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2023年7月 6日 (木)

壬申の乱の経緯を追って11 田辺小隅の部隊を多品治が撃退

 7月5日の夜半に田中足麻呂の守る倉歴道を突破した田辺小隅の部隊は、翌7月6日に多品治が守るたら野の陣営を襲撃するが、撃退される。

 この頃、大伴吹負敗走の報に接した紀阿閉麻呂は、置始兎に千余騎の兵を与えて、倭京に向けて派遣する。
 *日本書紀では、置始兎を倭京に向けて派遣したことは7月9日のこととして記述するが、そこには、その後の展開もまとめてそこに懸けて記述してあると読めるので、置始兎の派遣はおおよそ7月6日頃と推測した。
 7月4日の乃楽山での大伴吹負の敗走を9日に知ったというのではあまりに遅いであろう。

Jinshinchizu12

 たら野の位置については諸説ありますが、三重県伊賀市上野付近とする説が有力のようです。
 吉野を脱出した大海人皇子が東国に向かう際も、この地で朝食を摂っています。
 淡海国から鹿深山を越えて倭に向かう際の重要な通過点であったのでしょう。

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