壬申の乱の経緯をたどる(19)瀬田橋の決戦
今日7月22日、瀬田橋を挟んで大友皇子の軍勢と村国男依の軍勢とが対陣します。
淡海方は大友皇子自身が出陣しています。
日本書紀に依れば、大友皇子の軍勢は大軍で、末尾が見えないほどだったといいます。
この表現には誇張があることでしょう。実態はどれほどだったのでしょうか。
本当に大軍勢を擁していたのだとすると、その兵力を決戦に備えて温存していたというべきか、あるいは戦線に投入すべき時機を逸したというべきか。
合戦は、淡海方の先鋒を務めた智尊が精鋭を率いて善戦しますが、大海人皇子方の大分稚臣の奮闘によって先鋒が崩されると、その勢いに抗えず、敢えなく全軍が崩壊します。
淡海方の兵は実際にはあまり多くなかったのかもしれません。
勝利をおさめた村国男依は、粟津の岡のもとに陣営を定めます。
同日、湖西では、羽田矢国・出雲狛の部隊が三尾城を陥落させます。
また、倭の三道を北上してきた置始兎らの部隊は山前に到り、河の南に布陣します。
湖西の羽田矢国の部隊と、山前の置始兎の部隊は、決戦に間に合わなかったようにも思えますが、どうでしょうか。
2部隊の位置を見ると、この2部隊の役割は、淡海方の軍勢の退路を断つことだったように見えます。
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