『ならら』最新号の特集は「超 国宝」
昨日、『ならら』の9月号が届きました。
特集は「超 国宝-祈りのかがやき-」です。
奈良には大仏と鹿しかないなどとからかわれることもありますが、超国宝級のお宝がたくさんありますね。
奈良国立博物館の開館130年を記念して、来年の4月から6月に掛けて、「超 国宝-祈りのかがやき-」と題する国宝展が開催されるそうです。
目次です。
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昨日、『ならら』の9月号が届きました。
特集は「超 国宝-祈りのかがやき-」です。
奈良には大仏と鹿しかないなどとからかわれることもありますが、超国宝級のお宝がたくさんありますね。
奈良国立博物館の開館130年を記念して、来年の4月から6月に掛けて、「超 国宝-祈りのかがやき-」と題する国宝展が開催されるそうです。
目次です。
昨日、昭和12年頃の善光寺の鳥瞰図を載せました。
丁度、大正14年の長野市の地図が見つかりましたので、関連して載せます。
この地図も以前ネットオークションで入手したものです。
両者、入手した時期は別々でしたが、ここで合流しました。
この地図の右上隅に「噴水」とあります。
鳥瞰図にもこの位置に噴水が描かれています。
並べて見るとおもしろいです。
地図の左下に師範学校と附属小学校があります。
この位置には、今、信州大学の教育学部があります。
ついでに、同じ地図の長野駅前も載せます。
画面上の縮尺は善光寺付近とは異なります。
旅館や運送店が目に付きます。
駅のすぐ北には日通の取引店がありますね。
昔のものは何もかも楽しいです。
部屋の片づけをしていて見つけました。
信濃の善光寺の鳥瞰図です。
大分前にネットオークションで入手しました。
画面左に仁王門、そこから右に向かって、山門、本堂と続きます。
善光寺には1回しか行ったことはありません。その折の写真を添えます。
仁王門。
山門。
本堂。
裏面は長野市の案内になっています。
このうち、善光寺の解説の一部をアップにします。
今から1385年ほど前が欽明天皇13年だとあります。
欽明天皇13年は西暦552年に相当するとされますので、552+1385=1937。
ということで、この鳥瞰図は1937年(昭和12年)ころに作られたものと考えられます。
群馬県立女子大学の群馬学センターがネットに載せてくれた今朝の上毛新聞です。
リードの部分を拡大します。
基盤を異にする3者が協力してこのような取り組みをすることはとても有意義なことと思います。
そして、上毛新聞が、この記事を第1面のトップに据えてくれたこともありがたいことです。
また、今日は埴輪の日だそうです。
8月28日(はにわ)の語呂合わせです。
8月20日も同じく語呂合わせで埴輪の日だそうで、埴輪の日は2つあることになります。
ということで、ぐんまちゃん埴輪の写真を載せておきます。
今のぐんまちゃんにも、初代ぐんまちゃんにも似ていると思います。
とぼけた味わいがあってかわいいです。
先日来の『絵入智慧の環 二編上』の続きです。
今回はアフリカ州。
南西の海に「せんとへれな」島があります。
世界地理にも歴史にも疎い私にはよく分かりませんが、こういう小さい島を殊更に載せたのは、ナポレオンの流刑地だからということがありましょうか。
北半分。
今とはだいぶ違います。今はもっと国が多いですね。
「さはら」と「すうだん」が広大です。
「さはら」だけ周囲に点々があるのは砂漠を表現しているのでしょうかね。
南半分。
こちらも今とはだいぶ違います。
「えちおぴあ」が広大です。
南西に「ほつてんとつと国」があります。ホットントットは当時は国名だったのですね。
なお、ホッテントットは現在は蔑称とされているようです。
このような本を入手しました。
「ウオルト・デズニイ」の『ぴいたあ・ぱん』です。
左下に書いてありますように、小学館の雑誌『幼稚園』12月号の付録です。
