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2024年6月

2024年6月30日 (日)

60年前の環状7号線

 壬申の乱は、今日6月30日の動きはありません。
 といいますか、この年の6月は小の月で29日までしかありません。

 3年半前のブログに、60年前の環状7号線の写真を載せました。
 昭和39年(1964)の東京オリンピック開催を前に東京大改造が行われ、環状7号線も拡幅されました。
 私の小学校の校区に環状7号線と国道246(玉川通り)が通っていましたので、その変化を示した絵はがきです。

 拡幅前の環状7号線。
Kan7ehagaki03_20240630232601
 手前を左右に通っているのは玉川通りです。

 環状7号線をもう少し東へ。
Kan7ehagaki05_20240630232601
 環状7号線の両側が野沢銀座通りの商店街になっています。道を渡るのも簡単です。

 これがこうなりました。
Kan7ehagaki04_20240630232601
 環状7号線は大幅に拡幅され、立体交差になりました。
 その後さらに、玉川通りの上には高速道路が架かりました。

 ブログに書いたこの記事に、今日、コメントを頂きました。
 同じ小学校の先輩です。
 今、自分史を書いていて、そこにこの写真を載せたいとのことです。
 その方のおうちは環状7号線に面したところで花屋さんを営んでいて、この写真にわずかに写っているとのことでした。
 それは貴重な記録ですね。

 毎日毎日、日課のようにブログを書いていて、目的も見失ってしまっていますが、こんな感じで思いがけなくも誰かのお役に立つと嬉しいです。

2024年6月29日 (土)

壬申の乱の経緯(05)大伴吹負が飛鳥で活躍

 6月29日は、兄の馬来田と離れて飛鳥で機を窺っていた大伴吹負が大手柄をあげます。
 吹負は、あらかじめ飛鳥古京の留守司の中に内応者を得て、謀をもって留守司を配下に置きます。
 それを不破の大海人皇子に奏上したところ、大海人皇子は大いに喜び、吹負を将軍に任じます。
 これによって、多くの豪傑が怒濤の如く吹負の麾下に集い、淡海討伐を謀ります。
Jinshinchizu30

 大海人皇子は不破の道からのみ大津京を攻撃しようとしていたのかもしれませんが、飛鳥に留まった大伴吹負が飛鳥古京を占領し、軍勢も集まったことで、北と南から大津京を挟撃する態勢ができました。
 鈴鹿も兵で固め、淡海朝と東海道との連絡も絶つことができています。
 淡海側は南北に兵を割かざるを得なくなり、大海人皇子方が有利な状況になってきました。

2024年6月28日 (金)

2ヶ月ぶりの渋川

 今日は前橋で講座の日でしたので、群馬に行きました。
 終わった後、鳥めし弁当を買うために高崎に行きました。
 先月はこの移動時に、全く思いがけなくも東京に帰ることにしたのでした。
 理由は、超寝不足だったのと、超暑かったためです。
 どちらか一方ならばまだしも、両方となると熱中症が心配です。それでそういうことになりました。

 今日は、超寝不足は先月と同じですが、気温は高くなく、過ごしやすい日でしたので、迷うことなく渋川の家に行くことにしました。
 家の片づけをせねばという思いも強かったです。
 あいにくの雨でしたが、それは濡れて行くまでです。

 自分は濡れても着替えれば済みますが、リュックが濡れて、中の書類などに影響があると困るので、リュックは持参のゴミ袋に入れました。
Ruck05
 ちょっと首桶風。(^_^)

 自転車は無事に駐輪場にありました。
 前籠がガタガタするのを防ぐためのビニール紐はボロボロになっていました。
Jitensyamaekago04

 下は、去年の5月に紐で固定したときの状態です。
Jitensyamaekago03

 4月までは何ともなかったのですが、強い日差しで劣化したのでしょう。
 太陽の日差しの力はすごいです。

 幸い雨は小降りになっていて、あまり濡れずに家に着けました。
 ちょっと休憩と横になったら、3時間半ほど寝てしまいました。
 ほんと、居眠り大王です。

 先日から続いている「壬申の乱の経緯」、6月28日は特に動きはありません。

2024年6月27日 (木)

壬申の乱の経緯(04)高市皇子に軍事の全権を委ねる

 6月27日、高市皇子のすすめで、大海人皇子は桑名郡家を出て、不破郡家に向い、さらに野上行宮に入ります。

 大海人皇子は、味方の中に脱走した者がいると伝えられて気弱になるが、高市皇子が強く励まし、大海人皇子も気を取り直します。
 そして、大海人皇子は高市皇子に軍事の全権を委任します。
Jinshinchizu04
 大海人皇子軍は、美濃の兵をもって不破の道から琵琶湖東岸を通って、大津京を突く作戦です。

2024年6月26日 (水)

