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2024年6月25日 (火)

壬申の乱の経緯(01)大海人皇子、吉野を脱出

 昨年、「壬申の乱の経緯を追って」というタイトルで、旧暦新暦の違いはありますが、壬申の乱のできごとの日付に合わせて、乱の経緯を辿りました。
 今年もその改訂版を載せようと思っていました。
 今年は、6月22日に、大海人皇子が、村国男依ら3人の舎人を美濃に派遣し、兵の徴発と不破の道を塞ぐことを命じた日から始めようと思っていたのですが、うっかり忘れてしまいました。
 では、大海人皇子が吉野を脱出した6月24日からだな、と思ったら、それもうっかりしてしまいました。
 1日遅れになってしまいますが、そこから始めます。

 6月24日、大海人皇子は吉野を出て、東国に向かいます。従う者は、う野皇女、草壁皇子、忍壁皇子、舎人たち二十数人と女嬬十数人です。

 この日に、菟田の吾城に到着。そこへ淡海から倭に退去していた大伴馬来田らが追いつきます。
 同じく倭に退去していた馬来田の弟の吹負は功名を立てようと倭にとどまり、機を窺います。

 大海人皇子一行は夜半に隠(なばり)郡に到着。横河に到着前に大きな黒雲が現れ、大海人皇子は勝利と占います。

 伊賀で郡司たちが数百人の兵を率いて服属します。
Jinshinchizu01

 結構な距離の山道を移動したことと思います。
 吉野を脱出したことを淡海側に知られるのが少しでも遅くなるように、急いだのでしょうね。
 兵は拙速を尊ぶであります。
 昨年、三友亭主人さんにご教示頂いたところでは、吉野→名張間は徒歩10時間弱とのことでした。

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壬申の乱」カテゴリの記事

コメント

私は機能から日本書紀の記事をリアルタイムで読んでゆくということを始めました。
そのためにはずいぶんと役に立ちそうな…ありがとうございます。

三友亭主人さん

 コメントをありがとうございます。

 そうでしたか。
 それはタイミングぴったりですね。
 どうぞよろしくお願い致します。

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