旅行・地域

2024年8月19日 (月)

天保14年の「絵引年代記」(3)

 先日から2回に亙って載せている天保14年の「絵引年代記」には裏面もあります。
Ebikinendaiki12
 裏面もまた文字が小さいです。
 上半分は暦関係の記述で、下半分は大坂または京からの道中記です。
 横に長いので、適宜分割して切り貼りします。

 最初は伊勢参宮道中記。
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 大坂から奈良を経てお伊勢参り。そして京ヘ。

 高野山道中記と有馬湯治道中記。
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 どちらも大阪発です。
 高野山も信仰を集めたお寺で、有馬温泉は上代から知られた温泉ですね。

 但馬湯治道中記。
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 こちらも大阪発です。
 但馬の温泉は知りませんでした。結構長い道のりです。

 江戸道中記。
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 東海道五十三次です。

2024年3月29日 (金)

絵はがき「近江八景」

 「近江八景」の絵はがきを入手しました。
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 石山観月堂(石山秋月)と瀬田之唐橋。
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 矢走之帰帆(矢橋帰帆)。
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 三井寺(三井晩鐘)と新唐崎ノ松(唐崎夜雨)。
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 堅田浮御堂(堅田落雁)と比良峯暮雪(比良暮雪)。
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 粟津晴嵐はありませんでした。
 本来は8枚あったことでしょうから、この1枚は持ち主が近江の旅先からどなたかに出してしまったのかもしれませんね。

 表側には7枚全てにこのスタンプが捺してありました。
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 下方に「近江八景めぐり-大正丸-」とあります。
 琵琶湖をめぐる遊覧船の中で販売された絵はがきでしょうかね。

 上に「11.5.10」とあります。
 昭和11年5月10日でしょうか。日付印の見方が分かりません。
 船の名前が大正丸であることから、1911年(明治44年)の可能性は低いでしょうね。

2023年10月 7日 (土)

今日の「ブラタモリ」は北九州市

 今日の「ブラタモリ」は北九州市でした。
 いつもおもしろいですけど、今日もおもしろかったです。
 タモリさんは福岡市出身ながら、北九州市にはほとんど行ったことはないそうです。そんなものですかねぇ。
 北九州市は昭和38年に5市が合併して成立しました。
Buratamokitakyushu01
 新市の名称は公募したそうですが、当時高校生だったタモリさんは、良い名を思いつかず、応募しなかったそうです。
 当時私は小学6年生でした(←歳が分かる←何を今さら)ので、北九州市成立のことは記憶にあります。

 合併した旧市は、画面左下の5市です。
Buratamokitakyushu02
 今日は初めの2/3程の時間を使って旧小倉市、終わりの1/3程の時間を使って旧若松市を取り上げていました。
 他の3市は来週取り上げることになるのだと思います。

 旧小倉市については、小倉城や小倉城下の道路が主に取り上げられました。
 小倉には令和元年(2019)、上代文学会の折に1度だけ行ったことがあります。
 行ったところがいくつも映りました。行ったことのある場所がテレビに映ると、なんか嬉しいです。
 嬉しいだけではなく、距離感などもつかめて理解が進みます。
 まず、その地に行く→それから「ブラタモリ」を見る→その後、もう1度そこに行く。というのが理想的かもしれません。

 さて、旧5市の真ん中を豊前と筑前の国境が通っているそうです。
Buratamokitakyushu04
 これは全く知りませんでした。
 門司と小倉は豊前国、戸畑・若松・八幡は筑前国です。

 そして、関ヶ原合戦の後、豊前国は細川家、筑前国は黒田家の領地です。
Buratamokitakyushu03
 おもしろいですねぇ。
 2つの国は文化も言葉も微妙に違うそうです。
 そういう5市が合併するに当たってはいろいろあったことでしょう。
 そのあたりのことが来週取り上げられそうです。

2023年4月10日 (月)

金刀比羅宮の加美代飴

 今日は、月1回の金曜日の講座とは別の、都内での講座の日でした。
 その受講生の方がこんぴらさんに行ってきたとのことで、お土産を頂きました。
Kamiyomochi01
 丸金マークが描いてあって、「五人百姓 名物 加美代飴」とあります。

 裏側には「金毘羅船々」の歌詞が書かれています。
Kamiyomochi02
 こんなに長いとは知りませんでした。

 冒頭部分。
Kamiyomochi03
 私が憶えているのはこれくらいです。

 パッケージを開けると小袋が5つ並んでいました。
Kamiyomochi04

 そして、小さな金づち。
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 この金づちで飴を割って食べるのだそうです。
 見るのも聞くのも初めてです。
 珍しいものを頂きました。