壬申の乱の経緯(03)大津皇子が合流。高市皇子を不破に派遣

 6月27日早朝、大海人皇子は朝明郡の迹太(とほ)川の辺で海越しに天照大神を望拝。
 そこに大津京を脱出した大津皇子(10歳)一行が到着。

 また、美濃に派遣していた村国男依が至り、美濃国の三千の兵で不破の道を塞いだことを報告します。

 大海人皇子自身は桑名郡家に留まり、高市皇子を不破に遣わします。

 この頃、淡海朝廷は、大海人皇子が東国に入ったことを知って激しく動揺し、大混乱に陥ります。
 大友皇子は、使者を東国、倭京、筑紫、吉備に遣わし、兵を動員しようとします。
Jinshinchizu03
 高市皇子に1日遅れて大津皇子も大海人皇子一向に合流します。
 大海人皇子は大いに喜んだそうです。
 わずか10歳の皇子では戦力にはならないでしょうが、大津皇子は天智天皇にも愛されたということですので、幼い頃から文武の才があり、大海人皇子も将来に期待していたのでしょう。

 6月22日に美濃に派遣されていた村国男依が至り、3000の美濃の兵で不破の道を塞いだことを報告していますが、これまた恐るべき速さです。男依が美濃に着いてから兵を募ったとは到底考えられません。事前に準備ができていたのでしょう。男依はその兵に命じて不破の道を塞がせたものと思われます。

 このころになって、淡海朝ではようやく大海人皇子の挙兵を知ります。
 大海人皇子側の動きをどれほど把握していたかは分かりませんが、この時点で、大海人皇子は早くも鈴鹿と不破とを押さえています。淡海側は既にかなり出遅れてしまっています。

2024年6月25日 (火)

大正7年の『東海道』(2)

 昨日載せた大正7年の『東海道』の続きです。
 本来の本は横とじで、右ページに広重の東海道五十三次の浮世絵、左ページに当時の写真を掲載しています。
 ここでは、それを組み替えて、上に広重の版画、下に写真を載せます。

 京都。
T07tokaido06
 角度はやや異なりますが、イメージはよく似ています。

 箱根。
T07tokaido07
 富士山や湖の位置から、写真は版画とほぼ同様の位置から撮したものと思われますが、広重の版画の右側の山は随分デフォルメされていますね。

 鞠子。
T07tokaido08
 広重の版画にはとろろ汁の丁子屋が描かれています。
 写真にもとろろ汁の店が描かれていますが、これも丁子屋でしょうか?

 二川。
T07tokaido09
 山裾の形はよく似ています。

壬申の乱の経緯(02)高市皇子が合流

 6月25日早朝、大海人皇子一行は、たら野に到着。
 積殖(つむゑ)で、鹿深(かふか)を越えてきた高市皇子(19歳か)一行が合流。
 加太(かぶと)越えをし、伊勢の鈴鹿で国司・湯沐令らに会い、鈴鹿山道を塞ぐ。
 川曲の坂下で日没。三重郡家まで進みます。
Jinshinchizu02
 2日目もかなりの強行軍と思います。

 積殖(つむゑ)で、大津を脱出してきた高市皇子が合流します。
 高市皇子はいつ頃大津京を出発したのでしょうか。
 大海人皇子が吉野を脱出したのと同じくらいの日ではなかったかと思います。
 すると、高市皇子は、大海人皇子の吉野脱出を知ってすぐに駆け付けようとしたわけではなく、あらかじめ日を決めていたのではないでしょうか。
 6月22日に、大海人皇子が、村国男依ら3人の舎人を美濃に派遣しますが、その時点で、大海人皇子の吉野脱出の日は既に決められており、その日付と経路は高市皇子にも伝えられていたものと思います。

壬申の乱の経緯(01)大海人皇子、吉野を脱出

 昨年、「壬申の乱の経緯を追って」というタイトルで、旧暦新暦の違いはありますが、壬申の乱のできごとの日付に合わせて、乱の経緯を辿りました。
 今年もその改訂版を載せようと思っていました。
 今年は、6月22日に、大海人皇子が、村国男依ら3人の舎人を美濃に派遣し、兵の徴発と不破の道を塞ぐことを命じた日から始めようと思っていたのですが、うっかり忘れてしまいました。
 では、大海人皇子が吉野を脱出した6月24日からだな、と思ったら、それもうっかりしてしまいました。
 1日遅れになってしまいますが、そこから始めます。

 6月24日、大海人皇子は吉野を出て、東国に向かいます。従う者は、う野皇女、草壁皇子、忍壁皇子、舎人たち二十数人と女嬬十数人です。

 この日に、菟田の吾城に到着。そこへ淡海から倭に退去していた大伴馬来田らが追いつきます。
 同じく倭に退去していた馬来田の弟の吹負は功名を立てようと倭にとどまり、機を窺います。

 大海人皇子一行は夜半に隠(なばり)郡に到着。横河に到着前に大きな黒雲が現れ、大海人皇子は勝利と占います。

 伊賀で郡司たちが数百人の兵を率いて服属します。
Jinshinchizu01

 結構な距離の山道を移動したことと思います。
 吉野を脱出したことを淡海側に知られるのが少しでも遅くなるように、急いだのでしょうね。
 兵は拙速を尊ぶであります。
 昨年、三友亭主人さんにご教示頂いたところでは、吉野→名張間は徒歩10時間弱とのことでした。

