壬申の乱の経緯(08)大伴吹負が乃楽山に布陣
7月3日、大伴吹負はさらに北上し、乃楽山に布陣します。
そして、荒田尾赤麻呂の進言によって、飛鳥京を守るために赤麻呂と忌部子人らを飛鳥京に向かわせます。
一方、淡海方は大野果安を乃楽山に向かわせます。
大津京を攻撃すべく進軍を続ける大伴吹負部隊ですが、河内からの壱伎韓国部隊への抑えと、飛鳥京の
守備のために兵を割くことを強いられ、本体の兵力はだいぶ削がれています。
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