私撰「万葉百人一首」
Twitter(現・X)で万葉百人一首のことが話題になりましたので、以前作ったものを載せます。
以下の通りです。
秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ 磐姫皇后(88)
家にあらば妹が手まかむ草枕旅に臥やせるこの旅人あはれ 聖徳太子(415)
夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも 舒明天皇(1511)
山の端にあぢ群騒き行くなれど我れは寂しゑ君にしあらねば 斉明天皇(486)
わたつみの豊旗雲に入り日差し今夜の月夜清く照りこそ 天智天皇(15)
天の原振り放け見れば大君の御寿は長く天足らしたり 倭大后(147)
たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野 中皇命(4)
うつせみの 命を惜しみ 波に濡れ 伊良虞の島の 玉藻刈り食む 麻続王(24)
岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた帰り見む 有間皇子(141)
我はもや安見児得たり皆人の得かてにすといふ安見児得たり 藤原鎌足(95)
風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ 鏡王女(489)
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王(20)
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも 天武天皇(21)
春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山 持統天皇(28)
いなと言へど語れ語れと宣らせこそ志斐いは申せ強ひ語りと詔る 志斐嫗(237)
わが岡のおかみに言ひて落らしめし雪の摧けし其処に散りけむ 藤原五百重娘(104)
百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ 大津皇子(416)
磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに 大伯皇女(166)
吾を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくに成らましものを 石川郎女(108)
山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく 高市皇子(158)
川の上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて 吹黄刀自(22)
わが背子は何処行くらむ奥つもの名張の山を今日か越ゆらむ 当麻麻呂の妻(43)
巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を 坂門人足(54)
石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも 志貴皇子(1418)
人言を繁み言痛み己が世に未だ渡らぬ朝川渡る 但馬皇女(116)
降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに 穂積皇子(203)
いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く 弓削皇子(111)
ますらをや片恋せむと嘆けども醜のますらをなほ恋ひにけり 舎人皇子(117)
大口の真神の原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに 舎人娘子(1636)
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ 柿本人麻呂(266)
直の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ 依羅娘子(225)
天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ 柿本人麻呂歌集(1068)
旅にしてもの恋しきに山下の赤のそほ船沖を漕ぐ見ゆ 高市黒人(270)
苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに 長意吉麻呂(265)
今更に何をか思はむうちなびき心は君に寄りにしものを 安倍女郎(505)
たけばぬれたかねば長き妹が髪このころ見ぬに掻き入れつらむか 三方沙弥(123)
風流士に我れはありけりやど貸さず帰しし我れぞ風流士にはある 大伴田主(127)
飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ 元明天皇(78)
験なきものを思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし 大伴旅人(338)
世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば 山上憶良(893)
あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり 小野老(328)
世間を何に喩へむ朝開き漕ぎ去にし船の跡なきごとし 沙弥満誓(351)
家にてもたゆたふ命波の上に思ひし居れば奥か知らずも 大伴旅人の傔従(3896)
春の野にすみれ採みにと来しわれそ野をなつかしみ一夜寝にける 山部赤人(1424)
山高み白木綿花におちたぎつ滝の河内は見れど飽かぬかも 笠金村(909)
うらさぶる心さまねしひさかたの天のしぐれの流らふ見れば 長田王(82)
伊勢の海の沖つ白波花にもが包みて妹が家づとにせむ 安貴王(306)
東の市の植木の木垂るまで逢はず久しみうべ恋ひにけり 門部王(310)
吉野なる菜摘の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山蔭にして 湯原王(375)
むし衾なごやが下に伏せれども妹とし寝ねば肌し寒しも 藤原麻呂(524)