2024年6月24日 (月)

大正7年の『東海道』

 この様なものを入手しました。
T07tokaido01
 A4よりも少し大きいサイズの横とじの本です。

 冒頭附近に東海道の今昔大正地図が載っています。
T07tokaido03

 本体はこのような内容です。
T07tokaido04
 右ページに広重の東海道五十三次の版画、左ページに大正7年頃の該当する場所の写真が載っています。

 画面が小さいので、上下に並べ替えます。
T07tokaido05
 広重の浮世絵と現代の写真とを対照させてもおもしろいですが、今から100年以上前の写真とを対照させるというのもおもしろいです。
 大正7年当時の風景は、江戸時代と大きく変わっていないところもあると思います。
 日本橋は、今は高速道路が上を走っていて大きく変わってしまいました。

 奥付です。
T07tokaido02

 今は日本橋だけを載せましたが、多分、続編を載せます。

2024年6月23日 (日)

当世大相撲錦絵

 この様なものを入手しました。
Toseioozumou01
 現代風の大相撲錦絵の絵はがきです。

 全部で5枚入っています。
Toseioozumou02
Toseioozumou03
Toseioozumou04

 柏鵬時代のものですね。
 懐かしいです。

 私の記憶のある大相撲は、これより少し前の栃錦、若乃花の時代です。
 それと同時代から少し前の、千代の山、吉葉山、鏡里の時代は記憶がおぼろです。

2024年6月22日 (土)

今日は古代文学会を

 今日6月22日は、群馬県立女子大学の群馬学連続シンポジウム、青山学院大学のAI講演会、昭和女子大学の無声映画、そして「テキストに立ち上がる<声>」というテーマの古代文学会が重なってしまっていました。
 大きな声では言えませんが、群馬学連続シンポジウムが早々と脱落。弁士付きの無声映画も気になりながら脱落し、最後に残った2択でAI講演会がものすごく気になりながら諦め、結局古代文学会にZoomで参加する事になりました。

 パネリストは次の方々です。
Kodai2024b
 趣旨説明と、3氏それぞれの発表要旨は、古代文学会のHPに掲載されています。以下をご参照ください。
https://kodaibungakukai.sakura.ne.jp/wp/kenkyuuhappyoukai/sympo-semi

 鈴木氏、馬場氏、西澤氏の順で発表が行われ、その後、3氏による討論が行われました。
 それぞれに面白く拝聴しました。

 私の一番関心があったのは馬場氏の宣命についての発表でした、
 特に、宣命の大字・小字の書き分けについて、小字は小さな声で宣読されるという点が大いに気になったのですが、詳細な説明はありませんでした。
 この点に絞った発表が聴きたかったので、大いに残念でした。

2024年6月21日 (金)

なめ猫免許証

 ネットオークションで見つけて買ってしまいました。
 なめ猫の免許証です。
Nameneko01
 昭和57年1月15日交付となっていますので、なめ猫はその頃に流行ったのでしょうね。
 「なめられたら無効」だそうです。
 「免許の条件等」には「しっぽでハンドルを握らない事」「マタタビを吸って運転しない事」とあります。
 どちらもよく納得できます。
 「昭和56年2月28日生」とあります。この免許証はまだ1歳になる前に交付されています。
 ヒト年齢とねこ年齢とは違いますね。

 もう1枚。
Nameneko02
 このねこさんは、生後4ヶ月ほどで免許証を交付されています。
 「免許の条件等」もよく納得できます。

 あれこれおもしろいです。

2024年6月20日 (木)

露草の花の色合い

 しばらく前から玄関脇の植え込みの露草が咲いています。
 青い花ですが、よく見ると色合いが異なります。

 薄い青。
Tsuyukusa20240620a

 濃い青。
Tsuyukusa20240620b

 やや赤みがかった青。
Tsuyukusa20240620c

 何でしょね。日当たりの差かもしれません。

 露草は、万葉集では「つきくさ」という語形でうたわれています。
 そのうちの3首。

    大伴の坂上家の大嬢、大伴宿祢家持に報へ贈る歌四首(そのうちの一首)
 ①つき草の移ろひやすく思へかもわが思ふ人の言も告げ来ぬ(四・五八三)

 ②つき草に衣(ころも)色どり摺らめども移ろふ色といふが苦しさ(七・一三三九)

 ③朝(あした)咲き夕(ゆふべ)は消(け)ぬるつき草の消ぬべき恋もわれはするかも(一〇・二二九一)秋相聞

2024年6月19日 (水)

昭和9年の絵暦

 絵暦を入手しました。
S09egoyomi01
 タイトルは、「しん板はんじゑもとの月日」とあります。「もとの月日」というのは旧暦のことでしょうか?

