『ならら』最新号の特集は春日若宮おん祭
昨日、群馬から帰宅したら『ならら』12月号が届いていました。
特集は、「888回目の春日若宮おん祭」です。
算用数字で書くと8が3つ並んだぞろ目ですが、漢数字の八ならば末広がりが3つとなります。
おめでたいです。
目次は次の通りです。
『ならら』は創刊25周年だそうです。
次号はそれにちなんだ特集のようで、楽しみにしています。
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昨日、群馬から帰宅したら『ならら』12月号が届いていました。
特集は、「888回目の春日若宮おん祭」です。
算用数字で書くと8が3つ並んだぞろ目ですが、漢数字の八ならば末広がりが3つとなります。
おめでたいです。
目次は次の通りです。
『ならら』は創刊25周年だそうです。
次号はそれにちなんだ特集のようで、楽しみにしています。
今日は高崎市新町公民館で公開講座でした。
「植物をよんだ万葉歌」の3回目、最終回です。
第3回の今日は、「春」「夏」につづき「秋」です。レジュメはこちら。
前回、配付資料が全ては終わらず2枚半枚残ってしまいましたので、今回はその持ち越し分から始めました。
そして、今回の分の資料は5枚のうち1枚半しか進めませんでした。
今日で終わりなので、もう次回に持ち越すことはできません。
来年度でしょうか。(^_^;
新ネタだったもので、見当が付かず、このようなことになってしまいました。
30年以上も教員を続けながら、面目ないことです。
新町公民館の館長さんから、再びぐんまちゃんグッズを頂きました。
ありがたいことです。
今回のも昭和58年のあかぎ国体の品です。
スタッフの名札のようです。
上の「風に向かって走ろう」の部分に、名前を書いた紙を挿入することができます。
初代ぐんまちゃんですし、レアものです。
大切に致します。
講座が終わって、東京の家に帰りました。
金曜日に、前橋の講座のために群馬に来て以来の、久しぶりの東京です。
帰宅したら、第1に金魚のゴハン。
ひもじい思いをさせてしまいましたけど、元気でした。
高崎駅構内のぐんまちゃんショップの看板ぐんまちゃん、今はサンタさんになっていました。
その口にはおひげが。
ぐんまちゃん、本当に何にでも変身します。
先月はハロウィーンバージョンだったところも、ささやかにクリスマス風に。
このようなポスターが掲示されていました。
サンタコスチュームのぐんまちゃんの撮影会があるそうです。
人数制限があって、「先着20名様程度」とあります。
「程度」というのがゆるくていいです。
先日の「日本名将大鑑」の続きです。
今回は戦国武将篇1。
柴田勝家(右)と前田利家(左)。
織田家中の2人です。
丹羽長秀や明智光秀は載っていません。明智は謀反を起こしたからでしょう。
吉川元春(上)と小早川隆景(下)。
毛利両川です。
加藤清正(右)と加藤嘉明(左)。
豊臣家中の2人。
清正の槍、長いです。ま、柴田、小早川も長いですね。
明智光春(右)と蒲生氏郷(左)。
近江国関係でまとめてみました。やや強引。
明智光春は湖水渡りで採用されたのでしょうね。
ネットニュースに、「"県庁所在地知らない"1位は」という記事がありました。
第3位は滋賀県だそうです。
大津というのは確かにあまり知られていないかもしれませんね。←滋賀の方、すみません。
第2位は群馬県。
また群馬県登場です。魅力度が低いとされ、秘境と言われ。
そして、県庁所在地まで。
ま、新幹線の駅がある高崎と比べて、前橋の知名度は低いかもしれませんね。
そして、第1位は東京都だそうです。
都庁所在地は新宿区。
そうかなぁ。
私が小学生のとき、都庁は千代田区にありましたが、都庁所在地は東京と習いました。
「え~、東京市なんてないのだから、千代田区じゃないの?」と思ったものでしたが、今は事情が変わったのでしょうか。
全国の中で、東京だけ「都」で、その下にいきなり23区があるわけで、他の中核市とは異なりますよね。
「東京」でいいんじゃないかなぁという気がします。もちろん新宿区で全く間違いないですけど。
話は違いますけど、金曜日の前橋の講座のあと、県立女子大に寄って、それから渋川の家に泊まっています。
