壬申の乱の経緯をたどる(11)田辺小隅の部隊を多品治が撃退
淡海方の田辺小隅の部隊は、7月5日夜半に倉歴道を奇襲攻撃で突破し、翌6日にたら野の陣営を襲撃しますが、ここを守る多品治に撃退されます。
この頃、大伴吹負敗走の報に接した紀阿閉麻呂は、置始兎に千余騎の兵を与えて、倭京に向けて派遣します。
*日本書紀では、置始兎を倭京に向けて派遣したのは7月9日のこととして記述しますが、その条にはその後の展開もまとめてそこに懸けて記述してあると読めますので、置始兎の派遣はおおよそ7月6日頃と推測しました。
たら野の位置については諸説ありますが、三重県伊賀市上野付近とする説が有力のようです。
吉野を脱出した大海人皇子が東国に向かう際も、この地で朝食を摂っています。
大津京から鹿深山を越えて倭に向かう際の重要な通過点であったのでしょう。
淡海側がたら野を越えて倭に侵入できれば、大海人皇子側にとっては大きな脅威になったことでしょうが、それは叶いませんでした。
多品治の大手柄です。
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