 左下に奥付があります。
S09egoyomi02
 昭和8年10月発行の絵暦で、盛岡のものです。

 上部中央にはこうあります。
S09egoyomi03
 右から順に、笙(しょう)輪(わ)九曜(く)ということで、昭和9年の絵暦です。左端の犬は戌年を表しています。

 というあたりまでは良いのですが、私には全体は極めて難解です。
 散々首をひねって、分かったところまでを述べます。

 あちこちにたくさん見えるサイコロは月を表しています。
 サイコロの目は1から6までですので、サイコロを2つ使えば、1月から12月までを表せます。

 また、次のようなマークもたくさんあります。
S09egoyomi04
 これらは日を表します。
 右上から下に1日から4日。中の行は上から順に5日から8日。左端の行は上から順に9日・10日・20日・30日です。
 10日以降は重箱で「じゅう」です。

 暦の右上には大刀、左上には小刀が描かれています。
 それぞれ、旧暦の大の月と小の月です。

 このような絵があります。
S09egoyomi05
 掛軸には三猿が描かれています。これは庚申の日ですね。
 60日に1回庚申の日が回ってきますので、年に6回ほどあります。
 1月5日から11月8日まで、6つの日付が示されています。

 次の絵は節分。
S09egoyomi06
 鬼やらい。分かりやすいです。12月28日ですね。

 他に、判じ絵には次のようなものがあります。
S09egoyomi07
 銭を紐で通したものは百文です。それが2つで二百。そして、砥(と)、蚊(か)で、二百十日です。
 日付は7月23日です。

 次のようなものも。
S09egoyomi08
 塔(とう)と琴柱(じ)で冬至(とうじ)。
 11月16日です。

 分かったのは大体こんなものです。
 いくら考えてもさっぱり分からないものが多いです。
 更に眺めてみます。

2024年6月18日 (火)

横浜崎陽軒でいとこ会

 昨日の昼、横浜駅東口の横浜崎陽軒でいとこ会が開催されました。
 私の母方のいとこは、私と妹を含め9名います。
 昨日はそのうちの7名と、叔母(亡母の妹)の計8名が集まりました。
 一番若いのが69歳という、じじばばの集まりでした。叔母は92歳です。

 メニュー。
Itokokai01
 全部漢字五文字ですね。
 奇数は縁起がいいということで、5文字に揃えたのでしょうね。たぶん。

 前菜。
Itokokai02

 フカヒレのスープ。
Itokokai03

 シウマイ。
Itokokai04
 崎陽軒といえばシウマイを思い浮かべます。

 エビとイカのチリソース。
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 豚と野菜のオイスターソース炒め。
Itokokai06

 五目おこわ。
Itokokai07

 デザート。
Itokokai08
 オーギョーチーって、食べたの初めてかもしれません。

 すみません。写真ばかりで。

 いとこ達とは、子供の頃には、お正月や夏休みなどによく遊びましたが、大きくなってからはすっかり疎遠になっていました。
 懐かしかったです。

2024年6月17日 (月)

平安京図&パソコン入門期

 昨日の大内裏図の流れで、今日は平安京図を。

 下書き線。
Heiankyozu01

 道路の線を入れる。
Heiankyozu02

 下書き線を非表示に。
Heiankyozu03

 文字を入れて完成。
Heiankyozu04

 一部を拡大。
Heiankyozu05
 こんな感じで、大路・小路の道幅、他より広い朱雀大路と二条大路の道幅は、ちゃんと本来の比率に合わせています。

 さて、私がパソコンを買ったのは昭和63年(1988)の暮れでした。
 その頃のパソコンにはハードディスクは内蔵されていませんでしたので、ソフトウェアはフロッピーディスクでした。
 パソコンと一緒に買ったソフトは、ワープロソフトの一太郎と、データベースソフトのザ・カード、そして「信長の野望」でした。

 パソコンって、本当に魔法の機械というか、夢の機械というか、おもしろくて、楽しくて、いろいろなソフトを買ってきては、使っていました。
 平安京図などを作ったのは、パソコンを買ってからもう10年ちょっと経っていましたけれども、パソコン熱はまだ冷めやらず、嬉々としてこういった図を作っていました。
 教育熱心だったわけではなくて、趣味の世界でした。(^_^)

 ホームページも簡単なものならば自作しました。
 ただ、パソコンの勉強をしたのは、このあたりまでで、もうやめてしまいましたので、音声の編集や、動画の編集はできません。

2024年6月16日 (日)

自作の平安京・大内裏・内裏・清涼殿図

 今日のNHK大河「光る君へ」も面白かったです。
 番組の中で、落飾した中宮定子を一条天皇が職の御曹司に呼び寄せることが出てきました。
 「はて? 職の御曹司ってどこだっけ?」と思い、大内裏図を見てみました。
Daidairizu01
 中央付近にある内裏の北東ですね。すぐ近くです。
 こういう図は、国語便覧や日本史地図帳などに載っています。