昨夜、寒かったです。布団の中で、手を擦り足を擦りしても、暖かくなりません。寝不足です。(^_^;
昨日の夕飯は、高崎駅構内の駅弁屋で購入した「名物いいとこどり弁当」でした。
駅弁マーク制定35周年記念の駅弁で、日本橋大増と大船軒とのコラボです。
田の字に仕切ってある左半分が日本橋大増、右半分が大船軒の陣地です。
右上は鯵の押寿司、右下はやまゆり牛の時雨煮と、鎌倉ハムとキャベツ炒め。
左上は、江戸うま煮、左下は深川めしです。
駅弁マークのデザインが田の字をベースにしていますので、この駅弁もそれにちなんで田の字に仕切っているのでしょう。
鯵の押寿司だけ取り出して、チンして食べました。
それぞれは美味しかったのですが、こうして一緒にしてしまうと、それぞれの分量は少ないし、必ずしも調和していないし、という感想を抱きました。あと、分量が少なめでした。ご飯が足りない。
営業妨害になったらすみません。
今日は前橋で講座の日でした。
県庁前広場に草刈りぐんまちゃん、いました。
以前、草刈りぐんまちゃんを見かけたときは、こんな車でした。
今日の風防ガラスのようなのは空っ風よけでしょうか。
黄色い手のようなものも付いていますが、触ってみたところ、固定されているようでしたので、どうも単なる飾りのようです。
前橋での仕事が終わった後、群馬県立女子大学に野暮用があったので、行ってきました。
県立女子大に行くのは3年半ぶりです。
私の後任の鈴木崇大先生が折良くお部屋にいらしたので、ご挨拶に伺ったところ、学生さんが3人いて、そのうちのおひとりは、なんと私のブログを見てくださっているとのことでした。
全く思いも掛けないことで嬉しくありがたいことでした。
鈴木先生の前任者がどんな人間か関心があったようです。
先日の「日本名将大鑑」の続きです。
今回は戦国大名篇。
有名人が揃っています。
北条早雲(左)と北条氏康(右)
上杉謙信(左)と武田信玄(右)
織田信長(右)と豊臣秀吉(左)
毛利元就(左)と伊達政宗(右)
島津義久(左)と長曽我部元親(右)。
見覚えのある万葉集の絵はがきを6枚入手しました。
これは、2014年の1月に、当ブログに「絵はがき「大和と萬葉集」1」「絵はがき「大和と萬葉集」2」として載せた6枚の絵はがきと5枚が重なります。
その時の絵はがきはこういう袋に入っていました。
この袋に入っていた6枚の絵はがきと比べて、「香具山:久方の天のかぐ山此の夕べ霞たなびく春立つらしも」の絵はがきがなく、
その代わりに次の絵はがきが入っていました。
この絵はがきの裏側(というか表側)は次の通りです。
左下をアップにします。
万葉集ではなく、書紀歌謡から採ったものですね。
以前に載せた絵はがきの袋には「大和と萬葉集 第二輯」とありました。
とすると、この宇陀高城の絵はがきは第一輯に入っていたものでしょうか。
いや、万葉集ではなくて書紀歌謡から採ったものであることを考えると、第三輯以降ということになるのでしょうか。
調べれば分かりそうな気もしますが、まあ。
おもしろいものを入手しました。
ぐんまちゃんサブレです。
中身。
何がおもしろいのかというと、これ、本物ではなくて食品サンプルなのです。
箱は上げ底になっていて、サブレは3列あるそれぞれの一番上だけです。
中央のサブレのみ、袋から出ています。
手触りはゴムのような感じです。
触れば本物ではないことは分かりますが、目で見た感じでは本物にしか見えません。
とてもよくできています。
うちの劇団員さん達でデコってみました。
先日の「日本名将大鑑」の続きです。
今回は南北朝篇。
楠木正成。
楠公さん大好きなんですけど、とても残念なことに、絵がちょうど折り目の部分に当たってしまっています。
折り目の左右で、ヤケが大きく異なります。
これは桜井の駅の場面でしょうかね。
新田義貞。
これまた同じく折り目の部分です。
鎌倉攻めの際に、稲村ヶ崎で太刀を投じた場面ですね。
名和長年(右)と菊池武光(左)。
北畠顕家(右)と楠木正行(左)。
北畠顕家というと、かつてのNHK大河「太平記」の後藤久美子が思い出されます。
楠木正行は、吉野の如意輪堂の板壁に辞世の歌を書き込んだ場面ですね。
南北朝時代はこれで全部です。
足利尊氏、足利直義、高師直などは載っていません。
完全に南朝に偏っています。
寒くなりました。
