魚佐旅館の奈良案内比較
今週の月曜日(7月17日)に「魚佐旅館の奈良案内(2)」という記事を書きました。
「2」としたのは、以前、同じ魚佐旅館の同様の案内をブログに載せていたからです。
どちらが古いのかなど、比較してみます。
掲載されている地図を比較してみると、いくつか違いが見つかりました。
まず、奈良国立博物館の南東にある施設名です。
左が今回入手した奈良案内(Aとします。以下同)、右が以前入手した奈良案内(Bとします。以下同)です。
右下隅の施設名が、左のAでは「物産陳列場」とありますが、右のBでは「商工館」です。
これは地図の年代を決める指標になります。この建物の名称は以下のように変遷しています。
明治35(1902)年 奈良県物産陳列所開業
大正10(1921)年 奈良県商品陳列所と改称
昭和 9(1934)年 奈良県商工館と改称
現在は、奈良国立博物館仏教美術資料研究センターになっています。
Aの地図の名称は「物産陳列場」ですので、ぴったり合う名称はありませんが、「所」と「場」の相違を無視すれば、Aは明治35年から大正10年までの間に作成されたことになります。
ところが、そううまくは行きません。この案内の裏側にこんな記述があります。
3行目の「倶楽部」の説明に「明治帝 大正帝 今上陛下」とあります。この文章はAB共通です。
ということは、AもBも昭和になってからのものということになります。
油断なりません。
一方、Bには「商工館」とありますので、こちらは昭和9年以降であることが確実です。
Aは昭和元年~9年と考えて良さそうです。
少なくとも、Aの方がBよりも古いことは確実です。
そう思って表紙を見れば、Aには「魚佐旅館」とあるのみですが、Bには「魚佐旅館」「魚佐別館」とあります。
別館が増えたのでしょうね。
もう1つの手がかりは奈良警察の所在地です。
左のAでは、奈良警察は大軌(現近鉄)の電車乗り場の南にありますが、Bでは郵便局の西にあります。
奈良警察は昭和13年に東から西に移転していますので、Aは昭和13年以前、Bは昭和13年以降と推定されます。
Bは確実ですが、Aの年代には多少のタイムラグがあるかもしれません。
Aの年代の上限については他に手がかりがあるかもしれません。
裏面は奈良の名所案内等の解説文になっていて、こちらはABともに大差はありません。
やや異なるのは奈良の名産品などです。
このように随分異なります。理由を知りたい気がします。業界からの希望があったのでしょうかね。
交通機関やその料金などはほぼ同じです。
相違点は「自動車 人力車」の「市内」料金です。
より古いAでは70銭均一ですが、新しいBでは50銭均一になっています。
ものの値段は徐々に上がってゆくものと思っていましたが、値下げですね。
あとは、値段も電車の所要時間も全く変わりません。
表記に関して、Aには「自働車」とあるのが、Bでは「自動車」となっています。この相違に新旧の差を感じます。
魚佐旅館については以前も書いたのですが、奈良市の地図を地図を見るたびに、猿沢池の南にある魚佐旅館という旅館名に目が行き、不思議な名称と思っていました。
ところが、明治18年の道中記(定宿帳)に「うをや佐兵衛」とあるのを見つけました。位置もまさに猿沢池の南です(右が南)。
魚屋佐兵衛を縮めて魚佐だったのです。
これが分かった時は「おお!」でした。
こういうのは楽しいです。
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