残念ながら年が書いてありませんので、いつのものか分かりません。
「ウオルト・デズニイ」という表記に引きつけられました。
一体いつのものでしょう。
しっかりした紙ですし、印刷もきれいですので、戦後すぐのものとは思えません。
全部で13の場面が描かれています。サイズは半ページのものから見開きページを使ったものまで様々です。
最初のページ。
最初の絵の文章は次の通りです。
おねえさんの名前の表記も「うえんでい」ですね。
子供たちが、ぴいたあ・ぱんに導かれて空を飛ぶ場面。
小さな弟は熊さんのぬいぐるみを持っています。
手放せないのでしょう。ライナスの毛布のような。
裏表紙。
これが最後の場面です。
裏表紙まで使って、無駄がありません。
この裏表紙の右上に何か印刷してあります。バックの色が濃いのでそのままでは良く読めませんが、拡大すると次のようにあります。
ここには「ウォルト・ディズニー」とあります。
なんだ、ちゃんと書けるじゃん、です。
ということは、「ウオルト・デズニイ」や「ぴいたあ・ぱん」「うえんでい」という表記は、この本を読む幼稚園児向けなのでしょう。
どんでん返しの思いでした。
今の幼稚園児向けの絵本では、こういった表記はどうなっていましょうかね。
昨日載せた『絵入智慧の環 二編上』の続きです。
今回はヨーロッパ。
全体像は以下の通りです。
「ろしや」は巨大です。
北欧三国のうちフィンランドの名はなく、「ろしや」領になっています。
北。
スェーデンは「すゐでん」、ノルウェイは「なるゑい」、デンマークは「でんまるく」です。
ドイツは「ぶろしや」とあり、「べるりん」の都市名があります。
「いぎりす」にも「ろんどん」の都市名が。
南西。
「ふらんす」にも「ぱりす」の都市名があります。
スペインは「いすぱにや」です。スイスは「すゐつつる」でしょうか。
南東。
スイスの北には「ぜるまん」があります。
オーストリアは「あうすとりや」、ギリシャは「ぎりいす」です。
あれこれおもしろいです、といういつもながらの感想です。
古いものは楽しいです。
『絵入 智慧の環 二編上 万国尽の巻』を入手しました。
奥付によれば明治3年の刊です。
古川氏蔵版とあります。この古川氏というのは「はしがき」によれば古川正雄。
また、Wikipediaによれば、古川正雄は福澤諭吉の弟子で、慶應義塾の初代塾長とのことです。
この『絵入 智慧の環』は、日本最初の小学生用教科書の1つだそうです。
私が入手したのは「二編の上」で「万国尽の巻」です。
様々な地図が載っています。
例えば、アジア。
東南アジアの拡大図。
現在と境界線が変わっていますが、ベトナムは安南、カンボジアはしやむろ、マレーシアは麻羅加、ミャンマーは緬甸といった感じです。
タイはしやむろと緬甸に跨がり、ラオスは安南としやむろに跨がります。
西アジアのアップ。
こちらには、たるけすたん、あふがにすたん、べるちすたん、ぺるしや、あじやとるこ、あらびや、などの国名が見えています。
ぺるしやの北に「じよるじや」とあるのは今のジョージアですね。
これもまた、見ているとあれこれおもしろいです。
今日は毎月恒例の前橋で講座の日でしたので、群馬に行ってきました。
新幹線の車中で入手した『トランヴェール』8月号です。
今号の特集は「上杉家に咲いた布の花」です。
特集の最初のページです。
特集のタイトルを見たときは米沢が思い浮かびましたが、米沢ではなくて越後でした。
戦国ファンだと越後が思い浮かぶことでしょうが、米沢が思い浮かんだ私は、戦国よりも忠臣蔵ファンなのでしょう。
春日山城跡に建つ謙信公の像。
かっけーです。
布についてはこうあります。
越後縮みと越後上布ですね。
別のページにはこうあります。
三条西家や天王寺というビッグネームが載っています。
そういうところが持っていた青苧の権利を越後に取り戻したのですね。
そして、越後の布や青苧から得られる収入が上杉家の大きな軍資金になったのだそうです。
