壬申の乱をたどる(10)淡海方の田辺小隅が倉歴道を奇襲
7月5日の夜半、淡海方の田辺小隅が率いる部隊が鹿深山を越え、倉歴道を守備する田中足麻呂の部隊を奇襲します。
田中足麻呂隊は不意を突かれ、敗北します。
乃楽山で大野果安が大伴吹負を破った戦闘の翌日夜半です。
淡海方は、たら野を押さえることで、倭と不破との分断を図ったものと思われます。
大海人皇子側もこの地の重要性は十分に承知の上で、倉歴道には田中足麻呂の部隊、たら野には多品治の部隊を配していたのでしょう。
双方の作戦は、それぞれに見事です。
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コメント
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地圖中の「紀阿閇麻呂」の第三字「閇」は、活字體としては「閉」の俗字または異體字として扱ひ、一般的には「紀阿閉麻呂」と表記するのではないでせうか。2日の地圖にもありましたが。
投稿: 筒井茂徳 | 2026年7月 5日 (日) 23時15分
筒井先生
ご指摘ありがとうございます。
仰るとおりです。
国史大系本の続日本紀に「閉」を「閇」とした例が多数ありましたので、何となく「閇」になじんでいました。
古典文学大系本の日本書紀壬申紀に「紀阿閇麻呂」とあるのかと思って見てみましたが、「紀阿閉麻呂」とありました。
なぜ、「紀阿閇麻呂」としてしまったのか不明です。
来年は「紀阿閉麻呂」とします。
ありがとうございました。
投稿: 玉村の源さん | 2026年7月 6日 (月) 00時10分