明治8年の『大日本国郡便覧』(5)
連投している明治8年『大日本国郡便覧』の第5弾です。
今日は、私の好きな大和国と、昭和60年以来暮らした上野国を取り上げます。
まずは大和国。
大和国の地図は、どういうわけか南が上でした。これも何か落ち着かないので、180度回転させました。
データその1。
郡名にはそれぞれルビが付いています。「葛上」のように上下の付く郡名は難しいですから、参考になります。
この読みは現代と異なるものもありそうです。
神社は著名なものがたくさんあります。
産物には、紙、墨、そうめん、葛、柿など、現代に通じるものが多いですね。
鹿もあります。奈良市内の鹿は春日大社の御神鹿として大切に守られてきたはずですけど、それ以外の地の鹿は食べていたのかもしれませんね。あと、鹿革として利用されてきたのでしょう。
データその2。
名山大川にも著名なものが目立ちます。
続いて上野国。
地図は北が上です。
データの一部。
冒頭の「詼国」というのが全く分かりません。なんでしょ?
「詼」の字の字音は「カイ」、意味は「たわむれる。おどける。あざける。からかう」ということですが、はて?
それは置いておいて、上野国は11郡が熊谷県、3郡が栃木県です。地図では、黄色が熊谷県、樺色が栃木県です。
鶴舞う形のうちの頭から肩にかけてが栃木です。当時、群馬県はなかったのでした。
郡名のうち、「群馬」に「クルマ」というルビが付いています。
「群馬」という郡名は、古代の「車」という評名に溯ります。
行政地名の二字化の方針に基づいて「車」は「群馬」の二文字に改められますが、表記は「群馬」でも読みは「クルマ」です。
江戸時代くらいまでは、「群馬」と書いて「クルマ」と読んでいましたが、明治8年の時点でもまだ「クルマ」だったのか。
これは、なかなか興味深いです。
産物には、生糸、絹、蚕種などが冒頭にあります。富岡製糸場ができたのはこの本の3年前の明治5年のことでした。
ということで、いくつかの国を見てきました。
また何か興味を惹かれた国があれば載せることにします。
リクエストがあればお寄せください。
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