 昔、国文学概論を受け持ったことがありました。
 今ならば既製品の図をスキャンしてしまえば簡単ですが、当時はまだスキャナを持っていなかったので、さてどうしようかと考えました。
 コピーして切り貼りする手もありますけど、アナログデジタル併用ではおもしろくありません。
 そこで、ジャストシステムの「花子」を使って、作図することにしました。

 まずは、下書き線。
Daidairizu03
 大内裏内の東西南北の道は、大内裏の外の道と重なっています。

 この下書き線の上に各施設の図を描きます。
Daidairizu04

 そして、下書き線を非表示にします。
Daidairizu05
 ここに文字を入れれば、最初の図になります。
 それぞれの施設を色で塗ることはしませんでしたので、これで完成です。

 同様にして、平安京図、内裏図、清涼殿図を作図しました。色を塗ったものもあります。
Heiankyozu
 何ともマメなことです。(^_^)
 でも、楽しかったです。2000年の頃です。
 そして、自分で作図すれば理解も進みますし、記憶にも残る……はずなのですが、職の御曹司の位置、すっかり忘れていました。(^_^;

2024年6月15日 (土)

「時代劇かるた」

 「時代劇かるた」を入手しました。
Jidaigekicard01

 パッケージの反対側です。
Jidaigekicard02

 中身はこんな感じです。
Jidaigekicard03
Jidaigekicard04
 絵札、読み札ともに未裁断です。
 サイズは小さく、紙質も悪く、もののない時代に作られた品のようです。
 仮名遣いも定まっていませんね。

 登場人物や作品から、およそいつ頃のものか推測できるかもしれません。
 ここに示したかるたには、市川右太右衛門、古川緑波、長谷川一夫、美空ひばり、榎本健一、嵐寛寿郎などが取り上げられています。
 なんか、懐かしいです。
 実際の映画はまだモノクロが多かったことでしょう。
 その映画を見て、このカラーの絵札を見るのも楽しかったかもしれません。

2024年6月14日 (金)

ふちやすみにゃんこ&柴犬

 先月、「ふちやすみにゃんこ」を購入したことを書きました。
Fuchicat06

 ふちやすみにゃんこ5体、パソコンディスプレイの上で、私を見守ってくれています。
Fuchicat07

 2枚の画像で、並んでいるねこの順番が違うのは、このねこたち、時々下に落ちて、その都度並べ直すのですが、私がいい加減なので、その都度順番が変わったり、向きが変わったりするからです。
 目を上げるとねこが目に入るのは癒されます。

 1匹だけへそ天で寝ているのも愉快です。
Fuchicat08
 ほこりが付いていますね。
 ねこが下に落ちたときに付いてきたほこりです。
 撮影するときには気づきませんでした。

 今度、新たに柴犬5体を買いました。
Fuchishiba01

 柴犬も良いです。

 こちらにもへそ天で寝ているのがいます。
Fuchishiba02
 これもまた良いです。

群馬県立女子大学の学生が缶をデザインしたビール

 この度、群馬県立女子大学の学生が缶をデザインしたビール「ザ・プレミアム・モルツ」が25日から数量限定で販売されるそうです。

 これは嬉しいことです。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC134G40T10C24A6000000/?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR3dvxDhvFpein4M0sLN_CnfN6G_lAvZ8ZfVygEGZnpo5d-xbt5JxADbTrc_aem_AQB0d30DMSB0iDdLGIGQI8KnfXTCpkti4Olr2-udCpsZ7NT1b54IgeWTCIUM2NFX1_JlQR1iKgvpLst4eGf2yzcV

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2024年6月13日 (木)

昭和3年の「教育偉人かるた」(10)

 今年の3月に初めて取り上げた昭和3年の「教育偉人かるた」、あと5名残っていましたので、第10弾として取り上げます。
 これで結局全員取り上げることになります。

 徳川光圀。
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 『大日本史』の編纂が大きく評価されているのかもしれませんね。
 水戸学は明治維新にも繋がったわけですし。

 孔子。
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 儒教の祖ですね。

 諸葛孔明。
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 大軍師です。

 ソクラテス。
S03kyoikuijin51
 ギリシャの大思想家。

 コロンブス。
S03kyoikuijin52
 大冒険家ですね。

 思えば、随分の大物達が最後まで残っていました。
 これで全員と思います。
 日本人28名、外国人20名です。
 そのわずか28名の日本人枠の中に楠正成と正行の親子が含まれているのは、やはり偏りと言わねばなりません。
 個人的には嬉しいのですけど。やはりねぇ。

 ともあれ昭和3年当時の貴重な同時代資料です。

2024年6月12日 (水)

今日は蘇我入鹿殺害の日

 今日は、蘇我入鹿が中大兄皇子達に殺害された日です。
 今朝、Twitterでロックさんの記事を見て知りました。
 今は「乙巳の変」と言うのだそうですが、私にとっては突然知った歴史用語ですので、どうもしっくりきません。
 頭が固いです。

 飛鳥寺の西方にある入鹿の首塚。
Itsushi02
 これを撮したのは、平成18年(2006)9月です。
 背後に広がっているのが槻木の広場。
 その奥に見える丘は甘樫丘で、ここに蘇我氏の邸宅がありました。

