明治8年の『大日本国郡便覧』
明治8年の『大日本国郡便覧』を入手しました。
帙に入っていたのですが、その画像は省略します。
折本です。
最初のページ。
奥付。
巻頭のページには、「明治八年六月新雕……発兌」とありますが、奥付では「官許明治八年第二月」の日付が入っています。
官許を得てから、実際に刊行するまで、4ヶ月のタイムラグがあったということになりましょう。
奥付の「第二月」という表記に興味を持ちました。明治8年頃、こういう表記もあったのでしょうかね。
発行者は東京の2軒の書店ですね。
奥付の左ページには、京、大坂、東京の書店が並んでいます。
その最後に「吉川半七」とあるのは、今の吉川弘文館ですね。
巻頭の次のページは世界全図です。
この本は、『大日本国郡便覧』という書名の様に、日本の旧国別に、それぞれの国の地図と諸データを記した本なのですが、巻頭にはこのように世界地図が載っています。
北米をアップにします。
「北亜米利加」という大陸名は漢字ですが、その他の地名はカタカナです。
ニューヨークは「ニウヨルク」とあります。こういう相違はおもしろいです。
その次のページは日本全図です。
北は樺太、千島列島から、南は琉球までを収めます。
色分けは五畿七道別です。
右上に日本全体の諸データが載っています。それをアップで載せます。
項目は、国数、郡数、学区、府・藩・県、鎮台、開港場、戸数、人員、社数、寺数です。
3府60県の他に藩が1つあります。府は東京、京、大阪ですが、藩は何でしょうね。調べます。
軍隊は鎮台の下に大隊ですね。まだ師団はありません。
人口は3311万825人です。
国勢調査などない時代ですから、人別帳などを集計したのでしょうかね。
あれこれおもしろいです。
肝腎な旧国別の地図やデータは、また後日。
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千島列島が,かなり地続きになっているのが,おもしろい。
明治初年は,まだ北方や南西諸島は,よく分っていないのでしょうね。
興味深い資料です。
続報を楽しみにしています。
投稿: 萩さん | 2024年4月15日 (月) 19時57分
萩さん
コメントをありがとうございます。
千島列島が地続きのようになっているのは、日本全図のサイズにもよると思います。
だいぶ小さいので、細かく記すことも難しく、おまけに彩色していますので、かなりベターッと色を塗ってしまった感があります。
本文中では、国後、択捉はちゃんと描かれています。なぜか、歯舞、色丹は図がありません。
あまり重視していなかったのかもしれませんね。
北方4島よりもさらに北の千島列島も図がありません。樺太は図があります。
この本のできた明治8年は、丁度、樺太・千島交換条約の締結された年ですね。その混乱もあったかもしれません。
この本に載っている全ての地域を取り上げることはしませんが、いくつか取り上げたいと思います。三河、遠江も取り上げますね。
投稿: 玉村の源さん | 2024年4月16日 (火) 03時35分