壬申の乱の経緯(16)倭方面最後の戦闘
日本書紀には、今日7月15日の記事はありません。
淡海方面では13日に大海人軍が安河で大勝しています。
倭方面では日付不明ながら大海人軍が河内方面からの淡海軍を撃退し、飛鳥京の本営に戻ってきています。
その後、飛鳥古京には東国からの軍勢が多数到着したので、大伴吹負は兵を3つに分けて、上ツ道、中ツ道、下ツ道に配します。
上ツ道では、三輪高市麻呂と置始兎が箸陵の戦いで淡海軍に大勝します。
中ツ道では、村屋に陣を置いた淡海軍の犬養五十君が廬井鯨に精兵二百を与えて大伴吹負の陣営を衝かせます。
吹負麾下の兵は少なく苦戦しますが、そこに、箸墓から救援に駆け付けた三輪高市麻呂らの部隊が廬井鯨の背後を衝き、勝利をおさめることができました。
下ツ道については記述がありません。
大伴吹負は飛鳥京の本営に戻って軍を編成し直しますが、この先、淡海軍はもう攻めてきませんでした。
淡海方面で敗戦が続いているので、そちらに兵を集中させようとしたのかもしれません。
逃亡した兵もいたことでしょう。
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>中ツ道では、村屋に陣を置いた淡海軍の犬養五十君が…
この場所ですね。
https://www.sanpendo.com/2022/01/29/post-827/
投稿: | 2024年7月16日 (火) 05時44分
たぶん三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
はい。ご託宣のことには触れませんでしたが、まさにその村屋です。
これで倭方面の大海人皇子側の勝利が確定しましたね。
投稿: 玉村の源さん | 2024年7月16日 (火) 05時58分