壬申の乱の経緯をたどる(01)大海人皇子、吉野を脱出
一昨年は「壬申の乱の経緯を追って」というタイトルで、昨年は「壬申の乱の経緯」というタイトルで、壬申の乱の日付に合わせて、乱の経緯を辿りました。
今年もその改訂版を載せることにしました。
6月22日、大海人皇子が村国男依ら3人の舎人を美濃に派遣し、兵の徴発と不破の道を塞ぐことを命じました。
その2日後の6月24日、大海人皇子は吉野を出て東国に向かいます。従う者は、うの皇女、草壁皇子、忍壁皇子、舎人たち二十数人と女嬬十数人です。
この日に、菟田の吾城に到着。そこへ淡海から倭に退去していた大伴馬来田らが追いつきます。
同じく倭に退去していた馬来田の弟の吹負は功名を立てようと倭にとどまり、機を窺います。
大海人皇子一行は夜半に隠(なばり)郡に到着。横河に到着前に大きな黒雲が現れ、大海人皇子は勝利と占います。
伊賀で郡司たちが数百人の兵を率いて服属します。
結構な距離の山道を移動したことと思います。
吉野を脱出したことを淡海側に知られるのが少しでも遅くなるように、急いだのでしょうね。
兵は拙速を尊ぶであります。
一昨年、三友亭主人さんにご教示頂いたところでは、吉野→名張間は徒歩10時間弱とのことでした。
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拙速を尊び、迅速に行軍したわけですね。
投稿: 岐阜のひと | 2025年6月25日 (水) 08時16分
岐阜の人さん
コメントをありがとうございます。
はい。異様なほどの強行軍ですので、吉野を脱出したことが淡海側に知られる前に、少しでも兵を整え、美濃に入っていたかったのではないかと思いました。
投稿: 玉村の源さん | 2025年6月25日 (水) 10時30分