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2026年7月

2026年7月17日 (金)

壬申の乱をたどる(17)村国男依、栗太の敵を撃破

 7月17日、大海人皇子方の村国男依の軍勢は、栗太で淡海方の軍勢を撃ち、追撃します。

 連戦連勝を重ねつつ琵琶湖の東岸を南下して来た村国男依は、淡海方の最後の防衛線というべき瀬田川まで、あとわずかの地点に迫りました。
Jinshinchizu22

 なお、倭方面では、大海人皇子軍が淡海方を駆逐しましたので、大津京に向かって北上を開始したか、あるいはその準備を整えている頃と思われます。

2026年7月16日 (木)

『前賢故実』(16)平安前期から中期

 昨日に続き、また『前賢故実』です。

 源経基。
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 源経基は清和源氏の祖。

 紀貫之女。
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 紀貫之女は「鶯宿梅」の逸話で知られます。
 この話は、村上天皇の時代に、清涼殿の前に植わっていた梅の木が枯れてしまったので、都の外れにある家に植えられていた見事な紅梅を、勅命であるとして掘り返して内裏に運ぼうとしたところ、家の者がその枝に短冊を結びつけて持たせます。
 その紅梅は清涼殿の前に移植され、枝に結びつけられた短冊が天皇の目に止まります。短冊を開いてみると、そこには「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかが答へむ」とありました。
 天皇が調べさせると、その家の主人は紀貫之の娘で、娘はその紅梅を父の形見として大事にしていたことが分かったということです。

 藤原忠平。
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 藤原忠平は延喜格式を完成させ、また「延喜の治」と呼ばれる国政改革を行いました。

 橘直幹。
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 橘直幹は漢詩人で、大学頭、文章博士などを歴任します。
 民部大輔の官を望んで起草し、小野道風に揮毫して貰った申文は、村上天皇が大いに賞翫したという説話が知られます。

 小野道風。
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 小野道風は能書家で、藤原佐理・藤原行成とともに三跡として知られます。
 柳に飛びつくかえるの話が有名ですが、あの話が広まったのは江戸中期だそうです。

2026年7月15日 (水)

『前賢故実』(15)平安前期

 『前賢故実』の続きで、今回も平安前期です。

 壬生忠見。
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 壬生忠見は壬生忠岑の子で、父と共に三十六歌仙の一人。
 百人一首には「恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」の歌が採られています。

 三善清行。
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 三善清行は漢学者で漢詩文にもすぐれ、『延喜格式』の編纂に参加したほか、「意見封事十二箇条」の上奏でも知られます。

 巨勢金岡。
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 巨勢金岡は宮廷画家で、大和絵の様式を確立した人物とされます。

 伊勢。
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 伊勢は三十六歌仙の一人。
 百人一首には「難波潟みじかき芦のふしのまもあはでこの世を過ぐしてよとや」の歌が採られています。

 小野好古。
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 小野好古は小野篁の孫で小野道風の兄。歌人。
 天慶の乱に際しては藤原純友を追捕するための長官として、純友軍を博多津で撃退しています。

 今回は文人ばかりとなりました。

2026年7月14日 (火)

壬申の乱をたどる(16)倭方面最後の戦闘

 淡海方面では7月13日に大海人軍が安河で大勝しています。

 倭方面では日付不明ながら大海人軍が河内方面からの淡海軍を撃退し、飛鳥京の本営に戻ってきました。

 その後、飛鳥古京には東国からの軍勢が多数到着したので、大伴吹負は兵を3つに分けて、上ツ道、中ツ道、下ツ道に配します。

 上ツ道では、三輪高市麻呂・置始兎が箸陵の戦いで淡海軍に大勝します。
 中ツ道では、村屋に陣を敷いた淡海軍の犬養五十君が廬井鯨に精兵二百を与えて大伴吹負の陣営を衝かせます。
 吹負麾下の兵は少なく苦戦しますが、そこに、箸墓から救援に駆け付けた三輪高市麻呂らの部隊が廬井鯨の背後を衝き、勝利をおさめることができました。