昨シーズンまで着ていたセーターがボロになってしまったので、新しいのを買うことにしました。
どこかへ買いに行くのも面倒なので、某アマゾンで買うことにしました。
届きました。
派手な爺さんです。(^_^)
今まで、私の服の色といえば、紺、茶、灰ばかりだったのですが、ふと、変わったものを着たくなりました。
真っ赤は生まれて初めてです。
いつか徘徊するようになった時、探してもらいやすくなると思います。
ブランドものです。
アマゾン エッセンシャルズ。
サイズは「M」を注文したのですが、「S」が届きました。
海外サイズなので、自動的にワンサイズ下のが届くようです。
ぴったりです。
というか、ぴったりすぎ。もう少しゆったりでも良かったように思います。
今日のNHK「ブラタモリ」は目白でした。
お題は「目白ブランドの正体とは?」です。
最初は、「目白」や「目白台」の地名の起源になった目白不動から。
江戸五不動の1つである目白不動尊は、江戸時代には関口の新長谷寺にあったのが、そのお寺が第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けたために、現在は金乗院というお寺に移ったそうです。
江戸時代の新長谷寺は、江戸時代には眺望の良い名所として人気スポットだったそうです。
神田川の崖の上には大名屋敷も作られ、その1つである久留里藩黒田家の下屋敷は、近代の山県有朋邸を経て、今は椿山荘になっています。
明治になって、現在の目白駅の東側に学習院が四ッ谷から移転してきます。
学習院の西にできた近衛邸は、のちに分譲住宅地になりました。
そういう経緯で、一番東にあった新長谷寺から、大名屋敷→学習院→近衛邸跡と、順次西に人気エリアが広がっていったということがよく分かりました。
次回は「世田谷」で、予告には世田谷線の招き猫電車や、豪徳寺の溢れんばかりの招き猫群が映りました。
次回も楽しみです。
先日の「日本名将大鑑」の続きです。
今回は、古代編。
武内宿祢。
半分神話上の人物です。
ヤマトタケルや神功皇后は載っていません。皇族は避けたのかもしれません。
阿倍比羅夫(右)と坂上田村麻呂(左)。
蝦夷討伐等に功績のあった将軍ですね。
源頼光。
頼光の四天王は載っていません。
藤原秀郷(右)と平貞盛(左)。
平将門討伐に功績のあった2人です。
平将門と藤原純友は載っていません。
源頼義(右)と源義家(左)。
この2人は親子ですね。
前九年の役、後三年の役に功績のあった2人です。
安倍頼時、安倍貞任は載っていません。
こうして見てみると、皇族は載せない、謀反人は載せない、という方針があったようです。
戦前ですからねぇ。
壬申の乱関係者も載っていません。
壬申の乱はなかったことになっていた、とまでではなくても、あまり触れないようにしていたのかもしれません。
先日の「日本名将大鑑」の続きです。
今回は、昨年のNHK大河「鎌倉殿の13人」の登場人物を。
源頼朝。
伝・源頼朝像の写しですね。
源義経(右)と源義仲(左)。
畠山重忠(右)と和田義盛(左)。
畠山重忠は、一ノ谷を下るときに愛馬を担いで下りたとされますけど、無理ですよねぇ。
平重盛(上)と平知盛(下)。
平清盛は載っていませんでした。
北条の小四郎も、三浦の平六も、木曽の巴も。
今日は高崎市新町公民館で公開講座でした。
「植物をよんだ万葉歌」というテーマの隔週3回の講座の2回目です。
先々週の前回は「総記・春」でした。
第2回の今日は「夏」です。レジュメはこちら。
前回、配付資料が全ては終わらず3枚残ってしまいましたので、今回はその持ち越し分から始め、今回の分の資料は4枚のうち1枚半しか進めませんでした。
残りの2枚半は次回に持ち越しです。
あと1回で最後ですが、終わる気がしません。(^_^;
できる限り頑張ります。
今日は、新町公民館の館長さんから、ぐんまちゃんグッズの詰め合わせを頂きました。
ありがたいことです。
ぐんまちゃんのクリアファイル。
ぐんまちゃんのシール、その1。
ぐんまちゃんのシール、その2。
ぐんまちゃんのマスキングテープ。
文鎮。
何も描いていない文鎮のようですが、お気に入りの真っ黒な布「太黒門」を下に敷くと、あら不思議。
これ、昭和58年に群馬県で開催されたあかぎ国体で、新町がなぎなた競技の会場になった記念品です。