初めて知ることばかりで興味深かったです。
『トランヴェール』にはこういったおもしろい記事が時々載るので、気に入っています。
この様なものを入手しました。
大阪府教育会が編纂した『青年学校郷土教本』です。
郷土のことを学ぶための教科書のようです。大阪府のみならず、他の府県にもこの様なものがあったのでしょうかね。
奥付。
昭和15年の刊行です。
巻一から巻五まであります。
巻一の目次。
巻二・巻三の目次。
巻四の目次。
巻五の目次。
巻一には千早城、巻二には桜井の駅、巻三には四條畷神社、巻四には楠妣、巻五には大楠公と、全ての巻に楠正成や正行関係の項目があります。楠公さんは欠かせません。
今年の7月いっぱい、高崎駅はぐんまちゃんがジャックし、ぐんまちゃん駅になりました。
その関連品をネットオークションで入手しました。
コースター。
シール。
入場券と何か。
左側のが何なのか不明です。
プラスチック製です。
こういうものを出品する人がいるのですねぇ。
ま、私のように買う人間がいるので、需要と供給です。(^_^)
この様なものを入手しました。
中江藤樹の物語です。
博文館発行。少年文学の第14編とあります。著者は村井弦斎です。
家を離れて学問に励んでいた藤樹は、故郷の母がアカギレに苦しんでいると聞き、良い薬を求めて、雪の中を故郷の家に帰るのですが、母は藤樹を追い返すというエピソードがあります。
私はその話を子供の頃チラと何かの本で読んだことがありましたが、今、その話はあまり知られていないように思います。
しかし、古いかるたやすごろくには、よくその話が取り上げられています。
昔は有名な話だったのでしょう。
そんなことに興味を持っていたところ、たまたまこの本をネットオークションで見つけて購入したという次第です。
奥付。
明治25年発行で、私が購入したのは明治29年の第10版です。
表紙裏にカラーの口絵が付いています。
カラーの口絵は、そのすぐあとにももう1枚折り込みで付いています。
帰って来た藤樹(藤太郎)を母が諭す場面。
巻末。
全部で143ページもありますが、読んでみます。
難しい漢字もありますが、総ルビですね。
昔の子供はこういう本を読んでいたのですね。
なかなか容赦ないです。
先日から2回に亙って載せている天保14年の「絵引年代記」には裏面もあります。
裏面もまた文字が小さいです。
上半分は暦関係の記述で、下半分は大坂または京からの道中記です。
横に長いので、適宜分割して切り貼りします。
最初は伊勢参宮道中記。
大坂から奈良を経てお伊勢参り。そして京ヘ。
高野山道中記と有馬湯治道中記。
どちらも大阪発です。
高野山も信仰を集めたお寺で、有馬温泉は上代から知られた温泉ですね。
但馬湯治道中記。
こちらも大阪発です。
但馬の温泉は知りませんでした。結構長い道のりです。
江戸道中記。
東海道五十三次です。
今年の4月25日に刊行されました。
目次は以下の通りです。
この本のことは、Twitter(現X)のAsako Negoro氏のポストで知り、早速購入しました。
山﨑氏は岩波の新大系本の『萬葉集』と岩波文庫版の『萬葉集』の校注者のおひとりで、そのお仕事を経て著されたご著書です。
まだ届いたばかりですが、萬葉集に及ぼした漢籍の影響がいかに多大であったかを見る思いがします。
そういえば、先ごろ第1巻が刊行された『萬葉集正義』も漢籍仏典が多く引用されています。
勉強します。
昨日の天保14年の「絵引年代記」の続きです。
つらつら眺めていて、興味を惹かれた部分をつまみ食いします。
慶長13年から。
1行目の一番上、慶長13年のところには、大織冠の神像が破れて血が出たとあります。なんでしょね。どこにあった神像なのか。
同じマスには永楽銭の通行を止めるとあります。まだ寛永通宝が発行されるには間があります。銭は何を使ったのでしょうね。
翌慶長14年には四角い月が出たとあります。なんでしょ?