 蘇我氏邸宅の発掘現場。
Itsushi03
Itsushi04

 発掘主体は奈良国立文化財研究所です。
Itsushi05
 平成17年(2005)12月の撮影です。
 もう20年近く経ってしまいました。

 この頃は、毎年2~3回は飛鳥、奈良に行っていたのに、今はもうすっかり出不精になってしまいました。

2024年6月11日 (火)

泉岳寺の絵はがき

 泉岳寺の古い絵はがきを入手しました。全部で16枚。
 その中には、大石内蔵助の墓などの写真もありますが、それらは置いておいて、ちょっと珍しいものを4枚。

 浅野内匠頭自尽の短刀と兜。
Sengakujie01
 内匠頭自尽の短刀は泉岳寺に伝わったのでしょうか。

 天野屋利兵衛の金櫃と像。
Sengakujie02
 天野屋利兵衛は実在した人物のようですが、赤穂浪士とは関わりがなかったみたいですね。

 討入り浪士5名の佩刀。
Sengakujie03
 上から順に、村松三太夫、千馬三郎兵衛、武林唯七、勝田新左衛門、岡島八十右衛門のものです。
 長さがバラバラです。
 一番上の村松三太夫のは脇差しでしょうか。一番下の岡島八十右衛門のは随分長い気がします。

 看板2枚。
Sengakujie04
 右の「かねやすゆふげん」の文字を揮毫したのは堀部安兵衛とのことです。
 左の「四海波……」は大石内蔵助の筆になるものということです。
 恥ずかしながら字が読めません。
 「四海波□新穏眠」でしょうか?

2024年6月10日 (月)

「倭漢高名鑑」

 このようなものを入手しました。
Wakankoumei01
 タイトルは「倭漢高名鑑」とあります。
 番付のような形式で、右側が日本の武人、左側が中国の武人です。

 日本の武人の上半分。
Wakankoumei02
 著名な人物が多いです。
 古いところでは、上の段に武内宿祢、坂上田村麻呂、下の段に文屋綿麻呂、坂上苅田麻呂と、なぜか恵美押勝がいます。
 「麻呂」の「麻」の字は「广」になっています。
 鎌倉武士の鑑と謳われた畠山重忠は下の段の5番目にいます。
 楠一族では上の段に正成、下の段に正行と正儀がいます。

 日本の武人の下半分。
Wakankoumei03
 上の段の6番目に「木曽巴女」がいます。女性はこの巴御前1人です。
 同じく上の段の真ん中から少し先に細川勝元と山名宗全が並んでいます。
 うしろから5番目には小四郎義時がいます。こうした番付で北条義時が評価されているのは珍しいように思います。

 中国の武人の上半分。
Wakankoumei04
 中国には詳しくありませんが、それでも諸葛孔明など私でも知っている人名がちらほら並んでいます。

 中央の、相撲番付であれば行司や勧進元が記されている部分の上半分。
Wakankoumei05
 源頼朝と足利尊氏という2つの幕府の初代将軍が並んでいます。
 下には、阿倍比羅夫と高市皇子がいます。高市皇子もこうした番付にはまず登場しないように思います。
 因幡守正盛というのは平清盛の祖父正盛と思われますが、なぜかなかなかの高評価です。

 同じく下半分です。
Wakankoumei06
 錚々たるメンバーが並んでいます。
 元のクビライが載っています。
 そういえば、なぜかジンギスカンが載っていません。不思議です。うっかりミスでしょうか。

 さて、全体を見渡すと、時代は応仁の乱くらいまでです。
 戦国時代まで降れば大勢の武将達が登場することでしょうが、そこまでは含めていません。
 思うに、徳川将軍家を憚って家康を載せないことにしたことで、戦国時代までは含めないことにしたのかもしれません。
 皇族は高市皇子を唯一の例外として載せていません。高市皇子も中央の行司・勧進元枠です。
 皇族を含めれば、日本武尊や護良親王なども登場したはずですが、やはり皇室への遠慮があったのでしょうね。

 眺めているとあれこれおもしろいです。

2024年6月 9日 (日)

違いの分かる金魚

 今、金魚にはこれらのゴハンを与えています。
Kingyo_esa01
 1種類だけじゃ飽きるかと思い、2種類です。
 たまに乾燥イトミミズを与えることもあります。

 先日、向かって左側の「テトラフィン カラー」がなくなってしまったので、家の片づけの過程で発掘された同じものを与えました。
 容器の底を見ると賞味期限は2022年の6月。もう2年過ぎてしまっています。
Kingyo_esa02
 どうしようかと思いましたが、金魚だし、大丈夫だろうと思えて与えてみました。
 そうしたら、口には入れるのですが、すぐに吐き出してしまいます。
 どうも、お口にめさなかったようです。
 あるいは、体に悪いと思ったのかもしれません。

