天保14年の「絵引年代記」(2)
昨日の天保14年の「絵引年代記」の続きです。
つらつら眺めていて、興味を惹かれた部分をつまみ食いします。
慶長13年から。
1行目の一番上、慶長13年のところには、大織冠の神像が破れて血が出たとあります。なんでしょね。どこにあった神像なのか。
同じマスには永楽銭の通行を止めるとあります。まだ寛永通宝が発行されるには間があります。銭は何を使ったのでしょうね。
翌慶長14年には四角い月が出たとあります。なんでしょ?
享保6年から。
一番最初のマスには、吉宗による目安箱設置の記事があります。
翌享保7年には隠元禅師の五十年忌、その翌年の8年には人丸の千年忌が載っています。
はて、柿本人麻呂の没年は不明のはずですけど。享保8年は1723年です。
千年忌だと人麻呂の没年は722年ということになります。722年は養老6年。
人麻呂がその年に亡くなったという伝承があったのでしょうが、そこまで長生きはしていないでしょうね。
このマスには小石川の薬園が建てられたことも載っています。吉宗の改革があれこれ。
2行目の2段目、享保19年には弘法大師の九百年忌が載っています。
享保14年から。
一番最初のマス、享保14年には交趾国から象が献じられたことが載っています。交趾国は今のベトナム北部だそうです。
右下隅の享保16年には日蓮の四百五十年忌が載っています。
左上隅の宝暦3年には安倍清明の七百五十年忌、左下隅の宝暦5年には回向院で明暦の大火で亡くなった人々の百年忌が催されています。
安永元年から。
右下隅の安永3年には中将姫の千年忌、中央の天明5年には楠正成の四百五十年忌が載っています。楠公さん、人気です。
3行目一番上の寛政8年には泉岳寺で赤穂義士の遺物の開帳、翌9年には中村勘三郎の芝居再興、翌10年には品川にくじらの上がったことが載っています。
文化7年から。
一番初めの文化7年には坂上田村麻呂の千年忌、2行目一番上の文政5年にはオランダからラクダの来たことが載っています。
3行目一番上の天保5年には弘法大師の千年忌、2段目の6年には百文銭通用のことが載っています。
楕円形で真ん中に穴のある天保百文銭ですね。
ほんと、見ていると、あれこれ楽しいです。
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