壬申の乱の経緯(14)大伴吹負・置始兎、当麻の衢で淡海軍に勝利
日本書紀では、7月10日~12日の記事はありません。
この間、淡海では琵琶湖の湖東を村国男依の部隊が、湖西を羽田矢国の部隊が、それぞれ大津京を目指して進軍中です。
一方、倭では、日付は不明ながら大坂を越えてきた淡海方の壱伎韓国の部隊を、大伴吹負・置始兎の部隊がこのころ当麻の衢で撃退します。
以後、淡海方は河内方面から攻めてくることはありませんでした。
7月4日に乃楽山で敗北した大伴吹負は、置始兎の援軍を得て、ついにリベンジを果たすことができました。
壱伎韓国の部隊はかなりの損害を受けたことでしょう。
一方、乃楽山の戦いで大伴吹負を撃ち破った大野果安の動きが不明です。
琵琶湖東岸で淡海方は連敗していますので、ひょっとすると倭・河内方面の兵は琵琶湖方面に転用されているのかもしれません。
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