享保6年から。
一番最初のマスには、吉宗による目安箱設置の記事があります。
翌享保7年には隠元禅師の五十年忌、その翌年の8年には人丸の千年忌が載っています。
はて、柿本人麻呂の没年は不明のはずですけど。享保8年は1723年です。
千年忌だと人麻呂の没年は722年ということになります。722年は養老6年。
人麻呂がその年に亡くなったという伝承があったのでしょうが、そこまで長生きはしていないでしょうね。
このマスには小石川の薬園が建てられたことも載っています。吉宗の改革があれこれ。
2行目の2段目、享保19年には弘法大師の九百年忌が載っています。
享保14年から。
一番最初のマス、享保14年には交趾国から象が献じられたことが載っています。交趾国は今のベトナム北部だそうです。
右下隅の享保16年には日蓮の四百五十年忌が載っています。
左上隅の宝暦3年には安倍清明の七百五十年忌、左下隅の宝暦5年には回向院で明暦の大火で亡くなった人々の百年忌が催されています。
安永元年から。
右下隅の安永3年には中将姫の千年忌、中央の天明5年には楠正成の四百五十年忌が載っています。楠公さん、人気です。
3行目一番上の寛政8年には泉岳寺で赤穂義士の遺物の開帳、翌9年には中村勘三郎の芝居再興、翌10年には品川にくじらの上がったことが載っています。
文化7年から。
一番初めの文化7年には坂上田村麻呂の千年忌、2行目一番上の文政5年にはオランダからラクダの来たことが載っています。
3行目一番上の天保5年には弘法大師の千年忌、2段目の6年には百文銭通用のことが載っています。
楕円形で真ん中に穴のある天保百文銭ですね。
ほんと、見ていると、あれこれ楽しいです。
この様なものを入手しました。
超絶字が小さいですが、右上に「絵引年代記」とあります。
右端に上から順に十二支が書かれています。
それを上下に分割して左右に並べて示します。
私はうさぎ年なので、守り本尊は文殊菩薩です。満足しています。
本体は、子年から亥年までの12段の表にした簡単な年表です。
一番最初を拡大します。
天正4年、織田信長の本願寺攻めから始まります。
翌5年のマスには、ほうき星が現れたこと、九州兵乱、松永久秀が滅んだことが書かれています。
さらに次の天正6年には上杉謙信が亡くなり、尼子勝久が滅んでいます。戦国時代ですねぇ。
次の行も天正です。北野の大茶会、小田原攻めなども書かれています。
信長も秀吉も呼び捨てです。
3行目は慶長です。一番上の慶長5年には関ヶ原の合戦があります。「関がはら御陣」と敬語が使われています。
末尾も拡大します。
天保14年が最後ですので、この史料は天保14年の刊行と思われます。
この9マスを見ると、金貨銀貨のこと、石山寺や住吉の開帳、お蔭参り、京都の地震、琉球人渡来などが書かれています。
江戸開府や大坂の陣のあたり。
信長も秀吉も呼び捨てでしたが、家康は「神君」です。
3行目は寛永です。寛永3年には4月から8月まで雨が降らなかったとあります。
翌4年には大地震があったり、洪水があったりと、大変です。
赤穂浪士の討ち入りも載っています。
真ん中のマス、元禄15年です。
翌16年には関東で大地震が起きたり、江戸大火があったりと災害が多いです。
1行目2段目の元禄3年3月3日には光り物が飛んでいます。何かの天体現象でしょうか。
あちこち眺めていると楽しいです。
「ふり向けば君が…犬」というタイトルの付いたカプセルトイです。
全6種類。
シーズー。
ペキニーズ。
ポメラニアン。
ビーグル。
柴犬。
秋田犬。
どういう状況でしょうね。
育てた犬がもらわれて行くところでしょうか。
表情や姿形に哀愁の漂うものもあります。
小さいフィギュアなのに、表情がよく描けていると思います。
昨日の大正15年『全科学習書』(尋常小学五年後期用)の続きです。
今回は国史科です。
国史科の目次は以下の通りです。
これを見ると、五年前期が平安末期までで、この五年後期が戦国まで。
六年生が安土桃山からということになりましょうか。
目次を見ると人名が多いですね。個人にスポットライトを当てているようです。
平清盛の名がないですね。足利尊氏の名も。
もちろん、この2人が登場しないわけではなく、清盛は「平氏の勃興」、尊氏は「足利氏の僭上」に登場します。
しかし、「僭上」って、小学五年生ですぜ。
保元の乱の所には次のような「参考」が付いています。
為朝の武勇と崇徳上皇の崩御のことが書かれ、最後に為朝伝説にも少し触れてあります。
実朝殺害の部分にはまた「参考」が付いています。
切り貼りでお見苦しいです。
公暁が実朝の暗殺を企てたについては、北条義時の陰謀説が書かれています。