 下ツ道については不明です。
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 大伴吹負は飛鳥京の本営に戻って軍を編成し直しますが、この先、淡海軍はもう攻めてきませんでした。
 淡海方は淡海方面で敗戦が続いているので、そちらに兵を集中させようとしたのかもしれません。

 なお、この戦の数日前、村屋の神(村屋坐弥富都比売神)が兵の襲来を予言したということで、壬申の乱終結後に村屋の神は神位を上げられています。
 村屋の神については、昨年、三友亭主人さんから頂いたコメントにより、記載しました。
 三友亭主人さんに改めてお礼申し上げます、

2026年7月13日 (月)

壬申の乱をたどる(15)村国男依、安河のほとりで淡海軍に大勝

 7月13日、大海人皇子方の村国男依が、安河(野洲川)のほとりで淡海軍に大勝します。
 村国男依は、横河・鳥籠山に続いて、ここでも淡海軍に大勝し、大津京に大きく迫りました。
 本当に破竹の勢いです。
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 このあと、両軍とも態勢を整えるのにしばらく掛かったようで、決戦は数日後になります。

 一方、倭では、河内から侵入した壱伎韓国を破った大海人皇子軍はいったん飛鳥京に戻って態勢を整え、大津京を目指して北上します。

2026年7月12日 (日)

『前賢故実』(14)平安前期

 また少し間が開いてしまいましたが、『前賢故実』の続きで、平安前期です。

 菅原道真。
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 菅原道真は、学者、漢詩人。右大臣にまで昇進しますが、讒言によって大宰権帥に左遷され、大宰府で亡くなります。

 源融。
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 源融は嵯峨天皇の皇子で、臣籍に降下して嵯峨源氏の祖となります。光源氏のモデルともされます。
 自邸の六条河原院に奥州塩竈の風景を模した庭園を造らせたという故事があります。

 紀友則。
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 紀友則は、三十六歌仙の一人で、古今集の撰者の一人です。

 紀貫之。
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 紀貫之は、三十六歌仙の一人で、古今集の撰者の一人。古今集の仮名序の執筆者であり、土佐日記の著者でもあります。

 凡河内躬恒。
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 凡河内躬恒は、三十六歌仙の一人で、古今集の撰者の一人です。

 今回は文人が中心となりました。

2026年7月11日 (土)

壬申の乱をたどる(14)大伴吹負・置始兎、当麻の衢で淡海軍に勝利

 倭方面は相変わらず日付は不明ですが、大坂を越えてきた淡海方の壱伎韓国の部隊を、大伴吹負・置始兎の部隊がこのころ当麻の衢で撃退します。
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 7月4日に乃楽山で敗北した大伴吹負は、置始兎の援軍を得て、ついにリベンジを果たすことができました。
 壱伎韓国の部隊はかなりの損害を受けたようで、以後、淡海方は河内方面から攻めてくることはありませんでした。

 一方、乃楽山の戦いで大伴吹負を撃ち破った大野果安の動きは相変わらず不明です。
 琵琶湖東岸で淡海方は連敗していますので、ひょっとすると倭方面の兵は琵琶湖方面に転用されていたのかもしれません。
 あるいは、脱走兵もいたのでしょうかね。

2026年7月10日 (金)

『大美和』151号

 年に2回、大神神社からお送り頂いている『大美和』の151号が届きました。
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 表紙は満開の桜ですね。
 中央付近のミラーが邪魔と思ったら、ミラーに意味があるのでした。

 ミラーの部分を拡大します。
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 4月9日に行われた「若宮神幸祭」の様子だそうです。
 なかなか凝った写真です。

 今号には、4本の講演録が掲載されています。
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 恒例により、タイトルとお名前はご本人の自筆です。
 それぞれに個性が出ていて楽しいです。