初代ぐんまちゃんが描かれています。
レアものと思います。
貴重なものを頂きました。
昨日の「日本名将大鑑」の続きです。
一昨日のNHK大河は関ヶ原合戦でしたので、その関係の武将を。
実際の名将大鑑では各武将が隙間なく並んでいますので、隣近所からはみ出している部分はカットしました。
それで、継ぎはぎのような感じのお見苦しいものになっています。
徳川家康(右)と石田三成(左)。
家康の兜の前立ては先日の大河と同じですね。鎧は南蛮胴のようです。鉄砲玉を弾くにはこういうものの方が適切と思います。
三成は武装していませんね。こういう肖像画がありましたね。それを写したものでしょう。
徳川四天王から酒井忠次(右)と本多忠勝(左)。
酒井忠次が手にしているのは太鼓のバチでしょうか。それならば、三方ヶ原合戦の後に浜松城で太鼓を打ち鳴らしたという故事によっています。
本多忠勝は、鹿の角の脇立て、巨大な数珠、蜻蛉切の槍という3点セットです。
徳川四天王から榊原康政(右)と井伊直政(左)。
小西行長(右)と宇喜多秀家(左)。
小西行長はくたびれているのでしょうか。
大谷吉継(上)と島津義弘(下)。
大谷吉継は駕籠に乗っていますね。
黒田長政(右)と福島正則(左)。
黒田長政の大水牛脇立ての兜はかっこいいです。
あ、小早川秀秋はいません。
この大鑑では「名将」とされていないようです。
「日本名将大鑑」を入手しました。
『少年倶楽部』昭和7年7月号の附録です。
著名な武将たちの図鑑で、絵師は米内穂豊画伯、羽石弘志画伯の2人、中村孝也博士校閲です。
表紙は米内穂豊画伯の手になります。
誰を描いたものか不明ですが、甲胄からは源平時代の武将ではないかと思います。
顔の部分。
左手の部分。
弓の握り皮や籐など、きちんと描いてあります。
中身のオモテ側。
裏側。
武内宿祢から山田長政まで、表裏合わせて68名の武将が描かれています。
何回かに分けて中身を紹介します。
昨日室内に取り込んだ浜木綿の鉢に夥しい枯れ草が生えていて、大変見苦しい状態でした。
今日、枯れ草を除去しました。
大変にすっきりしました。♪
除去した枯れ草は、堆肥を作っているコンポストに入れました。
枯れ草ではあまり足しにはならないかもしれません。(^_^;
昨日今日はZoomによる集中講義でした。
疲れましたけど、活溌な質問も出て、実りあるものだったと思います。
金魚の水槽をバックに行いました。
金魚にとっては私がうるさくして、迷惑だったと思います。
休み時間のたびに、「ゴハンくれ」という圧を掛けられました。
何度かおやつをやりました。
急に寒くなりましたね。
ベランダに出していた鉢植えのうち、まずは浜木綿の子を屋内に取り込みました。
枯れ草がわらわらといっぱい生えています。
浜木綿がよく見えないほど。
枯れ草は抜きます。
手入れの悪いことです。
鉢から草がたくさん生えてきたことは承知していたのですが、折角生えてきたものを抜くのが可哀想な気がして、そのままにしてしまいました。
なんか珍しいものが生えてきたかもしれないという期待もありました。
生えてきたのは露草が多かったです。
枯れ草の中に、オリヅルランの子株が混ざっていました。
浜木綿の鉢の隣りにオリヅルランの鉢を置いていましたので、そこから伸びたランナーが浜木綿の鉢に伸びてきたのです。
浜木綿の鉢を屋内に取り込んだときに、ランナーが切れてしまったのでしょう。
これらの子株は水栽培をすることにしました。
容器は豆腐の空き容器です。
発根したら鉢に植えます。
今日はハチ公の誕生日だそうです。
ハチ公は、大正12年(1923)の11月10日に生まれたということで、去年が生誕100周年ということになります。
渋谷のハチ公像は外国人にも大人気ですが、いつまでも御主人を待っているのもかわいそうということで、再会した2人の像が造られて平成27年(2015)に東大構内に設置されました。
場所は、東京本郷の東京大学農学部の正門付近です。
設置当時、このニュースを見て、早速行ってきました。ナマで見たかったのです。
もう1枚。
ハチ公の顔のアップ。
どの写真からもハチ公の嬉しさが伝わってきます。
再会が叶って良かったです。
すぐ近くに「朱舜水先生終焉之地」の碑があります。
