壬申の乱の経緯を追って14 村国男依、鳥籠山で淡海軍に勝利
7月7日に息長の横河で淡海軍に勝利した村国男依らは、7月9日には鳥籠山で淡海軍に勝利をおさめ、将の秦友足を斬る。
それから、私、書き落としてしまいましたが、7月2日頃、犬上川のほとりに軍営を置いていた淡海軍に内乱が起こります。
その時、淡海方の羽田矢国が一族もろとも大海人方に投降してきました。
大海人方は早速これを受け入れ、羽田矢国を将軍として、琵琶湖の北岸経由で、西岸沿いに南下させます。
琵琶湖の東岸と西岸、両方から大津京を攻めようということなのでしょうが、うがって考えれば、羽田矢国を必ずしも信用していなかったために、近くに置きたくなかったのかもしれません。
一方、倭方面は相変わらず日付が不明ですが、大伴吹負・置始兎の部隊は墨坂を出て、大坂にいる淡海方の壱伎韓国を撃つべく、西に向かっている最中と思われます。
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