 恥ずかしながら、私の不勉強のため、この4人の方々は存じませんでした。
 考古学がおふたりと、あとは国学と民俗学でしょうか。
 いずれも図版が豊富で分かり易いです。
 よく読んで勉強いたします。

2026年7月 9日 (木)

壬申の乱をたどる(13)村国男依、鳥籠山で淡海軍に勝利

 7月7日に息長の横河で淡海軍に勝利した村国男依らは、7月9日には鳥籠山で淡海軍に勝利をおさめ、将の秦友足を斬ります。

 また、7月2日頃に淡海方から大海人皇子方に投降した羽田矢国の部隊は、琵琶湖の北岸経由で、湖西沿いに南下すべく進軍中です。
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 一方、倭方面は相変わらず日付が不明ですが、大海人皇子軍の援軍として倭に向かった置始兎は、墨坂で大伴吹負と合流します。
 そして、大坂にいる淡海方の壱伎韓国を撃つべく、西に向かいます。
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 乃楽山の戦いで大伴吹負を破った大野果安の軍勢は飛鳥京附近まで攻め寄せながら、飛鳥京の守りが堅いとみて引き返していますが、どこまで引き返したのか不明です。
 また河内の壱伎韓国の部隊も、大野果安の勝利につけ込んで飛鳥方面に攻め込んでも良さそうなものですが、動きが見られません。

 大野果安と壱伎韓国の動き次第では、戦局が変わっていたかもしれません。
 どうも淡海方は戦略的な動きが鈍いように思います。

2026年7月 8日 (水)

金魚、3匹元気です。

 旧暦・新暦の違いはあれど、日付に合わせて、毎日のように壬申の乱を追ってきましたが、今日7月8日には日本書紀の壬申の乱関係の記事はありませんので、今日はお休みです。

 その代わりに、金魚の話題を。

 金魚が1匹になってしまいましたので、5月29日に子金魚を4匹お迎えしました。
 ところが、5日と経たないうちに2匹の子金魚が虹の橋を渡ってしまいました。
 残った子金魚は2匹になってしまいましたが、幸い2匹とも至って元気です。
 お迎えしてから40日ほどになります。もう大丈夫ではないかと思います。

 今日、こんなです。
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 大きさは先住金魚とはだいぶ違いますね。
 最初の日は、先住金魚が近づくと、子金魚たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ散っていましたが、先住金魚が危害を加えないと分かると、もう平気になりました。

 ただ、ゴハンが上から降ってくると、先住金魚は子金魚を押しのけてゴハンに向かって行きます。
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 仁義なき戦いです。

 子金魚は正攻法では勝てないので、隙を見て、先住金魚の上に出ます。
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 仁義なき戦いです。

2026年7月 7日 (火)

壬申の乱をたどる(12)村国男依ら、息長の横河で淡海軍に勝利

 7月7日、大海人皇子方の村国男依らが息長の横河で淡海軍を破り、その将境部薬を斬ります。
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 村国男依は、大海人皇子が吉野を脱出する2日前に東国に派遣された大海人皇子の舎人です。
 男依はいち早く美濃の兵三千を率いて不破の道を塞いでいました。
 そして、今また大軍を率いて大津京に向けて進軍しています。
 天武天皇の舎人というと稗田阿礼が思い浮かびます。
 舎人には有能な人物が多かったのかもしれませんが、身分は低いはずですね。
 身分に拘らない人材登庸としても異例のことと思います。

 男依は緒戦でみごと勝利を収め、この先破竹の進軍を続けます。

 一方、敗北して斬殺された境部薬といえば、この14年前に起きた有間皇子の事件の折に、有間皇子の一味として捕われ、尾張国に流罪になった人物です。
 のちに許されて、今は淡海軍の将になったということでしょうか。
 まさか、中大兄皇子の意を受けて有間皇子の側にいたということはないのでしょうかね。
 ともあれ、壬申の乱では破れて殺されるという、なかなか波瀾万丈の人生です。