朱舜水は水戸光圀と縁がありました。
東大農学部は水戸徳川家の屋敷跡なのでした。
「ならまき」を購入しました。
めっちゃ薄い腹巻きです。
子供の頃は腹巻きをして寝ていたのですが、もう腹巻きをしなくなって何十年も経ちます。
今になって腹巻きを買ったのは、奈良のだから。(^_^)
「カラダもココロも奈良に包まれて」とあります。
いいですね。♪
奈良の支援になるというのにも心惹かれました。
ワンポイントは次の面々です。
チラと考えて、鹿を選びました。
やはり鹿です。
大変気に入っています。
使うかどうかは分かりません。
正倉院宝物の蘭奢待のぬいぐるみが発売されたことをツイッターで知りました。
買う人いるのかなぁと思いましたが、思わず知らずポチってしまいました。
今日届きました。また、ものが増える。
足利義政と織田信長が切り取らせた部分。
ちょっとピンボケです。お恥ずかしい。
明治天皇が切り取らせた部分。
サイズが分かりにくいので、うちの劇団員を添えてみました。
やはり分かりにくいかもしれません。(^_^)
「クイズドレミファドン!」の台本を入手しました。
第161回・162回の2本撮りです。
子供の頃、毎週日曜日のお昼に見ていました。
……と思っていましたが、放送日を見ると、昭和54年ですね。
子供ではなくて十分に大人でした。(^_^)
子供の頃、日曜のお昼に見ていたのは、いとこい師匠司会の「ガッチリ買いましょう」と大正テレビ寄席でした。
出演者は次の面々です。
「特別ゲスト」としてタモリさんが出ています。
もう、この頃から大物扱いだったのでしょうか。
タモリさんの登場場面。
今の「ブラタモリ」のタモリさんとはだいぶ雰囲気が違います。(^_^)
この台本に最終回の記念写真が挟まれていました。
最前列中央部のアップです。
向かって一番左は斎藤清六、その隣は高島忠夫です。
その隣はよく分かりません。その隣は坂上とし恵と思います。
あれこれ懐かしいです。
無声映画「雄呂血」の台本を入手しました。
ググってみましたら、今泉伍朗というのは弁士でした。
冒頭はこのような内容です。
この冒頭部分にはなんか憶えがあります。
「雄呂血」はテレビで一部だけ見たことがあります。
激しい立ち回りのあったことが記憶に残っています。
それ以上のことはありませんでしたが、この台本を入手したことで、DVDを買ってしまいました。
今度ちゃんと見てみます。
無声映画の台本って、どういう仕組みなのでしょうかね。
製作会社から映画館に台本が配付されるのでしょうか。
映画を見て弁士が勝手に語っているわけではないでしょうし、それは無理な話でしょう。
この台本はガリ版刷りですので、複数冊を刷ったわけでしょうね。
昨日のNHK「ブラタモリ」は北陸新幹線が延伸される敦賀でした。
お題は「すべての道は敦賀に通ず?」です。
タモリさんは半信半疑でした。
敦賀は、律令時代には北陸道の入口に位置します。
また、渤海国との交流が行われていた時期には、渤海からの船は敦賀に来るように指示されていたそうです。
時代が降って、江戸時代には、北前船の重要な寄港地になります。
北海道の物産を大坂に運ぶときに、下関を通って瀬戸内海経由で大坂に運ぶ場合は1年に1往復しかできないところ、敦賀で荷下ろしをすれば年に2往復できるということです。
明治2年に鉄道建設の優先順位を決定したときに、新橋⇔横浜、大阪⇔神戸と並んで、敦賀⇔長浜が設定されたということで、これも敦賀の重要性を物語っています。
また、敦賀⇔ウラジオストックという外国航路も開かれ、敦賀はヨーロッパへの出入口にもなりました。
ここまで来て、番組冒頭ではあまり納得していなかったタモリさんも、お題に納得してきたようです。
私も、敦賀といえば大谷刑部というイメージしかありませんでしたので、反省しました。
思えば、角鹿は記紀にも登場しますね。確かに要地だったのだと思います。
認識を大いに改めました。
交通の要衝という割には、鯖街道のことが全く触れられていないなぁと思いながら見ていましたが、次回は鯖街道だそうです。
先日、来年度の「ぐんまちゃん手帳」……じゃなくて、「群馬県民手帳」を購入しました。
今年度の表紙はこの様でした。
県知事様が変わってから、ぐんまちゃんの帽子が赤になってしまいましたが、県民手帳の表紙の帽子もついに赤くなってしまいました。
