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2026年7月 6日 (月)

壬申の乱をたどる(11)田辺小隅の部隊を多品治が撃退

 7月6日、前日夜半に倉歴道を奇襲攻撃で突破した淡海方の田辺小隅の部隊は、たら野の陣営を襲撃しますが、ここを守る多品治に撃退されます。

 この頃、大伴吹負敗走の報に接した紀阿閉麻呂は、置始兎に千余騎の兵を与えて、倭京に向けて派遣します。
 (*日本書紀では、置始兎を倭京に向けて派遣したのは7月9日のこととして記述しますが、
   その条にはその後の展開もまとめてそこに懸けて記述してあると読めますので、
   置始兎の派遣はおおよそ7月6日頃と推測しました。)
Jinshinchizu12

 たら野の位置については諸説ありますが、三重県伊賀市上野付近とする説が有力のようです。
 吉野を脱出した大海人皇子が東国に向かう際も、この地で朝食を摂っています。
 大津京から鹿深山を越えて倭に向かう際にも重要な通過点であったのでしょう。

 淡海側がたら野を越えて倭に侵入できれば、大海人皇子側にとっては大きな脅威になったことでしょうが、それは叶いませんでした。
 田辺小隅の襲撃を撃退した多品治の大手柄です。

 乃楽山の戦いで大伴吹負を撃ち破った大野果安は飛鳥古京の守りが固いとみて攻撃を控えたのですが、その後の動きが不明です。
 河内から倭を窺う壱伎韓国の部隊と連携して倭を制圧していれば、その後の展開も変わっていたかもしれません。

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