五年生の学習参考書に、随分踏み込んだことを。
承久の変について。
「義時の無道」とあります。
上皇側に立てば、そういう評価ですね。
これを読んだ子供たちは、義時は悪いヤツだと思ったことでしょう。
こしろう。(>_<)
流罪になった3人の上皇達のその後。
流された3人の上皇達のその後についても触れられています。
敬語がたくさん。
総じて、人物を中心に歴史が語られている印象です。
年号はほとんど出てきません。
大正15年『全科学習書』(尋常小学五年後期用)を入手しました。
尋常小学校5年生の学習参考書ですね。
大正15年(1926年)といえば今から100年近くも前です。
そんな時代にもう小学生の学習参考書があったとは意外でした。
表紙は奈良の鹿ですねぇ。
中央部には鹿を怖がる男の子が描かれています。
怖くないよ。
表紙裏には奈良の鹿の詩。
良い参考書です。
目次ページは以下の通りです。
表紙にもありましたが、上田萬年が監修です。大物。
目次には一応全科が上がっていますけど、図画以下のページ数は極めて少ないです。
終身の最初のページは以下の通りです。
「勇気」という課名のもとに勝海舟の渡米のことが取り上げられています。
教科書準拠ですね。
「読と解」の部分を切り貼りして示します。
語句解説です。
一番最後のページにはこういう広告が載っています。
中学受験関係ですね。
今から100年近くも前に小学校の学習参考書が存在したことが不思議でしたが、旧制中学受験を視野に入れたものならばよく納得できます。この参考書の主な読者も中学受験組なのでしょう。
算術や理科のページも興味深いです。
いつもながら、同時代資料は楽しい。
赤穂線開業30周年記念乗車券を入手しました。
中には3枚の切符が入っています。
それぞれの上部には赤穂浪士関係の写真や絵、下部には赤穂線関係の列車の写真、最下部はミシン目が入っていて切符になっています。
昭和56年のものです。この年に開業30周年ということは、赤穂線の開通は昭和26年ということになります。
あっ! 今さら歳がばれますが、私と同い年です。これは嬉しいことです。
最下部の切符のアップ。
日付は昭和56年12月12日ですね。
どうして12月14日の討ち入りの日付にしないのさと思いました。
でも、あとから冷静になって考えると、赤穂線の開業日が12月12日なのですね。
それならば仕方ありません。(^_^;
でもまた考えると、赤穂線の開業自体を12月14日にすれば良かったのにと思いました。
たった2日なのに。
切符の裏側には表側の列車の写真の説明文が書いてあります。
左から順に以下の通りです。
良いものが手に入りました。
先ほど、NHKのオリンピック番組を見ていたら、フェンシングの江村選手から「空振らせる」という言葉が発せられました。
初めて聞く表現です。
私は文法が不得意なので、以下は眉唾でお読みください。
「空振らせる」は、こちらから仕向けて、相手が剣を空振りするようにさせること、という意味なのでしょう。
「空振り」は名詞だけで、その動詞形の「空振る」はありませんが、「空振り」を動詞化させて、さらに使役の助動詞をうしろに付けた用法ですね。
名詞「空振り」は「空+振る」の名詞形ですから、先祖返りさせて「空振る」という動詞として使ってもおかしくはありません。
使役の助動詞は未然形接続なので、動詞の「空振り」に接続させるならば、「空振らせる」になりますね。
おかしくありません。
フェンシング界では普通に使われている用法なのかもしれませんね。
野球のピッチャーにも使えそうです。
念のため「空振る」という動詞の有無を調べてみましたら、日国にはありませんでしたが、デジタル大辞泉には次のようにありました。
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から‐ぶり【空振り】[名](スル)
1 野球やテニスで、振ったバットやラケットが球に当たらないこと。「―の三振」「強打者を―させる」
2 棒やこぶしなどでたたこうとして、相手に当たらないこと。「右のパンチを―する」
3 ある目的をもってとった行動が、当てが外れて失敗すること。「計画が―に終わる」
[補説]俗に、「空振る」「空振った」などと動詞化して使われることがある。
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俗語としては動詞の「空振る」もあるのですね。
おもしろいです。
横川の峠の釜めしの掛け紙です。
高崎駅開業140周年記念・ぐんまちゃん30周年記念と印刷されています。
中央部のアップです。
