大正7年の『東海道』(3)
先月2回に亙って載せた大正7年の『東海道』の続きです。
この本は、横とじの左右に、広重の東海道五十三次の絵と大正当時の写真とが対照されています。
吉田。
橋は近代化されましたが、雰囲気はよく似ています。
御油。
道の曲がり具合がよく似ています。
桑名。
これまた雰囲気がよく似ています。
お城の櫓は明治以降、取り壊されてしまったのでしょうか。石垣だけが残っています。
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橋の名前は「とよばし」で,市の名前は「とよはし」
川の名前は「とよがわ」で,市の名前は「とよかわ」
写真は,豊橋市。
昨日,ここで祇園の花火大会がありました。吉田神社は手筒花火の発祥地。
貴重な写真ありがとうございます。
投稿: 萩さん | 2024年7月21日 (日) 07時20分
萩さん
コメントをありがとうございます。
清濁、なかなか難しいですね。
東海道五十三次の浮世絵の方、「吉田」とあるすぐ脇に朱で「豊川橋」とありますね。
この「豊川橋」を縮めて「豊橋」としたのでしょうかね。
投稿: 玉村の源さん | 2024年7月21日 (日) 08時20分