ぐんまちゃんの帽子は誕生以来ずっと緑色だったので、赤い帽子には違和感しかありません。
慣れの問題だけではなくて、緑の方がずっと似合っていると思います。
今後、知事様が変わったら、ぐんまちゃんの帽子の色も緑に戻りましょうか。
別の色になったりして。(^_^;
今年のイチ押しは温泉でしたが、来年は「リトリートの聖地」です。
リトリートとは「忙しい日常から離れ、心や身体を癒す過ごし方」だそうです。
みなかみと万座の3泊4日が例として上がっています。
確かに群馬にはそういう地がたくさんありそうです。
温泉もたくさんありますしね。
こういう県民手帳ですが、以前は載っていた上野三碑が消えてしまったのが残念です。
世界遺産ですぜ。
群馬県民手帳は、毎年10月28日の県民の日頃に発売されます。
今年は、27日(金)に前橋に行きましたので、県庁2階の県民センターに立ち寄ったのですが、明日発売とのことでした。
「あちゃー」です。1日違い。
もしかしたら、県民の日頃に発売ではなくて、県民の日に発売なのかもしれません。
県庁での購入はできませんでしたが、後日、高崎駅構内の書店で無事に購入できました。
一昨日、東京の家に帰ったら、『ならら』の11月号が届いていました。
特集は「古都奈良が誇る世界遺産」です。
「法隆寺地域の仏教建造物」が登録30周年、「古都奈良の文化財」が登録25周年に当たるとのことです。
目次は以下の通りです。
28ページに、「『飛鳥川原宮』は何処に?」という項目があります。
飛鳥川原宮は川原寺の場所にあったものと勝手に思っていました。
しかし、川原寺のあたりは、地名「飛鳥」の範囲ではなく、「川原」であるということで、この通説に疑問を呈し、「飛鳥」の範囲に候補を求めるならば、水落遺跡の下層に存在する遺構が川原宮である可能性がある、という説が慎重に述べられていました。
飛鳥・藤原の世界遺産登録も待たれます。
月が変わりましたので、恒例の体重変化グラフです。
8月から少しずつ体重が減っていたのですが、10月、それを全部ご破算にするように増加しました。
原因不明です。食欲の秋だから?
昨日、帰京して久しぶりにいつものスーパーに行ったら、奈良の柿がありましたので、つい買ってしまいました。
奈良に弱いです。(^_^)
2つ入りなのに1つしかないのは、1つ食べてしまったからです。
撮影の段取りが悪いです。
毎日何か果物を食べることにしていますが、包丁を使った後の後始末が面倒なので、ブドウとか、みかんとか、いちじくとか、さくらんぼとか、そういったものが多いです。
あ、包丁の後始末というのは、ステンレスじゃなくて鋼なので、使った後、すぐにちゃんと拭いておかないといけないのです。
「それくらい何さ」と言われそう。(^_^)
久し振りに包丁を使いました。
まあまあきれいに剥けました。
おいしゅうございました。
今日は高崎市新町公民館で公開講座でした。
新町公民館での講座はコロナ禍でお休みになり、今回は3年振りの講座でした。
現役の頃は通勤のたびに利用していた新町駅に降り立ったのも3年振りになります。
懐かしかったです。
今回の講座は隔週3回で、テーマは「植物をよんだ万葉歌」です。
前期の朝ドラの主人公が牧野富太郎であったことを意識してこのテーマにしました。ミーハーです。
第1回の今日は「総記・春」です。レジュメはこちら。
レジュメは、本体が7枚とカラーの別紙が2枚でしたが、本体のうち4枚しか進みませんでした。
残りは次回に持ち越しです。
何回か扱っているテーマだと、回を重ねる毎に改訂できますけれども、今回のような新ネタだと、見通しが難しく、つい多めに作ってしまいます。何とかします。
新町での講座が終わって、東京の家に帰りました。金曜日から5泊6日になります。
帰宅してすぐに金魚の水槽のところに行きました。
全員元気でほっとしました。
不思議なのは、1匹が結構長くて立派なフンをぶら下げていたことです。
いったい何を食べていたのか。コケだとは思いますが、何か食べていたのならば安心です。
郵便受けも辛うじて満員になっていなくて良かったです。
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