壬申の乱の経緯(09)大伴吹負が大野果安に敗北
7月4日、乃楽山に陣を敷いた大伴吹負は、攻め寄せた大野果安らの淡海軍に敗れ、敗退します。
吹負自身も数騎で敗走します。
果安は、八口(やくち)まで追い、飛鳥京を望観したところ、京には厳しく楯を立てていたので、伏兵の存在を疑って、引き返します。
大伴吹負は諸方の防備に兵を割いたために、本隊の兵が不足していたのでしょう。大野果安軍に敗退します。
吹負軍の方が高所に陣取っていて地の利は吹負軍の方にあったはずなのに敗退したということは、果安軍は兵がかなり多かったか、士気が高かったのでしょう。
果安軍は勝ちに乗じて飛鳥京付近に至りますが、守りが堅いとみて引き返します。
このあたり、随分慎重です。これも乱の勝敗に繋がる分かれ目の1つになったと考えられます。
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