峠の釜めしは、折に触れて記念の掛け紙を作っています。
7月中、高崎駅はぐんまちゃんが駅ジャックして「ぐんまちゃん駅」になりました。
この掛け紙はそれと連動するものかもしれません。
左下にこうあります。
以前も、何かで同様の断り書きを見ました。
ぐんまちゃんが製品の安全性や質を保証するものではないという文言がそこはかとなくおかしいです。
ぐんまちゃんは、まだ7歳ですからね。責任を問われたらかわいそうです。
実は、この掛け紙、ネットオークションで入手しました。
こういうものを出品する人がいるのですね。
ま、買う人(←私だ(^_^;)がいるから、出品する人が出るわけですけど。
駅弁ファン、ぐんまちゃんファンとしてはありがたいことです。
今年の8月から刊行が開始される『萬葉集正義』全10巻、予約していた第1巻が届きました。
編者は「萬葉集正義編集委員会」となっています。委員長は國學院大学名誉教授の辰巳正明先生です。
辰巳先生の教え子の方々を中心に、辰巳先生が編集されたお仕事なのでしょう。
まだ届いたばかりですが、大いなる興味を持って、早速あちこち見てみました。
特徴としては、東アジアを中心とした比較文学、民俗学への目配りが目立ちました。
漢籍仏典や和漢の古辞書の引用が多く、江戸時代の国学の著作からの引用も多くあります。
その一方で、近現代の研究への参照や国語学的な観点は手薄のように思いました。
例えば、巻頭歌「籠もよみ籠持ち」の歌で、「家吉閑」を「家聞かな」と訓んでいるのには驚きました。
確かにこの原文ならばそう読めますけれど、近年の(というか昭和30年代以降の)諸注釈はこれを「家告閑」と校訂して、「家告らせ」と訓んでいます。その理由として、動詞「聞く」には、上代は「尋ねる」「質問する」という意味用法はまだないと考えられるからです。
『萬葉集正義』が底本の西本願寺本万葉集の本文を重視しようという姿勢は分かりますが、「吉」と「告」とは筆の運び次第で容易に誤写しうる関係にあるので、ここは「告」と校訂して「告らせ」で解釈すべきものかと考えます。
また、但馬皇女の「遅れゐて恋ひつつあらずは追ひしかむ道の隈廻にしめ結へ我が背」(2-115)の歌の結句の「しめ」は、従来は「目印」「道しるべ」の意に理解するのが普通でしたが、近年は「しめ」は占有の印、部外者立ち入り禁止の意であって、「道しるべ」の意はないということで、その意味で理解できないかという考え方が行われていますが、この注釈では、「目に付くようにした占有の印」というやや分かりにくい解釈がなされています。ここはもう少し詳細な説明が欲しいところです。
おもしろく思ったのは、中大兄皇子の三山歌の反歌(1-14)です。この4句目・5句目の「立ちて見にこし印南国原」の部分、誰が立って見に来たのかについては、従来の諸注釈は播磨国風土記を参照して、阿菩大神だということで一致していますが、この注釈書では以下のようにあります。
これ、7月21日に私のブログの創作童話に登場したかめ夫くんの解釈と近いです。
http://mahoroba3.cocolog-nifty.com/blog/2024/07/post-df90b8.html
かめ夫くんは、印南国原が立ち上がって見に来たと解していたのですが、この注釈では「印南国原(の神)そのものが」としてあります。
なるほど、印南国原の神ととれば、平野がむくっと立ち上がって見に来たと解するよりは抵抗がないかもしれません。
どの注釈書も、強みと弱みとがあります。
この注釈書もそれを承知して学恩に預かりたく思います。
今日は、2013年8月8日に当ブログを始めてから満11年になります。
ダブル末広がりの日付で憶えやすいです。
日数は、365日×11+3日(うるう)=4018日です。
この間、4127件の記事を投稿していました。
4127件÷4018日=1.027件
1日に2件、3件書いたこともありますが、基本的には1日1件ですね。
今日は世界ねこの日です。それにちなんで、微笑ましいねこの置物を。
おさかな抱えたねこ。
ご機嫌ですね。嬉しそうです。
枕を抱えたねこ。
ねこは寝るのも大好き。
枕カバーは黄色地に白で見にくいですが、肉球柄ですね。
起きたら歯磨き。
立派です。
ねこは段ボール箱も大好き。
頭の上に何か乗っています。ねずみですかね。
上から。
ねずみでした。
ねずみとも共存共栄。
ねずみの塗りが甘いですけど。
そして今日は三友亭主人さんのお誕生日です。
最後になりましたが、お誕生日おめでとうございます。
この様なものを入手しました。
『中学生の友』(小学館)昭和26年11月号の附録です。
坂本太郎監修・黒板伸夫編。
