壬申の乱の経緯をたどる(13)村国男依、鳥籠山で淡海軍に勝利
7月7日に息長の横河で淡海軍に勝利した村国男依らは、7月9日には鳥籠山で淡海軍に勝利をおさめ、将の秦友足を斬ります。
また、7月2日頃に犬上川のほとりに軍営を置いていた淡海軍に内乱が起こり、羽田矢国が一族もろとも大海人方に投降しています。
大海人方は早速これを受け入れ、羽田矢国を将軍として、琵琶湖の北岸経由で、西岸沿いに南下させます。
琵琶湖の東岸と西岸、両方から大津京を攻めようということなのでしょうが、うがって考えれば、羽田矢国を必ずしも信用していなかったために、近くに置きたくなかったのかもしれません。
一方、倭方面は相変わらず日付が不明ですが、紀阿閇麻呂に派遣された置始兎は墨坂で大伴吹負と合流します。
そして、大坂にいる淡海方の壱伎韓国を撃つべく、西に向かっている最中と思われます。
乃楽山の戦いで大伴吹負を破った大野果安の軍勢は飛鳥京附近まで攻め寄せながら、飛鳥京の守りが堅いとみて引き返していますが、どこまで引き返したのか不明です。
また河内の壱伎韓国の部隊も、大野果安の勝利につけ込んで飛鳥方面に攻め込んでも良さそうなものですが、動きが見られません。
大野果安と壱伎韓国の動き次第では、倭を淡海方の勢力圏にできていたかもしれません。
どうも淡海方は戦略的な動きが鈍いように思います。
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