 淡海方が不破の手前まで攻め込んでいます。
 大海人皇子方は押し込まれているようにも見えますが、兵力が充実するのを待っていたのかもしれません。
 あるいはこのあたりまで淡海側の勢力範囲だったため、戦いながら南下するしかなかったのかもしれません。

2026年7月 6日 (月)

壬申の乱をたどる(11)田辺小隅の部隊を多品治が撃退

 7月6日、前日夜半に倉歴道を奇襲攻撃で突破した淡海方の田辺小隅の部隊は、たら野の陣営を襲撃しますが、ここを守る多品治に撃退されます。

 この頃、大伴吹負敗走の報に接した紀阿閉麻呂は、置始兎に千余騎の兵を与えて、倭京に向けて派遣します。
 (*日本書紀では、置始兎を倭京に向けて派遣したのは7月9日のこととして記述しますが、
   その条にはその後の展開もまとめてそこに懸けて記述してあると読めますので、
   置始兎の派遣はおおよそ7月6日頃と推測しました。)
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 たら野の位置については諸説ありますが、三重県伊賀市上野付近とする説が有力のようです。
 吉野を脱出した大海人皇子が東国に向かう際も、この地で朝食を摂っています。
 大津京から鹿深山を越えて倭に向かう際にも重要な通過点であったのでしょう。

 淡海側がたら野を越えて倭に侵入できれば、大海人皇子側にとっては大きな脅威になったことでしょうが、それは叶いませんでした。
 田辺小隅の襲撃を撃退した多品治の大手柄です。

 乃楽山の戦いで大伴吹負を撃ち破った大野果安は飛鳥古京の守りが固いとみて攻撃を控えたのですが、その後の動きが不明です。
 河内から倭を窺う壱伎韓国の部隊と連携して倭を制圧していれば、その後の展開も変わっていたかもしれません。

2026年7月 5日 (日)

壬申の乱をたどる(10)淡海方の田辺小隅が倉歴道を奇襲

 7月5日の夜半、淡海方の田辺小隅が率いる部隊が鹿深山を越え、倉歴道を守備する田中足麻呂の部隊を奇襲します。
 田中足麻呂隊は不意を突かれ、敗北します。
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 乃楽山で大野果安が大伴吹負を破った戦闘の翌日夜半です。
 淡海方は、たら野を押さえることで、倭と不破との分断を図ったものと思われます。
 大海人皇子側もこの地の重要性は十分に承知の上で、倉歴道には田中足麻呂の部隊、たら野には多品治の部隊を配していたのでしょう。

 双方の作戦は、それぞれに見事です。

2026年7月 4日 (土)

壬申の乱をたどる(09)大伴吹負が大野果安に敗北

 7月4日、乃楽山に布陣した大伴吹負部隊は、攻め寄せた大野果安らの淡海軍に敗れ、敗退します。
 吹負自身も数騎で敗走します。
 果安は、吹負を八口(やくち)まで追い、飛鳥京を望観したところ、京には厳しく楯を立てていたので、伏兵の存在を疑って、引き返します。
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 大伴吹負軍の方が高所に布陣して地の利はあったはずなのに敗退したということは、吹負は諸方の防備に兵を割いたために本隊の兵が不足していたのかもしれません。
 さらに、大野果安軍は兵がかなり多かったか、士気が高かったのかもしれません。

 勝ちに乗じて大伴吹負を飛鳥京付近まで追っていった果安が引き返したのは、なかなか慎重です。

2026年7月 3日 (金)

壬申の乱をたどる(08)大伴吹負が乃楽山に布陣

 7月3日、大伴吹負はさらに北上して、乃楽山に布陣します。
 そして、荒田尾赤麻呂の進言によって、飛鳥京を守るために赤麻呂と忌部子人らを飛鳥京に向かわせます。

 一方、淡海方は大野果安を乃楽山に向かわせます。
Jinshinchizu31

 大津京を攻撃すべく進軍を続ける大伴吹負の部隊ですが、河内から倭を窺う壱伎韓国部隊への抑えと、飛鳥京の守備のために兵を割くことを強いられ、本隊の兵力はだいぶ削がれているはずです。

