明治3年の『道中細見 定宿帳』(2)
先日載せた明治3年『道中細見 定宿帳』の続きです。
宇治橋から京。
右上隅に宇治橋。伏見を過ぎると、東福寺、三十三間堂があります。
左下には、東寺、東西の本願寺、六角堂など。
次のページには京の繁華が描かれています。
右上には、泉涌寺、清水、八坂、祇園、丸山。
下、中央やや左には、南禅寺、永観堂、若王子。
左は大津です。
だいぶ飛ばして尾張・三河付近。
右上に鳴海があります。その脇には「桶狭間 今川よし元之墓」。
左側、矢矧橋を渡ると岡崎です。
浜名湖の付近。
新居の関所が描かれています。
そして、浜松の右には浜名湖の歴史が書かれていますが、それによれば、上古は陸地だったものが、明応年中の大地震によって湖になったとあります。
しかし、実際には、上古から湖だったものが、明応7年の大地震によって陸地の一部が決壊して汽水湖になったのだと思います。
伝承の誤りのようです。
遠江から駿河へ。
日坂の脇には、「名物 わらびもち」とあります。有名だったのでしょう。
左側には、遠江と駿河との堺として、大井川。蓮台で人を渡しています。
絵があると楽しいです。
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浜名湖の記述の間違いを
きちんと指摘できるなんて,やっぱり源さんですね。
すごいです。
明応地震,宝永地震,安政地震・・・。恐ろしいです。
投稿: 萩さん | 2024年1月22日 (月) 06時53分
萩さん
コメントをありがとうございます。
いえ、そんなことはありませんが、ありがとうございます。
このページの右側のページに、豊橋、二川、白須賀が載っていたのですが、特に何も書いていなかったので、飛ばしてしまいました。すみません。
大地震は本当に怖いですね。
能登半島地震では海岸が隆起してしまったようですものね。
投稿: 玉村の源さん | 2024年1月22日 (月) 08時03分