2021年10月 9日 (土)

諸国産物見立評判番付(2)

 昨日の、「諸国産物見立評判番付」の3段目以下も眺めてみました。
 字が小さいし、くずし字も苦手ですが。

 西の3段目。
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 上段の一番最初、ぱっと見、「はかま ありぢごく」に見えました。

 そんなわけはありませんね。
 「播磨 あかしちぢみ」でしょう。
 私、そんなレベルです。(^_^;

 お隣は、備前焼ですね。
 6番目に豊前の小倉織があります。
 小倉って、福岡県なので、筑前かと思ったら、あのあたりは豊前なのでした。
 その3つ先は、尾張の鳴海絞。桶狭間に近いので、関心があります。←関心に偏り。

 下段は、恥ずかしながら読めないのが多いです。
 1行目は、「肥前 唐津さんとめ」? なんじゃろ?

 その隣は、「和泉 さかいうち物」ですかね。泉州堺の打刃物。

 その5つ先に、相模の小田原提灯がありますね。
 その4つ先に、近江の算盤。
 これは知りませんでした。近江商人と関係ありましょうか。
 その後は、紙がいろいろ出てきますね。
 各地で、特徴のある和紙が漉かれて、名産になっていたのでしょう。

 あれこれ面白いです。

【追記】
 「さんとめ」は、織物である旨、ご教示頂きました。
 日国に次のようにありました。
 不審なことがあったら、辞書を引かねば。

-------------------------------------------------------------------
サントメ 【桟留・聖多黙】
【一】
〔一〕({ポルトガル}Sa~o Thome 聖トマスの意)
聖トマスが布教に来たという伝説による、インドのコロマンデル海岸地方の異名。
*増補華夷通商考〔1708〕四「サントメ 聖多点 日本より海上三千八百余里。 西天竺の内にて暖国也」
〔二〕(Sa~o Tome )
サントメ・プリンシペ民主共和国の首都。サントメ島の北東海岸にある港町。一五世紀後半にポルトガル人が建設して以来、同島の中心地。

【二】〔名〕
(1)「サントメじま(─縞)」の略。
*俳諧・二葉集〔1679〕「ひっくりかへさう餌飯の浦波 さんとめの袴もふるきこしの山〈笑吟〉」
*和漢三才図会〔1712〕二七「奥柳条(おくしま) 聖多黙(サントメ)〈略〉按三止女(サントメ)は南天竺の国の名、出於此称奥柳条」
*洒落本・辰巳婦言〔1798〕四つ明の部「下着はとんだふつり合にて、さんとめの三すしだち」
*雑俳・柳多留‐五三〔1811〕「桟留に成って柿苧の渋がぬけ」
(2)「サントメがわ(─革)」の略。
*随筆・守貞漫稿〔1837~53〕一六「黒さんとめ烟草納。さんとめは蛮夷の名。其来舶。黒革也」

2021年10月 4日 (月)

『トランヴェール』の先月号は、東北5億年

 毎月楽しみにしているJR東日本の車内誌『トランヴェール』、先月はステイホームで新幹線に乗りませんでしたので、先月に続き、また通販で取り寄せました。オニですな。
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 先月号の特集は、「東北、5億年の旅路へ。」です。
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 つまみ食い風に、何ヶ所かご紹介します。
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 といった具合です。特集は全部で18ページに及びますので、以上はほんの一部です。

 地球規模のスケールの大きい話です。
 日本列島は中国大陸からちぎれてくっついてできた中で、北上山地の南部は赤道付近から旅してきたとか。
 出雲風土記の国引き神話やブラタモリを思い浮かべます。

 じっくりと読んでみます。

 緊急事態宣言が解除されましたので、今月は新幹線の車内で入手できましょう。

2020年7月12日 (日)

『トランヴェール』2020年7月号は冒険者たち

 一昨日、仕事で前橋に行ってきました。
 2週間ぶりに東急線の外に出て、新幹線に乗りました。
 毎月愛読している車内誌の『トランヴェール』、7月号になっていました。
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 特集は「いつか旅に出よう、冒険者たちのように。」です。
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 まず、江戸初期にスペインの特使として来日したビスカイノ、明治時代に東北・北海道を旅行したイギリス人のイザベラ・バード、江戸後期にロシアに漂着して世界一周して帰国した伊達藩の水夫・津太夫のことが取り上げられています。
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 そして、伊能忠敬の日本地図作成と、その地図をもとにして地質図を描いたナウマン。大森貝塚を発見し、縄文土器の名付け親にもなったモース。
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 柳田国男の遠野旅行も取り上げられていました。
 読み応えのある号でした。

