壬申の乱の経緯をたどる(04)高市皇子に軍事の全権を委ねる
6月27日、大海人皇子は高市皇子のすすめで桑名郡家を出て、不破郡家に向い、さらに野上行宮に入ります。
大海人皇子は、味方の中に脱走した者がいると伝えられて気弱になりますが、高市皇子が強く励まし、大海人皇子も気を取り直します。
そして、大海人皇子は高市皇子に軍事の全権を委任します。
大海人皇子軍は、美濃の兵をもって不破の道から琵琶湖東岸を通って、大津京を突く作戦です。
今年の壬申の乱の推移をたどる記事、今日で4日目になりますが、今のところ地図は毎日新たに描き変えています。
日によっては、去年の地図をそのまま再利用することもあると思います。
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コメント
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この大海人皇子の経路は,
伊吹山から関ケ原を通って養老・多度・桑名へ抜ける伊勢東街道・美濃街道の経路とほぼ同じですね。
みゆき道といって,ヤマトタケルが伊吹山から敗走するルートに重なります。
私は友人と昨年の11月から今年の4月にかけて関ケ原から桑名まで歩きました。
とても素敵なルートでした。
よろしければそのときのブログを読んでください。
http://hagisan.air-nifty.com/whats/cat24257472/index.html
暑くて片づけが進まないようですが,こういう時には休むに限りますよ。
私は,SHOP JAPANの「ここひえ」を使っています。
気休め程度ですが,無いよりましです。
投稿: 萩さん | 2025年7月 1日 (火) 20時33分
萩さん
ブログ拝見しました。こんな風にまとめられていると良いですね。こんな機能があるとは知りませんでした。
私の地図の高市皇子の移動ルートは、山沿いの低地に線を引いただけで、信憑性は低いです。本当は古道などのルートを参考にしなければいけないところです。でも、萩さんが歩かれたルートとおおよそ重なっていましょうか?
ここひえは知りませんでした。コンパクトな冷風扇なのですね。考えてみます。
投稿: 玉村の源さん | 2025年7月 1日 (火) 22時46分
源さんの「壬申の乱」カテゴリーのURLです。
http://mahoroba3.cocolog-nifty.com/blog/cat24386870/index.html
知らないうちに使っていると思いますよ。
「ここひえ」
威力は小さいです。せいぜい1mの範囲ぐらいです。
机上に置いて,エアコンが効くまでの補助で使っています。
水で冷えた空気を送るので,結構寒いぐらいです。
投稿: 萩さん | 2025年7月 2日 (水) 07時19分
萩さん
ありがとうございます。
なるほど、カテゴリーのURLだったのですね。
「ここひえ」は一点集中のような感じですね。
投稿: 玉村の源さん | 2025年7月 2日 (水) 09時24分