うちひさす宮に行く子をま悲しみ留むれば苦し遣ればすべなし 大伴宿奈麻呂(532)
勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手児名し思ほゆ 高橋虫麻呂(1808)
廬原の清見の崎の三保の浦のゆたけき見つつ物思ひもなし 田口益人(296)
昨日こそ君はありしか思はぬに浜松の上に雲にたなびく 大伴三中(444)
かくのみにありけるものを萩の花咲きてありやと問ひし君はも 余明軍(455)
庭に立つ麻手刈り干し布曝す東女を忘れたまふな 常陸娘子(521)
君なくはなぞ身装はむくしげなる黄楊の小櫛も取らむとも思はず 播磨娘子(1777)
安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに 風流娘子(3807)
うち靡く春来るらし山の際の遠き木末の咲きゆく見れば 尾張連(1422)
今は我はわびぞしにける息の緒に思ひし君をゆるさく思へば 紀女郎(644)
寺々の女餓鬼申さく大神の男餓鬼賜りてその子産まはむ 池田朝臣(3840)
仏造るま朱足らずは水溜まる池田の朝臣が鼻の上を掘れ 大神奥守(3841)
夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ 大伴坂上郎女(1500)
うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独し思へば 大伴家持(4292)
玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻きがたし 大伴坂上大嬢(729)
相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額つくごとし 笠女郎(608)
大の浦のその長浜に寄する波ゆたけく君を思ふこのころ 聖武天皇(1615)
わが背子と二人見ませば幾許かこの降る雪の嬉しからまし 光明皇后(1658)
振る雪の白髪までに大君に仕へ奉れば貴くもあるか 橘諸兄(3922)
一つ松幾代か経ぬる吹く風の声の清きは年深みかも 市原王(1042)
蝦鳴く神名火川に影見えて今か咲くらむ山吹の花 厚見王(1435)
新しき年の初めに思ふどちい群れて居れば嬉しくもあるか 道祖王(4284)
恋草を力車に七車積みて恋ふらく我が心から 広河女王(694)
一昨日も昨日も今日も見つれども明日さへ見まく欲しき君かも 橘文成(1014)
白玉は人に知らえず知らずともよし知らずとも我し知れらば知らずともよし 元興寺の僧(1018)
夕闇は道たづたづし月待ちていませ我が背子その間にも見む 豊前国の娘子大宅女(709)
秋付けば尾花が上に置く露の消ぬべくも我は思ほゆるかも 日置長枝娘子(1564)
我がやどの萩花咲けり見に来ませいま二日だみあらば散りなむ 巫部麻蘇娘子(1621)
旅人の宿りせむ野に霜降らば我が子羽ぐくめ天の鶴群 遣唐使の母(1791)
君が行く海辺の宿に霧立たば吾が立ち嘆く息と知りませ 遣新羅使人の縁者(3580)
旅にあれど夜は火灯し居る我れを闇にや妹が恋ひつつあるらむ 壬生宇太麻呂(3669)
黄葉の散らふ山辺ゆ漕ぐ船のにほひにめでて出でて来にけり 玉槻(3704)
君が行く道のながてを繰り畳ね焼きほろぼさむ天の火もがも 狭野弟上娘子(3724)
畏みと告らずありしをみ越路の手向に立ちて妹が名告りつ 中臣宅守(3730)
畏きや命被り明日ゆりや草がむた寝む妹なしにして 物部秋持/遠江防人(4321)
わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず 若倭部身麻呂/遠江防人(4322)
我が妻も画に描き取らむ暇もが旅行く我は見つつ偲はむ 物部古麻呂/遠江国防人(4327)
真木柱ほめて造れる殿のごといませ母刀自面変はりせず 坂田部首麻呂/駿河防人(4342)
吾等旅は旅と思ほど家にして子持ち痩すらむわが妻かなしも 玉作部広目/駿河防人(4343)
忘らむて野行き山行き我れ来れど我が父母は忘れせのかも 商長首麻呂/駿河防人(4344)
父母が頭掻き撫で幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる 丈部稲麻呂/駿河国防人(4346)
蘆垣の隈処に立ちて吾妹子が袖もしほほに泣きしそ思はゆ 刑部千国/上総防人(4357)
筑波嶺のさ百合の花の夜床にも愛しけ妹ぞ昼も愛しけ 大舎人部千文/常陸防人(4369)
天地のいづれの神を祈らばか愛し母にまた言問はむ 大伴部麻与佐/下総防人(4392)
唐衣裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母なしにして 他田舎人大島/信濃防人(4401)
ちはやぶる神の御坂に幣奉り斎ふ命は母父が為 神人部子忍男/信濃防人(4402)
難波道を行きて来までと我妹子が付けし紐が緒絶えにけるかも 上毛野牛甘/上野防人(4404)
赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ 宇遅部黒女/武蔵防人妻(4417)
色深く背なが衣は染めましを御坂たばらばま清かに見む 物部刀自売/武蔵防人妻(4424)
防人に行くは誰が背と問ふ人を見るがともしさ物思ひもせず 昔年防人妻(4425)
これは平成27年版です。
今眺めてみると、防人歌が多すぎますね。16首もあります。バランス悪いです。
一方、東歌は一首もありませんが、これは作者名が分からないせいです。百人一首という性格上、作者名が分からないと載せられません。
万葉百人一首は、選ぶ人によって、みな違ったものになることでしょう。
同じ人が選んでも、選ぶ時期によって変わってくることでしょう。
私も今選べば、もっと防人歌が減るはずです。この時期にどうしてこんなに選んだか分かりません。
防人歌に強い関心があったのでしょう。
私が万葉百人一首を初めて選んだのは、大学3年か4年のことでした。趣味で。
その時に選んだのは、まだパソコンも持っていない時期でしたので、手書きでした。
探せば見つかるかもしれません。
どんな歌を選んでいたのか見てみたい気がします。
絵がないと寂しいので、例によってぐんまちゃんを貼っておきます。
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