壬申の乱の経緯(21)大友皇子の首級が野上行宮に届けられる
7月26日、大海人皇子方の将軍たちは野上行宮に参上し、大友皇子の首級を献上します。
大友皇子が「山前」で最期を遂げたのが7月23日のことでした。首級は3日掛かって大海人皇子に届けられたことになります。
遺体全身だと移動も大変なので首だけを運んだのでしょうかね。
そうだとすれば、首なし遺体は「山前」附近に埋葬されたことと思います。
首級とか首実検というと、鎌倉時代や戦国時代のイメージでしたが、このような時代から、首実検は行われていたのですね。
確かに、首は本人であることを証する最適のものでしょう。
« 中村錦之助「宮本武蔵」のパンフレット | トップページ | 草刈りぐんまちゃんと群馬県庁 »
「壬申の乱」カテゴリの記事
- 壬申の乱の経緯(22・終)乱のあと(2024.07.27)
- 壬申の乱の経緯(21)大友皇子の首級が野上行宮に届けられる(2024.07.26)
- 壬申の乱の経緯(20)大友皇子の最期(2024.07.23)
- 壬申の乱の経緯(19)瀬田橋の決戦(2024.07.22)
- 壬申の乱の経緯(18)決戦を前に(2024.07.19)
コメント