 淡海側も、琵琶湖東岸を北上して不破に向かう部隊と、倭方面に向かって南下する部隊と、河内から倭を窺う部隊とに三分されています。

 双方ともに、広範囲な部隊の運用を行っています。

2026年7月 2日 (木)

壬申の乱をたどる(07)大海人皇子軍の手配り。淡海方も不破に向けて出撃

 7月2日、大海人皇子は、紀阿閉麻呂・多品治・三輪子首・置始兎らに数万の兵を与えて倭に向わせます。

 また、村国男依らに数万の兵を与えて不破から直接淡海に入らせます。
 兵たちには淡海軍と区別するために赤色を衣の上に着けさせます。
 柿本人麻呂作の高市皇子挽歌(巻二・199)には、
   捧げたる 幡(はた)の靡(なびき)は
   冬ごもり 春さり来れば
   野ごとに 着きてある火の
   風の共(むた) 靡くがごとく
とあり、軍旗の色が赤であったことを伺わせます。

 のちに、倭に向かわせた部隊のうち、多品治に3000の兵を与えて、たら野に駐屯させ、田中足麻呂には倉歴(くらふ)道を守らせます。

 一方、この頃、淡海方は山部王・蘇賀果安らに命じて、数万の兵で不破を襲わせようとしますが、内紛により山部王は殺害され、蘇賀果安は自殺します。
 このような混乱の中、淡海方の将軍の1人である羽田矢国は大海人皇子に投降します。
 大海人皇子は羽田矢国を将軍とし、北に向かわせます。矢国には琵琶湖の西岸から大津京を攻撃させようとの作戦です。
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 大海人皇子側は、不破道から大津京を攻める他に、倭方面にも部隊を配備します。
 一方の淡海側は、不破に向かう軍勢の司令官同士に内紛が起こるなど、厳しい状況です。

2026年7月 1日 (水)

体重変化(R6.12~R8.6)

 月が変わりましたので、恒例の体重変化グラフです。
Taiju202412_202606

 最近の変化は、多少の増減はあっても、ほぼ平坦です。
 しかし長い目で見ると、ここ1年間、増加しています。
 今後の変化に注目です。

壬申の乱をたどる(06)大伴吹負は稗田に出撃。不破でも戦闘

 7月1日、大伴吹負は大津京を攻めるべく、北に向かって進軍します。
 その途中、稗田に至った時に、河内から大軍が迫っているという情報に接し、兵を割いて、龍田、大坂、石手道に配備します。

 龍田に遣わされた坂本財らは、淡海軍が高安城にいると聞いて高安城に向かいますが、淡海軍はいち早くそれを察知し、倉を焼いて逃亡します。
 坂本財は高安城を占拠しますが、河内方面から壱伎韓国の大軍が迫っているのを知り、城を出て、衛我河で韓国軍と戦います。
 しかし、兵力差は如何ともしがたく、坂本財は敗れ、味方が守っていた懼坂道に退きます。

 この頃、河内守来目塩籠は大海人皇子に従おうと兵を集めていましたが、そのことが壱伎韓国に知られ、塩籠は自尽します。
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 大伴吹負の動きも速いですが、その隙に河内から倭に侵入しようとする淡海側の動きも迅速です。
 吹負は全軍で大津京を攻めたかったでしょうが、河内から倭に攻め込まれては、背後を突かれる怖れや、飛鳥京を奪還される怖れがあるので、兵を割いてそれを阻止しなければなりません。


 一方、正確な日付は分かりませんが、不破方面でも同じ頃に戦闘がありました。
 大海人皇子方が不破の道を堅く守っていたので、淡海方は北の脇道を通って攻め込もうと考え、精兵に玉倉部邑を急襲させますが、出雲狛に撃退されます。
Jinshinchizu29

 奇襲作戦は無理とみて、淡海側は大軍をもって不破を攻めることになります。

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