 金魚は何でも口に入れてしまいます。
 目の前に降りてきたフンも。
 「それ違うよ!」と言っても聞きません。パクッと口に入れてしまいます。
 でも、すぐにペッと吐き出します。
 丁度それと同じような感じです。
 賢いですね。生きる力があります。

 それで思い出されるのが奈良鹿です。
 奈良公園では、鹿がビニールやタバコの吸い殻を食べてしまわないように、愛護会の方々や、ボランティアの方々が、ゴミ拾いをしてくださっています。
 本当にありがたいことです。
 悪いのは、もちろんそういうものをポイ捨てしてしまう人間なのですけど、奈良鹿は一応野生なんですよね。体に良いか悪いか自分で判断できずに何でも食べてしまうというのはいかがなものかとも思います。

 さて、賞味期限の過ぎている金魚のゴハンはどうしましょ?
 成分は動物性タンパクと脂質などです。
 植え込みや鉢植えに撒けば肥料になるかもしれません。

2024年6月 8日 (土)

昭和3年の「教育偉人かるた」(9)

 今年の3月に初めて取り上げた昭和3年の「教育偉人かるた」、著名な人がまだ残っていましたので、遅ればせながら1ヶ月ぶりに取り上げます。第9弾になります。

 北条時宗。
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 北条時宗は欠かせません。

 上杉謙信。
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 謙信は取り上げられていますが、謙信と並び称される武田信玄は取り上げられていません。
 やはり謙信は義の人というイメージなのでしょうね。

 豊臣秀吉。
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 昭和3年の頃は、秀吉のマイナス面はあまり注目されていなかったのでしょうね。

 徳川家康。
S03kyoikuijin46
 家康もやはり欠かせませんね。
 3英傑の中では信長だけが取り上げられていません。
 信長は近世の幕を開いた人物と言えましょうが、人数に限りがあるので、落ちたのでしょう。
 なお、3つの幕府の創設者の中では、頼朝、尊氏は取り上げられておらず、家康のみが取り上げられています。

 加藤清正。
S03kyoikuijin47
 加藤清正は忠義の武士というイメージなのでしょうね。

2024年6月 7日 (金)

吉田初三郎の「厳島新案内」

 吉田初三郎の「厳島新案内」を入手しました。
T04itsukushima01
 大正4年4月発行です。
 これを二つ折りにしたものが表裏の表紙になります。

 超ワイドです。
T04itsukushima02
 小さくて何だか分かりませんので、3ヶ所を拡大します。縮尺は同じです。

 左端付近。
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 厳島神社の大鳥居、社殿付近。
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 その右側。
T04itsukushima05

 陶晴賢の本陣はどのあたりだったのだろうか、毛利元就はどこから攻め込んだのだろうか、などとつい物騒なことを考えてしまいます。
 2つ目の拡大図の左上に「バクチ尾」という地名が見えます。なんかあのあたりから攻めたのだったような。

 鳥瞰図の反対側の面には厳島の解説と「厳島十二勝」が載っています。
T04itsukushima06
 下の方に鹿の絵があります。奈良鹿だけではなく、宮島の鹿も良いです。

 厳島には2回行ったことがあります。
 大鳥居は、1回は満潮時、もう1回は干潮時で、両方を見ることができたのは幸いでした。

2024年6月 6日 (木)

錦仁先生ご逝去

 新潟大学名誉教授の錦仁先生が先月5月30日に亡くなられました。

 錦先生とのご縁は、平成18年(2006)冬に群馬県立女子大学で開催された、全国大学国語国文学会のシンポジウムで講演をお願いしたことに溯ります。
 この時の学会は、群馬県立女子大学で年に3回ずつ開催されていた群馬学連続シンポジウムとの合同大会でした。
 錦先生にはパネリストをお願いし、「菅江真澄の表現―地誌と〈歴史〉の再構築―」というタイトルで基調講演をしてくださいました。
 他のパネリストは、
 「地域生活語の地平―群馬のことばを中心に―」篠木れい子(群馬県立女子大学教授)
 「近世・近代の語り物芸能としての祭文―上州祭文を中心に―」兵藤裕己(学習院大学教授)
 「歌謡圏における地域という課題―上州の歌謡を軸として―」真鍋昌弘(関西外国語大学教授)
という皆さんでした。

 その時の写真があると良いのですが、私は会場校の責任者としてあれこれ忙しくしていて、写真を撮っている暇がありませんでした。
 唯一見つかったのが、事務局職員が講堂の2階席から撮ってくれた動画です。
Nishiki01
 舞台全体を撮していますね。

 アップにしても、こんなです。
Nishiki02

 ちょっと残念。

2024年6月 5日 (水)

ぐんまちゃんの焼酎

 この様なものを買いました。
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 ぐんまちゃんの麦焼酎です。

 裏側。
Gunmac_shochu02
 これによれば、商品名は「上州麦焼酎 ぐんまちゃん」のようですね。
 アルコール度数は25%です。
 私、缶チューハイはいつもアルコール度数3%のを飲んでいます。
 それに比べたら、途方もなく強いです。
 といって、あまり水を多く入れたらまずいでしょうね。
 水と交互に、少しずつ飲むことにします。

