壬申の乱の経緯を追って18 倭方面最後の戦闘
日本書紀には、今日7月15日の記事はありません。
淡海方面では13日に大海人軍が安河で大勝しています。
倭方面では日付不明ながら大海人軍が河内方面からの淡海軍を撃退し、飛鳥古京の本営に戻ってきています。
その後、飛鳥古京には東国からの軍勢が多数到着したので、大伴吹負は兵を3つに分けて、上ツ道、中ツ道、下ツ道に配し、淡海軍の来襲に備えます。
上ツ道では、三輪高市麻呂と置始兎が箸陵で淡海軍に大勝します。
中ツ道では、村屋に陣を置いた淡海軍の犬養五十君が廬井鯨に精兵二百を与えて大伴吹負の陣営を衝かせます。吹負麾下の兵は少なく苦戦しますが、そこに、箸陵の戦いで勝利をおさめた三輪高市麻呂らの部隊が廬井鯨の背後を衝き、勝利をおさめることができました。
下ツ道については記述がありません。
大伴吹負は飛鳥古京の本営に戻って軍を立て直しますが、この先、淡海軍はもう攻めてきませんでした。
淡海方面で敗戦が続いているので、そちらに兵を集中させようとしたのかもしれません。
逃亡した兵もいたことでしょう。
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いよいよ大勢は決したという感じですね。
日頃は平和を愛する私ですが、何故か日本書紀のこのあたりを読むときには血が騒いでしまいますから不思議です。
投稿: 三友亭主人 | 2023年7月15日 (土) 15時02分
三友亭主人さん
コメントをありがとうございます。
そうですね。淡海方面でも、倭方面でも淡海方は敗北を重ね、大勢は決しましたね。
箸陵の戦いなど、お住まいの近くでもありますよね。
日本書紀の記述は基本的には淡々としていますけど、壬申紀には軍記物語を思わせるような文章がちらほら見えますね。
投稿: 玉村の源さん | 2023年7月16日 (日) 01時27分