壬申の乱の経緯をたどる(03)大津皇子が合流。高市皇子を不破に派遣
6月26日早朝、大海人皇子は朝明郡の迹太(とほ)川の辺で海越しに天照大神を望拝します。
そこに大津京を脱出した大津皇子(10歳)一行が到着。
また、美濃に派遣していた村国男依が至り、美濃国の三千の兵で不破の道を塞いだことを報告します。
大海人皇子自身は桑名郡家に留まり、高市皇子を不破に遣わします。
この頃、淡海側は、大海人皇子が東国に入ったことを知って激しく動揺し、大混乱に陥ります。
大友皇子は、使者を東国、倭京、筑紫、吉備に遣わし、兵を動員しようとしますが、不調に終わります。
大海人皇子は、大津皇子が駆け付けてくれたことを大いに喜んだそうです。
わずか10歳の皇子では戦力にはならないでしょうが、大津皇子は幼い頃から文武の才があり、天智天皇にも愛されたということですので、大海人皇子も将来に期待していたのでしょう。
6月22日に美濃に派遣されていた村国男依が至り、不破の道を塞いだことを報告していますが、これまた恐るべき速さです。
男依が美濃に着いてから兵を募ったとは到底考えられません。事前に準備ができていたのでしょう。男依はその兵に命じて不破の道を塞がせたものと思われます。
このころになって、淡海側ではようやく大海人皇子の挙兵を知ります。
大海人皇子側の動きをどれほど把握していたかは分かりませんが、この時点で、大海人皇子は早くも鈴鹿と不破とを押さえています。淡海側は既にかなり出遅れてしまっています。
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