 うさぎさんと。
Gunmac_shochu03

 かえるさんと。
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 命婦のおとど、翁麻呂と。
Gunmac_shochu05

 ぐんまちゃんとのツーショットを撮れば良かったかも。

2024年6月 4日 (火)

6回目の金魚記念日

 2018年の今日、4匹の金魚を飼い始めました。
Kingyo_h3006a

 その3週間後に4匹増やして、合計8匹になりました。
 去年、この8匹のうち残っているのは1匹だけになってしまいましたので、子金魚を3匹増やし、合計4匹になりました。

 4匹元気に暮らしています。
Kingyo_r060604a
 全員、向かって左側に寄ってしまっています。
 これは、左上からゴハンを与えていますので、私が水槽に近づくと、ゴハンがもらえると思って左側に寄ってしまうのです。
 去年増やした3匹の子金魚もすっかり大きくなって、先住金魚とほぼ同じような大きさになりました。
 この写真ではどれが先住金魚かよく分かりませんが、たぶん上の真ん中のだと思います。

 これは確かな先住金魚です。
Kingyo_r060604b
 水草にピントが合ってしまったようで、肝腎の金魚はピンボケです。
 何枚か撮ったうちの一番まともなのがこれです。ヘタです。
 撮り直せば良いようなものですが、金魚はもう寝る時間ですので、やめました。金魚ファーストです。

2024年6月 3日 (月)

嘉暦伝承本萬葉集の複製

 嘉暦伝承本萬葉集の複製を入手しました。
Karyaku01
 奥付はありませんが、佐佐木信綱による解説の末尾に「昭和十六年七月」とありますので、この年のうちには刊行されたのではないかと思います。

 冒頭部。
Karyaku02
 巻十一の目録です。

 その次の丁から巻十一の本文が始まります。
Karyaku03

 本文の末尾。
Karyaku04
 巻十一の末尾まであります。

 この左丁の裏に奥書があります。
 佐佐木信綱の解説中にこの奥書の翻字がありますので、並べて載せます。
Karyaku05

 嘉暦三年は1328年で鎌倉時代末期になりますが、これは当時のこの本の所持者が記したもので、本文の書写年代は鎌倉初期とされます。
 仙覚の手を経ない次点本です。

 私、恥ずかしながら嘉暦伝承本はまだ見たこともありませんでした。
 不勉強です。
 もっと勉強します。

2024年6月 2日 (日)

よく分からない文禄の大名一覧

 この様なものを入手しました。
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 「諸大名国持外様衆」というタイトルが付いています。

 文字が小さいので、冒頭部分をアップにします。
Bunrokutozama02
 筆頭は奥州会津100万石の蒲生氏郷です。
 次が島津義弘、その次が小早川隆景です。
 蒲生氏郷は文禄4年(1595)に亡くなっています。
 また、小早川隆景も同じ文禄4年に隠居しています。
 この2人を見る限りは、このリストは文禄4年以前の状態を反映しています。
 全員見ていったら、矛盾が生じるかもしれませんが。

 文禄4年といえば、まだ豊臣秀吉が存命です。
 これを見て不思議に思うのは、徳川家康がいません。また、前田利家、毛利輝元、上杉景勝もいません。なぜでしょうかね。
 1つ考えられるのは、タイトルにある「外様」です。
 ここにいないということは、徳川、前田、毛利、上杉は譜代なのでしょうか。
 譜代というのは違和感がありますけど、この面々は五大老なので、譜代とは言えなくても、豊臣政権を支える身内扱いなのでしょうか。
 そう考えると、石田三成や浅野長政などの五奉行もいません。
 また、加藤清正、福島正則のような秀吉子飼いの大名もいません。大谷刑部もいません。

 ということで、秀吉政権を支える五大老・五奉行や、秀吉子飼いの大名などを除く国持大名のリストということなのかもしれません。

 左下の欄外にはこうあります。
Bunrokutozama03
 「貳之巻」でしょうか。
 そうすると、もう1枚「壹之巻」があって、そこに家康以下の面々が並んでいそうです。

 さて、これはなんでしょうかね?
 文禄4年の頃にこういうものが作成されたわけではないと思います。
 たぶん江戸時代(あるいは明治時代)に作られたのでしょう。

 何のために?
 歴史好きな人が買ってくれるのを期待して、歴史好きな人が作って売り出したのかとも思います。
 不思議な刷り物です。

2024年6月 1日 (土)

体重変化(R4.11~R6.5)&うさぎカレンダー

 月が変わりましたので、恒例の体重変化グラフです。
Taiju202211_202405
 4月・5月と、じわじわと上昇しています。6月以降はどうなりますか。

 これだけではナンですので、目の前にぶら下がっているうさぎカレンダーの6月分を載せます。
Usacal202406
 あじさいと一緒に写っていますね。
 うさぎの名前はまろんちゃんだそうです。
 かわいいです。

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