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2023年7月21日 (金)

魚佐旅館の奈良案内比較

 今週の月曜日(7月17日)に「魚佐旅館の奈良案内(2)」という記事を書きました。
Uosamap07_20230721210901

 「2」としたのは、以前、同じ魚佐旅館の同様の案内をブログに載せていたからです。
Uosaannai02

 どちらが古いのかなど、比較してみます。

 掲載されている地図を比較してみると、いくつか違いが見つかりました。

 まず、奈良国立博物館の南東にある施設名です。
Uosamap10
 左が今回入手した奈良案内(Aとします。以下同)、右が以前入手した奈良案内(Bとします。以下同)です。
 右下隅の施設名が、左のAでは「物産陳列場」とありますが、右のBでは「商工館」です。
 これは地図の年代を決める指標になります。この建物の名称は以下のように変遷しています。

  明治35(1902)年 奈良県物産陳列所開業
  大正10(1921)年 奈良県商品陳列所と改称
  昭和 9(1934)年 奈良県商工館と改称

 現在は、奈良国立博物館仏教美術資料研究センターになっています。

 Aの地図の名称は「物産陳列場」ですので、ぴったり合う名称はありませんが、「所」と「場」の相違を無視すれば、Aは明治35年から大正10年までの間に作成されたことになります。
 ところが、そううまくは行きません。この案内の裏側にこんな記述があります。
Uosamap12
 3行目の「倶楽部」の説明に「明治帝 大正帝 今上陛下」とあります。この文章はAB共通です。
 ということは、AもBも昭和になってからのものということになります。
 油断なりません。

 一方、Bには「商工館」とありますので、こちらは昭和9年以降であることが確実です。
 Aは昭和元年~9年と考えて良さそうです。
 少なくとも、Aの方がBよりも古いことは確実です。
 そう思って表紙を見れば、Aには「魚佐旅館」とあるのみですが、Bには「魚佐旅館」「魚佐別館」とあります。
 別館が増えたのでしょうね。

 もう1つの手がかりは奈良警察の所在地です。
Uosamap11
 左のAでは、奈良警察は大軌(現近鉄)の電車乗り場の南にありますが、Bでは郵便局の西にあります。
 奈良警察は昭和13年に東から西に移転していますので、Aは昭和13年以前、Bは昭和13年以降と推定されます。
 Bは確実ですが、Aの年代には多少のタイムラグがあるかもしれません。

 Aの年代の上限については他に手がかりがあるかもしれません。

 裏面は奈良の名所案内等の解説文になっていて、こちらはABともに大差はありません。
 やや異なるのは奈良の名産品などです。
Uosamap14
 このように随分異なります。理由を知りたい気がします。業界からの希望があったのでしょうかね。

 交通機関やその料金などはほぼ同じです。
Uosamap13
 相違点は「自動車 人力車」の「市内」料金です。
 より古いAでは70銭均一ですが、新しいBでは50銭均一になっています。
 ものの値段は徐々に上がってゆくものと思っていましたが、値下げですね。
 あとは、値段も電車の所要時間も全く変わりません。
 表記に関して、Aには「自働車」とあるのが、Bでは「自動車」となっています。この相違に新旧の差を感じます。

 魚佐旅館については以前も書いたのですが、奈良市の地図を地図を見るたびに、猿沢池の南にある魚佐旅館という旅館名に目が行き、不思議な名称と思っていました。
M18isshin09

 ところが、明治18年の道中記(定宿帳)に「うをや佐兵衛」とあるのを見つけました。位置もまさに猿沢池の南です(右が南)。
M18isshin04
 魚屋佐兵衛を縮めて魚佐だったのです。
 これが分かった時は「おお!」でした。
 こういうのは楽しいです。

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