巻頭に「日本の社会のうつり変り」というタイトルの3枚のカラー口絵が付いています。
古代社会。
封建社会。
近代社会。
巻末には年表が付いています。
中国は「シナ」となっています。
仏教伝来は552年か、538年か思って見てみましたら、年号はなく5世紀前半あたりに「このころ仏教が伝わる。」とあります。
これはこれで良いかと思います。←ナゾの上から目線。
項目は例えば次の通りです。
旧石器時代はまだ認められていません。
もう1つ。
「和歌は万葉がな」で書かれている、というのは不正確ですね。万葉仮名以外に正訓字も使われています。
代表歌人に大伴旅人が入っていませんね。入れてほしかったです。
あれこれ眺めてみます。
オリンピック絡みということで、昨日は「跳び箱ネコ」を載せました。
体操種目の中に跳び箱はありませんが、あの中でシャム猫の演技は跳馬を思わせます。
私の中で、記憶に残る一番古いオリンピックは昭和39年の東京オリンピックです。
その前のオリンピックは昭和35年のローマオリンピックですが、こちらの記憶はほぼありません。
もう物心ついていたはずなのに、なぜかと考えたら、テレビ中継がなかったせいのようです。
1963年(昭和38年)のケネディ暗殺事件が、折しも当日実施されていた日米間の初の衛星中継実験でしたから。
それでも、体操の小野喬、水泳の山中毅の名前は記憶にあります。
昭和39年の東京オリンピックは熱心に見ていました。
オリンピックが終わっても関心は冷めやらず、カルピスのソノシートに応募したりしました。
送られてきたのがこれです。
今ならばDVDでしょうかね。
これは音声だけです。
五輪の5色。
今ではもう見ることのないカルピスマークが付いています。
昭和は遠く。
古老は語る。
折しもパリオリンピックの最中に、この様なものの購入しました。
カプセルトイです。
サバトラ。
ちょっと太っているので、3段を越えられなかったようです。
シャム。
華麗です。
透明な棒のようなものが見えているかもしれませんが、目の錯覚です。
トラ。
こちらも華麗です。
楽々越えられそうです。
ミケ。
これも楽々越えられそうですね。
透明な棒のようなものが見えているかもしれませんが、光線の加減です。
ハチワレ。
これは乗ってしまいそうです。
シロブチ。
飛ぶ、飛ばないではなく、ちょうど良いお昼寝の場所を見つけてしまったようです。
通販で注文していた奈良Tシャツが今日届きました。
発売元は、奈良の「ヨシノマホのお店」さんです。
広げるとこうなります。
タイトルに「再び」と付けたのは、2年前にも同じものを購入していたからです。
2年前に買ったのは同じデザインの色違いです。
「NO NARA、NO LIFE.」という言葉が良いです。
2つの「O」から顔を出しているのが何かは大体分かりますね。
奈良といえばあの2つです。
背中側。
大仏様と鹿の後ろ姿が良いです。
いつもは座っている大仏様が立ち上がっていますね。
御物本『和漢朗詠集』の複製がネットオークションに出ていましたので、買ってしまいました。
中古文学にはあまり関心はなかったのですが、NHK大河「光る君へ」の影響です。
影響、受けやすい。(^_^;
『和漢朗詠集』の編纂者は藤原公任ですね。町田啓太。
奥付。
昭和29年初版で、これは昭和55年の版です。
表紙。
中身はこのようです。
モノクロの複製です。
解説并釈文が別冊で付いています。
その中にカラー口絵が2葉あります。
実物はこのように美しい写本なのですね。
料紙の色と地模様は何種類もあるということです。
金沢本万葉集を思い出します。
釈文。
2つ前の画像の部分に相当する釈文です。
漢文には、現物にはない訓のルビが付いています。
和歌には振り漢字も付けられています。
いつも行く近所のスーパーで見つけて買いました。
山梨のお菓子として有名な桔梗信玄餅風のシュークリームです。
発売元はモンテールで、本家の桔梗屋さんは監修になっています。
そういえば、昔、桔梗信玄餅アイスを買ったことがありました。
桔梗屋さん、積極的に展開していますね。
月が変わりましたので、恒例の体重変化グラフです。
7月は、前半・後半ともになぜか急上昇です。
夏バテには縁がないようです。
家の中でうだうだしているせいかもしれません。
これだけではナンですので、目の前に下がっているうさぎカレンダーの8月分です。
名前はライチさんだそうです。
思いっきりオサレしていますね。かわいいです。
ただ、本人にしてみれば、折角の長いお耳が帽子の中に隠れてしまって、不本意かもしれません。
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