2020年5月24日 (日)

『伊能九州図と平戸街道』

 ネットオークションでこういう本を見つけて、つい買ってしまいました。
Inou_hirado
 「九州文化図録撰書」の第4号で、発行所は、福岡市中央区にある「図書出版のぶ工房」という会社です。
 「九州文化図録撰書」の第1号から第3号の内容は、長崎街道関係です。

 なぜ、この本を買ったかというと、去年の6月に九州女子大学・九州共立大学で開催された上代文学会に参加したときに、小倉城の近くで伊能忠敬の記念碑を見たのが印象に残っていたからです。

 場所は、常盤橋という橋の近くです。
Kokurashui04

 このような記念碑です。
Kokurashui06

 解説プレートの拡大。
Kokurashui07
 ここに書いてありますように、常盤橋は、長崎街道、唐津街道、中津街道、秋月街道、門司往還の起点で、九州における伊能忠敬の測量の始発点ということです。

 この本には、平戸藩が所蔵していた伊能図がたくさん掲載されています。
 図を見て楽しむことにします。

 こういう動機で本を買うので、キリがないのですよね。(^_^;

2020年5月 4日 (月)

今日は「糸魚川・ヒスイの日」

 今日は「糸魚川・ヒスイの日」です。
 それを知ったきっかけはまた「ねこあつめ」の「今日のあいことば」です。
 5月4日の「今日のあいことば」が「翡翠」でしたので、これは何かあると思ってググってみました。(^_^)

 「糸魚川・ヒスイの日」は、新潟県糸魚川市で活動する市民団体の「NPOまちづくりサポーターズ」が制定したもので、糸魚川市が日本唯一のヒスイ産出地であり、世界最古のヒスイ文化発祥の地でもあることから、ヒスイの魅力をさらに大勢の人に知ってもらい、まちおこしの機運の醸成を図ることが目的とのことです。
Itoigawahisui
 5月4日という日付は、ヒスイの色からの連想で「みどりの日」が選ばれたのだそうで、平成26年に、一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

 下は、頂き物のお守りです。本物の翡翠ではないとのことです。レプリカ。でも、イメージはよく伝わります。
Nunakawa02

 以前、当ブログに書いたことですが、糸魚川の翡翠というと、松本清張の『万葉翡翠』が思い出されます。原作はまだ読んでいませんが、少年時代に、テレビドラマ化されたのを見て、大いに興味を覚えました。

 万葉集の「沼名川の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾(ひり)ひて 得まし玉かも あたらしき 君が 老ゆらく惜しも」(巻13・3247)という歌にまつわる作品でした。
 2ヶ所に出てくる「得まし」は、現在は「得し」という訓が一般的です。「得まし」の訓は少数派で、主な注釈書の中でこの訓を採るのは、『万葉集評釈』(窪田空穂)と、『万葉集全註釈』(武田祐吉)だけのようです。松本清張はこのどちらかの注釈書に依ったのでしょう。

2019年11月14日 (木)

ほの国百貨店閉店へ

 今日のネットニュースで標題のことを知りました。豊橋の百貨店です。
 といっても、私、この百貨店に行ったことはありません。
 先年、何回か豊橋の愛知大学で開催されたシンポジウムに参加した時に、この百貨店のことを知りました。

 古代、のちの東三河の地は「穂の国」と呼ばれていました。
 国造本紀の東海道の部分は、尾張国造-参河国造-穂国造-遠淡海国造、という順で並んでいます。参河国と遠淡海国との間に穂国があったのでしょう。律令時代になると、穂国は参河国と一緒になってしまいます。

 でも、現在、東三河の地では、かつてこの地が穂の国であったことが意識されているのでしょうね。
 豊橋駅構内で、このような看板を見ました。
Honokuni01

 このような行き先表示板も。
Honokuni02

 ほの国百貨店の閉店で、その一角が崩れてしまうようで残念です。
 閉店の原因は、インターネット通販の増加などで売り上げが伸び悩んだことが大きいそうです。
 インターネット通販の影響は、書店やパソコンショップなど、各方面に大きいですね。

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