壬申の乱の経緯(22・終)乱のあと
7月23日に大友皇子が「山前」で自害し、壬申の乱は終結します。
そして、昨日書きましたように、26日に大海人皇子方の将軍たちは野上行宮に参上し、大友皇子の首級を献上します。
イメージ画像です。(^_^)
右手前のオレンジ色が大海人皇子、その脇のピンクは高市皇子のようです。
二人の前に控える青と緑の人々は不破に詰めていた幕僚達、そして左側にいる面々が戦場から帰ってきた将軍たちと幹部たち。
勝手なイメージです。
これから1ヶ月経った8月25日、捕らえられた淡海方の群臣を処罰します。
右大臣中臣金は斬罪、左大臣蘇我赤兄は流罪になります。
8月27日には、大海人皇子方で功績のあったものが寵賞されます。
9月に入って、大海人皇子は飛鳥に向かって引き上げます。
9月8日、桑名着。9日鈴鹿、10日阿閉、11日名張を経て、9月12日に倭京に着き、島宮に入ります。
9月15日、島宮から岡本宮に遷ります。
この年、宮殿を岡本宮の南に造り、冬にそこに遷ります。その宮を飛鳥浄御原宮と称します。
12月4日、功績のあったものを選んで、位階を上げます。
6月下旬からお付き合い戴いた「壬申の乱の経緯」はこれで終了です。
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懇切なご解説ありがとうございました。
こちらを参考に日本書紀の記事を読んだら、とてもわかりやすく楽しめました。
投稿: 三友亭主人 | 2024年7月28日 (日) 08時33分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
そんな風に言って頂けると、大変に嬉しいです。
日本書紀の壬申紀の記事、時間が前後しますよね。
私自身が整理しながら日本書紀の記事を読むことができました。
投稿: 玉村の源さん | 2024年7月28日 (日) 11時52分