明治23年の『一新講社』
明治23年の道中記、『一新講社』を入手しました。
上の方に折れた状態でチラと写っていますが、表紙に短冊が2枚綴じられています。
名前は引き札でしょうか。
一番上の札。
富岡追分の新とみや健次郎とあります。
左下に道標の絵が描かれています。
「右風越峠半僧坊みち」
「左鳳来寺秋葉山みち」とあります。
2枚目。
豊川御門より西へ六軒目のわかばや初蔵とあります。
本文はこのあたりのページです。
上段左端に「とよ川」があり、そこに若ばや初蔵があります。
その2つ右に鳳来寺があって、その下に富岡があります。
そこには「とよ川より三り」とありますが、宿の名はありません。スペースがないせいかもしれません。
この定宿帳は基本的には段組はないのですが、この辺は秋葉道が分かれていますので、2段組になり、スペース的に窮屈になっています。
去年の9月に引き札付きの定宿帳を載せたことがありました。
その時、Twitterの方で、引き札付きのものは珍しいとのコメントを頂きましたので、その後、注意していたら2つ目をゲットできました。
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明治23年なので,吉田でなくて豊橋ですね。
富岡はなるほど,半僧坊道と鳳来寺道の追分なのですね。
す山というのは,嵩山(すせ)のことでしょうね。
石うち,くまむら,調べなくっちゃ。
投稿: 萩さん | 2025年2月20日 (木) 07時49分
萩さん
ご教示、ありがとうございます。
東三河と西遠州、まさに三遠南信地域ですね。
二川宿の宿は、お馴染みの橋本屋、山家屋、西橋本屋の三軒が載っていますね。
豊橋は不動の壷屋庄六。
あれこれ面白いです。
投稿: 玉村の源さん | 2025年2月20日 (木) 08時15分
くまむらとは,秋葉山から鳳来寺山にぬける秋葉街道の「熊」のことかもしれません。
浜松市天竜区熊
とすると「す山」は,豊橋の嵩山ではありません。
「す山」は新城市巣山のことでしょう。大野も近いので,つながります。
「石うち」が分りません。引き続き探ってみます。
字の読み間違えかもしれません。古文書が読める,源さんにお願いするしか・・・。
投稿: 萩さん | 2025年2月21日 (金) 17時32分
ありました。石内休憩舎。
天竜区熊地内です。熊から石内休憩舎,約8km=二里,ぴったりです。
今は,東海自然歩道の途中で,林の中ですが昔は,宿場機能があったのかもしれませんね。
秋葉山から鳳来寺山,歩きたいけど,高齢者のため怖くて歩けません。熊も怖いし。本当に出そう。
投稿: 萩さん | 2025年2月21日 (金) 17時52分
萩さん
コメントをありがとうございます。
「石うち」が見つかって良かったです。「石内」と書くのですね。
秋葉山から鳳来寺までのルート、お近くでもありますので、是非歩きたいことでしょうね。
でも、やはりかなり標高差がありそうですね。熊は確かに危険ですよね。
投稿: 玉村の源さん | 2025年2月21日 (金) 19時11分