の干支の辰。
戌と酉。
どちらも親子の絵が描かれています。
鶏は、チラシの現物でも良く見えませんが、2羽の親鳥の間にひよこが2羽います。
素敵な絵です。
昨日、『ならら』の来年1月号が届きました。
特集は「本能寺の変「神君伊賀越え」の真相」です。
来年のNHK大河「どうする家康」を意識した特集と思われます。
それ以下の目次はこのようになっています。
今号にも奈良をめぐる興味深い記事があれこれあります。
特集は、信長が本能寺で討たれたとき、堺に滞在していた徳川家康が、どの様なルートで三河に帰ったのかという内容です。
通説は、上図①のように堺から北上して、山城、近江の南部を通って、伊賀の柘植から伊勢の加太越えです。
しかし、このルートは、最短ルートとはいえ、堺から京都方面に向かうことになります。
明智の軍勢がいる方に向かうのは危険です。
一方、②③のルートは、河内から大和に向かう竹の内峠越えです。
②は八木から山辺道を北上して、笠置から近江南部に向かいます。
③は八木から芋峠を越えて名張から柘植に向かいます。
②③は遠回りになるとはいえ、京都から遠い点では①よりも安全性は高いでしょう。
また、①のルートは信長方の史料である『信長公記』に拠るものであるのに対し、②③は家康の家臣の語ったものなどの記録であるということです。
②③の説があるということも、その根拠になる徳川方の史料のあることも全く知りませんでした。
確かに、家康はわずかな供回りのみで三河に帰ろうとしていたわけですから、①のルートはいかにも危険という気がします。
おもしろいですねぇ。
定説のようなものも、それで良いかどうか。上代にも定説の見直しを要することも多々あることでしょう。
とんでも説にならないように、しっかりした史料に基づいて、しっかりした論証をすることが必要ですね。
このような本を買いました。
『今昔奈良物語集』。著者はあをにまる氏。版元は角川書店です。
つい先日刊行されたばかりのほやほやです。
帯に書いてある「世界よ、奈良色に染まれ。」が良いですね。
全部で11話から成る短編集で、すべて原作といいますか、関連する作品があります。
これまた帯にある「名作文学×現代奈良エンタメ」の通りです。
名作文学が全て奈良を舞台に描かれています。
それぞれの短編と、それぞれに関連する作品は次の通りです。
①走れ黒須 (←『走れメロス』太宰治)
②奈良島太郎 (←『浦島太郎』作者不明)
③二十歳 (←『形』菊池寛)
④ファンキー竹取物語(←『竹取物語』作者不明)
⑤大和の桜の満開の下(←『桜の森の満開の下』坂口安吾)
⑥古都路 (←『こころ』夏目漱石)
⑦三文の徳 (←『藪の中』芥川龍之介)
⑧若草山月記 (←『山月記』中島敦)
⑨どん銀行員 (←『ごんぎつね』新美南吉)
⑩うみなし (←『やまなし』宮沢賢治)
⑪耳成浩一の話 (←「耳無芳一の話」〈『怪談』〉小泉八雲)
タイトルも、関連する作品を踏まえたものと、全く無関係なものとがあります。
③などは、katachi→hatachi と、よく似た音になっています。⑪もそうですね。
中身をお見せしてはいけませんが、⑤の冒頭だけちょっと。
こんな感じで、奈良県の地名が満載です。
「某きな粉団子」も。
⑨の最後には予想を裏切らないフレーズが書いてあります。(^_^)
奈良県民の皆さん、奈良好きの皆さんには特に読んで楽しい本かと思います。
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